アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
オドロ〜ン、オドロ〜ン。混乱型で〜す。それにしても
、こんな連絡役をボクに押しつけるなんてひどいやい。お
にいちゃんのいじわる〜!!グスン。
フフフ。でも、3月29日(金)の夜はこうもりおにい
ちゃんにとって恐怖の一夜になりそうだから、お知らせし
ておくじょ〜。(ちょっと恨みがこもっている)
(日時)3月29日(金)PM7:00〜
(場所)JRの阿佐ヶ谷駅近辺のとある公民館
(講師)こうもりおにいちゃんのママ
(講演の内容)
こうもりおにいちゃんが子供だった頃の、育児体験に関
するお話。こうもりおにいちゃんが子供時代が暴露される
かも???
軽度発達障害児のママやパパたち向けのお話になると思
うんだけど、参加資格は自由だから、おにいちゃんのこと
を冷やかしに来てちょーだいね。
あと、くわしいことを知りたい人は下記のサイトまでメ
ールを送ってね。じゃ〜ね〜。
(連絡先)seijinld@msg.biglobe.ne.jp
あさかぜさん wrote:
> 自分のことで恐縮ですが……きのう、うちと同じ小3の娘さんのお母さんに「娘はアスペルガーで云々」と話したところ、「ビル・ゲイツもアスペルガーですってね。経済や芸術や学問の分野でも、すごく活躍している人って多いみたいじゃない。将来大物になるわよ、左団扇よ安泰よ!」とまくしたてられて……正直言ってしらけてしまいました。
> そういう問題じゃないと思うんだけどな……。
一昨日と昨日、お昼ごはんの後に玉子を二つ茹でて食べた。
一昨日は冷蔵庫で冷やした玉子を沸騰したお湯に入れて五分茹で、氷水で冷やした。二個とも茹でているうちに殻にひびが入り、殻を剥くときに白身が崩れてしまった。失敗。
昨日は玉子の尖っていないほう(気室側)にアイスピックで穴をあけ、六分茹で、氷水で冷やして、スプーンでまんべんなく叩いてから殻を剥いた。片方は穴が白身で詰まって殻にひびが入ったけど、ともあれ二個ともちゃんと剥けた。ただし黄身はトロトロ。よしよし。あとはこの黄身を、食べごろに固めるだけ。適温は六十五度前後。
今度はこの状態の玉子を七十度くらいのタレ(味噌だれベースのアーモンド風味がよいそうです)の中に浸して、ゆっくり冷ましながら何時間か漬けておこうと思う。うまくいけば、昨今ラーメン屋の人気トッピングとして有名な、半熟煮玉子のできあがり。
お粥の炊き方や日本茶の淹れかたは、とりあえず極めたと思っている。最近はいりこだしで作る味噌汁にちょっと目覚めた。茹でた小松菜のお浸しやししとうの焼き浸しや炒めたクレソンのお浸しも、なかなかの腕前だと思っている。
もちろんアスペだからといってひとくくりにはできないだろうけど、お菓子作りなんていうのはアスペ向きだと思う。化学の実験と同じように、量・時間・温度をしっかりと管理するのがお菓子作りの基本だから。この点、アスペの人間は分析屋なんかには向いていそうに思う。
化学合成や生化学分析の世界には、けっこう自閉症っぽい人はいそうな気がする。培養の神様・野口英世。人工癌の発生に世界で最初に成功した山際勝三郎の実験助手、市川厚一。サルバルサンの発見者エールリッヒ。くる日もくる日も同じようなことを続けるのが、たぶん彼らにとっては苦痛ではなく、むしろ快感だったのかも知れないと思う。その繰返しにどっぷり浸っていたからこそ、安定した結果が出し続けられたのだし、そこからの微かな変異を見逃すこともなかったのだろうと思う。同じことをやれば同じ結果が出る、ということに満足感を得られるようでないと、研究は、続かない。しょっちゅう変な結果が出るようだったら、肝心の成果も「またか」と見落としてしまう。
筑波の電子総合研究所では、ヤリイカの巨大神経細胞の研究をするために、ヤリイカの長期飼育のノウハウを確立した人がいました。記憶のメカニズムの研究のために、コウラナメクジの大量飼育をした人もいます。バイオテクノロジー技術で有名は林原研究所には、ハムスター飼育のエキスパートがいます。生体情報処理の世界ではゴキブリ、免疫系の研究にはカブトガニ。生態学の研究にはマメゾウムシ。ごみ処理にはシマミミズ。
「世界一のだんごむし研究家」として名を馳せて、文化勲章とか貰うのも、まあ、別に悪くはないんですが、アンリ・ファーブル先生は、レジオン・ド・ヌール勲章を貰っても、やっぱり野山に遊び、虫を眺めていたのでした。
「世界一のゆでたまご職人」「おかゆ仙人」「日本茶の伝道師」「みそ汁カリスマ主婦」「だんごむしの神様」「泥だんごの達人」
とりあえず、なんでもいいんじゃないでしょうか。本人が気にいっていれば。なにか世の中の役に立ちたい、というときに、それが力になることも、ないではないし。そのために有名になるのなら、それもいいし。お金になれば、もっといい。
始めからあれもこれも、というのは、欲張りすぎだとあたしも思います。
ただ、文章力(人に伝える力)はつけておいたほうがいいと思うぞ。文章化・図式化・定量化・定式化を経て、実用化・工業化・製品化といった「実現する力」に結びつくから。
一人の人間の中に留まっているのなら、学問(ある意味、学校教育)というのは、必要ないように思います。生活のための技術の訓練だけで十分。だけど、学校教育というのは、世の中とつながってゆくための力(学問する力)を養うところだったりします。
そんなわけで、大人も参加できる「学問する場所」があるといいなぁ、と思います。
まあ、『大森総合研究所』っていうのも、あるんだけど。
(Maria)
それにしても今年の3月は異常気象だ!
最高気温が早々と20度を超えてしまったし、降水量も平年よりもぜんぜん少ない。
小学5年生のころなんか、卒業式の予行の日なんか雪が降ったし、去年もけっこう雪が降ったよな…
今埼玉の僕の部屋の窓のフェンスにつるした温度・湿度計は、それぞれ+15度・26%をさしてる。
何か外の風は埃っぽくってどんみりとしている。柳の木は萌黄色に芽吹いている。3月でこの状態だから、4月・5月はどんな天気になるのかな…
(森田童子の『僕たちの失敗』より一部抜粋)
春のこもれびの中で 君の優しさに 埋もれていた僕は
弱虫だったんだよね
(中略)
ダメになった僕を見て 君もびっくりしただろう あの
子はまだ元気かい 昔の話だね
この歌が主題歌になっていたドラマは好きじゃなかった
けど、この歌自体は今でも好きです。なんとなく春が近づ
いてくると思い出す歌です。
てらば wrote:
>職場に電話をかける時に緊張してきちんと用件が話せない場合ってありますか?
>
>今さっき、シフトに入っていない事を確認するためにバイト先に電話をかけましたが、
>緊張のあまりに言葉が出ず、「今日は来れないんですけど.....」と言ってしまいました。
>「じゃあ、明日は来れるってことね」と言われ、来れることを言って、そのまま切られてしまいました。
よくありすぎて、私の場合それが未だに無職である一因です。
職場に電話をかける時に緊張してきちんと用件が話せない場合ってありますか?
今さっき、シフトに入っていない事を確認するためにバイト先に電話をかけましたが、
緊張のあまりに言葉が出ず、「今日は来れないんですけど.....」と言ってしまいました。
「じゃあ、明日は来れるってことね」と言われ、来れることを言って、そのまま切られてしまいました。
某院生さん wrote:
>「お前、このおばちゃんらに、大臣になるんやって言ってやれよ!」
> (中略)
>このおじさんのようなユーモアのセンスをもっと社会全体が認めていくことが
>重要なのではないかと、私はこの時思いました。
えーと、あのう……このおじさんはユーモアのセンスがあるということですか? そんなふうには思えないんですけど……わたしだけかなぁ。
>「このアホが将来、大物になるかも知れんやないか。」
>くらいのおおらかな気持ちを持つことが、人を教育することには不可欠な要素だと
>思っています。
自分のことで恐縮ですが……きのう、うちと同じ小3の娘さんのお母さんに「娘はアスペルガーで云々」と話したところ、「ビル・ゲイツもアスペルガーですってね。経済や芸術や学問の分野でも、すごく活躍している人って多いみたいじゃない。将来大物になるわよ、左団扇よ安泰よ!」とまくしたてられて……正直言ってしらけてしまいました。
そういう問題じゃないと思うんだけどな……。
人間としてまっとうなら、どんな生き方したっていいじゃん。本人が“これでいい”と思う生き方をすることができれば、それで幸せなんだとわたしは思います。
某院生 wrote:
> アスペルガー症候群という病名がほとんど一般的に知られていなかった頃
> アスペルガーの人々はどうしていたのでしょうか。
> 日陰者としていきるか、ホームレスとしていきるかだったのでしょうか。
いや一概にそうとは言えませんよ。平安時代の女官には、案外語学的な才能を認められたアスペの女性がいるかもしれませんしね。アインシュタインやエジソンも実はLD児だったし、宮沢賢治もASの気が漂う人です。大学の教授なんてよく見ているとASぽいやつだらけです。
>
> 私は、アスペルガーだと「認定されなければ」そのような人々が日常生活でも、学校でも勤務先でもまるで生きるのが罪な人間のように思われてしまうような風潮が
>まず問題だと考えます。
> 私自身、様々な診断基準に照らし合わせると、かなり自分はアスペルガーに
>近い人間だと思います。その結果、バイト先でも学校でも周囲からひたすら
>怒鳴られたり、除け者にされたり、問題視されたりしてきました。
> そんな中で思ったのは、アスペルガーの人達をどうする、こうするといった
>問題ではなく、人と歩調の合わせられない人間を普通の人間とは劣った、罰すべき人として扱おうとする社会の傾向を問題にせねばならないのではないか、と
>いうことです。
それは今日の日本の社会がボトムアップ型の社会の社会だからです。国民みなこの社会の中で、『こころ』をすり減らしいらだっているのです。まるでミヒャエル・エンデの『モモ』にでてくる、時間泥棒に時間を奪われてしまった街の住人のように…
>>しかし今では「このアホが将来、大物になるかも知れんやないか。」
>くらいのおおらかな気持ちを持つことが、人を教育することには不可欠な要素だと
>思っています。
それも大切ですが、「少しでも多くの分野の入り口へ子供たちを導いてやる!」ということも、今は大切なのではないでしょうか?
Lingko wrote:
。
>
>そんな名前があるのですか……。
>
>私は子どものころ、勝手に雪柳に名前をつけていました。一重の雪柳でしたけど。「改札花」。なぜだかお分かりになりますでしょうか?
>
>高校のとき、大川の縁で暴れてる南天満の雪柳を見て、今度は「毛糸花」とつけました。
>
あれは学生のころですが、新聞にこの時期咲く『オオイヌノフグリ』という青い小さな花の咲く草の名前に対して、あるコラムニストが「こんなきれいな花なのに、オオイヌノフグリ=犬の尻という名前はいかがなものだろうか、誰かもっといい名を考えてもらいたいものだ!」と記しておりました。
私はこの『オオイヌノフグリ』のことを、『青星草』と呼んでいます。ちょうど大犬座のシリウスが夕刻にうるんで光るころになると咲き出す花で、色もよく似てるので、シリウスの和名の『青星』をとってそう呼んでいます。
アスペルガー症候群という病名がほとんど一般的に知られていなかった頃
アスペルガーの人々はどうしていたのでしょうか。
日陰者としていきるか、ホームレスとしていきるかだったのでしょうか。
私は、アスペルガーだと「認定されなければ」そのような人々が日常生活でも、学校でも勤務先でもまるで生きるのが罪な人間のように思われてしまうような風潮が
まず問題だと考えます。
私自身、様々な診断基準に照らし合わせると、かなり自分はアスペルガーに
近い人間だと思います。その結果、バイト先でも学校でも周囲からひたすら
怒鳴られたり、除け者にされたり、問題視されたりしてきました。
そんな中で思ったのは、アスペルガーの人達をどうする、こうするといった
問題ではなく、人と歩調の合わせられない人間を普通の人間とは劣った、罰すべき人として扱おうとする社会の傾向を問題にせねばならないのではないか、と
いうことです。
工場でバイトをしていた頃、仕事が覚えられなくて周囲のパートのおばちゃん
から散々罵られていた時、工場の社員のおじさんが冗談めかして僕にいいました。
「お前、このおばちゃんらに、大臣になるんやって言ってやれよ!」
生産労働に役立たないという理由で工員を罰するのではなく、生産労働に役に立たない人間も受け入れようとするゆとりが社会に必要なのではないか。そのためには
このおじさんのようなユーモアのセンスをもっと社会全体が認めていくことが
重要なのではないかと、私はこの時思いました。
私は、出来の悪い子達を家庭教師で教えていたことがありますが、日頃人並みに
物事がこなせなくて罵られていた分、その子達に対して大分酷いことを言っていた
ように思います。
しかし今では「このアホが将来、大物になるかも知れんやないか。」
くらいのおおらかな気持ちを持つことが、人を教育することには不可欠な要素だと
思っています。
Mariaさん wrote:
> 「蜆花(しじみばな)って、云うんですよ。」
> そう教えてくれた友人がいます。
> 八重咲きの雪柳のことだそうです。
そんな名前があるのですか……。
私は子どものころ、勝手に雪柳に名前をつけていました。一重の雪柳でしたけど。「改札花」。なぜだかお分かりになりますでしょうか?
高校のとき、大川の縁で暴れてる南天満の雪柳を見て、今度は「毛糸花」とつけました。
遠景で見ると切った毛糸の束、近景で見ると改札。
ところで、雪柳を強く剪定して低く低く四角く仕立てたのも悪くないです。これが雪柳かっていうくらい、別物に見えますが。花が少なくなった分、葉っぱの黄緑の比率が高くなって、これはこれできれいです。私、四角や丸の刈り込みとか、染め分け模様になった花壇とか、まん丸や真四角のコンクリ固めの池に噴水とか、いかにも公園公園した不自然な形も嫌いじゃないんですよ。埋立地みたいな場所も好きだし。
飛行機の音や洗濯機の音、踏切の音なども好きな私ですが、お金が稼げる稼げないとは特に関係ない気はします。人工物の音か天然の音かという規準で分かれるわけでもなさそうですよ。私も冷蔵庫の音、だめですし。インバーターじゃない蛍光灯の音もだめだし。電気毛布やホットカーペットも、音がうるさくて使えませんし。ファン式の空気清浄機も使えないし。もっとつらいのは、眼鏡の鼻当ての部分のかしゃかしゃいう音でした。
Lingkoさん wrote:
> 桜のころは、ちょうど、雪柳が咲きますよね。桜より先に咲いて、桜より後に散る。
>
> 靭公園こそ世界一立派な良い公園であると勝手に信じて疑わない偏狭な大阪市西区至上主義者の私ですが(ちなみに世界で2番目に立派な公園は松島公園)、雪柳っていうとやっぱり南天満公園か、中之島公園。
>
> だって、靭公園には川がないんですもの。雪柳って、川辺に植わって、水面にむかって暴れてる形のままで固まってなきゃ。そして、花びらは水面に落ちてくれなきゃ。
「蜆花(しじみばな)って、云うんですよ。」
そう教えてくれた友人がいます。
八重咲きの雪柳のことだそうです。
「日本には、二十二種類の菫が自生してるんです」と、教えてくれたのもその人でした。小石川の植物園に一緒に行ったときのことです。「ゆりのき」という名前をつけたのが大正天皇だというのを知ったのも、たしか小石川の植物園だったな。鈴懸の木や、あけぼのすぎ(メタセコイア)もあったっけ。
「泰山夫君」と書いて、「たいさんもく」と読む桜の品種があります。あたしは山桜と大島桜が好きです。ソメイヨシノはちょっと鬱陶しい気がします。染井霊園や六義園も行ったけどね。そーか、その時もその友人とだったな。
欅の若葉の緑が大好きです。桜の若葉も、柿の若葉も大好きです。
紅葉狩があるんだから、若葉狩もないのかな。そう思います。
見渡せば 柳・桜をこきまぜて 都ぞ春の 錦なりける − 古今集
(Maria)
桜は苦手……。
木の花は、白木蓮が好き。ちょうど今ごろ咲いている。昨日、神戸の元町に行ったら、大丸の前にいっぱい咲いていて、思わずためいき。大好きな花なのに、白木蓮っていうと、「確定申告の花」っていう連想ができちゃってるのが無粋ですが(笑)。白木蓮が咲くと焦り出す(笑)!
桜のころは、ちょうど、雪柳が咲きますよね。桜より先に咲いて、桜より後に散る。
靭公園こそ世界一立派な良い公園であると勝手に信じて疑わない偏狭な大阪市西区至上主義者の私ですが(ちなみに世界で2番目に立派な公園は松島公園)、雪柳っていうとやっぱり南天満公園か、中之島公園。
だって、靭公園には川がないんですもの。雪柳って、川辺に植わって、水面にむかって暴れてる形のままで固まってなきゃ。そして、花びらは水面に落ちてくれなきゃ。
Maria wrote:
> 受験シーズンも終わり、桜の季節も近づいてきたのでそろそろ出せるネタ。
>
> 『返歌
> 久方の 光のどけき春の日に しづ心なく テスト散るらむ』
>
無職なり よき未来なく 見る夢は
同胞ともに 桜かこまん
受験シーズンも終わり、桜の季節も近づいてきたのでそろそろ出せるネタ。
あたしが卒業した高校の図書館の日誌は偶数ページが白紙になっていたので、そこに図書委員がその日にあったことを含め、いろいろと落書きめいたものを書込むのが伝統みたいになっていた。
で、ある日のページに、こんな一文が書いてあった。
『世の中に 絶えて試験のなかりせば 春の心はのどけからまし』
そうしたら、数日後のページにこうあった。
『返歌
久方の 光のどけき春の日に しづ心なく テスト散るらむ』
この話はまだ終わらない。さらに数日後、出たのがこれ。
『テスト終了の鐘の声
諸行無常の響きあり
朱や赤点のバツの色
秀才必衰の理(ことわり)をあらわす
できる者久しからず
ただ有明の夢の如し
秀才もついには滅びぬ
あたかも風の前の答案に等し』
……掲示板の主旨とはなんの関係もないヒマネタです。ごめんなさい。m(_ _)m
(Maria)
kano wrote:
>外は、とても遠いものに感じます。
>自分ではこれは性質ではないかと思い(感じ)、世間的な価値観ではなく、
>なにができて、なにができないか、を、体験的に調整しながら、生きています。
>しかしながら、健常的であり、自分の性質なのか、努力不足なのか、判断に
>悩み、迷います。
>人の目をみる事も苦痛でしょうがないのですが、(他人の目をみると、
>その他人が自分の中に入ってくるような感覚がして、気持ち悪くなってしまう)、それを理解できるひとには会った事がありません。
>閉じている事を責められると心底つらくなります。
>これが私のリアリティーなのに。
>自分は大丈夫、生きていける、と思いながらも不安になります。
>
こんにちは。AS+ADHDという診断をもらっている武田です。
自分も似たような悩みを持っています。場の空気が読めず周りから取り残されることはしょっちゅうですし、大量生産・利益優先の既存の企業では使い物にならないくらい不器用+物覚えが悪いです。今年は30歳を迎えますが、未だに無職です。職安に週一度出かけて、求人票ディスプレイとにらめっこしていますが、事務とか苦手な仕事が多く、なかなか「これやります!」ということを職安の人に切り出せずにいます。
とにかく体が疲れやすくて、フルタイムでもパートでも仕事が長続きするとは到底思えないので、療育手帳の取得の申請をし、精神障害のディケア施設への入所を検討しています。
気晴らしということで、地元の手話サークルに通わせてもらっていますが、ろう者の先生からよく、「やり取りをするときは、相手と目線をあわして!」と注意されます。子供のころのいじめの後遺症で、『目線を合わせる=敵対行為』という意識が強く、どうしてもそらしてしまいます。
武田好史 wrote:
>武田好史 wrote:
OOOO
川 ・ゝ・ミ
川 < ミ すいぶん増えたわね!
∨∨∨∨
J ・ ゝ・
\ ◇ / それだけこの障害に対する知名度もアップしたのかも…
いやでも、まだまだこの障害の人たちは孤独さ。
深刻な問題をいろいろと抱えていて、中には仕事をすることが困難な
人もいるのに、十分なケアをしてくれるような、頼りになる専門家もいないしね。
苦しみを克服した人
耐えられず消えた人
どちらが多い?
どちらが華やか?
豆電球の光が作る
巨大な影
蘇った者の陰に
人知れず消え去った者
苦しみは克服できる
そう言える人だけが
生き残っている
言葉を奪われた人は
姿を消したことさえ
気付かれない
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