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多数であるから、それが正しいわけではない。
自分達のやり方と違うからと、
少数側を責めるのはおかしいし間違っている。
一般的発達の”多数”の方は、
もう少し、”想像力”を持って欲しい。
相手の気持ちを分からないのはお互い様。
少数である方が、困ることや不利益も多い。
医師の一方的で失礼な誤った決め付けに、
二次、三次障碍が生じてしまったり、
周りの人達の鈍感な言動に
傷付いたり不快な思いをすることは非常に多い。
自分が期待したような反応をしないからと、
相手を非難したり苛めるような幼稚な人は飽きれるほど。
自他共に発達障碍の”専門家”とされる人が、
医師も含め、
偏見まみれの思い込みで、誤った考えを撒き散らす弊害。
多数派が主体で、何事も自分達の都合で決め付けているけど、
そこに必ずしも”正しさ”があるわけじゃない。
悪い、間違っている、と一方的に攻められ、
本来の障碍とは関係ない精神疾患や、
自己肯定が大変低く苦しんでいる人も多い。
何しろ困るのは、
自分達と違うことは理解しようとする気のない人。
偏見や一旦蔓延った誤解を解くのが難しいこと。
▼ウォルフルさん:
>▼そろばんさん
>>相手が自分とは全く異なる意思をもった別個の人格であるという事を想像する力が乏しく、相手も必ず自分と同じ思考や行動をすると思ってしまう。
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>発達障害者の言動が定型者の反感を買い易いのはまさしく「相手が自分と同じ反応をするだろうと予測していた所が予測に反して全く違う反応をされた」からではないでしょうか。
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>定型者と発達障害者が意志疎通をする上で「自分が相手の立場だったらこうするだろう」という鏡像的想像だけではコミュニケーションは成り立ちません。自分のセルフイメージも、外界の認知の仕方も、快不快の受け取り方も発者と定者では違うからです。実際にはその「違い」を勘定にいれてお互いが接するところに意志疎通の「落とし所」があるように思います。
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>定者であろうと発者であろうと自分とは全く異なる存在者を想像する力が乏しいという点については、定者も発者もお互い様ですし、発者だけが責められる言われもないという気がします。
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