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>謙虚になるのはいいことだケド、自分を責めるような見方はしちゃだめデス。
>だから、自分を悪く言わないで、謙虚さを学んでいるレモン蒸しパンです。
>っていうのでいいじゃないのかな?
>自分をいじめるのは体に毒なんでスヨ。
>チャンと余計なストレスは排除して、元気よく明るく自分をいたわってあげ
>ないと、免疫力が弱るのデス。
ストレスを排除していると、働く場所が無くなるんです…。
ネットがお仕事なら、ネットで起きたトラブルはバーチャルだと割り切って、あとは規則正しい健康維持とお片づけと自炊だけやってればいいんでしょうが、現実でやらかしたことには速やかに責任を感じるところからまず身についていないといけないんです。それが前提なんです。
責任をさらっと果たして体面を保ってから、心身に負荷無く、次の楽しいことへシフトできるのは、地頭のいい人しかできないんです。
バーチャルから逃げるように現実から逃げるようになってしまったら、衣食住ネットの全てを失ってしまいます。
私の謙そんは、(もし謙そんとして成り立っていると言ってもらえるのなら。)自己訓練の成果だし、実際にここでも、私がゴ―マンに人に指図をしていると思われる寸前のところから、私の謙そんを読み取ってくださっていた人に弁護していただいたという経過もあります。
心配していただいてありがたいですが、やっぱりなかなか外せないことだと思うんですよ。
(まくいるそちとるさんは、逃げではないですよ。社会復帰トレーニングとか認知トレーニングの一貫だと、私は思っています。)
>そうすると、風邪をひきやすくなったり、ガンになってしまいまスヨ。
>自分は足りないものもあるけれど、いいところも持っているから、と、
>自分に言い聞かせてあげてみるのはいかがでしょウカ?
>お互いに「思った事ポロ」に気を付けて元気よく生きていきまショウ。
>ぼくはここに来る人たちが大好きだけど、レモン蒸しパンさんも大好きデス。
私が、鏡扱いされたりなんかしてから、ドタマ冷やして、引きつづきぐるんぐるんで参っていた間の、各スレの文を、読ませてもらいました。
話の持って行き方とかはさすが元プロだと思わされました。
私には到底できない話の選び方をしていると思いました。
ゲーム語で話しながら、ネットのカウンセリングも進められるのは、技術をモノにしているからなんだろうなあと、いつもながら興味深かったです。
ただ、うまく書けませんが、興味で済ませていいものでもないような気がしています。
まくいるそちとるさんの使いこなしている技術は、限られた入院病棟内で、患者さんたちが共依存を暴走させないように、危険行為しないように、強迫観念や陰性の念に乗っ取られ過ぎないように、関係性をコントロールするための技術じゃないかと勝手に想像するんです。
いやー、まくいるそちとるさんのような努力家なら、外の社会でも応用が利くんでしょうが…。
私のような、自己肯定感慢性不足で、予定調和みたいのが成立しなければ、年下にも血の気を上げて相手してしまう、暗い受動型系のASと、いろいろ広く発達途上の可能性のある若者たちは、実際の病棟の中でも仲良くできる見込みが、果たしてあるものなんでしょうか?
プロの判断は、どなたたちが、どう集まって、どんな重さの発言権を持ってミーティングするものなのか、患者さん同志の関係性をどういう方向で調整していく話にまとまるものなのか、わからない世界です。
でも、あんまりにも付ける薬も無い関係は、ベテランのお医者さんなんかが、「もう無理!関わらせなくていいですよ!うまいこと離しましょう!」「片方隔離しましょう!」と鶴の一声なんかで片付けちゃったりしないんですか?
むかし、映画で少々観ましたが、患者さんがいろいろ吹っかけて回ってても、現場の看護師さんは、プロとして、気を張って、現実の空間で衝突や犯罪が起こらないように、連携して、身体と頭をこき使って、調整しているんですよね。
患者さんが摩訶不思議な理屈をごねても、お医者さんの指示を頑張って守るんですよね。重労働ですよね。
保身を顧みないで身体を張れるのも、お金をもらう重みのある現場であり、責任だから、やれるものだと思うんですが…。
そういう無理難題を、まくいるそちとるさんは現在一人で引き受けようとしてるわけですよね。無償で。
表現が見つかりませんが、何かがとても過剰な気がします…。
その過剰さがなんなのか、感じるんですが、私もよく見えない…。
その、生活時間と頑張りのつぎ込み方は、お金をもらうプロか、宗教人のように、俗世間離れしてます。
親切、親切、と表現してらっしゃいましたが、感情同化や感情移入の計算?や、客観視への誘導なんかは、プロでも心身を消耗させるものだと思うんですけどね…。
ここは生活共同体でも無く…、一つ屋根の下でも無く…、利害関係の無いインターネットの中で、共通項のある人間同士が親近感を感じて集まっている場で、そこで皆さんで“過去に虐待にあった可哀想な青少年”に対して視野狭窄をともない、万難を乗り越えて一致団結していた時に、私という異分子が空気を読んでいないことを言って、私が、視野がせばまっていた集合体の参加者の歩みを突き転ばせて、複数人の善意の人たちの頭に火を点けた構図になって、人格否定、敵視、孤立、排除、叱責、軽蔑、攻撃、放置、無視、感情転化・投影、恥辱、などの処刑を受けました。
しかし、これは壮大な物語展開でもなんでもなく、一般社会からしたら、リアルが充実していない連中がネットの中のパワーゲームごっこでなんかやってる、程度の価値しか無いと認識しています。
私達を隔離して、そんな険悪な“遊び”に閉じ込めて、日の光の下へ招くこともなく、目をそむけて忘れてスルーして終わる気でいる一般社会へのアンテナはいつも忘れないつもりでいますが、……話を戻します。
ゲームの腕に覚えがあるようですが、自閉ちっくな人でゲームに没頭することで安定する人は多いそうですよね…。
ロールプレイングゲームと呼ばれるものには癒しのキャラという役割がいるそうですが…魔法の腕でなんでも治して完治させるんですよね…。癒しのキャラ、…ゲームリセット、…強迫観念、そんなワードが浮かぶのですが…。こんな問いかけ、もしかして以前にも書かせてもらってますか?
癒しのキャラなら無限に相談事を引き受け続けても大丈夫、皆最後は手を繋ぎ合って分かり合えるお友だちになれるから大丈夫、そんなやめづらいゲームのように集中していることはないんですか?
私が言うなと……、お金が絡んだら、お金を得る資格があるかないかの白黒を求めて、ネットにも現実にも人格賭けて突撃して長い説明を迫って、罪名と根拠と過失割合を執念深く証明させる、ある意味気持悪いASになっちゃった私が、人さまに向かって、言えた話では、ないんですけどね……。
このネットの中を、……桃源郷とかシャングリラのような、皆が清い魂で、地上の価値観を超えて仲良く愛し合えていけるような、西遊記のガンダーラのように全てを統率する観音さんみたいな存在が君臨しているような…不可能だった夢がかなう場所に理想化していないかと………。
今は一日三件のお約束を守っていらっしゃるようで良かったです。
でも、こういう制限をされるのは、特別措置なんですよね…。それだけまくいるそちとるさんに衝動の強さがあるからなのではないでしょうか。
きっかけが出来て理想化が崩れた時、なんか非常にやばい状態になりはしないかと………よぎっちゃうんですよね。
インターネットは、猫さんと並んで、手放せないもののようですし……。
その感覚なら多少解りますが……。
どう案じればいいものやら………。
私が言うのも、どうなのか、どの口なのか、と思いつつですが…。
本物のインターネットは、ゲームよりも、登場人物はずっと多いし、ゲーム設定されていないから、理解不能キャラもいるし、手に負えないキャラも無限大なんです。
私事ですがブログでコメントを閉じているのも、その無限大さが嫌で、腹立たしいからです。
わからない場所があったらごめんなさい、読み流してくださいね。
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