アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
ANKHさん wrote:
> 世の中一般を支配するメンタリティというものは、しばしば「目くらまし」という性質を持っていて、それらを喝破するということは、「ないものを発見する」というのと同じ、困難な作業だ。けれど、『私の嫌いな10の言葉』はじめ<他者の痛みを理解しているわけでもない者が、あまり考えもせずに出してくる/人間だれもが持っている(とおぼしき)、“悪い虫”が動き出すのを防止・あるいは無害化しようとするという主旨と性質を持って生まれた/一見もっともらしい言葉>(/は、英語で言うところの関係副詞的thatの記号的代用である…って、却ってワケわかんなくなっちゃったか〜)って奴は、けっこう身近にころがっているものだし、それらにあえて疑問を感じ、「てめぇらホントにそんなこと思ってんのかよ!」と反撃をこころみるっていう行為は、別にあたまのいい哲学者のひとでなくても、実践可能だと思う。
じゃん。Mariaだぞ。(←Motoちゃんが「おれが出ると嫌がられそうだから代わってくれ」と言っていた)
中島さん言うところの「世間語」というものは多分に状況にかかわってくるものなので、それが相手の口から発せられた瞬間に、こっちは相手の意図から外れた瞬間に「非常識」「不作法」といったレッテルを貼りつけられて攻撃されるのが分ってしまうのが辛いところなのだな。
中島さんは『ぼくは偏食人間』という本のなかで、食べ物屋で「急いでいるのですぐにできるものを」を注文したら、「お待たせしました」と本当にすぐに出てきたのだけれど、主人が「ごゆっくりどうぞ」と言うのではたと考えこんでしまった、といったようなことを書いていました。
この場合、「ごゆっくりどうぞ」に代わる適切な言葉、というのが確かに見つからないのね。
鴨居まさねというひとが『雲の上のキスケさん』という本の中で、「いらっしゃいませ」という挨拶はエステティックサロンのような「個人対個人」の要素が強い業種ではあんまりいい挨拶ではない、というようなことを書いていました。「いらっしゃいませ」と言われて返す適切な言葉というのがないのね。「いらっしゃいました」と答えるのもちょっとヘン。だけど、「こんにちわ」だったら「こんにちわ」と返事すればいいから会話の接ぎ穂ができる。
こうした「やりとり」のことを心理学の用語では「トランザンクション」といいます。で、トランザンクションのやりとりを分析するのが「交流分析」と呼ばれる手法なのだけれど(エリック・バーン著/南博訳『人生ゲーム入門 人間関係の心理学』河出書房
新社)、いわゆる「世間語」というのは、相手と自分の関係をある枠組に押し込めて、自分の「ゲーム」に引きずり込むための入口なのね。
だから、「相手を思い遣っているように聞こえる、“優しい”言葉」でも、相手に本当のことを言わせないという圧力になるように、「状況」が設定されている。「些少ですが」と言われて「それにしても少なすぎない?」とは言い返せないし、「そんなに私が信用できませんか?」と訊かれて「まるっきり」とも答えられないわけです。いわゆる「慇懃無礼」というのもこれの一種のような気がします。「タテマエ」の中に相手を押し込んで「ホンネ」を言わせないのね。
こういう物言いをする人というのは、極度に防衛的です。だけど、それは自分の攻撃性を「世間」に貼りつけていて、「世間が私につらく当たるのだから、それに対抗するのは当然だ」と思っているからだったりすることが多い。
そんなわけで、常に「ぶっちゃけた話」ができるような「状況」を作り出してくれる相手というのは、いわゆる礼儀作法から外れていても無礼な印象を与えないというか、「ざっくばらん」な、あるいは逆に上品な印象を与えたりするわけです。
で、そういうひとは一見無防備に見えます。そうすると、「ご迷惑ですか?」とか「私のことが嫌いですか?」とか言いながらづかづか踏み込んでくる奴というのがまたいるのね。腰が低そうに見えるけど、そのじつ厚かましい。
交流分析でいう、「潜在的かつ補完的なトランザクション」というのがあって、「世間語」が嫌いな人は、これを上手く使いこなしているようです。
「寒いですね」「鍋には向いてる陽気だけどね」とかいうのは、相手が「世間語」で相手をコントロールしようとするタイプの人間か、それとも「自分の言葉」で語るタイプの人間かを判定する試金石みたいな反応です。こうやって会話の端々にジャブを入れて相手と「じゃれる」タイプのひとは、おおむね信頼できるひとです。
だけど、なかなか先に手を出すのが怖いんですよね。相手が「世間語」で武装してるタイプだと、じゃれたつもりが本気のストレートが返ってくる。こっちはガードを下げているものだから、容赦なく喰らっちゃったりします。そんでもって「非常識」とかいって非難されます。
会話って、ボクシングに似てるかな、と思います。防禦も攻撃もちゃんとできているひととは、安心してつきあえる。その点、素人さんは怖いです。背後からいきなり金属バットで殴るような真似をしかねませんから。
これって、たぶん親や教師がいけないんだと思う。本当の意味で「対話する」ということをしてこなかったから。で、思春期以降、ひとと対話するという体験をしてこなかったものだから、権力だとか罪悪感だとか怒りだとかでしか人を動かせなくなっちゃった。
これは本人のせいじゃないだろうけど、そういう人とはつきあわないほうが安全だとあたしは思います。かわいそうな話だけど。
(Maria)
鯨夢ミグさん wrote:
>今のところ、次の予定はありますでしょうか?
次回は2月10日頃に予定しているんですけど、開催地が関西なん
です。これだとちょっと参加しにくいかも…
で、話を元に戻しますと、これからのオフ会はアスペの館について
は独自開催にしようかと思っています。そんな訳でミグさんの側に希
望があれば、その都合でオフ会を開催するという形にしてもいいと思
っています。2月9日〜11日以外の土日なら大丈夫なので、都合を
教えてください。
>でも、ふふふ。
>なんか、こうもりさんて可愛らしい方のような気がするわ(不愉快だ
>ったらゴメンナサイ、でもそう思ったの)。
しかし、外見とはほぼ一致しないのであった。
>それまでは、こちらでカキコ致しますね。
>メーリングリスト、初チャレンジです。
お待ちしておりますぞ〜。
武田好史さん wrote:
>我が家のパソコンのOUT-LOOKは、父上のビジネス専用なので、電子メールは以後、
>yoshifumitakeda@hotmai.com
>のほうへ送るように!
失礼しやした。以前、DMが届いた時に使用されていたメールに
返信してしまったもので〜。
> 『かながわ発達クリニック』は知らないが、『よこはま発達クリニック』のU
>RLは下記のとおりである。
>http://www.ypdc.net/
ありがとです。さっそく、知り合いにお知らせしますぞえ。
白 wrote:
>でも、僕は今回は、徹底的に感情を配して書こうと思っているんです。
>僕は基本的な性格が、皆さんの嫌いな感情過多なタイプだと自分で思っています。
>人から親切にされれば、一も二もなくその人を好きになってしまって(変な意味じゃありません)、何か返したいと思うし、すぐに自分を知ってもらいたくて、全く無防備に心を開いてしまったりします。
>それで辛い目にあったことは何度もありますが、それでもそうやって手に入れた何人かの友人やその他の人は、僕にとって、とても大切な人となっています。
>でも、色々な書き込みを読んでいて、皆さんが感情的な人間がどうも嫌らしいと思ったので、ここでは極力、論理で話そうと思うわけなんです。
>ここは、文字通りの意味なら、僕も同感です。
>僕も多分、「普通人」と言われる人の中では、極端に人付き合いがうまくないと思うんで。
おい若いの!レスを読ませてもらったが、どうもアスペなのは君で、普通なのは彼女てことかもしれないぞ。実際俺も2回「好きだ!」といって振られて、懲りて、「もう絶対こっちから『好きだ!』とは言うまい。」と決めているがな。
若い女性の心理を知りたかったら、次の童話を読んでごらん。
#ミヒャエル・エンデ作 『モモ』(大島かおりさんの訳で、岩波書店から出版されている)
女性という生き物はな、自分を無意味に縛ろうとするヤツがとにかく大嫌いだ!そこのところをよく肝に銘じておけ!
truthさん wrote:
ごめんなさい、私の今みたいな、こういった気紛れに横レスを付けるといった印象を与えかねないスタイルって、個人的にはいさぎよしとしないのですが。
>中島義道さんという哲学者の人がいますが、彼の書いた本で「私が嫌いな10のことば」という本があります。その本には、世の中で言われる常識的なきれい事?というか、世の中では常識になっている言葉が述べられています。
>世の中には、常識的な事があって、多数者はそれを信じているのかもしれないですけど、それは思いこみで・・・中には全然違う価値観と考え・・・を持っている人もいて・・・常識的で・・・一見思いやりがありそうな言葉の数々にも欺瞞や偽善、ごまかしがある・・・。少数派の気持ちを無視したものでもある・・・そんな事を私はこの本で知り、「それは違う」と行った中島さんの言葉で少しだけ楽になったのでした。
私が(立ち読みで)大ウケした記述では、中島氏が、世の中には「一人で生きているんじゃないんだからな!」という、超ムカツク(←私情入っています)言説が存在するとし、それに対して「“一人で生きているわけではない”という、まさにその事実のせいで、どれ位イヤな思いをさせられなくちゃならないと思っとるんじゃい!」と、歯ぎしりバリバリで反撃していたのには、いたく共感したもんですけど(^o^)。“戦う哲学”もよいけれど、ときには森鴎外『あきらめの哲学』でも読んで、バランスをおとりになった方が......。
世の中一般を支配するメンタリティというものは、しばしば「目くらまし」という性質を持っていて、それらを喝破するということは、「ないものを発見する」というのと同じ、困難な作業だ。けれど、『〜10の言葉』はじめ<他者の痛みを理解しているわけでもない者が、あまり考えもせずに出してくる/人間だれもが持っている(とおぼしき)、“悪い虫”が動き出すのを防止・あるいは無害化しようとするという主旨と性質を持って生まれた/一見もっともらしい言葉>(/は、英語で言うところの関係副詞的thatの記号的代用である...って、却ってワケわかんなくなっちゃったか〜)って奴は、けっこう身近にころがっているものだし、それらにあえて疑問を感じ、「てめぇらホントにそんなこと思ってんのかよ!」と反撃をこころみるっていう行為は、別にあたまのいい哲学者のひとでなくても、実践可能だと思う。
私個人としては、自分の人格形成を大幅に歪めてくれた、「ボゲェェーーッとしてちゃあ、ダメなんだからねェ?!」 「そぉんな、丁寧に丁寧にやってないで、チャッチャッチャッチャッとやりゃあイイんだよォォォォォっっ!!......もういいよォ、貸せよォォォォォォオっっ!!」といった、「何かをやる速度が低い」ことで、私の全能力を推し量ろうとする言葉達を、告発したいね。うー思い出しただけで殺意が芽生えてしまう(^_^)
ここからは、おもにmさんへ向けた言葉。
「私は人は殺さないと思う。なぜなら死刑があるから」という言葉に対しては、後半からは、後からくっつけた理由にすぎないのだろうという推測を根拠として、私個人は「嘘つけバカ!!」と思っている。だって人殺してーもん私。死刑があったってなんだってさあ(笑)。ただしこれは、将来もし、私という人間によっておこなわれたとしたらそれは“怨恨”あるいは“事故”なんだろうって気はするのだが、「人を殺す殺さない」というのはあるいは当然“趣味の問題”が問われてもくるんだなって、永井・小泉の両哲学者の対談によって、気付かされたのだ。
そうか、殺したいほど憎いやつがいるのに、殺さないでいるってことは、私はたまたま“人を殺さないという趣味”(これに対立する“趣味”とはもちろん、「人を殺す趣味」になるんだろうけど、それだと「人を殺したい」ではなく「人を殺してみたい」という表現の方が、適切になってくるのかも)の持ち主なのかも知れなかったのか!ってね。いま、その対談本、手元にないけど、“犯罪者予備軍”というレッテルを憂慮している人々のためにも、いつか紹介してみようかと思う。それにしても「人には善をなしなさい」というルールを完全無視したままの、一連の文章かもなーこの段落は。
閑話休題。
すごくささいなエピソードなんですが。音楽家である母が、お弟子さんの女性の一人と、フランスはパリに出掛けたそうです。その時二人で、公園でデッサンをしていたそうです。弟子の女性は、アトリエで創作活動をしている人でもあるのですが、母がデッサンを終えても、その方は(母の言葉によれば)“まだぐずぐずと”描いていたそうです。そこで母が「あらあ、まだ終わってないのね」と言葉をかけたら、彼女はムスッとして、「速く描いた方がエライと思っているのよね」といった意味の返事をした、と、母は私に、さも不満そうに話しました。母は、日頃から、彼女のことを「偏屈でコワイ」と感じていて、「まったくわけの分からないところで、すぐひねくれる人よね」と認識していたらしいのですが。
でもこの話を聞いて、私は、「きっとその人、“遅い人”と思われることで、ずいぶん屈辱を感じてきた過去があるんじゃないの?私だって小さいころ、“他のみんなは出来てるのに、自分だけなぜかできない”っていう事態が、しょっちゅうあって、そのたびに本当に辛い思いしていたから分かるよ。学校の教室で、何かの課題をやっている時、他の子がみんな、チャっチャと片付けて、「あー終わったあ〜」と、ゾロゾロ出て行く中で、自分一人いつまでも残ってモタモタやってる経験ってのはさ、はっきり言ってもう、不安で不安で気が狂いそうになるんだよね」と、応じることができた。
“できた”っていうのは、【自分以外あと教室に残ってるのは、はっきり言って「知恵遅れなんじゃないか?」と思える、一人か二人の子ぐらい、っていう経験なんて怖くて恥ずかしくて、とても親に言えたもんじゃない】という認識が、自分の奥深くに根付いていたのに気付き、それを20年以上経ってはじめて“突き破り、自分の内側の葛藤を、端的に表現し、しかも相手に分かる言葉で伝えることができた”という意味なんだけれど。後日、母が、「ANKHがそんな経験をしていて、そんな思いを持っていたなんて、まったく知らなかったけれど、ようやく“遅い、要領が悪い”と言われる人の痛みが分かった」というようなことを言ってくれたので、これは私としては大躍進だな、と思えたわけ。むかしここに書き込んだ『低能と呼ばれた事件』からすれば。
他人に分からない痛み(たとえば障害への無知や無理解の犠牲となってしまうこと)の経験というのは、しばしば人を「偏屈」にするし、「あの人何か怖い、いつか犯罪やらかすんじゃないの」といった認識を、周囲の心に芽生えさせてしまう。それらから開放してあげるにははたとえば、「べつに遅くったっていいんだよ」「できるようになるまで付き合ってあげるから」「いいじゃない、障害があったってなんだって。そこまで自分を責める理由を探す必要、ないんじゃないの」「君は本当はいい人なんだから。私には分かるの。他人の言ってることなんて真に受ける必要ない。世の中、耳を貸していい言葉と、聞かないほうがいい言葉ってあるのよ」といった、さいごまで“責任”ある言葉をかけ続けてあげることのできる、勇気ある理解者が、“犯罪者予備軍”呼ばわりされている、当の人間の周囲に、一人でもいるかどうかだと思うけどな。mさんもさっそくチェックしてみよう。
他の国じゃ分からないけどさ、日本人には「こんな出来損ない、将来ロクなもんになりゃしねえ」「まっ、蛇の道は蛇ってことよ」「いちど骨の髄まで汚れちまったもんは、何したって浮かばれゃしねえのさ」といったメンタリティに、支配されてるフシがあるって気がするのよね。それも大して古いものじゃなくて、さしずめ仁侠映画あたりから持ってきたんじゃないのかな。「社会不適応」者という目で見られている人たちっていうのは、そういう意味合いの言葉をかけられることが、「健常」者に比べて、めっぽう多い。「ロクでなしの子」だとか、まるで先祖の血というものが、何か本人に対して、オカルト的に働きかけているかのように言う、無知なイナカ者達からは、いっそ隔離しちゃったほうがいいの。隔離ができない状況にあるようなら、最低限、耳を貸さなきゃいいんだよねってことを、周囲は本人に、はっきり教えておく必要がある。
いままでに自分が何を経験し、何を言われてきて、それについて何を感じたか。それを言葉にして人に伝えようとすることは、本人の努力も必要だけれど、そういった言葉を受け止め、受け容れる態勢づくりをするのは、周囲の人々の義務なんだと思う。
こんにちは、白さん。きのうちょっと緊張しすぎてしまったので、今日は変調あさかぜ節でいってみたいと思います。ゆうべほとんど眠ってないから何書くかわからんぞ(と最初に言っておく!←このへんが小心者)
昨日の緊張たるや、どすこいおばさんが(脂肪のたっぷりついた熊よ、クマ!でなきゃトド!クマとトドに悪いけど)パソコンの前で何時間もかたまっている姿を想像してみたまえ。書き始めたのはたしか午前中だったはずだが、投稿したら午後になっていた……あ〜らカキコが増えてるっ!てな具合だ。
白さん wrote:
>何を言っても分かってもらえないし、全員から同じような考えを聞いていると、その感覚が分からない自分がとても惨めな、どうしようもない存在に思えてきて(中略)適切な比喩じゃないでしょうが、果てのない泥沼の中を、たった一人で歩いていくような、言いようのない悲しみに襲われるんです。
何を言っても分かってもらえないって、本当にそうかしらね? 自分の持ってる感覚というか、ものの捉え方を疑ってみたことはないですか? ひとくちに「コミュニケーション」と言っても、発信する能力と受信する能力の両方がそろわないと成り立たないということや、「会話はしていてもコミュニケーションが成り立っていない状況」というものもあるんだということは実感できていますか?
いきなりごめんよ。
「全員から同じような考えを聞いていると」ってところで、けつまずいちゃったものだから。人間はひとりひとり、みんなちがうよ。
ここの掲示板に来る人の多くは「痛み」とか「つらさ」「せつなさ」「悲しみ」といったものをたくさん知っていると思うのね。どうしようもない状況の中であがいている人だっている。それでも、何か伝えられるかもしれないと思って、白さんにレスをくれるんじゃないのかなぁ? これだけ多くの人がレスを返すってこと自体が(なかには普段発言をほとんどしない人だっている)白さんを無視できないってことの証明でしょ?
やさしいんだよ、みんな。「痛みを知っているからこその優しさ」だと感じるの、わたしは。だから素直に感謝しちゃう。ありがたいって思っちゃう。
説教臭いな〜。自分で書いててなんだけど、似合わないな、こういうの。人通りの多い往来で、いたいけな高校生をねちねちいびってるおばさんのノリじゃん。(うげげのげ)
だから、もうやめる。
> 今回は、それでもいい、わかりたい。
>その一念だったので、もう、僕の心など、どうなってもいいという思いだったんですね。
おいらさー、ちっぽけな人間だよ。まだまださ。ふっと肩の力抜いてさ、なんかこう「謙虚な人間モード」みたくなれたときだけ、受け取れるものってのがあるような気がする。幻かもしんないけど。いいのさ。人間は思い込みで生きてんだから。
> 彼女から、理解不能の反応を受けたときから、僕の心なんて、とっくにズタボロです。
大切に想う人がいるってことは、とっても大事なことだと思います。ものすごく大事!!
拒絶ではなかったのでしょ? 一回や二回のことであきらめる? わたしの叔父は叔母を妻に欲しいと七回頭を下げに通って、情熱で叔母の父親を口説きおとした人です。今どきそんなの流行らないって? そんなの人それぞれじゃんか〜。
情熱で突っ走れって言ってるんじゃないのよ(念のため)。自分にできることからこつこつとはじめる(あ、はじめてたんだっけ、ごめん)ことと、忍耐を身につけることだろうなぁとは思う。(自分に向かって言っているような気分)
対人関係のスキルはいくら磨いても磨きすぎるってことはないと思うので、この機会にありとあらゆる方法・手段を考えて考えて考えまくって、それこそ頭が爆裂するかと思うくらいに考えて(もうやってるんだわね、それも)、なおかつ自分自身を検証してから実行する……って、具体的じゃないね〜、我ながら。す〜ま〜ん。
>だから、あさかぜさんのレスに、正直泣きそうになってしまいました。
>有難うございます。また色々と考えてみます。
あの……真面目にご丁寧に、ありがとうございます。ほんとは、いい加減でぐうたらでワガママな奴のわたしとしては、恥じ入る以外なにもできないような気がします。
ガラが悪くてすまんのぉ。←こういうヤツなのじゃよ。
あなたの想い人のこと、大切にしてね。夢中になれる人がいるってことは、素敵なことだと思いますよ。心から。
こんにちわ風呂糸といいます。
いつもリンコさんの館長私的記録、楽しみにしています。(^^)
先日の1/5の日記の”救援物資”の書きこみが、自分のツボにすごくはまっちゃったので、書いています。
>ラッキーさを活かして先に逃げ切ることで、救援物資を持って戻ってくるこ
>ができるかもしれない。そ のことを、許してもらえるだろうか?
というやつです。
この文章を読んだとき、僕の頭の中に、リンコさんがみんなより先に「パタパタ」と駆けて行き、また走って戻ってくる姿が浮かび、とても良かったのです。(リンコさんに会った事ないですけど・・・)
リンコさん、後ろめたい、なんて思わないでください。
どんどん先に行って逃げ切っちゃってください。
多分嫉妬したりする人も、あまり居ないと思うし。
リンコさんが走って行った後、点々と残されていく救援物資やヒントを、
僕たちはゆっくり歩き辿りながら、時々自分の世界に「ポケー」と浸ったりしながら、進んでいきます。
リンコさん救援物資届いています!ありがとう。
風呂糸
吟遊詩人 wrote:
>見せている傷が傷だとは限らない
>人の傷が分からない人が傷付いていないとは限らない
>ここはアスペの星
つまり、心情的には、無差別殺人と一緒なのだと思う。
たぶんその人は、一人のアスペの人からいじめに遭ったことで、
全部のアスペの人を、憎んでいたのだと思う。
鯨夢ミグさん、名加野さん、Mariaさん、レスありがとうございました。
まだまだわたしは勉強が足りないですね。反省いたしました。
「一生懸命」でなくて「切実」を使えばよかったかな……。
鯨夢ミグさん、励ましをありがとうございました。
自分の力不足を感じながら、ぼちぼちと生きていきたいものだと思います。
けい(女性)さん wrote:
>私は普通になりたいと書きましたが、普通になりたいと思うのを辞めます。
>人から変と言われるんだから、変で個性的で楽しい人生送って”貴方は変だ”と私に言った人達を見返してやります。皆さん、偏見に負けないで生きましょう!
こんにちは。それが一番!ただ、私自身は「楽しい人生を送ること」、これ自体が見返すことだと思います。だから、Mr.Motoさんじゃないけど、「見返してやる」っていう発想はなくてもいいと思います。(私自身がそう思うようになったネタは、村上龍・著『69』より。)
また、過去ログになりますがNo.9361(障害は『克服するもの』なのか?? 2001.12.11 by武田さん)も、読んでみてはいかがでしょうか?(参考になるかもしれません。)
この場をお借りして。
本当は他の方にもレスしたいのですが、職場からのため、また後ほど。(アタマもカラダも「社会人モード」になんないわ〜、なかなか。…って、よく職場でこんなカキコするもんだ。 グルンサ)
タレイヌ wrote:
>ここからは、大人のお話。(さべつだ、さべつ!こどもさべつ?で〜〜す)
>夫様はpennpenn58さんのことを、心配しているのではなく、ご自分の心配を鏡に映すようにpennpenn58さんに、投げかけていらっしゃるのかもしれませんね、ご自分では全く気付かないで・・・・。
>夫婦という人間関係は、当事者同士には、きちんと見えないところ(見ない方がいい所?)があるのかもしれませんけれど(←ああ、自戒をこめて!)
タレイヌさん、私のことを気にかけて下さってどうもありがとうございます。何だか泣けてきました。涙もろい最近の私なのです。今日は学校の始業式。白君も学校に行って彼女にあっていることでしょう。
我が家もてんやわんやでやっと子供達を学校に送り出しました。もう精根尽き果てた感じです。誰もができることが私と私の子供達にはとても難しい。始業式の日にもっていく物をそろえること。できません。おまけに私は自分の国民年金の納入書をなくして2重にショック。生きているのがいやになってしまいました。
ただ当たり前に生活することが私にはとても難しい。必死でやっと耐えて生きています。あ、タレイヌさんが私のことを書いてくれている。あ、白君が私のことをちょっと話題にしている。と思いつつ、レスをすぐに返すことができなかったのはパソコンを使う時間が決められているから。ほっとくと何もしないでパソコンに向かいっぱなしになってしまう私は夫が不機嫌になるので夫がいるときはパソコンが使えない。
私には人の不機嫌がとてもこたえる。つらい。心を紙やすりでこすられるような気になってしまう。だから夫を不機嫌にしないために私は自分の心を犠牲にしている。私はほんとうは結婚などできる人間ではなかったのです。だのに結婚したのは、新婚旅行先で自殺しようと思ったから。
若い頃、ASの私は人に好意を持たれるのがとても苦手だった。中学でいじめにあってから私はひたすら普通になろうと努力してきた。で、なんとか普通らしく振る舞う術を身に付けはしたけれど人の好意に対してはどう反応したらいいのかわからなかったのでひたすら好意に気がつかないふりをした。直接、好きです、ずっとあなたのことを見ていましたなどと言われるとほんとうに恐怖を覚えてパニックになってしまった。
私にはいじめに2次障害として人格解離の症状もあり、一般的には多重人格と言われているものなのだけれどほんとうの私は男性恐怖症なのに他人格がでると平気で男の人を誘ってしまって朝になってほんとうの自分に戻ってパニックになるということもありました。で、生きているのがいやになって私は自殺しようとしたのです。でも死のうとしてうろうろ町をさまよっていたらナンパされてしまってついまた他人格がでてホテルで一晩過ごしてまた死にぞこなったわけです。
トホホな気分で自宅に帰ったら私をなんとか普通にしたい両親が見合い話を用意していてそれまでは見合いを断り続けていたのだけれどもう断る気力もなく結婚したのです。
といういきさつで結婚した私は夫に負い目があり、夫に逆らえないのです。ほんとうのことも言えないのです。高校生の白君、おばさんはセックス恐怖症です。でもこれも言えないの。悪いから。セックス恐怖症で結婚なんて詐欺同然だから。
夫は私を心配している。鬱病になって自殺未遂なんかしたから。で、私をなんとか普通にしたいと思っている。とんちんかんだから。でも、私はできれば、私をそっとしておいてほしいと思っている。心配していろいろ言われるのがつらい。耳をふさぎたくなる。でも義務と思って我慢しています。
白君、彼女は君の好意にとまどっていると思う。今は他の人と同じように彼女に接してほしい。そうすれば君のことは遠い未来、やさしい思い出になると思うよ。
momo wrote:
こんにちは。
同じような境遇ですね。私は逆に母に負けないような立派な職業婦人になりたかったんだけど…馬鹿ですからねぇ、夢破れました。妹がばりばりやってるだけに、私が母に認められる日はこないでしょう。
>30になって、ステキなダンナさんは私の病気と
>真っ向から闘ってくれるそうですが、
>はたしてどれほどかかるのか。
>頭のおかしいカミサン置いて。どっかいっちゃうんじゃないか。
>そんな昔からの不安で不安で、鬱病とかやってます。
鬱病は薬とかでかなり良くなるそうだから、先ずはそちらからですね。
ASのほうはご主人に慣れていただくのがよいかと。普通の奥さんとか普通の家庭生活とか望まれると困りますね。ただご病気だとわかってて結婚なさったのだから、ご主人も覚悟されていると思います。「病弱な妻を支える夫」。結構TVとかにも出てくるじゃないですか。ご主人との家庭を居場所にしましょうよ。「病弱な妻」になるんです。
私もASのくせに二児の母だったりします。もう専業主婦9年目かな。社会復帰は不可能だと感じています。社会情勢から逆行していることに不安や焦りを感じないといえばうそになるし、ダンナになにかあったら足手まといにしかならないであろう自分にも怒りを感じます。
たぶんmomoさんが感じているような不安をかかえたまま9年間やってきたと思います。
ま、こういう人生だってあるんだろうと…弱音を吐かぬようにはしてるんですけどね。(今結構元気だから…鬱なら、ったく誰か殺してくれよ、とか思ってますけどね)。
わかいみなさんがどんな風に現在に対して
憤っているのか判ります。
私もそういう時を過ごしてきました。
その後のことです。
自分で自分の食費を稼ごうと思った時、
小さい時からの夢と親から拘束され続けた価値観が
攻めぎあいながら、結局何も出来ず、
なにも、なにもしたくなず、
ただひたすら「専業主婦になりたかった」
それは自称フェミニストの母に対する反抗であったから。
30になって、ステキなダンナさんは私の病気と
真っ向から闘ってくれるそうですが、
はたしてどれほどかかるのか。
頭のおかしいカミサン置いて。どっかいっちゃうんじゃないか。
そんな昔からの不安で不安で、鬱病とかやってます。
どんなもんでしょうか。
名加野くん wrote:
> 「一生懸命(いっしょうけんめい)」ではなく、「一所懸命(いっしょけんめい)」で行くのはどうですか?
> 漢字的にもしっくり来ますし。
> 何で皆あまり使われないんでしょうか?
×一生懸命 ○一所懸命
与えられた一か所の領地に命を懸け、生活の頼みとすること。
×大盤振舞 ○椀飯振舞(「椀」の字は、土へんに「宛」とも)
江戸時代、一家の主人が親類・縁者を招いて酒食のもてなしをすること。
(Maria)
白さん wrote:
>なんだか、何が質問なのか、よくわからなくなってしまいました。
>
>それにこういうことを書くと、やっぱり女の子のことじゃないかと言われそうですね。
わたしは、AS傾向がすこしあるとはいえ,だいたい健常者なので、参考になる意見を言うことは出来ないと思い、レスを控えていましたが、自分なりにこう思うということだけ書いてみます。
彼女がASであるなら、自分がどこか普通の人と違うということを必ず心の中で気が付いていると思います。そして、全くそのままでいていいと思っているわけでもないと内心には(顔に表れなくても)少しは葛藤があるのではないでしょうか。
学生のうちは、親元にいてあまり問題が表面化しなくても(彼女が障害者であることからくる問題)、将来必ず彼女は自分自身の社会性としての壁にぶつかる時がやってくると思うのです。その時こそ、あなたの大きな愛を必要とする時かも知れません。高校生活という限定された枠の中では、恋愛の大きな進展を見るのは無理だと思います。特に彼女がASならなおさらといってよいでしょう。
彼女とは、何らかの方法で連絡を取れる状態にはしておくとよいでしょう。年賀状やメールなどできちんとつながりを持ち、さりげなくアピールしておかなくては。
趣味をチェックしておくのも大事なことです。
若さからくる一時的な情熱でないとあなたが真剣に思うなら、時を待たなくてはならないと思います。そして、彼女を一人の妻として養う甲斐性ありとして自分に自信を持った時、立派な男性として彼女の前に出て行きましょう。気の長い話かもしれないですが、そんな風に愛されたらいいなと思う私の理想を述べてみました。
愛についての説明
愛は辛抱強く、また親切です。愛はねたまず、自慢せず、思い上がらず、みだりな振る舞いをせず、自分の利を求めず、刺激されてもいらだちません。傷つけられてもそれを根に持たず、不義を歓ばないで、真実なことと共に歓びます。すべてのことに耐え、すべてのこと信じ、すべてのことを希望します。愛は決して絶えません。 コリント第一13章4〜8節
愛とは若さに伴いがちな情熱とは違うものです。そして希望の未来を信じて生活することが愛の証明でもあります。神の言葉通りの愛の信念によって、彼女の心の中にもあなたへの愛と信頼が生まれたとしたら、どんなに素晴らしいことだと思いませんか?そして、今、彼女を思うその清々しい心情のあり方を生涯忘れないでいて欲しいと思います。それは若者だけにある大変尊いものだと思うからです。
けいさん wrote:
> 私は普通になりたいと書きましたが、普通になりたいと思うのを止めます。
> 人から変と言われるんだから、変で個性的で楽しい人生送って”貴方は変だ”と私に言った人達を見返してやります。皆さん、偏見に負けないで生きましょう!
それはとても良いことなのだが、下らん連中に振り回されて生きるのは馬鹿馬鹿しいので、「見返してやる」なんつー発想は捨てたほうが楽だぞ。
相場の世界では「損切り」ができん奴は相場に手を出しちゃいかんということになっている。ただでさえ厭な目に遭ったのだから、この先その体験に振り回されてさらに厭な思いをすることもあるまい。それより、ばっさり「損切り」して自由に生きたほうがよかろうと思う。
Lingkoさん wrote:
> 就職はできたことがないけど、外出もあんまりままならないけど、家にいたままできる仕事を選んだおかげで就職はしないでも就労はできているから、ずるい。本当は自分でそんな自分をナイフでメッタ刺しにしてやらなきゃいけない。そう頭では思うのに、そんな気になれない。死にたいとはこれっぽっちも思えない。
けいさんにしろLingkoさんにしろ、たぶん人生に真面目に取りくんできたのであろう。そういうひとは世間のためにも不幸になっちゃいかんのである。正直者が馬鹿をみる世の中では、「正直」という美徳に対する信頼感がゆらいでしまう。だから、真っ正直に生きてきた人間が報われないと、「きっと本人に悪いところがあったのだ」みたいな「被害者非難心性」というのの餌食にされてますます不幸になる。あるいは、「それは前世の悪因縁です」とかいってアヤシゲな宗教がすり寄ってくる。
まっとうに生きてきたひとは、幸せになって人生を楽しまなければいけない。それは義務である。個人のエゴではなくて、世間のためなのである。そして、「人生は楽しい」という喜びを持たなければ、まっとうに生きてきたにもかかわらず、不幸せな人たちを救うことはできない。「罪悪感→贖罪としての奉仕」なんていう発想は、宗教革命以前の教会による免罪符発行とか、ライオンズクラブやロータリークラブの年寄り連中や日本財団に任せておけばよい。
マザー・テレサは「人生の楽しさ」を捨てて救済活動に身を投じたのではない。「人生を楽しむこと」の一部として救済活動があったのである。そこんとこを間違えてはいけない。
重ねて言う。人生を楽しめない人間は周囲の人間を不幸にする。
塩野七生さんによれば、「ストイック」の語源となったストア派は、セックスの快楽を否定するのではなく、むしろ賞賛していたのだそうだ。「ストイック」を「禁欲的」と訳すのは間違いで、今あるものを無駄なくおいしくいただくのは、むしろ賞賛されるべきことだったのである。相手に悦びを与え、自分もそれを楽しみ、子孫繁栄に貢献するのは、確かに良いことなのである。
わが大森総研では、ここ数年「いかにおいしくお粥を炊くか」「いかに日本茶をおいしく淹れるか」「大根をいかにおいしく煮るか」といった研究にけっこう余念がない。で、スタッフをはじめその家族にもかなり好評である。自分の人生をせいいっぱい生きることと、社会に対してせいいっぱい貢献することは、車の両輪なのだ。社会に対する貢献は、自己犠牲であってはならない。あくまで自己実現でなくてはならないのである。
イエスは「天に宝を積みなさい」と諭した。この場合の「天」は、空想上の天国ではなく、「公共の資産」としての社会資産である。「情けは人の為ならず」。余剰資産は社会にストックし、社会資産を浪費しない、というのがイエスの基本思想である。これは日本の「商道」「始末」といった思想に通じる。中産階級であったパリサイ派がイエスの支持母体であったこととも、これは関係している。「豊かであること」は悪ではない。「満ち足りていること」は悪ではない。豊かさと充足を知らない人間は、人を幸せにできないのである。イエスが「飲んだくれの大喰らい」のイメージを拒否しなかった理由は、ここにあるとおれは思っている。
皮肉屋のおれではあるが、愛子さまの誕生には喜びを感じている。サーヤさまこと紀宮さまにも幸せになっていただきたいと思う。いや、幸せになっていただかないと、国民が困るのである。もちろん「あるべき幸せ」なんていうものを押しつけられてお苦しみになられても困るので、「自分の幸せ」というものを見つけていただきたいと思う。で、できれば「こういう幸せもあるのだ」というのを国民に示していただきたい。
幸福は、快楽とイコールではない。人生における充実感、である。「私はやるべきことをやった」という充足感は、いかなる美酒にも勝る美味である。思えばイエスも、十字架上で「成った」とつぶやいて果てた。「苦き杯」は、「勝利の美酒」と変じたのである。
どうか幸せになってほしい。そうしたらおれも好き放題の批判ができる。おれも不幸な人間を叩くのは気分が悪いから(^_^;)。
(Mr.Moto)
白 wrote:
皆さんに向けても質問させてください。
>
>
白さんこんばんは
久しぶりに出没した銀八です。今年45歳のおっちゃんです。
過去ログも読んでみました。
なにか他人事とは思えず、ひとこと云っちゃいます。
>やっぱり女の子のこと
大事なことだと思いますよ。
今の白さんは私の高校時代と同じような状態なのかなあ。
切ない思いが文面から伝わってきて、自分の大昔の経験と重なって
しまいました。
今、彼女とほんの少しでも関われることをおもいっきり楽しんだら
良いとおもいます。少ししか関われないやるせなさも含めて。
けいさん(女性) wrote:
>私は普通になりたいと書きましたが、普通になりたいと思うのを辞めます。
>人から変と言われるんだから、変で個性的で楽しい人生送って”貴方は変だ”と私に言った人達を見返してやります。皆さん、偏見に負けないで生きましょう!
そのとおりです。自分はかわいい子リスちゃん、たぬきやきつねや熊やライオンの真似なんかしなくていいんだって思いませんか?
ウ〜ン、こんなたとえでいいだろうか。四苦八苦で考えたんだけど。
松の内も終わっちゃったわね。今年はさっぱり正月気分がない。
Maria wrote:
> アナログの時計とディジタルの時計は、「好み」というより、脳の中での認識のされかたが違います。アナログ時計を五分進めている人はけっこういますが、ディジタル時計を五分進めている人をあたしは知りません。
やったぁ、いちばんのりだ。
デジタル・アナログに関わらず手持ちの時計はほぼ全部 (*) 3〜15分すすめてあります。(室内の小さい時計はは5分、腕時計は3分。壁掛け一つだけ15分。)
(*) パソコンとビデオデッキの時計だけは外部同期によりぴったりになっている。
もともと自分の遅刻癖をなんとかしようと、部屋に時差を作るためにはじめたことですが、遅刻が数時間に及ぶようになった最近では完全に無意味になっています。
# アナログデジタルではなく、「時間」の認識のしかたが他人と違うのかもしれない。
けい(女性) wrote:
>私は普通になりたいと書きましたが、普通になりたいと思うのを辞めます。
>人から変と言われるんだから、変で個性的で楽しい人生送って”貴方は変だ”と私に言った人達を見返してやります。皆さん、偏見に負けないで生きましょう!
そう、それが一番です!
わが命 白梅に接ぐ 紅梅か
雪に打たれも 色あせず咲く
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