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▼Сашаさん:
初めまして。AS、ADHDの30代女性です。
横から失礼いたします。
趣味は育児、とキッパリ仰っていることに、「潔いなあ」と感じ、ついコメントさせていただきました。
私の家族は、父、母ともに発達障害の傾向が強く、祖父母も多分にその要素があり、発達障害の遺伝子が濃い家系のようです。
その家系の末端で、幼少から色々きつい状況にあった自分としては、そういう境遇を呪うというより、「自分に発達障害がある」ことが明確になった時点で正直「はぁ〜、ようやっと…」という思いしかなかったです。
温かい心がないかのような父、気分の移り変わりが激しく、「心ここにあらず」であちこち走り回り、エネルギーが切れると唐突にふさぎ込む母…
自分自身も幼少から対人面で問題を抱えながら、そんな両親のもとで、安心感を感じることがないまま育ちました。
診断を受けたことで、両親のそういった不可解な性格が、自分の中にもしっかり組み込まれていることがわかってきました。
30年間見えなかった自分の姿が、おぼろげながら見えてきました。
と同時に、私の母の実像も見えてきて、ふと疑問が浮かびました。
母は、どれだけ自分自身の状態について理解していたのだろうか、と。
>疲れて育児をサボるとニュースに出そうな犯罪者になりそうな不安があるため
>アスペの過集中は子供へ使ってます。
>
>私が人並みに物事をこなすには健常の倍は苦痛を味わってる気がするので
>苦痛を感じず集中できることを考えたら趣味にする発想になりました。
>母子なのでネットに繋いだら,児童に関する時間をチェックします。
>
>事件,事故の詳細を見てそうならないよう,がんばるためです。
>空気読めない私は「気が効いた行動」も苦手です。
>でも子供へ危害を与えず幸せになって欲しいという
>願いがあるんです・・
>
サーシャさんは、ご自分の状態を自覚しておられるのですね。
ご自分にどのような傾向があるか、どのような失敗をしてしまう可能性があるかを分析し、危機感を持ったうえで、息子さんを幸せにしてあげようと思っていらっしゃるのですね。
すごく地に足がついた、現実的で前向きな姿勢だと思います。
子供もいない私が、こんなことを言って生意気に聞こえるかもしれませんが…
私の母が、ほんの少しでも、サーシャさんのような考えを持ってくれていたら、楽だったろうなあ…と思ったのです。
私は母に散々振り回されて、精神に異常をきたしてしまいましたが、折に触れて母の掲げる「母性」という大義名分に抵抗することはできませんでした。
どんなに自分が辛くても、「お母さんは、あなたが可愛くてしかたがない」「お母さんは、あなたのために頑張っている」と言われれば、もう何も言えません。
アスペゆえ、馬鹿正直なほどに「そうなのか」と納得してしまい、納得したまま大人になりました。
一言、「お母さんはあなたが可愛くて仕方がない」に付け加えて欲しかったです。「お母さんは、自分のことも可愛くて仕方がない」と。
そうすれば、自分はここまで色々なものを失うことはなかったと思うのです。
子供にとって必要なものは、「親の愛」という漠然としたものの前にまず、「親が前向きに何かを楽しんでいる姿」を目の当たりにすることだと思います。
必要なのは、安心感です。
子供でも、他者でも、自分以外の誰かに安心感を与えるという行為は、難しいです。
まずは、自分にゆとりがなければ…。
自己認識が正しくできていなければ、最低限のゆとりも得られないのが人間です。
結果として、周りを苦しくしてしまいます。
歪んだ自己認識をごまかすために用いられる「母性愛」ほど、危険なものはないと思うのです。
>既に拘り=趣味の感覚です。
>私は過集中しなければ健常並みの成果を出すことができません。
>これは私にとって必要なことなのでマニアックに見えるけど
>子供の躾に使えることへ目がなくなりました。
>
>我が家は離婚してるので親は私しかいません。
>自分のことも満足に処理できてないのに
>私が目指すのは分を過ぎた目標だと思うけど・・
>
>子供が私のしたことで喜んでくれたら幸せを感じるんです。
>アスペの習性から見ると育児はキツイです;
>
「親に感謝しろ」と声高に叫ばれる世の中ですが、苦労している親の姿どころか、自分の実体すら把握するのが困難な子供が存在することは確かです。
サーシャさんの息子さんは、自分のために必死に努力してくれているサーシャさんの姿が、しっかりと見えているのではないでしょうか…と、勝手に思ってしまいました。
長々と失礼しましたm(__)m
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