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[#154] 冬のソナタと障害者の自立
 ジョン メールホームページ  - 04/8/23(月) 21:13 -

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   冬のソナタと障害者の自立

ジョンです。当事者である、まりまりさんや、世にも奇妙な者さんや、harunoさんや、エアっちさんに返信したい気持ちはあります。当事者ではないKさんにも同じ気持ちです。当事者のまりまりさんや、エアっちさん、さらにKさんに返信があってよかったと思っています。

特に当事者である方には、その悩みが分かるだけに、私の意見を申し上げたい気持ちで一杯です。しかし、アスペルガーの館の掲示板が更新される前に、掲示板への投稿を止めた方が沢山おられます。それで、みなさんにその方たちの返信が書かれなくなってしまったのではないか、と思っています。アスペルガーの館の掲示板が更新されることになったいきさつは、いろいろあるのではないかと思っていますが、1つは、アスペルガー者は自ら自助努力の上に生きていかなければならない派と、アスペルガー者は守られなければならない派との間に議論があったこともあるのではないかと思います。過去のことは、まりまりさんや、世にも奇妙な者さんや、harunoさんや、エアっちさんには関係ありませんが、本来であれば、貴重な意見を述べてくれる方たちが、現在、投稿を見合わせていたり、慎重になっていることは事実だと思います。なぜなら、みなさんの投稿に対して、100以上のhit数があり、100回以上閲覧があったことを示しているからです。だから、返信がないのは、別に、みなさんが無視されているからではなく、投稿する方たちが慎重になっているのではないかと思っています。「それじゃお前が全部返信すればいいじゃないか」という意見もあるかと思いますが、私は、単なる50歳の一会社員であり、同じように、アスペルガーのために、悩みを持っている、一投稿者に過ぎないのです。

旧掲示板で貴重な意見を投稿していただいた方たちの復帰をお願いしたい気持ちで一杯ですが、私は、なにしろ、新規の投稿者である関係上、2年以上投稿してきた方たちに、強くお願いできない事情があります。

しかし、徐々に、旧掲示板で投稿されていた方々から返信が投稿されていますので、これからも、貴重な意見がいただけるのではないかと思っています。

世にも奇妙な者さんや、harunoさんへ返信をさせていただきたい気持ちはありますが、私も一障害者ですので、適切な意見を申し上げることができるかどうか、心配があります。

みなさんの投稿を拝見して、私なりの考えを以下に少し書かせていただきたいと思います。

われわれ、アスペルガー者にとって、障害は、生死も支配する困難なものですが、社会、勤務先や、家族にとっては、我々の痛みは分かりません。さらに加えるならば、アスペルガーの専門医でなければ、その想像もつきにくいと言わざるを得ないと思います。これは、私がかかえている、足の神経の痛みと同じで、他者には全く分からないことだと思います。坐骨神経痛のため、足の裏にひどい痛みがあっても、他人には見えないと思います。他人に自分の痛みが見えないのは、アスペルガー者が健常者とIQに変わりがなく、一見して、区別がつきにくいためです。そのため、社会、勤務先や、家族、そして非専門の医師がアスペルガー者を重症と思わない構図が出来上がっています。まして、アスペルガーの館の掲示板に投稿される能力のある方は、なおさら障害者とは思われないと思います。人々にとって、身体障害、知的障害は障害者であっても、発達障害は障害者と理解されていません。それは見えないからです。

アスペルガー、ADHD、LDの発達障害については、厚生労働省のハンセン病対応と同じように、行政の怠慢以外のなにものでもありません。欧米では、小学生に対するトレーニングプログラムがあるにもかかわらず、日本では、発達障害者に対する支援が遅れていることは、否定できません。現在、国会に、発達障害者支援法案が上程されようとしていますが、法案の制定のきっかけは、ハイジャック事件であり、「人を殺す経験をしてみたかった」事件であり、長崎事件ではなかったか、と思うのは、私の認識が間違っているからでしょうか。もし、私の間違いであれば、訂正します。

この行政のはざ間にあって、自力で生きようとしているアスペルガー者には、「よくやっている」とお互いを励ましたい気持ちで一杯です。1日でも早い、行政の支援と、社会の誤解が、解かれることを祈るばかりです。

しかし、現時点で、我々の困難さを、社会のせいにできないことは、現実を直視すれば、分かります。社会、勤務先に適応しようと思っても、私のように失敗を繰り返しながら、地道に試行錯誤を繰り返して、適応するしかないのではないかと思います。完璧でなくても、少しできれば、自分をほめて、あげたいと思います。また、家族、そして非専門の医師に理解されない理由はなぜか。それは、痛みは人には見えないからであることと、アスペルガー自体が、知られていないからだと思います。家族にとって、目に見える障害は理解しやすいのですが、アスペルガーとはどのような障害であるか、理解できないことと、私も経験がありますが、パニックの上の自殺未遂であっても、狂言にしか感じてもらえないからです。現在、年間3万人の自殺者が、家族からの理解があったら、救われているのではないかと思います。「まさか自殺するなんて」身近で会社の若い研究員が自殺したのを見ていても、関係者の間に、それほどの危機感があったようには見られませんでした。まして、医師にとってアスペルガー者が、医療の対象になっているようには見られません。1つには、発達障害の専門医がいないこと。さらに、医学部の履修科目にないであろう発達障害者を苦労して、時間をかけて、研究したとしても、高コストであることは間違いないと考えられます。手っ取り早い、ポピュラーな、うつ病、統合失調症などに比べて、開業医の単位時間当たりの利益は少ないからです。

残念ながら、厚生労働省の失政によって、アスペルガー者など発達障害者の支援は大幅に遅れていると言わなければなりません。我々は、少なくとも、これまで、生き残ってきました。支援も得られずに、自分の力で生きてきたことに自らの価値を見出してもいいのではないかと思っています。これからも、生きずらさは、変わらないかもしれません。しかし、これまでに学んだことが、自分のこれからの指針になるかもしれません。あるいは、積極的に診断を受けようと思っておられる方は、その診断も指針になるかもしれません。医師はおそらく、症状の重い患者の治療に手一杯なのかもしれません。我々の痛みが見えないから、医師はわれわれサイドに立ってくれないのかもしれません。であれば、医師の意見は参考にするとしても、自分のよって立つところは、自分かもしれません。

あるテレビドラマをご覧になった方もいると思います。「冬のソナタ」の第20話で、男性主人公(カン・ジュンサン)は、自分が失明の危機にあっても、恋人である女性主人公(ユジン)にそのことを打ち明けませんでした。自分の支えになってもらおうとはしませんでした。また女性主人公も恋人である男性主人公の看病のためについて行くことはありませんでした。自分の建築の勉強のために留学してしまいます。2、3年後に二人は再会しますが、そこには、視覚障害者として自立した男性主人公と、建築の勉強をして、自立した女性主人公がいました。二人の間に愛情があっても、二人はお互いに支えあうことよりも、自分の自立のために2〜3年の時間を費やしました。その結果、女性主人公はそのスキルを男性主人公の建築という仕事のために使うことができ、結果的に支えることができるようになっていました。

愛情とは、「健やかな時も、病める時も互いに支えあう」と考えるか、ドラマを制作した監督のように、自立した個人の協力と考えるか、人によって考え方は違うと思います。しかし、私のように、障害を持った人間にとっては、少なくとも、伴侶にたより切った人生ではなく、可能な範囲で自立した人生の方が、社会に受け入れてもらえるような気がします。「自分は障害者だ。助けてくれ。」という障害者に支援を差し伸べてくれる奇特な人は希のような気がします。

長文になって済みません。世にも奇妙な者さんや、harunoさんが、仮に、ジョンでもいいから意見を聞きたいとおっしゃるなら、できる範囲で、同じ障害者として、お話ししてもよいと思っています。自信はありませんが、お役に立てるでしょうか。情けないご返事で済みません。
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