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▼たけるさん:
>実は今、妻が私に対して怒っています。
>(妻が一方的に怒っているので、喧嘩ではないのです)
>
>妻によれば、いつも私の言葉の暴力に傷つけられている。もう傷つけられたくない。と言う事です。
>
>今すごく動揺しています。
>人の相談に乗っている余裕はなかったのでした(^^;
>
>私としてはつらいのですが、妻の言い分はもっともだと認めるところもあります。
>私は家でリラックスしている時、(妻に限らず)あまり人の事を気にしていません。自分の興味のあることに没頭しています。
>
>それで、妻が話しかけても、妻の気持ちを考えないで、ひどい言葉を吐いている事は充分考えられます。私にはその自覚はないのですが・・・
そんな感じはします。
書き込みを見る限り、たけるさんが奥さんにひどい暴言を吐いているという感じはしませんが、ASの人は相手の気持ちに立って行動することが難しいですから、無神経なことを言って傷つけている可能性はあると思います。
私も母と会話をするたびによく「冷たい」と言われました。
何か一つのことに没頭してしまって、気が回らないのです。
もし自分がされたら・・・ということを頑張って想像してみると、ちょっと悲しい気持ちは分かります。
>外(職場)では、ある程度決まった対応(相手の気持ちを考えているふり)をしていて、それで何とかなっているようですが、家庭でも「ふり」をし続けるのはしんどいです。
>そんなにいつも緊張していられないです。
>(それとも家庭でこそ「ふり」をしなければならないのでしょうか?)
>
>
>それよりも何よりも、
>身近な人に、嫌われていると言う気持ちは、私から生きる気力を奪ってしまいます。
>だからといって(妻に嫌われまいとして)、「ふり」をして、自分が受け入れられたとしても、生きる気力は沸いてこないものだと思います。
>ありのままの自分が受け入れられて、初めて生きる気力が沸いてくるのだと思うのですが・・・そうでしょう?
ふりをするのは、やっぱりしんどいです。
全身がずっと凝り続ける感じで、とてもストレスフルです。
ありのままの自分が受け入れられてはじめて・・・というのはすごく共感します。
でも、ふりをしなければ社会でも家庭でもすぐにトラブルになってしまいます。誤解も多く、いじめも多く、ひどい言葉をかけられるくらいなら一生懸命「ふり」をした方がいいんだと思い込むようになっていました。
それでもありのままの自分でいられる時間が欲しいと、本当に思います。
>誰かに愛されている、好かれているという確たる自信がないと、生きるのが困難になってくるものですね
>
>やっぱり、理解して(=愛して、好いて)くれる人は必要だと思ってしまいます。
>ありがたい事に、私に会った人が全て私を嫌いになるわけではないようです。
>「ふり」なしで、良好な人間関係を保っている人たちがいます。
>これからもその人達との関係を大切にしていきたいと思います。
>
>なほさんも「ふり」なしで楽しくお話のできるお仲間がいらっしゃるのであれば、その方達との関係を大切にされる事のもよろしいかと思います。
「ふり」が完全にないとは言えませんが、それでもおかしなところは出てしまいます。なのに仲良くしてくれる人、褒めてくれる人はいないわけでもありません。
とても大切に思っていますが、精一杯のふりをしても、まだまだ迷惑をかけている気がして疲れてしまうんです。
「ふり」をすることで嫌な思いをすることもありますが、「ふり」をしなければならないと思うこともよくあります。
「ふり」をしないでも自然に人と付き合える人たちがとても羨ましいです。
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