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すみませんね。
>あと「発達障害はいじめにあって当然」>「いじめられたくないなら発達なら、居るだけで邪魔、死ぬしかない」>というすごい意見もあり頭が痛いです。
個人の価値観の違いです。
人格がそれぞれ違うように、価値観もそれぞれ違い、時には私も仰天するような異次元の価値観を持つ人も、現実にはいます。ネット外の現実にもいることはいるんです。
しかし、ASなら本来は、“自分は自分”を確立するのは得意分野なくらいなので、極端な価値観、私とは違う次元で攻撃的な価値観には、それに対抗する自分の価値観を用意して、私は壁を作ってきました。
私はネットから教えをいただきながらAS的思考で考えることで、初めから相手の価値観に負けてあげなければならないかのような、義務感のような強迫観念のようなものからは、かなり脱出できました。
また発達障害を知らなかった若いころも、自分の価値観を手に入れるために、学業を気の済むまでやり切りました。条件が許すなら、好きな時だけもっとやりたいくらいです。
もしご存知でしたら認知療法の考え方をヒントにしてほしいですが、頭が痛くなる必要って、私達にはそもそもあるのでしょうか。
頭が痛くなることを、だれが、どんな根拠で、どんな正当性で望んでいるのでしょうか。
こちらの頭を痛くしたいための、権利を阻害するための、明確なお膳立てを揃えてだれかが向かってきた時と、お金が危機(社会的信頼、いわゆるメンツを削がれる、解雇に誘導される、血縁が不利益を受けるなど)に瀕した時には、人間なので、攻撃性をそれこそ(頭の中だけ。現実はうまく低姿勢になるものでしょうけど。)全開にして対抗する人権があると思います。
でも怖い思いをした時に、甘えられる人間や信頼関係がもうできている人間にのみ向かってしまうことをしてしまうとしたら、それは自身の足元を非常に危なくする行為です。(百合奈さんにとってここの参加者たちが頼れる人として認識されてるかは推測するしか無いですが。)遠回しな自傷行為にもなりえます。
たまにならあり得るとしても、頻度が高くなれば、当人にそうしたい需要があったとしても、近くに居てくれる人間にとっての人権侵害行為ですから、関係が切れる危険が残念ながらあるのです。
百合奈さんご自身の主観の世界ではそんなことしていないつもりでも、現実は客観視しなきゃ見えない事実でも出来ているんです。それがどんなに気に入らない現実だったとしてもです。私も、現実世界は気に入らないことだらけです。
知的な高さがあるのに、信頼関係がもうできている人間に向かってしか攻撃性や自己主張を出せないという症状は、虐待家庭や機能不全家庭出身の子にあるという話は、小さな知識として聞いたことがあります。あとは、私が抑うつの薬が効きすぎている時にそんな衝動があった気がします。抑うつの薬が効いている時は、面倒くさい作業から逃げる動きが余分に強められてしまう気がして、現実から逃げてしまう一方で、自分の体裁を取り繕って保つのが面倒くさくてたまらなかった。自業自得の塊になった。
百合奈さんの自覚が、上記のどこに心当たりを感じているのかはわかりませんし、百合奈さんも書く意志は無いと思います。勝手に察していますね。私うるさいですね。
では私たち、弱者である私たち当事者の人権の存在の証明は、どんな文章でやったら一番説得力が出るのかを、私がもう趣味として、無い学力で勝手に模索しているのですが、難しいでしょうから放っといてください。
>いまさらどうしようもないんですが>学校を信じた私が馬鹿なんでしょうか。
>他人を信じちゃいけないよ、と友人はよく言います。>何処へ行って子の話をしても、>「学校側としてみれば学校の味方をするいじめっ子が大事なんだから
>いじめられっこが邪魔に決まってるでしょ」>と帰ってくるだけだよ、と言われます。>いじめが悪いは建前でしょうか。
>何処に助けを求めても、諦めろと言われるので
>なんだかぐったりきてます。
さきほどの「居るだけで邪魔」系の話は、個人の価値観の話で、こちらは『学校』というシステムの話です。
百合奈さんだけではないんですが、個人の話とシステムの話と、区別も十分つけないままに、頭になだれこむままにフラッシュバックを自分で誘発して、ネットに喰ってかかってくる当事者の人は、複数、お会いしてきました。
私がバカなんですが、私の頭の中も歴戦の負傷で傷だらけです。
パソコンで言う初期設定まで頭が狂わされて、いまでも頭は変です。ここの掲示板用に翻訳して書いたので、これ以上の意味を持たせることはしません。しませんからね。しないですよ。しないです。しないです。
システムとの対決の話は、個人の話とはまた違ってくると思います。
それは今までも書かせていただきましたが、お役に立たなかったと思うので、控えさせていただきます。
百合奈さんの心残りは、『学校』の機能そのものが憎いのでしょうね。
入学前に『発達障害者の保護』などの新しい機能を契約させて、職員体制を法的に要求できなかったところなど、改善とか新天地の開拓とか、「こうしていれば」という後悔よりは別物なのかもしれませんし、そうでないのかもしれません。
ここを読む人の中には、我が子に学費を払う立場の人もいるかもしれませんが、百合奈さんは想像力の範囲としてそれを承知していたのかもしれませんし、視野の外だったかもしれませんし、そうでもないのかもしれません。
>今の私は、ギリニートにならないぐらいで生きてます。
>何で発達なのに私が生きてるのかも、そう言う意見きくとわからないです。
なんで、「意見きく」のでしょう。
利益になる意見なんでしょうか。
それとも、あらたに聞いた意見では無く、フラッシュバックででしょうか。
私も、どうして生きているんでしょうね?
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