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▼40アさん:
はじめまして、ユーンと言います。
子がASで、私自身もASだって最近自覚した者です。
40アさんのいいたいこと、良く分かりました。
困難に向き合い、がんばって、しっかりとした人生を歩んでいらっしゃるのですね。
凄いですね。
私の子に読ませたいですが、今は無理でしょう。
40アさんも「大学までいかせてくれたことに今は素直に感謝してます」と、感謝しない過去の40アさんがいらっしゃったのでしょう。感謝してなかった時の自分に、[#38420] アスペの父 のような言い方をなさいますか?
人にレスをするときは、その人の現在置かれた状況、現在の心の状況を想像して、その人に届くように言葉を発する、と私は思います。
その想像がトンチンカンで、勘違いであったなら、
素直に修正すればいいだけです。
大切なのは、その人に寄り添う気持ちを持って、
伝えたいことを言う、ことだと考えています。
(とは言え、想像が想像でなく、思い込みになり、勝手に人を決めつけて、意見を強引に押し付けちゃうことが多々あります。私は人間が出来てませんので・・・それに気が付いた時は謝ります。)
(私の文に「」が多すぎて気になる方もおられるかと思います。思い込みに走らないための私なりの工夫なので、勘弁して下さい)
私もACなので、感想を書かせていただきます。
40アさんは、<話すな>問題について話し合うのはよくない。という
機能不全家族の定義通り、「私の父は・・・、議論をやめさせ、
問題そのものにはジャッジをしてくれませんでした。」のですね。
話し合いや議論を止めさせるのは、「問題の先送り」になり
良くないと私も思います。
でも「ジャッジ」はどうでしょう。
ACの私は自己評価が難しい。
誰かに評価されたい、認められたい、正しいとはっきり言ってくれ!、私は正儀・相手は悪、相手を完膚なきまで叩きのめしたい、思いに取り込まれやすいです。
自分がチャンと認めてあげればいいだけなのに・・。
妹さんのエピソードにある「結論」の40アさんのイメージに、
「ジャッジ」の要素は入ってなかったでしょうか。
子供は一人前の人間ですが、育てるという面もあります。
正しいことを正しく言うことが、時には正しくないこともあります。
子に話すときは「ジャッジ」は必要ないと私は思います。
呪縛や危機から乗り越えた方は、
渦中にいる方と話す時には思いやりが必要だと思います。
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