アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
Milkywayさん wrote:
>最近読んだ本の中にも、似たような意味の記述があったなぁ。
>(中略)
> (『平行線』p.122より)
ああ、わたしも読みました。
読書中はまさに“火花散る”といった感じで、フラッシュバックの連続となり、ガス抜きが苦手でちゃんとしてこなかったわたしは、溜め込んでいたガスに引火してしまったみたいで……連続噴火中といったところです(苦笑)
森口さんよりは8年も年上なのになぁ。昔の良さに助けられた面もあり、昔の無知に傷つけられた面も否定できず、感情爆発が起こってしまいましたのさ。
今は『可能性ある子どもたちの医学と心理学』を読んでいます。(うう、金がないのに(T_T)) これは学校に働きかけて、ぜひ予算で購入してもらいたいと思っています。通常学級の先生が読むとはとても思えないけど、せめて特殊学級や保健室の先生と校長と教頭くらいは……できれば多くの先生方に読んでもらえる方法を考えたいですけどね。
選択性緘黙のある夫にも読んでほしいけど……それは別の問題になるので、いまはやめておきます。
武田好史 wrote:
>ケネス君というイギリスの北アイルランド地方に地方に住んでいる12歳のASの少年が、10歳のときに書いた手記が、最近『東京書籍』から、『ぼくのアスペルガー症候群 もっと知ってよ ぼくらのことを』というタイトルで出版されました。
書名 ぼくのアスペルガー症候群
− もっと知ってよぼくらのことを
著者 ケネス・ホール(十歳[当時])
訳者 野坂悦子
出版社 東京書籍
A5判並製 128頁 写真10点 イラスト40点
定価: 本体1300円(税別)
発行日 2001年12月15日
内容 北アイルランドに住むアスペルガー症候群の十歳の男
の子による初の著書。自分が経験したこと、診断を受
けてからどのように支えられてきたか、自分について、
あるいは世の中についての見方や考え方などを率直に
語っており、家族や本人にとって貴重なアドバイスが
たくさんある。
目次
第一章 ぼくのこと
はじめに/ぼくとアスペルガー症候群/
ぼくの生活について/ぼくの大好きなもの
第二章 ぼくがちがっているところ
ぼくにはむずかしいこと/ぼくがどう感じているか/
ひとりでいるのが好き/学校には行かない/
ちがっていることを、ぼくがどう感じているか
第三章 ぼくの長所
正直さ/ぼくの課題と役にたったこと
第四章 ぼくが信じていること
贈り物/自然/動物/教会と戦い/メディア/ニュース/
引力と次元/ASの人たちを理解すること/
ASの子どもたちを助けること/タイタニック号/
ルール/ASと自閉症/ぼくの将来
本書を読んで 鈴木正子/高橋和子/ニキ・リンコ
アスペルガー症候群関連ウェブサイト
今回は“無意識の逃げ”という方向へ行ってしまいそうな感じがしています。
Mariaさん wrote:
> あたしは字をきれいに書こうとすると、文章をまちがえる。
> 文章をまちがえずに書こうと思うと、字が汚くなる。
> ちゃんと下書きをし、両方に気を配っていると、ときどきなぜか違う字(それも、大抵ひらがなだったりする)を書いている……(T_T)。
な〜んだ、わたしとソックリ同じじゃん。
で、これって「協調運動の困難」になるわけっすか?
例えばの話。娘は字を書くことが苦手で、ものすごく緊張します。わたしも一緒になって緊張してしまうくらい、すさまじい。ひと文字ひと文字を書くのに、それこそ“命がけ”なのではなかろうかと思うくらい全身が緊張しています。見守るこっちも息をつめていて……耐えられなくなって“笑いの発作”が起きたりします。それはそれで娘をビックリさせてしまうので、申し訳ないなぁと思うのだけれど、どうにも止まらない(ToT)
そんなこんなで、「課題の提出」というのは親子して恐怖の対象となり……何かをを書かなくてはならないとなると、“どうやって逃げるか”“適当にごまかすにはどうするか”をまず頭に思いうかべてしまうという、まことにもって“正しくない”対応をとっているのでありました……。
これじゃいけないんだよなぁ。なにかトレーニングの方法があるはずなのに……。
学校の担任に「ええ、ええ、今は計算するにも電卓がありますし、字を書けなくてもワープロがありますからね」と突っぱねるように言われたことが、心のどこかにこびりついていて……わたしはただ、娘に学習させるにはどうしたらいいのかを相談にいったはずなのに、なんでこうなるのだ?と複雑で混乱したままの状態を、あの時からずっと引きずっているような気がします。
「大人は逃げちゃいけない」って言ったのはたしかMariaさんでしたよね?
やらなきゃいけないことは頭ではわかっているのに、現実の行動とは結びついていかない……。
「協調運動の困難」ということばを何度も目にしているのに、現実に目の前で起こっていることがらと結びつけて考えることもできていない……。
だれか、わしに、トレーニングしてくれぇ!! “おかあさん”だけやっていていいよって、言ってくれぇ!! 一度にたくさんのことを考えて実行するなんて、わたしには無理っすよぉ……。
(大変失礼致しました>みなさん)
武田好史さん wrote:
> 知能=頭の働き。頭のよさ。
> 知恵=物事の筋道がわかり、うまく処理して行ける能力。
> 知識=ある事柄について、いろいろ知ること。またその内容。
知能:ハードウェア性能(プロセッサの能力とメモリの容量)
知恵:プログラム
知識:データ
と考える人が、どうやら多いようです。
知能→知能テスト
知恵→試験
知識→クイズ
によって測れる、と考えているようですから。
知能:(ヒューリスッティックなものを含む)問題解決能力
知恵:環境適応能力
知識:(データ+アルゴリズムとしての)問題解決法
という考え方もあります。問題解決能力が高くても、環境に対する適応度の低い人もいるし(「器用貧乏」「狡兎死して走狗煮らる」「出る杭は打たれる」「夏炉冬扇」)、その逆もいます(「憎まれっ子世にはばかる」とか「非情の人、老いを養う」とかいうのは、違うか)。「知識ばかりで行動が伴わない」というのは、問題解決の方法を知っていても、実行力がないと意味がない、ということでもあります。
個人的には、
知能:(ヒューリスッティックなものを含む)問題解決法+理解+創造性
知恵:環境適応能力
知識:(データ+アルゴリズムとしての)問題解決法
と考えていて、さらに、
知恵:(種としての)環境適応能力
悪知恵:同種の他の個体を搾取することで個体として環境に適応する能力
と考えています。
にゃー。(←特に意味はない)
(Maria)
上野のオフ会に参加した人には既にご紹介しましたが、ケネス君というイギリスの北アイルランド地方に地方に住んでいる12歳のASの少年が、10歳のときに書いた手記が、最近『東京書籍』から、『ぼくのアスペルガー症候群 もっと知ってよ ぼくらのことを』というタイトルで出版されました。
ケネス君は掃除機の音や字を書くことが苦手だったりするそうですが、数学の才能はぴか一でなんとMensa(高知能指数協会)の会員だそうです。ASだと診断されたのは8歳のときで、苦手なスキルの習得にはABA(応用行動分析)が功をそうしたそうです。
好物はレッド・レスターチーズで、愛用のチーズおろしでおろして食べるのが格別のようです。趣味は読書で、学校の図書館にある本を全て読破し、先生が掲示板に貼り出す生徒の読書リストには、『名前=ケネス、読んだ本=全ての本』と書いてあるとか…愛読書はハリー・ポッタシリーズだそうです。
驚いたことにこの本を書くこと北アイルランドの教育庁の人から勧められた時、彼は「ぼくの使命です!」といって、快く引き受けたそうです。周囲の人がテープレコーダに録音された彼の言葉をタイプしたり、どのような感じで書きたいことをまとめるのかを指南したりして、彼をバックアップし、本を作り上げていったそうです。
この本には、自分のハンディのこと・自然環境のこと・音楽のこと・家族のこと…など彼が感じていることが、克明にまとめられていて、それだけでも『AS人は何も感じてない!』という某人類学者の見解は大間違いで、環境を変えればその根拠となったようなかんしゃくやパニックなどの問題行動が確実に減り、ASの子に才能が花開いてくるということを世間に訴えるのに十分な迫力が感じられます。
ぜひ読んでみてください(^o^)
Mariaさん wrote:
> ある人に「協調運動の困難というのは、文字を書くのにも関係がありますか?」と質問された。
>
> あたしは字をきれいに書こうとすると、文章をまちがえる。
> 文章をまちがえずに書こうと思うと、字が汚くなる。
> ちゃんと下書きをし、両方に気を配っていると、ときどきなぜか違う字(それも、大抵ひらがなだったりする)を書いている……(T_T)。
最近読んだ本の中にも、似たような意味の記述があったなぁ。
#「書く」というのはとても緻密な作業で、文案を練るのと、字を図形的に描く行為とを、同時にこなさなくてはいけない。というのも「二つ以上の事を平行して同時に考える」事が私はとても苦手だったからだ。「線」が一本でも多くても少なくても誤字になってしまうから、画数の多い漢字を自分の手で一つ一つ正確に書き出す必要があったし、何か考えながら文字を書くと、今度は字がくしゃくしゃになってしまう。
(『平行線』p.122より)
知能としての頭の良さっていうのは、人それぞれによっていったい何を尺度としているのかの違いがあることを忘れたくないと思うのです。
ある人は医者として
ある人は弁護士として
ある人はエンジニアとして
ある人は母親として
ある人は受験生として
みんなそれぞれに知能あり、知恵ありです。オールマイティの人はいないですよね。私は私なりの知能と知恵で幸福になろうと思います。でも、それは神を追い求めるという姿勢ありきを第一にした上でのことですが。
武田好史 さんwrote:
あなたは、『知能』や『知恵』というものを、どのようなものと捉えていますか?
「知能」
*暗記力
*記憶力
*計算力
*推理力
*読解力
*統率力
*判断力
*識別力
*その他<人間の頭脳の中で働くさまざまな思考回路のエネルギーのこと。
「知恵」
*知能としての結果を実行し、活用すること。
知恵には二通りのものがあり、霊性の伴う敬虔な知恵と、エゴのために用いる悪知恵、この2つのどちらに傾くかで其の人の品性が判断できます。
聖書では、悪知恵を次のように戒めています。
☆ヤコブ3:15
「それは上から下る知恵ではなく、地的、動物的、悪霊的なものです。」
(政治家などはその典型です。)
頭はいいけど、知恵がないという人がいます。知能を活用できないとそういうことになるかもしれません。それはたぶんに性格が影響すると思います。消極的、鬱的、取り越し苦労、劣等感などがせっかくのよい知能を無駄なものにしてしまうかも。と、おもいます。
ある人に「協調運動の困難というのは、文字を書くのにも関係がありますか?」と質問された。
あたしは字をきれいに書こうとすると、文章をまちがえる。
文章をまちがえずに書こうと思うと、字が汚くなる。
ちゃんと下書きをし、両方に気を配っていると、ときどきなぜか違う字(それも、大抵ひらがなだったりする)を書いている……(T_T)。
(Maria)
てらば wrote:
>月曜日と水曜日だけの工場(薬品会社)のバイトをはじめました。
>数えでどこから数えているのかわからなくなる上に、ベルトコンベアの流れ作業で
>品物がたくさんたまってたまりまくり。みんなの手の動きも速くてなかなかついて行けませんでした。
>
>以前、障害者の職業訓練センターで適性検査を受け、手の動きがのろいと言われたことはありますが、
>単純作業は私には向いてないようですね。
>
>接客をしなくて言いから、その仕事が向いてると思っていたのに.....
私はある地学系の団体で、会報や種々の案内書を封筒に詰めるバイトをやらせてもらったことがありますが、普通の人の3ないし4割しか詰められませんでした。 障害者職業訓練総合センターで小麦粉を150g計量するタイムトライアルもやりましたが、速い人は30分間に90袋仕上げるのに、私は60個がやっとでした。
自分もやはりあまりスピードと正確性を求められる作業は、直ぐに疲労してくるほうです。とにかくスローペースでないと、正確性を維持できないのです。行動をバターンとして記憶すること・有効的な動作を自分で作っていくこと・目と手を協調させて細かい作業(箱の包装など)は、苦手ですね。
甚だしく不器用で困る人は、次のような高次脳機能障害がないかどうか、専門家に調べてもらったほうが良いと思います。
観念運動失行:人の動きを見て模倣することや「…しなさい」という命令から自分の求められている動作を作り出すのが困難。
協調性運動障害:スケッチをしたり・はさみである形の部分を紙から切り取ったり・縫い物をしたりという目と手を同時に使う動作をやるのが困難。
遂行機能障害:「○時までに仕上げるには□こ仕上げなければ」といった、計画的な行動をするのが困難。
月曜日と水曜日だけの工場(薬品会社)のバイトをはじめました。
数えでどこから数えているのかわからなくなる上に、ベルトコンベアの流れ作業で
品物がたくさんたまってたまりまくり。みんなの手の動きも速くてなかなかついて行けませんでした。
以前、障害者の職業訓練センターで適性検査を受け、手の動きがのろいと言われたことはありますが、
単純作業は私には向いてないようですね。
接客をしなくて言いから、その仕事が向いてると思っていたのに.....
武田好史 wrote:
>あなたは、『知能』や『知恵』というものを、どのようなものと捉えていますか?
『知(智)には、知能・知恵そして知識の3つがある』と、あるホームページにありました。
これらのそれぞれの意味を辞書(岩波国語辞典 第五版)で調べてみると、
知能=頭の働き。頭のよさ。
知恵=物事の筋道がわかり、うまく処理して行ける能力。
知識=ある事柄について、いろいろ知ること。またその内容。
とありました。
さて私はというと、知能というものは次のような階層しているように思えます。
1・単に与えられた刺激にに対して、主観的・本能的にに反応する能力。
『ご飯=食べたい!』
2・いろいろな条件を分析した上で、自分なりの結論で反応する能力。
『ご飯=おいしい定食を食べたい!』
3・人との交流を通して客観性を持って自分の行動を調節して、周りの人と折り合って反応していく能力。
『ご飯=今夜はオフ会仲間で、うどん屋で安い定食を食べながら、お話したい!』
という具合に……
そして『知恵』というのは、3番目の段階のことを指し、『知識』というのは1の段階では全く必要なく、2とか3の段階へ進んでいくために後天的に自らの感覚から脳に学習された、情報の蓄積を指すのでしょう。
みるらさん wrote:
> サロンとなるとやはりパトロンなりパトロネスがいらしてお仕え申し上げないとならなさそうですからやはり“カフェ”のほうが自由でしょうか。
> しかし、昨今のカフェ(文化)ブームが19世紀のあのパリやウィーンのカフェを少なからず意識しているらしいことを考えますと
> 16世紀ロンドンのコーヒーハウスの雰囲気はいかがなものかしら、と憧れます。こちらはあまりよく存じ上げませんが。
時代はだいぶ下って十八世紀の終わりに、イギリスのバーミンガムで、満月にいちばん近い月曜日の夜(といっても午後二時から八時ごろまで)に、会員のだれかの家に集まって宗教・芸術・政治・科学などについて議論する『ルナ協会』という集まりがありました。会員数は十四人くらいで、一回の参加社は十人未満だったそうです。
創立時の会員は三人。スモール(William Small)、ボールトン(Matthew Boulton)、ダーウィン(Erasmus Darwin)。スモールはジェファーソン(Thomas Jefferson)の自然哲学(物理学)の師。ボールトンはワット(James Watt。おなじく会員)と蒸気機関の部品を製造する会社を共同経営していました。ダーウィンの孫は『種の起源』のダーウィン(Charles Darwin)です。
フランクリン(Benjamin Franklin)やその友人プリーストリー(Josheph Priestley)も会員。陶芸家ウェッジウッド(Josiah Wedhwood)もいたし、現在も使われるジギタリスの処方を確立したウィザリング(William Withering)も会員。
このルナ協会は三十年ほど続いたのだけれど、フランス革命の理念を支持したという理由で会員の多くが弾圧を受けため散りぢりになってしまい、十九世紀を待つことなく自然消滅してしまいました。
以上、『サイエンス(現・『日経サイエンス(サイエンティフィック・アメリカン日本語版)』)』、1982/8より。
あとは、日本の『尚歯会』なんかも、当時の科学・文化をリードしていた人たちの集まりとして有名です。
とはいえ、そういう才能と才能のぶつかり合いを楽しめる(当事者として、あるいは観戦者として)場所もいいのですが、のほほーん、とできる「だらけた」場所がほしい、というのもあったりします。
江戸時代の日本だと、湯屋の二階みたいな「ゴロゴロできる場所」というのがありました。いっそ、そのノリで「健康ランド」みたいなところに集まるのもいいかもしれません。揃いの団扇とか手拭いとか浴衣とか丹前とか作っといて「お仲間」だというのが分かるという。
ただ、このノリだと「活動拠点」にはなりようがないのですね。『ルナ協会』や『尚歯会』だとそれぞれが積極的に活動している人たちの集まりだから、それぞれが「拠点」だし。
けっきょくYMCA(YWCA)みたいな「オフィス+集会場+活動グループ」みたいな形になるのでしょうか。こういうのは地域で集まってる場合が多いので、あたしたちみたいに散らばっちゃってると活動が難しいんだよね。
難しいところです。
(Maria)
武田さま、みなさま。こんにちは。みるらです。
武田好史 wrote:
> 昔ヨーロッパには、『サロン』という知識人とか上流階級の人が集う集会所があったとか。
いいですね。いいですね。ふふふ(ノっている)。
サロンとなるとやはりパトロンなりパトロネスがいらしてお仕え申し上げないとならなさそうですからやはり“カフェ”のほうが自由でしょうか。
しかし、昨今のカフェ(文化)ブームが19世紀のあのパリやウィーンのカフェを少なからず意識しているらしいことを考えますと
16世紀ロンドンのコーヒーハウスの雰囲気はいかがなものかしら、と憧れます。こちらはあまりよく存じ上げませんが。
Mariaさま、武田さま。そういうところがありましたら、私ぜひ飛んでまいります。
期間限定カフェ、というのも今では珍しくないようですが、それですとオフ会とあまり変わらないようでもあり……。
80年代にはちびサロンの主宰なぞしてみたこともありました…… みるら
Maria さま。みるらでございます。ちょこっと。
Maria wrote:
> 縁側みたいな風情の板の間というのもいいかもしれません。囲炉裏とか暖炉とかがあると、けっこう風情もある気がします。もっともそうなると立地が郊外に限られてきますが、化学物質過敏症とかの方にも楽しんでいただけるかもしれません。
地べたでもよいです。近くて歩いてゆけるところだとなおいいなあ(3時間くらいなら歩きます)。
> 子供を安心して遊ばせておける場所があるといいですね、やはり。
いえ。ごめんなさい、ちょっと紛らわしかった。子供がそばにいる限り待機電力が流れ続けるので
コンセント抜いてしまいたいのです。いつも一緒にいたいのにそうするとまずくなる母。自己矛盾。
近くに託児施設のあるところにしていただけるとよいかもしれませぬ(現実的)。
>> ビー玉プール、おはじき池があると最高です!
>> ↑これを家の中に設置したくて仕方ない
私もどんなものかわかりません。妄想しただけですから。子供はダメです、本来の使い方をされそうですから。
イメージとしては指宿温泉の砂蒸し風呂のようにビー玉やおはじきで体をうめていただけたら……。
いいなあ。こういう考えをはじめると止まりません。
しばらく cafe autism で頭がいっぱいになりそうな みるら
みるらさん wrote:
> 拝見しておりまして私も「自閉喫茶」かしらんと想像逞しういたしておりました。
> しかしカフェ。歌声喫茶みたいなお名前はちょっと古うございましたね。
佐藤史生(さとう・しお)さんの『ワン・ゼロ』に出てきた“カルト・ディスコ”というのがけっこう気にいっているのですが、「ディスコティック」「ディスクジョッキー」という言葉がそろそろ死語になりつつある気がします。あたしにとってMr.DJといえば糸井五郎さんですから、その古さも分かろうというもの。
>> ・店員と会話をしなくても、注文ができる。
> 店員さんのお顔を見なくてもよければなお嬉しい。
いっそセルフサービスというのはいかがでしょうか。
>> ・畳の場所があり、ゴロンと横になれる。
> 畳ではないほうがよいです。アレルギーなので。
縁側みたいな風情の板の間というのもいいかもしれません。囲炉裏とか暖炉とかがあると、けっこう風情もある気がします。もっともそうなると立地が郊外に限られてきますが、化学物質過敏症とかの方にも楽しんでいただけるかもしれません。
>> ・猫とか犬とかがいて、触れる。
> 好きなのですがアレルギーなのでちょっと。
店の中の敷地に中庭かなんかがあって、そこにいるというのはどうでしょうか。キャッシュ・オン・デリバリーなら問題ないし。
> なんにもなくてじーっとしていられる場所があるといいなあ。
> Dr.から家の中に自分の場所をつくるといいと言われているのですが、
> 子供がいると家の中にも居場所を作るのが難しい。しかも東京の住宅事情。
子供を安心して遊ばせておける場所があるといいですね、やはり。
> ビー玉プール、おはじき池があると最高です!
> ↑これを家の中に設置したくて仕方ない
どんなものなのか分からないのですが、面白そうな気がします。子供が誤飲とかしなければいいのですが。
この文章を書いているうちに、『一杯のおいしいお茶』という題名で出ているジョージ・オーウェルのエッセイ集(小野寺健・編訳/朔北社)に入っている、『パブ「水月」』という作品を思い出しました。
『この「水月」でも、いちばん意表をつくのは庭である。紳士用のサルーン・バーから狭い通路を抜けてゆくと、鈴掛の木が何本か植わっているかなり広い庭があって、木陰に緑色の小さなテーブルが置いてあり、そのまわりに鉄の椅子がならんでいるのだ。庭の上手には子供用のブランコがいくつか、それに滑り台もひとつある。
夏の夜には家族づれでやってきて、滑り台でキャーキャーいっている子供たちの声を聞きながら、鈴掛の木陰に腰をおろしてビールや樽出しのリンゴ酒を傾けるのだ。門のそばには、もっと小さな子供をのせた乳母車もとまっている。
「水月」の魅力は他にもいくらでもあるが、この庭こそいちばんだろう。おかげで父ちゃん一人が出かけていき、のこった母ちゃんは家で子供のお守りといった真似はせずに、一家で出かけていけるのだから。
それに、ほんとうなら庭にしか入れない子供たちが、パブの中にまでしのびこんできて親の飲み物を運んでいくようなこともめずらしくない。これは法律違反なのだろうが、そんな法律なら破ってもいいのではないか。本来なら一家で楽しめるはずのこういう場所を大酒をくらう場所にしてしまったのは、子供たちをしめだし、その結果女たちまでしめだしてしまった、ピューリタン派の愚かしさなのだ。』
いかがなもんでしょうか。
(Maria)
鷲羽丸 wrote:
> 上記のタイトルのテレビ番組、3月1日放送分において、自閉症に関する間違った情報が流された、との話をネット上で目にしました。
>
> わしの住んでいる地域では、この番組が放送されていないので、詳しいことはわかりません。
> しかし、番組の掲示板↓を見てみると、かなり怒りの声が来ていました。
>
> http://www.fujitv.co.jp/jp/b_hp/beautyc/index2.html
>
僕も見られませんでした…
なんか自閉症スペクトラムというか知的障害・チック症・精神障害の人に対する独特の根深い偏見が、この国には渦巻いているような気がします。
ノーマリゼーションというのは名ばかりで、十分な意向の確認もせず強引に「普通」に「ちゃんと」と引っ張っていくような福祉政策にも、何か矛盾を感じますね。
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