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▼Oliviaさん:
こんにちは。
そうでしたか。周囲というより親御さんからの目線だったのですね。
住んでいる国が違うと価値観は国民性に感化はされますが、個人が尊重されるお国柄であるけれど、その中にも関わっている人たち(特に家族)のその国の中でのそれぞれの価値観というものはありますよね。
今回、またオリビィアさんが教えてくださった問題を分解してしまいますが、お許しください。
>問題は、これ以上ピアスホールを増やすと両親が良くは思わないこと、そして、こういった習慣性を伴い且つ衝動的な行動にでるのは、しかもその行動が少しでも問題ありなら、それは良くないことだと思うのです。
1.今以上、ピアスホールを増やすとご両親の心情からの圧力(良く思わないため)がある。
2.オリビィアさんの持つ習慣性+衝動的な行動が問題と思える。(これはオリビィアさん本人が問題行動と思うのか、ご両親がそう思うのか、どちらも同意見なのかでも違うと思いました)
3.「2.」を持つオリビィアさんの行動が”少しでも”問題があると、それは良くないことだと思っている。(オリビィアさん本人?)
「1.」の場合、国が違っても「家族として」という御家柄の様なものはあると思うのです。今回のオリビィアさんの場合もご両親の思い(価値観)に対して妥協できるかどうか?という事は、この問題をこれから考えていくにあたって大切だろうと私個人は思いました。これは「両親に合わす」のではなく、「自分の意思決定で家族の一員として譲れるところは譲る」という考えを私(一例)の場合はしています。
「2.」の場合、「3.」の少しでも問題になる行動以外にも衝動的な行動はオリビィアさん自身で許せる範囲のものと、許せない範囲のものはありますか?許せる範囲のものは”自分を許す”事をこれまでにもされてこられているならば、私もそれは必要で大切な事だと思います。これがないとそれこそ二次障害になると思うのです。(私は実際に二次障害を起こしてました)
「3.」の場合、”少しでも”とありますが、この”少しでも”のジャッジは誰(又は何)が下しているか?も注目して良いと思います。ジャッジの判断を「法律」でしている場合、犯罪になるので問題であるし、良くないと思うのは社会通念的におかしくないと思いました。「おかしくない」とは、では「おかしい」場合があると私は思うからです。それは「法律」でのジャッジではない場合です。「法律ではない世間(社会)」「親御さんの価値観」「自分の思いこみ」などは、もしかすると見直す必要があるかもしれません。そして「少しの問題(ミス)も犯さない人間」は皆無です。とはいえ、ではどの様に判断(ジャッジ)するか?となると、これはまた私(一例)の場合になりますが、「どれが一番、合理的であるか?」で判断しています。
衝動的行動はどうしても起こしてしまう場合と、努力である程度はコントロールできてくるものがあると思います。私も後先考えずに起こした自分の行動を、後から振り返って「何故、もっと前もって考えなかったのか・・・」と落ち込む時があります(周囲からは異常に思えるくらい責められます)。その度に自分が起こそうとしている行動について「それをすると、後にどういうリアクションが返ってきて、それについて私は自己責任が持てるのか?」を考えます。が・・・。それをまたすっかり忘れて衝動的行動を起こしている事もしばしばです。ここで自分に対して諦めてしまわない様にと思っています。つまり、やはり努力はし続ける(努力はするが、努力しても無駄なものは能力的に無駄なので自分自身でも自分を追い込まない)道を私(一例)は選んでいます。
オリビィアさんがオリビィアさんである事が精神的に殺されない、オリビィアさん自身が納得できるピアスホールに対する考えが、まとまることをお祈りしています。
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