アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
グルンサさん wrote:
>『言語性・動作性IQ』は、どんなテストで、どうやって診断が下されるのでしょうか?私自身は、心理テストを受けはしたものの、こういったIQに関わるテストを受けたことがないのです。また、『WAIS−R』についても、併せて教えていただければ幸いです。(先日のオフ会の時に詳細を聞こうとして、見事に忘れてきてしまいました…残念。)
あー、こういうテストについては、聞かない方がいいです。っていうか、聞いたり読んだりしてしまったら、点が正しく出なくなっちゃうので。
グルンサさんだけじゃなく、他の人もうっかり読んじゃうといけないから、あんまり返事は書かないでほしい……。
不安なのはわかるけど。まあ、「言語性」の方は、言葉を使ったパズルやクイズみたいなもので、「動作性」の方は、形や絵を使ったパズルやクイズみたいなもの、とくらいなら言っても大丈夫でしょう。
みどりさん wrote:
>>> みどりは職場では一切外部への投稿はしてません〜
>>> 私の問題は出勤時間の方 (-_-;;;
>なんで投稿をしないかと言えば、職場への気遣いよりも、主にインターネット側に証拠を残さないためです。(職場と関係のある発言だと思われるとやだ。[後略])
…申し訳ありませんでした。単に時間だけで判断(正確には「思い込み」)してはいけませんね。ごめんなさい。
>まあ、勤務先への気遣いもないわけではありませんが。(略)
>しかも、今は黙認されていても、将来記録をほじくり返される可能性まである。しかもほじくり返すひとはエンジニアの職場のことをわかってるとは限らない。
私はそこまで考えてなかった…。(いくら、共用PCでしかできないからって言っても…。)
>用心深すぎるかもしれないけど、出勤時間の弱みがあるからなあ。
私もです、実は。(しかし、何で東京⇔埼玉間で?)
いずれにしても、すみませんでした。
武田好史さん wrote:
> まず知的障害者手帳から考えてみると、言語性・動作性の平均IQが75以下というのがひとつの発給条件となっています。(以下略)
今回、AS(もしくは、AD(H)D、自閉症スペクトラム等含めて)の診断を受けた方、もしくはテスト(適切な表現を知らないので、以下、このまま使わせていただきます。)を受けた方(診断の有無は不問とします。)にお聞きします。この『言語性・動作性IQ』は、どんなテストで、どうやって診断が下されるのでしょうか?私自身は、心理テストを受けはしたものの、こういったIQに関わるテストを受けたことがないのです。また、『WAIS−R』についても、併せて教えていただければ幸いです。(先日のオフ会の時に詳細を聞こうとして、見事に忘れてきてしまいました…残念。)
まろんす wrote:
> アスペルガ―とかでも障害者年金ってもらえるのでしょうか?
現状ではとても厳しく、もらえない可能性が高いといえます。
障害者年金の給付を受けるためには、最低限『障害者手帳』が要るのです。
障害者手帳をもらうためには、居住地の市町村の福祉課に障害者側が申請書を出し、市町村が属している県の判定機関へその申請書を回し、判定機関が「障害者判定を受けさせる!」という決定を下し、さらにそこが「手帳を発給すべき!」という判定を出す必要があるのです。
さてASの人がもらえそうな手帳はと言えば、「知的障害者手帳」か「精神障害者保健福祉手帳」という類の物になるでしょう。ところが現行の手帳制度では、厳密にかつ硬直的に判定者が考えてしまった場合は、我々はいずれも取得できないのです。
まず知的障害者手帳から考えてみると、言語性・動作性の平均IQが75以下というのがひとつの発給条件となっています。これは私の場合88なので、私は現行の基準ではもらえないということになります。しかし最近では神奈川県や東京都で、「ASにも知的障害者手帳を発給しよう!」という動きもあります。
精神保健福祉手帳は、「精神機能に障害を受け、ストレスに弱かったり・対人関係がうまくできなかったり・注意力に支障をきたしたり・投薬など長期にわたる治療が必要な人」ということになるので、「長期にわたってうつ病・強迫神経症などの二次障害で苦しんでいる」ならば「OK!」ということになるはずです。しかし手帳をもらうことによって、いわれのない偏見にさらされてしまう恐れもあります。また「そもそもASは精神病なのか・同一の扱いをしてもよいのか?」ということにも、疑問の余地があります。「精神科のデーケアに行ったものの、孤独感にさいなまれるだけだった」という意見も、最近掲示板で聞きました。
手帳がもらえても障害者年金がもらえるとは限りません。とにかく「日常生活に支障がある人」が最優先なのです。
武田好史さん wrote:
> 我々が「自閉症」と呼ばれる由縁は、この「失語症」というハンディによるところが大きいのではと、俺は思えてならない。つまり「言葉の不自由さ・流暢性のなさから、その人の心の奥底をうかがうことができないか・困難な人」という意味が、「自閉」という用語の原義なのだろう。
これは本来『「どっちでもいいこと」が決められない。』のスレッドで語られるべき内容なのだけれど、ちょうど関連のある話題が出てきたのでコメントという形で発表したいと思います。
いわゆる「失語症」と、自閉症方面の人間の「言語の遅れ」には、本質的な差があって、自閉症方面の人間の「言語の遅れ」は、むしろ「意味的な吃音」に近いものではないかという気がするのですね。
「聴性入力を分析する中枢(A)」から「言葉の概念を汲み取る中枢(B)」への、「A→B」という情報の流れ以外にも、「次にどんな言葉が来るかを予想して、聴き取りに役立てる」という「A←B」の情報があったりするわけです。で、吃音というのは、「声を出すために構音器官へ指令する中枢(M)」から構音器官を経て発せられた声の情報が、「聴き取りの機能をつかさどる部分」を経由してまた構音器官の制禦に用いられる。ここここのフィフィードバックき機構がじじじ自励ししし振動を起こ起こしてききき吃音というのはお起こるのだな。
逆に「音痴」というのは自分の声がちゃんと聞こえていないから調音ができなくなっちゃうのが原因であることが多く、コーラスだと他の人の声が聞こえないか自分の声と他の人の声を同時に聞くことができないから他の人と合わない、ということが起きたりするのである。
フェルディナント・ソシュールじゃないけど、言語には「表わされるもの」と「表わすもの」があります。どっちがどっちか忘れたけど、これをシニフィアンとシニフィエといいます。「失語症」の場合、言いたいことははっきりしているのだけれど、それに対応する言葉が出てこない。で、言葉はあるんだけど、発話ができないのが(狭義の)言語障害。言われていることが意味として認識できないのが認知障害で、自閉症方面の人間の問題としてよく挙げられるのはこの「認知障害」なのだけど、「言葉を発しない」という点については、あたしはまた別の原因を考えているのね。
人間には、「内なるコトバ」と「外なるコトバ」があります。「内なるコトバ」と「外なるコトバ」は、それぞれ「思考のためのコトバ」と「表現としてのコトバ」と言い換えてもいいでしょう。
このふたつのコトバの間には大きなギャップがあります。だけど、「普通の人」というのはこのギャップをほとんど意識していません。ですが、あたしたち自閉症方面の人間の場合、「内なるコトバ」を口に出した瞬間に、「内なるコトバ」と「外なるコトバ」の二重性とそのギャップに困惑してしまうのですね。
たとえば「そば」。「やきそば」や「支那そば」のように、「麺類」という意味で使われることもあります。「そば粉」「そばがき」のように、「そばの実の製品」という意味もあります。「そばの花」「そば畑」のように、植物種の一種としての「そば」の意味もあります。
だから、「そばが食べたい」と口に出したときに、自分の言いたいことと、自分の言ったこととの隔たりが、苦痛である。重苦しい。もどかしい。そういうところがあります。
「お酒が好き」という言葉にも、解釈の幅があるように、「内なるコトバ」にぴったりとあてはまる「外なるコトバ」があるとは限らないわけです。
その原因としては、たとえば外延と内包、表現と現実のからみあい、というのがあります。
「明けの明星」は「金星」です。「宵の明星」は「金星」です。ですが、「明けの明星」は、「=宵の明星」でしょうか? 「明けの明星は宵の明星です」は「金星は金星です」と「同じ意味」でしょうか? 「彼は『明けの明星』が金星であることを知っていた」と、「彼は金星が金星であることを知っていた」は、果たして同じ意味でしょうか。
「カレーライス」と「ライスカレー」は、果たして同じものでしょうか。そういえば、マクドナルドのメニューに「フランクバーガー」というのがあったりします。「ホットドッグじゃあ〜!」とあたしは怒ってしまうぞ。フランクフルト市民とハンブルク市民の立場はどうなるんだ、と思います。
「お母さん」は「母(はは)」なのだから、「お母さん!」と呼ぶかわりに「母!」と呼んだっていいはずですよね? 「お母さん」の代わりに「ママ」と呼ぶのが許されるのですから。
こういうのは、一つの現実の「もの」に対して、いくつかの「概念上の、『もの』(これを「個体」と呼ぶことにします)」が対応しているということです。たとえば、「お母さん」という現実の存在には、「お父さんにとっての妻」「おじいちゃん・おばあちゃんにとっての娘」「自分にとっての母親」といった、複数の「個体」と結びつけられているということだったりします。それは(天体としての)金星が、「金星」でもあり、「明けの明星」でもあり、「宵の明星」でもあるのと同じことです。
これって、かなり奇妙なことですよね。あたしたちは、物理的存在としての「世界」について語っているはずなのに、言語が指し示す対象は、物理的存在としての“もの”ではなくて、あくまであたしたちの心の中にある「個体」であって、あたしたちはその心の中の「個体」と物理的存在(物体)との対応関係という、あやふやなものに基づいて世界を把握しなければならないからです。
そんなわけで、「個体」に対応する物体が、物理世界に存在しない場合もあるわけです。「3」とか「三角形」とか「命」とか「怒り」とか「愛情」とか。「だったら目の前に出してみろ」と言われたって出せないんですよね、これ。「借金」なんていうのもそうです。「借金」=「借用書」だとしたら、借用書がなければ借金もないことになります。あるいは、「所有」というのは単なる概念ですから、「窃盗」というのは(物理的には)存在しないはずです。そもそも「法律」というものも、(物理的には)存在しないのですから。
現実というものは、非常にややこしく、あやふやで、不確かなものです。言語あるいは論理によって捉えられるものは、そのうちのごくわずかな部分だけです。そういう、いいかげんで頼りない世界で、あたりまえのように生きてゆくことができる「普通の人」、「常識」というものを平然と信じられる「普通の人」というのは、自閉症方面の人間から見ると、非常に「気持ち悪い」ものかもしれません。
日本人はエビやカニやタコやイカを食べますが、それを見て「日本人はなんて気持ちの悪いものを食べるんだ」と思う外国人はいるでしょう。逆に日本人は孵化する直前のアヒルの玉子を茹でたものを見て「うげぇ!」と思います。日本人は白いご飯が好きですが、欧米人は味のついていないご飯というのをおいしいとは思いません。何が常識で何が常識でないかは、論理では判断できません。そして、それは人それぞれなんです。同じものに対し、人それぞれが違う印象を持っているように。蝶が美しくて蛇が無気味だとは限りません。蝶が怖い人、猫が怖い人はいっぱいいますし、蛇や蜘蛛が好きな人もいっぱいいます。
「蛇のように執念深い」といいますが、蛇がどう執念深いのかあたしにはよく分りません。「蛇蝎のように嫌う」というけれど、蛇とか蠍とかけっこう飼ってみたいと思います。「波を蹴立てて進む」とかいうと「造波抵抗大きくて推進効率悪そうだなぁ」と思うし、「おでんグツグツ」とかいうと「煮立てたらおつゆが濁っちゃうじゃないか」と思います。
「外なるコトバ」を使いこなすには、相手が「外なるコトバ」をどう「内なるコトバ」に翻訳するかを知らなければなりません。これは考えたら、とんでもなく難しいことなんじゃないでしょうか。
自分を虐めている人間に、「痛いから止めてくれ」と言ったとしても、相手は痛いからやっているわけだし、「痛くないからもっとやれ」と言ったほうがいいのかというと、「強情なやつめ」とますます激しく虐められたりします。
他人と自分とは、「内なるコトバ」が違っている。「外なるコトバ」と「内なるコトバ」の翻訳機構は人それぞれだ。だから、「誰にでも通じるコミュニケーションの道具」としての「外なるコトバ」というものが、明確に形成されない。自閉症方面の人間にとっては、同じ言語を話していても、それは「外国語」に近いものだったりするのかもしれません。
だから、あたしは「自分の言葉が通じる相手」に対して「自分の言葉」で話しているのだけれど、それに対して「勝手読み」をして、こっちが想定していない意味をそこに貼りつけ、思ってもみない反応をする人が出てきたりもするわけです。
ヤマブシタケ(別名ジョウゴタケ)という茸があります。人工栽培もされていて、食用としてお店に並んでいたりもします。あたしはこのキノコをついつい「けもけも」と呼んでしまうのね。なんとなく「けもけも」した感じがかわいいからです。だけど、このキノコを見て「得体の知れないもの」と感じ、「気持ち悪い」「そんなの食べるなんて信じられない」という人はいるはず。鍋に入れようとしたなら、「ギャー! なにするの! やめて! 食べられなくなっちゃう!」みたいに言われてしまうかもしれない。で、たぶんそういう人にとっては、「けもけも」というのは「妖怪けもけも」みたいな響きを持って迫ってくるのだと思います。
で、ある人にとっては鶏肉がそういうものであったり、椎茸がそういうものであったりするわけです。で、そういう人にとっては、「とりにく」「しいたけ」という言葉が、やはりおぞましい響きをもって迫ってくるのだな。それは、沖縄の「“まんこ”公園」や「“おんな”村(そん)の“いんぶ”ビーチ」といった地名を聞いた(沖縄以外の)多くの日本人が失笑せざるを得ないのと同じような構造だったりもするわけです。
だいたいあたしたちが自閉症自閉症と平気で口に出しているのも、事情を知らない第三者が見たら相当に不快なものかも知れません。「興味本意で『自閉症』なんていう言葉を軽々しく口に出すんじゃない! 自閉症の人が可哀相じゃないかっ!」とかいって怒る人だっていると思います。「あのー、あたしたち自閉症なんですけど、あたしたちって可哀相なんですか?」とか訊きかえしてしまいたくなるけれど、そうすると「自閉症っていうのは、もっと大変なものなんだ! お前らなんか自閉症じゃないっ!」みたいにまた怒られそうです。そうなのか、ぽりぽり、とかいって頭を掻いてしまうぞ。
そんなわけで、あたしはそういったコミュニケーションに対する絶望から、ある種の「神」のような存在を想定することにしました。つまり、「外なるコトバ」がイコール「内なるコトバ」であり、物理的世界がイコール「内なる世界」、つまり「個体」であるような存在です。で、それが「科学」「学術」の世界だったんですね。
「科学の言葉」「学術の言葉」で話している限りにおいては、「内なるコトバ」と「外なるコトバ」のギャップを大きく感じることはありません。考えたら「おたく」のコミュニケーションっていうのはこういうものかもしれない、と思います。共通の世界を語る言葉が、コミュニケーションにおける接続点になっている。
自閉症方面の人間が、きわめて抽象的・客観的な物言いを好む、というのには、こうした理由があるように思います。
(Maria)
syakuさん wrote:
>何もできてない私の切なる望みが、動物専門ヒーラーになることです。ヒトほど狂ってないように見えるから、たたられにくそうだし(コラコラ)
おねーさま……
わたくしだって、なりたいのですよ。自分は指圧も鍼もやってもらうのに、動物がヒ−リングを受けていけないはずはないですもの。
競走馬の関節炎治療がヒトにも有効なように、ヒトへのマッサージがイヌネコにも有効であるということは、ヒトもまた動物だからなのだと感じます。もう少し謙虚になりたいわたくしは、獣からさして離れていない自分を確かめとうございます。
で、ヒトはたたるんですか? おっかねぇな〜。
こんばんはです〜。
みどりさん wrote:
>そういえば私もいつも「たまにはまっすぐ帰ってこい」って言われてました。
>放課後はいつも、何の用事があるでもなく、そこらを散策してました。
中学時代は放課後の誰もいなくなった教室の雰囲気とか好きでした。暗くなるまで家に帰ったことはなかったなー。家に帰ること自体がいやだったから……おかげで卒業式には精勤賞(欠席・遅刻・早退合わせて3日以内)をもらい、なんじゃこりゃ?と思ったのでした。
みどりさんに合わせて、わたしも「自称AS」を名乗るのもいいと思ったけど、なんか違うような気もしたし……かといって「元AS」と言えるほど社会適応が良いわけでもないし、「出戻りAS」(変な言葉だなぁ)みたいな状態になっているので、なんかいい表現はないかな〜と模索しています。(←どうでもいいっちゃ〜、どうでもいいことだけど)
>「カレー」とか「牛丼」とか、余計なものが入ってないことがわかりきったメニューじゃないと食べられませんでした。
子どもの好き嫌いをなくそうと親がものすごくがんばると、たいていのものは食べたという経験だけは残ります。泣きながら吐き気をがまんして食べたものは、おいしいとは思わないから、いずれ食べなくなるんですけどね(苦笑) おふくろさんにはご苦労さまでしたと心でつぶやいております。
ひたすら「手作り」にこだわってくれた母のおかげで、わたしはインスタント大好き人間になってしまいましたとさ。AS児の母をやると、また違った側面から食の大切さを見直すことができるので、今は娘に感謝、感謝です。
>そしたらそしたで、世界中のいろいろなものを食べつくさないといけないような気分になって、これはこれで問題だったりする。
いっこいっこ試していきましょうよ。毎日の食事メニューに昨日と違う一品を加えていると、1年で365品食べられるような気が……無理か(^_^;)
Maria wrote:
>みどりさん wrote:
>> みどりは職場では一切外部への投稿はしてません〜
>> 私の問題は出勤時間の方 (-_-;;;
>
> おお、真面目だ。
実は、勤務時間中でもゲームはします。同僚と数時間雑談してるってこともよくあります。
なんで投稿をしないかと言えば、職場への気遣いよりも、主にインターネット側に証拠を残さないためです。(職場と関係のある発言だと思われるとやだ。そこらへんの公私の区別ってやつ、わからない人にはわからないみたいだし、投稿内容が気に入らないからとその苦情をなぜか会社宛にいう人までいたりする)
まあ、勤務先への気遣いもないわけではありませんが。
ゲームをするときに気をつけるべきことは周囲の反応くらいですが、投稿や私用メールとなると会社のゲートウェイ管理に気を使わないといけなくなります。しかも、今は黙認されていても、将来記録をほじくり返される可能性まである。しかもほじくり返すひとはエンジニアの職場のことをわかってるとは限らない。
用心深すぎるかもしれないけど、出勤時間の弱みがあるからなあ。
名加野です。業務時間外なのでまた書きます。……というか、外は雨ざあざあで帰れない……。
僕が面白いと思ったのは、ナポレオンの縦一列(厳密に縦一列だったかはよく覚えてないですが)の一点突破型戦法。僕は通称「ボナパルト戦法」と呼んでいますが、非常に好感を持ちました。
他の国は横一列戦法で居る(他の兵士が逃げないように見張るため)のに対し、この斬新な戦法。
なんか、僕的には、自分の感覚に合うので「こりゃあいい!」と大はしゃぎしたことを覚えてます(高校の頃)。
普通の人が平均的に物を覚えるのに対し、一点突破(で物事を成す。)する……。まあ、口で言うほど簡単ではない事ですけど(苦笑。
戦術レベルでの頭脳が駄目なので、ゲームでやってみたけど、負けた……(泣。
アスペルガ―とかでも障害者年金ってもらえるのでしょうか?
pennpenn58さん wrote:
>あさかぜさん、子育てはまだ長いですがほどほどに頑張りましょうね。
ぼちぼちいきます。
あまり真面目ではないんですよ、わたし。疲れない程度に相手をしてます。わしだって人間じゃあー!と時々ぷっつんして「おかあさんが壊れた」と娘に言われたりしながら過ごしていますよ。
そのうち見切りを覚えてくれるでしょう(笑)
武田好史 wrote:
>蝙蝠(内省型) wrote:
>> ここに書かれていることは医学からは完全に脱線している…。
>>
>> 自閉とは本人にとって2つの意味がある…。1つは生まれつき
>>持っている対人交流の障害…。もう1つは社会と折り合いをつけ
>>ていくために自らの心を閉ざしていくこと…。
いや我々アスペルガー・シンドローム・ペイシャントは言語を操れるだけ、言葉を話せないカナー・シンドローム・ペイシャントよりも幸せであるといえる!
リヒトハイム(1885)は、我々人類が正常に言葉を聞いて・理解し・自分の思考を話すためには、脳の中で「聴性入力を分析する中枢(A)」・「言葉の概念を汲み取る中枢(B)」・「声を出すために構音機関へ指令する中枢(M)」が互いに連携して働いている必要があると説いている。
← B
←
M ← A
↓ ↑
運動出力 聴性入力
というような感じでな(リヒトハイムの家という図式)。
人間はこの連携の経路に障害を受けると、「失語症」といって言葉が話せなくなったり・会話の意味が理解できなくなったり・見た物事を言葉に表現することができなくなったり・文法が混乱した「ジャルゴン」や「言葉のサラダ」の発生といった障害が出てくるハンディを背負うことになる。先天的に「失語症」なのが「言語障害」であるとも言える
我々が「自閉症」と呼ばれる由縁は、この「失語症」というハンディによるところが大きいのではと、俺は思えてならない。つまり「言葉の不自由さ・流暢性のなさから、その人の心の奥底をうかがうことができないか・困難な人」という意味が、「自閉」という用語の原義なのだろう。
何を言われても「ディ!」としか言い返さない人は、「MまたはB」の中枢にダメージがある。話すことができても、文法がバラバラだったり・ひょんなところへ無関係な言葉を入れてしまうという人は、「A」の中枢ににダメージがある。
昨日の新聞で、「精神分裂病」の名前が、患者さんからのの強い要請で「統合失調症」と変更されることになったということは、君もご存知のことと思うが、「精神分裂」という悪しき名称の由来も、患者さんが脳内物質のアンバランスによる前頭葉の機能低下と辺縁系の著しい興奮のために、「言葉のサラダ」「妄想」という状態へ陥り、正常な言語活動が営めなくなってしまった、つらい・悲しい・もどかしい状態に、冷酷な研究者が「まるで人間の精神が分裂してしまったようだぞ!!」ととってつけたように付けたものなのである。
>
あさかぜ さんwrote:
> るうさん、イヌネコ・コミュニケーションは大切にしてくださいね。大事なことだと思うから。犬マッサージなんか覚えて、犬のヒーラーになっちゃうなんて手もありそう。需要はありそうですよ。
> 『フォックス先生の犬マッサージ』(新潮OH!文庫)の訳者、山田雅久さんは散歩中の犬にテレパシーを送って、コミュニケーションを交わす方法を開発中とか……。
犬マッサージが文庫になってるの! 2年前の犬の死の直前に成星出版のを買って、ずっと飾ってある。
何もできてない私の切なる望みが、動物専門ヒーラーになることです。ヒトほど狂ってないように見えるから、たたられにくそうだし(コラコラ)
Mariaさんちの東京ゴーストバスターズ(違うか?)はどうなったんだろうね。色々全部やってくれるんだろうか。頼もしいことだよ。
みどりさん wrote:
> みどりは職場では一切外部への投稿はしてません〜
> 私の問題は出勤時間の方 (-_-;;;
おお、真面目だ。
“Rogue”と『テトリス』が流行ったときは凄かったぞ。マシンに向かっている奴はほとんど誰も仕事をしていないという……「“Rogue”禁止令」の出た大学・研究機関は数知れず、アスキーで『テトリス禁止令』が出たのも有名な話。
かつて第二次世界大戦中にイギリスの応用数学者の間で『偽金の問題』というのが流行ったとき、政府の某筋から「ドイツの潜水艦を沈めるのに使われるべき英国の重要な頭脳が、このような遊びに費やされているのはまことに遺憾である」という声明が出されたのは割と有名な話。「ひょっとしたらドイツの陰謀じゃないか?」という話が当時あったそうで、『テトリス』も「西側のソフトウェア生産性を落とすために開発された」という噂がマジで囁かれていました。
アメリカのゲームソフトには「NBIC機能」というのがたいていついています。これは“Now Boss is coming!”(「上司が来たぞ!」)の略だそうで、ゲームをやっている途中にエスケープボタンを押すと画面がスプレッドシート・ソフトウェア(たとえばExcel)になるとかね。日本のパソコンゲーム、特にエッチゲームの場合、「パニックボタン」機能というのがあって、この場合は「親が来た」。
そんなわけで、かつてソフトウェア開発や出版の世界では職場で・就業時間内の・マシンに向かった・サボりが常態化していたので、「仕事してそうに見えない奴・会社に出てこない奴のほうが生産性が高い」というややこしい事態になっていました。今はどうだか知らないけどね。こうなると勤務時間とか時間給という概念そのものが無意味になっちゃうわけで、産業の活性化というなら早く在宅勤務というものを活用することを考えたほうがいいと思うぞ。
現在は働き手のやる気と実力だけが頼り、という状況です。勤務の形態とか、給与体系とか、技術的・事務的サポートとか、そういった問題は各企業だけじゃどうしようもなくて、法制度から整備してゆかなければなりません。
在宅就労というのは、決して「贅沢な」就労形態ではなく、しばしば「必要な」形態だったりします。なにしろソフトウェア開発や原稿執筆に必要な資料はあらかた家にあって、それを会社に持ってゆくと一部屋いるんだもん。会社は場所を提供してくれるわけでもなければ必要な資料を全部揃えてくれるわけでもない。会社の便利なところはわからなことがあったときに周りの人に訊けることだけど、専門的な質問となると、人の仕事に割込んで質問するというのもはばかられます。けっきょく掲示板や電子メールでの問い合わせになるわけで、だったらどこで仕事してたって同じじゃん、ということになっちゃうわけです。
こういうことを言っていると、「あんたが先頭切ってやんなさい」と言われてしまうのですけどね。少なくともソフトウェア開発とマニュアル執筆と産業翻訳に関しては、「これはどうやるの?」「これはどういう意味なの?」「これはどう訳すの?」みたいな掲示板があるといいな、と思います。
(Maria)
みどり wrote:
>グルンサ wrote:
>> みどりさんも職場でカキコしてることがおありなんだろうか…と、カキコの時間からつい気になるグルンサです。いらぬ世話かとは思いますが…。)
>
>みどりは職場では一切外部への投稿はしてません〜
>私の問題は出勤時間の方 (-_-;;;
私は職場から書きまくってます。
#社長・室長、見のがしてネ
グルンサ wrote:
> みどりさんも職場でカキコしてることがおありなんだろうか…と、カキコの時間からつい気になるグルンサです。いらぬ世話かとは思いますが…。)
みどりは職場では一切外部への投稿はしてません〜
私の問題は出勤時間の方 (-_-;;;
名加野さん wrote:
>Mariaさん wrote:
>
>> 国語辞典は、日本語がわかっている人が使うものなので、記述も「説明」ではなく「単なる言換え」でしかないことがあり、その結果、記述がすぐに循環論法に陥ってしまいます。
>
> ちょっと話は戻りますが、「ばか」と「あほ」の関係ですね……。辞書で、
>
>#あほ・・・馬鹿なこと。
>
>#馬鹿・・・あほなこと。
>
> これを見たとき、なんじゃこりゃー! と思いました(爆。
↑わはははは!確かにその通りだわ。
名加野さん、あまり職場でカキコしない方がいいんじゃ…?(失礼ですが、カキコの時間を見るたび、「?!」と思っていた身としては…[と言ってる私も、職場で書いてんのよね、これ(−−;)。]。人のことは言えません。ごめんなさい。私も気をつけよ。そう言えば、これまた失礼ですが、みどりさんも職場でカキコしてることがおありなんだろうか…と、カキコの時間からつい気になるグルンサです。いらぬ世話かとは思いますが…。)
あさかぜ wrote:
> 夕暮れの町角に、わたしの名を呼ぶ家族の声がこだまする(笑)……なんてことをしょっちゅうやっていたもんね♪ 学校は行ったけど、すぐ頭痛を訴えて、あげくに早退するというのもしょっちゅうだったようです。うちに帰ると見違えるように元気になって飛び回っていたから……母に何を言われたかはご想像におまかせします。
そういえば私もいつも「たまにはまっすぐ帰ってこい」って言われてました。
放課後はいつも、何の用事があるでもなく、そこらを散策してました。
幸い、帰ろうと思えば帰る能力はあったので迷子ではなかったんですけど。
大学生まではそうだったなあ。卒業後は、「放課後」に相当する時間が相当遅くなってしまって、散策時間が消えてしまいましたけど。
>> ASの兄は肉ばかり食べてました。あと、ケーキも。兄とは食べ物の好き嫌いがかみあわなくて、母はいつも食事メニューには困っていました。
> 食べ物の好みはASだとはっきりしているみたいですね。娘はきっぱり偏食!決まったものしか食べないし、こだわると同じ物ばかり食べ続けるから。おなかがすいていても、気に入ったものがないと食べません。学校給食なんてほとんど食べないから、迎えにいくと先生が「今日は給食を食べましたよ」と報告してくれるのが習慣になってしまいました(苦笑)
私もすごい偏食だった!! 「定食」というものはナゾの副菜が多いのでまず食べられませんでした。
「カレー」とか「牛丼」とか、余計なものが入ってないことがわかりきったメニューじゃないと食べられませんでした。
学校の食堂なんかでも、いつも同じメニュー。
ただ大人になって三食中2食を外食頼みの生活になったら、選ぶのも面倒になってなんでも食べるようになりましたけど。
そしたらそしたで、世界中のいろいろなものを食べつくさないといけないような気分になって、これはこれで問題だったりする。
名加野さん wrote:
> そろそろ、僕も家でないと書きこみが難しくなってきました。余り書いてると、首になりそうです。業務に関係無い事だから……。
> ども、こんにちは。名加野です。書くつもりは無かったのですが……ああ、首が……(苦笑。
えー、気づいてみれば累積書込み数は一万件を突破していたりします。うーむ。
本当は累積書込み数一万件突破を期してあたしたち大森総合研究所のメンバーは『アスペルガーの館の掲示板』を撤退しようと思っていました。まあ、あたしとMotoちゃんはそれなりの役割があるから片足だけは残すような形でちょこちょこ顔を出すつもりではいるのだけどさ、『アスペルガーの館の掲示板』の基本的性格からしてジャンクネタばっかりというのも気がひけるのね。で、JoshyaさんとKILROYさんは日本語処理やら障礙者向けのシステム開発(視聴覚障礙者向けユーティリティ、たとえば自動点訳システムの開発や、発達障礙児向けの教育ソフトウェアとかの開発)、それに個人を対象とした出版の支援業務やマニュアル執筆(←日銭が入る)、および障礙者の自立支援(←自分も入ってる)のための組織づくりのための動き出そうとしています。で、そっちのほうの活動の場が欲しい、ということだったりします。
ついでながら、ジャンクネタ専門ボードとか、文藝ネタ専門ボードとかを作れるといいな、と思います。
さて、本題。(↑じつはこれが前フリだった)
「ネットにハマってさあ大変」みたいな話は多いんだけどさ、それのどこが悪いのか、という話だったりします。
ネットサーフィンにハマるというのはかなり不毛です。まあ、おおむねアダルトサイトだったりするわけで、社会生活の役に立たないから。出会い系サイトというのも実益がない(ある人もいるかもしれないけど)からこれも却下。人生相談みたいな部分でストレスが解消できる掲示板もあるんだけれど、ほとんどはグチの垂れ流しで終わっていたりします。
とはいえ、有益かつ有意義なサイトというのはあるものなのですね。で、『アスペルガーの館の掲示板』というのはそういう観点からいうと水準高いんでないかい?ということだったりします。
その理由は二つ。「『文章を書く』という行為に対して前向きな人が多い」ことと、「情報交換・情報提供の書込みが多い」こと。
単に「文章がうまい」人というのはいるんですよ。だけど、はっきり伝える相手を意識して、「これを伝えたい」というものをいかに伝えるか、みたいな目的意識を持って書いている人というのは意外に少ない。その点、この『アスペルガーの館の掲示板』の常連書込みメンバーというのは、「伝えるえるべきこと」と「伝える相手」がはっきりしていて、それがここのところのアクセス数上昇に貢献してると思うのね。
でまあ、もう一つは疑問・質問についてのレスがきっちり付くというのもあります。「レス禁止」とかいう掲示板もあるんだけどさ、それでは双方向メディアである価値と必然性がないというものです。
そんなわけで、「日本語」とか「書く技術」とか「システム全般」とか「障礙者の自立」とか「ザコネタ」とかいったテーマ別掲示板というのが欲しいし、そうなると仕事にも活用できたりもするわけです。
かつてあたしが出入りしていた掲示板には、プログラミングやシステム開発の話題に社会批判みたいなものを絡めて、ソフトウェア開発会社の新人教育のテキストに使えそうでなおかつエッセイとしても面白く読める、みたいな文書を書いちゃう人がいました。あたしは最近書きとばしているのでちょっと文章が雑になって誤字脱字多いんだけどさ、それなりに「読める」文章を心がけてはいるわけです。
やっぱり「文章力」って仕事に必要なんですよね。特にSOHO(サテライト・オフィス/ホーム・オフィス)だとかいうことになると、文章によるコミュニケーションというのはとても大事。あるいは派遣業務が多くて従業員があっちこっちの職場に散っていたり、別々の場所でシステムの各部分がそれぞれ開発されていたり(オンライン系のシステムでは珍しくありません)した場合もそうです。そんなわけで、文章力は会社の実力でもあるわけで、「我が社の威信にかけて書け」とか上司に言われて掲示板に書込みしてる人までいたもんな。
そんなわけで、「自閉症方面」「個人の気持・感情」という部分をちょっと離れて、お仕事っぽいというかオフィシャルというか、そうした「書けるひと/書けるようになりたいひと」「できるひと/できるようになりたいひと」のためのサイト、というのを立ち上げることをちょっと本気になって考えています。まあ、CGIとかTCP/IPとかの勉強でけっこう頭一杯だし、作らなきゃいけない資料とかも多くて手一杯、四面八臂といわれた大森総研スタッフもけっこうメゲてたりするんだけど、まあ、やれるんじゃないか、と思ってます。
チーム名は、“Crippled Company”。日本語に訳せば、『癈兵部隊』。コンセプトは、「我々はまだ戦える」。
(Maria)
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