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▼ゆうたんさん:
>お母さんにこんなことだけはして欲しくなかった・・・とか、どうして欲しかったか教えてください。
次にあげることには、学校教師によってなされたことも含まれます。これらのことを、して欲しくなかったです。
「動作が鈍いとか不器用だとかいうことを、大人から感情的に責められたこと」
「それらのことを責めるだけで、上達するための情報が得られるような言葉をかけてもらえなかったこと」
「『人並みのできばえが期待できないのなら、行動するだけムダだ』という態度を大人が取ったこと。しかもそれらの態度を、『できないのも個性』とか『無理しなくていいのよ』とかいったキレイな言葉で騙しながら取ったこと」
「『学校では、他人の迷惑にならないようにお客様をやりなさい』と要求したこと」
「お客様扱いについて、高校卒業後は手のひらを返したような態度を取ったこと(『他の人はきちんとできているのに、どうしてあなたはできないの? これまで普通に暮してきたんだから、普通の人と同じにできるはずでしょ』といわんばかりの態度をとった)」
「『人並みにできるか』とか『年齢相応にできるか』という目で、しょっちゅう出来映えをチェックされていたこと。(『他の子より時間をかけても、他の子よりもずっと見劣りする出来映えだ。だけど本人はほんの僅かな上達でも喜び、行動を楽しんでいる』といったような楽しみ方を、否定されたこと)」
私は、実技教科は全部ビリの子供でした。動作が鈍いとか不器用だとかいうことを、大人から感情的に責められました。
「不器用なのは、甘やかされて育ったからだ。」とか、「お母さんが子供の頃は、人から教えてもらわなくても上手くできていたわ。」といった類の言葉は、特に嫌でした。しかし、「上達するための情報が得られるような言葉が、かけられた」ということは、ほとんど無かったです。
大人になってから本屋で、『イラスト版 手のしごと 子供とマスターする49の生活技術』(合同出版)という本を見つけました。この本を読んで、「感情的に責め立てないでこの本に出ているような助言をしてくれる人がいたら、私の人生変わっていたかもしれない」と思いました。
余談ですが、このシリーズには「手のしごと」の他に「修理のこつ」「台所のしごと」等があります。
私は、自力で縄跳びをマスターできなかった子供でした。「縄がまわって、この位置に来て、そうなったら飛んで」というふうに、いちいち縄や身体の動きを説明してもらうことが必要だったのです。
そんな私でも、初めて縄跳びができたときはとてもうれしかったのです。しかし、その喜びはすぐに消えてしまいました。
「どうしていちいち教えないとできないの。お母さんが子供の頃は、人から教えてもらわなくても上手くできていた。」と怒られたのです。
縄跳びでは「他の人より時間をかけても、人並みレベル・年相応レベルには届かない」という状態でした。しかし、初めて飛べた時、子供心にも次のようなことに感動していたのです。
「縄跳びって何からどうすればいいのか全然わからなくて、身体を動かせなかった。だけど今、『縄跳びができるようになるための鍵みたいなものってあるんだ』と知った。『何からどうすればいいのか全然わからない』とは、まるっきり世界が違うんだ」
このような驚きを楽しむことも、認めて欲しかったです。
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