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Chiquititaさん、お早う御座います(一応書き込み日時に合わせます)。
縁あってこの掲示板に迷い込んだものです。
自分も、世間一般に云う「社会」の中でこの十年以上、言い知れぬ疎外感を
抱えて参りました。私の場合は、身体障害は一切御座いません ─ 尤も、それは
あまねく一般的な他者の判断に因れば、ですが。敢えてそう謂うのは、私は
周囲の人間からは何ら以上の無い「健常者」と捉えられており、且つその様に
今現在、社会に存在しております。
けれども、幾つか他人には解らないであろう「欠陥」は認識しております。
例えば、人の顔を覚えられません。─ 名前ならば百でも千でも覚えられる
のに、それが「顔」に直結するのは精々数十人に過ぎないのです。…それも、
「表情」となるとからきし駄目です。少し笑っただけで、トレンディドラマの
俳優さえ名前が一致しません。無論、それも程度の差なのですけれど…。
“程度の差”と云うのは、逆に「文字」の様な記号であれば幾らでも
判別できるのです。記憶できるのです。現に私の頭の中には様々な言語や
発音が古今東西に拘らず記憶されています。
“ならば才能を活かして社会で活躍できそう”です…
が、現実にはそう上手く行きはしません。何より、先に述べた通り
常に「疎外感」と共に在るからです。「自分は異質な存在」、常に
悩んでいた。親しいハズの友人達と、別れた後の自室での泥の様な
疲労感…、嫌悪感。
以前は、「何故、他人(ひと)はそうなんだろう」
「何故、そういう風に生活(活動)できるんだろう」
…それ自体が不思議でなりませんでした。だからこそそうした疑問に
傾倒した。何故、「人」は「人間(ひと)」なのか、何がそれを証明するのか、
─ そうした事に対して興味を抱く事で、一定の「安定」を精神に
獲得した様には思います。
今は、改めて実社会の「他者」へ向き合う事を余儀なくされています。
まったく皮肉なもので、むしろ滑稽ですらあります。何しろ根源の疑問に
対して一定の答えを得て尚それに向き合わなくてはならないのですから…!
言わば永遠のテーマですよ、「なぜ人は人を不幸にする、その種の
殻に気付かないのだ!」それが私にもあるならば、他者のそれと何処が
違いましょう…? ならば何故気付いてくれないのですか? 何故、
なぜそれをわかろうとしないのですか。過去とか歴史とか民族とか、
でっち上げだって構わない事に 何故 拘るかと云う事に、
…気付こうとしないのですか。
人間はむしろ、美しさより“醜さ”を評する点にこそ、「人間」の
意義は有る様に思うのです。誰しもが優る世界の中で、人は幸せに
なれるのですか…? 「自分の弱さを省みる」って何でしょう、
それは、他者に証明されなければ分からない事なんでしょうか…
むしろ、そこにこそ懸念を抱かざるを得ません、私にとっても、
私を取り巻く他者にとっても…。
関係無い話しですが、田中ユタカという漫画家の「愛人」(AI-REN)と
いう作品はご存知ですか? あれは中々良い。一つ、印象深いキーワードを
挙げておきましょう。
「世界は人殺しの夢で出来ている」
無論、ペシミストではありませんよ、私も彼も。
機会有らばハンドル名なども明かしましょう。
#変身願望は、環境差はあるにせよ実は誰にでも生じる可能性はあると
思います。「自分には特殊な能力がある」って事を信じていることだって、
ある点では似ているのかも知れません。むしろ、誰しもが実は疑問を
抱かずにそれを抱えているかもしれません、「個性」とか「自尊心」と
云う形で。
ただChiquitita様の場合は、仰ると通り環境に由来する部分は
否めないかとも思います。
自分も、奇異な目で観られる事が日常的になるにつれ症状が亢進して
しまった点があるので…。未だ、時々「自分が自分で無くなったら…」
という妄想にとり憑かれます。
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