アスペルガーの館の掲示板(旧)
あなたは 番目のお客様です。
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
できるのも やりたきもなく 過ぎる時
われ思い・問う 生きるとは何?
I wrote:
> (前略)逆にわたしたちからすれば、わたしたちなりに心を開いているのが、非自閉者に伝わっていない、そして双方のすれ違いにつながってはいないだろうか?と思います。
↑この、「心を開いている」の後に、『、もしくは、関心を持っている』を入れ忘れてしまいました。お手数ですが、『 』の中の文章を入れて読んでやって下さい。よろしくお願いします。
レスありがとうございます。
私と同じような経験をお持ちの方がいて
心強いです。
皆さんは空白の時と、おしゃべりモードになる時
ガ有るようですが、私は空白の時ばっかりなので
一度喋りだすと止まらないという風になってみたいです。
ごく少数の話せる友達といるときもどちらかというと
無口な方です。ごくごくたまーに(半年に1度くらい)
言葉がつぎつぎ出てくることがあるのですが、(何故か深夜に多い)
これが続けば良いのにな〜と思います。
いつもテンション低くて自分でも嫌になります。
ayaさん、直子さん、はじめまして。
ayaさん wrote:
>直子さん wrote:
>
>>>息子は家庭医学書などで自閉症を調べて私にこう言った。「お母さん、俺は自閉症じゃないよ!だって俺は人に関心がある」と。
>息子ASは人に関心があって、自分を受け入れてほしいと望んでいても医学的には自閉者になってしまう。
>心を閉ざしているわけでもないのに。
>>ayaさんのレスにハッとさせられました。私自身も古い自閉症観が残っているようで息子に「俺は自閉症じゃない!人に関心がある」と言い返されたとき、言葉が見つからなかったのです。妙に納得してしまったというか。
>>
>>確かに一般向けの家庭医学書にはカナータイプの症例が多いですね。息子が中学のときは、まだ私もASについての知識がなかったので、どう説明したらいいのか悩みました。「ガイドブックアスペルガー症候群」の本を手にした時は本当にホッとしました。
>
> 自閉の本質って、人に関心があるかないか、というより、認知、思考、行動の全てが微妙に違っている、というような気がします。難しいですけど。
>
> できないことももちろんたくさんあるけれど、できないと知ってたら、違うやり方を見つけることもできます。これができないから、返って他のところはできる、ということもあると思います。
>
> ひとができることができない、悪いだけのものだって思わずに、やり方が違うだけだし、いいところもあるよ、と伝えられるといいのですけれど。
お二人のレスと相前後して思ったこと。そもそも、この「自閉=自らを閉ざす」という言葉自体が、非自閉者から見た(場合によっては、決めつけられたか、そう思い込まれている)わたしたちの姿であって、逆にわたしたちからすれば、わたしたちなりに心を開いているのが、非自閉者に伝わっていない、そして双方のすれ違いにつながってはいないだろうか?と思います。(AS自体をほとんど知られていない、というのもあるとは思いますが。)
この考え方が合っているかどうかはわかりませんが、ふと思ったことを書いてみました。
横横横レスになるのかな?
みどりさん、こんにちは。
tasukさん、みあんにゃさん、はじめまして。
みどりさん wrote:
>すごくわかります。まるで別の自分がいるような気がします。話が終わると、夢を見てたのかと言うような気分になります。
>で、話を反芻しては、後悔が爆発して収拾つかなくなったりします。
ううう、似てます。しゃべれなければ欲求不満が残るし、しゃべり終わると自己嫌悪……。「ちょうどいい」という経験が、ない!です。
>大量に投稿してるので信じてもらえないかもしれませんが、ここでの投稿でも似た感じがあります。
わたしもそうです。書くこと自体は好きですが、いつも「後悔のかたまり」と化してしまいます。「忘れるんだ、忘れてしまうんだあぁぁぁ!」と自分に言い聞かせているけど、夜中に目が覚めて考えていることもあります。なんでこうなんだ???
昨日、オフ会でドラえもんの話題が出た時に、突然ジャイアンの
ことを思い出しました。ジャイアンの言葉はなぜか昔から印象に残
ることが多かったのです。
(人に頼み事をする時)
「おお!!のびた。いいモン持ってんな。オレに貸せよ!!」
「おれのものはおれのもの。おまえのものもおれのもの。」
(頼み事を聞いてくれた場合)
「おお!!心の友よ!」
(頼み事を断られた場合)
「なにい!!おれの頼みが聞けないってのか!!?」
「のびたのくせに生意気だ!!」
ジャイアンの言葉は極めて自己中心的なのですが、あまりいや
みな感じがしません。それどころか、論旨が一貫していてある種
の求道者のような色彩さえ帯びています。
しかも、世界の思想などを見ていると以外に自己中心性を徹底
化させることを説く思想がけっこうあるのです。代表的なのは中
国の厚黒道。その名の通り、厚かましく腹黒く生きる事を説く思
想で、「幼児が周りにあるものを全部自分のものにしてしまおう
とするが如く、自分の欲望のままに行動すること」を、究極の理
想とします。神仙道の中にも、禁欲することだけではなく、快楽
のままに行動することを無為自然の理想の境地とする一派があっ
たと言われています。
う〜む。ジャイアニズムは奥が深い…。
余談ですが、アンパンマンというアニメに登場するバイキンマ
ンのセリフもちょっと好きです。
「悪いことをするってなんて楽しいんでしょう!!ハヒフヘホ〜
!!」
「人はなぜ悪をなすのか」という人文科学上の問いに対するこ
れ以上の明快な答えは他にないように思われます。
tasukさん wrote:
>皆さんにお伺いしたいのですが、おしゃべりしたくても
>できない人っていますか?またASにはその様な傾向は
>ありますか?
沈黙してしまう人もいれば、わたしのように話し出すと
止まらなくなる危険性を持ったASもいます。わたしは処
世術として普段はできるだけ聞き役に回るように努めてい
ます。
(補足)
昨日のオフ会でわたしと話した人は「うそこけ。よくし
ゃべっていたやんけ」と思うかもしれないが、恐ろしいこ
とに事実である。ちなみにわたしには受動型のASだとい
うあまり信じてもらえない事実もある。
>私は人並みに誰かと仲良くしたいとか、楽しくおしゃべりしたい、と
>思っているのですが、いざおしゃべりの輪の中に
>入ると、頭が空白になり、なにもいえなくなってしまいます。
>しゃべらないので、つまらない人だと思われ、
>そのうち話し掛けられもしなくなり、疎外感を感じて
>いつも嫌な思いをしてます。
(中略)
>ごく少数の仲の良い人とはわだかまりなくおしゃべりを
>楽しめるのです。
(中略)
>時間がかかります。
>同じような人いらっしゃいますか?
これはありますね。どちらかというと少人数でしんみりと話すのが
好きです。やはり、オフ会に来ていた人には信じにくいかもしれませ
んが。シクシク
でも、個人的な考えを言えば、おしゃべりを楽しむことができる少
数の友達の方を大切にしていった方がいいと思います。むかし見た『
フォレスト・ガンプ』という映画に登場したIQ70の主人公は友達
が少ない代わりに、とてもよき友達に恵まれていました。そういう人
生もまた素晴らしいです。
元気?
昨日のこと気にして、落ち込んでない?
昨日はみんな大声で話してしまって、本当に申し訳ない・・・
もし「『音』という刺激に慣れたい」と思うんなら、音楽鑑賞を1日1回ぐらいやってごらん。
君の場合は、できるだけスローテンポで、ゆったりとした曲から始めるといいと思うよ。ボリュウムも中よりも下で・・・
tasukさん、みあんにゃさん、はじめまして。
>tasukさん wrote:
>>皆さんにお伺いしたいのですが、おしゃべりしたくても
>>できない人っていますか?またASにはその様な傾向は
>>ありますか?
みあんにゃさん wrote:
>おしゃべりしたいのに「こんなこと言ったら怒られないかな?」と恐くて何も言えないこともあれば、話すことが何も思い浮かばなくて(頭が空白、というのがぴったりです)ただうなづいてるだけのこともあります。
>>何か話そうとすると、言葉が出てくるまでにすごく
>>時間がかかります。
>
>私は話せるまでに言葉が頭の中で育つころには話の流れが進みすぎてしまって、次の話題に移ってます。結局、言いそびれます。
横レス失礼します。(話がずれますが。)私は、話そのものがかみ合わない、と指摘され、人前で発言するのがイヤになってしまったクチのタイプです。(しかも、これを人に言われるまで気づきませんでした。)実際、電話でも会話でも、話が込み入り出してくると、混乱することもあります。(一旦しゃべり出すと、今度は自分が一方的になっているようです。←というのも、これも人から指摘されたので。)また、人の話の流れの中に、途中から入るというのもうまいとはいえない方ですね。
私自身も(話す事に対して)ぴったりの言葉が出て来るのに、時間がかかる方かな、と思います。最初からこんなカキコでごめんなさい。
るうさん wrote:
>でも、忘れてました、いつの間にか。
>多重人格とはあきらかに違うものです。
>彼女や彼は一体なんだったのでしょう???
たくさんいました♪
名前がついていたかどうか覚えてはいませんが。いっしょに冒険していました。ファンタジーやアニメの中から引っ張ってきたものでしょう、多分。悪を倒す正義の勇者みたいなヤツかなぁ……。
かならず「仲間」がいましたねぇ。お互いに信頼し合える仲間が。現実の世界には存在しなかったんですけど。
同人誌を自分で作ってコミケで売ったりするようになってから、自然消滅しましたかね。消えたのは30代になってからですが(笑)
るう wrote:
>子供の頃、自分の中にお友達がいませんでしたか?
>いや、現実の世界じゃなくて、想像の世界に。
アメリカのテレビドラマ (家族もの) を見ていると、"imaginary friend" とか言って、わりと頻繁に登場するみたいです。
子供が幼稚園かその前くらいのときに出てくるのかな?
で、ほかの家族が「おれの『想像の友達』はこんなやつだった」という思い出話をして盛り上がったりとかいうのが典型パタン。
つまり、みんな経験があるっていう前提らしい。
私はといえば… 想像力に欠けていたのか記憶力に欠けているのか、覚えてません。
中学生くらいの頃、実在の人物を勝手に想像の友達のような存在にして、日記などで話しかけたりしてはいましたけど、これはちょっと違うかな。なんだか残念。
みあんにゃ wrote:
>ただ、職場では「お仕事モード」になるので、おしゃべりな方かもしれません。別の人格がいるのかと思うくらいです。たまにリミッターが外れ過ぎて、口が別の生き物になります。後で疲労と自己嫌悪に襲われます。
>おしゃべりしたい気持ちはあるのに、いざおしゃべりができると後でぐったりして「口なんか聞けない方がいい」とまで思ったりすることが多いです。
すごくわかります。まるで別の自分がいるような気がします。話が終わると、夢を見てたのかと言うような気分になります。
で、話を反芻しては、後悔が爆発して収拾つかなくなったりします。
大量に投稿してるので信じてもらえないかもしれませんが、ここでの投稿でも似た感じがあります。
武田好史 wrote:
>みどり wrote:
>>武田好史 wrote:
>>> 他の人の抱えている「障害」について理解し、汲み取って自分の置かれた立場を理解していくということは、自らの「障害」というものの本質を知るということに関して、非常に重要なことであると私は思います。そのようにして、人というのは本当の意味での「生きていく力」「他人に対するいたわりの能力」を回りの人から分けてもらっているのです。
>>
>>他と自分を理解するところまではまったく異論はありませんが。
>>
>>で、理解した結果が「私は〜よりは幸せ」なわけ? それが「本当の意味での生きてゆく力」で「いたわり」なわけ?
>>…私はそうは思わん。
>
> AS以外の障害者と接した経験のある自分から見れば、なんとなくそう見えてしまうということです。
武田さんはAS以外の障害者と接しながら「あぁあなた達よりは私は幸せだ、おかげで生きてゆけそうだ」と思うわけですか?
> 最も「自分はそれじゃあ、どうすればよいのか?」という答えは、自分自身もまだ解りません。一つだけ言えることは、「できない!」とくよくよするよりは、「こんな自分でも、何かできることはある!」と信ずることなのだと思います。
自尊心を得るためには、「なにかと比較して相対的に」ではなく、ただ単に自分を信じられることが重要らしい。
残念ながら私にはまだできないのだが。
アメリカ的子育て (ただひたすらほめる) と言われるもの (実際にはアメリカに限ったものではなくもちろんアメリカでも誰もがそうだというわけではないけど) も、
根拠はなくても根強く絶対的な自信をもてるようになるという点ではとても役に立ちそうだ。
(で、中身が伴わないとすごくハタ迷惑な世間知らずが育ったりするわけだが、本人たちはそれで幸せそうな感じだから、それはそれで教育としては成功であろう)
はじめまして。みあんにゃ と申します。
>皆さんにお伺いしたいのですが、おしゃべりしたくても
>できない人っていますか?またASにはその様な傾向は
>ありますか?
わたしはおしゃべりしたくてもできないことが多く、話の輪の中では座敷童です。
自分ではASに近いような気がしていますがASの診断は受けたことがないので、ASの人にその様な傾向があるかわかりません。ごめんなさい。
おしゃべりしたいのに「こんなこと言ったら怒られないかな?」と恐くて何も言えないこともあれば、話すことが何も思い浮かばなくて(頭が空白、というのがぴったりです)ただうなづいてるだけのこともあります。
口は出さなくても人の話は聞いていてあいづちを打っている(つもり)でも、「話に加わってない。」と言われます。どうやら話すことの他にも表情とか仕種とか、とにかく出力系がOFFになっているようです。留学生と思われたこともありました。
わだかまりなくおしゃべりできるのはほんとにごく少数の人です。
>何か話そうとすると、言葉が出てくるまでにすごく
>時間がかかります。
私は話せるまでに言葉が頭の中で育つころには話の流れが進みすぎてしまって、次の話題に移ってます。結局、言いそびれます。
ただ、職場では「お仕事モード」になるので、おしゃべりな方かもしれません。別の人格がいるのかと思うくらいです。たまにリミッターが外れ過ぎて、口が別の生き物になります。後で疲労と自己嫌悪に襲われます。
おしゃべりしたい気持ちはあるのに、いざおしゃべりができると後でぐったりして「口なんか聞けない方がいい」とまで思ったりすることが多いです。
I wrote:
>私も、“thread”がカナ書きでわからなくて、聞いた事があります。
↑多少、文意が違ってました。
正しくは、「スレット(TO)」か、「スレッド(DO)」かがわからず、教えて頂いたのでした。(正解は“thread”でした。昨年、Mariaさんが教えてくれました。)
こうもりさん wrote:
> 土曜日の正午という時間帯にも関わらず、12人もの人が参加し、
>自分でもびっくりするぐらい盛況のうちに終わることができました。
>これも一重に参加してくださった皆様の多大なご尽力のおかげです。
>
> かなり行き当たりばったりな企画ではありましたが、今後も時折
>、開催してみたいと思います。まだお会いしたことのない皆様の参
>加を心よりお待ちしております。あるいは、今回参加された皆様が
>懲りずに参加してくださることを心よりお待ちしております。
>
> では、お休みなさい。
こうもりさん、ミグさん、お疲れさまでした。
皆さん、いろいろありがとうございました。
おやすみなさい。
P.S. この場をお借りして。私のハンドルを読みづらい方がいらしたようなので、改めて。『GURUNSA』と読みます。(でも、確かにカナ書きではわかりづらいかもしれませんね。私も、“thread”がカナ書きでわからなくて、聞いた事があります。)
るうさん wrote:
>子供の頃、自分の中にお友達がいませんでしたか?
>いや、現実の世界じゃなくて、想像の世界に。
わたしがこの掲示板に登場させているキャラクターのう
ち、蝙蝠(混乱型),蝙蝠(狂人型),蝙蝠(悪魔型)の
3名は、わたしの想像の世界の住人たちでした。
>私は子供の頃といわず、高校生ぐらいの頃までいたのです。
>でも、忘れてました、いつの間にか。
>多重人格とはあきらかに違うものです。
わたしは今も見ます。さらに蝙蝠(激怒型),蝙蝠(内
省型)というキャラクターが加わって。
それ以外にも下記のようなキャラクターたちと友達にな
っていたことがあります。
(1)鬼畜のバクヒン
原因不明の熱病により全身の体毛を失ってしまった身長
190センチぐらいの大男。破壊こそが彼の全て
(2)タシス・トルガ
薬を飲むことによって獣人となることができる軍人。あ
る時、獣人になったまま戻れなくなった。
(3)道化師のサタニコ
去勢された過去を持つ太った金髪の道化師。人を笑わせ
るのは得意だが、本人は笑わない。
(4)ウーラン・ゴルベーザ
全身にタトゥーを施したアメリカの空手家。人を殺して
服役した過去を持つ。
(5)オコジョ
焼けただれた顔を持つ小男。火薬と劇薬を使いこなす天
才。
(6)ヤクシャ(夜叉)・ラムジン
騎兵隊を率いる若き女将軍。性同一性障害を抱える。
(6)以外は、全体的に異形の人が多いのが特徴です。
>彼女や彼は一体なんだったのでしょう???
これらの人物が想像界に登場したのは、自分の障害に対
して病識を持ち、周囲との違和感に苦しみ始めた頃でした。
何か大多数の人とは異なる特徴を持っている人物を作り出
すことによって、それらの人物に自分を重ね合わせていた
のかもしれません。
Maria wrote:
>るうさん wrote:
>> 子供の頃、自分の中にお友達がいませんでしたか?
>> いや、現実の世界じゃなくて、想像の世界に。
>> 私は子供の頃といわず、高校生ぐらいの頃までいたのです。
>> でも、忘れてました、いつの間にか。
>> 多重人格とはあきらかに違うものです。
>> 彼女や彼は一体なんだったのでしょう???
私はいつも見張られていました。怒られていました。脅えていました。
人とは思いませんでしたがなんだったのでしょう???
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
EWBBS.CGI 改 (WZ BBS対応 Web掲示板 T.Ikeda改 +
s.murakami改)
© 1998 y.mikome, T.Ikeda, 1999 s.murakami