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▼ホリーさん:
>もし、アスペという診断があって情緒クラス・通級クラス・養護学校・普通学級など自分自身で進学先を選べたらどこに所属したかったですか?
「未診断だが、自分がASに近いと確信している」wentです。
どこに所属したかったですか?ということですが、私の場合は、「パニック対処法について、もっとも適切なサポートが得られる所属先」に所属したかったです。
私が子供の頃に最も欲しかった能力は、「パニック対処能力」でした(今でもそうです)。子供の頃は発達障害のことなんて全然知りませんでした。「他の人はパニック状態にならないのに、私だけがそうなる。私はおかしいんだ。」とずっと思っていました。ですから、親にも教師にも相談なんて出来ませんでした。
いのちの電話の類も使ってみましたが、「強くならなきゃいけません。」と言われただけでした。
私は、普通学級で学校生活を送りました。私の置かれた状況では、普通学級に入るしかない状態にあったと思います。人の置かれている状況や、その人自身によって、「その人に合った所属先」が違ってくるということも考えられます。小学生時代の私とその当時私が通っていた小学校の事情は、次のようでした。
小学生時代の私
・'71年に、地方の公立小学校に入学。
・「泣き出す」というかたちで、パニックを起こすことがしょっちゅうあった(特に、怒鳴られたりからかわれたりしたとき)。
・実技教科の成績は、全部ビリだった。
・状況判断力が弱く、適切な行動がとれなくてよく叱られた。
・主要(?)教科の成績は、中の上といったところだった。
小学校の事情
・特殊学級の児童は、主要(?)教科の授業のみを特殊学級内で受けていた。実技教科は普通学級の児童と一緒に受けていた。
私がパニックを起こした時の大人の反応は、パニック対処法どころか火に油を注ぐものであったと思えます。詳しく書くと長くなるので省略しますが。
親は、「特殊学級に入れられたら、お嫁の貰い手がなくなる。だから、どうしても普通学級にいさせなければいけない。」という方針でした。また、学校側は、私のパニックに手を焼いていたんだと思います。
親も学校も、「出来の良い子に、wentのお守り役をやらせる」「wentがパニックを起こすのは、実技教科・休憩・給食・特別行事(その練習も含む)の時である。だから、それらの時間は、できるだけお客様をやってもらう」という方針をとっていたのだと思います。
「出来ないのも個性だ。」「この場にいるだけでいいのよ。」「(学芸会の合奏で笛を吹く時)指は動かしても、音は出すな。」などと言われていました。また。「(文化祭で図工の作品が掲示される場合)私の作品ではなく、誰か他の人の作品を私の作品として、掲示する。」といったこともされていました。
世間一般では、「学校は、能力や発達に大きくかかわるもの」と見られていると、私には思えます。しかし、私の場合は高校まで(特に小学校)の学校は、能力や発達とは結びつかなかったものに思えます。「お客様役といじめられ役が板につく」場として、働いたものに思えます。
「統合教育はよいもの。特殊学級等の分離教育は差別だ。事実、日本以外の国では統合教育がなされている。」と主張する人が、私の身近にいます。しかし、「日本以外の国では次のような事情もある」ということに注意する必要があると思います。
1 「通常学級へのサポート付き措置」がとられている。
2 落第する生徒もかなりいる。しかも、「実力がない状態で無理矢理進級させるより、落第させるほうが親切だ。」と見られている。(落第に対する恥意識が、日本ほど強くない。)
3 学校という場にいる子供がいる時間が、日本ほど長くない。
私は普通学級で学校生活を送りました。しかしそれは、「良い統合教育」ではなく、いわゆる「投げ込み統合」だったと思います。
かといって、特殊学級がよかったのかどうかはわからないのですが。
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