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初めまして。
▼冷奴さん:
>私の場合、周りから騒ぎ立てられるのが、とにかく苦痛です。うるさく、しつこく、言い詰められるのが苦痛です。なぜなら、「勝ち負けとは、騒ぐに値する重要なことだ」ということを、理解できないからです。
>負ける=うるさく騒ぎ立てられる状況を耐えなければならない=苦痛=苦痛から逃れたい=勝つしかない
>という思考になります。苦痛を受けないためには、100点をとり、一番になるしかないのです。
私が考えるには、ASの当事者(もしくは疑いのある人)が一般的にプライドが高い、と言われているのは、自分の弱味を見られることを極端に嫌っているからだと言うのがその理由で、そこで言われる「プライド」というものは自分が負い目に感じていることと隣り合わせの、非常にもろいものです。
再びビル・ゲイツ氏のエピソードを持ち出しますが、彼はマイクロソフト社が弱点となる分野の商品を抱えていてはこれから商売にならなくなると考えて、Windowsのシェアを100%にしようといろいろ画策したりしました。つまり弱点を他社のブレインに悟られたくないために、何かにつけて圧力をかけたのでした。
その結果は、XBOXの失敗などを見れば明らかでしょう。
私も自分自身感じているプライドは非常にもろいものだと認識しています。
>私の配偶者は「競争心がなければ、人間は進歩しないのではないか」と言います。親は「あなたは競争心がなくて暢気過ぎる」と言います。しかし、自分の中に、成長したい!理解したい!知らないことを知りたい!という思いがあれば、人は進歩することが出来ると、私は思っています。
人間が進歩するためには、競争という手段は必ずしも必要でない、ということは私も感じており、共存共栄、切磋琢磨はどんな状況でも可能だと思います。
試験に合格できなくても、努力を続けている限り、知識は確実に身についています。知識に競争を必要とするのは、クイズ番組だけで十分だと、私は考えています。
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