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▼アスベの親さん:
>と、いう前提で高機能を対象にした、訓練塾はビジネスにならないかしら。
>いい学校へいくために何十万かけれる親が、いるのだから、社会生活に適応するのに、お金をかけてもいいはず。反論は歓迎です。
>福祉のみで考えていると、進まないようにおもうんです。
「社会生活に適応するための訓練を、行う塾」という意味だと、私は解釈しました。
「塾側が生徒のことをどのように捉えるか」「社会生活に適応するとは、いったいどういうことなのか」「子供本人の視点も入ったものであるのか(大人になってから望むようになったことと子供の頃に望んでいたことに、ギャップがあるかもしれないことについて、大人が無自覚であるか否か)」ということについては、考える必要があると思います。
「ASの子供は、そのままでいたら社会のジャマ者にしかならない。そのことを、はやく本人に分からせなければならない。社会のジャマ者にならないようにするため、治療・矯正しなければならない。」
というふうに捉えているのならば、危険だと思います。
「ASの子供が、ジャマかジャマでないかという問題ではない。本人が落ち着いて暮らせるかどうかが、最も大切なことである。本人が心理的に追い込まれた状態になると、判断力や感情表出等があやしいものになる・そしてその結果、さらに悪い事態を招く、といったようなことが起こりうる。本人が落ち着いた状態で、社会とよりよく折り合いをつける方法を考えたほうが、上手くいく可能性が高い。」というふうに捉えるのならば、よいと思います(ただし、これは、私の個人的な経験としてしか言えないのですが)。
「社会に適応する」ということが、「おとなしい、利用されやすい人になる」という意味で使われるのならば、危険だと思います。
「自分を守る・活かす」ということを軽視しているのなら、危険だと思います。
このようなことを書いてしまったのには、理由があります。私は日本海側の某県在住です。前に書いた「ASの子供はジャマ者云々」という文は、実は、その某県のLD児親の会の方針(と思われるもの)の、LDをASに変えたものなのです。
「このような方針をとった場合、後に二次的な問題が出てくる危険性があるのではなかろうか」と、私には思えるのです。
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