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Re: アイデンティティ 11136へのコメント
No.11138  Thu, 21 Feb 2002 12:32:23 +0900  Maria [この発言にコメントする]

せっかち母さんwrote:
> こんにちは、今日は皆さんのアイデンティティについてお聞きしたく、やって来ました。
>  息子は、自分の行く所は物理の研究室しかない!と思いこんで、デイケアや作業所を「カッコ悪い」と言います。
>  しかし、まともに試験を受ける気もなく(センター試験を受けましたが、あんな試験は自分に向いてないと言います)、パソコンはしませんし、友達も行く所もなく、毎日「今日は何しようか」ばかり言います。
>  皆さんのアイデンティティを聴かせて下さい。よろしくお願いします。

 このところ文章が散漫になっていて反省しきりの Maria でございます。へこへこ。

 たしか講談社現代新書の中の一冊でしたが、『自己実現の方法』とかいった書名の本があり、その中にはアイデンティティを支えているものが三つあり、そのうちいちばん大きいのが社会的なもの、次が家族的なもの、最後が自我的なもの、なのだそうです。

 でまあ、確かに大多数の日本人においては、「社会的に認められる→家族や友人に認められる→自分を認める」といったステップを経て大人としての自己が確立してゆく部分はあるのですね。
 とはいえ、こうした自己形成の過程で「自我が押しつぶされてしまう」人もいるわけです。で、その原因というのが、その人の周りにいる「社会」「家族」といった人たちと、本人との「社会」の捉えかたの齟齬(そご。食い違い)、だったりするわけです。

 ここで単純に「社会」という言葉を使ってしまったのだけれど、この「社会」には、「宇宙」「世界」「世の中」「時代」「世間」みたいないろんな意味が詰まっているのね。で、高潔だったり崇高だったり純粋だったりする生き方と、現実的だったり卑賎であったり即物的だったりする生き方の間のバランスの取りかたについて、多くの場合周囲の人と本人の間で食い違いがあるわけです。

 で、人を騙したり陥れたり食い物にしたり蹴落としたり人の足を引っ張ったり媚びたりへつらったりなだめたりすかしたり脅したり、といった生き方がどうしても我慢できない人が、宗教や学問や芸術の世界にあこがれたりもするわけです。もっともそういう世界だって決してそうした人間的なドロドロと無縁ではないのですけれど、そこに理想を見てしまうのが、「あこがれ」なんです。で、周りの人はそうした人間関係と無縁ではいられない自分を蔑んでいて、そういう「穢い」自分を嫌っている。で、なおかつその嫌悪感を抑圧している。だもんだから、本人がそういう人間的なドロドロを嫌悪しているのが許せないので、「そういう人間的なドロドロが嫌い」という表明を許さない。だもんだから、「物理」とか「数学」とかいったことが、当たり障りのない理由として出てくるわけです。

 で、こういうときに、「どんな世界にもそういった人間的なドロドロしたものはあるのよ」と言っちゃうというのは、明らかにまずいです。それが解っているから、「あこがれ」を「あこがれ」のままにしておこうとしてるんだから。

 こういうときに必要なのは、「できる事からコツコツと」といった地道な努力なのですが、これを邪魔するのが「焦り」なのね。人間というのは焦ると目先のことしか見えなくなり、思考が短絡的になります。だから地道な努力ができなくなる。本人がのんびりしているように見えても、周りがせっつくものだからますます焦り、状況はさらに悪化します。「とりあえず成績がいいと安心する」とか「とりあえず机に向かっていると安心する」とか「とりあえず真面目に塾通いをしていると安心する」とかいった親が多くて、「親を安心させるために勉強している」子どもが少なからずいる。だけど、勉強が「自分のため」だという実感がないので、親から「自分のためでしょう?!」と言われても、納得できない。で、成績が落ちたりなんかすると、そのまんま転がりおちて落ちこぼれになってしまうことが多い。「子どもは落ちこぼれているのでなく、落ちこぼされているのだ」というのは、こういう状況をいいます。

 で、まず焦りを解消し、できる事からコツコツと実力を貯えてゆき、成功体験を積み重ね、修羅場をいくつもくぐり抜け、「社会」に認められ、ようやく自己実現することができるわけです。

 ……ところがですね、いかに力をつけたとしても、「人間的なドロドロしたもの」の毒というのはとても強いのですね。で、しばしば人間を精神的にも肉体的にも破滅させてしまいます。真面目で誠実で有能なひとが過労死したり自殺したりすることがいかに多いか、ということからも、それは明らかです。

 「本音とタネマエ」という言葉があります。本来、この言葉には「タテマエは尊重されるべきもの」というニュアンスがありました。英語でいう「ダブル・スタンダード」も、「状況による使い分け」ということであれば、べつに悪いことではない、という気持があります。
 ただ、グレゴリー・ベイトソン言うところの「ダブル・バインド(二重拘束)」というのが、「本音とタテマエ」「ダブル・スタンダード」の中に入りこんでくると、これがいけません。

 「なんでも言いたいことを言っていいんだよ」と言われて、「本当に言いたいこと」を言うと罰せられる。「『なんでも言いたいことを言っていいんだよ』って言ったじゃないか」と言うと、「それとこれとは話が別」「本気にする馬鹿がいるか」みたいに言われてしまう。つまりは、「『相手が言ってほしいと思っていること』を『自分が言いたいこと』として言え」ということなのね。

 学校のテストというのが、そもそもがそういうものです。「教師が正しい答えとして要求しているもの」を「自分が正しいと思っていること」として答えなきゃいけないわけです。「日本の軍隊が三十万人の中国の一般市民を虐殺したのは中国のどこでしょうか」みたいな問題が出たら、「南京」と“正しく”答えなければなりません。
 「この生物はなんという名前でしょうか?」と質問されたら、それが仮に「スジグロシロチョウ」であっても「モンシロチョウ」と答えねばならず、「トウキョウダルマガエル」であっても「トノサマガエル」と答えなければなりません。「鉄1キログラムと綿1キログラムでは、どちらが重いですか?」という質問に、「空気の浮力は考慮するんですか?」と質問で応えてはいけなかったりします。

 「何が正しいのか考えろ」と教師は言います。ですが、これは「教師が『正しい』こととして教えていることは、本当に『正しい』のか?」なんていうことを考えるな、という命令なのですね。
 「正三角形」と「三角形」があり、「正三角形」は「三角形」の一種です。「正方形」という言葉があるのだから、「方形」という言葉があっていいはずだし、「正方形」が「長方形」の一種だというのは何かおかしい。だって、正方形は「長く」ないんだから。で、こういうことを言っていると、「つまらんことを考えるな」と叱られてしまう。「矩形」ということばがあって、それの言い換えが「長方形」なのですよ、みたいなことを教えてくれればいいと思うんですけどね。「『矩形』の“矩”ってなんですか?」「『さしがね(曲尺)』、あるいは直角定規のことです。『矩規準縄』という言葉があり、それぞれ曲尺・ぶんまわし(コンパス/ディバイダー/パス)・みずはかり(水準器)・墨縄のことで、『ものごとを決める基本になること(もの)』という意味があります」「ふーん」「詳しいことは、岩波新書の『大工道具の歴史』に出ています。図書館にあるので、興味があったら読んでみてください。国語のテストの読解問題の例文としてよく使われます」「ふーん(メモしている)」
 「こんなん小学生に教えてもわからんわ!」という人もいるだろうけど、べつにわかんなくたっていいと思うのね。とにかく自分の歩いている道のずーっと先に、なんだかわかんないけど世界が広がっている、みたいなことが解ればいい。

 小学生が「私は将来キュリー夫人のようになりたいです」とか「アインシュタインのようになりたいです」とか言ったって、核物理学について何らかの知識があるわけじゃないんだから。「あんたの限界はここまで」と、周りの影響力のある人間が決めつけて勝手に道を閉ざそうとするな、ということなのですよ。野茂や佐々木やイチローや新庄だってそうでしょう? 他人のことを勝手に仕切ろうとするのが日本人の悪い癖、だと思います。

 あたし自身はといえば、中学を卒業して高校に入るまで「なんだかわからないヒト」でした。漠然と自然が好きで生物が好きで植物が好き、というだけで、とりあえす数学と物理はできたけど英語はボロボロでした。世の中にコンピュータというものが普及して、ようやく使い道ができたような人間なのね。で、あろうことか現在は「日本語文法のエキスパート」を名のって恥じなかったりするわけです。冷静に考えると、生物にも植物にも数学にも物理にもコンピュータにも関係ないぞ。

 道はどこかに続いています。歩くことを止めなければ、どこかには到達すると思うのね。ただ、歩くためには知的な体力(基礎学力)は必要だし、通らなければならない道(問題集をコツコツと解いていったり、文献をじっくり読みこんでみたり)というのもあります。
 高木貞二さんの『解析概論』とか、遠山啓さんの『初等整数論』とか、原島鮮さんの『力学』とかを、夏休み一杯かけてコツコツコツコツ読んでゆくとか、そういう体験っていうのは財産になります。

 で、そういうものは、たぶん親から与えられるものなのですよ。親が「こうしろ」というのではなくて、親自身が「学ぶ」ということを止めないこと。それは家の中に百科事典や辞書が置いてあって、何かにつけてそれを引いている。コンピュータの使い方でも、新しい料理のレパートリーでもいいから、何かを身につけることを続けること。そういう姿から、子供は学ぶように思うのですよ。

 そんなわけで、あたしのアイデンティティというのは、祖父や高校・大学の先生から受けついできた「健脚」と「歩いてきた道程」かな。座右の銘は「毒蛇は急がない」「ゆっくり歩く者は、遠くまで行く」。

 そういえば、うちの高校の陸上部が作った映画のタイトルが、いまだに気に入っています。

 『健脚商売』。

 (Maria)


連絡
No.11137  Thu, 21 Feb 2002 09:53:54 +0900  タレイヌ [この発言にコメントする]

すみません、ちょっとこの場をお借りします。
釈さ〜〜ん、えころ寺が、あかないの。どしたのかな??


アイデンティティ
No.11136  Thu, 21 Feb 2002 07:57:01 +0900  せっかち母さん [この発言にコメントする]

こんにちは、今日は皆さんのアイデンティティについてお聞きしたく、やって来ました。 息子は、自分の行く所は物理の研究室しかない!と思いこんで
デイケアや作業所を、カッコ悪いと言います。  しかし、まともに試験を受ける気もなく、(センター試験を受けましたが、あんな試験は自分に向いてないと言います) パソコンはしませんし、友達も行く所もなく、毎日、「今日は何しようか」ばかり言います。 皆さんのアイデンティティを聴かせて下さい。
よろしくお願いします。


Re: 今日面接で.... 11131へのコメント
No.11135  Thu, 21 Feb 2002 07:06:31 +0900  たかよ [この発言にコメントする]

てらばさんへ

先の書き込みお名前まちがえてました。すみません。

>オレンジブルーさんへ

>「君は一体どういう眼をしているんだ?すごいなー」って言われていました。
>しかし、この時は自分が自閉とは知らなかったのでした。

言われる言われる
目が良いとかの問題じゃないよね
健常者はどんな目をしているのだろう。

>しかし、かなりハンディーキャップから周囲とは差が在り過ぎますよね(涙)
>ロッキングやクリップの音にずっと聞き入っていると、やはり身近な人には「んん??」と見られるし、「ちょっと、ファックスとどいてるじゃない!ナにやってるのよ!」とすんごい睨まれて、あまりミスが続いて爆発寸前になったらいざ、「障害の説明」をする切り札を用意しようと思っています。

そうなんです、それで、自分の切り札として、
自閉症サイトを作ろうと思ったのです。
先日みなさんにみてもらったよりは形になってきました。
http://members.goo.ne.jp/home/takayo55
健常者を引き付けるためにアインシュタインとかの話をいれてしまいましたが・・・・
まぁ、自閉症だって障害だけではないって知って欲しいな
っていう部分もありますしね〜〜〜〜
ネクラに悩んでばかりじゃないんだよ!って

オレンジブルーさんの液晶の話はそういう意味で良いエピソードですね
紹介させてもらって良いですか??

>っつーか、気付くよね。普通。「何かオカシイわ、デキナイようだ」って。

知的障害とかないとそうは思えないらしいです。
できる事は才能を発揮するし
こっちはできるのに、こっちは出来ないなんてはずは無い
そう思ってしまうそうです。
隣のLDの子は可哀想でした
先生にも家族にも覚えられないって解ってもらえないんです
・・・・・


Re: 上野オフ会の正式告知 11122へのコメント
No.11134  Thu, 21 Feb 2002 00:41:13 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

グルンサさん wrote:

>> ちなみに現時点では5人の人から参加の申しこみがありま
>>す。緊急連絡先はDMで参加希望者に送らせていただきます。
>>
>> 当日、みなさんとお会いできることを楽しみにしておりま
>>す。では
>
> わたしも参加希望します。

 了解ですじゃ。ちなみにわたしの緊急連絡先はご存知ですか
の〜???

 ともあれ、これで参加希望者6人目、と。


Re: 関東オフ会の今後 11129へのコメント
No.11133  Thu, 21 Feb 2002 00:38:02 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

百日紅(さるすべり)さん wrote:
>武田好史さん wrote:
>> 動物の剥製を見ると、パニックになっちゃう??怖い(°へ°)
>>当日のかはくの案内は、僕が担当することになるかも……
>
>多分大丈夫でしょう。
>ご心配、どうもありがとう。

 では、当日行く博物館は科学博物館ということでよろしいでしょう
か?特に参加希望者の異存がなければそれで決めてしまいます。


 むかし、大学のサークルで目黒寄生虫館ツアーを企画しようとして
ヒンシュクを買ったことがある こうもり


Re: 上野オフ会の正式告知 11118へのコメント
No.11132  Thu, 21 Feb 2002 00:34:19 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

武田好史さん wrote:

>>ティータイムになったら、お茶をしながら話し合う。(い
>>> ちおう5:00ぐらいには解散)
>>>
>上野にある喫茶店を検索で調べたら次の2店が出てきた!
>>
>カフェラミル上野広小路店
>http://machi.goo.ne.jp/03-3839-0816
>
>ドドールコーヒーショップ上野6丁目店
>http://machi.goo.ne.jp/03-3837-4907

 情報提供ありがとうございました。どっちがいいか検討し
てみます。


Re: 今日面接で.... 11124へのコメント
No.11131  Thu, 21 Feb 2002 00:12:48 +0900  オレンジブルー [この発言にコメントする]

たかよさん wrote:
>てらばさん wrote:

>>今思えば、私に出来る仕事は郵便区分の仕事しかなかったです。クビになったのだから、
>>もう戻れない....窓口にさえ入れられなければ.....

郵便局の区分け、わたしも高校生の時バイトでやっていましたよ。あれ面白かったです。

>まだまだ世の中には沢山の種類の仕事があります。

えーっと。わたしの今までやった中では、パソコンや電子手帳の液晶画面の検査は
かなり周囲にも重宝がられましたよ。
「周囲に見えない汚れ」をいち早くキャッチし、その分類表を自分で追求して勝手に作り出し皆に喜ばれました。
しまいにはその原因調査を依頼されていました。体力が続かなかったけど、「給料上げるからいて欲しい」といわれました。顕微鏡検査などもありました。
「君は一体どういう眼をしているんだ?すごいなー」って言われていました。
しかし、この時は自分が自閉とは知らなかったのでした。

>たらばさんの見たのはごくごく一部だけです。
>ニガテな仕事でも、上司の理解が得られればまた違うと思います。
>今の職場でも私の抱える難しさを理解し、
>心配してくれる人が居ます。
>上司ではないので、私をかばう事はできません。
>でも、そういう人がいるってことは、
>そういう風に思ってくれる上司となる立場の人がいるかも知れません。
>世の中鬼ばかりではないですよ。

そうですよ。私もバイト先の先輩的な人にこの障害について伝えまして、
「外注する性格の仕事だと、すごく能率も上がるし作業し易い」ことや、
仕事上のミスを連携でカバーしてもらう為に、利点と欠点を伝えました。
「仕事」やっている関係の、ある意味運命共同体ですよね。
「全然そういう相談なら構わないし、困ったことがあったら何でも聞いてくださいよ。」と言ってくれて涙ちょちょ切れでした。

しかし、かなりハンディーキャップから周囲とは差が在り過ぎますよね(涙)
ロッキングやクリップの音にずっと聞き入っていると、やはり身近な人には「んん??」と見られるし、「ちょっと、ファックスとどいてるじゃない!ナにやってるのよ!」とすんごい睨まれて、あまりミスが続いて爆発寸前になったらいざ、「障害の説明」をする切り札を用意しようと思っています。っつーか、気付くよね。普通。「何かオカシイわ、デキナイようだ」って。


Re: 引きこもり中・経験者の方へ 10990へのコメント
No.11130  Wed, 20 Feb 2002 23:48:51 +0900  オレンジブルー [この発言にコメントする]

武田好史さん wrote:
>引きこもり中・経験者の方に質問します。

わたしは以前、スーパーテレビを見た印象から引きこもりは「我が侭だ」発言を致してしまった者ですが、
例えば、「自分の腹が減ったから食料を買わねば」という場合、何らかの訳があって外に自分で出られない、作れないというのは分かるのですが、超簡単なことでも何でも周囲の家族にやってもらっているダラケが「引きこもり」という意味でわたしは取っていました。一歩も外に出ないで家にいてレトルトの昼食まで母親に大量に買って来てもらっている人は、やはりちょっと「謎」でしたよ。
「何もしていないで家にいて動けるなら飯ぐらい自分で動いて作れるじゃろお?」という思いでした。わたしの場合、何かに集中していると、食事をとるという事自体がすっ飛び顔がこけて初めて「ご飯まだだ」ということはよくありますが。。。
わたしは今働いていない状態ですが、できる範囲で家事やら自分の身の回りは自分でやっていますです。
この障害の何か解決法がきっとあるはずだ、生き残る為に何かできるとっかかりをどうやっていけば良いか、話しをします。
今は働いていない状態なのですが、これは心理的作用などからずっと家に「引きこもっている」訳でもないのでした。
外に出たら出たで、伝達の悪さでズレは絶え間無く続き哀しくなることの方が多いですが。。

>1.周りの人の接し方で困る(た)ことは何ですか?

いきなり自分のことを聞かれ話し掛けられる世間話ですかね・・・。
特に「若いからねえ」なんて会話は全然よく分からないですよ・・・。
何かをやっている最中にちょっとした注文をされて「あれしておいて、これはどうなった?」と四方八方からいわれ、「しておいてっていったでしょ!」と怒られっぱなしは困りますね。
「できない」んだから。メモでも顔に張って欲しいです。
体力が周囲と同じように持続できないこと。単純作業はむしろ続く。

>2.あなたはどんな感じの癒しが欲しい(欲しかった)のですか?

人とのうまい間をとって自分のポジションが安定することですね。

>3.引きこもりの体験を人前で話すとなったら、抵抗を感じますか?

わたしは「引きこもり」という状態の理由を人前で演説しているのでした・・・・。


Re: 関東オフ会の今後 11128へのコメント
No.11129  Wed, 20 Feb 2002 23:35:42 +0900  百日紅(さるすべり) [この発言にコメントする]

武田好史 wrote:
> 動物の剥製を見ると、パニックになっちゃう??怖い(°へ°)
>当日のかはくの案内は、僕が担当することになるかも……

多分大丈夫でしょう。
ご心配、どうもありがとう。


Re: 関東オフ会の今後 11015へのコメント
No.11128  Wed, 20 Feb 2002 22:57:47 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

百日紅(さるすべり) wrote:
>科博は広い。科学博物館は好き嫌い分かれると思いますがどう思いますか。でも、「好き嫌いが分かれる」と言っているが、「嫌い」派(苦手派)に回るというのは私だけかもしれない。私は「生きもの」が苦手だ。犬や猫という「身近」な生きものでさえ、まともに視界に入れてみることにできるようになったのは、最近のことだ。人間のもそうであると思うが犬や猫の斑点と言うんでしょうか、そういうのがどうも刺激が強くて見ることができませんでした。克服できたのは最近(今年の秋くらい)です。
>暇だった私は先日、化石の展示会を観に、科博に行った。高かった。それとこわくてあんまり見ることができなかった。

 動物の剥製を見ると、パニックになっちゃう??怖い(°へ°)
当日のかはくの案内は、僕が担当することになるかも……


Re: 光 11123へのコメント
No.11127  Wed, 20 Feb 2002 21:22:51 +0900  鷲羽丸 [この発言にコメントする]

グルンサさん wrote:
> このくだりを読んでいて、武田鉄也さんの『少年期』を思い出しました。
>(↓以下は、歌詞の一節です。)
>
>悲しいときには街のはずれで 電信柱の明かり見てた
>七つの僕には不思議だった 涙浮かべて見上げたら
>虹のかけらが きらきら光る……

 『少年期』

 悲しいときには街のはずれで 電信柱の明かり見てた
 七つの僕には不思議だった 涙浮かべて見上げたら
 虹のかけらがキラキラ光る
 瞬きするたびに形をかえて 夕闇にひとり夢見るようで
 しかられるまでたたずんでいた ああ……
 僕はどうして大人になるんだろう
 ああ僕はいつ頃大人になるんだろう

 目覚めたときは窓に夕焼け 妙にさみしくて目をこすってる
 そうか僕は日差しのなかで 遊びつかれて眠ってたのか
 夢のなかでは青い空を
 自由に歩いていたのだけれど 夢から覚めたら飛べなくなって
 夕焼け空があんなに遠い ああ……
 僕はどうして大人になるんだろう
 ああ僕はいつ頃大人になるんだろう

====================================
 
 いやー、何も見ずに打ててしまいました。
 というのは、実はこの歌、わしが中学2年の時、校内合唱コンクールでクラスの自由曲として歌った歌だったのです。
 初めて聞いたのは、今から17年前。映画『ドラえもん・のび太の宇宙小戦争(リトルスターウォーズ)』の主題歌として流れていました。
 
 それだけ昔の歌なのに、現在でも覚えているのです。
 聴覚の認知に難があると言われる自閉圏ですが、歌に関してはそうとも限らないようです(場合にもよりますが)。

 映画のドラえもんの主題歌はけっこう大物が歌っているのです   鷲羽丸


Re: 今日面接で.... 11116へのコメント
No.11126  Wed, 20 Feb 2002 17:05:08 +0900  てらば [この発言にコメントする]

武田好史 wrote:

> 私はよこはま発達クリニックのカウンセラーの世話で、あさって保健所で精神障害者授産施設の説明を受けることになりました。そのうち見学できるでしょう。
> また金曜日は、市役所の障害福祉課へ行って、療育手帳の申請の相談をします。

発達クリニックのカウンセリングを受けられるだけでもうらやましいです。
私は行き付けの医者で「君は精神障害ではない」と切られてしまいました。

早く診察を受けて、手帳がほしいです。


ASなどの自閉症スペクトラム障害を持っている人のご家族へ
No.11125  Wed, 20 Feb 2002 13:20:45 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

こんにちは日頃のご苦労大変いたみいります。

 最近タレントの島田律子さんが、自分の自閉症の弟と家族との葛藤を「私はもう逃げない 自閉症の弟から教えられたこと」という手記にまとめて、講談社から出版しました。
 弟は赤ちゃんの頃フランス人形のように可愛かったたとか、幼稚園の頃とがった千羽鶴のくちばしやステンドグラスが怖かったり・パニックを起こしては「ウォー!」と声をしていたとか、小学校で特殊教育に入ったけれど先生になじめなかったとか、中学生の頃はパニックがひどく父や母がとめるのに苦労したり・家族旅行に出かけることに苦労したとか、いろいろなエピソードがまとめられています。
 弟は現在は千葉県のある知的障害者施設で生活しているようです。

みなさんも一度読んでみてはいかがでしょうか?


Re: 今日面接で.... 11115へのコメント
No.11124  Wed, 20 Feb 2002 07:28:51 +0900  たかよ [この発言にコメントする]

てらば wrote:

>今思えば、私に出来る仕事は郵便区分の仕事しかなかったです。クビになったのだから、
>もう戻れない....窓口にさえ入れられなければ.....

まだまだ世の中には沢山の種類の仕事があります。
たらばさんの見たのはごくごく一部だけです。
私みたいに左遷先で発見というのもあります。
(つってもここんところミス続きであやうい私)
「それしかなかった」なんてことは無いと思います。
もっと自分に合った職種があるはずです。

ニガテな仕事でも、上司の理解が得られればまた違うと思います。
それが、なかなか難しいんだけど
今の職場でも私の抱える難しさを理解し、
心配してくれる人が居ます。
上司ではないので、私をかばう事はできません。
でも、そういう人がいるってことは、
そういう風に思ってくれる上司となる立場の人がいるかも知れません。

世の中鬼ばかりではないですよ。


Re: 光 11107へのコメント
No.11123  Wed, 20 Feb 2002 01:33:55 +0900  グルンサ [この発言にコメントする]

武田好史さん wrote:
>子供の頃団地の窓から太陽を眺めていた。
>ガラスを透して入ってくる太陽の光……
>虹色のたくさん生えた光の房。
>六角形に光る明るい白い板。
>
>川の岸の道で太陽見て目をつぶった。
>目の中に赤から黒く変わっていく背景の中で明るく光る緑の丸。
>目を開けても太陽の上に残っていた……
>
>赤いタイルの団地の1号棟から見たヤコブの梯子。
>まるで雲を支えているように光が伸びる。
>暗い雲の下のスポットライト。
>
>目をとじると見えなくなる景色。
>僕のあとをついてくる影。
>映写機の光の中を舞うきれいな埃が見える。
>
>そんなことが不思議だった!

 このくだりを読んでいて、武田鉄也さんの『少年期』を思い出しました。
(↓以下は、歌詞の一節です。)

悲しいときには街のはずれで 電信柱の明かり見てた
七つの僕には不思議だった 涙浮かべて見上げたら
虹のかけらが きらきら光る……

 こういう感性は、いくつになっても持っていてほしいな…と思います。


Re: 上野オフ会の正式告知 11113へのコメント
No.11122  Wed, 20 Feb 2002 00:43:08 +0900  グルンサ [この発言にコメントする]

こうもりさん wrote:
> こうもりです。3月3日の上野オフ会の正式告知をいたし
>ます。
>
>(集合)3月3日午前11:00にJR上野駅上野公園口改札
>    口。おそらく中国人民解放軍コートを着たわたしが
>    立っているはず。(政治的な意味はありません)[中略]
>
> ちなみに現時点では5人の人から参加の申しこみがありま
>す。緊急連絡先はDMで参加希望者に送らせていただきます。
>
> 当日、みなさんとお会いできることを楽しみにしておりま
>す。では

 わたしも参加希望します。


働く男 11106へのコメント
No.11121  Tue, 19 Feb 2002 23:56:55 +0900  Maria [この発言にコメントする]

 小泉八雲ことラフカディオ・ハーンは、日本という国では日常の中に芸術が息づいている、と言っていました。イギリス貴族なんかだと紅茶に入れる牛乳の牛の品種にまでこだわってたりするけれど、確かに一般庶民となるとそういう思い入れにやや欠けているところがあるのですね。

 永田町のキャピトル東急ホテル地下三階には、「シューシャインの“源ちゃん”」として知られる井上源太郎さんという「靴磨きの名人」がいます。オードリー・ヘプバーンやソフィアローレンが「どう磨いたらこんなきれいな艶が出るのか」と真剣な表情で尋ねたとか、フリオ・イグレシアスやマイケル・ジャクソンやホロウィッツが仕上がった靴を部屋まで届けに行った“源ちゃん”に抱きついて感謝したとか、いろんな逸話があります。

 で、その“源ちゃん”の靴磨き法というのが、

1)汚れを落とすときに、普通はブラシでこするところを、布で軽く払うようにしていること。
2)クリームを塗るときに、普通は靴にクリームを塗って水をつけた布で伸ばすところを、ティシューペーパーを使ってクリームを塗る。
3)普通は乾いた布でごしごしこすって仕上げをするところを、ほんの少量の水をたらしてからティシューペーパーでワックスを塗り、それから布で撫でるように磨く。

というものなのだそうです。

 ……うーみゅ。これってたぶん“美談”なんだろうけどさ、日本ではこんなのあたりまえのレベルの話なんじゃないのかなぁ、と思ったりもするのね。ようやくアメリカの猿真似を脱して日本に「靴磨き」というものが定着したというか、戦後半世紀以上を経てもせいぜいこの程度にしか定着していないというか、そういう話だと思うのですよ。

 日本において、軍隊以外の日常生活において靴を履くという習慣が一般化したのは、おそらく戦後です。はっきり言って、今だって「靴」というのは、必要があってしかたなく履くものなのね。気分としては草履というのがいちばん楽だったりします。

 で、「靴を磨く」という作業を肩代わりしてくれる職業として、「靴磨き」という職業が欧米から移入されて、当初は進駐軍相手の商売として、しかるのち日本のビジネスマン相手の商売として、一般化していたわけです。で、そうした日本の「靴磨き」というのは、映画やTVで見たアメリカ文化を「カッコいい」と感じた人々だと思うんですよ。

 で、あたしは「靴磨き」という職業が賤業だとは思わないけれど、「靴を磨かせる」という行為がカッコいい職業であるという印象は持ってないのね。はっきり言って、従来の「靴磨き」がプロフェッショナルの仕事だという印象がないから。

 かつて「ラーメン屋」というのは賤業でした。資本も技術もなくて、すぐに始められるものだったから。だけど、いまは「ラーメン屋」というのは「プロの仕事」として認知されつつあります。その意味で、井上さんの「靴磨き」を「プロの仕事」として認知させた功績に偉大なものがあるとは思うのね。

 だけど、皮革製品のお手入れといったら、(1)汚れを落とし、(2)保革油を浸みこませ、(3)保護用のワックスを塗る、につきるわけで、手法としては軍人さんや登山家が手袋や登山靴に対して行なってきたのと同じことなのね。

 つまるところ、日本人には「礼装用の靴を磨く」という習慣が、軍隊ほか「洋装が礼服である社会」以外には存在しなくて、日常における「靴磨き」というのは、単なる進駐軍やハリウッド映画やアメリカ製TVドラマの猿真似でしかなかった、ということなわけです。で、そうした「日常における靴磨き」というのが、「正式なもの」として日本に入ってきて、定着した。

 たとえばの話、英語だったらカメラのレンズの埃を払う道具も、床を磨く道具も、英語たと“brush”なんですよね。で、日常生活において「靴を磨く」という用途に特化し、欧米から移入されて一般に普及した“brush”というものがあるわけです。で、「靴クリーム」という製品が、やっぱり欧米から移入されて普及しているわけです。

 だけど、本来は、

1)汚れを落とす。
2)保革油を浸みこませる。
3)保護用のワックスを塗る。

という手順があったはずなのですね。

 だとすれば、靴ブラシ以外にも用途に適した道具はあるだろうし、ティッシュペーパーではなく化粧用のコットンとかいったものも当然試してみていいだろうし、各種自動車用ワックスや日本古来のイボタノキやウルシといった艶出し用のワックスはいっぱいあるわけです。そんなわけで、技術的進歩の余地はまだいっぱいあるんだけど、すでにして「靴磨き」という職業は街頭から消えつつある職業だったりするわけです。

 けっきょく、「靴磨きの名人」がこういった形で取り上げられるというのは、「靴文化」というものが、所詮は借り物であり、日本の多くの男性は好きでネクタイ締めてたり靴履いてたりする訳じゃない、ということなのだろうと思います。たぶん、レストランのウェイターやホテルのボーイの制服程度の、「とりあえず失礼にならない服装」でしかなくって、おそらくはファッションの範疇には入らないようなものだと思うのですよ。

 「日本独自の、ファッションたりうるワーキングウェア」みたいなものを、真面目に考えてみてもいいんじゃないかなぁ、と思います。あたしの知るかぎり、日本でそう呼べるものは、ガテンな御商売の皆さん(植木職とか鳶とか)だけのような気がします。

 (Maria)


授業に集中できない小学生 ADHD1校1人を超す 受診者も増加 11119へのコメント
No.11120  Tue, 19 Feb 2002 23:31:26 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

今日の日経新聞の朝刊の38面に、

「『ADHDの疑いのある小学生の数は1,000人あたり3.7人で、1校あたりの1人を超えていた!』と厚生労働省の研究調査班の調査で分かった。」
学年別では、1−2年生が4.7人・3−4年生が4.1人、5−6年生が2.4人で、低学年に集中する傾向がある。
という記事が出ていました。

 この調査は昨年の2月から3月にかけて全国から抽出した小学校1,000校の養護教諭を対象に実施、563校(児童数174,300)から回答を得ました。

また全国531の病院と80の医学部精神科に調査票を配布して、いずれも6割から回答を得ました。
 そうしたところ、「過去3年間に患者が増えた!」と答えたのは、小児科医では28.9%・精神科では45.1%に上り、受診する患者が増えているという実態がわかりました。
 受診をする子供の数が増加したのには、報道などでADHDに関する知識が広まり、世間の関心が高まったことだろうとうかがえます。
 小児科は「小児科で対応が可能か?」という問いに対して、3割が「不可能…」と回答、「専門医が必要!」とするケースも1/3を超えました。
 精神科でも、ADHDを専門とする専門とする現在の児童精神科の人数では、「ほぼ対応できる!」と答えたのは、1割に達せず、「不十分である…」とした精神科は80.4%と8割を超えました。5割は「あと2、3人の児童精神科医が必要!」と回答していた。

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