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▼まりまりさん:
>▼wentさん:
>>(略)
>>8 自分の話したことの全部が全部、すべての人に否定されるとは限らない。どれかをおもしろがってくれる人もいるかもしれない。
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>小心者なのか覚悟が足りないのか、びくびくして相手の顔色を伺う癖が抜けないのです。
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>> 私が教室に通っていた時は、次のような状態にありました。
>>1 私が考えたり感じたりすることに、ロクなものはない。周りに合わせることができないと、まともなことがわからないままで終わってしまう。
>>2 私のことを気に入って付き合う人なんていない。私に付き合ってくれる人なんて、心の広すぎる人以外いないだろう。その人は、私のことを哀れんで付き合ってくれるのだろう。その人の機嫌を損ねてはいけない。
>>3 2のような人でも、一応は人間であって聖人君子ではない。その人を怒らせても、私がうろたえたことをその人に気づかれてはいけない。
>>(略)
>
>> 「自分の気持や思考に全然自信がない」状態で、コミュニケーション能力をつけようとするのは無理がある。今では私はそう思っています。
>
>それでは自分の気持ちや思考に自信をつけるためにはどうすればよいのでしょうか。マニュアルを身につければ自信がつくと思っていたのですが…。
私の場合は、前の書き込みの「8」の思いを肯定してくれたと思われる人に恵まれたのが大きかったです。「自信が付いた」かどうかはあやしいです。しかし、「自分の思考・感情にはロクなものがない。だから、治療・矯正しなければいけない。それに失敗したら社会から落ちこぼれる。」という方向での努力が危険なものだと、確信できるようになりました。
「対等の関係でない状態でとろうとするコミュニケーション(引用部分の2、3のようなもの)」には、とても苦しいものがあると思います。「まりまりさんが、本当に大切な人と通じ合っている状態」にあるのなら、「本当に大切な人のほうも、まりまりさんに魅力を感じている」のだと思います。
私の場合、「興味の幅が狭い自分が悪い。広げなければいけない。」と思ってもうまくいきませんでした。しかし、次のようなことはありました。
「『この人おもしろい。』と思えた人がいる。そしてその人は、私と全く違った趣味を持っている。」というときに、「その全く違った趣味について私の頭にいろいろと浮かんだ」ということが。
書き込みを拝読する限りでは、まりまりさんの思考や感情は、どこかに魅力があるものだと思います。私がレスを書き込んだということが、動かぬ証拠です。私は、「かかわらないほうがよさそうだと思った人からは、事情が許す限り距離を置くことを考える」という方針をとっている人間ですから。
私の勝手な想像ですが、まりまりさんは過去に、「相手を不快にしてはいけません。」などと厳しく言われてきたのではないかと思います。
「まりまりさんにとって楽しいこと」よりも、「相手の気に入りそうなこと」だけを話すように、強要されてきたのではないかと思います。
もしそうなら、そのような強要をしない人とのコミュニケーションを大切にしたほうが、コミュニケーション能力が付くのではないかと思います。
「まりまりさんにとって楽しいことを聞くのは、私にとっても楽しい」と思う人がいるということも、ありうると思います。
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