|
POLINECIAさん、ご返信ありがとうございます。
ちょっと夜は子供にかける時間がどうしても多くて、遅くなってしまいましたm(__)m
▼POLINECIAさん:
>俺はこのスレッドの中で、
>発達障害者とその家族,職業的支援者(秋桜さんのような立場の人だな),
>専門家は協力者であるとともに利害が1枚岩ではないとコメントした。
>正確には「1枚岩ではない場合もある」と言った方が正確かもしれない。
この理論に関してはおっしゃるとおりだと私も思います。
たしかに、利益という面から純粋に見れば。
ただ、実際の現場では違っていると思いますよ。
もちろん、生活の手段としてのみの理由で働いている方もなかにはいるでしょう。
(虐待事件なんかもありましたしね…)
でも私の経験からでは、大多数の職業的支援者のかたが真剣に子供のことを考え、私たち親子は助けられています。
そして、職業的支援者の方の助けが無ければ、私はいまだに子供に対して怒り続け、子供はパニックすら親に理解してもらえなかったことでしょう。
>みーぽんさんが言うように、
>発達障害児の予防教育支援を最も重視する家族の立場から見れば、
>発達障害者支援法のメリットはそれなりにある。
>その点は俺もジョンさんとのやりとりの中で認めてきたはずだ。
ごめんなさい…予防教育支援がどういうものをさすのか、実はイメージがわかないのです。
たぶん、療育の事を指しているのかなとは思ったのですが…。
>ただし、発達障害児を家族の誰からも独立した一個の人格と認めた場合、
>家族の要望が即発達障害児本人の要望にならないことは明らかだろう。
>少なくとも、わりかし幼い発達障害児本人が自分から
>「問題行動を改善するために予防教育を受けたい」
>と切望する姿を俺は想像することができない。
>面白い遊びでも用意しておけば、話は別かもしれないが。。。
たしかにそうです。
本人はあくまで本人であって、それ以外ではありえない。
親と子供は別人格です。所有物でもありません。
支援する上で一番いい理想は、発達障害者本人が自分の将来を見据えて"的確"に判断し、家族が惜しまず協力できればいいわけです。
…ですが、現実には発達障害を持ち、どうしても精神遅滞が起こりがちである上に、まだ幼い幼児に将来を見据えてどうしたいか考えろといったところで、無理な話です。
また、ここはアスペのかたが多くいらっしゃいますが、現実には言葉を持たない自閉のお子さんもたくさんいらっしゃるわけです。
心では感じていても、意思の疎通がまだできない。
また、自分で自分の進路を考えられる年齢に達するまで待っていては、実際には遅すぎてしまうのです。
そこらへんの事情はご存知かと思います。
親は教育の義務があります。
いや、そんなものなくても幸せに生きてほしい、少なくとも自分よりは、と思うものです。
私自身アスペの傾向が強くありますから、自分の子がだいたいどんなところでつまづくかはある程度は予測できます。
つまづくことはいい経験だと思うのです。
ですが、ほっておくのは間違いです。
子供が自分で解決できそうなことは本人にさせますが、アスペの特性上どうしてもできないこと・我慢できないことなんかもあるわけです。
それを親や支援者が理解し、子供と一緒に、どう現実的に社会と共存できるスタイルに替えていけるか考えてあげるのが大切だと思うのです。
本人の苦痛を思えば、それは幼いうちからはじめなければなりません。
療育というのは子供を社会順化させるものではありません。
その発達障害の特徴をよく捉え、子供にとってどんなスタイル(絵・写真・音)が最も本人に理解しやすいかを見つける作業でもあります。
また、他人を意識していない子供たちに、他人のなかにも信頼できる人間がいる・理解してくれる仲間がいるんだよということを覚えてもらう場でもあります。
そしてもっと大事なことに、親が発達障害を少しづつ理解し、今まで問題だと思っていたことがそうではないんだ、と気づく場なのです。
そして、無理やり「普通」に押し込むのではなく、こうすれば子供に無理の無い方法で集団生活もうまくできるんだということを、親子ともに学ぶ場なのです。
>
>みーぽんさんのコメントを見る限り、
>発達障害児本人と家族の利害や要望を混同していないことはよく分かる。
>ちゃんと、「一保護者として」という立場で発言しているしな。
>そして、保護者の要望を実現させようとすることも間違っていない。
>ただし、どんな支援を子供に受けさせる時にも自覚的であってほしいのだ。
>「自分としては子供のためを思ってやっている療育支援でも、
>それは発達障害児であるわが子自身が何を望んでいるかということとは、
>無関係なのだ」と。
私自身は常に心の中で自問しています。
「これは本当にこの子のためなのか?自分のためではないのか?」
POLINECIAさんのこの考え方は非常に大事なものだと、私も思っています。
へたをすれば自分が克服したいことを子供の中に投影してしまう、そういった危険性を常にはらんでいるともいえます。
心に刻み付けておきたいです。
|
|