アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re: どうしてもできないんです。 10229へのコメント
No.10233  Thu, 10 Jan 2002 00:25:18 +0900  ふれ [この発言にコメントする]

あおび さんwrote:

薬とか飲んだりしているんですが、それでも、仕事のことで頭がいっぱいで、「仕事できるだろうか・・・。」とこだわって、イライラして、母に詰め寄ってギャアギャア言うんです。どうしたら、自分をコントロールできるようになるんでしょうか。このごろあせってばっかりです。どうしたらいいでしょうか。

No.9583に簡単なストレス解消のための、瞑想呼吸法書いてあります。ためしにちょっとやってみてください。

それから、私も以前結構いらいらすることがあったのですが、今はとても落ち着いているようになりました。それはサプリメントのせいだと思っています。お勧めできるのは、なんといっても大豆レシチンです。

人間の神経細胞は、長い突起状になっており、その外側はレシチンの膜でおおわれています。そして脳から指令が発せられると神経細胞からその突起を伝わって隣の神経細胞に指令が伝達され、それが末端にまで届く仕組みになっています。このときレシチンが不足して膜が弱くなっていると刺激が外に漏れ、神経系統の働きにトラブルが生じます。

大豆レシチンを飲むようになって私はイライラや不眠がかなり解消され、本当によかったとおもっています。ファン〇ル社の大豆レシチンは値段も安く、錠剤で飲みやすいので愛用しています。薬ではないので、効果がはっきり出るのには、個人差がありますが、1〜2ヶ月かかるでしょう。記憶力、血行、肌荒れにも効果があります。

あと、カルシウムやエゾウコギも精神安定に効果ありです。

普段から食べるものに注意して、牛乳を寝る前に飲むとかいろいろ工夫してみると大分違ってくるようです。


Re: どうしてもできないんです。 10229へのコメント
No.10232  Thu, 10 Jan 2002 00:18:32 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

あおび wrote:
>僕は障害者職業センターに仕事を探してもらうのを依頼しているんですが、その返事がなかなか来なくて、イライラして、母にせっついたり、パニックになってギャアギャア言ったりしてしまいます。要するに自分をコントロールすることができないんです。薬とか飲んだりしているんですが、それでも、仕事のことで頭がいっぱいで、「仕事できるだろうか・・・。」とこだわって、イライラして、母に詰め寄ってギャアギャア言うんです。どうしたら、自分をコントロールできるようになるんでしょうか。このごろあせってばっかりです。どうしたらいいでしょうか。

そんなときは、散歩に出るのが一番だと僕は思うが・・・
 特に飲んでいる薬が「マレイン酸フルボキサミン(通称:ルボックス)」「リタリン」であれば、なおのこと1日につき1時間くらいはこれをやったほうがいい。これは脳に酸素を含んだ血液がスムーズに流れていき、それと一緒に薬が本当に必要な部署に届いて、無駄な作用を起こさないという『脳内環境』を作るのに役立つだろう。

 あるいは主治医の先生と相談して、薬の量を極力減らすことを考えるのも、ひとつの手と言える。抗うつ剤や抗不安剤は、かなりの量を飲まない限り死ぬということがない比較的安全な薬だといわれているが、それでも1日につき50mg*3とかを漫然と飲まされ続けていると、イラつきとか・依存症・むくみなどの副作用が出る場合があるようだ。ある発達障害の専門家は著書の中で、適切な薬の量について、「青年期でも一般の精神病疾患に比較した時、非常に少なくても良いのが普通である。」と説いている。僕もYPDCでマレイン酸フルボキサミンを処方してもらっているが、やはり1日につき25mg錠を寝る前に一粒と極めて少ない量である。


Re: 社会不適応と犯罪 10227へのコメント
No.10231  Thu, 10 Jan 2002 00:09:30 +0900  Mr.Moto [この発言にコメントする]

 どうもよくわからない。

 pennpenn58さんは、Mariaの書込みをこういう形で引用している。

---
Maria wrote
>
> そんなわけで、常に「ぶっちゃけた話」ができるような「状況」を作り出してくれる相手というのは、いわゆる礼儀作法から外れていても無礼な印象を与えないというか、「ざっくばらん」な、あるいは逆に上品な印象を与えたりするわけです。
> で、そういうひとは一見無防備に見えます。そうすると、「ご迷惑ですか?」とか「私のことが嫌いですか?」とか言いながらづかづか踏み込んでくる奴というのがまたいるのね。腰が低そうに見えるけど、そのじつ厚かましい。
>
中略
 これは本人のせいじゃないだろうけど、そういう人とはつきあわないほうが安全だとあたしは思います。かわいそうな話だけど。
---

 ところが原文はこうだ。長くなるが勘弁してくれい。

---
 こうした「やりとり」のことを心理学の用語では「トランザンクション」といいます。で、トランザンクションのやりとりを分析するのが「交流分析」と呼ばれる手法なのだけれど(エリック・バーン著/南博訳『人生ゲーム入門 人間関係の心理学』河出書房
新社)、いわゆる「世間語」というのは、相手と自分の関係をある枠組に押し込めて、自分の「ゲーム」に引きずり込むための入口なのね。

 だから、「相手を思い遣っているように聞こえる、“優しい”言葉」でも、相手に本当のことを言わせないという圧力になるように、「状況」が設定されている。「些少ですが」と言われて「それにしても少なすぎない?」とは言い返せないし、「そんなに私が信用できませんか?」と訊かれて「まるっきり」とも答えられないわけです。いわゆる「慇懃無礼」というのもこれの一種のような気がします。「タテマエ」の中に相手を押し込んで「ホンネ」を言わせないのね。

 こういう物言いをする人というのは、極度に防衛的です。だけど、それは自分の攻撃性を「世間」に貼りつけていて、「世間が私につらく当たるのだから、それに対抗するのは当然だ」と思っているからだったりすることが多い。

 そんなわけで、常に「ぶっちゃけた話」ができるような「状況」を作り出してくれる相手というのは、いわゆる礼儀作法から外れていても無礼な印象を与えないというか、「ざっくばらん」な、あるいは逆に上品な印象を与えたりするわけです。
 で、そういうひとは一見無防備に見えます。そうすると、「ご迷惑ですか?」とか「私のことが嫌いですか?」とか言いながらづかづか踏み込んでくる奴というのがまたいるのね。腰が低そうに見えるけど、そのじつ厚かましい。

 交流分析でいう、「潜在的かつ補完的なトランザクション」というのがあって、「世間語」が嫌いな人は、これを上手く使いこなしているようです。
 「寒いですね」「鍋には向いてる陽気だけどね」とかいうのは、相手が「世間語」で相手をコントロールしようとするタイプの人間か、それとも「自分の言葉」で語るタイプの人間かを判定する試金石みたいな反応です。こうやって会話の端々にジャブを入れて相手と「じゃれる」タイプのひとは、おおむね信頼できるひとです。

 だけど、なかなか先に手を出すのが怖いんですよね。相手が「世間語」で武装してるタイプだと、じゃれたつもりが本気のストレートが返ってくる。こっちはガードを下げているものだから、容赦なく喰らっちゃったりします。そんでもって「非常識」とかいって非難されます。

 会話って、ボクシングに似てるかな、と思います。防禦も攻撃もちゃんとできているひととは、安心してつきあえる。その点、素人さんは怖いです。背後からいきなり金属バットで殴るような真似をしかねませんから。

 これって、たぶん親や教師がいけないんだと思う。本当の意味で「対話する」ということをしてこなかったから。で、思春期以降、ひとと対話するという体験をしてこなかったものだから、権力だとか罪悪感だとか怒りだとかでしか人を動かせなくなっちゃった。

 これは本人のせいじゃないだろうけど、そういう人とはつきあわないほうが安全だとあたしは思います。かわいそうな話だけど。
---

 pennpenn58さんの引用をだけを見ると、まるでMariaが『「ご迷惑ですか?」とか「私のことが嫌いですか?」とか言いながらづかづか踏み込んでくる奴』について『これは本人のせいじゃないだろうけど、そういう人とはつきあわないほうが安全だとあたしは思います。かわいそうな話だけど。』と言っているように(少なくともおれには)読める。

 ところが原文を読むと、これは『こういう物言いをする人(=「世間語」を操って相手の主張を封じる人間。註はおれ)というのは、極度に防衛的です。だけど、それは自分の攻撃性を「世間」に貼りつけていて、「世間が私につらく当たるのだから、それに対抗するのは当然だ」と思っているからだったりすることが多い。』と言っていて、『相手が「世間語」で武装してるタイプだと、じゃれたつもりが本気のストレートが返ってくる。こっちはガードを下げているものだから、容赦なく喰らっちゃったりします。そんでもって「非常識」とかいって非難されます。 』と続き、さらに『素人さんは怖いです。背後からいきなり金属バットで殴るような真似をしかねませんから。 』という言及があって、『これは本人のせいじゃないだろうけど、そういう人とはつきあわないほうが安全だとあたしは思います。かわいそうな話だけど。』という結論に至るのである。

 だいいち、『「ご迷惑ですか?」とか「私のことが嫌いですか?」とか言いながらづかづか踏み込んでくる奴』をどう扱おうが他人の口出しするような問題じゃあるまい。それに、べつにMariaがpennpenn58さんを『「ご迷惑ですか?」とか「私のことが嫌いですか?」とか言いながらづかづか踏み込んでくる奴』だと糾弾している訳でもないのである。で、自閉症方面の人間たるおれとしては、「まあ、迷惑だろうなとは思ってんだけど」と言われて「まったくだ」と笑って答えられ、「たぶん嫌われてるだろうとは思ってるんだろうけどさ」と言われて「『いつか殺してやる』と思ってるよ」と軽口を叩けるような相手以外とは正直お近づきになりたくない。真顔で「ご迷惑ですか?」とか「私のことが嫌いですか?」とか真顔で迫られたら、そりゃあんた、逃げますよ。逃げて当然です。

 ところがpennpenn58さんの主張は、こうである。

> 私は自閉圏の人にははっきりと迷惑ならそう伝えてほしいとMariaさんにお願いしたのです。そういう時に相手がいきり立たないようにするためにこそ会話の技術というのは力を発揮するのではないでしょうか。相手がわかるようにはっきりとしかし、相手が傷つかないように。あつかましい相手でも少なくとも悪意でそういっているのではないのですから。

 「自閉圏の人には、はっきりと迷惑ならそう伝えてほしいとお願いした」はいいのだが、自閉症方面の人間とはっきり分る相手ならともかく、そうでない人間には用心せざるを得ないし、まして「お願いされた」からといって必ず言われた通りにしなきゃいけないというものでもあるまい。「金に困っているので、金を持っているのだから貸してくれ」という相手に「困っていると言ったって、どうせ遊ぶ金だろう」とか「確かに金は持っているが、お前に貸す金はない」とか答えて殺された奴なんていうのは珍しくもあるまい。「いや、こう見えても借金だらけなのだ。じつは返済を迫られないように、金を持っているように見せかけているだけなのだ」くらいの嘘は許されてしかるべきである。

 うち(大森総研)のメンバーは少なくとも自閉症方面の人間である疑いがかなり濃厚であり、自閉症に関する理解も人並み以上にあると思っている。したがって、自閉症方面の人間には、迷惑だったらはっきりと「迷惑だ」と告げるのが相手にとっては望ましいというのは理解できる。

 ただ、それは我々にとってはけっこうリスクの大きいことであって、それがためにJoshya氏やKILROY氏はオフ会にはまさしく戦々兢々たる気分で出かけているのである。そりゃまあ相手が「悪意でそういっているのではない」つもりでいるかもしれませんけどね、「悪意でそういっているのではない」つもりでいるからこそ拒絶されるといきり立つということもあるわけですよ。それを「そっちでなんとかしろ」というのは、無茶というものです。誰とは言わんが(べつに言っちゃってもいいのだが)はっきり自閉症方面の人間だと分るような相手だったらうちの連中だって「殴られるんじゃないか」なんていう心配はしない。相手には(少なくとも相手なりの)殴るに足る理由があり、こちらには(少なくとも相手なりの)殴られるに足る理由を認識し、「殴るぞ」「ああ、殴られるのか」という確固たる了解の下に殴られ、「な、殴ったな!」「ああ、殴ったとも」と相互に承認できるであろうからだ。
 そんなわけで、「ひょっとしたら殴られるんじゃないだろうか」と思ってオフ会に出席するなんぞはわざわざ殴られに行くようなものである。だいたいこういう場合の「殴る」というのは単に物理的な打撃を加えるということではないのである。そこに「相手の価値観を否定する」というメッセージが込められており、殴られる側がそれを「侮辱」と捉えるからこそ「殴る」という行為が成立するのである。相手が「私には殴られる理由がわからない」とかいったら、「殴る」という行為自体が成立しないのである。自閉症方面の人間は、相手を「殴る」行為によってすら、「おかしな奴が訳のわからんことをした」といった形で片付けられ、相手に何も伝わらないことを知っているがために、物に当たったり自傷行為を行なったりするのである。それをわざわざオフ会の席で「おれなんかこの中の誰に殴られたっておかしくない」とか宣言するなんざ馬鹿の骨頂だ。

 ボクシングにおける「殴る」という行為の意味は、殴り殴られる双方にとって明確に把握されている。だから社会的に承認されているのである。ボクサーだからといっていきなり殴りつけていいというのは、ポルノ女優だからヤッちゃっていいという程度の暴論である。

 pennpenn58さんにはNo.10221の書込みをよぉーっく読み返していただきたい。おれが言ったことははからずもシュッツさんが引用した部分だけだ。あとはイエス先生ではないが、「それはあなたの言ったことである」。冒頭に述べた通り、pennpenn58さんは頭の中で勝手に自分の「Maria」像(あるいはおれの像)を作り上げて勝手に攻撃しているだけである。ところがそれはpennpenn58さん自身の姿だ。筑波山の四六ガマじゃないが、それはおのが姿に驚いて毒を吐いているだけのように思う。

 「あんたみたいに口の達者な人間には、私のような口下手な人間の気持はわからないだろう」みたいなことは言わんほうがいい。自閉症方面の人間が、自分を守るために死にもの狂いの戦いの中で身につけてきた技術がこれなのである。それが分らん奴は、たぶん苦労が足らん。

 (Mr.Moto)


Re: 社会不適応と犯罪 10228へのコメント
No.10230  Wed, 9 Jan 2002 23:28:44 +0900  硝子 [この発言にコメントする]

pennpenn58 wrote:

>>
>はい、自意識過剰だと思います。
>きっと被害妄想なのでしょう。

 かもしれません、ではなくて、「はい〜思います」「きっと〜でしょう」なのですから、その通り受け取っていいのでしたら、pennpenn58さんは、実際には存在しない、pennpenn58さん個人への攻撃を感じてしまったけれど、現在では、それが実際には存在しなかった、と認められた、という意味になるかと思うのですが、だとすると、それ以下にpennpenn58さんが書かれていることと矛盾すると思いますが....。


どうしてもできないんです。
No.10229  Wed, 9 Jan 2002 23:16:08 +0900  あおび [この発言にコメントする]

僕は障害者職業センターに仕事を探してもらうのを依頼しているんですが、その返事がなかなか来なくて、イライラして、母にせっついたり、パニックになってギャアギャア言ったりしてしまいます。要するに自分をコントロールすることができないんです。薬とか飲んだりしているんですが、それでも、仕事のことで頭がいっぱいで、「仕事できるだろうか・・・。」とこだわって、イライラして、母に詰め寄ってギャアギャア言うんです。どうしたら、自分をコントロールできるようになるんでしょうか。このごろあせってばっかりです。どうしたらいいでしょうか。


Re: 社会不適応と犯罪 10225へのコメント
No.10228  Wed, 9 Jan 2002 22:56:14 +0900  pennpenn58 [この発言にコメントする]

あんく wrote:

> 掲示板に活発に書込みできる人間がいるからといって、それがなにか私やあなたの人生に甚大なダメージを及ぼすことがあるかしらね?なんでもありゃしないじゃん。自意識過剰であることをやめ、「人は人、自分は自分」の原則を徹底してれば、他者の書込みを「無神経である」などとやらかしちゃったりしないと思うのね。
>
はい、自意識過剰だと思います。Mariaさんのカキコは私個人に向けられていると感じましたから。きっと被害妄想なのでしょう。私もMariaさんのカキコを楽しみにしている人間です。大森総研の皆さんのカキコはそれぞれおもしろい。それを書くエネルギーにはいつも感心しています。頭が下がります。ただ火の粉が自分に降りかかってきたと感じられたらやはり、尊敬する方に対しても一言心情を述べたいと思います。


Re: 社会不適応と犯罪 10221へのコメント
No.10227  Wed, 9 Jan 2002 22:35:49 +0900  pennpenn58 [この発言にコメントする]


>Maria wrote
>
> Mariaの書込みは、「世間語」に絡めとられてコミュニケーションを封じられ、自分の言いたいことが言えなくて悩んでいる人間に向けられたものだ。
>
Mariaさんのカキコに「会話ってボクシングに似てるかな、と思います。防禦も攻撃もちゃんとできてる人とは、安心してつきあえる。その点、素人さんは怖いです。背後からいきなり金属バットで殴るような真似をしかねませんから。」という箇所があります。アスペルガーの人はおおむね、会話の素人さんになることが多いのではないでしょうか?Mariaさんの先のカキコは私には、一般の人に向けたメッセージにしか思えませんでした。そしてMariaさん自身も自分を自閉の人間に規定しているようには感じられませんでした。

> pennpenn58さんは文章から判断するに『「ご迷惑ですか?」とか「私のことが嫌いですか?」とか言いながらづかづか踏み込んでくる奴』に対して「迷惑です」とか「嫌いです」とはっきり言うのが「正しい」ことだと信じているのだろう。ところが、そんなことをすれば「なんて失礼な奴だ」と相手はますますいきり立ち、ますますしつこく絡んでくるのである。

私は自閉圏の人にははっきりと迷惑ならそう伝えてほしいとMariaさんにお願いしたのです。そういう時に相手がいきり立たないようにするためにこそ会話の技術というのは力を発揮するのではないでしょうか。相手がわかるようにはっきりとしかし、相手が傷つかないように。あつかましい相手でも少なくとも悪意でそういっているのではないのですから。
>
> pennpenn58さんは知っているだろうか。われわれ自閉症方面の人間が、「はっきり言ってくれ」「正直なところを聞かせてくれ」とかいった要求にうっかり応えた結果、どれだけ痛い目を見てきたかを。
>
はい、私も自閉方面の人間です。いじめにあった中学の時からひたすら普通になることを目指してきました。ですからそれがどの程度うまくいき、世間からどう見られているのかはわかりませんが世間からは十分痛い目に遭ってきました。ですから私の言葉はおおむね、平凡な世間語ばかりかもしれません。反発されないよう、いじめられないような言葉ばかりを発するようになりましたから。私はMr.Motoがおっしゃるように「世間語」の達人かもしれません。けして人には逆らうまいと中学の時に決心しそのように生きてきました。私の「世間語」は卑屈な人間の「世間語」であり、人に好意を持たれたことはほとんどありません。

> 自閉症方面の人間とつきあいたかったら、「世間」にどっぷり洗脳された頭をどうにかしてからにしてもらいたい、と思う。この場所は自閉症方面の人間が「ぶっちゃけた話」をするための場所である。
>
私も世間で嘘をつきつつ生きるのにつくづく疲れこの掲示板で本音で発言しています。

> ……そう。こういった「率直な」書込みを掲示板に載せるから、おれは神経を疑われるのだ。
>
言動一致を期待しています。 


Re: 社会不適応と犯罪 10224へのコメント
No.10226  Wed, 9 Jan 2002 21:25:42 +0900  Mr.Moto [この発言にコメントする]

シュッツさん wrote:
> 「率直」であることと、文章に裏の意味があるかどうかとは、別の次元の話なんでしょうか?

 別なんだろうな、たぶん。

 『「率直」であること』というのは、何を言うかという部分に関わっており、『文章に裏の意味があるかどうか』はどういう形でそれを伝えるかということと、あとで「貴様には人の心というものがないのか!」とかいって責められたときに言い逃れができるかどうかに関わっているのだ(-_-!)。

 「相手の主張を、立場を入れ換えてそのままお返しする」という方法は、相手がさらに反論してきたときにその反論がそのまま相手に返ってゆくので、相手が自分のやってることが分ってない場合に、相手が自分のやっていることを分らせるのに効果的なのである。「殴られた人間の痛みを知れ」と殴りかかってくる奴を「おれだって痛いんだ。おれの痛みを知れ」と殴り返したところで殴り合いが続くだけだ。それより相手が自分で自分を殴るような状況に放り込んでしまえば、相手も自分が何をやっているか気がつくというものである。

 「率直」というのは、単に「まわりくどい方法を用いない」というだけの意味でななかろうと思う。「相手に伝わる方法のなかでもっとも効果的な(双方にとって負担のない)方法を用いる」という意味がそこにはありそうに思う。相手に伝わりやすく、おれにとって面倒臭くない方法であれば、まわりくどいように見えてもそれが「率直」な方法だとおれは思う。

 (Mr.Moto)


Re: 社会不適応と犯罪 10221へのコメント
No.10225  Wed, 9 Jan 2002 20:13:13 +0900  あんく [この発言にコメントする]

pennpenn58さんへ

 う〜ん、要するに、自意識過剰になりすぎることを警戒すべきってことじゃないのかな。「あなたのこの文章が、これこれこういう立場の人々に、どれだけ苦痛を与えることになるか、あなたは想像したこともないのでしょう。不快です」といった発言は、一見正当な理由ある義憤からきているようでいても、
pennpenn58さん wrote:
> アスペルガー症候群の人間ははっきりものを言われないと相手の気持ちを察することが苦手な人が多いのです。Mariaさんの対応にアスペルガー症候群の人間は何だかわからないけど嫌われたときっと傷つくと思います。そしてアスペルガー症候群の人間の傷はなかなか癒すことが難しいのです。

 こういったたぐいの「あげつらい」は、自分としてもあまり気持ちのいいやり方ではないのですが。
 「アスペルガー症候群の人間は〜」以下の文章は、正確には「わたくしpennpenn58は〜」なんだと思うんだよね。自己の本音を、とあるグループ全体のメンタリティにすり替えちゃってるっていう。私なら、「嫌いですか」「迷惑ですか」といった類の、「許すまでは許さねぇぜ!」的粘着質の“擦り寄り”には‘What a stupid question! Why don't you shat it?’と応じるのみだ。
 きっとpennpenn58さんはいまのいままで、他者に「私のこと嫌い?」という質問を投げかける立場に立つのみで、じゃあ逆に、他人にそう尋ねられた場合、自分ならどう応じるかっていう発想に、立ったことが無いのかもしれない。他者とじっくり腰を据えて、真剣に向き合ったことのない人というのが、しばしばそういう状態に陥りやすいの。pennpenn58さんなら、どうお答えになられるだろうか。きっと「そういう質問をされること自体が嫌いだし、迷惑」と、応じることになるんじゃないかな。自分中心の考え方をやめるというのは、たとえばの話、そういうこと。
 
> 思うにpennpenn58さんはきっと自分が(中島先生の言う)「世間語」の達人であることに気づいておられないのであろう。見たところ『相手が「ぶっちゃけた話」をできないような「状況」』を作り出すことがかなりお上手だ。きっと「謙虚で遠慮深い」印象を人に与えていると思っていらっしゃるだろうし、「礼儀正しい」印象を人に与えていると思っていらっしゃるのかもしれない。だからこそ自閉症方面の人間が親切づらをして優しげに寄ってくる連中に対していかに苦々しい思いを持っているかという点に思い至らない。でなかったらMariaの会話に関する上記の書込み(No.10195)が、「一般の人向けにきっととても役に立つ情報」だなどという素っ頓狂な思い込みをするはずがない。

 「自称モラリスト」達による、印刷業界への差別語・差別的表現の摘発・禁止運動(いわゆる「言葉狩り」)の暴風が吹き荒れたころ、私が以前勤めていた印刷会社では、東京都庁の出版物を一部請け負っていて、都庁側の担当者が「ライオンのイラストで、ライオンの足の指を4本にすることは、“指のたりない人たち”に対する差別的表現になる、だから、このライオンは人間と文字通りまったく同じ手の形にし、しかも指を5本描かせたイラストに変更しろなんて、上の方から言ってくるんですよ。もうキチガイになりそうですよ〜」と、涙目で訴えてくるんですよね。 「家族団欒」のイメージ画ひとつとっても、おじいちゃんおばあちゃんに、父母、子供は二人......なんてのを描こうものなら、「親のいない子供たちがどんな思いをすると心得とる!」などとチェックが入る。
 四方八方から「我等の立場を想え!」「俺の存在を認めろ!」とやれば、要求する側は自由と自由が非常出口でギッシリひしめき合い、結局だれ一人表へ脱出できないまま全員窒息死......てな具合になるし、話を容れる側としても、プロとして培ってきた手腕を曲げてでも、全員の、それぞれ異なる立場に迎合しようといった、どだい無理な話につきあわされる破目に陥る。
 
 中南米には、事件、事故等の犠牲となった、死体写真を載せるメディアが、巷にあまりあると聞く。その「死体カメラマン」の一人、メキシコのアルバロ=フィゲロアという名の男は、ある日、モラリストの一団に襲われた。相手が木製バットを持ち出してきたので、彼は、一瞬ひるんだと見せかけて、事故現場のレスキュー車に置いてあったバールを持ち出し、「これが俺の仕事だ!文句あるやつはかかって来い!」と、雄叫びをあげながら、モラリストの連中を3クアドラス(1クアドラスは市街地で言う1ブロック)も追い掛け回したという。こんな泥臭い事件顛末が、日本というのは起こり得ない国で幸いであるとしか言い様がないが、これが中南米となると、そんな風に、「プロに向かって分かったような口きいてんじゃねえ!こっちゃ命けずって仕事してんだ、見てるだけの連中があれこれ言うな」とばかり、ストレートにずってんばってん揉み合うことのできる国民性というのは、まだ「健全」って言えるんじゃないだろうかって気がしてくる。 テレビでときたま放送される、暴動の画面をよくよく見ると、彼らの顔はむしろ深刻じゃなく、「ストレス発散!」とばかり、楽しそうに暴れているかに見える表情を発見することすらある。
 ここの掲示板の参加者のうちでは、「不快です」「傷つきました」「理解していただけなくて残念です」「ここは私の居られる場所ではなかったようです」と捨てゼリフを残して去るしかない状況というのがある。私としては、「ああ、ここでもやはり自分は理解してもらえなかった」という感想をもつ人々に対しては、そりゃあんたの考えすぎだろうと、応じるしかないんだけれど、すべての立場を擁護し、配慮し、ぜったいだれにも誤解されない文章なんていうのは、むしろ疑ってかかるべきだと思うのです。「人間の手をしたライオンのイラスト」なんて、「ああ、体の不自由な人々が喜ぶだろうな」と期待しつつ世に出すべきものではない。子供達だって不気味がるはず。アスペルガーの人に向かっては、常に「嫌いです」「迷惑です」と伝えることが、正解であるなんていうことが、誰にも言えないのと同じように。私は、この掲示板の書込み全部が、私という人間にとってつねに有益であれという期待は、特にしてないです。確かに「読んでいて元気が出る」という効果があれば、それ以上の喜びは無いし、けどそれ以外にも「あっはっは、大ウケ〜!!」「ん?そりゃ違うんでないの?」「何じゃその言い草は、ムカつくぜよ!!」といった、自分の内側に働きかけるものがあればあるほど、小気味いいと感じます。
 緘黙であり、日常の雑事を、てこずらずにこなすということとは無縁の私、あんくでありますが、だからといって弁の立つ人間を、あれこれ自分と比較して、うらやんでみたり僻んでみたりすることは、まったくのエネルギーの無駄ということも知っている。掲示板に活発に書込みできる人間がいるからといって、それがなにか私やあなたの人生に甚大なダメージを及ぼすことがあるかしらね?なんでもありゃしないじゃん。自意識過剰であることをやめ、「人は人、自分は自分」の原則を徹底してれば、他者の書込みを「無神経である」などとやらかしちゃったりしないと思うのね。
 
 私だったら、いつか、何らかの理由でここを「卒業」しなければならない日がくるとしたら、「ほんとに楽しかった、ありがとう」と一言、心から言う気でいるけどね。‘Anyway thank you’ではなく、皮肉ではなく、だれにもなんの期待もせず。


Re: 社会不適応と犯罪 10221へのコメント
No.10224  Wed, 9 Jan 2002 18:09:12 +0900  シュッツ [この発言にコメントする]

Mr.Moto wrote:
> 自閉症方面の人間とつきあいたかったら、「世間」にどっぷり洗脳された頭をどうにかしてからにしてもらいたい、と思う。この場所は自閉症方面の人間が「ぶっちゃけた話」をするための場所である。はっきり言ってこの場での発言は、しばしば「気狂いじみて」いて、「神経を疑われる」ようなものである。だが、「世間並み」の規準でものを喋っていたのでは、本当のことが言えない。だからこそおれは最初っから「世間並み」の規準を無視して、率直にものを言う人間としてここに立っているのである。
>
> ……そう。こういった「率直な」書込みを掲示板に載せるから、おれは神経を疑われるのだ。

「率直」であることと、文章に裏の意味があるかどうかとは、別の次元の話なんでしょうか?


Re:ステレオグラムは悪戦苦闘 10207へのコメント
No.10223  Wed, 9 Jan 2002 18:07:43 +0900  あんく [この発言にコメントする]

へりこさん wrote:

>斜視が魅力的…障害が逆に魅力になるということでしょうか。以前山でターミネーターの足のような機能追求型の義足を着けた方がいらして、純粋に「かっちょいいー!」と思いました。こんな感情って不謹慎!とか怒られてしまいそう。

 そ〜なのよ。身体的障害というものが、ある種の「魅力」に、取って変わってしまう瞬間って、あると思うんですよね。さらに不謹慎かつ不純でdropdeadな表現を許されるとしたら(許されなくたって別にかまわないんだが)何というか、思わず「ソソラレル」んだよな〜。
 とあるプロのフルーティストで、やはり足の不自由な方がおられて、足をすこし引きずりながらステージに上がる姿が、逆に「凛凛しい」と思ってしまう。障害が逆に魅力になっている人たちに共通しているのが、自身の、ひいては他者の障害を恥じたり恐れたり、「不幸」と感じてはいない、少なくともそのような印象を周囲に与えていない。醸し出してるオーラが違うんだよね。
 そーいえば思い出したのが、私は小さいころ、言うなれば「身体障害者のふり」の大好きな子供だったこと。わざと片足引きずって歩いたり、目の見えないふりをしたり、ひとりきりでそんなゲームに耽っていたな。


Re: 人の言う事をそのまま受け取る。 10219へのコメント
No.10222  Wed, 9 Jan 2002 17:12:37 +0900  名加野 [この発言にコメントする]

 まろんすさん、こんにちは。僕も見ました。さんまの……ですね(苦笑。

 あの男性はどこにでも居るタイプだと思いますが、一番かかわりたくない相手ですね。いつのまにか手をグーにしてました。

 まあ、それはともかく、やっぱ、「冗談だとわかる冗談」という、線引きが違う気がします。難しい。長く付き合ってる人は表情でなんとなく判りますけど。


Re: 社会不適応と犯罪 10214へのコメント
No.10221  Wed, 9 Jan 2002 15:57:18 +0900  Mr.Moto [この発言にコメントする]

Maria wrote:
>  そんなわけで、常に「ぶっちゃけた話」ができるような「状況」を作り出してくれる相手というのは、いわゆる礼儀作法から外れていても無礼な印象を与えないというか、「ざっくばらん」な、あるいは逆に上品な印象を与えたりするわけです。
>  で、そういうひとは一見無防備に見えます。そうすると、「ご迷惑ですか?」とか「私のことが嫌いですか?」とか言いながらづかづか踏み込んでくる奴というのがまたいるのね。腰が低そうに見えるけど、そのじつ厚かましい。
 (中略)
>  これは本人のせいじゃないだろうけど、そういう人とはつきあわないほうが安全だとあたしは思います。かわいそうな話だけど。

pennpenn58さん wrote:
> Mariaさんはこのカキコから判断するに『「ご迷惑ですか?」とか「私のことが嫌いですか?」とか言いながらづかづか踏み込んでくる奴』に対して「迷惑です」とか「嫌いです」とははっきり言わない方なのでしょう。それはきっと相手に対して失礼な言葉になるでしょうから。でももしMariaさんが一般の人ではなくアスペルガーとわかっている人とおつきあいすることがもしあればどうぞはっきりと「迷惑です」「嫌いです」とこたえてあげてほしいと思います。ご存じでしょうか?アスペルガー症候群の人間ははっきりものを言われないと相手の気持ちを察することが苦手な人が多いのです。Mariaさんの対応にアスペルガー症候群の人間は何だかわからないけど嫌われたときっと傷つくと思います。そしてアスペルガー症候群の人間の傷はなかなか癒すことが難しいのです。

 思うにpennpenn58さんはきっと自分が(中島先生の言う)「世間語」の達人であることに気づいておられないのであろう。見たところ『相手が「ぶっちゃけた話」をできないような「状況」』を作り出すことがかなりお上手だ。きっと「謙虚で遠慮深い」印象を人に与えていると思っていらっしゃるだろうし、「礼儀正しい」印象を人に与えていると思っていらっしゃるのかもしれない。だからこそ自閉症方面の人間が親切づらをして優しげに寄ってくる連中に対していかに苦々しい思いを持っているかという点に思い至らない。でなかったらMariaの会話に関する上記の書込み(No.10195)が、「一般の人向けにきっととても役に立つ情報」だなどという素っ頓狂な思い込みをするはずがない。

 Mariaの書込みは、「世間語」に絡めとられてコミュニケーションを封じられ、自分の言いたいことが言えなくて悩んでいる人間に向けられたものだ。

 だいたい世間の連中の「職場や学校でうまく人との距離をとれずに悩んでいる」とかいった話は、「『普通』の人間同士は理解しあえて当然」といった自信に満ちあふれている。親や教師だって「自分と同じ人間」だと思っているし、脳に器質的な障害があってコミュニケーションが阻碍されているわけでもない。で、Mariaの書込みは、そうした、自分達が「世間」というものを形作っていると固く信じている連中が、「世間語」という壁によって我々を排除するのにどう対抗すべきか、ということを論じているのである。

 pennpenn58さんが「世間一般の人々」に対して『「世間語」を使うな』というのなら、おれだって「そうしてくれればとても助かる」と思う。ところが、もともと「世間」から「世間語」によって排斥されているわれわれ「本人」が、そうした「世間語」につきあわざるを得ない状況をどうこう言うというのは無神経を通り越して残酷である。おれたちだってつきあいたくてつきあっているのではない。つきあわなければ「世間」を渡っていけない、という思いがあるからなのだ。

 pennpenn58さんは文章から判断するに『「ご迷惑ですか?」とか「私のことが嫌いですか?」とか言いながらづかづか踏み込んでくる奴』に対して「迷惑です」とか「嫌いです」とはっきり言うのが「正しい」ことだと信じているのだろう。ところが、そんなことをすれば「なんて失礼な奴だ」と相手はますますいきり立ち、ますますしつこく絡んでくるのである。
 おれが知っている自閉症方面の人間は、「普通の人間」にとって「自閉症方面の人間」というものが基本的に「迷惑な奴」であり、「嫌われてもしかたがない存在」であることを重々承知している。しかし、それは『「迷惑はお互い様」で「好きなところもあれば嫌いなところもある」関係の中でそこそこうまくやってゆけないだろうか』という人間関係の基本に忠実であるぶんだけ、かえって「世間の連中」の態度より好ましく思えるのである。連中はあらゆる「世間並み」の対応を、当然のように押しつけ、当然のように要求し、それが「お互い様」で「当然」だと信じているからだ。

 pennpenn58さんは知っているだろうか。われわれ自閉症方面の人間が、「はっきり言ってくれ」「正直なところを聞かせてくれ」とかいった要求にうっかり応えた結果、どれだけ痛い目を見てきたかを。「世間の連中」は、自分たちが想定し理解した範囲の中での答えが返ってくると、当然のように信じているのである。だから、われわれが「はっきりと、正直に」答えようものならば、逆上するか笑い飛ばすか怖くなって逃げ出すかくらいしか対応の方法を知らないのである。そして、自閉症方面の人間の多くは、自分の家族や教師や、その他の多くの「善意の人々」からそうやって受けた傷をずっと抱えこみ、苦しんでいるのである。

 自閉症方面の人間とつきあいたかったら、「世間」にどっぷり洗脳された頭をどうにかしてからにしてもらいたい、と思う。この場所は自閉症方面の人間が「ぶっちゃけた話」をするための場所である。はっきり言ってこの場での発言は、しばしば「気狂いじみて」いて、「神経を疑われる」ようなものである。だが、「世間並み」の規準でものを喋っていたのでは、本当のことが言えない。だからこそおれは最初っから「世間並み」の規準を無視して、率直にものを言う人間としてここに立っているのである。

 ……そう。こういった「率直な」書込みを掲示板に載せるから、おれは神経を疑われるのだ。

 (Mr.Moto)


Re: 私、普通になりたいと思うのを止めます。 10217へのコメント
No.10220  Wed, 9 Jan 2002 15:54:39 +0900  Mr.Moto [この発言にコメントする]

I wrote:
> 人生に真面目に取りくんできたのであろう。そういうひとは世間のためにも不幸になっちゃいかんのである。正直者が馬鹿をみる世の中では、「正直」という美徳に対する信頼感がゆらいでしまう。
> まっとうに生きてきたひとは、幸せになって人生を楽しまなければいけない。それは義務である。個人のエゴではなくて、世間のためなのである。
> 重ねて言う。人生を楽しめない人間は周囲の人間を不幸にする。

syakuさん wrote:
> 幸せになって人生を楽しんでいいのは、まっとうに生きてきたひとでなければならないと読める。

 読むなよ(-_-;)。そういうのを「被害者非難心性」っちゅーんだから。

 「被害者非難心性」についての説明までいちいちしていられないので省略したのだけれど、世間の人々は「アプローチが正しい→結果がいい」「アプローチが正しくない→結果が悪い」という関係を信じたいのだ。だから、「結果が悪かった→アプローチが正しくない」と考えようとする、ということ。
 宝くじが当たったからといって普段の行いがよかったわけでもなければ、乗っていた飛行機が落ちたからって普段の行ないが悪かったわけでもない。

syakuさん wrote:
> まっとうなことができたためしのないひとは、とても心苦しい。あーつらい。私は周囲の人間を不幸にしてきた。

 そういう人を救うために宗教っちゅーのはありそうに思うのだが。

I wrote:
>  イエスは「天に宝を積みなさい」と諭した。この場合の「天」は、空想上の天国ではなく、「公共の資産」としての社会資産である。「情けは人の為ならず」。余剰資産は社会にストックし、社会資産を浪費しない、というのがイエスの基本思想である。

syakuさん wrote:
>  社会資産を浪費するばかりで何ら貢献した覚えのない私は、やはり自殺するべきなのだろうか。

 「社会資産」というのはなにも物質的・金銭的なものだけではない。たびたび引合いに出すのだが、日本で自動販売機がこれほど普及しているというのは、自販機荒らしが少ないからである。つまり、「治安のよさ」、あるいは「遵法精神」なんていうものも社会資産の一部なのだ。
 泥棒のいない社会ではセキュリティ・コストがかからない。そうすると、犯罪者の側も「泥棒のいない社会」という通念を壊してセキュリティが厳重にならないように、「現金をちょっとだけ抜く」みたいなセコい犯罪を行なうようになる。「泥棒にも三分の理」じゃないけど、たとえ犯罪者といえども持ちつ持たれつという部分はあるのだ。
 ところがこうした「泥棒のいない社会」という通念を守る気のない海外からの犯罪者がごっそり根こそぎ盗んで帰国する、みたいなことをやるようになった。これは単なる物質的な窃盗ではなく、「泥棒のいない社会」という通念という社会資産を浪費しているということなのである。鍵屋や警備会社だって、儲けていても気分が悪かろう。
 あるいは、どこぞの政治家のように社会的地位を利用して私腹を肥やしたりすれば、政治に対する信頼という社会資産が損なわれる。教師が生徒にセクハラをはたらけば、教育に対する信頼がゆらいで社会資産が損なわれる。そんなものをいちいち監視監督してなきゃならないというのは、監視するほうもされる方も不快なら、それにかかるコストだって並大抵ではないのである。

 「人を信じられる世の中」という通念もまた、社会資産なのである。そういったこの世の美徳を守るひとびとというのは、それだけで天に宝を積んでいるのである。

Lingkoさん wrote:
> 自分をいたわったりまでしたら贅沢で申し訳ないっていう気になってしまうの。

syakuさん wrote:
>  このLingkoさんの恥じらいの美しさこそ、この星の未来の唯一の希望。

 まあ、美しいには美しいのだが、「てめーは世間様に申し訳ないと思わねぇのか?」と言ってやりたくなるような奴がのさばってて、Lingkoさんのような謙虚なひとが人生を楽しめずにいるというのは、見ていて痛ましい。無理に楽しそうな顔をしろとは言わないが、人助けだと思って人生を楽しんでくれい、とお願いしたい。

 (Mr.Moto)


人の言う事をそのまま受け取る。
No.10219  Wed, 9 Jan 2002 14:40:52 +0900  まろんす [この発言にコメントする]

 昨日テレビで「人の言う事をそのまま受け取る人」の話しをしてました。
 といっても、ある女優さんが冗談が通じないという話しから始まったんですが
、でも、その話しを聞いて
「私もそういう所ある」と思いました。
 
 ちなみにジミー大西さんも人が言った事をそのまま信じて周りにからかわれていたらしいです。
前から思ってましたがジミー大西さんも自閉系なのかな?


Re: 社会不適応と犯罪 10215へのコメント
No.10218  Wed, 9 Jan 2002 14:28:06 +0900  pennpenn58 [この発言にコメントする]

硝子 wrote:
>
>アスペルガーの人の方が、非アスペルガーの人よりも、危険な対人関係から身を守るノウハウを多く知る必要がある(べきだ、という意味ではなく、ただ単に、「必要とする」という意味です)ように思います。そしてまた、Mariaさんとpennpenn58さんが違うように、アスペルガーの人たちもさまざまに違う状況にあるはずですから、「使える人には、有効」な情報として有意義でなのではありませんか?

そうですね。硝子さんのおっしゃるとおりだと思います。アスペルガーにもいろいろなタイプの方がいますから「使える人には有効」な情報だと思います。ご不快を感じられたのでしたら申し訳ありません。


私、普通になりたいと思うのを辞めます。 10180へのコメント
No.10217  Wed, 9 Jan 2002 13:39:00 +0900  syaku [この発言にコメントする]

Mr.Motさんwrote:
> 人生に真面目に取りくんできたのであろう。そういうひとは世間のためにも不幸になっちゃいかんのである。正直者が馬鹿をみる世の中では、「正直」という美徳に対する信頼感がゆらいでしまう。
> まっとうに生きてきたひとは、幸せになって人生を楽しまなければいけない。それは義務である。個人のエゴではなくて、世間のためなのである。
> 重ねて言う。人生を楽しめない人間は周囲の人間を不幸にする。

幸せになって人生を楽しんでいいのは、まっとうに生きてきたひとでなければならないと読める。まっとうなことができたためしのないひとは、とても心苦しい。あーつらい。私は周囲の人間を不幸にしてきた。
> イエスは「天に宝を積みなさい」と諭した。この場合の「天」は、空想上の天国ではなく、「公共の資産」としての社会資産である。「情けは人の為ならず」。余剰資産は社会にストックし、社会資産を浪費しない、というのがイエスの基本思想である。
 社会資産を浪費するばかりで何ら貢献した覚えのない私は、やはり自殺するべきなのだろうか。否、南無阿弥陀仏。
 ヒトは、快楽主義のために神を利用する。神頼みの心情の大きいほど、環境は汚染される。豊かさと充足ばかり求めて調和を損ない、未来を危うくする。

Lingkoさん wrote:
>自分をいたわったりまでしたら贅沢で申し訳ないっていう気になってしまうの。

 このLingkoさんの恥じらいの美しさこそ、この星の未来の唯一の希望。
 欲望かなうべき、止めるもの破壊すべしの世界観こそが発達障害だ。ヒトが神の正義を振りかざし続ける限り絶望は広がる。内なる仏性を捨てるなかれ。ためらいが、自己懐疑が、わかちあいを、いたわりあいを可能にする。殺戮を止める。


訂正です 10215へのコメント
No.10216  Wed, 9 Jan 2002 13:26:14 +0900  硝子 [この発言にコメントする]

I wrote
>有意義でなのではありませんか?
最初の「で」は不要でした。


Re: 社会不適応と犯罪 10214へのコメント
No.10215  Wed, 9 Jan 2002 13:24:35 +0900  硝子 [この発言にコメントする]

pennpenn58さん、初めまして。硝子と申します。mariaさんが書かれたことを、当のMariaさんではない私が、横合いからこのように書くのは、とても失礼なような気がして、不安ではあるのですが、
>Maria wrote
>>
>そうすると、「ご迷惑ですか?」とか「私のことが嫌いですか?」とか言いながらづかづか踏み込んでくる奴というのがまたいるのね。腰が低そうに見えるけど、そのじつ厚かましい。
>>
>中略
> これは本人のせいじゃないだろうけど、そういう人とはつきあわないほうが安全だとあたしは思います。かわいそうな話だけど。

 ここの、「そういう人」というのは、私は、「そうしかふるまえない」アスペルガー圏内の人、というよりは、非アスペルガーの人であって、単純に(または傲慢に?)、「それでいいと思っている」型の人<と思って読みました。
>>
>思うにMariaさんはきっと会話の達人なのでしょう。

 ここも、「危険な人から身を守るためのノウハウを多く、言語化されている方」という風に、私はとったのでした。

>はっきり言ってこのカキコをこの掲示板に載せるMariaさんの神経を私は疑います。

 アスペルガーの人の方が、非アスペルガーの人よりも、危険な対人関係から身を守るノウハウを多く知る必要がある(べきだ、という意味ではなく、ただ単に、「必要とする」という意味です)ように思います。そしてまた、Mariaさんとpennpenn58さんが違うように、アスペルガーの人たちもさまざまに違う状況にあるはずですから、「使える人には、有効」な情報として有意義でなのではありませんか?


Re: 社会不適応と犯罪 10195へのコメント
No.10214  Wed, 9 Jan 2002 12:45:21 +0900  pennpenn58 [この発言にコメントする]

Maria wrote
>
> そんなわけで、常に「ぶっちゃけた話」ができるような「状況」を作り出してくれる相手というのは、いわゆる礼儀作法から外れていても無礼な印象を与えないというか、「ざっくばらん」な、あるいは逆に上品な印象を与えたりするわけです。
> で、そういうひとは一見無防備に見えます。そうすると、「ご迷惑ですか?」とか「私のことが嫌いですか?」とか言いながらづかづか踏み込んでくる奴というのがまたいるのね。腰が低そうに見えるけど、そのじつ厚かましい。
>
中略
 これは本人のせいじゃないだろうけど、そういう人とはつきあわないほうが安全だとあたしは思います。かわいそうな話だけど。
>
思うにMariaさんはきっと会話の達人なのでしょう。『常に「ぶっちゃけた話」ができるような「状況」』を作り出すことがお上手なのだと思います。きっと「ざっくばらん」な印象を人に与えているのでしょう。または「上品」な印象を人に与えているのかもしれません。そのためにきっと厚ましく寄ってくる人に対して苦々しい思いをお持ちなのだと思います。Mariaさんの会話に関するこのカキコは一般の人向けにきっととても役に立つ情報だと思います。

けれどこのカキコを主に読んでいるのはアスペルガー症候群で人とのコミュニケーションがうまくとれずに悩んでいる人たちです。Mariaさんはこの掲示板で職場や学校でうまく人との距離をとれずに悩んでいる人のカキコを読んだことがないでしょうか。その障害は親や教師の責任かもしれません。本人の責任かもしれません。またあるいは脳の器質的な問題かもしれません。

Mariaさんがこのカキコを一般の普通の人たちに対するメッセージにするなら私は何も言いません。言えません。自分を顧みて反省するのみです。けれどこのカキコをこの掲示板に載せるのは私はある人にとっては残酷になる行為だと思います。

Mariaさんはこのカキコから判断するに『「ご迷惑ですか?」とか「私のことが嫌いですか?」とか言いながらづかづか踏み込んでくる奴』に対して「迷惑です」とか「嫌いです」とははっきり言わない方なのでしょう。それはきっと相手に対して失礼な言葉になるでしょうから。でももしMariaさんが一般の人ではなくアスペルガーとわかっている人とおつきあいすることがもしあればどうぞはっきりと「迷惑です」「嫌いです」とこたえてあげてほしいと思います。ご存じでしょうか?アスペルガー症候群の人間ははっきりものを言われないと相手の気持ちを察することが苦手な人が多いのです。Mariaさんの対応にアスペルガー症候群の人間は何だかわからないけど嫌われたときっと傷つくと思います。そしてアスペルガー症候群の人間の傷はなかなか癒すことが難しいのです。

はっきり言ってこのカキコをこの掲示板に載せるMariaさんの神経を私は疑います。

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