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▼twentyさん:
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>私は当事者のほうですが、いい悪いは別にして、そういうのを隠そうという感覚が少し変みたいなので、一般的に抵抗があることでもべらべらしゃべってました。
>自分がいろいろオープンに話して変わったこともあると思います。
>できるだけ障害にとらわれないで、支援が受けられる施策みたいなものはできてきたと思います。
>でも根っこのところが私自身しゃべっているときに自分ではちゃんとフォローしたつもりのときもあるし、誤解される伝え方をしたときもあったかもしれません。
>支援はできていますが、その支援が私が思い描いていたよりなんかすごく重い感じが…。
>いろいろなちょっとした配慮で障害がかなり改善されることはあるし、そうなるといろいろと本人も幸せだし、それを知ってほしい。
>けど100%治るのはないし、それをずっと持って生きていかなきゃいけない自分がいて、それを受け入れてくれる社会がないと困る。
>わかってくれる人も変えようとしてくれる人もいるけど、障害を治すためだけにそういう話を聞いていて、もしいろいろな事情で改善しなければ極端な話、その本人も親も先生などの支援者も完全否定されるような、そういう雰囲気もある気がして。
>結局私自身、親が死んじゃったらどうしようみたいな状況変わってないし…。
>私としては今の社会状況でオープンにすることがいいのか悪いのかよく分かりません。
私自身も当事者です。
子供のことに、自分の幼少期の行動がかさなる所があり診察の結果
広汎性発達障害の診断を受けてます。
ガマンしてガマンして説明が出来ずキレルことがなんどもあります。
今は、日常あったことの困り感をまとめた自分自身のサポートブックを
つくり職場での行動に使っています。
ある程度のパターンを自分で記憶し、それなりに仕事をこなしてます。
今から20年くらい前が、私の入社時代です。
発達障害が認識されていないので、同じ質問と出来ない理由を言うのは
やる気の無い証拠という評価でした。
特に「お前は、目が見えて耳も聞こえるだろう」といわれた場合
何もいえなくて謝罪するしかありません。
何が悪いのかも解らず、謝罪です。
現在の子供への支援でも、支援の流派?が多いのも困ります。
担任が変わる度に、こちらも行動の変化をしなくてはなりません。
これは私見ですが、ベースとなる支援から枝葉へのブレナイ支援
が確立していないからだと思います。
だから「治る。」という情報があれば、教員から出来るだけ
治してくださいとも言われました。
医療関係でも、ASは大人になると治ります。
こんなことを平気で言う、精神科医師もいまでもいます。
まだ、周囲に子供の困り感をいえる時期では無いと感じられます。
誰でもわかりやすい、ユニバーサルな考え方が早く広まるよう願っています。
今、講演していただいている当事者の皆様が単なる見世物に
ならないよう節に願っています。
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