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今晩は。
径(こみち)と申します。定型の女性です。
タイムさんの発題と、それに対する皆さんの回答がとても興味深かったです。
定型の私の、今のところの考えは以下のようになります。
コインの裏から見た表の裏の裏、とは?と聞かれますと、それは、
コインの裏から見た、表の、裏の、裏、のことで、
1.コインの裏から見た =コインの裏側が見える位置に、自分が移動します
2.表の =自分から見える側が「表」です。つまりそのまま
3.裏の =自分から見えない側が「裏」です。ここでコインの表側が見える位置に、自分が移動します
4.裏 =自分から見えない側が「裏」なので、もう一度反対側、つまりコインの裏側が見える位置に自分が移動します
(「自分が移動する」と大げさな表現にしてみましたが、実際は、「視点」が適宜移動しているようなイメージです。)
すると、裏面 →裏面 →表面 →裏面 になります。
#1.で、スタートの視点を定め、#2〜#4は「表」ならそのまま(肯定)、「裏」なら反対(否定)という、フローのルールのようなものと捉えました。
スタートの視点を定める時だけ、コイン自体の表・裏の概念(決まり)を使っています。
定型の場合、多分、きっちりした思考をする人ほど、コインの向きは気にしないと思います。コインの裏面が自分に向いていても、裏面は裏面。
スタートの視点を定める時も、その後のフローでも、すべて客観なのです。
(← ここ、このレスで一番強調したい部分です。定型の特徴と思うので。)
主観、すなわち、コインが自分にどう向いているかは、思考の際に入り込んできません。
勿論、定型の人で回答が「表面」になった場合もあると思います。その人は、
コインの裏から見た表の、裏の、裏、
すなわち、
コインの(裏から見た)表面の、裏側の、裏側、と考えたのでないかと思います。
スタートの立ち位置がコインの表側が見える位置であった、という点が、異なる結果に結びついたのでないかと思います。
自分一人の回答だけで、「定型の人はこうなると思う」と書きますと、ASの方は不審に思われるかもしれません。
でも、決めつけているのではありません。
「皆もそうだろうなあ」と思う感覚こそが、定型の特徴であり、そして、多くの定型の人間は「皆=皆」と思っていますから、ASの方にはえてして“凶器”になるのだろうと思います。
タイムさんが、発題をされたレスの中で、社会は相対的なものというように書かれていたと思います。
仰る通りで、定型の人間は、社会の中では、客観的に見て、客観的に考えることがとても多いと思います。
客観性というのが、認識の共通性の土台になっているような気がしています。(往々にして、自分たち自身が共通であることに縛られてしまうのですが……。)
ここの掲示板の書き込みからは、ASの方の視点や捉え方について、たくさんの発見がありますので、とても興味深く、私には大変貴重です。
今回は、思い切って、定型の視点について、少し大胆に書かせて頂きました。とても楽しくて、睡眠時間が減ってしまいました(苦笑)。
お読み下さった方、どうも有り難うございました。
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