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sakikoさんへ
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>ここから独り言の続き
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> 大学を出たばかりの頃は、自己実現に意欲的だった。抽象的だけど、私は『私』になろうと思っていた。
> 会社に入って一生懸命お仕事して、人に喜ばれることもいっぱいしてきた、それなりに結果も出した。でも頭の中はいつだって、健常者基準。ナルシストのくせに、自分が自分でなくならなければ生きてはいけないと、常に自分を押しつぶしていた。今はそういうのが一切ないから、本来の自分を好きな自分でいられる。
> アスペルガー及び自閉傾向のお子さんをお持ちのお父さんお母さんたちには申し訳ないけど、こんな、世界とほとんど関わりを持たない状態が、少なくても私にとっては極上の幸せです。ごめんなさい。(と言って罪悪感はない。)
> まあでも、世界と関わりながら生きるための希望≠ェ私にはまだある。だからそれが実は空集合だったと分かるときまでは、がんばります。(あら結構絶望的?)
> 何があっても。ナルシストであることは絶対やめません。爆弾に破壊されて、私と認識できるものが目玉一個になったとしても。(←グロい表現すみませぬ)
学生を卒業して、社会の荒波に飲まれて忘れかけていましたが
私も物凄いナルシストだったことを思い出しました!
sakikoさんの表現している自分が好きという気持ちが分かる気がします。
比べることはできないので、想像でしかないのですが、
この『自分が好き』=『自分らしい振る舞いが自由にできる』は
定型の人のいう所のナルシストとは少し違う次元にある気がします。
私の場合は、自分以外の他人にあまり興味関心を持たない性質
(AS特有の性質)のおかげで、周りを気にしなくても良い環境の頃は
どこまでも果てしなく、自分と自分の興味を持った世界が好きで
止みませんでした。それもどこまでも貪欲に楽しくてしょうがなかったです。
今、書いていて気が付いたのですが、AS特有のこの『幸せ』こそが
過去の偉人の世紀の発明や偉業につながっていたのだろうと思うと
何だかうれしいですね。
最近の私は自己肯定ができず、定型の真似をすることでいっぱいになって
いたので、自分を見失いかけていました。
もう一度、自分を好きになれる環境があればいいのにと思います。
大切なことを思い出しました。ありがとう御座います。
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