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▼アリステイデスさん:
> 集団帰属意識の薄さを感じる場面ですが、特定の場面に遭遇
>したときに感じているわけではなく、自己と集団の関係性を
>考えるときには、いつも意識するという感じです。
> 具体的な例を書くと、愛校心や、故郷に対して強い愛着を
>持っている人が登場する新聞記事を読むとき、僕にはその気持ち
>がないように思います。
>
> 一方、趣味とか好きな歌手に対する愛着なら極めてよく分かり
>ます。
集団帰属意識を持つことを要求したがる人って、少なからず存在すると思います。この要求には、「要求の裏に隠れた思惑」があるのではないかと、私は密かに疑っています。
隠れた思惑とは、次のようなものです。
「集団は、地縁集団のようなものが望ましい。そのことに賛同しない人は、集団にとっては邪魔者だ。そのような集団に反射的に賛同してくれる人のほうが、為政者的役割を果たす人間にとっては扱いやすくて、都合がいい。邪魔者が出てこないようにするために、集団帰属意識を持つよう主張しなくてはいけない。愛校心とか故郷への愛着とかいったことは、主張しやすい一例だ。」
ここで、私は地縁集団というものを、次のような性質を持つものと捉えています。
「親密関係や情的な結びつきが要求されている。一方で、お互いの主張が衝突するということはあってはならないこととみなされる。そして、余程のことがない限りは集団の意志が尊重される。集団の意志に反する行動を取ろうものなら、その集団から排除されることになる。集団外の人に対しては、対等な関係を取るとは限らない。集団外の人に対しては、傲慢あるいは卑屈という態度が取られることも多々ある。」
「自分が、相手にある印象を与えることを狙って意図的に自分の振る舞いを統制する」という行動を、することもされることも苦手な人が、ASには多いのではないかと私は思っています。
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