アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
空は青い
悩んでいても
空の色は変わらないと
誰かが言った
嘘だ
決まった色なんてない
心がつくり出した色だ
幻想だ
草原は緑
血は赤い
土は茶色
空がこんなに青いのは
何を求めているのか
黄色い方が安らぐのに
http://plaza.rakuten.co.jp/minstrel/
たかよ wrote:
>「自分のしている事がどういう事だか解らない」から
>健常者に我々を責める前に
>どういう風に振舞えば良いかを教え貰いたいのではないのですか?
>「自分勝手な振る舞いは障害のせいだから許してね」
>と思っているのなら、妖精さんを責める資格も無いし、
>それこそ障害だからという「甘え」だと思うのです。
>妖精さんに説明をしなかった私も同罪です。
>けれども、気になったので。
>無知で共感性に書けた人間のたわごとは以上です。
まあ障害があっても、やれることがあったらやって、家族や社会に貢献していくのはいいことかもしれません。
ただ障害には乗り越えられるものと乗り越えられないものがあります。無理に高い目標を設定すると、つぶれてしまうし挫折もひどいです。
ことに引きこもりの人や精神障害の場合は、いろいろなことを指導するのに、このことを注意する必要があります。無理矢理首根っこを引っ張って引きずりあげるのではなく、本人の様子を見て、容易に達成しやすい目標から取り組ませた方が、本人ががんばって良い方向に進んでいくのです。
例えば引きこもりの人を外に出すときは、まず家にすぐ戻れる・静かなところを散歩させ、だんだん遠く・にぎやかなところへ導いていくのがいいです。
たかよさん wrote:
> 前に妖精さんが、分裂症の人に失礼な事を言った時
> 怒る人達がほとんどで、
> 妖精さんに分裂症とはどういうものか、
> では、妖精さんはどう振舞えばよかったのか、
> 説明してくれている人は殆どいませんでした。
おれとしては、この武田さんの説明以上のものが必要であるとは思わなかったので、それ以上の言及はしなかった。
武田好史さん wrote:
> 精神病(おそらく過去分裂病と云われていた『統合失調症』)も知的障害も、変なうなり声を上げたり突発的に身体を動かしてしまうチック症*ジル・ラ・トゥレット症候群も、急に意識を失ったりする『てんかん』も、我々アスペルガー症候群と同じ『脳(中枢神経系)の機能障害』です。
> これらの人は一見するところ白眼視してしまうようなところがありますが、それをやめて優しく接してあげれば何ともないのです。
> 私が『精神障害者保健福祉手帳』の取得に反対しているのは、脳の機能障害で薬をちゃんと飲んで無理のない生活をしていれば普通に生活できるので問題がないのに、『精神障害者=狂人』というふうな世間の人の偏見の目が未だ強く、もっとやわらかい表現で・人とかかわりやすい表現でこういった人をくくるようにしたほうが良いと思えるからです。
> 我々だって精神科にかかるわけですし、都道府県によっては『精神障害者保健福祉手帳』をアスペルガー症候群者に交付する場合もあるわけですから、精神障害の人を長い目で見てやって欲しいと思います。
『Re: 奇跡体験!! new in 対 in !!』(No.11035)
説明というのは誰かが一度すれば事足りることである。ちゃんと説明した人間が少なくとも一人いた、というのが事実であり、「説明してくれている人は殆どいませんでした」という非難は当たらないと思う。
「説明」と「怒りの表明」のバランスがとれていない、という意見もあるかもしれない。とはいえ「怒りの表明」というのは個々人がそれぞれの立場から行なうものである。で、「妖精さんの発言は不適切なものではない」と発言する人もいなけりゃ妖精さんに味方して「そーだそーだ」と叫ぶ奴があんまりいなかったというのは、とりあえず事実である。そんなわけで、「一緒にされてるようで他の人が怒ってましたよ」という妖精さんの発言に対する反論という意味では、当然の反応だという気がする。
もっとも、「いや、ASである私は分裂病と一緒にされているようで確かに不快だった」という反論が出てこないとも限らんのだが、だからといって多くの人が妖精さんの発言を不適当だと感じたことに変わりはあるまい。
じゃあ、妖精さんは自分の発言が不適切なものだと思っていなかったのか? そうではあるまい。妖精さんはおそらく「相手をバカにする」という行為の意味をはっきりと認識していらっしゃる。他人をこき下ろすのはとても気持ちいいのだが(そうだ、おれはよく知っている)、それが一般的にいって好ましからざる行為とされていることを存じておられるハズである。だからこそ大義名分というのが必要になってくる。そんなわけで、妖精さんはまず自分の行為の正当性を主張するところから文章を始めている。
妖精さん wrote:
> ここはちゃんとしたアスペルガーの館の掲示板ですよ? (^^;ワラ
> あなたのような精神病患者が何故来ますか? (^^;ワラ
> 一緒にされてるようで他の人が怒ってましたよ (^^;ワラ
> 現実と同様にここの人にも迷惑かけるんですか (^^;ワラ
まずは言い訳しておいてから貶(けな)しにかかるというのがじつにヘタレである。こういうヘタレに何を言っても聞く耳を持たんので、これで武田さんに噛みつきでもしたらボロクソに叩いてやろうかとも思ったが、他のメンバーの剣幕に驚いたか以来引っ込んでいるのでおれも牙やら爪やらを引っ込めたというところなのである。
まあ、ひょっとしたら妖精さん自身も精神分裂症と診断されたのかもしれん。その可能性は多分にある。だいたい自閉症というのはかつて精神分裂症と区別されておらんかったし、「自閉」という言葉も分裂病の症状からの借り物である。おれなんかも破瓜型精神分裂病という分裂の中でもけっこうタチの悪い奴に傾向が似ている(関係妄想や被害妄想や幻覚なんかは経験上(←「経験上」かいっ!(-_-X))いくらかマシであるような気がする。程度や種類にもよるだろうが)。他人事ではないのである。
そんでもって「オレだって本当は言いたいのにアスペじゃなくて分裂だから遠慮してるのに文章力がないから書けずにいるのにくそくそくそくそくそ」とかいって逆上したあげくああいう形で噴火したのかも知れん。
それはそれで可哀相っちゃあ可哀相なのだが、まあそんな事情も言わにゃあ通じんのである。読む方は書かれたことだけを見て判断するし、それ以上の義理はない。そんなわけでちゃんと書かんほうが悪いっちゃあ悪いのである。
そんなわけで、メンバーの対応は大筋として間違ってなかったとおれは見ているのだが、いかがなものだろうか。
(Mr.Moto)
こうもりさん wrote:
> 一方で、障害そのものが重いAS人に非障害者と同じやり方を強制してしまうと、本人の才能をつぶしてしまうことになりかねないのが痛いところです。
うーむ、そのあたりあたしは少し違うことを考えているのですよ。
「できる」のと「わかっている」のとは、本来、別のことです。で、「できる」からといって、「わかっている」とはかぎらない。「わかっている」からといって、「できる」とはかぎらない。
だけど、「できる」と、「わかっている」と勘違いする人が多いのですね。
器用な人は、わかっていなくても、やってるうちにできるようになってしまう。で、「自分は、わかっている」と勘違いしてしまう。で、自分がわかっていると思っていることを、人にも当てはめようとする。
だけど、それが間違っていた場合、「言われた通りに努力する」ことで、できるようになるとは限らない。下手をすると、逆に「できるようになる」ことから遠ざかってしまい、ついには永久にできなくなってしまうことがあります。
だから、「わかる」→「できる」というルートが、一般の教育では尊重されていないというのが問題なのだと思うのですよ。
たとえばの話、水泳です。クロールでちゃんと泳げるかどうか。
まず、「浮く」ということ。
普通は、「身体に力を入れると、筋肉が縮んで重くなり、水に沈む」と教えます。だけど、筋肉は気体ではありませんから、よっぽど圧力をかけても目に見えるほど体積は変わりません。形が変わるだけです。浮力に関していえば、問題になるのは肺に空気が入っているかどうかだけ。
で、浮力が一定だったら、水面上に出ている部分の重さは常に一定です。ですから、「どこを水面上に出すか」は「どこを水面下に沈めておくか」と同一の問題に帰着します。
そんなわけで、「後頭部を水の中に入れれば、自然に鼻と口が水面上に出る」ということを誰かが教えてあげれば「浮く」というのはべつに難しいこっちゃないのね。口というのは頭の下のほうにあるから、口を水面上に出そうとすると、頭全体が水面上に出てしまうので、結果として全体が沈んでしまう。「どうやったら口だけが水面上に出るかを考えなさい」の一言で、済む話なんです。息継ぎがうまくいかない場合は、「口以外の部分を水面上に出さない」という助言をしてあげればいい。
次に、「掻く」。
水泳教室なんかでは、「前(立っているときは、上)」に腕を伸ばしておいて、片方づつ掻く練習をさせます。ところが、あれが逆効果。正しくは、「気をつけ」の姿勢と同じく、「後ろ(下)」に腕を伸ばしておいて、片方づつ掻く練習をしなければいけません。
なぜかといえば、水の上を通って腕がリカバーする時間と、水の中を通って掻いている時間では、後者のほうがずっと長いからです。で、その間、掻いていないほうの手は、後ろに伸ばした状態で待機していなければなりません。息継ぎが終わり、肘が水面に出た瞬間を捉えて、一瞬のうちにリカバーして水を捕えるのが、正しいタイミングです。なのにあらかじめ腕を前に伸ばしていたら、腕を前に伸ばした状態で息継ぎをしなければなりません。そうすると、肩越しに息継ぎをすることになって、とても不自然なことになってしまいます。
ですから、掻いていないほうの手は、掻いているほうの手が肩を通貨するまで、後ろに伸ばしていなければいけないんです。
最後に、「蹴る」。
物理学には、「作用・反作用の法則」があります。バタ足(この名前がそもそも間違い)の練習をするというときに、上から足を打ち降ろせば、その作用を打ち消す必要があります。とすれば、反対の足を上に挙げるしかない。
ところが、そこには水はありません。だから、反対の足の重さで、その反作用に対抗しないといけないんですね。結果として足は何度も水面を叩き、バシャバシャと水しぶきを上げることになり、造波抵抗は大きくなり、推進効率は落ちる、ということになります。
そうすると、合理的なのは日本の伝統泳法である「伸(の)し」で使われる「挟み足」なのですね。これなら作用・反作用の問題は、起こらない。あるいは、ドルフィンキック。身体全体をうねうねと使って、前に進む。
で、実際のクロールの蹴りというのは、この「伸し」と「ドルフィンキック」とローリングを合わせたものなのですね。ドルフィンキックの左右の打ちおろしのタイミングをずらせておいて、戻すときに挟み足にする。次に足を入れ換えて、同じように蹴る。これと、手で掻くタイミングとローリングのタイミングが合うと、「タイト1ストローク四ビート泳法」になります。この泳ぎかただと、水面に水しぶきがほとんど立ちません。で、リカバーの角度が高く、速い。身体がきれいにローリングしているので、水面から頭が出ません。
で、こういう訳のわかんない指導法がまかり通っているのは、日本の古式泳法の「抜き手」とクロールがごっちゃになっているからなんですね。海なんかで泳ぐときには、頭を水面上に出しておいて、手を前に伸ばす、半ば立ったような恰好が適しているかもしれません。その姿勢だったら、いわゆる「バタ足」も、水面上に足が出ることがないので、「煽(あお)り足」になります。
だけど、波のないプールでクロールを教えるときに、これはダメです。だって競泳用のプールって浅いんだもん。古式泳法で泳いだら足がついちゃいます。
だから、遠泳とかをするんだったら、従来型の泳ぎの指導法でもそう悪くないと思うんですよ。だけど、そうではないわけです。スポーツとしての競泳を教えているのに、不適切な指導法がそのまままかり通っている。
あたしは、普通の子どもとASの子どもに異なった教育法が必要だとは思ってはいません。「ASの子どもの場合、間違いや手抜きがより深刻な影響を及ぼす」だけの話なんだと思っています。
あたしに言わせりゃ教育界の閉鎖性、教育体制の不備、教師の指導力不足・勉強不足といったものが出てるだけのことだと思います。少なくとも、現今の学校教育の見直しだけで対応できる部分はかなり大きいと思うぞ。
(Maria)
甘えかもしれないし、閉じこもりかも知れないの後に、
御子息を私達は知りません。
だからこのように我々では適当に推測によった
適当な事しか言えないので。
かかりつけの精神科医に相談する事をお薦めします
(ただ、私だったら・・・・)
と続けるべきだったと私の過ちに気がつきました。
でも、ちょっと気になったのです
「とじこもりかもしれない」とも言ってるのに
「甘え」の部分だけに反応された事です
それと「育たないと決めつけている」ととられた事です
「やればできる」と思っていないかぎり、
突っぱねる事は間違いになるのではないでしょうか?
(この誤解は私の言葉が足らなかったのせいなので
反論するのもおかしいのですが)
言い訳ととられてもかまいません
そのとおりでしかありませんし。
精神医学の専門科でも無く、共感性に欠け、文で表現も苦手の
私がこういう書き込みをする事が間違いであったと思います。
が、もう一言、
共感性に欠けた精神医学の専門科でも無い私が
こういう書き込みをする事がいう
間違っていることをさせてください。
前に妖精さんが、分裂症の人に失礼な事を言った時
怒る人達がほとんどで、
妖精さんに分裂症とはどういうものか、
では、妖精さんはどう振舞えばよかったのか、
説明してくれている人は殆どいませんでした。
私は妖精さんの言葉より、そちらに言葉を失いました。
みなさんは、健常者が理解してくれないと嘆きます。
妖精さんは「自分のしている事が解らなかった」のかも知れません。
身の回りの健常者と同じ事を自分達でして、
「健常者は理解がない」と嘆くのはおかしく無いですか?
「自分のしている事がどういう事だか解らない」から
健常者に我々を責める前に
どういう風に振舞えば良いかを教え貰いたいのではないのですか?
「自分勝手な振る舞いは障害のせいだから許してね」
と思っているのなら、妖精さんを責める資格も無いし、
それこそ障害だからという「甘え」だと思うのです。
妖精さんに説明をしなかった私も同罪です。
けれども、気になったので。
無知で共感性に書けた人間のたわごとは以上です。
こんにちは、Lingkoさん。
LDで学生のサルスベリと申します。
Lingko wrote:
>自分はどんな価値観に貢献したいのか。
>
>ある価値観に貢献するためには、どんな仕事があるのか。
私はそもそも、「(仕事に)貢献する」ということがわかりません。自分の能力を何らかの形で発揮することととっていいのでしょうか。
たかよさん wrote:
>これは「精神的な問題」か「甘え」のどっちかにしか思えません。
>障害だから仕方ないってのは「甘え」でしかないし
>でもひょっとしたら「とじこもり」なのかもしれない
確かに自助的な努力によって、ハンディーを克服しようとしてい
るAS人は立派です。わたし自身も職場では障害をカミング・アウト
せずに働いているので、そのきつさは身にしみます。
一方で、障害そのものが重いAS人に非障害者と同じやり方を強制
してしまうと、本人の才能をつぶしてしまうことになりかねないの
が痛いところです。わたしなんかも、親から「社会適応するために
かけた多大な労力によって、おまえ(こうもり)の本来持っていた
才能の一部をつぶしてしまったのは事実だ。」なんて言われており
まする。
以前、NHKの「にんげんゆうゆう」でインターネットを利用して
海外の大学の講義を受けているAS人が紹介されましたが、できるだ
け自分にとって研究しやすい環境を作り出していくという工夫は必
要なのかもしれません。どんなに早く走ることができるうさぎでも
、「泳げない」ということを散々責められながら生きていたのでは
、破綻してしまうことになります。
>(私だったら「勉強もしない、働く事もしない怠け者なんか
> 家には不必要だ出ていけ」と叱り飛ばしますけれどね)
この点だけはちょっと検討を要します。現在、ASをはじめとする
大人になった軽度発達障害者のうち8割以上は就労できていないと
言われています。(統計によっては9割以上)また、就労できてい
る人のなかにも保護就労をしている人が多いという現実があるので
す。これらの人全員に「家を出て行け」と言ってしまうのはちょっ
ときついかも???
もっとも、せっかち母さんのお子様が、福祉作業所や自助グルー
プを低く評価してしまっていることには若干の違和感も感じてはお
ります。研究を続けたいというAS人の願いも、自立して生活したい
というAS人の願いも基本的には同じぐらいの価値しか持たないと思
われるからです。職業観を見つめなおしてみる必要性だけはあるで
しょう。
Lingko wrote:
>せっかち母さん wrote:
>>こんにちは、今日は皆さんのアイデンティティについてお聞きしたく、やって来ました。 息子は、自分の行く所は物理の研究室しかない!と思いこんで
>
>それ、アイデンティティの問題でも甘えでも何でもなく、イメージ力の不足を補う資源、情報整頓道具、情報整頓のテクニックを学べる場所、考え方の道筋を学べる場所の不在の割を食ってるんじゃないでしょうか。
>
>世の中にはどういう仕事があって、どういう仕事にはどんなスキルが必要なのか。
>
>ある仕事は、どんなタスクから成っているのか。
>
>その仕事を構成するタスクのうち、中心的なタスクはどれで、付随的なタスクはどれなのか。
>
>自分はどんな価値観に貢献したいのか。
>
>ある価値観に貢献するためには、どんな仕事があるのか。
>
>どんなスキルがあれば、どんな仕事に使えるのか。
>
>そもそも、どんなことがスキルと呼べるのか。
>
>この能力はスキルなのかスキルじゃないのか。
>
>そういうことって、「何となくわかっていくもの」とされているんじゃないでしょうか? でも、「何となくわかっていく力」のない人にとっては、さっぱりわけわからんものです。
>
脳の機能の障害によっては、このようなことが分かりにくい場合もありますしね。
まあ自分ができるからといって、それと同じことを他人に無理矢理押しつけるのではなく、その人にはその人なりの特性を見て同じ目線で一緒に考える、それができる人が私たち自閉連邦市民の優しいと感じる人なのでしょう。
もう一つ、「やりたいこと」が、即、本業でなくてはいけないみたいな思い込みに縛られている可能性もあります。
アマチュア優位の分野ってけっこうあるんですよね、自然科学にも。この辺は大盛り壮健じゃないや大森総研の方々の方が得意そうなのでそちらに譲りますが。というより既出なのでくり返しませんが。
そういうことって、知らない人は本当に知らないんです。で、知らないのは、知る機会がなかった、情報と出会わなかっただけなのに、人間性の問題だと思われたり、甘えてると叱られたり、思わぬ失敗をしたり、失敗はしなくてもひどい無駄をしたり、とんでもない遠回りをしたり、損をしたり……。
遠回りするのが何でも悪いとは言いませんが、後からふり返って「あれはあれで楽しかった」と言える遠回りと、「あああああああああああああああああ! 何でそれを早くっっっ」と号泣してしまう遠回りとがあるので。
せっかち母さん wrote:
>こんにちは、今日は皆さんのアイデンティティについてお聞きしたく、やって来ました。 息子は、自分の行く所は物理の研究室しかない!と思いこんで
それ、アイデンティティの問題でも甘えでも何でもなく、イメージ力の不足を補う資源、情報整頓道具、情報整頓のテクニックを学べる場所、考え方の道筋を学べる場所の不在の割を食ってるんじゃないでしょうか。
世の中にはどういう仕事があって、どういう仕事にはどんなスキルが必要なのか。
ある仕事は、どんなタスクから成っているのか。
その仕事を構成するタスクのうち、中心的なタスクはどれで、付随的なタスクはどれなのか。
自分はどんな価値観に貢献したいのか。
ある価値観に貢献するためには、どんな仕事があるのか。
どんなスキルがあれば、どんな仕事に使えるのか。
そもそも、どんなことがスキルと呼べるのか。
この能力はスキルなのかスキルじゃないのか。
そういうことって、「何となくわかっていくもの」とされているんじゃないでしょうか? でも、「何となくわかっていく力」のない人にとっては、さっぱりわけわからんものです。
結局、私は遠回りに遠回りを重ねて、仕事を始めたのは34からです。34までの私は、甘えてたのではなく、タスク分析ができてなかったし、スキル評価ができてなかったんだと思う。
>デイケアや作業所を、カッコ悪いと言います。
だからって、デイケアや作業所をカッコ悪いと思ってると決めつけないでくださいね。
ましてや、デイケアの利用者や、作業所の通所者をカッコ悪いと思ってると決めつけたり、差別的だと糾弾したりしないでください。
実際、デイケアや作業所で与えられる作業って、当人の貢献したがってる価値観、当人の活用したがってるスキルから発想して選択されるんじゃなく、「指導する側が用意できた作業」「協力的な取引先があって、受注できた作業」として選ばれることになることが多いし、
「これができるから」「これが好きそうだから」という足し算思考ではなく、「これができないから、この程度の仕事」みたいな、引き算思考で選ばれたりするし、その、「引き算思考」を「カッコ悪い」と感じているのかもしれない。
あるいは、作業所って現に世の中から「この程度のもの」として見られてしまってる。世の中からの評価は、確かにカッコ悪いんですよ。
特に障害児・者に限らず、キャリア・カウンセリングの不在、貧困は大問題だと思います。
>しかし、まともに試験を受ける気もなく、(センター試験を受けましたが、あんな試験は自分に向いてないと言います)
精いっぱいの強がりではないでしょうか。学力が低いか、何らかのスキルの不足か(中には、不器用さやこだわりのためにマークシートを塗ることが困難な人も)で、ものすごーくプライドが傷ついてるのを、必死でごまかしてるみたいな気がするんですけど。違ってたらごめんなさいね、でも、もしほんとにそうだったとしたら、あまりの劣等感で必死で何か言い訳こしらえてるだけなのに、それを本気にして「えらそうにしてる」なんて言われたんじゃよけい追いつめられますもん。
>パソコンはしませんし、
本当にパソコン苦手なのかもしれないし。でも、何らかの補助があれば使えるようになる人もいます。読字の弱い人で、目は見えるけど読み上げソフト使うことにしてバッチリって人もいるし、私みたいに見た人に「おいーーーっ」と言われるくらい画面の輝度を下げたら良くなった人もいるし、何がネックになってるかは人それぞれです。
「物理の研究」って言っても、実際、どういう作業が含まれてるか、わかってない可能性だってありますよ。企業と大学ではどう違うか、基礎と応用はどう違うか、その辺も知らない可能性もあります。
私ね、若いとき、音楽家になろうと思ってたんです。ただ、問題は音楽ができなかったこと。音楽家になろうと思った動機は、ベートーベンの肖像画を見て、音楽家なら髪の毛をとかさなくてもいいのかと思ったから。私は頭の皮膚の感覚が過敏で、髪の毛をとかすのが大の苦手だったからなんです。
その前の前は、すもうとりになろうかと思ってた。というより、輪島になろうと思ってた。なぜかというと、輪島はどじで、忘れ物や迷子や失言が多いけど、貴乃花がかばってくれてると子ども向けの読み物で読んだから。私も輪島になれば貴乃花が現れると思ってたの。おすもうさんが男だとは知らなかった。髪の毛くくってるから女だと思ってた。
そんな人だっているのよ。「○○になりたい」と言っても、ルーツを探ってみたらとんでもないところから出てることも。
「物理の研究室は、くつろいだ雰囲気で、服装なんかかまわなくてよくて、履物はつっかけで良くて、休憩のときはでかいマグカップでコーヒー飲んでる」なんて理由かもしれないのよ。
私がこういう状態を軽蔑してると思わないでね。私は現にそうだったし、今でも基本は変わってないんだから。
「価値観」「使命感」「手持ちのスキル」「好みの環境」。
いっこずつ、腑分けしてくと、もう少しすっきりするかも。
ご本人には『「これだ!」と思える仕事に出会うには』(シェリル・ギルマン著 花風社)、保護者の方には『LD(学習障害)の人の就労ハンドブック』(梅永雄二著 エンパワメント研究所)をお薦めします。
Naveさんこんにちは。
携帯、一応持ってはいるんです。というより、愛用してます。着信音なんか好きな音にしたりして、二つ折り形のだから、広げて持つとき、トリコーダーごっこしてみたりして。「生命反応があります。生存者がいるようです。クリンゴン2人、地球人3人、フェレンギ1人です」なあんて言って遊んだりして(そのくせ、オリジナルシリーズ世代の夫が、二つ折り携帯を広げるときに振って広げたりして「コミュニケータごっこ」すると、怒ってやめさせる私は横暴妻。でもいいのだ、顔が良ければ)。
ただ、「元NTT」の空きビル(借り手がついてないらしく荒れ放題)に貼ってあった、電話料金の請求書再発行申込み番号に携帯からかけたら、「この番号は携帯ではかけられない」と言われちゃって。
携帯ではかけられない番号ってあるんですよね。
というわけで、説明不足ですみませんでした。
KILROY wrote:
>たかよさん wrote:
>
> いてててててててて(>_<)。身に堪(こた)えるのう。
> おれがエー・アイ・テクノロジーという会社にいたころ、派遣派遣で月間残業百時間以上、最低血圧は百を超して鼻血と血尿を垂らしながら仕事をしたあげく心臓を患って派遣業務ができなくなり、会社に戻って虐められていた頃を思い出す
> 人間の「強さ」というのは、たぶん似たり寄ったりなのだとおれは思っている。「育たん!」と怒る前に、ちゃんと育つ場所に植えたかどうか、相手に合った肥料や水や日航を与えたかどうかを検討する必要があると思うのだが、いかがか。
努力をしてダメなら、仕方ないと思うんですけど、
途中放棄をしてしまうのはどうかと。
かっこわるいからいやだとかいうのも
だって、働いてる人に失礼じゃないですか。
KILROYさんは努力したのでしょう?
私だって、ちっとも上手く行って無い
なりたかった獣医にはなれなかった。
数学の理論が一つもつかめなかったし、
英語文法が全然覚えられなかった。
大学受験は全滅。仕方なく専門学校へ、
そして再度受験(獣医学部はあきらめて)
短大しかうからなかった。
短大から大学の編入試験は失敗。
今の仕事は好きでやってる訳では無い。
ここしか就職でき無かった。でも仕事があるだけまし。
なのに、ミスばかり重ねてる。
「これ以上ミスをくり返すなら、あなたに頼めない」と
と、先日言われました。
仕事ミスをくり返すのは障害のせいでも許されるものではない。
必死にタイマー使ったり、手にメモしたりしてる。
でも、ミスしてしまう。もう胃が痛い。
毎日家に帰りつくと涙がポロポロでてくる。
でも戦いを放棄してここで会社やめるのと、
ミスを無くす方法を探り続けるのと、どっちが適切?
今後に繋がるのはどっち??
ここで仕事をやめても誰が私を認めてくれる??
夢を叶えられない健常者だっていっぱいいる。
妥協って言葉は聞こえは悪いかも知れない。
でも、戦い続けるんだって証だと思う。
私は動物の学者になって、子供向けの動物の本が書きたかった。
私が子供の頃必要としていた身近な動物の情報がいっぱいの本を。
独自に研究や観察を続けていつか書ける日を夢見ている。
せっかち母さん wrote:
>こんにちは、今日は皆さんのアイデンティティについてお聞きしたく、やって来ました。 息子は、自分の行く所は物理の研究室しかない!と思いこんで
>デイケアや作業所を、カッコ悪いと言います。 しかし、まともに試験を受ける気もなく、(センター試験を受けましたが、あんな試験は自分に向いてないと言います) パソコンはしませんし、友達も行く所もなく、毎日、「今日は何しようか」ばかり言います。 皆さんのアイデンティティを聴かせて下さい。
そもそも、自分のやりたいこと、と現実をマッチングさせなければならないことを知っていらっしゃるでしょうか?そういう根本的な概念や方法の理解が抜けてる可能性、もあると思います。
また、自分の実行することへの道筋をつくっていくのは、とても苦手な分野に入ると思います。仕事や将来に関しても、趣味に関してもそれはかわらないのではないでしょうか。
やりたいことと、やりたくないことがわかっている、というステップはクリアされてるので(これだって難しいことですが)
どうして物理の研究室なのか、何をしたいのか、そこでないとできないことなのか、デイケアや作業所がかっこ悪いと思うのはどうしてか、センター試験が向いてないのはどの辺りが向いてないのか、毎日していきたいことは何なのか。
自分に問いかけて、答えや解決策を見つけていく過程で、わかってくることが多いと思うのですが、これをお母さんが問う形でサポートする、というのも1つの手段だとは思います。
ウオ〜ン。話題に乗り遅れてしまった〜!!こうもりです。
最近、こればっか…。
アイデンティティーという言葉の意味はあまりよく分かって
いません。(色々な意味で使用されているように思える)ここ
では、お子様の進路の件についてだけ、コメントします。
せっかち母さん wrote:
>こんにちは、今日は皆さんのアイデンティティについてお聞き
>したく、やって来ました。息子は、自分の行く所は物理の研究
>室しかない!と思いこんでデイケアや作業所を、カッコ悪いと
>言います。
本人が物理の研究に情熱を持つことはいいことだと思います
よ。
> しかし、まともに試験を受ける気もなく、(センター試験を
>受けましたが、あんな試験は自分に向いてないと言います)パ
>ソコンはしませんし、友達も行く所もなく、毎日、「今日は何
>しようか」ばかり言います。
単に研究をしたいというだけなら、それでも大丈夫だと思い
ます。ほとんどの大学教員というのは専門の近い専門家同士で
勉強会というのを開いていて、その勉強会には参加者の紹介さ
えあれば、誰でも参加することができます。また、多くの大学
院には科目履修生や研究生という形で、勉強をしている人がた
くさんおります。
ただし、これらの制度はいずれも学位には結びつきません。
わたしのように学位に興味を持てない人間にはそれでもいいの
ですが、学位(修士とか博士)がないと、物理学関係の仕事に
就くのは困難です。
自分のやりたいことを押し通しすぎると、それが大きなデメ
リットを生み出してしまうことがある。わたしが自分の我を押
し通す場合は、常に大きなデメリットを覚悟しています。
正規のルートで大学に進学しなかった場合の様々なデメリッ
トはお子様とよく話し合われた方がいいでしょう。
たかよ wrote:
>せっかち母さん wrote:
>
>>こんにちは、今日は皆さんのアイデンティティについてお聞きしたく、やって来ました。 息子は、自分の行く所は物理の研究室しかない!と思いこんで
>>デイケアや作業所を、カッコ悪いと言います。
>>しかし、まともに試験を受ける気もなく、(センター試験を受けましたが、あんな試験は自分に向いてないと言います) パソコンはしませんし、友達も行く所もなく、毎日、「今日は何しようか」ばかり言います。
>>皆さんのアイデンティティを聴かせて下さい。
>>よろしくお願いします。
>
>アイデンティティだけの問題とは思えません。
>これは「精神的な問題」か「甘え」のどっちかにしか思えません。
>障害だから仕方ないってのは「甘え」でしかないし
>でもひょっとしたら「とじこもり」なのかもしれない
>かかりつけの精神科医がありましたら相談した方が良いと思います。
>(私だったら「勉強もしない、働く事もしない怠け者なんか
> 家には不必要だ出ていけ」と叱り飛ばしますけれどね)
>
こんなとき優しく相談にのって、さりげなく方向づけけしてやる先輩が欲しいのだと思いますよ…
まあ少しは喝をいれてやるのも、いいかもしれません(^へ^)
ぺりこ wrote:
>ぺりこです。
>↓、間違ってしまいました。すみません。
>>武田好史さん wrote
>
>>> それから幼稚園の頃から、絵の具の色を混ぜたり、水にたらして絵の具の粒子がが拡散していく様子を眺めるのが好きでした。小学生のときは絵に色を塗るとき、それでよく進みませんでした。
>
>私は小学校4年生の時、なぜか絵の具の味を知りたくなって、一通り全部なめてみました。水色が一番甘かったです。
絵の具の成分は、案外危険な『重金属』が入っていることが多いです。
例えば黄色は、『カドミニウム』といって、神通川流域の『イタイイタイ病』
の原因物質の重金属の硫化物が顔料として使われていたり、赤色は水銀・鉛の硫化物・酸化物がそれに使われていることが多いです。
またクレヨンに使われている『アリニン色素』は、血球を壊してしまう毒物で、
子供が誤食してしまった場合には、輸血が必要になる場合もあります。
たかよさん wrote:
> アイデンティティだけの問題とは思えません。
> これは「精神的な問題」か「甘え」のどっちかにしか思えません。
> 障害だから仕方ないってのは「甘え」でしかないし
> でもひょっとしたら「とじこもり」なのかもしれない
> かかりつけの精神科医がありましたら相談した方が良いと思います。
> (私だったら「勉強もしない、働く事もしない怠け者なんか
> 家には不必要だ出ていけ」と叱り飛ばしますけれどね)
いてててててててて(>_<)。身に堪(こた)えるのう。
おれがエー・アイ・テクノロジーという会社にいたころ、派遣派遣で月間残業百時間以上、最低血圧は百を超して鼻血と血尿を垂らしながら仕事をしたあげく心臓を患って派遣業務ができなくなり、会社に戻って虐められていた頃を思い出す。
引合のあった仕事を回されてプロトタイプやらデモ用のソフトやら作ったものの、受注話は端からポシャッて正式受注にならない。つまりは金にならないのである。「自社開発のパッケージ・ソフト(つまり、自分のところで開発した商品)をやらせてください」とお願いしたのだけれど、開発にしろ商品化にしろ経験がなかったし、商品として売り出すために必要なパッケージング費用だの宣伝費だのに数百万円単位の金がかかる。そんなわけで、「寝言を言うんじゃない」とボロクソに言われた。
ところが同僚の藤本っちゃんが開発した英和辞書引きツールがパッケージ・ソフトとしてヒットし、「和英は出んのか?」というユーザの要望が出たときに私にお呼びがかかった。「漢字かな混じりの文章の中に出てくる、すべての単語(動詞のような用言も含める)について、ユーザが十分に“速いぜ”と思う程度の時間内に辞書引きをする」というのが可能か?という話になったのである。
これが一九九〇年の話。以来十年以上、現在に至るも、漢字かな混じりの文章から単語を一語一語切り出して瞬時に辞書引きするツールというのは、我々の開発した「rStone-JE」以外に存在しなかったりするのである。
「アルゴリズム開発者」という職業は、かつて存在しなかった。だけど、「大森総研のKIRLOY」といえば、「無敵のアルゴリズマー」(本当はこの表現はおかしい。「アルゴリズム」というのは、「フワリズムの男」という意味だからだ。「イブン・ムーサの再来」くらい言ってほしいところだが、通じんのだからしゃーない)として業界に君臨しとったのである。
社員(商法では「社員」というと株主のことだから、より正確には「従業員」。法律上は「使用人」)を活かして使うというのは企業の責任である。同じように子供の才能を活かすのは親の責任なんじゃないんだろうか。おれは相当にしぶとい方だし、自分の才能を活かしアピールする方法も心得ていた。にもかからわず、企業の中で自分を活かすことに死ぬほど苦労しているのである。「勉強もしない、働く事もしない怠け者なんか 不必要だ。出ていけ」っちゅーのは、少なくとも企業経営者や親の発言じゃねーよな、と思う。
子どもはいつだって千里の馬だ。だから親たるもの伯楽でなければならないのである。親が何でも面倒みてやんなきゃなんないとか言うつもりはないが、少なくとも「自分を活かす方法」を教えてやるくらいのことはせにゃならんのじゃないだろうか。
職もなく友達づきあいもなく家でゴロゴロしてるというのは、じつは死ぬほどつらい。「いい御身分だ」みたいな視線が、また死ぬほど痛い。
とはいえアルゴリズム開発をしているときは、それが逆に快感だったのである。日本語処理にしろ、ステレオグラムにしろ、見事仕事を上げたときの、「わははははははははは、ざまぁ見やがれこんちくしょう。これは絶対売れるぜ!」みたいな快感をめざして、悶々としていた時期のいかに充実していたことか。そして、その成果のなんと甘いことか!
同じように出口が見えなくて悶々としているにせよ、「必ず出口があることをおれは知っているぞ」と思って堪えているのと、「もうだめかもしれない」と思って堪えているのとでは天国と地獄のような差がある。
成功体験を積み重ね、「おれは、できる」と思える人間と、そうでなくて挫折を抱えこんでしまった人間では、人生はまったく違って見える。
人間の「強さ」というのは、たぶん似たり寄ったりなのだとおれは思っている。「育たん!」と怒る前に、ちゃんと育つ場所に植えたかどうか、相手に合った肥料や水や日航を与えたかどうかを検討する必要があると思うのだが、いかがか。
(KILROY)
Maria さん wrote:
> そんなわけで、あたしがお薦めする本。
> レイチェル・カーソン、『センス・オブ・ワンダー』。(生物学)
> リチャード・ファインマン、『「ご冗談でしょう、ファインマンさん」』『『困ります、ファインマンさん』』(物理学)
> コンラート・ローレンツ、『ソロモンの指輪』(生物学)
> 斎藤尚生(さいとう・たかお)、『有翼日輪の謎 太陽磁気圏と古代日蝕』(天文学)
なんだかとっても嬉しいのです!著者もとても素晴らしいですよね。
> がんばんべー。
がんばんべー。
あさかぜさん wrote:
> 思うところあって先日フォークリフト運転者講習に行ったのですが、力学の講義もありました。車の免許講習に力学があったことなんてすかり忘れていましたが、力のモーメントだの重量および重心、物体の運動などと面白い項目がたくさんありました。高校時代の物理は赤点でしたが、日常生活に生かせる物理はけっこう興味をそそられます。
ずっと昔、ソーラーカーの研究をしている研究者のかたの講演を聞きにいったら、「日本でいちばん台数の多い電気自動車は、電動フォークリフトなんです」という話が出ました。
じつは、電動フォークリフトというのは、とても“うつくしい”乗物だったりします。
電気自動車の場合、最大の問題は、電池の重さです。ところが、フォークリフトの場合、後部にカウンター・バランス・ウェイトという「重し」があるので、その部分を電池で置換えてしまうことで、とても合理的な重量配分が行えるのですね。
通常のガソリンエンジンは、停止しているときはトルクがゼロです。回転数を上げなければ、パワーもゼロです。しかも、間歇的な爆発が動力ですから、滑らかな回転というのが本質的に難しい部分があります。ところが、電気のモーターの場合、静止状態からトルクを出すことができ、しかも滑らかな動きが可能です。発進・停止を繰返すフォークリフトには最適です。
騒音、出ません。排気ガス、出ません。食品倉庫でも使えます。
うつくしいなあ。
魚屋さんが魚を捌いたり、大工さんが鉋をかけたり、陶芸家が轆轤を回したり、旋盤加工やヘラ絞り加工やガス熔接してるところを見て、「カッコいいなぁ」と思う子どもは多いはずです。「はたらくじどうしゃ」が好きな子どももいっぱいいます。子どもは、頭で見る以前に、そこにある“何か”を見ているような気がするのですよ。
で、そういう“何か”を形にしてあげることが、重要なんじゃないかなぁ、という気がします。綿菓子ってどうやって作るのかとか(遠心力です。ビーフンや化学繊維も似たような作り方をします)、カルメラ焼ってどうやって作るのかとか(溶解と凝固と熱による重炭酸ナトリウムの分解です)、ボンボンってどうやって作るのかとか(溶解度曲線です)、カスタード・プディングってどうやって作るのかとか(蛋白質の熱凝固です)、そういうものを、ただ「そういうものだ」で済ませてしまうのではなくて、その先に「科学」があるということを、教えてあげればいいと思うんですよ。
そんなわけで、あたしがお薦めする本。
レイチェル・カーソン、『センス・オブ・ワンダー』。(生物学)
リチャード・ファインマン、『「ご冗談でしょう、ファインマンさん」』『『困ります、ファインマンさん』』(物理学)
コンラート・ローレンツ、『ソロモンの指輪』(生物学)
石田五郎、『天文台日記』(天文学)
斎藤尚生(さいとう・たかお)、『有翼日輪の謎 太陽磁気圏と古代日蝕』(天文学)
松田権六、『うるしの話』(有機化学/伝統工芸)
村松貞次郎、『大工道具の歴史』(技術史)
佐貫亦男、『設計からの発想 比較設計学のすすめ』(工業デザイン)
あとは、「出会った」ときに、それを捕まえるための基礎学力みたいなものを身につけておかないといけない、というのがあるんですが……そこんとこ、大人がサボッてるんだよね。「いったい学校で何習ってきたんだろ」みたいな大人がごろごろいます。「材質と形が同じで重さが倍だと表面積は何倍になるの?」みたいな質問に答えられない大人がどれだけいるか。ここんとこ、反省してもらいたいと思うな。こんなんじゃローストビーフだってまともに焼けないぞ(ローストビーフの焼き上がり時間は、だいたい重量/表面積に比例します)。
「おかーさーん、“酵素”ってなーに?」「酵母から発見された、特定の化学反応の仲立ちをする蛋白質のことよ」「“酵母”って?」「パンやお酒やお味噌やお醤油を作るのに使うカビの一種」「“蛋白質”って?」「『蛋』っていうのは玉子のことで、『蛋白』っていうのは玉子の白身。で、蛋白質っていうのは、玉子の白身ができているもので、熱を加えると固まって、焦げると臭いの」「ふーん、どうして熱を加えると固まって、焦げると臭いの?」「ペプチド結合とかいろいろ教わったけど、おかあさんもよくわかんない」「そーか、おかあさんもよくわかんないのか」「わかったら教えてね?」「うん」。こういうヘンなおかあさんというのは、けっこう、かっこいいと思うぞ。この程度ならせいぜい中学校レベルの生物の知識(教科書を見ればちゃんと出ているはず)ですから、義務教育の内容がちゃんと頭に入っていれば、相手が小学校低学年くらいまでの子どもだったら、なんとかなるはずです。
ちゃんとした大人としてふるまうというのは、けっこう大変です。お互い大人です。がんばんべー。
(Maria)
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