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▼aikidonotatujinさん:
こんばんは。マキナです。
>>私の主治医の意見ですが、
>>「自閉症の傾向を持つ人は、元々は、自己認識が低い為に色んな影響を
>> 受け易い。良い意味で考えると素直で大人しい性質を持っている。
>> 自覚がない場合が多いので、厳しい事も、正しい事も愛情をもって
>> 接すれば、良い所は大きく伸ばせる。ASは、単なる入れ物であるに
>> しか過ぎない。環境の質が良ければ良い性質になる。」
>
> この部分がすごく心に残ってしまいました。発達障害者の特性をよく理解してくれている医師ですね。
これは、多分、主治医が児童専門医だからだと思います。沢山の子供たちを
診てきた経験からだと思います。私が長年何も知らずに教育を受けずに
大人になった事を、少し悲しんでおられるようです。
でも、仕事を覚えて生活しているだけで「尊敬しますよ。」と、言って
くれているので、不思議な感じはするのですが、私くらいの自閉症状があると
一般の職種は無理だという事なのかな?などと、勝手に憶測しています。
> 最近になって私の主治医も、ほんの少しだけ私の話に耳を傾けてくれるようになりましたが、
お話をきいて下さるようになって良かったですね。医師のひとことひとことは
とても大事なものです。
> それでも、クリストファー・ギルバーグが述べている通りのアスペルガー症候群特有の症状をもっています。一番自分で怖いのは、「死への願望」です。
これは、私にはないので、理解できないのですが。
子供の頃というか。。。えっと。今でも、時々、生きているモノ、
生きていないモノが、ごっちゃになる感覚を「正常な感覚」に引っ張り
あげていくような努力が必要です。猫と子供を、下手すると同列に並べて
考えたりしてしまいそうになるので、人間の方が優先順位が高いのだぞ。
と、自分を戒めています。
若い頃は「死んでいる状態」と、いうのに興味を持ったので、少しなら
「死への願望」的なものは理解できます。でも、すべてが机上のもので
フランス文学などを読みあさりました。それで、満足しました。
> クリストファー・ギルバーグが述べているように、いとも簡単に「死への願望」を抱きます。
私の勝手な解釈なのですが、自己と他者との境界線があやふやな為に辛い
感覚があると、生死の見境がつかなくなるのではないでしょうか?
例えば、環境や周囲がどうしても「自分としては無理」とまで追い詰め
られた時に「死んだら周囲が自分に伝わらなくなるから死のう」と、いう
思考になりがちなのかな?と。勝手な解釈なので、スルーして下さって
大丈夫です。自閉傾向が強いと、逆に「死にたい」という願望が低いような
気がしますので。失敗の連続の人生なので、「消えたい」と、思う時も
ありましたが、「死にたい」にまではなりませんでした。
「消えたい」を、周囲に伝えてみようと、考えているうちに、忘れっぽい
のが幸いして、伝え方を考えているうちに失敗した事を忘れます。
自己解析ですが、私は、やたらに「宣言」したいという行動があるので
伝えたいというのが、宣言の一種だと思います。
考えているうちに、そっちに集中してしまいますので、学習はできない
ものの、鬱状態になる事が少ないので、精神的に助かっています。
大人になって、図太くなったせいか「あはは。忘れてら。私。」で
終われます。自分だけですけど。
>そして、すぐにその願望を、「生への願望」に切り替えます。今はたとえ「死への願望」が出ても実行などしませんが、愛するものが自分から離れ、孤独になったとき、どうなるか分かりません。
私は、何度か書きましたが、孤独が理解できていないタイプですので、
良いアイディアかどうかは解らないのですが、「愛するもの」の対象を人間
以外のモノに求めてみられてはどうでしょうか?
仕事とか、芸術の探究とか、パソコンのシステムの探究とか。
今迄の、私の数少ない経験からですが、人間は常に変化します。
私は情報を集めるという収集癖があるのですが、その中で、本というモノに
とても惹かれました。すでに印刷された本は変化しません。そういう安心感
から本がとても好きですし、世界が広がります(脳内世界ですが。。(笑
ASの定義は、ばらばらですが、共通するのが、ある程度の知能を持ち、
周囲を物理的にながめたりして、時間はかかっても比べたりできる。と
いう事だと理解しています。考え方の方向性を自らが変化させる事によって
過去の経験の「似たような出来事」も、違うものに見えたりします。
発達障碍を持つ人にとって大事なのは「生き易さを見つけていく」事だと
思っています。
健やかにお過ごし下さいね。
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