アスペルガーの館の掲示板(旧)

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ぴろきちさんお元気ですか?
No.1108  Wed, 14 Jun 2000 21:08:14 +0900  るおう [この発言にコメントする]

ピロきちさん,最近は如何ですか?
実はピロキチサンに実は伺いたいことがあったのですが、おむにさんの所で待ち合わせが出来たら,嬉しいですが。。
どの様に連絡とって良いかわかりませんでした。
引越をされてから、お見かけしないので。。なんて不躾にすみません。


青木さん(Re: nana様ぽよ子姫様) 1090へのコメント
No.1107  Wed, 14 Jun 2000 19:15:59 +0900  Niki Lingko(マルハナバチ) [この発言にコメントする]

青木さんこんにちは。
ここは、ときどきしか覗いていないので、ついつい、ごぶさたしてしまいました。
ごめんなさいね。

青木雨人 wrote:
>【追記】マルハナバチ様
> あなたのご指摘を読みましたが、もっともなことです。言いたいことをなかなかうまく言葉で言い表せないので、しばしば誤解を招いてしまっているようです。それから、あなたを診断したり、アドバイスをするなどという傲慢なことは考えていません。

あ、私も別に、そんな心配はしていませんでした。きつい言いかたに聞こえてしまったら、すみませんでした。

だけど、私はたまたま、わりと正式に診断されてから2年くらい経ってるし、診断も身になじんで確信持ってるし、精神的にも安定しているので別に平気なんですが

(おそらく、青木さんもそれをご存じだからこそ、安心して私のことを例に出すことができたのだろうと思いますが)、

でも、それは私がたまたま大丈夫だったというだけであって、誰もがそうとは限りません。だから、もしも、新しく来られた方などが、青木さんのその書き込みだけを見て、うっかり「ここでは、他の参加者のことを、分析したりしても構わないのかな」とかんちがいしてしまっても困りますものね。 

>あなた宛にメールを送りたいので、できればアドレスを教えてください。

んーー、どうしたもんかなー。
実は私、一対一のコミュニケーションって、ものすごーく苦手なんですよ。
掲示板だとこんなに偉そうなことばかり書いて、はきはきしているように見えますが、
個人メールだとかなり人見知りしてしまうんです。
(それだけでなく、私はとんでもないメール無精です。
たまたま「書ける期」にメールもらうと3分で返事を書くこともあるのに、
「書けない期」にもらうと、1年くらい前のお返事をまだためていたりする)

掲示板などでたーくさんやりとりした相手とは、
少しずつ安心してメールもできるようになっていくんですが、
なかなか決心つくのに時間がかかります。

掲示板でも自分のページでもアドレスを表示していないのは、
メールが苦手だからなんです。
相手が誰だから、っていうことはあまり関係ありません。
すみませんが、もう少し気長に待っていただけませんでしょうか。
勇気が出てきたら、アドレスお送りします。

あ、ついでに、私の返事を大昔から待っていらっしゃる皆様、本当にすみません。
そのうち何とかしますんで、お許しください(汗)


パーソン・ファースト・ランゲージの背景 1105へのコメント
No.1106  Wed, 14 Jun 2000 18:38:15 +0900  Niki Lingko(マルハナバチ) [この発言にコメントする]

補足。

>>このように、誰かのことを、その人のもつ障害の名前で
>>呼ぶ──。すると、その人の個人としての人格は剥ぎ取られ、
>>その人は障害そのものになってしまう……。

私ね、何かこの人のこのいい方は「障害」という言葉に対する偏見が見えて好きじゃないの。

だいたい、人はそれぞれ個性があるのだったら、障害にだって個性があると考えることもできるのに、「障害」には個性がないかのようなこの言いかた。

確かに、「全ろう」なんかは、障害の中では比較的均一の障害かもしれませんけどね。「弱視」とか「難聴」とか「読字障害」とか「分娩麻痺」とか、それぞれ百人いれば百通りです。

要するに、「日常生活の場でまでADHD児とよばない」「ADHDゆえの配慮を必要としない場所でまで、ADHD児と呼ばない」というだけで十分なんじゃないの?たとえば法律の整備を求めるとき、あるいは予算を要求するとき、その他もろもろ、ADHDゆえの配慮を要求するような場であれば、ADHDという共通項を規準に団結しているわけだから、そこではADHD者と言ったって構わないと思うんですけどね。

>>私は、息子ディビットを育ててきた経験から、
>>自分は「ADHD児の母親」などではないと思っている。
>>私はディビットという少年の母親だ。
>>黒い髪に青い目をした、機転の利く子。
>>魅力に溢れ、人をひきつけるほほえみ
>>と、さわやかな弁舌、真実を見抜く目、それに人並みすぐれた
>>エネルギーを持った子。そしてその上たまたま、ADHDという
>>障害とも闘っている一人の少年。
>>この子は決して障害者などではない。障害は持っていても、
>>一人の人格なのだ。……(後略)

「障害者」というのと「障害は持っていても一個の人格」というのと、このふたつは両立し得ない、排他的な概念ででもあるかのように言ってますよね、この方。

私は別に、「障害者」という言葉は嫌いではないので、わざわざ避けなければいけないって気がしないんですよ。いつでもどこでも使うわけではありませんが(なんてったって私、法律的には健常者なんですからね!)、文脈に応じて、必要があるときには平気で使います。たとえば、「非自閉の晴眼者の聴者」に対して「自閉者と盲人とろう者」がまとまって物を言う文脈であればね。

たぶん、このお母さんは、自分自身がADHDではないから、というのもあるんでしょうね。「障害はあっても一個の人格」なんて言うのは、「差別にならないように気を使った言いかた」ですから。

同じADHDを扱った書籍でも、「へんてこな贈り物」や「片づけられない女たち」は、著者自身がADHD本人です。ですから、自分で「ADD族」と名乗ろうが「ADD女性」と名乗ろうが、自分のことなので、ハタからは文句も言いづらい。それに、やはり仲間が仲間に呼びかけているような親しみがあるのでしょう。ファウラー氏が批判している「ADD族」「ADD女性」という表現が、平気でゾロゾロ出てきます。

================

ここで、私の友人、ジムの短文、「ぼくが『自閉のある人』という言いかたを好まない理由」から一部を引用させてください。

>誰かのアイデンティティの中心をなすと認められている属性なら、きちんと直接「人」を修飾する位置に置かれるか、ときにはさらに、一つの名詞を形成する。「男の人」「女の人」「男の子」「女の子」という言いかたがあり、「男性」「女性」「男」「女」という名詞があるではないか。だれも「男性性のある人」とか「女性性をもつ人」などとよびはしない。

>だれかの文化的・宗教的背景を云々するときも、「ロシア人」「カトリック教徒」とよぶ。「ロシア人性のある人」「カトリック信仰をもつ人」などとよびはしない。人の社会的役割も重要な性質と考えられているので、「親」とか「労働者」ということばが使われる。「子どもをもつ人」「職業のある人」とはいわない。人の性格についても、それが重要だと考えるからこそ、「寛大な人」「陽気な人」と表現する。「寛大さのある人」「陽気さをもつ人」などという言いかたはない。

>(中略)

>プラスの、あるいは中立と考えられている性質を表すことばなら、直接名詞を修飾するのに使っても、だれも文句を言わない。「左利きの人」というのを、「左利き性をもつ人」と言いかえようとはだれも言わない。「スポーツマン」とか「音楽家」というのを、「スポーツをする人」「音楽のできる人」と言いかえなければならないとはだれも思わない。「目の青い人」、「青い目をした人」、どちらを使っても文句は出ない。

>それなのに、なんらかの性質が「マイナスの意味だ」と判断されると、とたんにみんなはそのことばを「人」から切り離そうとする。

>ぼくは知っている。自閉は禍々しい存在などではない。ぼくは自閉のせいで人間以下の存在になったりはしない。自閉だからといって、ぼくが人間性をもつことに変わりはない。そんなこともわからない人がいるとしたら、それはその人の問題であって、ぼくの知ったことではない。


Re: 自分にレッテルをつけていた(反省) 1104へのコメント
No.1105  Wed, 14 Jun 2000 18:08:25 +0900  Niki Lingko(マルハナバチ) [この発言にコメントする]

こんにちは、ニキです。

別にたま子さんに反論するわけではないです、ちょうどこの話が出てきたので。
実は私、このファウラーさんの考えは、人を選ぶと思っています。
まあ、「人が思う分には、反対はしないけど、強制はしないで」ってとこかな?

あるいは、この方針を採用するかどうかは、個々人の、その障害との距離のとり方、その障害をどう受け止めているかによって変わってくるのだと思います。

たま子 wrote:
>こんにちは、たま子です。
>
>今、『手のつけられない子それはADHDのせいだ』という
>タイトルの邦訳の本を読んでいます。
>この本の前置きより以下引用しますが、
>
>(前略)……私は至るところで(時には外国語でまで)、
>人々が自らから「ADHD者」と名乗ったり、
>我が子を「ADHDっ子」などと呼ぶのを
>耳にしてきた。
>このように、誰かのことを、その人のもつ障害の名前で
>呼ぶ──。すると、その人の個人としての人格は剥ぎ取られ、
>その人は障害そのものになってしまう……。
>私は、息子ディビットを育ててきた経験から、
>自分は「ADHD児の母親」などではないと思っている。
>私はディビットという少年の母親だ。
>黒い髪に青い目をした、機転の利く子。
>魅力に溢れ、人をひきつけるほほえみ
>と、さわやかな弁舌、真実を見抜く目、それに人並みすぐれた
>エネルギーを持った子。そしてその上たまたま、ADHDという
>障害とも闘っている一人の少年。
>この子は決して障害者などではない。障害は持っていても、
>一人の人格なのだ。……(後略)

この文章は、英語圏での「パーソン・ファースト・ランゲージ」の流れを受けたものです。

つまり、英語だと、an ADHD child という言いかたと、a child with ADHDという言いかたと、両方できるんですね。「ADHD児」と呼ばずに、「ADHDのある子」「ADHDをもつ子」と言い換えようという、一種のPC語です。

私自身を例にとれば、私は自閉(具体的にはアスペルガー症候群ですが)は自分の人格の中心部分をなす、かけがえのない特質だと思っているので、a person with autism と言われると、あまりいい気はしません。自分では an Autistic あるいは、an Aspieと名乗ります。比喩(ジョーク)とはいえ、「自閉連邦市民」だとか「在地球領事館附属図書館館長」なんて名乗っているくらいですから。

ところが、ADHDに関しては、まあ、付随する性質くらいに思っているので、どっちでもいいやという感じです。物忘れの原因であり、私の毎日の生活の機能レベルをはなはだしく下げている困った要因である一方、世界について学ぶべき年齢の子どものとき、自閉の暴走にツッコミを入れて、ときどきリアリティ・チェックの風を入れてくれたのはADHDの衝動性だと思っているし、どうしても気分の切り替えがつかずに身動きのとれないとき、ADHDを起爆剤にむりやり行動を起こすテクニックを覚えたために助けられていることもあります。また、ADHDがなかったら、私は今ほどの好奇心は持っていなかったでしょう。新し物嫌いの自閉の性質と拮抗して、私の世界を広げ、情報をとり込んでくれたのは、ADHDがあってくれたからだと思っています。

まあ、人格の中心部分ではなく、いいことも困ったこともある性質、という感じでしょうか。完全に他者というほどよそよそしくもない。他者ではないというのは、自分で波がわかるからでもありますね。チックや強迫やパニックのように、いきなり天から降ってくるのではなく、いつもそこにあって上下動しているのを、ずっとフォローしているせいもあります。

ですから、「ADHDのある人」「ADHDをもつ人」と言おうか、「ADHD族」「ADHD人種」と言おうか、というのは、完全にその場の文脈だけで決まります。

部屋を片づけられない自分を許してやろうよー、といって、ADHD仲間と一緒に開き直り、散らかし自慢をし、という文脈では、「ADD族なんだからさー」とか「やっぱりADD女はさー」と言います。それは、ADHDも含めて自分、と認めてやりたい文脈だからです。

ところが、時間管理のテクニックとか、金銭管理のテクニックなんかを考えたり、計画を立てたりする文脈では、「私はADD族だから」とは言わず、「私にはADHDがあるのだから」と言います。この場合は、ADHDはコントロールする対象となっているからです。

一方、チックや強迫に関しては、ただ邪魔なだけ。おさえ込んでも捨てても何とも思わない。完全に他人ですから。どこからか突然割り込んでくるだけの存在ですから。コントロールしたい。できれば追い出したい。だから、「チック族」とか「強迫人」とか思わない。

======

さて。私が何らかの方法で、ADHDの症状がなくなったら(まあ、ふつうは薬でなんだろうけどさ)、それはやはり、相変わらず私だと思うのです。ただ、ずっとそのまんまってのは、もしかしたら困るかも(笑) 翻訳作業をしている間は消えていてくれてもいいんだけど、ネタを探したり、ブレーンストーミングしたり、企画をまとめたり提案したりしているときは、ADHDがついていてくれなきゃ困る。

一方、もしも私がアスペルガーじゃなくなったら・・・。それはもはや私ではありません。私という人間はいなくなってしまいます。

ADHDは、今の仕事をやっていく上で得になったり損になったりするものですが、アスペルガーは、今の仕事を選ばせてくれたもの。ADHDがなくなったら、仕事のある部分ははかどり、ある部分はキレを失うでしょうが、アスペルガーがなくなったら、今の仕事が面白くなくなるでしょう。

ADHDは、ときによって夫との関係を良くしたり悪くしたりしますが、アスペルガーは、今の夫を選ぶことになった価値観や嗜好と不可分です。ADHDがなくなったら、夫との関係は良くなったり悪くなったりするでしょうが、アスペルガーがなくなったら、今の夫のよさがわからなくなるでしょう。好きでなくなってしまうかもしれない。

強迫やチックやパニックがなくなったら、他の点は何もかも今のままで幸せになるだけでしょう。


Re: るおうさんへ 1102へのコメント
No.1103  Wed, 14 Jun 2000 13:03:20 +0900  op.60 [この発言にコメントする]



>>・・・仕方ないので自分でほめてます。
>えらいです!ほめます。。

ありがとうございます。うれしいです。
>
>>あと、もし人と何かあっても自分の存在自体を謝ることは
>>ないと思います。
>>何かあったことと、自分の存在は関係ないので。
>>わたしも何かあると自分が生きていなければいいんだとか
>>思いがちですけど・・・。
>思いがちです。いつも言葉が足らなくて、上手じゃなくて、誤解をまねいたり、いじわるをされるし。。おもいがちです。
>生きていこうとするだけで、、たいへんです。。最近は。。
>
>>認知療法の本で勉強中です・・・。
>えらいです。。私も心理をかじろうとするけど、、最近どんどん自分が退化してだめです。見習わないと。。

認知療法は、とても分かりやすくて簡単な内容です。
でも言われないと気が付かないことがいっぱい出てました。
私の場合。
認知療法の簡単な説明が
http://member.nifty.ne.jp/BANBAN-PSYMED/nintiryouhou.htm
に書いてありました。


Re: るおうさんへ 1100へのコメント
No.1102  Mon, 12 Jun 2000 22:53:34 +0900  るおう [この発言にコメントする]

Op.60 wrote:
>muramuraさんお元気でしょうか?
>お世話になっています。
お世話になっています。わたしからも。

>独り言というのは、ウチの母親が入ってるカルトの話で
>私も昔無理やりやらされてました。18歳までずっと。
>ADHDと折り合いをつけることとカルトから脱会することを
>ずっと一人でがんばってきたのでだれかほめてくれないかな・・・
>と思ったんですけど。
>とくに自分で洗脳を解くときがたいへんでした。
>・・・仕方ないので自分でほめてます。
えらいです!ほめます。。

>あと、もし人と何かあっても自分の存在自体を謝ることは
>ないと思います。
>何かあったことと、自分の存在は関係ないので。
>わたしも何かあると自分が生きていなければいいんだとか
>思いがちですけど・・・。
思いがちです。いつも言葉が足らなくて、上手じゃなくて、誤解をまねいたり、いじわるをされるし。。おもいがちです。
生きていこうとするだけで、、たいへんです。。最近は。。

>認知療法の本で勉強中です・・・。
えらいです。。私も心理をかじろうとするけど、、最近どんどん自分が退化してだめです。見習わないと。。


るおうさんへ
No.1100  Mon, 12 Jun 2000 12:22:56 +0900  Op.60 [この発言にコメントする]

muramuraさんお元気でしょうか?
お世話になっています。

るおうさんがお話してるのをみて
チャットでお話しようと思ったんですが
パソコンの調子が悪くて(チャットの入る時だけ)
入れないんです。
ついでに独り言も、たくさん言いたかったんですけど

独り言というのは、ウチの母親が入ってるカルトの話で
私も昔無理やりやらされてました。18歳までずっと。
ADHDと折り合いをつけることとカルトから脱会することを
ずっと一人でがんばってきたのでだれかほめてくれないかな・・・
と思ったんですけど。
とくに自分で洗脳を解くときがたいへんでした。
・・・仕方ないので自分でほめてます。

昨日からパソコンのお勉強です。
チャットに入ろうとして〔参加する〕っていうところを
クリックすると、管理者用エリアという画面がでてくるんです。
そこをクリックするとマスターキーという画面が出てきます。
パスワードの変更をするところらしいんですが・・・
おむにさんにいろいろ教えてもらってるのに
一向に直ってくれなそうです。

というわけでみなさんともお話したかったんですけど
お話できなくなってしまいました。
ほんとうの禁チャットです。
というわけですので、>るおうさん

あと、もし人と何かあっても自分の存在自体を謝ることは
ないと思います。
何かあったことと、自分の存在は関係ないので。
わたしも何かあると自分が生きていなければいいんだとか
思いがちですけど・・・。
認知療法の本で勉強中です・・・。


Re: 俺もアスペかも? 1092へのコメント
No.1095  Sun, 11 Jun 2000 21:32:31 +0900  なぎ [この発言にコメントする]

けん wrote:
> アスペかどうか診断してもらうには、どこに行けばいいでしょうか?
アスペルガー、ADHD、LDは義務教育期間を過ぎればよほどのことが無い
 限り、診断される事は無いです。

 他の人が"この人はちょっとおかしい"等で相談を持ちかけて来たり(ただ
 この場合精神病院へ入院と言うパターンも多いですが)、生活上どうして
 もその症状ために困る(就職が出来ない等)でなければ駄目なようです。

 本人の自己申告はあまり相手にはされません。

 それにそもそもアスペルガー、ADHD、LD等に詳しい医師が今の日本には
 いません。それに例え知っていても殆どの人は臨床経験が無いので・・。

 それでもどうしても診断にこだわるのであれば、WEB上で自閉症を診断し
 ている所(小児科が多いですけど)を探し出して思いきってたずねてみる
 がよろしいかと思いますが・・・・門前払いされる可能性もあります。


Re: nana様ぽよ子姫様 1091へのコメント
No.1094  Sun, 11 Jun 2000 17:49:45 +0900  シュッツ [この発言にコメントする]

nana wrote:
>他にも読むといい本があればご紹介ください。
私もかなりの数の本を読みましたが、最終的に「ASに違いない」と自覚することになった本は、

 バロン=コーエン他 編
 「心の理論」

でした。
結構難しかったです。

自閉症やAS関係の書籍のリストはいろいろなホームページに載っていますので、簡単に見つかると思います。
でも上記の本が挙げられているのはあまり見かけませんでしたが。

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