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すみません、どこに書いたらいいのかわからないので、話の流れからウォルフルさんの投稿の下にぶら下がらせて頂きました。
▼ウォルフルさん:
>▼そろばんさん
>>相手が自分とは全く異なる意思をもった別個の人格であるという事を想像する力が乏しく、相手も必ず自分と同じ思考や行動をすると思ってしまう。
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>発達障害者の言動が定型者の反感を買い易いのはまさしく「相手が自分と同じ反応をするだろうと予測していた所が予測に反して全く違う反応をされた」からではないでしょうか。
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ちょうど夫婦で最近お互いの認知の違いを話しあっていたところだったので、話題がタイムリーで興味をひかれました。
たぶん、定型の範疇に入っているらしい私自身の中身を振り返ってみて、感じたことです。
私の中には、ふたつの認知の「ものさし」があります。
ひとつは、自分自身の価値観による認知の「ものさし」。
もうひとつは、一般的価値観、いわゆる常識と思われる認知の「ものさし」です。
この二つのものさしを普段、同時に使っているように思います。
よく当事者の方に誤解されているかもと感じることに、定型者は自分の思っていることは相手も思うだろうと思い、それが違うと反感を感じて怒る、と思われていることです。
実は少し違っていて、たとえ定型者同士であっても自分以外の人は自分とは違う人格なので違う感覚を持っている、と感じています。
そのため、同じ定型者同士であっても、ある事象がある人には嬉しく・快であり、ある人にとっては好きでなくできれば避けたい・不快、ということはよくあることなんですよね。
当然人間は、感じ方はバラバラなんです。
でも、それでは非常にコミュニケーションがしづらい。
そのため、概数に近い部分を暗黙に常識として、そこに皆個人個人が少しづつ譲歩するようにした。
そうすると混乱が少なくなり、集団は安定し、結果的に皆が少しづつ我慢する事でより多くの人がそこそこ安心感を持っていられるようになる。
これが、常識と世間一般で呼ばれるものの正体のように私は理解しています。
例えるなら、常識とは共通プロトコルのようなもの。
個人のベストばかりを求めるとかみ合わず争いばかりが起きやすく伝達もうまくいかないので皆にとって結局不利益なので、少しづつベターを皆でわけている、という感覚に近いです。(ただし、自閉圏の人達にとってはこのズレの部分が根本的に非常に大きいので負担がものすごいのであろう、ということが想像できます。)
これは定型の人でも生まれながらに持っているのとは違い、幼少期からの積み重ねの学習によって努力によって作り上げる「ものさし」です。
つまり、定型の人達は常に自分の持っている自分の認知を一旦脇に置いて、故意にあえて一般的認知に合わせている、ということです。
もちろん、定型の人達がみんなそうなわけではないと思いますし、標準が何かなど私一個人には語れませんが、少なくとも私のような人もいる、ということだと思います。
で、こういった事情があるため、定型者側は「多くの人が自分の認知感覚を脇に起き人とのコミュニケーションを円滑な方向へ向けるためにそれぞれ我慢・譲歩して常識の物差しに合わせてきてるのに、自閉圏の人々は自分の物差しでしか考えない。だから、自分勝手だ」と思う人が出てくるのでしょう。
これも例えて言うなら、個人個人が持っている通信プロトコルはもともとバラバラだけれど、それだと全然通信できないので、共通プロトコルを作って通信する時はそれに合わせようとした。という感じでしょうか。
問題は、その共通プロトコルが「概数」だというところかもしれませんね。
発達障害圏の人々にとっては多くが、概数値(常識)とズレがとても大きい。
だから合わせようとしてもひとつのズレ自体が大きすぎ、しかもものすごい数を合わせねばならず、それが多大な負担になるんだろうなという気がしています。
共通プロトコル自体が発達障害圏の人達に近くなれば、とも思ったりもするのですが・・・発達障害圏の人達の場合、個人のズレが正反対の向きで絶対値が大きくずれてたりするので・・・・・これもまた難しいんだろうな・・・・と思った次第です。
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