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この裁判は裁判員裁判によるものです。
それゆえ、一般市民のアスペルガーへの偏見が如実に現れる結果となりました。
また、裁判員裁判の審理には判事も参加しますので、判決を出した大阪地裁の判事の中にもアスペルガーに対して偏見を持っている者がいることも明らかになりました。
この大阪地裁判決に対しては、「大阪地裁はナチス以下」と酷評する弁護士もおり、今後、控訴審の大阪高裁での審理(これは裁判員裁判ではありません)が注目されています。
以下に判決要旨全文がアップされていますので、ぜひ読んでください。
http://www.jngmdp.org/wp-content/uploads/20120730.pdf
判決要旨の中で私が気づいた点を以下に列挙します。
1. アスペルガー症候群は「発達障害」であるが、判決文では「精神障害」と記されている。つまり、これを書いた判事は、発達障害と精神障害の区別すらできないほどの無知であり、精神科医による説明も理解できていない。
2. 被害者の遺族=被告人の家族が、死刑または無期懲役を望む旨の供述をしている。つまり、障害のある被告人を保護し扶養する法的義務がある家族がその義務を放棄している。すなわち「受け皿がない」のは、家族が受け皿になることを拒否したからである。
3. 判決要旨はアスペルガー症候群に対応できる受け皿が何ら用意されていないと断定しているだけでなく、その見込みもないと断定しており、近年発達障害者への社会的支援の必要性が見なおされ、その実現に向けて福祉関係の法改正や支援体制の整備が進められていることに関してまったく言及していない。つまり、この判決を書いた判事には、福祉に関する知識がまったくないばかりか、判事でありながら福祉法制についてまったく無知なまま判決を出している。
もし、判事や裁判員に多少なりとも発達障害に関する知識があったなら、16年以内に受け皿ができる見込みがないから有期懲役の最長20年に増刑しようなどという不当な判決を出すことはなかったでしょう。今は専門書を買って読まずともインターネットで検索すれば、発達障害と福祉に関するおおまかな知識は数時間もあれば得られたはずです。要するに判事も裁判員も、無知であるうえに審理もいいかげんで怠慢だったということです。
おそらくは、家族から完全に見捨てられた被告人に厳罰を科しても家族から恨まれるどころか感謝されるのだから、「アスペルガーという危険きわまりない性質を持った人間は、できる限り長く刑務所の檻に入れておくのが社会秩序と市民の安全に資する」これでいいんじゃないか、という意見で判事と裁判員の意見がまとまったのでしょう。自分で好き好んでアスペルガー症候群という障害を背負ったわけでもないこの事件の被告人を、大阪地裁は人間扱いしなかったということです。
アスペルガー症候群は発達障害ですから、刑務所に長く入れて反省させれば治るというものではありません。「被告人は、小学5年生の途中から不登校になり、その後、中学校にも通わず、(中略)このまま家に引きこもっていては駄目だからやり直したいと思い、引きこもる前の小学校とは別の校区の中学校に転校したり、自分のことを誰も知らない遠い場所で生活したいと思って両親に頼んだが、いずれも実現しなかった」と判決理由に記されています。
つまり、この子(被告人)は、この子なりに深刻に悩み、なんとか自分を変えようと必死に考え、親に自分のせっぱつまった思いを相談したのに、親は何もしてくれなかったと言っているわけです。発達障害の子にとって最も大切な時期に、親がこの子の悩みを親身になって受け止め、考えうる限りの助力を惜しまなかったなら、この子は30年間も引きこもりにならずに済んだかもしれません。当時はアスペルガー症候群という言葉すら知られていなかったとは思いますが、この子の人生において、もっとも大切なこの期間に親は我が子のために一体何をしてあげたのでしょうか?判決文はそのことにまったく言及していません。
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