アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re: オフ会報告 10675へのコメント
No.10678  Sun, 27 Jan 2002 01:13:47 +0900  グルンサ [この発言にコメントする]

こうもりさん wrote:
> 土曜日の正午という時間帯にも関わらず、12人もの人が参加し、
>自分でもびっくりするぐらい盛況のうちに終わることができました。
>これも一重に参加してくださった皆様の多大なご尽力のおかげです。
>
> かなり行き当たりばったりな企画ではありましたが、今後も時折
>、開催してみたいと思います。まだお会いしたことのない皆様の参
>加を心よりお待ちしております。あるいは、今回参加された皆様が
>懲りずに参加してくださることを心よりお待ちしております。
>
> では、お休みなさい。

 こうもりさん、ミグさん、お疲れさまでした。
皆さん、いろいろありがとうございました。
 おやすみなさい。

P.S. この場をお借りして。私のハンドルを読みづらい方がいらしたようなので、改めて。『GURUNSA』と読みます。(でも、確かにカナ書きではわかりづらいかもしれませんね。私も、“thread”がカナ書きでわからなくて、聞いた事があります。)


Re: おともだち 10670へのコメント
No.10677  Sun, 27 Jan 2002 00:59:15 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

るうさん wrote:
>子供の頃、自分の中にお友達がいませんでしたか?
>いや、現実の世界じゃなくて、想像の世界に。

 わたしがこの掲示板に登場させているキャラクターのう
ち、蝙蝠(混乱型),蝙蝠(狂人型),蝙蝠(悪魔型)の
3名は、わたしの想像の世界の住人たちでした。

>私は子供の頃といわず、高校生ぐらいの頃までいたのです。
>でも、忘れてました、いつの間にか。
>多重人格とはあきらかに違うものです。

 わたしは今も見ます。さらに蝙蝠(激怒型),蝙蝠(内
省型)というキャラクターが加わって。

 それ以外にも下記のようなキャラクターたちと友達にな
っていたことがあります。

(1)鬼畜のバクヒン

 原因不明の熱病により全身の体毛を失ってしまった身長
190センチぐらいの大男。破壊こそが彼の全て

(2)タシス・トルガ

 薬を飲むことによって獣人となることができる軍人。あ
る時、獣人になったまま戻れなくなった。

(3)道化師のサタニコ

 去勢された過去を持つ太った金髪の道化師。人を笑わせ
るのは得意だが、本人は笑わない。

(4)ウーラン・ゴルベーザ

 全身にタトゥーを施したアメリカの空手家。人を殺して
服役した過去を持つ。

(5)オコジョ

 焼けただれた顔を持つ小男。火薬と劇薬を使いこなす天
才。

(6)ヤクシャ(夜叉)・ラムジン

 騎兵隊を率いる若き女将軍。性同一性障害を抱える。

 (6)以外は、全体的に異形の人が多いのが特徴です。

>彼女や彼は一体なんだったのでしょう???

 これらの人物が想像界に登場したのは、自分の障害に対
して病識を持ち、周囲との違和感に苦しみ始めた頃でした。
何か大多数の人とは異なる特徴を持っている人物を作り出
すことによって、それらの人物に自分を重ね合わせていた
のかもしれません。


Re: おともだち 10674へのコメント
No.10676  Sun, 27 Jan 2002 00:30:11 +0900  みるら [この発言にコメントする]

Maria wrote:
>るうさん wrote:
>> 子供の頃、自分の中にお友達がいませんでしたか?
>> いや、現実の世界じゃなくて、想像の世界に。
>> 私は子供の頃といわず、高校生ぐらいの頃までいたのです。
>> でも、忘れてました、いつの間にか。
>> 多重人格とはあきらかに違うものです。
>> 彼女や彼は一体なんだったのでしょう???

私はいつも見張られていました。怒られていました。脅えていました。
人とは思いませんでしたがなんだったのでしょう???


オフ会報告
No.10675  Sun, 27 Jan 2002 00:28:08 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

 準備まではやっていたけど、オフ会当日は自分の関心のあるテーマ
に熱中してしまい、幹事役をほったらかしにしてしまっていたこうも
りです。(ミグさん、みなさん、ごめんなさい)

 土曜日の正午という時間帯にも関わらず、12人もの人が参加し、
自分でもびっくりするぐらい盛況のうちに終わることができました。
これも一重に参加してくださった皆様の多大なご尽力のおかげです。

 かなり行き当たりばったりな企画ではありましたが、今後も時折
、開催してみたいと思います。まだお会いしたことのない皆様の参
加を心よりお待ちしております。あるいは、今回参加された皆様が
懲りずに参加してくださることを心よりお待ちしております。

 では、お休みなさい。


Re: おともだち 10670へのコメント
No.10674  Sat, 26 Jan 2002 23:38:57 +0900  Maria [この発言にコメントする]

るうさん wrote:
> 子供の頃、自分の中にお友達がいませんでしたか?
> いや、現実の世界じゃなくて、想像の世界に。
> 私は子供の頃といわず、高校生ぐらいの頃までいたのです。
> でも、忘れてました、いつの間にか。
> 多重人格とはあきらかに違うものです。
> 彼女や彼は一体なんだったのでしょう???

 「私はペルソナだと思ってるんだが」とJoshyaさん。「私はシステムエンジニアで研究者だし、KILROYはプログラマーだし、Motoちゃんはハッカーだし、Mariaは使い走りだし。」
 「それは違うでしょう」とKILROYさん。「それは対外的なもので、『自分の中での友達』じゃありませんし。むしろ他者の投影じゃないでしょうか。『もし自分がこういう立場だったら、こう思う』みたいな、社会における自己を確立してゆく過程において取込んだ他者。塩野七生さんの『わが友マキャベリ』なんかもそうだけど、そういう意味での『友人』を持っている人は珍しくありませんよ。Joshya氏にとってのイエス先生というのが、それだという気がする」
 「『陰』っつー可能性もあるぞ」と、これはMotoちゃん。「『生きられなかった自己』。おれらの場合は、『生きられなかった自己』を、仕事の上でどさくさのうちに自己実現しちゃったもんだから、それぞれの形で『自己』として独立しちゃったという」
 「ユング心理学における『アーキタイプ』というのはどうでしょうか」と、あたし。「Joshyaさんが『老賢者』。Motoちゃんが『トリックスター』。あたしが『アニマ』」
 「私は?」とKILROYさん。
 「単なるセルフでしょう。『アスペルガーの館の掲示板』に最初にデビューしたのもKILROYさんだし、オフ会とか出てんのもKILROYさんなんだから。」
 「……なるほどね。」
 「するってぇと、私は実在の人物じゃないのかね」とJoshyaさん。
 「営業用の顔というか、仕事上の顔じゃないですか? でなかったら、『普通の人』向けの顔」
 「いちおう素顔ということになってるんだけどね。生まれた時からこの顔だから。」
 「だから、周りがぜんぶ『普通の人』なんだもん。お仲間ができて、ようやく“KILROY”っていう素顔が出たんじゃないですか?」
 「つまり、あっちが地であると。なるほど」
 「その割には窮屈ですがね」と、KILROYさん。「優等生の裏の顔にしちゃあ、ちょいと真面目が過ぎませんか。」
 「……悪かったな、即物的な悩みしかなくて。とはいえ、自閉症方面の人間なんて、そんなもんじゃないか?」

 「うーむ」と、一同。

 (Maria)


Re: 新宿オフ会 10667へのコメント
No.10673  Sat, 26 Jan 2002 22:40:06 +0900  みるら [この発言にコメントする]

ミルラです。(パスワードを失念いたしましたので平仮名にいたしました)
中途でお暇いたしまして失礼をいたしました。
本日はみなさまありがとうございました。
いろいろと引け目に感じていることが多かったこともあり
またはじめての機会でしたので緊張いたしましたし不安もございましたが
ほんとうに充実した時間を過ごすことができ嬉しく思っております。
新参者ですのでもし不適切な振る舞いがございましたら申し訳ございません。
多くの方の中に入ってこれほど楽でいられたのははじめてと言っていいほどです。
どうぞまたご一緒させてくださいませ。
お骨折りくださいましたみなさま、お話してくださったみなさま、
本当にありがとうございました。今夜は静かな水面の気分です。


Re: 新宿オフ会 10667へのコメント
No.10672  Sat, 26 Jan 2002 22:28:08 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

”けい” wrote:
>こんばんは。けいです。新宿オフ会参加してよかったです。
>
>自分と同じ悩みを共有できたので。アドバイスを下さった
>皆さん、有難うございました。
>
>又、機会があったら参加させて頂きますので、またまた
>宜しくお願いします。

みなさんありがとうございました!
おやすみなさい(〜Δ〜**)。


Re: 2つの自閉 (追記) 10663へのコメント
No.10671  Sat, 26 Jan 2002 22:20:18 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

みどり wrote:
>武田好史 wrote:
>> 他の人の抱えている「障害」について理解し、汲み取って自分の置かれた立場を理解していくということは、自らの「障害」というものの本質を知るということに関して、非常に重要なことであると私は思います。そのようにして、人というのは本当の意味での「生きていく力」「他人に対するいたわりの能力」を回りの人から分けてもらっているのです。
>
>他と自分を理解するところまではまったく異論はありませんが。
>
>で、理解した結果が「私は〜よりは幸せ」なわけ? それが「本当の意味での生きてゆく力」で「いたわり」なわけ?
>…私はそうは思わん。

 AS以外の障害者と接した経験のある自分から見れば、なんとなくそう見えてしまうということです。
 最も「自分はそれじゃあ、どうすればよいのか?」という答えは、自分自身もまだ解りません。一つだけ言えることは、「できない!」とくよくよするよりは、「こんな自分でも、何かできることはある!」と信ずることなのだと思います。


おともだち
No.10670  Sat, 26 Jan 2002 21:59:30 +0900  るう [この発言にコメントする]

子供の頃、自分の中にお友達がいませんでしたか?
いや、現実の世界じゃなくて、想像の世界に。
私は子供の頃といわず、高校生ぐらいの頃までいたのです。
でも、忘れてました、いつの間にか。
多重人格とはあきらかに違うものです。
彼女や彼は一体なんだったのでしょう???


Re: 2つの自閉 (追記) 10668へのコメント
No.10669  Sat, 26 Jan 2002 21:32:14 +0900  Maria [この発言にコメントする]

ayaさん wrote:
>  そういえば、私も息子さんぐらいの年の頃は、自分がいろんなことができないのかどうしてかわからなくてとても苦しみました。
>  なんとかしようにも、どうしたらいいのかわからず、理由がとても知りたかったのです。

 普通の人にとって「自然なこと」でありながら、自閉症方面の人間にとっては「思いもよらないこと」「努力しないとできないこと」「苦痛なこと」だったりすることも、けっこうあります。

 たとえば視線や表情によるコミュニケーションなんていうのがそう。鏡に向かって「ニッコリ笑う」練習をした、というひともいました。あたしはといえば、「相手の目を見て話す」というのがどうも苦手で、相手の話をちゃんと聞いていないと思われたり、なんとなく不機嫌そうに見えてしまったり、といったことがよくありました。

 で、漫才の人は、相手の目を見ないで、眉と眉の間とかを見る(うっかり視線を合わせてしまうと、とちってしまったりする)、というのをどこかで読んで、「なるほど」と思ったのですね。で、相手の緊張とか、そういうのを見るのは宮本武蔵の『五輪の書』に出てくる「遠山の目付」という、ちょうど鎖骨のつなぎ目あたりを見ると、相手の表情とか肩の力の入り具合があってよい、のを知りました。
 相手はこっちの視線の先を見るので、図などを使って説明をしているときは、少なくとも顔は説明している部分に顔だけは向けておくこと。で、「ここが重要です」のときに視線を相手の目に(ちらっと)向け、相手の目線がこっちを向いたら説明する対象に向け、説明の区切りで「おわかりですか?」みたいに確認を取るときは顔ごとむけて視線を送り、相手が頷いたり相槌を打ったら、「にっこり」というのを覚えました。

 ところが、この「にっこり」が結構つらいのですね。なんか、疲れてしまうのですよ。気持の上で。そこで、「眉を上げる」というのを身につけました。これは万国共通の「友好」のメッセージです。だから、乳幼児と目が合ったら、この「眉を上げる」のサインを送って、相手がニッコリしてくれると「よし!」みたいなトレーニングを続けました。いまでも子供を見るとついついやってしまいます。

 「一流のグラビアモデルは、鼻から上の表情と鼻から下の表情のバランスが取れているから、顔の下半分を隠しても顔の印象が変わらない」ということも誰かから教わりました。だから、下手なモデルさんは口元は笑ってるんだけど目が笑っていなかったりします。だから顔の上半分で「興味」とか「困惑」とかの表情を出せるよう鏡を見ながら練習しました。「笑ってないぞ」と言いながらしっかり目は笑っているとか、口元は笑ってんだけど目が笑ってないとかいったバリエーションが使いこなせるようになると、ちょっと対人コミュニケーションにも自信がついたりします。

 とはいえ、ときどきどういう表情をしていいか分らなくなることもあります。

 大森総研で使っている資料には「取扱注意」「秘」「極秘」とかいう区分があって、社外の人と仕事をするときは、「申し訳ありませんけどここから先はお教えできません」みたいなこともあったりするわけです。まあ、実際には他のお得意さんのノウハウにかかわる「秘」以外はほとんど意味がないのですけどね。「取扱注意」は他の会社に知的所有権を押えられてしまうと困るもの(発表前の資料など)、「極秘」は「説明を求められると都合の悪いもの」(説明がとんでもなく専門的になるので、説明にめちゃくちゃ手間がかかり、しかも相手に理解してもらえない可能性が高いもの)ということだったりします。
 で、うちで日本語処理の仕事で使っている活用表は「あいうえお」順ではなく「いえあおう」順になっています。で、仕事先でうちのJoshyaさんがマシンに向かっているときに、後ろから「なんで『あいうえお』じゃなくて『いえあおう』順なんですか?」みたいに質問した人がいました。で、その理由がじつは「極秘」で、「どう返事しようか」と悩みながら振り返ったら、「口元に硬直した笑みを浮かべつつ、目が全然笑ってない」状態で目が合ったものだから、相手が思わず「こ、怖い」とびびって退いてしまった、ということがありました。「ああっ、私はきっと触れてはいけない秘密に触れてしまったのだ」と思ったそうです(まあ、そうなんですが)。

 以来、Joshyaさんは仕事場でなごやかに談笑しているときに不都合な質問をされたときは、この笑顔を浮かべて「……世の中にはね、知らないほうがいいこともあるんですよ。」と冷たい声で言う、というワザを身につけてしまいました。
 「……私は、なにかまずいことを訊いてしまったようですね。」「君は、何も言わなかった。私もなにも聞かなかった。そうだろう?」「了解しました。」とかね。「あれは、何人か殺してるな」とか陰で言われているかもしれない。

 仕種とか表情とかが、「自分の中から出るもの」だと思うと、けっこう気持の上で負担になります。手話では、表情も含めて「言語」ですから、「コミュニケーションの手段としての表情」というものを考えることで、あたしは気分的に楽になりました。
 英語を喋っているときは、日本人でもオーバーアクションになって、アメリカ人みたいな大仰な仕種や表情や口調になってしまいます。『テレビの英会話教室の講師のモノマネ』じゃないけど、「『普通の人』とコミュニケートするには必要な技術」くらいに思っておくのがいいかもしれません。
 自閉症方面の人間同士が話をしているのを「普通の人」が見ていると、お互い仲悪いのかと勘違いされることもあります。憮然とした表情で向きあって、抑揚のない低い声でぼそぼそ喋ってて、あんまり目とかも合わせないしな。お酒とか呑んでても、「普通の人」が混じってたりすると、ときに「ううううう、緊張に耐えられないよう」とかいって泣きが入ってしまいます。なんか、「一触即発」みたいな雰囲気に見えるらしいです。本人同士は和んでんだけどなぁ。

>  できないことももちろんたくさんあるけれど、できないと知ってたら、違うやり方を見つけることもできます。これができないから、返って他のところはできる、ということもあると思います。(例えば、私は全体の構造を掴んでまとめあげることは苦手ですが、細部に熱中して深めることが、ユニーク、おもしろいと評価されることもあります。まとめるのに果てしなく時間がかかるのはかなしいのですけど。)

 「仕事」ということに限れば、KJ法とかPERT/CPMとかいったシステム分析や問題解決技法なんかを活用することで、一般には「勘」とか「才能」の問題とされているものを、「技術」「知識」「経験」といったものに置き換えることが、かなりの場合で可能です。あたしの場合、「まとめる」ことに関しては、ソフトウェア開発における構造化プログラミングという考え方がかなり役に立ちました。

 これも人によって向き不向きはあるのですが、そうした技術があるということを知っておくこと、あるいは「役に立つ技術があるかもしれない」とおもって目配りをしておくこと、というのは、有効かもしれません。

 (Maria)


Re: 2つの自閉 (追記) 10664へのコメント
No.10668  Sat, 26 Jan 2002 19:55:31 +0900  aya [この発言にコメントする]

直子さん wrote:

>
>ayaさんのレスにハッとさせられました。私自身も古い自閉症観が残っているようで息子に「俺は自閉症じゃない!人に関心がある」と言い返されたとき、言葉が見つからなかったのです。妙に納得してしまったというか。
>
>確かに一般向けの家庭医学書にはカナータイプの症例が多いですね。息子が中学のときは、まだ私もASについての知識がなかったので、どう説明したらいいのか悩みました。「ガイドブックアスペルガー症候群」の本を手にした時は本当にホッとしました。

 自閉の本質って、人に関心があるかないか、というより、認知、思考、行動の全てが微妙に違っている、というような気がします。難しいですけど。

 そういえば、私も息子さんぐらいの年の頃は、自分がいろんなことができないのかどうしてかわからなくてとても苦しみました。
 なんとかしようにも、どうしたらいいのかわからず、理由がとても知りたかったのです。

 できないことももちろんたくさんあるけれど、できないと知ってたら、違うやり方を見つけることもできます。これができないから、返って他のところはできる、ということもあると思います。(例えば、私は全体の構造を掴んでまとめあげることは苦手ですが、細部に熱中して深めることが、ユニーク、おもしろいと評価されることもあります。まとめるのに果てしなく時間がかかるのはかなしいのですけど。)

 息子さんが、理解して納得していくプロセスをうまくたどれるといいと思います。
 ひとができることができない、悪いだけのものだって思わずに、やり方が違うだけだし、いいところもあるよ、と伝えられるといいのですけれど。


新宿オフ会
No.10667  Sat, 26 Jan 2002 19:20:56 +0900  ”けい” [この発言にコメントする]

こんばんは。けいです。新宿オフ会参加してよかったです。

自分と同じ悩みを共有できたので。アドバイスを下さった
皆さん、有難うございました。

又、機会があったら参加させて頂きますので、またまた
宜しくお願いします。


Re: 2つの自閉 (追記) 10661へのコメント
No.10666  Sat, 26 Jan 2002 16:50:41 +0900  aya [この発言にコメントする]

 昨日から考えていて、非自閉のひとに確かめたんですが、
「あなたは恵まれていてもっとしんどいひとがいるのよ」というのは、
武田さんが書いている、

武田好史さん wrote:

(略)
> 他の人の抱えている「障害」について理解し、汲み取って自分の置かれた立場を理解していくということは、自らの「障害」というものの本質を知るということに関して、非常に重要なことであると私は思います。

というフレーズに自動的に変換されて理解されてるのですね。
私は、言葉のまま受け止めていたところもあるようです。

が、中には、本人のつらさを否定したり、黙らせるために使っている人もいるようです。

 なんか、とても驚きました。
じゃあ、はじめからそう説明しないで、なんで誤解を招くフレーズを使うのだろう?と思って。これは武田さんにというより、今まで聞いてきた発言に対してなんですけど。


>そのようにして、人というのは本当の意味での「生きていく力」「他人に対するいたわりの能力」を回りの人から分けてもらっているのです。

 でも、こうつながるのがよくわかりません。
 なんだかすごく話が違ってしまっているような気がするのですが。


Re: 2つの自閉 (追記) 10661へのコメント
No.10665  Sat, 26 Jan 2002 15:05:04 +0900  タレイヌ [この発言にコメントする]

武田好史 さんwrote:

>確かに、「言葉を話せる=IQが高い=生活能力が存在する」という訳に行かないのが、我々アスペ人の苦悩の始まりであります。
> 私たち全てにとってこのことは大きな足かせです。しかしながら世の中には、さらに重い足かせを持っている人もいます。

ええと、横レスです。
「重い足かせ」というよりも「別の足かせ」というほうが、良い気がします・・・・。

種類で言うなら、「聴覚に問題あり!!」という意味で、同系列になリますから、そこでの障害程度を単純に区分しちゃうと、聞こえない(→重い)、聞こえる(→軽い)という言い方しかなくなっちゃうんだけれどね、確かに。

    (タレイヌ)


Re: 2つの自閉 (追記) 10662へのコメント
No.10664  Sat, 26 Jan 2002 13:37:19 +0900  直子 [この発言にコメントする]


武田さん、ayaさん、あさかぜさん、レスありがとうございました。

武田さん、男性側からの意見参考になりました。又、武田さんの就職活動報告や(手帳取得等)の情報も参考になることばかりで、興味深くいつも読ませてもらっています。

ayaさんのレスにハッとさせられました。私自身も古い自閉症観が残っているようで息子に「俺は自閉症じゃない!人に関心がある」と言い返されたとき、言葉が見つからなかったのです。妙に納得してしまったというか。

確かに一般向けの家庭医学書にはカナータイプの症例が多いですね。息子が中学のときは、まだ私もASについての知識がなかったので、どう説明したらいいのか悩みました。「ガイドブックアスペルガー症候群」の本を手にした時は本当にホッとしました。

あさかぜさ〜ん!コメント本当にありがとう。息子が小学生の頃は落ち着いていたので、思春期の変化に戸惑ってしまいました。急に大きな波が押し寄せてきた気がしました。人を求める気持ちが強い子供ほどうつになりやすいのかな、とも思います。余計に人との違いに傷つくというか……。
息子も地獄の底からゾンビみたいに何度でも蘇ってくる逞しさがほしいな(^_^メ)


Re: 2つの自閉 (追記) 10661へのコメント
No.10663  Sat, 26 Jan 2002 13:23:41 +0900  みどり [この発言にコメントする]

武田好史 wrote:
> 他の人の抱えている「障害」について理解し、汲み取って自分の置かれた立場を理解していくということは、自らの「障害」というものの本質を知るということに関して、非常に重要なことであると私は思います。そのようにして、人というのは本当の意味での「生きていく力」「他人に対するいたわりの能力」を回りの人から分けてもらっているのです。

他と自分を理解するところまではまったく異論はありませんが。

で、理解した結果が「私は〜よりは幸せ」なわけ? それが「本当の意味での生きてゆく力」で「いたわり」なわけ?
…私はそうは思わん。


Re: 2つの自閉 (追記) 10646へのコメント
No.10662  Sat, 26 Jan 2002 09:40:43 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

 直子さん、こんにちは。

直子さんwrote:
>息子は家庭医学書などで自閉症を調べて私にこう言った。「お母さん、俺は自閉症じゃないよ!だって俺は人に関心がある」と。
>息子ASは人に関心があって、自分を受け入れてほしいと望んでいても医学的には自閉者になってしまう。
>心を閉ざしているわけでもないのに。

 辛い時期ですよね。明日は我が身……という気がしてコメントしにくかったです。でも、思ったことを書きます。

 ピンチなんだけど、チャンスに転換していける時期かもしれないな?と思いました。お母さんという理解者がそばについていらっしゃるんだし。身近なサポーターがいないより、ずっと心強いと思います。

 自分に向き合い他者との距離を測っていく思春期は「観察と分析」を深めていくには絶好の機会かもしれません。「自閉症」という言葉ひとつをとっても様々な研究が現在も進行していることや、息子さん自身で納得がいくまで情報を集める方法を伝えてみるとか、いろいろな角度から検討してみる手法を教えてあげることはできませんか?
 固定できず流動的なこの社会に適応していくためのノウハウって、それこそ山ほどあると思うんですよ。どんなことからでもいい、まずは興味を持ったことから始めていけばいいと思っています。人付き合いのためのノウハウ本を買ってきて熟読してみたっていいし。そこに書かれている事柄を鵜呑みにするのではなく、批判ができるくらいに読みこなせたらかなりのもんだと考えていいかも……。

 自分のことで恐縮ですが、わたしのように孤立無援で放られっぱなし、身近な母にどんなに話したって何も理解してもらえないという状態から、「自分を助けられるのは自分だけ」みたいな、ある種「当たって砕けろ方式」で生きることを学ばざるを得なかった人間になるのは、あまりほめられたことではないと思っています。(ま、これはこれでしぶといんですがね。地獄の底から何度でも蘇ってくるゾンビみたいに)

 「人に関心がある」というのは、いいことだと思います。息子さんを理解し支えてくれる人が、一人でも多く現れてくれることを願わずにはいられません。


Re: 2つの自閉 (追記) 10652へのコメント
No.10661  Sat, 26 Jan 2002 09:09:20 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

aya wrote:
>ちょっと気になったので…。
>>
>>>私は「あなたには自閉症という軽い障害があるのかもしれない」と、正直に話をした。
>>>息子は家庭医学書などで自閉症を調べて私にこう言った。「お母さん、俺は自閉症じゃないよ!だって俺は人に関心がある」と。
>>>息子ASは人に関心があって、自分を受け入れてほしいと望んでいても医学的には自閉者になってしまう。
>>>心を閉ざしているわけでもないのに。
>>
>>「あなたは言葉を理解できるぶんだけ、養護学校に通っているような自閉症の子よりも幸せなの。」とでも言って聞かせてください。ASの子はは「なぜ」「どのように」だけがどうしても解りませんが、重度の自閉症の子は、これに加えて「いつ」「どこで」「何を」「誰と」ということも、理解することが困難なのです。>
>自分より大変な子がいることと、自分がしんどいことには因果関係はないと思うのです。
>もっと大変な子がいて、だからあなたは幸せな方に入るのよ、と言われてしまうと、本人の苦痛をなかったことにされてしまうような気がします。
>というより、私がそう言われると、そう思ってしまうだけなのかもしれないですが。
>
確かに、「言葉を話せる=IQが高い=生活能力が存在する」という訳に行かないのが、我々アスペ人の苦悩の始まりであります。
 私たち全てにとってこのことは大きな足かせです。しかしながら世の中には、さらに重い足かせを持っている人もいます。
 例えば聾者の人たちは、「聞こえない」ということで、幼少のときから音声言語に触れることができないので、コミュニケーションという面では著しく不利です。手話・口の動き・筆談という「視覚による」情報しか受信できませんので、「後から車が来た!」という認知できないということや、「・・のガソリンスタンドで灯油とガソリンを間違って入れてしまったので、回収を行っています!」という防災情報が解らなかったり、「コミュニケーションに配慮します。来ていいですよ!」という企業でなければ就労することができません。
 他の人の抱えている「障害」について理解し、汲み取って自分の置かれた立場を理解していくということは、自らの「障害」というものの本質を知るということに関して、非常に重要なことであると私は思います。そのようにして、人というのは本当の意味での「生きていく力」「他人に対するいたわりの能力」を回りの人から分けてもらっているのです。
 多少彼には辛いでしょうが・・・


愛好家賛成 10643へのコメント
No.10660  Sat, 26 Jan 2002 09:06:30 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

武田好史さん wrote:
>そう、だから学者にはならなくっても、ちょっとずうずうしい「愛好家」でいたいです(^O^)。

 武田さん、ありがとうございます(^O^)/♪♪
 そのときの気分で何が好きになるかわからない「好奇心のかたまり」なわたしですが、「愛好家」めざして元気出します!


Re: たてがみ通信2 10649へのコメント
No.10659  Sat, 26 Jan 2002 08:05:39 +0900  pennpenn58 [この発言にコメントする]

あんく wrote:
>だって自由に駈足が出せるようになったら、イースター島へ行って、モアイ像たちの間を駆け巡ることになっているんですもの(笑)。ほかにもたくさん、行きたいところがある。待ってろー!

こんにちは、私もなぜかモアイにひかれています。ところであの南海の孤島にも馬はいるのですか?

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