アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
たま子 wrote:
>知能検査は昔から学校でよく受けましたが、
>何故か結果は本人には公表しないのですよ。
義務教育就学時に、一斉知能検査が実施されるはずです。
この結果は、本人だけでなく、親権者・監護者にも知らせません。
就学前に、幼稚園の入園試験に、知能検査様のものが採用されることもありますが、
この結果は、当然、公表されません(笑)
が、入園を許可されれば、一定水準はクリアしている、との判断だったのだということでしょう。
>ああいうのも通知表と一緒で学校側が
>期間を決めて保管しとくものでしょうか。
学校法により、保管年数の決まっている書類に含まれる筈です。
5年10年…の、どれに分類されるかは、学校法の資料が押入の奥なので、すぐには調べられませんが。
>> またLDと言われなくても"何かおかしい"と検査している方が感じるよ
>> うなので追加検査等が行われる場合もあります。
私は、追加検査を受けました。「自閉症」なら、この値はおかしい、という理由で。
この前のアンケートには、SUNさん・4番さんより回答を頂きました。たいへんありがとうごさいました。
さて、今日は自閉症の分類に用いられている、「高機能」および「低機能」という用語について、考えてみたいと思います。
私は、ボランティアをしている福祉作業所で、「低機能とよばれる」自閉症の方と接したことがあるのですが、私のような立場の者からみると、この「高機能」・「低機能」という言葉は、非常に差別的で望ましくない表現に思えるのです。
彼らは、確かに、我々と異なって、だんまりだったり、オウム替えしをしたり、奇妙な指遊びにふけっていたりします。また、仕事面でも、いちいち「これでいいのか」と確認したり、雷の音が怖くて作業に身が入らず窓のところにいって天気の様子を見るといったことがあります。
しかし、とはいっても、彼らの仕事の質は優れていて、さしこを私よりも上手にしあげたり、指導員と協力しておいしいハーブ入りのケーキを焼き上げたりしています。
このような所見から考えるに私は、彼らが私たちと同じように、ある限定された環境条件下のもとでのみでしか生きることが困難な人々であり、彼らはその条件の個数が私たちよりも多いだけで、「低機能」といった差別な表現で彼らを形容することは、彼らはもちろんのこと彼らを養育している親御さんにも大変失礼なことだと思えてなりません。
代わりに「軽度の」・「重度の」という言い方や、言葉による意志の疎通ができるかどうかに力点を置いて、「アスペルガー症候群」・「カナー症候群」というふうな用語を用いるほうがよいと、私は思います
たま子 wrote:
>3年ぐらい前から思っていたので、実際にそういう概念がないかどうか、
>LD親の会やLD児童に接している教育関係の方などにいろいろお聞き
>しましたが要領を得た回答を得られませんでした。
たいぶLDについてこだわっておられるようみたいですが・・・。
それなら、知能検査(WAIS-R)を受けてみるのはどーでしょうか?
これでVIQとPIQとの間に差があったり、下位検査のばらつきが
大きければLDが濃厚になります。
またLDと言われなくても"何かおかしい"と検査している方が感じるよ
うなので追加検査等が行われる場合もあります。
ただ、この検査で正常範囲内であれば"LDである"と言う可能性は無い
と思った方が良いとは思います・・・・多分。
Niki Lingko(マルハナバチ) wrote:
>青木雨人 wrote:
>>それから、マルハナバチさんや「片づけられない女たち」の記述に共感する人たちに聞きたいのですが、何か行動を起こそうとするときや、動作を開始するとき、言葉を発するときなど、行動を開始するきっかけが掴めないような感じはしませんか?
>
>私の場合は、そうでもないです。それより、
書いてしまってから、あ、これは誤解の元になるな、と気づいたので補足させてください。
身体のどこかを動かすのに、動き出せないということは、確かにごくたまにありますが、それが「片づけられない」ことの原因になっているということはありません。
片づけられない状態のことも「動き出せない」とは表現しますが、こちらの「動き出せない」は、筋肉の動かしかた自体を思い出せなかったり、リズムがつかめなかったりすることではなく、「行動を起こそう」という決心がつかない、もっと高次の、まとまった行動が計画できない、という意味で使われています。
「片づけられない女たち」の中では、「意志力が麻痺してしまった」という表現が引用されています。
計画がたくさん浮かびすぎて絞れない、順番が決められないのが一つ。もう一つは、「やらなければいけない雑事」よりも、「大好きなこだわりテーマ」の方へと引きずられるという点です。
>
>最初の、「計画が絞れない」のがADHDっぽい部分で、「こだわりに引きずられる」のがアスペルガー的な部分かな、と思っています。
>
>> ところで、マルハナさんの症状に、「視野の狭さと細部志向」「切り替えの遅さ」「繰り返し好き」「視覚認知はよくないが、積木模様はよい」「奥行きが測れず、物にぶつかる」「人の顔が覚えられない」「地図が読めず、迷子になる」などというのがあるそうですが、これらの症状についてNLDに良く似ていると提言したのですが、これについて「大脳における左右性より、注意のあり方や意識の切り替り方が関係している」と書かれていました。
>
>いえ、「大脳における左右性より、注意のあり方や意識の切り替り方が関係している」と書いたのは、上記の全部についてではありません。「視野の狭さと細部志向」「切り替えの遅さ」「繰り返し好き」の部分についてのみ述べたものです。
>
>そして、「視野の狭さ」が影響しているであろう根拠として、「積み木模様は良い」という点を挙げたのでした。
>
>「視野の狭さ」「切り替えの遅さ」「繰り返し好き」「積木模様が良い」は、言語に問題があり、空間認知の非常に良い、『自閉性障害』と診断されている友人たちにも共通する問題だからです。
>
>
>>おまけに、たしかマルハナさんのホームページに、「【左】という概念が消えてしまった患者の症例に興味を抱いていた」といったようなことが書いてあったように記憶していますが、この症例(半側性空間無視)も、右脳が損傷した患者に現れるのです。どういうわけか、左脳が損傷した患者にはあまり現れないそうです。
>
>半側無視の症例の症状そのものに興味を持ったわけではありません。単に、私の「カンのきかなさ」を説明する比喩として使いたかっただけです。実際に、私に左側の視野がなかったり、左側という概念がないわけではありません。
>
>私にとって、「カン」とか「場の雰囲気」とか「気配り」とか「間合い」とか「常識」とかいった概念は、『半側無視の患者さんにとって左側が存在しないと同じくらい想像のつかない概念でしかなかった』という意味で、比喩として使ったにすぎません。
>
>私が「私はカンを働かせることができない」といくら説明してもよく分かってもらえないことが多いので、それを「半盲と半側無視のちがい」にたとえて説明してみたのです。
>
>なぜこのような比喩を使わなければならなかったかというと、「場の雰囲気」「間合い」「常識」といったものが、「どんなものなのかは知っているが、それが単に読めない」という状態と、よく混同されていたからです。私にとっては、「場の雰囲気」というのは、読めないのではなく、「場の雰囲気という概念自体が存在しなかった」のに。
>
>> 「視野の狭さと細部志向」は、右脳の機能低下が関係していると思われますし、「切り替えの遅さ」は、右半球性の疾患と関連があると推測されているパーキンソン病の症状である「運動開始困難症」に似ていますし、
>
>そうだったんですか。私は脳のことはよく知らないので、知りませんでした。面白い情報をありがとうございます。だとすると、左脳で処理する課題が苦手な友人たち(言葉に不自由があり、空間認知のすぐれている自閉性障害の人たち)が、右脳に問題を持っているというのは、とても面白いですね。
>
>>「奥行きが測れず、物にぶつかる」というのも、右脳の機能低下による「空間失認」「失行症」を思わせますし、「人の顔が覚えられない(相貌失認に近似?)」や「地図が読めず、迷子になる(失見当識か?)」も、右半球性の症状を連想させます。
>
>えっと、ここでご発言の意図を確認しておきたいのですが、私がNLDだろうというご意見は、アスペルガーという診断に取って代わるものとお考えですか? それとも、重複障害としてお考えですか?
>
>(別に、どっちだったらどうだっていう含みはありませんが。青木さんがこの場で診断行為をなさろうとしてるわけではないことはもちろん承知していますから。
>
>ただ、実在の人物である私が実例としてあげられる理由は何なのかな、と思って。私自身は、診断を下した先生と、毎月、直接顔を合わせる関係が続いているので、あまり無責任なことを書くわけにもいかないんです)
>
>> 今出てきた「運動開始困難症」なる症状は、脳幹から前頭葉に伸びているA10神経の伝達物質であるドーパミンが不足することが関係しているらしいです。そのため、この患者には、ドーパミンの不足を補う働きのあるLドーパなるものを与えることによって、症状が改善するそうです。ちなみに、前頭葉には、運動の引き金を引くことに関与している領野がいくつかあり、補足言語野というエリアが損傷すると、言葉を話すきっかけが掴めなくなるという症状があらわれ、補足運動野というエリアが損傷すると、運動を開始するきっかけが掴めなくなるそうです。
>
>この「片づけられない女たち」という本は、注意欠陥多動性障害(ADHD)についての一般向け啓蒙書で、ADHDの原因や生理学にはあまり突っ込んでいませんが、ドーパミンの代謝の異常による可能性が高いという程度には触れられています。また、ADHDに使われることの多い中枢神経刺激剤は、ドーパミン系に影響を与えるようです。
>
>> これらの類推がある程度当たっているとすれば、「片づけ困難症」に苦しんでいる患者には、Lドーパの投与が功を奏するかもしれません。
>
>Lドーパというのがどんな薬なのかは知りませんけど、現に何十年も使われてきた実績のある薬が何種類もあるので、そこまで考えてみたことはありませんでした。
青木雨人 wrote:
> ニキ・リンコ訳〈ニキ・リンコさんとマルハナバチさんは、ひょっとして同一人物でしょうか?〉
はい、同一人物です。「マルハナバチ訳」では、書店に並んだときにふざけているのかと思われても困りますし、書評なんかも載せて貰えないかもしれないし、営業的に不利だと考えまして。
>それから、マルハナバチさんや「片づけられない女たち」の記述に共感する人たちに聞きたいのですが、何か行動を起こそうとするときや、動作を開始するとき、言葉を発するときなど、行動を開始するきっかけが掴めないような感じはしませんか?
私の場合は、そうでもないです。それより、計画がたくさん浮かびすぎて絞れない、順番が決められないのが一つ。もう一つは、「やらなければいけない雑事」よりも、「大好きなこだわりテーマ」の方へと引きずられるという点です。
最初の、「計画が絞れない」のがADHDっぽい部分で、「こだわりに引きずられる」のがアスペルガー的な部分かな、と思っています。
> ところで、マルハナさんの症状に、「視野の狭さと細部志向」「切り替えの遅さ」「繰り返し好き」「視覚認知はよくないが、積木模様はよい」「奥行きが測れず、物にぶつかる」「人の顔が覚えられない」「地図が読めず、迷子になる」などというのがあるそうですが、これらの症状についてNLDに良く似ていると提言したのですが、これについて「大脳における左右性より、注意のあり方や意識の切り替り方が関係している」と書かれていました。
いえ、「大脳における左右性より、注意のあり方や意識の切り替り方が関係している」と書いたのは、上記の全部についてではありません。「視野の狭さと細部志向」「切り替えの遅さ」「繰り返し好き」の部分についてのみ述べたものです。
そして、「視野の狭さ」が影響しているであろう根拠として、「積み木模様は良い」という点を挙げたのでした。
「視野の狭さ」「切り替えの遅さ」「繰り返し好き」「積木模様が良い」は、言語に問題があり、空間認知の非常に良い、『自閉性障害』と診断されている友人たちにも共通する問題だからです。
>おまけに、たしかマルハナさんのホームページに、「【左】という概念が消えてしまった患者の症例に興味を抱いていた」といったようなことが書いてあったように記憶していますが、この症例(半側性空間無視)も、右脳が損傷した患者に現れるのです。どういうわけか、左脳が損傷した患者にはあまり現れないそうです。
半側無視の症例の症状そのものに興味を持ったわけではありません。単に、私の「カンのきかなさ」を説明する比喩として使いたかっただけです。実際に、私に左側の視野がなかったり、左側という概念がないわけではありません。
私にとって、「カン」とか「場の雰囲気」とか「気配り」とか「間合い」とか「常識」とかいった概念は、『半側無視の患者さんにとって左側が存在しないと同じくらい想像のつかない概念でしかなかった』という意味で、比喩として使ったにすぎません。
私が「私はカンを働かせることができない」といくら説明してもよく分かってもらえないことが多いので、それを「半盲と半側無視のちがい」にたとえて説明してみたのです。
なぜこのような比喩を使わなければならなかったかというと、「場の雰囲気」「間合い」「常識」といったものが、「どんなものなのかは知っているが、それが単に読めない」という状態と、よく混同されていたからです。私にとっては、「場の雰囲気」というのは、読めないのではなく、「場の雰囲気という概念自体が存在しなかった」のに。
> 「視野の狭さと細部志向」は、右脳の機能低下が関係していると思われますし、「切り替えの遅さ」は、右半球性の疾患と関連があると推測されているパーキンソン病の症状である「運動開始困難症」に似ていますし、
そうだったんですか。私は脳のことはよく知らないので、知りませんでした。面白い情報をありがとうございます。だとすると、左脳で処理する課題が苦手な友人たち(言葉に不自由があり、空間認知のすぐれている自閉性障害の人たち)が、右脳に問題を持っているというのは、とても面白いですね。
>「奥行きが測れず、物にぶつかる」というのも、右脳の機能低下による「空間失認」「失行症」を思わせますし、「人の顔が覚えられない(相貌失認に近似?)」や「地図が読めず、迷子になる(失見当識か?)」も、右半球性の症状を連想させます。
えっと、ここでご発言の意図を確認しておきたいのですが、私がNLDだろうというご意見は、アスペルガーという診断に取って代わるものとお考えですか? それとも、重複障害としてお考えですか?
(別に、どっちだったらどうだっていう含みはありませんが。青木さんがこの場で診断行為をなさろうとしてるわけではないことはもちろん承知していますから。
ただ、実在の人物である私が実例としてあげられる理由は何なのかな、と思って。私自身は、診断を下した先生と、毎月、直接顔を合わせる関係が続いているので、あまり無責任なことを書くわけにもいかないんです)
> 今出てきた「運動開始困難症」なる症状は、脳幹から前頭葉に伸びているA10神経の伝達物質であるドーパミンが不足することが関係しているらしいです。そのため、この患者には、ドーパミンの不足を補う働きのあるLドーパなるものを与えることによって、症状が改善するそうです。ちなみに、前頭葉には、運動の引き金を引くことに関与している領野がいくつかあり、補足言語野というエリアが損傷すると、言葉を話すきっかけが掴めなくなるという症状があらわれ、補足運動野というエリアが損傷すると、運動を開始するきっかけが掴めなくなるそうです。
この「片づけられない女たち」という本は、注意欠陥多動性障害(ADHD)についての一般向け啓蒙書で、ADHDの原因や生理学にはあまり突っ込んでいませんが、ドーパミンの代謝の異常による可能性が高いという程度には触れられています。また、ADHDに使われることの多い中枢神経刺激剤は、ドーパミン系に影響を与えるようです。
> これらの類推がある程度当たっているとすれば、「片づけ困難症」に苦しんでいる患者には、Lドーパの投与が功を奏するかもしれません。
Lドーパというのがどんな薬なのかは知りませんけど、現に何十年も使われてきた実績のある薬が何種類もあるので、そこまで考えてみたことはありませんでした。
>映画よりもびっくりした事は、映画が終わった後で特別出演したパッチ本人です。
>すっごく、変人で魅力的で活力に溢れている。そのエネルギーはどこからきたのだろうか。彼には、すごく興味をひかれます。人まねがうまいロビンも彼にはかなわないだろう。
とても魅力的な人ですよね。大好きです。
ロビンもパッチも。
ところで、パッチ本人も出ていたんですか?
レンタルビデオで借りてみましたが、それにも出ていたんでしょうか?
だとしたら見逃してしまいました。ショックです。
それとも購入した人にはサービスでついているんでしょうか?
>私が入院したときに、パッチがいれば静かで落ち着いた個室を用意してくれたんだろうな。
きっと、一番求めているものはなんなのかに気づいて
落ち着いた個室を用意してくれたかもしれないですね。
何かパッチ独特の、おまけのサービスもついてたかも知れませんね。
私もパッチにみてもらいたいなあと思いながら見ていました。
いい映画です。宣伝のイメージと違う映画でした。
シュッツ wrote:
>「世界不思議発見」でやっていた、ガラパゴスのウミイグアナですね。>
そうです。ガラパゴス島の進化って面白いですよね。
>私は水が大嫌い。
>頭に冷たい水がかかると、呼吸困難になります。
赤ん坊のときは、羊水の中で浮かんでいるのに水関係が苦手なんてなんか矛盾しているような気がする。
>「アンドリュウ(何とか)」という題です。
>人間以上の心を持ったロボットが人間になろうとする話です。
>こんなロボットなら人間より遥かにましです。
アンドリュウ役のロビン・ウィリアムズが主演していたビデオを買いました。
精神病院に入院したパッチ・アダムスが、医学を志し 笑いと共感を取り込む医療の先駆者的存在になったという物語。
映画よりもびっくりした事は、映画が終わった後で特別出演したパッチ本人です。
すっごく、変人で魅力的で活力に溢れている。そのエネルギーはどこからきたのだろうか。彼には、すごく興味をひかれます。人まねがうまいロビンも彼にはかなわないだろう。
私が入院したときに、パッチがいれば静かで落ち着いた個室を用意してくれたんだろうな。
自閉症と思われるマユ wrote:
>あるクイズ番組でやっていたのですが、ある生き物〔実はそのテレビを真剣に見ていなかったので哺乳類か爬虫類か何かはわからないのです〕のことです。
>その生き物は通常陸で住んでいて肺呼吸をしています。その生き物が長時間海底で獲物をとりつづけられるのは、どうしてか。
>
>答えは、心拍を少なくするから。これは、カタトニアというものに似ていませんか。
「世界不思議発見」でやっていた、ガラパゴスのウミイグアナですね。
>海底と考えれば、自然と言葉も要らなくなります。ただ、水が嫌いな人もいるし、私は水泳が苦手です。こうなるとかけられた魔法は感覚障害ということになりか。
私は水が大嫌い。
頭に冷たい水がかかると、呼吸困難になります。
話変わって、私の大好きな小説、アイザック・アシモフの「バイセンテニアルマン」が映画化されました。
「アンドリュウ(何とか)」という題です。
人間以上の心を持ったロボットが人間になろうとする話です。
こんなロボットなら人間より遥かにましです。
>でも、多分宇宙の何処かの星から着たんだと思います。だから、空をみて
>帰りたいと思います。
遺伝子の元は遠い宇宙の彼方から流星にのって運ばれたという説を唱えた学者がいましたね。だとしたら、生物の進化自体初めからそうゆう意思のもとで変化〔進化〕したのだろうか。
本当は、地球をきれいな地球を楽しみたいけど。。。
「ガラスの地球を守れ」と手塚治虫さんの作品に出てきた火の鳥も流星を連想させます。私は、手塚さんも新井素子さんも自閉症的だと思います。
新井素子さんの小説「緑幻想」でも
「連れてって。あたしのゆけない処へ。、、、いちめんの菜の花の溢れる世界へ。 以上引用」
皆、帰りたがっている。
なんか、ゲームのクロノ・クロスを思い出しました。「星が夢を見ている」遺伝子の鎖の先には何があるんだろうか。
「てんねんボケ」とよばれるひとびとのなかに、
ADHDが含まれていることは確実だと思います。
いや、ADHDと呼ばれている人々のなかに天然ボケが・・・。
それはちょっと言い過ぎかもしれませんね。
わたしはずーっと「てんねん」といわれておもしろがられてました。
「天然ボケ」とは、ADHDを好意的に見てくれる、
数少ない救いの言葉なのかもしれない。ですね。
自閉症と思われるマユ wrote:
>>皆さんも、イルカに惹かれることはありませんか。海に還りたいと思った事はありませんか。
あります。イルカを尊敬しているし。。。
でも、多分宇宙の何処かの星から着たんだと思います。だから、空をみて
帰りたいと思います。本当は、地球をきれいな地球を楽しみたいけど。。。
人との関係では、、」難しいし。。でもきれいな地球はすき、でも,むなしい。
故郷に帰りたい。
そんな風に思う人は居ますか?
家にずっといると、いろんな考えが浮かんできます。さっきまでペンギンさんのホームページに行っていました。
すごく励まされました。ペンギンさん、ありがとうございました。
ところで,自閉症を進化のいたずらと考えるとすごく面白いとは思いませんか。
あるクイズ番組でやっていたのですが、ある生き物〔実はそのテレビを真剣に見ていなかったので哺乳類か爬虫類か何かはわからないのです〕のことです。
その生き物は通常陸で住んでいて肺呼吸をしています。その生き物が長時間海底で獲物をとりつづけられるのは、どうしてか。
答えは、心拍を少なくするから。これは、カタトニアというものに似ていませんか。
「緊張したりストレスを感じた後に突然全身の力が抜けて、動作が鈍くなったり坐りこんでしまったりします。そんな時に頭の中でイヤ〜なことが次から次へと再生されたりすると、不整脈で息が苦しくなります。それに、力仕事をしたり冷えたりすると、筋肉が硬直して力が入らなくなります。これが「自閉症」の症状のカタトニアと言って良いのかどうかはよくわかりません。協調運動の発達の悪さに何らかの関連があるのでしょう。 以上ペンギンさんのテキストより」
遥か昔イルカが海に還った時、実は一部の人間も海に還ろうと思ったんじゃないだろうか。たとえば、太陽の光がまぶしく思うのも、海底から空を仰ぎ見たと考えると真っ暗な海水を突き刺すようなきらきらした光のオーロラが見えるわけで、強力な日光は必要ありません。
「君が教えてくれた事」のマユコの部屋にきらきら光るものかあるし、波を想像させるようなガラスに入った透明と青の液体。実は私も似たようなものを持ってます。私のはイルカが浮かんでいて温度計がついています。マユコのパソコンの上にあったガラスのオブジェも私のテレビの上のビデオの上にあります。100円店で買ったものでペンギンとリスです。ガラスで下部に青い色が入っています。
ペンギンさんが書いていた人魚伝説も私的に解釈すると、実は人間がイルカに恋をしたのではないでしょうか。海底へ会いに行きたいと強い思いが遺伝子に変化をもたらしたとしたら。この考えは、高校時代にはまった新井素子さんの小説から生み出された考えでもあります。
海底と考えれば、自然と言葉も要らなくなります。ただ、水が嫌いな人もいるし、私は水泳が苦手です。こうなるとかけられた魔法は感覚障害ということになりか。
皆さんも、イルカに惹かれることはありませんか。海に還りたいと思った事はありませんか。
ども、はじめまして
ASの話題でなくて恐縮なんですが、ADHDの話が上がっていたので
それに便乗する形になりますが。
「むかつく切れる暴れる ADD症候群」
と言う本の宣伝が朝日新聞の広告に載ってました。
内容はどうやら(宣伝文句から)
"最近多発する凶悪犯罪を起こす少年はADD症候群だ"
てなことなんでしょう。
実際に読んでみないとわかりませんが、どーせ"子どもの脳が危ない"
みたいな内容なんでしょーね。
どうも世間的にはADHD(ADD)は妙な方向へ理解されているようで、その
うち"私はADHDです"って言ったら石でもぶつけられる時代がくるんで
すかねー。
あー、やだやだ。
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