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初めまして。
発達障害でつらいのは、普通の人が当たり前にできることが当事者にはできないこと、それが日常生活の根幹部分で起きているということです。
身近な人の誤解は骨身にしみるのもがあります。
▼さかなさん:
>自分が普通の人と違うことは以前から感じていたので、精神科を何件か回ったこともあります。ですが、私の悩みを誰にでもあることだからと、一蹴されてしまい、精神科を信じられなくなりました。
私はむしろ、現場(医療機関)の多くでは、「ADHDや《自閉症》などの発達障害は子供の病気で、大人になるに連れて症状は改善する」という誤った先入観があるというように捉えています。
しかしADHDや「自閉症」の症状は、思春期を過ぎても改善しません。
>広汎性発達障害と診断されて、ADDもあるけど、どちらかというとアスペルガー寄りであるとのことでした。アスペルガーが自閉症のことであるとはっきり知ったときはさすがに落ち込みましたが、アスペルガーについて勉強しているうちに、確かに自分は自閉症なんだなと、痛感しています。
ASであるならば、他人の言動を字義通りにしか解釈できなかったり、感覚過敏のためにたいした音量でもない音が極端な騒音に感じたり、ということがあるかと存じますが、その点については如何でしょうか?
>私がアスペルガーかもしれないと打ち明けたとき、家族は全く聞く耳を持ちませんでした。「少し思い当たることがあるくらいで自分を当てはめすぎている」と言われ、馬鹿馬鹿しいことのように言われました。
>やっと専門の医師のいる病院に母を連れて行き、はっきり診断されたことで、明かりが見えたような気がしました。でも、そこからどうすればいいのか今、途方にくれるばかりです。
発達障害に対する先入観は、現場でも当たり前のことなので、ましてや医療の素人である我々は至極当然のことです。もちろん私はこういった誤解を責めるつもりはありません。
>仕方がないので、口頭で私が内容を要約して伝え、私なりの解釈を入れて説明しますが「そこまで自分でわかっていて、どうして自分で改善できないの? 自分でわかっているんだからいいでしょ」と言われてしまいます。一応協力的なので、色々と教えてくれようとしますが、それでも私が変な行動をとると、どうしてそんなことするの、とあとで怒られます。
最も誤解の原因になりやすいのは、最も当たり前の「意思の疎通」に我々が難儀しているということです。
視力障害や身体障害など、明らかに障害だと解るものなら、周囲の対応は明らかに違うでしょうが、これは最も周囲に見えにくい障害です。社会参加には、身体障害や視力障害などに比べるとある意味ではより困難かもしれません。
>父は、問題外です。私がアスペルガーという脳機能障害があると言っても、相手にしてくれません。こういう症状があって、私に当てはまっているでしょ、と説明しても、「お前は単に精神が幼くて、考えなしなだけだ。病気と一緒にするな」と言うのです。
>(中略)
>たとえば、車に乗って、行くつもりだった場所に突然行くのをやめたりします。行くつもりがないのなら初めから言ってくれればいいのに、その場で取りやめるのでパニックになります。大泣きすると、じゃあここで下ろすから一人で帰って来いと言われました。帰れない距離ではないのですが、置いて行かれるとは思わなかったので私の精神は恐慌状態でした。結局目的の場所に行くことはできず、泣きながら家に帰るはめになりました。
>何かあるたびに、やめて、と言ってもやめてくれず、自分でも信じられないくらい大きな声を出したことがあります。頭の中が真っ白になりました。気が狂うかと思うほど、心の中が破裂しそうなのを相殺するために、声が出るものなのかもしれないと思いました。
まるで虐待ですね。
我々発達障害の当事者には、人格障害や統合失調症、強迫性障害や鬱状態など深刻な2次障害を抱えている人が多いですが、これらは幼児虐待やいじめなどで拡大するものです。深刻な人間不信に陥っているために引きこもり状態になることも珍しくないようです。
私の場合も、父の偏見が非常に深刻でしたが、私の場合はADHDやASだけでなく、身体障害もあるため、父は「片輪者の息子なんか連れて町を歩けるか?」とか言って私をどこにも連れて行ってくれず、「大学なんか地元で十分だろう」と言って北海道大学へ行くことまで反対しました。偏見の最たるものは、私が30歳になっても車の運転免許を取ることに猛反対したことでした。
父は私が30歳のときに胃がんで亡くなりましたが、私が自動車学校へ通いだしてから我が家の電気製品がいっせいに同時多発的に故障したり、挙句の果てには弟の自家用車まで原因不明の故障を起こしたり、私の当時の勤め先だった医療機関で使用しているPCも原因不明の故障を起こすなど不愉快なことが続いたので、「親父は死んでもオレが車の運転免許を取ることに猛反対なのか?」とぼやいたほどでした。
>>>父が死んで以来、夢枕に立つ父の姿は必ずと言っていいほど鉄パイプや出刃包丁、あるいは自動小銃を持った殺人鬼の姿です。
それくらい私は父の悪い印象しか残っていません。
父が死んだとき、さすがの私も、人の死に直接接して悲しかったですが、
>>>実感としては、父が死んでむしろ清々(せいせい)しているくらいです。
>私のアスペルガーに関する話は結局、自閉症に対しては、こういう風に言って欲しい、こういう風にして欲しいという要求ばかりになってしまい、自分で何で直そうとしないのかと責められます。「お前は相手に要求ばかりして、自分では何もしようとしない」と言われました。
>(中略)
>私の言い方は押し付けがましくて、いうことを聞く気になれない、やってもらって当たり前という態度が嫌だと、と言われました。
やはり問題なのは、御家族の方の理解が得られない、ということなのでしょうが、貴方の説得方法も、無理に御家族の方の理解を得ようとしている、というのはないでしょうか?
最も大切なのは、まず自分が発達障害に関する正しい知識を身につける、ということでしょう。
私自身も、長いこと発達障害に対する誤解がありました。方々のWebフォーラムで関連知識を身につけるなど、発達障害の正しい理解については、今も努力を続けています。
私としては、貴方もこのフォーラムにしばらく参加されて正しい知識を身に付けられてから、御家族の方に説明されたほうが正しく伝わると思いますし、今はいたずらに説得を急いでも逆効果になるだけだと思います。
>同じアスペルガーの子どものために、いろいろ考えているご両親の書き込みを見ていると、とてもうらやましいです。どうしてこんなに境遇が違うのでしょう。
おそらくは、親が子供の障害という事実をどのように受け取られたかによって大きく左右されるのでしょう。
私の場合は、生まれ育った場所が漁村だということもあって障害者に対する扱いが非常に冷たく、母方の親類は理解を示してくれたようですが、
>>>父方の親類は「漁師の跡取りもできないような片輪者なんか、生きていたってしょうがない」と、私がどんな重病のときでも入院させまいとしたほどで、今で言う「保護責任者遺棄致死(未遂)」に該当する行為です。
>私ばかりがアスペルガーについて勉強していても、自分で自分をどうすることもできません。衝動は止まらないし、こだわりをどうにかすることもできません。
それならば、視点を変えてみる、というのは如何でしょうか? もちろん今すぐにものの見方や考え方を変えるというのが困難であるのは百も承知ですが…
ASの当事者には感性の鋭い人が多いので、そちらをセールスポイントにするというのも一案かと存じます。衝動が激しいのは、行動力もあるのでしょう。
こだわりにしても、活かす方法はあると思います。
>私はただ家族と一緒に病院を探したり、本を読んだり、話し合ったりしたいのです。
>どうすれば私が言うことをきけるようになるのか、私が納得できる言い方を工夫したり、一緒に考えたりして欲しい。私と悩みを共有して欲しいのです。
>そういうことを私が自分の口で言うからいけないんでしょうか。
>私がべらべらとああしてほしい、こうしてほしいと、しゃべれるから余計にまずいんでしょうか。
別に本人が直接説明することがいけないわけではありませんが、本人から発達障害のことを説明されても、周囲の人間は「どうせChiquititaの言い訳か作り話だ」というようにしか解釈しない、というのが悲しいです。
でも御家族の中では発達障害に最も詳しいのは貴方のはずです。口頭でうまく伝えられなければ、ワープロソフトなどで原稿を打ち込んで印刷し、それを御家族の方に見せるというようにしてはどうでしょうか?
>典型的な自閉症の例を出すと、どうしてそんな重い人と一緒にするの、と母に言われます。重くても軽くても同じ自閉症で、根っこは同じだと説明しても、私の知識や学力を見て、さほど重要なことのように思ってくれていないようなのです。
>「それだけわかっていて、それだけできるのに、なぜできないの?」という話が思ったより出てきます。どれだけ言えばわかってもらえるんだろう。どうしてこういう行動をとるのか、どうすればうまくできるようになるか、本で得た知識を説明はできるけど、それを実践するのは、自分だけでは難しいと説明しているのに、どうして私がわかるように理解してもらえないのか、不思議でなりません。
やはり、御家族の方が、発達障害に対する誤解ゆえに、貴方がひたすら甘える、というように考えていらっしゃるのでしょうか、そうとしか考えられませんね。
>>>我々当事者に対するフォローアップは常に必要ですが、我々の自助努力と周囲の人のフォローアップがうまくかみ合って初めて幸福がもたらされると、私は考えております。
>大好きな家族の中にいてさえ、自分の障害のことを思うと、理解されない悲しさと孤独感で、泣きたくなります。
>いっそ自分に理性がなければ、これほどまでに苦労しなくてすむのにと思います。やってはいけないと思うことに気づいたら、自分を抑えるために相当な精神力を使わなければなりません。自分の思うように動きたい、でも、動いてはいけない、そういう葛藤が絶えず私を揺さぶります。
>それ以外にやってしまったことをやらないように努力しなさいと言うのなら、それ以上私にできることはありません。
心中お察しします。
貴方の心の中をリアルタイムで探ることができないので、同情しかできないのが我々にとってもつらいですが、思いの丈をこの場で、あるいはメールで吐露していただければ、微力でもお役に立ちたいと思います。
>時々、自分の両親がかわいそうになります。自分の家族を自覚がないとはいえ、こんなに困らせてしまう自分がとてもいやです。
でも我々は好き好んで障害者になったわけではありません。貴方に罪はないので、何も恥じることはないでしょう。
つらくなったら、いつでもメールして下さい。
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