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▼ウォルフルさん:
>▼Cyperus-Aさん:
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>私は何をしても駄目だという諦めそのものが自殺者が直面している「無理」であり、それは先の妊婦受け入れ拒否の「たらい回し」の形となって日本の至るところに表れているという気がします。厄介事とはなるたけ関わりたくないという責任回避ですね。誰かがが問題を抱えていても、誰も取り合わず、その人は次第に孤立感を深め、最後には自分の殻に閉じこもってしまうといったこのような例は何も発達障害者に限らず日本ではそれこそ挙げればキリがないくらいにあります。 >
>誰もが自己責任を負うことから逃げようとするので、家庭や学校や地域で毎日のように小さな問題が起こっても誰も解決しようとせず、それらが集まりに集まって最後には一人では支えきれないほどまでに大きくなって爆発しまうのだと思います。そして当然の如く、そういった責任回避のツケが一番先に回ってくるのが名もなき市民であり、社会的に弱いマイノリティーな立場にある者であり、それが自殺や自傷といった「無言の悲鳴」となって表れているのだと思います。
このへん僕もなんとなく、“自分もそうしてないか?”というトゲが心に引っかかっているような気がします。
>同様の観点からすれば、地域社会の崩壊(地域ネットワークの崩落)が引き起こした害悪は余りにも大きいと思います。地域の自律性が損なわれれば、地域は地域内で起こった問題を自己解消してゆく能力(消化機能)も失いますから、現在では地域問題は国(県政の手にも余るので)が全部処理しなければならなくなっています。(これもある意味たらい回しです)結果国が指揮すべき仕事の数は膨大になり、政治家は忙殺され、政治家は政治家本来の仕事だけに集中して打ち込むことも、ましてや地域問題に多くの時間と労力を割く事も出来ないという今の日本の政治の様な「中途半端な政治」が出来上がってしまうのだと思います・・・北欧圏ではこの様な問題にいち早く気づいていて、国民と地域の自律性を育てるような教育的政治的指導をはかっていますが、日本もこの事にはやく気がつかなければ日本には明るい未来はない、と思ってます。
ここは、何となく、特にまだ可動性がある20代〜40代くらいの世代について、“こういう生き方もあるんだよ!”という啓発や技術・技能指導活動があっても良いような気がします。
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