|
▼人好きさん:
>最近学校の授業内容に疑問を持っています(私が)よく新聞で言われているように内容が薄くなってきているのです。
>
>不器用な彼に総合学習と称して「子供の内面を育成する」授業や部活動を勉強と両立していけと言うのは大丈夫なのかと考えてしまいます。
>
>今から私立進学を目指しても遅いくらいなので、本気でやらせるなら今しか間に合わないのです。無理をさせずに今のまま様子を見続けていくか、得意な勉強をのばして一つでも自分に自信の持てることを残してやるか迷っているのです。
>
>今の塾でも引っ越す前の塾でも模試では1%〜5%以内に入っています。でも受験目的の塾ではないので井の中の蛙になってしまいそうです。
「公立か私立か」ということよりも、「本当に実力をつけること」ということについて考えたほうがいいと思います。
昔のカリキュラムよりも「内容が薄くなった授業」のほうが、ASの子供にとっては理解しにくいのではないかと、私は思っています。
「内容が薄くなった」ということを言い換えると、「他の分野との関連・因果関係・用語の意味・具体例・別解・類例などの事柄を省略して、バラバラの事柄を羅列した内容になった」となると思います。
内容が薄くなったカリキュラムのもとでは、「これらの省略された事項が気になってしまう子供」よりも、「バラバラの事項を、試験に出題される形で機械的に暗記できる子供」のほうが、できの良い子とみなされるようです。
テストに出る事柄よりも、「四則演算では、どうして足し算や引き算はあとからやるんだ?」とか「チューリップって、どうして種を蒔かないんだ?」といったようなことに関心が向いてしまうASの子って、結構いるんじゃないかと思います。
私の住んでいる田舎では、塾や家庭教師もそれらに迎合しているケースが多いです。「学習計画をたてる、試験対策用の要点整理・暗記ポイント集をつくる、予想問題を数多く作る」ということをするのは、本人ではなく塾講師や家庭教師です。
悲しいことですが、お膳立てしてもらっている子の方が、定期テストの点数は高いです。
もっとも、「実力テスト」や「中学卒業後」に行き詰る危険性は高いですけどね。
それだけではありません。今、書店にある学参も、それらに迎合したものが多いです(少なくとも、私にはそう思えます)。
「わかりやすい」と謳ってある本に、特に多いです。「この学参使って全然理解できないから、自分は頭が悪いんだ」と誤解した子も、いるんじゃないかと思います。
'70年代の学参には、詳しい解説やコラム的な読み物(例えば、科学史等)が出ていて、「一見厚くて難しそうだけど、勉強しやすい」というものもたくさんありました。しかし、今は売れてないようです。「中学生向け英文法の良書・理科や社会の用語集」は、うちの田舎では入手困難です。
10代の頃の私だったら、次のような言葉で救われたかもしれません。
「テストの点数だけが、学力を表しているわけではない」
「不器用だから勉強をするというわけではない。いろいろな可能性の中のひとつとして、勉強もあると思う」
「勉強が好きなのは、ちっとも悪いことではない」
|
|