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Re: 言葉について 10534へのコメント
No.10538  Sun, 20 Jan 2002 10:53:23 +0900  Maria [この発言にコメントする]

グルンサさん wrote:
>  最近ふと思う。言葉の意味について。
> 国際政治、日本現代史等をかじるようになって、「祖国ってなんだろう?」と思うようになった。で、すぐに思ったのが、「『母国』との違いは?」だった。

 「母国」が生まれ育った国。
 「祖国」は国家的アイデンティティが帰属する国。

 同じ「台湾」に生まれ育った人でも、「多桑(とうさん)世代」は「日本統治下の台湾」、「外省人」は「中華人民共和国(の台湾省)」、「内省人」は「中華民国(民国台湾」と、帰属する国家が違います。いわゆる「新・台湾人」の人たちは、「民国台湾が、蒋介石以来の独裁体制から解放されて、新しい台湾になった」と考えていますが、李登輝さんや金美齢さんは、「戦後の中国国民党の支配から脱し、本来の台湾が帰ってきた」と考えています。その意味で「祖国」の意識にズレがあります。「多桑世代」の「昔(日本統治時代)はよかった」というのと、「哈日族(ハーリーズー)」(日本かぶれ)の「日本はカッコいい」というのでは、心の置きどころが違います。「多桑世代」では、戦前の、自分の生まれ育った「古き良き時代の日本」だし、「哈日族(ハーリーズー)」にとっては、「あこがれの地」である「戦後の高度成長期以降の日本」です。

>  また、『母国語』と『母語』の違いについても、どう違うんだろう?とも思う。(これについては、何かで読んだような気もしたが、既に忘れた。まるっきり思い出せない。)

 スリランカでは、公用語は英語で、国民の八割はタミル語を話し、約二割がシンハリ語を話します(このあたり、けっこう怪しい。だれか正確なところをフォローしてくれるとうれしい)。そんなわけで、家庭内ではシンハリ語で話し、家の外ではタミル語で話し、高校・大学時代や社会人になってからは英語を使う、といったことがありえます。
 そんなわけで、『母語』というと、「親と何語で話したか」であり、母国語は「生まれ育った国で普通に使っていた言葉」ということになると思います。

 スペインのカタロニア地方で育った人にとって、バスク語は「母国の国語」ではありますが、「母国語」ではありません。

 高校時代の同級生に「中国人の息子」がいて、「じゃあ、北京語とか話せるの?」と聞いたら、お父さんが北京、お母さんが香港出身で、台湾で知合って結婚し、日本に移り住んできたのだそうです。夫婦の共通語は日本語で、家の中ではいつも日本語。だから、本人は日本語以外喋れないそうです。
 夫婦喧嘩になると、お父さんは北京語、お母さんは広東語でまくし立てるので、お互いが何を言っているのかわからなくて、喧嘩にならないのだそうです。だから夫婦仲は円満だということでした。

 仕事で知合ったあるアメリカ人は、ハワイで香港人の奥さんと知合い、日本で生活していました。そしたら息子さんは広東語と日本語は喋れるのに、英語がよくわかりません。本人は日本語がよくわからないので、「子供とコミュニケーションがとれない」といってお酒を飲みながら泣いていました。「暗いアメリカ人もいるんだなぁ」と思っていたら、「アメリカだと、いつもアグレッシブに主張しつづけていないといけないので、とても疲れる。その点、日本はとても気持が安らぐ。私の前世は日本人だったんじゃないかと思う」と言っていました。クリスチャンが生れ変わりを信じていいのかなぁ(-_-;)。出張先では毎晩一時間くらい電話で子供とカタコトの日本語で話していました。かわいかったぞ。

> 上記のことは、国語辞典で調べることも可能だが、辞書の記述以上の深い意味の違いがありそうにも思う。(「それが何だ?」と言われると、すぐには答えられないのだが…。)

 国語辞典は、日本語がわかっている人が使うものなので、記述も「説明」ではなく「単なる言換え」でしかないことがあり、その結果、記述がすぐに循環論法に陥ってしまいます。

 英語で言い換えてみるのはひとつの方法です。「もったいない」や「照れくさい」を英語でなんというか、とかね。
 あるいは、類語との差を考えてみるとか。「ちょっと」と「すこし」はどう違うか。「ちょっと!」と声をかけることはあっても、「すこし!」と声をかけることがないのはなぜか、とか。「試してみますか?」と訊かれて、「ちょっと」だとノーなのに、「すこし」だとイエスなのはなぜか、とか。

 (Maria)


2つの自閉
No.10537  Sun, 20 Jan 2002 09:55:52 +0900  蝙蝠(内省型) [この発言にコメントする]

 ここに書かれていることは医学からは完全に脱線している…。

 自閉とは本人にとって2つの意味がある…。1つは生まれつき
持っている対人交流の障害…。もう1つは社会と折り合いをつけ
ていくために自らの心を閉ざしていくこと…。


Re: 1月26日ミニオフ会 10535へのコメント
No.10536  Sun, 20 Jan 2002 09:50:05 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

名加野さん wrote:
>参加できるか分かりませんが、参加予定という事でお願いします。
>仮参加予定ですがよろしくお願いします。もしかしたら会社の都合で行けなくなり>そうなので。

了解しました。予定が分かり次第、早めに出欠の連絡をくださいまし。

(連絡先)成人LDの会seijinld@msg.biglobe.ne.jp


Re: 1月26日ミニオフ会 10518へのコメント
No.10535  Sun, 20 Jan 2002 06:31:28 +0900  名加野 [この発言にコメントする]

参加できるか分かりませんが、参加予定という事でお願いします。
仮参加予定ですがよろしくお願いします。もしかしたら会社の都合で行けなくなりそうなので。


言葉について
No.10534  Sun, 20 Jan 2002 03:05:14 +0900  グルンサ [この発言にコメントする]

 最近ふと思う。言葉の意味について。
国際政治、日本現代史等をかじるようになって、「祖国ってなんだろう?」と思うようになった。で、すぐに思ったのが、「『母国』との違いは?」だった。

 また、『母国語』と『母語』の違いについても、どう違うんだろう?とも思う。(これについては、何かで読んだような気もしたが、既に忘れた。まるっきり思い出せない。)

 ここのところのMariaさんとのやりとり、去年の鷲羽丸さんとのやりとり(『母国語。』)を思い返して、ふとそんなことを思った。
上記のことは、国語辞典で調べることも可能だが、辞書の記述以上の深い意味の違いがありそうにも思う。(「それが何だ?」と言われると、すぐには答えられないのだが…。)


Re: 研究するということ 10430へのコメント
No.10533  Sun, 20 Jan 2002 02:41:35 +0900  グルンサ [この発言にコメントする]

 やっとこ到着です。(しかし日付をよく見ると、ほんの4日前。やっぱり、レス・ログの増殖ぶり[失礼!]はすごい!!)

Mariaさん wrote:
> 「脅威」ではなく「驚異」のつもりで書いたのを忘れてしまったのかもしれない。
> みどりさんの言っていた「話がずれる」というのも、「自分が話したこと(=話していたときに考えていたこと)」と「いま考えていること(=話したいこと)」がごっちゃになるせいかもしれない。
 うーん、これは大ありかも…。


> ただ、「あたしは誤解されてるな」と思うのが、あたしが何でも学び了(お)えていると思われていることなのね。そうではなくて、あたしはいつも「謎」を抱えているのです。(←「のです」とか言っている)
 …すみません…。Mariaさんのカキコ読むたび、「Mariaさんは何でも知っている」と、つい思ってしまうもので…。

> 固まりきらずにふわふわと生きることにも、メリットはあります。
 今からでもできるかな?こういうのって。

> 当時まだ『サイエンス』という名前だった『サイエンティフィック・アメリカン日本語版』に連載されていた『アマチュア科学者』という連載も好きで、マッド・サイエンティストにちょっと憧れていました。
 うーん、どういう話なんだろう?想像するだけでもおもしろそうな、コワそうな…?(失礼)

> じつは、『日本語の「なぜ」に答える』という日本語文法の本と、『実用日本語文法』という文語・現代口語にまたがる文法書はすでに執筆しました(どちらもHTMLファイル)。現在は企業の売込み用として加筆修正を行なっています。いまからでも勉強なさりたければ、資料をお送りしますから、どうぞ。
 ありがとうございます。よろしくお願いします。
(No.10483での引用部分を見ていたら、おもしろそうだったので…。)


Re: イヌネコのこと 10529へのコメント
No.10532  Sun, 20 Jan 2002 01:56:25 +0900  グルンサ [この発言にコメントする]

るうさん wrote:
>や、やばい…
>いまだに近所のイヌに勝手に名前までつけてイヌ語で話しかけ、職場の敷地内を歩いてる野良猫にアイコンタクトをとってからじわじわ近づいてネコ語で話しかけるなんてこと、やってます。(多分これからも。)
>この間はカラスをいかに効率良く飛び立たせるか(集団として)を検討してみたくて、グランドにいたカラスにカラス語で話しました。
 このカキコ読んでて、なんだかおもしろそうだなあ…と思ってしまいました。(できれば1度見てみたいです。)そういえば、かつて庄司薫さんが「ぼくが猫語をはなせるわけ」って本を出してたけど、これってどんな本なんでしょ?
 ところで、最近「地域猫」という言葉が出てきていますが(これを作ったのは、「ねこだすけ」の代表の方でしたっけ?)、イヌはさすがに「地域犬」とはならないのだろうか…?地域猫のように、こういうことで人間の勝手で殺されるイヌが[ネコもだけど]1匹でも減らせれば…と思います。


Re: イヌネコのこと 10529へのコメント
No.10531  Sun, 20 Jan 2002 01:54:29 +0900  みどり [この発言にコメントする]

>グルンサさん wrote:
>> るうさんのカキコで思い出したこと。私、外出中にイヌ、ネコを見るとほっとするんですね。…で、それはいいのですが、私が中学か高校生だったころ(道からすると中学か?)、イヌを見て「わんっ」と鳴きまねをしたことがあるのですが、それを見た友人、「そんなことする?」といぶかしげに一言。私は逆に「へ?」としか思わなかったのですが、やっぱ私の方が変わってんのかしら?
るう wrote:
>いまだに近所のイヌに勝手に名前までつけてイヌ語で話しかけ、職場の敷地内を歩いてる野良猫にアイコンタクトをとってからじわじわ近づいてネコ語で話しかけるなんてこと、やってます。(多分これからも。)
>この間はカラスをいかに効率良く飛び立たせるか(集団として)を検討してみたくて、グランドにいたカラスにカラス語で話しました。

イヌ語ネコ語は話せないので、日本語で話しかけてます…

>動物の行動観察もおもしろい。ムツゴロウさんになってしまったらどうしよう…。

やっぱり AS が身を立てるというか、認められるためには、とことんつきつめないとだめなのかも。
(こんな風に書くとまるでムツゴロウさんはASだと言ってるように聞こえそうですが、そういうつもりではありません。)
((↑そんな風に半端に気を使っていてはつきつめられないかもしれない))


Re: 睡眠のこと 10509へのコメント
No.10530  Sun, 20 Jan 2002 01:52:37 +0900  ぶち [この発言にコメントする]

 あさかぜさん、こんにちは。ぶちっす。
 ASとは関係ない話なんですが・・・

あさかぜ wrote:
> 英語の読解も勉強し直したいことのひとつなんですけど……ハリー・ポッターの英語版買ってきて辞書でもひきながらやってみようかと思ったりしたんですが、過去に指輪物語で失敗しているので、勇気がでません(苦笑)

 ハリー・ポッターお好きなら、英語版に挑戦してみて下さい。あれは英語がわりと簡単ですよ。ハリー・ポッターで気を良くした私は、「指輪物語」も買いましたが、こりゃー難しい!!(実はナルニア国物語も勢いで全巻買ってしまった・・・)
 全部読み終わるのは、いつになるやら・・・私も英語苦手・・・

> まだまだ知りたいことやわからないことがいっぱいあるなー、生きてるうちに何をどれだけ知ることができるかなーと思いながら、コドモ母は今日を生きていくのでした。

 どこまで行っても知らない事にぶつかるし、面白いですよねー。だから私はいつも走り回っているんだろうか?
(ぶち)


イヌネコのこと 10527へのコメント
No.10529  Sun, 20 Jan 2002 01:23:57 +0900  るう [この発言にコメントする]

グルンサさん wrote:
> るうさんのカキコで思い出したこと。私、外出中にイヌ、ネコを見るとほっとするんですね。…で、それはいいのですが、私が中学か高校生だったころ(道からすると中学か?)、イヌを見て「わんっ」と鳴きまねをしたことがあるのですが、それを見た友人、「そんなことする?」といぶかしげに一言。私は逆に「へ?」としか思わなかったのですが、やっぱ私の方が変わってんのかしら?
>さすがに今はやりませんが、それでも通勤中(正確にはその際の歩行中)にネコたちを見ると声をかけたく(?!)なります。(さすがに、[配属先の]場所が場所なので、実際にはやりませんが…。)

や、やばい…
いまだに近所のイヌに勝手に名前までつけてイヌ語で話しかけ、職場の敷地内を歩いてる野良猫にアイコンタクトをとってからじわじわ近づいてネコ語で話しかけるなんてこと、やってます。(多分これからも。)
この間はカラスをいかに効率良く飛び立たせるか(集団として)を検討してみたくて、グランドにいたカラスにカラス語で話しました。

動物の行動観察もおもしろい。ムツゴロウさんになってしまったらどうしよう…。


Re: 好きな博物館など 10483へのコメント
No.10528  Sun, 20 Jan 2002 01:10:07 +0900  グルンサ [この発言にコメントする]

Mariaさん wrote:
>I wrote:
>>  そうですね。「水漬く屍」が正解でした(^^;)。しかしこの歌、こんなヤケクソな意味だったとは…。
>
>---
> (略)
> 「げ。」
> 「どうしました?」
> 「『海行かば』っていうのは、『海へ行くと、水漬く屍が』だと思ってましたけど−」
> 「あの『行かば』は、『行ったならば』と訳すのが正解ですね。『海へ行ったら土左衛門、山へ行ったら野ざらしに』。相当にやけくそな歌ですわな、あれは。」
> 「そういうのって、軍歌って呼べるんですかね。」
> 「腹ぁ括った奴ぁ強いんですよ。死中に活を求めるというやつです」
> 「なんだかなぁ」。わかんないぞ。
> (『日本語文法の「なぜ」に答える』蘇好美)
>---
>
 ここで質問になりますが、『海ゆかば〜草むす屍』の続き、『大君の辺 かへりみはせじ』の意味ってどんなものなんでしょ?(これまでも、ヤケクソなんてことはないと思いたいですが、どうなんでしょうね…?)

> アメリカなんかだと、アラモ砦みたいに死守・玉砕ということはあっても、あくまで「援軍が間に合わなくて全滅しちゃった」ということのようです。だから、「刺しちがえる」という発想はないのね。
> 宗教的な理由による自爆テロは「アサッシン(assassin)」にあたり、これは「殉教」、あるいは「思想に殉じること」です。日本が戦術として使った肉弾攻撃とは考え方として別。
 これ読んで思い出しました(内容は違うけど)。昨年、米国テロの2日前、アハマッド・シャー・マスードが暗殺されていたことを、今年になって知りました。
アフガン情勢に興味がある方ではなかったのですが(興味・関心のある方には、すみません)、彼の死は悲しかったな…。

> とはいえ、「肉弾」という言葉を生んだ日露戦争の旅順要塞攻略戦では、乃木将軍は「とにかく人間を注ぎ込み続けて敵を撃滅する」という「人海戦術」という作戦ともいえない作戦を決行して、碌に戦果も挙げられずに六万人という死傷者を出しました。こういう大馬鹿野郎がいるから困るんだよな。
 確かに、こういうやり方には同意できないな。

> (中略)ところが連合艦隊は敵の真正面でターンして敵艦隊と並走し、バルチック艦隊を「あの世の道連れ」にするという、『にっこり笑って「さあ、一緒に死のうね」とポンと肩を叩く』ようなマネをしました。「こっちは全滅したっていいんだもんね。とにかく主力を逃がさなければこっちの勝ちだもんね」という計算がそこにはあるのね。そんでもってパニックを起こしたバルチック艦隊は総崩れになって、結果的に連合艦隊はほとんど無傷、ということになっちゃったわけです。

> 硫黄島のほうは玉砕しちゃいましたが、アメリカ海兵隊戦史に残るイヤーな戦闘として記憶されています。「さあ、一緒に死のうね。いっぱいいっぱい道連れにしてあげるから、どんどん来てね」みたいな奴と喧嘩するのはイヤだったろうなぁ。
 わたしもイヤだ、こんなの。

> 以来、アメリカは「こんな奴らと面突き合わせて戦争するのイヤだよう」ということで、「アウトレンジ戦術」(こっちからは殴れるけど向こうからは殴れない)という戦術を取るようになりました。
 『アウトレンジ戦術』の言葉の意味を、これで初めて知りました。ホントにいろいろ勉強になるなあ、Mariaさんのカキコって。


Re: 睡眠のこと 10519へのコメント
No.10527  Sun, 20 Jan 2002 00:45:56 +0900  グルンサ [この発言にコメントする]

るうさん wrote:
> それに(家に帰りたくないと思っていない日でも)違う道を帰りたいとか、あっちのお花が見たいとか、お散歩したいとか、近所のイヌが見たいとか、お魚とかザリガニが川底にいたとか、そういうことに気をとられると、忘れちゃうんです、「下校中」だってこと。

 るうさんのカキコで思い出したこと。私、外出中にイヌ、ネコを見るとほっとするんですね。…で、それはいいのですが、私が中学か高校生だったころ(道からすると中学か?)、イヌを見て「わんっ」と鳴きまねをしたことがあるのですが、それを見た友人、「そんなことする?」といぶかしげに一言。私は逆に「へ?」としか思わなかったのですが、やっぱ私の方が変わってんのかしら?
さすがに今はやりませんが、それでも通勤中(正確にはその際の歩行中)にネコたちを見ると声をかけたく(?!)なります。(さすがに、[配属先の]場所が場所なので、実際にはやりませんが…。)


「片づけられない!」は田舎ではありふれた存在?? 10524へのコメント
No.10526  Sat, 19 Jan 2002 23:00:41 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

pennpenn58 wrote:
>あさかぜ wrote:
>> pennpenn58さん、ぶちさん、レスありがとうございました。
>>
>> 急に思い立ってよく考えもせず質問をしてしまうあたりがADDなわたしです(汗) 最近なんとなく、わたしの母がADD方面の人ではなかったかと考えるようになっています。AS方面は父方の血かな……。(勝手にそう思っているだけですけど)
>>
>そうなんですよねー。子供がADDとかASとかいってる親の自分もADDでASでさかのぼれば自分の親もよく考えればそうだったりする。よく観察すれば夫も怪しい。あんくさんのおとうさんもADDっぽい感じだし、こりっこさんのおとうさんもなんかそんな感じがする。(すみません。勝手な憶測でものをいって)我が家はAファミリー。唯一、Aじゃないと確信が持てるのは7人家族のうちただひとり末っ子の次男のみ。

僕は最近気になったことがあります。
それは「どうもADHDやADDの特徴の「片づけられない」というのは、日本の田舎ではありふれた存在であり、そんなに苦にすることなく、生活できたのでは?」ということです。
 僕は部屋を片づけるのがおっくうです。僕の母も片づけるのがおっくうで、同じガテゴリーのものを仕分けして収納するという習慣がありません。そのお母さんの
母であるおばあちゃんも、やはり片付けるのがおっくうで、台所のテーブルの下からは賞味期限オーバーに近いお菓子なんか出てきたりします。
 この「片づけるのがおっくう」という癖のルーツをたどると、どうも農村の暮らしに行き当たるようなのです。
 まずなんといっても大きな違いは家の広さでしょう。僕のおばあちゃんの生家はかなりの豪農で、かやぶき屋根の立派なお屋敷であり、土間でも7ないし8畳はあります。炊事場ですら板張りで6畳ぐらいはあります。これだとある程度まとめて分かりやすいようにおいて置きさえすれば、まず食料品を腐敗させたり・道具*本などを紛失したりということはないのです 
 それから農業というのは、何よりおてんとうさま任せの仕事で、晴れ・くもりの日が勝負ということで、そんな日は田畑での作業最優先で、力いっぱい肉体運動をした後は、もう「めし→ふろ→ねる!」で、いっつも片づけは「雨のときしようや・・・」ということになってしまうでしょう。また作物を多く取ることが、収入を決めるので、ややこしい経理関係の書類は会社ほど頻繁に見たり・書いたりする必要はないでしょう。(最も最近はそうはいかなくなってきたようですが・・・)
 またごみも紙くずなどは焚き火で燃してしまえばいいし・生ごみは肥料にすればよいし、ビンも酒屋さんへもっていけばよいので、家が立てこんだ場所でない限りは、収集は缶とプラスチックと危険物だけで済みます。その分収納場所がとれます。
 こんな暮らしですから、物を一定のルールにしたがって配列したり・分類したり・必要か否かを見極めたりという「片づけ」の能力は、そんなに問われないということになるでしょう。
 「部屋を片づけなさい!」とか「片づけられないやつは、人格を疑うね!」というショーニズムは、都会の狭い居住スペースになれた人が多くなってから出てきたものだと思えてなりません。いや「片づけられない・・・」というのは、「都会」が生み出した、WHO(1980)が言うところの「不利のレベル」にあたる障害であると言えるでしょう。

 


Re: 博物館って 10504へのコメント
No.10525  Sat, 19 Jan 2002 20:36:27 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

みどり wrote:
>るう wrote:
>>同じ高さの本が整然と並んでいる本棚とか新品の36色色鉛筆の展示とか見ると、もうついジーっと見つめ続けてしまいます。
>>視覚的に安心するんです(?自分でもよくわかりませんが?)。
>
>同じ形の色ちがい商品が大量に整然と並んでいるお店。ふらふらと足が寄って行ってしまいます。
>一つだけ連れて帰ってもこの魅力はないのよって自分にいい聞かせないと、つい買ってしまいそうになります。
>36色のサインペンをもらって、ものすごく嬉しかったの覚えてます。お絵かきはしないんだけど。
>バラして使う気になんかなれない。きれいなまま並べておいて、使おうと思えばいつでも使えるんだって思ってる状態が最高。
>
 そういえば5歳くらいのとき私は、ソリトンの紙容器入りのジャム・シリーズを全種類食べてみたかったので、店内カゴの中に5種類もぶち込んで、母に叱られたことがありました。
 中学高校時代の愛読書は「講談社のブルーバックス」でしたし、学生時代にはガーネットの安い標本を色違いで買いあさりましたし、現在お気に入りのハーブといえば「シソ科」のラヴェンダー・ミントといった一群です。どうもセリーとかシリーズというものには、自分も目がないほうみたいです。


Re: 睡眠のこと 10509へのコメント
No.10524  Sat, 19 Jan 2002 20:10:04 +0900  pennpenn58 [この発言にコメントする]

あさかぜ wrote:
> pennpenn58さん、ぶちさん、レスありがとうございました。
>
> 急に思い立ってよく考えもせず質問をしてしまうあたりがADDなわたしです(汗) 最近なんとなく、わたしの母がADD方面の人ではなかったかと考えるようになっています。AS方面は父方の血かな……。(勝手にそう思っているだけですけど)
>
そうなんですよねー。子供がADDとかASとかいってる親の自分もADDでASでさかのぼれば自分の親もよく考えればそうだったりする。よく観察すれば夫も怪しい。あんくさんのおとうさんもADDっぽい感じだし、こりっこさんのおとうさんもなんかそんな感じがする。(すみません。勝手な憶測でものをいって)我が家はAファミリー。唯一、Aじゃないと確信が持てるのは7人家族のうちただひとり末っ子の次男のみ。

次男からすると癇癪持ちのADDの姉は「なんであんなにわがままなの?」となり、ASでADHD傾向の兄は衝動的に弟のゲームや本を取り上げるので「むかつく」のだそうだ。だから彼は姉や兄と一緒に行動したがらない。そして頭の中できちんといますべきことが整理されていてみんなでビデオやさんにいくときも「僕は宿題があるからいい」と留守番しながら宿題をしている。付和雷同しないのだ。

我が家では彼だけが異質。でもほんとうはそれが普通。なんか違いすぎ。でも頭がいいのは兄や姉のほう。でも好きな科目と嫌いな科目がはっきり分かれてしまう。次男は平凡な成績ながらも嫌いだからと言ってやらないということはない。だから極端に悪い学科もない。そして時間を考えて行動する。約束を守る。我慢ができる。

親の私でさえできないことができる。次男が宇宙人に見える。私は時間を守るのが苦手。我慢も苦手。熱中すると時間関係なし。次男が友人の家に遊びに行くとき必ず「何時に迎えに来てね」と言う。そしてそう言ったら当然、その時間に親は迎えに来るものと信じて道ばたで待っていたりする。親は必死だ。その時間に遅れてはいけないとすごい緊張。ADDの子供を育てるのも大変だがADDの親が普通の子供を育てるのも大変だ。気を使う。疲れる。でもがんばらねば。親だから。

あさかぜさん、子育てはまだ長いですがほどほどに頑張りましょうね。


Re: 博物館って 10503へのコメント
No.10523  Sat, 19 Jan 2002 17:18:53 +0900  るう [この発言にコメントする]

ひとつ書き忘れました。

Maria さんwrote:
> 美術というのは必ずしも作品を鑑賞するものではない、というのが分ってしまいました。

 このことなんです。これがわかるのが怖かったんです。ある物事に対してきちんとした知識を持ってしまうと、今までは知らないことだから輪郭がうすぼんやりしてたのに、急に輪郭だけでなく色や形まではっきりしすぎて、「神秘性」みたいなものが失われそうで。私は美術品の観賞は、自分の身体で感じたものが全てであって欲しいタチなので、技術的にどうこうだとか思いたくないのです。理解が浅くなってしまうのは承知なのですが、美術を技術という言葉で翻訳してしまった時点で、もう私の中ではそれまでとは違った事柄になってしまう。決して以前のような認識はもてない。(クオリア問題?)

 知識をもってしまったがために最近は現実世界の輪郭がはっきり感じられ過ぎるようになってしまいました。社会のしくみのことも自分自身のADDのことも。感受性がつよいから、クタクタになることが多いです。


Re: 博物館って 10516へのコメント
No.10521  Sat, 19 Jan 2002 16:48:51 +0900  るう [この発言にコメントする]

みどりさん wrote:
>一応念を押しておくと、全部買っても、きれいに並べるスペースも必要です、たぶん。

↑うわぉ、気付いてなかった!あぶなかった〜。
…いや、でも、大丈夫です、財力がともなってないので。120回ローンとか組まなければ。


>そういえば私は他人が着ているものをよく見た覚えってないなあ。(だから垢抜けられないのか。)
>(あ、ついでに他人の顔もよく見ないから名前が覚えられないのかなあ)

私は他人のことをめちゃめちゃ観察します。その人個人には興味がまったくないけれど、人間の行動観察大好きです。あと、表情を変えるときの筋肉の動き方とか見るのも。だから電車とか喫茶店とかでつい人をジロジロ見ちゃいます(やな奴)。だから、顔を覚えるのは割と得意なのではないかと思います。名前はまったく覚えられないけれど。でも、その衣装を参考にしようなんてことは考えていません。その人に似合っているとかいないとか、勝手にファッションチェックみたいなことを頭の中でやってます。だから、自分自身は全く垢抜けません…。7年ぶりくらいに会った人に「まったく変わってないね」とか言われて。ショック。


>自分の服も、着てても似合うかどうかとかあんまり考えたことがなくて (とくに小さい頃は)、つい、「単に好きな服」を買っちゃう。(だから垢抜けられないのか)
>で、タンスを開けてはにやにやするの。(おでかけ服だから滅多に着ないし)

「着て似合う」なんて考えて買い物し始めたのは、つい最近です。好きな色の好きな服しか買わなかったから、いつもセンスないという評価をもらってます。

↑自分を客観視できない証拠。他人のことならよくわかるのに、自分のことはさっぱりだ!


ひとりごと… 10502へのコメント
No.10520  Sat, 19 Jan 2002 16:32:07 +0900  るう [この発言にコメントする]

私 wrote:
>テレビショッピング見るのってほんとにいい時間つぶしだけど、
>今日、「通販生活」という雑誌を買いました(160円)。
>今日は写真だけ見ることにして、明日から商品説明をじっくり読むつもりです。
>ああ、ちいさなシヤワセ〜。

 なんて書いたけど、「通販生活」があんなに左?に偏った内容の雑誌とはつゆしらず…だから、160円という破格の?値段なのか。納得。商品説明だけならシヤワセだったのになあ。がっくり、です。商品を買うつもりは初めからなかったけど、もう見るものいやになってきました。
 やっぱり、テレビの通販のほうがたのしいな〜。アブなんとかとか強力な掃除機とか。


Re: 睡眠のこと 10509へのコメント
No.10519  Sat, 19 Jan 2002 15:37:44 +0900  るう [この発言にコメントする]

あさかぜおかあさん wrote:
> *pennpenn58さん*
> 集団登校の強制っていうのも、なんだかなーって思ってしまいます。「個性を大切に」「生きる力を育てる」とかお題目が立派な学校って、やってることの考え方が大人中心のような感じなので。他の子と一緒に登校するのがいやで朝早く行く子は「7時30分までこの昇降口は開きません」なんて張り紙を見ることになったりするしなー(いや、うちの子の学校の話ですけど)
> 遅刻しそうになって突っ走って行くのも学びのひとつと捉えることのできる大人が少なくなってます。つまんない世の中だ。

 今ごろ書いている私(ADD)です。
 私は子供の頃、「宵っぱりの朝寝坊」と祖母にいつもいわれてました。夜十時頃まで眠れなくて、寝付かせようと添い寝してた母の方が先に寝てしまって、「ちょっと〜、おばけこわいんだから、勝手に寝ないでよう!」と思ってました。そのくせ(低血圧も関係?)朝は遅刻ギリギリまで寝ていて(もちろん何度も起こされている)、小学校五年生でもまだ制服を母親に着せてもらってました(ビンタされながら)。

 「集団登校」とか「集団下校」はあってよかったと思います。あれがなかったら、それこそ学校や家にたどり着けなかったから。特に朝はまったく寝ぼけていて、朝食に何を食べたかとか、どこを通って通ったとか、午後になって意識がはっきりしてきても、全く覚えていなかったのです。あれ?今日起きたっけ?(学校にいるんだから、起きてるに決まってる!)とか思ってた。
 それに(家に帰りたくないと思っていない日でも)違う道を帰りたいとか、あっちのお花が見たいとか、お散歩したいとか、近所のイヌが見たいとか、お魚とかザリガニが川底にいたとか、そういうことに気をとられると、忘れちゃうんです、「下校中」だってこと。

 あと、ちょっとズレますが、食べ物のこと。油のつよいものとニオイのつよいものは嫌いでした。だから生クリームたっぷりのイチゴのショートケーキなんてなんで皆「わ〜い!!」なの?と思ってました。和菓子が大好きでした。あんこサイコー!あとお肉よりはお魚が好きでした。焼いたのよりも煮付けたもの。お刺し身も好きでした。そして、パンより米!!!ご飯大好きでした。
 でも、ASの兄は肉ばかり食べてました。あと、ケーキも。兄とは食べ物の好き嫌いがかみあわなくて、母はいつも食事メニューには困っていました。

 そんなとこかな、子供時代の睡眠と食事って。

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