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Monamiさん、レスありがとうございます!
>「〜したらダメ」シリーズは
>私にとって「自分がダメなんだ」でした。
>直すべきところ(部分)がダメなのではなくて
>自分(全体)がダメと言う風にしか理解できませんでした。
>注意を促すという事柄は、難易度がかなり高いです^^;本当に難しい。
>「〜したらダメ」ではなく、
>「ああいうときは〜しよう。」と良いモデルをつくって
>あげるといいかもしれません。
>「〜したらダメ」→
>今現在それをする選択肢しか知らないけど
>それをしたらダメって、じゃあ私は(娘さん)どうすればいいの?と
>混乱すると思うので。
1歳、2歳は危ない事、してはいけない事を教えないといけない時期
でもあるので、私もついつい、ダメよ発言が連発でした。
娘がカチン!ときて、頑なになる事も多かったです。
3歳からは、会話で理解を促す事ができるようになったので、
いよいよ、「言葉」というツールの印象を決めてしまう、
大事な時期に来たかなと感じていました。
当事者がどう受け取っているかを確認できるのは
心強いです。
夫の場合、小さい頃についての参考になることは
具体例は少ないのでした。
私からのアドバイス(言葉)が批判や責め、娘を否定するものではなく、
手本となる、娘が聞いてみたいと思える有益なもの、
と受け取ってもらえるように、工夫をしようと思います。
>私が娘さんの年齢の時は
>他人の気持ちというものは全く興味がなかったため
>理解できませんでした(現在もですが)
>しかし、年齢が大きくなるにつれ
>他人の気持ちを無視して生活することはできなくなりました。
>(理解できるようになったわけではないです。
> 空気の読めない発言をして何度も痛い目にあって、喋らなくなりました。)
私が、夫について心から尊敬しているのは、この点です。
本人は、打たれ弱いから、それだけ、すごくない、と言いますが、
数々の「痛い目」=精神的な打撃、そこからの挽回を
何度も何度も繰り返し経験し、
よく長年頑張ってきたな…
と心底思います。
小学校時代、夫は活発でおしゃべりだったそうですが、
今は基本的には寡黙な人です。
> しゃがんで目線を合わせたりしてくださると
>自分に対して話しかけているんだなととても分かりやすいです。
>私は保育園のころ、先生が話す時
>園児全体に言っているのかそれとも私だけに言っているのか
>さっぱり分からなかったので無視するつもりがなくても
>先生に「聞いていない」と思われたようです。
>そんな時、先生はこちらに向かって近づいてきて私と目線を合わせて
>話しかけてきてくれたので
>自分に対して話しかけていたんだなと理解が出来ました。
幼稚園の参観日に出席して、これを感じました。
一番前の席で、目の前で先生の指示を受けている時は問題なく。
整列してお歌の練習、先生は指揮者の様に離れてみんなに指示を出す
となると、娘は視線があちこち。
先生が説明していても、こう、斜め下をぼうっと見ながら頭かきかき。
(夫と同じ癖:これは回想してるか、ファンタジーに入ってる仕草)
それからは、「意識が他に飛んでいきそう」な時は
接近・お顔みて会話。を心がけてます。
今はお勉強一切ない、元気のびのび園なので問題ないですが、
小学校に入ったら、先生にはこの特性を説明しないといけません。
Monamiさんの表現は、非常に「娘はこうなんです」と説明しやすいです。
私ががたぶんこうかな、という推測で漠然としてる所が、
当事者の物の見方の説明を受けるとストンとふに落ちて
すっきりし、理解できるので、個人のお話をお聞きするのは本当に
助かります。
>何度も教えてもらっても、理解できないときは、「前やったよ」と言われても
>私の場合はその言葉掛けはほとんど意味がなかったと思います。
>本当に分からなかったので。
>ただし、教える側はめっちゃイライラしてしまうんですよね^^;
>何度も間違う・分からない時は、ここがポイントなんだなととらえて
>今度は言葉でなく、イラストや文にしてみて提示してみてはいかがでしょうか?
>言葉は、一瞬で消えてしまいますが(私は覚えておくことができませんでした)
>目で見えるものであらわすと、時間をかけてでも理解することができます。
>(POPOさんのやりかたが、私も参考になりました!)
このPOPOさんのやり方も、すごいですよね。
ネットで本の送料が無料なので教えていただいたのを注文したんです。
今日あっという間に(すごい早さ!)届いたんですけど、たぶん夫が先に
むさぼり読みます。かゆい所に手が届く、感じです。
>ASの人は、言葉の意味が分からなくても
>その代わりに雰囲気を読み取る力は高いのではないかなと思っています。(敏感?)
同感です。
>でも定型の人には、あの子は鈍感だ!と思われている可能性の方が
>ものすごく高い気がします。
>それは、自分が感じ取ったものを
>言葉や表情などで外にうまく表現することが非常に難しいことと、やはり、
>自分が何に困っているのかという根本的なところが
>自分でも理解できていないということから来ているのではと思います。
夫も、何に困っているのか、自分がどういう状態なのか、とにかく
わからない事が多いから、どうしたい、というのもないと言ってました。
体の調子(痛みや疲労程度など)も、わかりにくいらしいです。
>おそらく定型の人より敏感なのですが、ただし、
>思い違いもかなり多い気がします。
>個人的な例としては
>親は色々やることがあり疲れているが、子供にかまってやりたいので
>少し無理してあそんであげる、という状況の時
>ひとあそびした後、ふっと疲れた顔で親がため息をついたということがあれば
>私の場合でしたら、自分が何かいけなかったのかと(自分への否定)
>落ち込みます。
>これは私が受動型の気が強いからかもしれません。
これをヒントに、親の私が喜怒哀楽の怒と哀のマイナスが勝ち気味な時、
「あなたとは関係ないことでちょっとこんなことがあってね。悲しいのよ」
とか、私の気持ちを、娘に言葉で伝えるようにすれば
子供の安心につながるかもしれないですね。
こういった工夫というか、私の心の解説を娘にすることは、
会話好きな私には負担ではないので、しんどい時でも、できそうです。
Monamiさん、今回も色々、ありがとうございました!
週末は幼稚園が休みなので、朝から晩まで娘と係わり合う時間です。
毎週、何かしら新たな発見と驚きがあるのですが、
こちらの掲示板でアドバイスいただいた内容をふんだんに
網羅して、親子一緒に楽しくコミュニケーションしたいと
思います。
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