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かつてどこぞの母親の息子だったひとりの中年男の感想だと思って読んでください。疲労困憊さんには受け入れがたい事を書くと思います。
私が疲労困憊さんに対して一番思うことは「今に集中しすぎている」と言う事です。
私から見れば息子さんは、学力もある、友達もいる、旅行の趣味もある、学校もサポートしてくれるという大変良い状況だと思います。
疲労困憊さんは「体育の授業にでられない」と言う問題に、どう対処するかに集中しすぎている、それこそが問題だと思います。
私には「体育問題」は、将来の大きな問題に対する練習に思えるのです。
将来の問題とは、学校を卒業してからの人生の重大事に対してどう対処するかと言う事です。「仕事中に、問題が発生したときにどう対処するのか」とか、「結婚相手との間で、問題が発生したときにどう対処するのか」と言う事です。
このような問題が発生したときに、母親が手取り足取り導いてあげるわけにはいきません。そのための練習期間なのです。
息子さんは今まで、「電車通学」や「中学不登校」という問題に、工夫と知恵で対処してきました。
これはすばらしいことで、僕なら何度も褒めてやります。
息子さんには自分で問題を解決する能力があることは間違いありません。
「体育問題」の本質がどこにあるか私にはわかりませんが、AS特有のこだわりも関係しているかもしれません。
一見簡単そうなことでも、当事者にとってみればハードルの高いこともあるのでそうなのかもしれません。
この問題に対する対処法としては、大検もいいでしょう。
細かくステップ刻んで、苦手なものを克服し、体育の授業にでれる様にするのもいいでしょう。
もしかしたら、学校側が配慮してくれて、別な形での授業、別な体育の先生の授業でいい事にしてくれるかも知れません。
いずれにせよ「今」結論を出す必要もなく、結論を先延ばしにすると言う選択をしても良いと思うのです。
それも、生きる知恵だと思うのです。
疲労困憊さんがと息子さんは似ていると感じてしまいます。
今に集中しすぎて、結論を先延ばしにすると言う選択ができないのだと思います。
結論を先延ばしにすると言うのも、立派な選択肢です。
もしかして疲労困憊さんの「今」決めなきゃという気持ちが息子さんに伝わって、それがなんとかしなきゃと言うあせりになり、乱暴な行動にでるのかもしれませんよ。
疲労困憊さんが「見守る」のが無理で、「見捨て」たくなったら、息子さんの事は忘れて、ご自身のお友達とどこぞの温泉で美味しい料理を食べに行くというのはどうでしょうか。そこでお友達と息子さんの愚痴を言い合うのも悪くないと思います。
一般に中学高校の男の子にとって母親は「ウザイ」人です。息子さんとしても、たまにはお母さんから解放されたいのかもしれません。いつも不安な顔で見られていると気になって仕方がないのかも知れませんよ^^
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