アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
Maria wrote:
Mariaさん、こんにちは。お話拝読いたしております。
考えてみましたがやはりMaltaのほうが好きなみるらでございます。
ちょうど柚子こんぺいとうを食べていたものですから出しゃばらせていただきました。
>> Q6・桃を使った言葉「桃栗三年……」さてこのあとどう続く?
>
> 「桃栗三年柿八年、柚子はゆっくり十五年、梨のバカヤロ十八年。」
先日柚子のおしごとをしたので調べたのですが地方によって諸説ありました。
梨だけでなく柚子がおバカさんだったり成り下がっちゃったり。
ところによって扱いがいろいろなので柚子が不憫でもあります。
(詳しくはメモリが足りないのですぐ頭から出ていってしまいましたが)
見た目にいちばん可愛い「花盛り」を使い「などと言われる」と
「など」をつけて使いました。「など」便利ですね。
甘酒こんぺいとうが止まらない みるら
釈 wrote:
>現実の人とのコミュニケーションが難しい人は幽霊方面はどうでしょうか? 祖霊にしっかり守られているせいで、生の人間には溶け込みにくいという気はしないでしょうか?
おお、釈さん、ばっちりです。現実の人とのコミュニケーションが苦手な私。幽霊さんにはばっちり好かれているいる気がします。以前勤めていた老人ホームではよく亡くなったお年寄りの幽霊を見ていました。そういう時はどうするか?正解。無視する。当たっていますか?
夜勤のときは大変なので死にそうな老人のところにところにきているお迎えさんに「今日はやめてよね」とお願いしていました。同僚から私の夜勤のときは死ぬ人が出ないということをとても不思議がられました。そう?と知らん顔していましたが。ずるいぞ。私。
祖霊にしっかり守られているせいで、生の人間に溶け込みにくいという気は・・・・・・します・・・・・・。でも守られているというより突き放されている気がするのですが・・・・・・。と『いきなり文章講座』を読んで濁点を・・・・・・にしてみました。
Mariaさん wrote:
> 秩序がゆきわたっていると、安心できます。ただ、「秩序は絶対に乱されてはならない」といったものでは、ないように思います。
> 仮にそれが乱されても、回復されればいい。「因果応報」「天網恢恢疎にして漏らさず」。そういう原則が貫かれていれば、安心できる。
成長するにつれて、上記のことは理解できるようにはなります。ただ、感情コントロールはまた別の問題になると思います。
> だけど、理不尽なことが当然のようにまかり通っていると、これは、耐えられない。
そうなのよー。ASの場合、これを「耐える」ことは大人(と呼ばれる年齢)になっても、かなりのエネルギーを要すると思います。いわゆる「普通の人にとっては何でもないこと」を受け入れるまでの努力といったら、並大抵のもんではないんだぞ!と感じているのね、わたしは。
> 少なくとも義務教育の場では、「大人の理屈」なんて通用しないんだいっ! いじめに加担した教師なんていうのは、校長が手打ちにして自分も切腹するくらいの覚悟で教育しなくて、なにが教育なんだっ!
> でまあ、「そっち側」の人間になりたくない、という気持はすごくあるのね。
あります。気持ちだけは大あり。だから常に自己反省が欠かせないの。特に親になってからはね。判断から行動に移すまでのどっかでコケてるんじゃないかと思って、おびえてるんですけどね……。
> ボロボロになるまで戦ってしまう、というのがあります。だから、挫折したときの傷は深いんですよ。
それで命を落とした人はかなりの数にのぼるんじゃないかと思います。自己防衛機能がちゃんと働いていればね、また出直しもできるんだけど。
「わたしだって生き物のはしくれなんだから、自分の身を守る権利があってもよさそうじゃないか?」と頭で(言葉で)理解できたのは約一年前……棺桶に片足突っ込んでからでした。冷静になって思い起こせば、過去に何度も危機があったんですよ。よくもまあ今まで生きのびてきたもんだと思っちゃった。心のほうはともかく、身体だけは頑丈にできていたらしい(苦笑) でも年くってきましたから、さすがに身体にもガタがきていることは否めないですね。立ち直りに時間がかかります。
> 「切実さ」が伝わらないところに問題がありそうな気がするんですよ。で、これって問題の根はとても深いのね。
これです、これ! アスペっ子に限らず、すべての「人の子の親」になった方々には知っておいてほしい問題です。
***大事だと思う***↓
> 単に「『切実さ』が伝わらない」というケースは、全体のごく一部だと思います。むしろ、「自分ではどうにもならないので、なんとかしてほしい」と思って訴えるのに、「どうにもならない」ものだから、「我慢しなさい」としか言えない。で、訴えられたほうは、「我慢させている」苦痛に耐えかねて、認識が歪んでしまうんです。で、「本当は大したことがないのに、大袈裟に訴えている」みたいに思い込んでしまう。で、訴えられても、「ああ、まただ」と思って、「いい加減にしなさい」みたいに、逆に罰してしまう。その結果、「『切実さ』『つらさ』を訴えると、逆に罰せられて、ますますつらくなる」ということを学習します。
> そんなわけで、「感情的な説得」を諦めて、「論理的な説得」を行なうようになるんだけど……それは子供には無理なのね。で、ある程度成長して「論理的な説得」ができるようになったとしても、「言われたほうもどうしようもない」という状況は変わっていないので、「言ってることがむつかしくて、さっぱりわからない」とか言われてしまう。
> そういう状況が積もり積もって、「キれる」性格が形成されて、「危ないヤツ」と思われることで、自分を守るという方法を身につけてしまうわけです。
親の側の「切実さ」は子どもに伝わっています。理解できなくても「受けとめる力」が子どもにはあるのね。それを知らない親御さんが多すぎる。もっと反省して、「子どもの切実さ」を受けとめる努力をせんかいっ!とわたしは言いたい(あ、私怨はいってます……へへへ)。
> そんなわけで、「子どもの切実さを理解しようと努める」「自分の無力さから逃げない」「『なにがなんでも、なりふり構わず子どもを守る』という態度を、はっきりと表わす」の三点が、いちばん重要なんじゃないかなぁ。
ですねぇ。自分の無力さをこれでもかと思い知るのも、親のつとめです。でも、どんなに苦しくても「逃げちゃいけない」のよ。
「親」っていうのは「諸刃の剣」に似ているような気がします。我が子を守って戦うか、知らずに我が子を傷つけるか……どちらにもなれるのよね。偉そうなコト言えないんだけどね、わたしも。刃を向ける相手を間違えるような人間にはなりたくないなぁ。
> そんなわけで、幼児期・少年期・思春期とそれぞれ状況は違うだろうけど、「コミュニケーションに対する挫折と絶望」というのが、いわゆる「言葉の遅れ」の中にはあると思うのね。それは、「自殺した子どもがどれだけ苦しんでいたかに、親や教師がまったく気づいていなかった」みたいな話と同じような話なんです。「『言われてもどうしようもない』ものだから、『言わせない』態度が身についてしまっていた」んです。で、それは親や教師自身も気づかないほど、「大人の態度」として身についちゃってたんです。
> 「いい親」「いい教師」であろうとするツケを他人に払わせようとする親や教師は総じてロクなもんじゃありません。で、そういう親や教師に、子供は心を開きません。
> 体裁より、子どもです。そこんとこは、わきまえるように。
真摯に受けとめます。
ありがとう、Mariaさん。
グルンサさん wrote:
>> 桃と同じ科でないのはどれ?
>>1)梨
>>2)苺
>>3)クルミ
> わかりません(--;)。
単純な引っ掛けです。クルミは漢字で「胡桃」。だけど、これは悪問だな。訂正します。
桃と同じ科でないのはどれ?
1)ビワ
2)イチゴ
3)クルミ
ちなみにビワも桃と同じくバラ科。ついでながら、ヒマワリ(キク科)・アジサイ(ユキノシタ科)・ハス(スイレン科)・ネギ(ユリ科)なんていうのはクイズに使えそう。
>> 「『神の食物』という名で呼ばれるスモモの仲間の果物はなに?」
> ……?
えー、これはあたしの記憶違い。ギリシャ神話・ローマ神話で「神の酒」とされるのが「ネクター(“nectar”)」。ネクタリンは“nectarine”。
>> 「別名、『巴旦杏』。『扁桃腺』の語源にもなったナッツって何?」
> ……お手上げ。(まだ早いっ!)
アーモンドです。(「扁桃」はアーモンドだって書いてあるのに(-_-;))
なお、「唐桃」はアンズで、アンズの種を干したものが「杏仁(キョウニン)」。「杏仁豆腐」の香りづけに使われているのも、本来はこれ。
アーモンドには二種類あって、「甘扁桃」と「苦扁桃」があります。ナッツとして食用にされるのが「甘扁桃」で、薬や香りづけに使われているのが「苦扁桃」。これは苦味の成分であるアミグダリンが分解して芳香成分となるため。そんなわけで、フランスのデザートであるブランマンジュにナッツ用のアーモンド(甘扁桃)を使うのはあんまり意味がないそうです。「青酸性毒物で死んだ人の口からは巴旦杏の匂いがする」と言われているのも、この「苦扁桃」のほう。
なお、東洋人の目(一重まぶた)を欧米で「アーモンドのような形をしている」と表現することがあります。意外なことに欧米では一重まぶたの目・低い鼻というのは女性のあこがれだったりします。日本ではまぶたを一重から二重にするのが、欧米では鼻を低くするのが、それぞれ美容整形の件数第1位だそうです。
>> 「はじめチョロチョロ中パッパ、じわじわ時に火を引いて、赤子泣くとも蓋取るな」もちゃんと知ってる人は少ないしね。
> 『じわじわ時に火を引いて』は、初めて知りました。(これがないものを知っている人の方が多いのかな?)
「赤子泣くとも蓋取るな」というのは、水分が飛んで焦げたような匂いがし、ぴしぴしと音がしてから(これが「じわじわ時」)の話です。炊いてる途中で蓋を開けて様子をみてもいいんですよ。
それから、「はじめチョロチョロ」でなくても、沸騰したお湯の中に洗って水をしたお米の水を切って入れても、ちゃんと炊けます。これを「湯炊き」といいます。
>> ついでながら、
>> Q.別名、「梅桃」。中国語で「山桜桃」って、日本語でいうとなに?
>> なんていうのは、いかがでしょう。
> 「ゆすらうめ」
ご名答。なお、「桜桃」はシナミザクラで、「さくらんぼ(セイヨウミザクラ)」に「桜桃」の字を当てるのは厳密にいえば間違い。どうでもいいけど、上方落語の『さくらんぼ』は、江戸落語の『あたま山』。「『頭山』的呼出」は、コンピュータ・サイエンスの分野における「リカーシブ・コール」の訳語。別名、「再帰的呼出」。
……ああ、きりがない。(-_-;)
(Maria)
>> 桃と同じ科でないのはどれ?
>>1)梨
>>2)苺
>>3)クルミ
> わかりません(--;)。
答えは『くるみ』
梨もいちごも花びらが5枚、バラも一重咲きのはやはり花びらは5枚・・・
胡桃(クルミ)には、雄花と雌花があります。
どーもこんにちは、あさかぜさん。ぶちっす。
お加減どうですか?(私もアレルギーの季節で最低!)
あさかぜ wrote:
> 心身ともにガタがきて総崩れ状態なうえに、経済的な不安が重なったので、つい弱音を吐いてしまって恥ずかしいです。
弱音は吐いたほうが良いと思う、今日この頃。我慢しすぎるとどこかで爆発しますから。私は結婚後3度ほど大爆発をした事があります……。心の負担はちょいちょい外に吐き出して楽にならないと、ストレスがある閾値を超えてしまうと、戻って来るのが大変ですから。恥ずかしくなんてないじょ。
> 何年ぶりに聴いたかな……。結婚生活というものも、なかなかハードです(苦笑)
前あさかぜさんが、「ご主人と話が出来て良いですね」って書いて下さったんですが、この状態になるまで10年かかりました。その間に費やしたエネルギーはものすごいですよ。今は安定してますが、将来どうなるかはやっぱりわからないと思うしねぇ。変わっていく相手を受け入れつつ、自分も変わり、自分が変わったのを相手に受け入れてもらって、そうやって関係を続けていくわけだし……結婚生活ってハードだじょー!!
(ぶち)
>Mariaさん wrote:
>>鷲羽丸さん wrote:
>>> ではここで、かつて例会でわしが出題した「10問テーマクイズ」のひとつを出します。テーマは「モモ」です。
>>
>> えー、うち(大森総研)には、「雑学魔王」と呼ばれたJoshyaさんがいるので、その意見を参考にしたうえで、コメントしたいと思います。(以下略)
鷲羽丸さんとMariaさんの問題を解きながら、ふと思い出した『記憶回路の謎!』(注:過去ログを遡って知りました)。わたしたち(といっていいのかな?)ASの頭の中ってどんなふうなのかな?と、ふと思いました。
(このコメントと引用はかみあっていたかな? グルンサ)
Mariaさん wrote:
>鷲羽丸さん wrote:
>> ではここで、かつて例会でわしが出題した「10問テーマクイズ」のひとつを出します。テーマは「モモ」です。
>
> えー、うち(大森総研)には、「雑学魔王」と呼ばれたJoshyaさんがいるので、その意見を参考にしたうえで、コメントしたいと思います。
>
>> Q1・桃は何科の植物?
>
> むしろ、こんな三択はどうでしょうか。
>
> 桃と同じ科でないのはどれ?
>1)梨
>2)苺
>3)クルミ
わかりません(--;)。
>> Q3・日本では「ツバイモモ」ともよばれる、実の表面に毛がない桃は英語で何とよばれる?
>
> 「『神の食物』という名で呼ばれるスモモの仲間の果物はなに?」
……?
>> Q4・「スモモ」を漢字一文字で書くと?
>
> 「『すもも』という意味の姓を持つ、酒呑みで知られた中国の有名な詩人は?」
> 「李白」
初めて知った。(こーゆーのを漢文の時間に教えてくれると、楽しいのにな。)
>> Q5・和名を「扁桃」という、ナッツの代表格でもある植物は何?
>
> 「別名、『巴旦杏』。『扁桃腺』の語源にもなったナッツって何?」
…お手上げ。(まだ早いっ!)
>> Q6・桃を使った言葉「桃栗三年……」さてこのあとどう続く?
>
> 「桃栗三年柿八年、柚子はゆっくり十五年、梨のバカヤロ十八年。」
> 調べるんなら、徹底的に調べましょう。
↑…誰のコトバだ?(わたしは、武者小路実篤しか知らなーい。)
> 「はじめチョロチョロ中パッパ、じわじわ時に火を引いて、赤子泣くとも蓋取るな」もちゃんと知ってる人は少ないしね。
『じわじわ時に火を引いて』は、初めて知りました。(これがないものを知っている人の方が多いのかな?)
>> いかがでしょうか? わしとしては、なるべくマニアックにならないようにしたつもりなのですが。
>
> クイズの問題は、知らない人が「そうだったのか……」と落胆し、ある程度知っている人が「うーん、そこまで勉強してなかった」と歯噛みし、分っている人が「くそー! なんで思いつかなかったんだぁ!」と絶叫するようなのが理想です。単に知識だけでも駄目だし、うろ覚えの知識を元に推理力を働かせれば引っかかる、みたいなのを考えましょう。
>
> ついでながら、
>
> Q.別名、「梅桃」。中国語で「山桜桃」って、日本語でいうとなに?
>
>なんていうのは、いかがでしょう。
「ゆすらうめ」
あっ、「ミヒャエル・エンデ」が答えになる問題消しちゃった(笑)。
P.S. 上記の、Mariaさんの問題に対する答えを書いてもらえると嬉しいです。
(これ、わがままでしょうか? グルンサ)
>私の場合は、「親亡き後どう生きるか?」ということです。
私も同感です。
> グループホームは、私たちには理想的な住まいです。
私の地元、富山に自閉症の社会福祉施設があって、そこにはグループホームがあるようです。
でも、そこには高機能には決して理解があるようには見えないけど....
私が行ってるボランティア先は精神障害者の作業所です。むしろそういう作業所がアスペや自閉系に目を向ければ良いんだけど....
あと、横浜にも自閉症の就労支援のプログラムもあるみたい。
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/atoz3/ask/seinenki/shurou-p/pamphlet.html
鷲羽丸さん wrote:
> ではここで、かつて例会でわしが出題した「10問テーマクイズ」のひとつを出します。テーマは「モモ」です。
えー、うち(大森総研)には、「雑学魔王」と呼ばれたJoshyaさんがいるので、その意見を参考にしたうえで、コメントしたいと思います。
> Q1・桃は何科の植物?
むしろ、こんな三択はどうでしょうか。
桃と同じ科でないのはどれ?
1)梨
2)苺
3)クルミ
> Q2・桃の収穫量日本一は山梨県。では2番目はどこの県?
この手の問題はいくらでも作れるので、アンフェアな印象を受けます。「桃の収穫量日本一は岡山県。YesかNoか?」みたいな問題のほうが、フェアな気がします。
> Q3・日本では「ツバイモモ」ともよばれる、実の表面に毛がない桃は英語で何とよばれる?
「『神の食物』という名で呼ばれるスモモの仲間の果物はなに?」
> Q4・「スモモ」を漢字一文字で書くと?
「『すもも』という意味の姓を持つ、酒呑みで知られた中国の有名な詩人は?」
「李白」
> Q5・和名を「扁桃」という、ナッツの代表格でもある植物は何?
「別名、『巴旦杏』。『扁桃腺』の語源にもなったナッツって何?」
> Q6・桃を使った言葉「桃栗三年……」さてこのあとどう続く?
「桃栗三年柿八年、柚子はゆっくり十五年、梨のバカヤロ十八年。」
調べるんなら、徹底的に調べましょう。
「はじめチョロチョロ中パッパ、じわじわ時に火を引いて、赤子泣くとも蓋取るな」もちゃんと知ってる人は少ないしね。
> Q7・古代中国の詩人、陶淵明が自らの作品のなかで著した理想郷のことを何という?
バレバレ。一般常識では、クイズにはなりません。
> Q8・「♪灯りをつけましょぼんぼりに、お花をあげましょ桃の花……」この歌の題名は?
これはいい問題。
> Q9・代表作に「ちいさいモモちゃん」がある、日本の女性児童文学作家は誰?
マイナーに過ぎる気がする。どうせなら、「『はてしない物語』の作者としても知られる、『モモ』の作者は誰?」のほうがいいかも。
> Q10・大阪府和泉市にある、別名を「St. Andrew's University」という大学はどこ?
うーん、必然性がわからない。知ってても得しないしね。
> いかがでしょうか? わしとしては、なるべくマニアックにならないようにしたつもりなのですが。
クイズの問題は、知らない人が「そうだったのか……」と落胆し、ある程度知っている人が「うーん、そこまで勉強してなかった」と歯噛みし、分っている人が「くそー! なんで思いつかなかったんだぁ!」と絶叫するようなのが理想です。単に知識だけでも駄目だし、うろ覚えの知識を元に推理力を働かせれば引っかかる、みたいなのを考えましょう。
ついでながら、
Q.別名、「梅桃」。中国語で「山桜桃」って、日本語でいうとなに?
なんていうのは、いかがでしょう。
(Maria)
I wrote:
> ぶっちゃけた話、将来、信頼できるパートナーと出会って、一生を共に過ごそうと思ったら、「そっち方面も十分に掘り下げてみる」努力を怠るべきではないように思います。
タレイヌさん wrote:
> Mariaさ〜〜ん、どんどん要求が高度になっていますねぇ……?
えー、あたしはべつに「要求」してるわけではありません。はっきり言わせていただければ、「そっち方面に対する現代人の目は曇っていますよ」と注意を喚起しているだけなのですよ。
世の中には夫が浮気しても金でカタがつくと考えたり、本当に心を開くことができる自分以外の女性と「寝て」いないのをかえって「侮辱された」と感じる女性がいます。これはヨーロッパの近代以降、「肉欲の愛(エロス)」と「精神的な愛(アガペー)」を分けて考え、前者を「穢らわしいもの」、後者を「聖なるもの」とする思想が広まったからなんですね。
あたしはヨーロッパ史における「光の時代」、すなわちルネッサンス期をあんまり評価していません。中世においては「男と女」という関係が基本だという思想があったし、近代においては「精神的な結びつき」が基本だという思想がありました。だけど、ルネッサンスを代表とする近世においては、「肉体的な結びつき」が「精神的な結びつき」を破壊する暴力的なもの、という認識がものすごく強かったのですね。「魔女狩り」について調べてみると、つくづくそう思います。
ところが、日本においては中世から近世、近代という流れがわりと自然に受けつがれてきたと思います。で、その証拠の一つが吉原などの遊廓における「疑似結婚」のシステムであり、現代の風俗産業における「恋人感覚」だと思っているのね。「精神的な結びつき」と「肉体的な結びつき」は決して対立するものではなく、車の両輪だという考え方が、わりと素直に継承されてきた。
「一盗二婢三妾四妻」なんていう言葉があったりするんだけどさ、エッチの神髄は「快感」ではなくて「和(なご)み」にあるというのがその根底にあると思うんですよ。あるいは、「和むことの快感」にあると言ってもいいと思います。
だいたい十代二十代の女の子なんて、セックスが好きなほうが珍しいと思う。男性の愛情をつなぎ留めておくための代償であるとか、単にいちゃいちゃしてるのが楽しいとか、その程度のものでしかないのがほとんどだと思います。まあ、早いコだったらローティーンでも開発されちゃうだろうけどさ、たぶん精神的に壊れるぞ。だからあたしは自分というものができていない若いコが「援助交際」とかいってセックスに手を出すのに反対だし、昔みたいに「ヤッちゃったら即結婚」みたいなシステムは有効だと思ってます。
固く絞った蒸しタオルみたいな結婚生活を営んでいるひとが、浮気したりするんですよね。だけど、それってせいぜいシャワー程度のものなんですよ。ちゃんとした夫婦の関係というのは、温泉みたいなものです。「たまには冷たいシャワーもいいかな」と思って風俗に行ってみたりする男性もいるかもしれないけど、ちょっと風が吹いたら寒くてダメ。セックスレス・カップルでも蒸し風呂みたいなカップルはいたりするわけで、「それはそれでいいんじゃない?」みたいに思います。
坂田靖子さんの『バジル氏の優雅な生活』という作品に、こんなセリフがあります。
「レディ……一生結婚しないの?」
「いいえ、するわよ。なぜ? 今は独身でなきゃできない事をしてしまうの。」
「それが済んだら、おとなしく結婚の座に坐るわけか」
「何言ってるの。結婚しなきゃできない事を始めるのよ!!」
「…………!!」
(『ウィッシュ・ボーン』)
そんなわけで、「結婚しなきゃできない事」の筆頭として挙げておくべきことだとは思っていたりするわけです。
イーデス・ハンソンさんも言ってました。「嫌いなひとがいるでしょうか? あんな素敵な、楽しいこと。」
(Maria)
武田好史 wrote:
>
>あなたが今、一番不安に感じていることは、どんなことですか??
私の場合は、「親亡き後どう生きるか?」ということです。
今週は風邪をひいていかなかったのですが、ここ2〜3ヶ月の間週一ペースで、職安に通っていました。しかし、自分にやれそうな仕事は皆無でした。 いや他の人が見れば、「やれそう!」というものもあったかもしれません。でも、動作性IQの下位検査評点が軒並み10未満という私には、「続かない・・・一月ももつまい・・・ミスで会社に損害を与えては・・・」と見える求人票ばかりなのです。
すでにお話しましたが、障害者年金を受け取るためには、障害者手帳を発給してもらう必要があります。しかしながら、ASの人への手帳交付に対する意見は、手帳の発給を行う各都道府県によってまちまちで、「前例がないのであげない!」「療育手帳だ!」「精神保健福祉手帳だ!」という具合です。療育手帳はIQ75以下というのが発給条件となるので、88の私はもらえないということになります。身体には障害はないので「身体障害者手帳」はもとから対象外です。残りは精神障害者保健福祉手帳ですが、これは確かに、かかるお医者さんは『精神科』が多い、私にはいいのかもしれません。しかし、ただでさえ『精神障害』というものに対する偏見が根強い日本では、取得することによって正常な社会参加が阻害されかねないという不安がつきまといます。例えばです、職安主催の『障害者就職相談会』の『当日持参するもの』リストには、『障害者手帳』と明記されています。これだと、『精神障害者』の手帳を持っている人が『不採用』となってしまうのは、火を見るよりも明らかでしょう。
グループホームは、私たちには理想的な住まいです。しかしながら、「建てる」には莫大な費用がかかるし、「既存の物件を買う」ということでも、値段もさることながら「障害者に理解のあるご近所」という条件がなかなか難しいようです。
久々の投稿です。
元クイズ研究会のわしは、在籍当時、問題作成も結構やりました。
わしがいたクイズ研は、週一回「例会」と呼ばれるクイズ会をやっていました。
で、そこでの定番企画は、「10問テーマクイズ」というものでした。これは、ひとりの出題者が、テーマをひとつ自由に決めて、それに沿ったクイズを10問出題する、というものです。
わしもこの企画で、出題者を何度か務めました。が、わしの出す問題は、ときにあまりにマニアックで本人しかわからないようなものが混じっていたりして、それでヒンシュクを買う、といったことが何度かありました。
その一例。わしがはじめて「10問テーマクイズ」の出題者を担当することになったとき。わしが取り上げたテーマは「ゲーム&ウォッチ」でした。
…………はい、もうこのテーマ発表の時点でブーイングの嵐でした。当然、問題もマニアックな内容のものばかりで、「カルトQじゃねー!」と言われるなど、非難ゴウゴウでした。
わしはこのとき、クイズの出題とは「一般にある程度知られていること」を問題にする、ということを知ったのでした。回答者への配慮が皆無に等しかったのです。
ではここで、かつて例会でわしが出題した「10問テーマクイズ」のひとつを出します。テーマは「モモ」です。
Q1・桃は何科の植物?
Q2・桃の収穫量日本一は山梨県。では2番目はどこの県?
Q3・日本では「ツバイモモ」ともよばれる、実の表面に毛がない桃は英語で何とよばれる?
Q4・「スモモ」を漢字一文字で書くと?
Q5・和名を「扁桃」という、ナッツの代表格でもある植物は何?
Q6・桃を使った言葉「桃栗三年……」さてこのあとどう続く?
Q7・古代中国の詩人、陶淵明が自らの作品のなかで著した理想郷のことを何という?
Q8・「♪灯りをつけましょぼんぼりに、お花をあげましょ桃の花……」この歌の題名は?
Q9・代表作に「ちいさいモモちゃん」がある、日本の女性児童文学作家は誰?
Q10・大阪府和泉市にある、別名を「St. Andrew's University」という大学はどこ?
いかがでしょうか? わしとしては、なるべくマニアックにならないようにしたつもりなのですが。
このクイズに限らず、問題作成時は図書館で下調べをしたりして作ったものでした。そこで新たな知識を得ることが多く、極端な興味の限局はいくらか薄らいだようです。
しかし、限局された興味でも、お互いがそれを持ち合わせていて、それで話が合えば、自閉も非自閉も関係ない、という場合もあるんですよねえ……。
では、クイズの答え。
Q1・バラ科 Q2・福島県 Q3・ネクタリン Q4・李 Q5・アーモンド
Q6・柿八年 Q7・桃源郷 Q8・『うれしいひなまつり』
Q9・松谷みよ子 Q10・桃山学院大学
ひさびさでシメの言葉が思いつかない 鷲羽丸
直子さん、グルンサさん、蝙蝠(混乱型)くん、レスありがとうございました。
心身ともにガタがきて総崩れ状態なうえに、経済的な不安が重なったので、つい弱音を吐いてしまって恥ずかしいです。皆さんのレスに励まされました。
ちょぉ〜っと過去まで旅に行ってきました。←と言っても「新世界より」を聴きまくっただけなんですけど。この曲には、わたしの心象風景が詰まっていて、ある意味で「癒し」になるんです。まだ幼かったころの、希望を失っていなかったころのわたしに時々会いに行くことで、元気を取り戻せるみたいです。
何年ぶりに聴いたかな……。結婚生活というものも、なかなかハードです(苦笑)
えー、文章講座で書きもらしたことを、ちょっとだけ補足します。
コツその1。入りくんだ文章は、ほぐして並べる。
たとえば、こんな文章。日本国憲法第一条、天皇条項というやつです。
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。
これは、
1)日本国の主権は、日本国民に存する。(主権在民)
2)天皇は、日本国民の象徴であり、日本国民統合の象徴である。(象徴天皇)
3)天皇の地位は、日本国民の総意に基づく。
という三つの文からなっているわけです。で、(1)は「戦後の日本をまとめてゆくためには、<天皇>というシンボル(象徴)が必要だ」という「国内向けのメッセージ」であり、(2)は「天皇は実権を持たず(天皇の象徴性)、主権はあくまで国民にある」という「アメリカ政府向けのメッセージ」だということができます。そんでもって、その二つの両方をいちばん最初の条項に一緒に詰めこもうとして、こういうややこしい文章になってしまったのね。
で、その二つをくっつける「糊」の役割を果たしたのが、(3)の「天皇の地位は、日本国民の総意に基づく」なわけです。そんなわけで、「基づく」と連体形終わりになっちゃって、なんとなく落ちつかない文章になっています。だいたい「日本国民の総意に基づく」と言ったって、日本国民を対象にアンケート調査をしたとかいう話でもないわけだから、この「天皇の地位は、日本国民の総意に基づく」の部分が具体的にどういう意味なのかはまったく分りません。へ〜ん〜な〜の〜。
あたしが思うに、(1)の「日本国の主権は、日本国民に存する」は、第一章の『天皇』ではなく、第三章の『国民の権利および義務』のほうに持ってゆくのが筋です。で、(3)の「天皇の地位は、日本国民の総意に基づく」の部分は削ってしまって、その根拠については別に論じたうえで、政府の見解を公式に発表してもらいたいと思います。
それから、もうひとつ。
I wrote:
> ◎改行、句読点、カッコの扱い
> 文章の構成を表わすこの三つは、文章を書き上げてから、文章全体を見ながら、大きい方から小さい方へ、トップダウンに切り分けてゆくのがコツです。
> そんなわけで、文章全体を章→段落→文と区切っていって、切れ目が多すぎて構造が見えなくなってきたら、随時カッコを使う、ということをします。
この部分をもうちょっと具体的にやってみましょう。例は田川建三さんの『書物としての新約聖書』(勁草書房)(←持ってたりする(-_-;))の第一章・第一節『はじめに』。
---
「新約聖書」とはいったいどういう書物であろうか。と、問われても、簡単には説明のしようもない。もともとは、これは一冊の書物ではなかった。それぞれ別の、ほとんどは相互に直接の関係もない、相互に相当程度異なる、しばしば相互にかなり矛盾することもある、由来も著者も異なる二七個の異なった文書であったのだ。それが後になって、西暦二世紀後半から五世紀までの間に、つまりそれらの文書が書かれてから三百年もしくはそれ以上かかって、徐々に集められ、一つにまとめられて、正統派のキリスト教会の正典とされたのである。だから、書物の中身から言えば、一世紀(ものによっては二世紀前半)のキリスト教文書の主なものを集めた文書集にすぎない。全体としてのまとまりも、統一性もない。しかしキリスト教会の伝統的な建て前からすれば、これは聖書であり、正典である。つまり、当然、全体としてまとまった、統一性のある書物でなければならない。「一冊の書物」でなければならないのである。その「書物」に「新約(新しい契約)」という名がつけられた。しかし、それらの個々の文書の著者たちは、自分が書いた文書が、数世紀後になって、自分がほとんど知らない、あるいはまったく知らない、他の著者たちの書いた、しばしば異質でさえある他の多くの文書と一緒にされて、一冊の書物にされる、などということは、想像もしていなかっただろう。
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これをあたし流にアレンジすると、こうなります。
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「『新約聖書』とは、いったいどういう書物であろうか」と問われても、簡単には説明のしようもない。
もともとは、これは一冊の書物ではなかった。それぞれ別の(ほとんどは相互に直接の関係もない、相互に相当程度異なる、しばしば相互にかなり矛盾することもある)、由来も著者も異なる二七個の異なった文書であったのだ。それが後になって、西暦二世紀後半から五世紀までの間に(つまり、それらの文書が書かれてから三百年もしくはそれ以上かかって)徐々に集められ、一つにまとめられて、正統派のキリスト教会の正典とされたのである。
だから、書物の中身から言えば、一世紀(ものによっては二世紀前半)のキリスト教文書の主なものを集めた文書集にすぎない。全体としてのまとまりも、統一性もない。しかしキリスト教会の伝統的な建て前からすれば、これは聖書であり、正典である。つまり、当然のこととして、「全体としてまとまった、統一性のある書物」でなければならない。すなわち「一冊の書物」でなければならないのである。
その「書物」に「新約(新しい契約)」という名がつけられた。しかし、それらの個々の文書の著者たちは、「自分が書いた文書が、数世紀後になって、自分がほとんど知らない(あるいは、まったく知らない)他の著者たちの書いた、しばしば異質でさえある他の多くの文書と一緒にされて、一冊の書物にされる」などということは、想像もしていなかっただろう。
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えー、この文章から、丸括弧でくくられた部分を消してみましょう。すると、こうなります。
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「『新約聖書』とは、いったいどういう書物であろうか」と問われても、簡単には説明のしようもない。
もともとは、これは一冊の書物ではなかった。それぞれ別の、由来も著者も異なる二七個の異なった文書であったのだ。それが後になって、西暦二世紀後半から五世紀までの間に徐々に集められ、一つにまとめられて、正統派のキリスト教会の正典とされたのである。
だから、書物の中身から言えば、一世紀のキリスト教文書の主なものを集めた文書集にすぎない。全体としてのまとまりも、統一性もない。しかしキリスト教会の伝統的な建て前からすれば、これは聖書であり、正典である。つまり、当然のこととして、「全体としてまとまった、統一性のある書物」でなければならない。すなわち「一冊の書物」でなければならないのである。
その「書物」に「新約」という名がつけられた。しかし、それらの個々の文書の著者たちは、「自分が書いた文書が、数世紀後になって、自分がほとんど知らない他の著者たちの書いた、しばしば異質でさえある他の多くの文書と一緒にされて、一冊の書物にされる」などということは、想像もしていなかっただろう。
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文意はほとんど変わっていません。つまり、丸括弧というのは「省略しても、大筋で影響のないもの」を表わすということだったりします。そんなわけで、自分の文章を読んで、「くどい」と思ったら、なくてもいい部分を丸括弧でくくってみる、というのも一つの手です。
なお、電話番号なんかでも、「03(3333)4444」なんていう書き方は間違い、ということになります。なんでかといえば、「034444」に電話を掛けても、この電話番号にはつながらないからなんですね。正式には、「(03)3333−4444」といったふうに表記します。同じ市外局番「03」の地域では、「33334444」に掛ければつながりますから。同じ理由で、携帯電話の番号を表記するときは、括弧を使いません。省略できる部分がないからです。
(Maria)
あさかぜ さんwrote:
> おねーさま……
> わたくしだって、なりたいのですよ。自分は指圧も鍼もやってもらうのに、動物がヒ−リングを受けていけないはずはないですもの。
>
> で、ヒトはたたるんですか? おっかねぇな〜。
あさかぜさんに「おねーさま」と言ってもらって、ちょっと大人の気分になりました。で、うじうじ延ばし続けていた猫の手術に踏み切ったのです。私にとっては、腎臓病患者が自分の人工透析機を修理に出すようなもので大変でした。1週間が過ぎて、どうにか開いた傷も収まりそうな気配です。
私はヒトとの接触を嫌う傾向が(経済力のせいも)あったので、マッサージや指圧を受けたことがありません。そんな私が血道をあげたのは外気功です。田舎の迷信が大嫌いで手かざしなど胡散臭くて気持ちの悪いほうだったのですが、犬のアトピーに苦しみ始めた頃に病院で氣の味を覚えて、ずっと犬相手に修練していました。今では私が湯上りなどに氣を出すと、リモコンのスイッチを入れたように猫たちがゴロゴロ言い出します。
幽霊の話は、外科医などの思いがけない人から聞いています。『見える』人がいつでも見えるわけでなくて生き方によって変わるらしく、居る居ないでなくて、見える見えないなのは確かみたいです。生き方によっては気づかずにたたられたりもするのでしょう。逆に、信じていなくても守護霊に守られていたり。
弱視の人はオーラが見えやすいと聞きました。現実の人とのコミュニケーションが難しい人は幽霊方面はどうでしょうか? 祖霊にしっかり守られているせいで、生の人間には溶け込みにくいという気はしないでしょうか? 見えない助力がこころもとなければ、大きいところを頼みましょう。南無阿弥陀仏です。お寺でかしわ手でも、私はおもしろいと思います。人や神は間違うと怒るけど、気持ちさえ間違えなければ通じるのが仏というものです。
武田好史さん wrote:
>あなたが今、一番不安に感じていることは、どんなことですか??
昼過ぎに猛烈な腹痛に襲われて、横になりたいと願ったんだけど許してもらえず、仕方ないから必死で我慢してたんだけど、とうとうトイレに言って吐いた。人がトイレでげーげーやっている背中に向かって「さっきの修理の件だけどな…」などど声をかけるなぁっ!
嘘でもいいから「大丈夫か?」って言えないのか? 夫の辞書には「思いやり」とか「気づかい」という言葉はないらしい。
こういう奴と十年間一緒に暮らしてきて、“娘の父親なんだから”と思いながら、これから先も暮らしていくのだ。これは「不安の先取り」になるんだろうか……もういい加減疲れたぞ。
言葉が悪くてすみません。現在もまだ腹が痛いのです。これからまたトイレにいきます。(うげーですぅ)
私の哀しみが分かる人は
私には近付かないで
自分の哀しみを知る人だけ
私と一緒にいて
私の苦しみなんて
見ようとしないで
苦しみがあることだけを
知っていて
かすかなささやき
風がふれる
それだけで
見ないで
聞かないで
そばにいて
震える汝の肩に
我が掌を添え置けば
燃え盛る汝の炎に
我が心も焼けただれる
美しき汝の姿
我が目には砂嵐と見え
麗しき汝の声
我が耳に地鳴りと聞こえ
白昼の陽の
熾烈な攻撃に
眩暈を起こす故か
遠い過去の
黒い影が
視界を遮る故か
Mariaさん wrote:
> 今日のところは、これでおしまい。短いものですが、参考になれば、と
>思っています。
印刷させていただきました。ありがとうございます。しかし、何もお礼
ができないところが辛いところです。
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