アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
合同太郎 wrote:
アスペルガーであるかないかの判断を下す事が出来るのは医師だけです。
普通の人では判断できません。
と言う事で、もしどうしてもアスペルガーであるかどうか知りたいので
あれば自閉症を診断している所(小児科が多いですけど)を探し出して
たずねてみて下さい。
ちなみに就職している場合はアスペルガーと診断されません。
これはアスペルガーの診断基準書にそう言う前提があるそうです。
みなさんに質問があります。
今の日本のアスぺびとに、必要なものは何ですか?
なお、回答は下記のメールアドレスにお願いします。
yoshifumitakeda@hotmail.com
僕は幼い頃からアトピー性皮膚炎だったので、人との付き合いが苦手なのは
そのせいだと思っていました。
が、しかし、たまたまアースペルガー症候群というやつを知って、自分と
似てるなと思ったのですが、いまいち気のせいに思えてしまうのです。
あと、僕はどちらかというとというか、それなりに俗っぽい人間なので、
僕の好きなゴッホやアインシュタイン、ビルゲイツなども同じ症状だと
知り、ラッキーだとも思ってしまいます。
あと、知ってる人が死んだときも面白いことが起こるとか思ったので
「駄目だなあ僕」とか思って無理矢理涙を流したり、「親戚に会うのめんどくさいなあ」とか思ったりもします。49日には、「まだそんなに経ってない」と言い
行きませんでした。
なんだか支離滅裂な文章になってすみません。
何が言いたいかというと、アスペルガーだと思って「ラッキー、レアな症状だ」
とか思ってしまうのは、本当はアスペルガーじゃないんじゃないか、
ということです。
どなたか、アドバイスを下さい、よろしくお願いします
追伸
アスペルガーってなんか他の病気を引き起こしますか?
YAHOOで検索して立ち寄りました。
健康を考えるホームページをご案内させていただきます。
http://www.tokyo-reimei.or.jp/
この書き込みを削除する場合はできたら御一報下さい。
あむ wrote:
>親亀こけたら・・・ wrote:
>>私は今、人と会話するのがとても苦痛です。でも子供の事を考えればそんな訳にもいかず、悩んでいます。
>はじめまして、親亀こけたら・・・さん・みなさん
>1.ご主人がもし可能であれば、ご主人に応援してもらいましょう。うちの場合、町内会もPTAも井戸端会議まで主人の担当でした。
>
>3.からだが弱いとさりげなく言っておくのも(それほど親しくない人の場合は)使えます。先に席をはずす理由になります。その際ご自分を責めない事。体の病気と対人関係ですぐ疲れてしまう事は、同じレベルと思いましょう。
なるほどー、やはりちゃんと子育て経験のある方の(しかもうまく行った方の)お話は具体的だし、何といっても希望が持てますね。私は子どもがいないけど、町内会なんかで参考にしますね。
こういう技術的な面に関しては、実は、ASではなくてADHDの本ですが、「片づけられない女たち」の後半に詳しく解説されています。(自分が関わった本だけに、何だか商業宣伝みたいになりそうで気が引けて、迷っていたのですが、やはりあまりにも関係ある話なので・・・)
親亀こけたら・・・ wrote:
> 幼稚園に通う我が子がアスペルガーと診断されたのはつい最近のこと。
>早速本を購入し、読んで見ること最初の章で自分がアスペルガーという事を認識しました。私はすごく物忘れが激しくて、注意力欠陥症候群だと今まで思っていました。が、一番苦手なのは対人関係なのです。雑談の場などでは波に乗れずいつも話しの腰の骨を、折ってしまいます。友達もなかなか出来ません。いつも孤独です。自分自身アスぺと認識した方は何かそれまでよりも意識は変わりましたか?
>私は今、人と会話するのがとても苦痛です。でも子供の事を考えればそんな訳にもいかず、悩んでいます。
はじめまして、親亀こけたら・・・さん・みなさん
こちらの掲示板の1年余りの愛読者です。子育てほぼ終了者として(長男17歳 次男15歳)技術的?なことをいくつか。
1.ご主人がもし可能であれば、ご主人に応援してもらいましょう。うちの場合、町内会もPTAも井戸端会議まで主人の担当でした。もちろん運動会も学芸会も主人と一緒にでかけて、お母さん方の名前を教えてもらったりしました。第一主人と一緒にいれば雑談に参加しなくてもよいというメリットもあります。(「夫婦仲が良くていいわねえ」という評判も得られます。)
2.お子さんのために1人は味方を作りましょう。できたら情報通で、世話好き、ひとりでしゃべりまくって下さる方がベストです。その際、「私は人付き合いがへたで。」とか「お顔を覚えるのが苦手で」とかなんども強調しましょう。(ついでに「あなたがたよりなの」ということも)
3.からだが弱いとさりげなく言っておくのも(それほど親しくない人の場合は)使えます。先に席をはずす理由になります。その際ご自分を責めない事。体の病気と対人関係ですぐ疲れてしまう事は、同じレベルと思いましょう。
私の場合「自分がASかも」とも思わず、子育てをしてきてしまったのですが、
なんとかなったなあというのが最近の感想です。
長男はA傾向はありませんが、母親が他のお母さんとちょっと違うということをそのまま受け入れて育ってくれました。むこうから歩いてくる人をさりげなく「お母さん、○○くんのお母さんだよ」と教えてくれるようになったりします。
親亀こけたら・・・さん 参考になればと思い長々と書いてしまいました。人間関係のコツは、非Aの主人にいわせると「相手の感情まで気にしないこと」だそうです。人間関係から逃避中なのであまり自信を持って言えないのですが。
nana wrote:
>しかし、自分は自閉の世界のどっかにいることを知ったおかげで自分は変わってい>るのが普通なんだと分かり、下手な我慢をするより、自分にあった環境を自分で作>ろうと思えるようになりました。
>
>最近ここで話題になっているレッテルを自分で見つけた訳ですが、今のところそれ>を周りに言う気はありません。言わなくても私を知っている人なら私が変わってい>るということは分かってますし、幸いそれを肯定的に捉えてくれている人達ばかり>なので、特に困っていることはありません。
全く同感です。でも両親が否定的にしか捉えてくれないのが残念。
私はADHDらしいです。目の前にレッテルがぶら下がってて、
それを自分の体ににぺたっと貼っても、つかわないでぶらさげたままでも
どっちでも平気だよねー。いつでもつかめるところにレッテルはあるからね。
って感じになりました。いろんな本読んそう思いました。今のところ。
自分は大事にしたいものです。上手に生きていきたいものです。
はじめまして。
私は鬱病と分裂病のひとです。自傷癖もあります。
いわゆるリストカッターっていうものです。
今日、私のとっている夕刊に山口もえの写真がのっていた。
かわいいひとだなあと思ったので、今日初めてそのドラマ見た。
対人関係、私も苦手です。
今、学生ですが、週に2回しか行ってない。こわいから。
卒業できるか、危ない。就職活動も全部ダメだった。これからどうするのかな。
私、喋るのも下手だけど、耳もあまりよくない。
「まゆこ」っていう名前がずっと「れいこ」に聞こえてた。
漢字見ないとわからない。
ASっていうのは私にはまだよくわからない。
でも、興味あります。
私、鬱病のひと。これも結構困ること。
親亀こけたら・・・ wrote:
> 自分自身アスぺと認識した方は何かそれまでよりも意識は変わりましたか?
私の場合は、人間関係がダメでも、そのことを悩んでいなかった(よほど気楽な人以外とのつき合いを断ちきってしまっていて、それで快適で、孤独と思っていなかった)ので、少し立場がちがっていて、あんまり参考にならないかもしれませんけど・・・。役に立ちそうなところだけ、つまみぐいして、あとは忘れてください。
私も人と話すと話の腰を折ってしまうか、みんなが飽きようが呆れようが気づかず一方的に演説してしまうか(気づいてもどうせ止められない)、何の話なのかわからなくてひたすら黙っているか、なんかやたらとちぐはぐなことをしてしまいます。
アスペと知らされてからは、「まあ、私はそういう人なんだしなー」とあきらめたので、あんまり過剰防衛にならなくなったかな。ものすごく気をつけていたって、やっぱり失敗するし、その上にさらに「気にする」が重なると、態度がよけい不自然になるらしいんですが、その「気にしてるせいで不自然」の部分だけがなくなったかな。もともとの失敗は相変わらずですね。
それと、人と会ったり話したりすると、ものすごーく疲れるのは当然なんだ、自然なことなんだと知ったので、どうしても人に会わなきゃいけない用事があるときは、それに備えて、あらかじめ休んでおいたり、ほかの用事を作らないようにしたり、準備万端、整える(正確には、整えようとする)ようになりました。それでも疲れるけど。
そうそう、「控え目で切り上げる」っていうのを、あらかじめ計算に組みこんでおくことが増えました。一応顔だけ出して、「疲れたら早めに帰るぞっ」と最初から決めておく、とか。
あと、「人にはっきり頼んでしまう」ことが増えたかな。「私は心の準備がヘタくそなんで、急に言われるとアワアワしちゃうんですよねー」なんて、前もって言ってしまうとか。「頭が混乱しやすいから、その場で急に決めるのは苦手ー。ゆっくり考えてから改めて返事することにしていーい?」とか、「すみません、後でもう一回、ファックスかメモでもらえますー?」とか。
いつも言ってると、だんだん相手が慣れてくるみたいです。「ピンチになってから言い出さないで、日ごろから小出しに言っておく」「最初から頼む」っていうところかなあ。たとえば、「顔が覚えられない」というのは、最初に紹介されたときに言ってしまうんですよ。何回か会って顔がわからなくて気まずい思いをしてから言うんじゃなくて。診断されてからは、「努力したらそのうち克服できるかも」ってハカナイ希望を持って告白を先送りにすることがなくなったので、早めに頼むことができるようになったかな。
まあ、私は子どもがいないので、生協の班の人、町内会の班の人、それに仕事関係者と、私と夫の家族くらいしか相手にしなくてすんでいるのですが。
親亀こけたら・・・ wrote:
> 幼稚園に通う我が子がアスペルガーと診断されたのはつい最近のこと。
>早速本を購入し、読んで見ること最初の章で自分がアスペルガーという事を認識しました。私はすごく物忘れが激しくて、注意力欠陥症候群だと今まで思っていました。が、一番苦手なのは対人関係なのです。雑談の場などでは波に乗れずいつも話しの腰の骨を、折ってしまいます。友達もなかなか出来ません。いつも孤独です。自分自身アスぺと認識した方は何かそれまでよりも意識は変わりましたか?
私の子ども時代の呼び名は、「スローロリス」でした。
動物園へ行って、「ほら、お前がいるよ」と親に言われて、じゃあ、自分もこの暗い水槽の中がほんとの世界なんだなーと思ったのを覚えています(笑)
それ以来、自分のことを「スローロリス!」と叫んだりしてました。
親は恥ずかしかったでしょうね。でも、知名度の低いコだったから、誰も知らなかったかも(笑)
私の場合、母親が「自閉症=脳障害」と認識していて、まぁ、つまり、医学的検査(脳波とか)で異常が見られなかったため、
産まれたときからお世話になっていた主治医に、「自閉症の可能性がありますよ」と言われても、
頑として認めなかったんで、未診断で成人してしまいましたから、かなり生きにくかったですよ。
それでも、今までそうやって生きてきて、現在の自分があるということは、
(療育が受けられなかったことは別にして)診断されようがされまいが、自分は変わらない、ということです。
実際、今から、自閉症の可能性を疑われた三歳に戻ってやり直せるならともかく、そんな夢みたいなことはあり得ないので。
自分で疑って、親と医者に確認して、認識してからしばらくは、今までできてた「我慢」ができなくて苦労しましたけど、今はまた、「我慢」できてます(と思う)。
どういうことかというと、「生きにくさ」を軽減するために身につけたはずの「社会的スキル」が、一時的に必要なくなったような感じだったんです。
急に歌ったり、叫んだり、喋りだしたりしちゃダメとか、自分でみつけだした法則に従って自分自身に禁止していたことが、「絶対悪」ではなかったんだ、と安心したことで、タガがはずれてしまったのかな、と思いますけど。
あらゆる場面で「あなたって、〜〜よね」と、よく言われます。大抵、ちょっと変わってる、ということを指摘されるんですが。
だとしたら、そのまんまの自分でいいや、と思って生きてきました。今もそれは変わりません。
その、「変わってる人」といるのがいい、って言ってくれる人も、世の中いないわけじゃないし(笑)
秘密のアッコちゃんみたいに、別の誰かに変身できるわけじゃないので、逆に、こういう自分が生きやすいように、環境を選んであげようと思います。仕事とか。
>私は今、人と会話するのがとても苦痛です。でも子供の事を考えればそんな訳にもいかず、悩んでいます。
そうですね。お子さんがいらっしゃると、大変だと思います。
でも、自分を肯定できるのは、自分しかいない、ということを忘れないでください。
そして、人になにか言われたからって、その人が自分を否定できるわけじゃないことも、忘れないでください。
Niki Lingko(マルハナバチ) wrote:
>なんか、私がファウラーさんの主張に反対する理由が全然伝わってない気がするのだけれど。
…スレッドの一番最初の書き込みを見た時は、こんな展開になると思いませんでした。
だって、私にとっては、砂に水が染み込むように、自然に感じられたから。
>なぜか。「婉曲語を導入すべき」という主張は、婉曲語で言わなかったらストレートな呼称は差別語になるということを前提にしています。
これって、放送コードとか、出版コードなどの、「差別的表現」を避けよう、という方針と同じですよね。
だから、別に、その「前提」は、私にとっては、ことさら言う必要のない、まさに「前提」だったんですけど…。
>しかも、従来の呼称、婉曲語ではないストレート語(?)を、本人が自分を指すときに使うことまで不愉快に感じているらしい(そこまで「やめろ」と言わないで自制している点は評価しますが)。
>でもファウラー氏の主張は、過剰に強調しないための手段として、婉曲語を導入しようというものでした。日本人であることを過剰に強調しないために、「日本から来た人」とソフトに言いかえるべきっていうつながりかたには、私は反対なんです。
「被差別意識」だと思うんです。
巧く言えないんですけど、自分から進んで、自分をマイナスイメージに向かっておしやらなくてもいいんじゃないかな。と思います。
これは、自分の意識の問題ですけど、逆に、それを言い立てられる側からの意見も、聞いたことがあります。
なんか、「自分を差別しろ」って言われてるような気がする、そうです(笑)
つまり、こっちには壁も境界線もなかったのに、言われたことで逆に意識して、強調されてしまうらしいんですね。
だから、婉曲語を導入しようとすることは、逆に、そのもとの呼称を意識させて、帰納式に差別意識を想起させてしまう、という皮肉な結果にならないでしょうか?
「言い換えなければならない」「言い換えるべきだ」という「背景」…つまり、その裏に「shame」の意識があることを、逆説的に強調してしまいませんか?
「あ、ADHDって言っちゃいけなかったんだっけ。差別用語になるんだから」なんて、誰だっていやじゃないですか?
ってことを、マルハナバチさんは言いたいんじゃないのかな。と思ったんですが。違ったらごめんなさい。
たま子 wrote:
>皆さんの反響のすごさにおどろいてます。
>というより、私へのコメントは無いし、
ごめんねー。無視するつもりだったわけではなかったのです。
たま子さんの、当の発言は、たま子さん個人の心境の変化であって、
それはたま子さんのものだから、口を出すべきではないって思っちゃったの。
いろんな人がそれぞれにしっくりする感覚を自分で見つけていくものだから、
よほど大感激した場合なんかを除いては、黙っていよう、って思ったのね。
>まあ、べつにみなさんが私の過去の発言なんて誰も気にしてなかった。
>気にも留めてなかったって事か、トホホ。
たま子さんの過去の発言は、読んだけど、
最初から、問題があると思わなかった。悪いと思わなかった。
だから、なんにも言わなかった。
そしたら、その後の「反省」についても、「考えかたが変わったんだなあ」「たま子さんも、いろいろ、考えているんだなあ」「みんなも、いろいろ考えているんだろうなあ」って、ふむふむして、それっきりになっちゃった。
>単にファウラーさんの
>「言葉狩り問題?」の是非をめぐっての討論会になってしまいましたね。
ごめんねー。これは私が悪いんだよ。たま子さんが引用していた、ファウラーさんの文章にばっかり反応してしまったのは、「木を見て森を見ない、視野の狭さ」の爆発でした。
全体の文脈と関係あろうがなかろうが、部分が目についたら止まらなくなってしまったのです。ガマンしたらしたで、いつまでも引きずる(切り替えの遅さ、繰り返し好き)のは、目に見えているし。
#こういう、細部にレスつけたくなるスタイルが私の自閉らしい部分なんですよね。それが今回はたまたま悪い方向に出てしまったわけです(同様に、同じ細部志向が、良い方向に出ることもありますが)。自閉が「芸風」っていうのは、そういう意味だったんですよ。今回は身をもって悪い実例を見せちゃいましたけど。
もちろん、細部志向なんだから許してくれって言って甘えるために言ってるわけではなくて、次から同じ失敗しないためには傾向を自分で知っておいた方がいいと思ってこんなこと言ってるわけですが。
#いま思うと、レスにしないで新規発言にして、スレッドを改めたらよかったんですよね。なんで思いつかなかったんだろう?
>>それを自分であえて使うと「それはよくない言葉なの、自己卑下している
>ように思われるから、自分をそういう風に呼んではダメ」と、
>ある時期は、障害者の親たちも苦労して子どもに使わせないように
>気を付かったりしたのでしょうね。
>「障害を持ってるけど私は普通なの!」って胸張っていきれるようにって。
>「模範的に」育てたりして……。それが正しい「障害者の母」っていうのも、
>相当なプレッシャーでしょう。
>なんかマルハナ・バチさんから論点がずれてる……。
いや、ずれてないです全然。私が言いたかったことそのまんまだから。
私はたま子さんの話、ずらしちゃったのに、たま子さんはずらさないでつないでくださって、ありがとうございます(おじぎ)。
Niki Lingko(マルハナバチ) wrote:
>私が反対しているのは、そういう状況ではありません。むしろ、そのちょうど裏返しの状況です。ファウラーさんはいわば、どんな場面でも「日本人」という言葉を「日本から来た人」に置き換えようと言っているわけです。「日本人」という言葉そのものを廃止して「日本から来た人」に置き換えようと主張してるんですよ。
>
>「ベルギー人」「カナダ人」は差別用語ではないからそのまま使っていいのに、日本人だけは婉曲に、「日本から来た人」と言わないと失礼にあたる・・・ そう言われたら、「日本ってそんなに汚い国?」って思いません?
>
>>> 誰かのことを「女の人」と言ったって、その人の人格は剥ぎ取られますか? その人は女そのものになってしまいますか?
>>
>>私は女の人でないけど、女の人が男ばかりの職場などで、同じ仕事をしているのに常に「女だから」とあつかわれるとすると、やはり不自由であろうと思います。
>>
>私もそれは不自由でいやだと思いますが、現状を変えずに「あの人は男ではないから」と言い換えてことが解決するとは思わない、ということです。男性は「男の人」でいいけど「女」は差別用語だから「女性属性をもつ人」と言い換えないと失礼にあたる、って言われたら、「女性は汚いもの」という前提がなおさら固定化され、女性差別の実態はかえって悪化する気がしませんか?
あの、わたし実はファウラーさんの本も、マルハナバチさんの本も
テンプルさんの本もまだ読んでないんですけど・・・(テンプルさん
はこっちの話です。)
ファウラーさんが「ADHD者」と言わずに「ADHDを持つ人」に言い換えましょう。
といっているのは、ADHDを良くないものと言っているように聞こえます。
ファウラーさんはきっとADHDの人ではないんでしょう・・・(憶測)
ADHDは、今の社会では悪いものとされてしまいがちですが、
教育のシステムなどが変わって社会が変わればいいものにもなると思います。
(現状でもADHDにはいい面もいっぱいあると思います。)
(ASでも同じことが言えると思います。)
なにも遠慮して「ADHDを持つ人」なんて言う必要はないと思います。
差別する人がいたらその人の考え方がおかしい。
こっちが気を使う必要なんてないです。
差別している人の方が、もっと勉強するべきです。
まだ読ませていただいてませんが、世の中にADHDのことを広める本を
翻訳してくださってありがとうございます。>マルハナバチさん。
幼稚園に通う我が子がアスペルガーと診断されたのはつい最近のこと。
早速本を購入し、読んで見ること最初の章で自分がアスペルガーという事を認識しました。私はすごく物忘れが激しくて、注意力欠陥症候群だと今まで思っていました。が、一番苦手なのは対人関係なのです。雑談の場などでは波に乗れずいつも話しの腰の骨を、折ってしまいます。友達もなかなか出来ません。いつも孤独です。自分自身アスぺと認識した方は何かそれまでよりも意識は変わりましたか?
私は今、人と会話するのがとても苦痛です。でも子供の事を考えればそんな訳にもいかず、悩んでいます。
なんか、私がファウラーさんの主張に反対する理由が全然伝わってない気がするのだけれど。
第一、私と管理人さんの言っていることは共存可能だし、お互いに矛盾してないですよね?
私がファウラーさんに反発するのは、「レッテルを貼らない」という趣旨(そこは別に構わない。そして、管理人さんが賛成するのはこの部分でしょう)を実現するための手段として、婉曲語を普及させようとするからです。趣旨は別にいいけど、その手段として婉曲語を導入したことに反対なんです。
なぜか。「婉曲語を導入すべき」という主張は、婉曲語で言わなかったらストレートな呼称は差別語になるということを前提にしています。
しかも、従来の呼称、婉曲語ではないストレート語(?)を、本人が自分を指すときに使うことまで不愉快に感じているらしい(そこまで「やめろ」と言わないで自制している点は評価しますが)。
館の管理人 wrote:
>Niki Lingko(マルハナバチ) wrote:
>> だって、誰かのことを「日本人」って言ったって、その人の人格は剥ぎ取られますか? その人は日本そのものになってしまいますか?
>>
>はい、私は日本人です。私がもしも仮に、日本人があまりいない社会の中でくらしているとする。まわりの人たちから常に「やあ日本人」と言われて、私の一挙手一動が日本人の特徴ととられて、しゃべることはみんな「日本人の言うこと」ととられるとしたら、とても不自由な気がします。
>
私が反対しているのは、そういう状況ではありません。むしろ、そのちょうど裏返しの状況です。ファウラーさんはいわば、どんな場面でも「日本人」という言葉を「日本から来た人」に置き換えようと言っているわけです。「日本人」という言葉そのものを廃止して「日本から来た人」に置き換えようと主張してるんですよ。
「ベルギー人」「カナダ人」は差別用語ではないからそのまま使っていいのに、日本人だけは婉曲に、「日本から来た人」と言わないと失礼にあたる・・・ そう言われたら、「日本ってそんなに汚い国?」って思いません?
>> 誰かのことを「女の人」と言ったって、その人の人格は剥ぎ取られますか? その人は女そのものになってしまいますか?
>
>私は女の人でないけど、女の人が男ばかりの職場などで、同じ仕事をしているのに常に「女だから」とあつかわれるとすると、やはり不自由であろうと思います。
>
私もそれは不自由でいやだと思いますが、現状を変えずに「あの人は男ではないから」と言い換えてことが解決するとは思わない、ということです。男性は「男の人」でいいけど「女」は差別用語だから「女性属性をもつ人」と言い換えないと失礼にあたる、って言われたら、「女性は汚いもの」という前提がなおさら固定化され、女性差別の実態はかえって悪化する気がしませんか?
「女」「女の人」という呼称を廃止されたら、私生活で「たまには女だけで飲みに行くのもいいよねー、くつろげてさあ」「女どうしの助け合い」といった言いかたもしにくくなってしまいます(ファウラー氏は、ADHDをもつ人自身が、自らを「ADHD者」と名乗ることにマユをひそめていますが、仲間どうしの打ち明け合いの本であり、内輪の助け合いの本でもある「片づけられない女たち」では、「ADD女性」という自称が、愛情こめて使われています。その事実は、ファウラー氏の挙げる根拠と矛盾する気がする)。
>日本人であることも女の人であることもネガティブな属性ではないけれど、もしそればかりが過剰に強調されたら、ちょっとそれはいやだ、という場合もあるということです。
それには全面的に賛成です。
でもファウラー氏の主張は、過剰に強調しないための手段として、婉曲語を導入しようというものでした。日本人であることを過剰に強調しないために、「日本から来た人」とソフトに言いかえるべきっていうつながりかたには、私は反対なんです。
スレッドが大きくなって、どこにレス付けたらいいか分からなくなったので、新しくします。
レッテルが必要なのかどうかは、各個人の状況によるでしょう。
特に大きな要素は「実害を生み出すかどうか」だと思っています。
アスペ的要素のために実害がある場合で考えると:
(1)レッテルがないために「何でこんなことができないのか」と言われても説明する根拠がない。障害(仮にこの言葉を使っておきます)だと思うと説明しても、「その程度じゃ障害とは言えない、甘えているだけ」と言われてしまう。
(2)レッテルがあると、健常者と変わらない結果を出せるにも関わらず、「障害者だから」という目で見られて正当に評価されない。
この2つの場合にはレッテルの有る無しが逆であれば、どちらも多少はうまくいく可能性が高くなりそうです。
大事なのは「どうしたら実害を減らせるか」であって、その可能性の一つとしてレッテルがある訳で、状況によってはそれが逆効果になりうるでしょう。
以上のことは対外的なことであって、自分自身が納得するためのレッテルはまた別問題です。
なお、「障害」という言葉の問題については、私自身の考えが固まっていませんので、今は取り上げないことにします。
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