アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re: 映画の中の自閉症 0134へのコメント
No.0138  Wed, 26 May 1999 14:18:08 +0900  館の管理人 [この発言にコメントする]

じゅんまる wrote:
> 最近、ビデオで「キューブ」と「マーキュリーライジング」をみました。
> 両方とも、自閉症が出ていたので、とても興味深かったです。

あと自閉症を描いたものは「学校3」ですね。原作の『トミーの夕陽』(鶴島緋沙子 著、 http://www.netlaputa.ne.jp/~tugeshin/ )は、自閉症のトミーの母親である著者がトミーの視点でつづった小説です。
このような映画によって、自閉症への一般の理解が広がってくれるのは良いことだと思う。
(というぼくも「レインマン」をみるまで自閉症がどんなものか知らなかった)
でも「自閉症」を描いた映画によってASのことがわかるかといえば、それは別。

いろんな映画の登場人物の中に、AS的なものというのは見られるように思う。
たとえばつぎのようなもの。

「エンジャル・アット・マイ・テーブル」(ニュージーランドの作家ジャネット・フレイムの自伝をもとにした映画。ジェーン・カンピオン監督。カンピオンの映画では「ピアノ・レッスン」ほど知られていないようだけど、すごくいい映画です)――若いころ「分裂病」と診断されて8年ものあいだ精神病院に閉じ込められていて、入院中に書いて出版社に送った作品が賞をとったことですんでのところでロボトミーの手術をまぬがれて、そのあと誤診だったと言われて愕然(分裂病でないならあたしは何だったの)。そしてあいかわらず人と交わることがとても不器用なのだけど、作家として成功をつかんでいきます。
この映画を観たのはASなんて知るより何年か前だったけど、とても生きていく勇気を与えてくれるものでした。

「イル・ポスティーノ」――いい年して仕事もなく恋にも無縁のぼくとつな青年が郵便配達の職をみつけ、亡命してきたチリの詩人パブロ・ネルーダのためだけの郵便配達人になって、女性からのファンレターばかりだと羨望しつつもネルーダから詩を習って、言葉の力を獲得していきます。
世界的に大ヒットした映画なので、みてるひとは多いでしょう。ぼくもとても好きな映画です。
自分の表現を手にするということ。ぼくにとってはこうしてネット上に登場できたということかな。

「恋愛小説家」――売れっ子の恋愛小説家の実態は、偏屈な嫌われ者の中年男で、実際の恋愛の経験はゼロ。それがウエイトレスに恋をして…
変なことにこだわりがあったり、だいじなひとの気分をそこなうことをつい言ってしまったり。ちょっと自分をみるようでした。
ハッピーな気持ちになれる映画です。

あまりみているほうではないけれど、感情移入してみれる映画はすきです。
そうか、それがしんどいということもあるのか。ひとそれぞれなんですね。


みんな、いいな〜!
No.0137  Wed, 26 May 1999 13:46:20 +0900  キマイラ [この発言にコメントする]

私は、見たものにすぐ同化してしまうので、映画やドラマを鑑賞できません。人の感情に振りまわされて、とってもしんどいのです。映画談義に花を咲かせられるなんて、いいですね。
でも、ゲームなら良い、と最近発見しました。このゲーム時代に、私より重症でいろんな事ができない息子は、ゲームができません。代わりにやって見せていたら、二つの大きな発見をしました。
ひとつは、息子の独特の視覚的な認知力でした。息子は、数にも文字にも遅れていたし、身体の操作性も悪く、目で捉えたものを手で書いて表わすという協応運動もできなかった。でも、見たものを正確に記憶する能力の持ち主だったのです。写真眼というほどのものではありませんが、ゲームのマップやキャラクターなど、一度見ただけで覚えてしまうのです。それに、前に出たものと違う部分が少しでもあると、すぐに見ぬいて教えてくれます。私はこの辺の能力がまるでダメなので、ゲームを進めるのに重宝しています。さらに驚いたことに、なかなか忘れないのです。息子の友達が、気まぐれにちょっと古いゲームをやりはじめても、何が何処にあって、次は誰が出てくるか教えています。そして、視覚的な能力とあまりにもアンバランスだった書く力でしたが、最近になって追いついてきたのでとても上手にモンスターの絵を書きます。(これは、書きたいのにうまく書けなくてパニックになっていた息子に、いつでも・何でも書けるように、紙と書くものを大量に与え、しかも、書いたものの批判は一切せず、うまく書けたものを誉めまくった成果です。)
そして、もうひとつの発見は、私はゲームが好きだったということです。昔から神話が好きで、出てくるモンスターが懐かしかったこと(キマイラもそのひとつです)、そして、かつて黙ってひとりで人形を動かしてはストーリーを展開して遊んでいた昔の自分に戻れたからです。お気に入は、やっぱり、人間の姿をしているのに、実は人間じゃないキャラクターばかりですが…。

それから、小学生の頃の私は、とっても明るく脳天気でした。ちょうど、今の息子のように。でも、中学生になって、周りとのギャッブに気づいて以来、二つの過ちを犯してしまいました。ひとつは、私は正しくて・世の中が間違っている、という
傲慢な考え、そして、もうひとつは、アスペの私と私の家への嫌悪と否定でした。それで、得たものもたくさんありました。仕事もできるようになりました。でも、失ったものの方が大きかったような気がします。
私の息子たちには、二度とこんな思いをさせたくありません。たとえ、障害があって、どこかに欠陥があっても、必ず何かのとりえがあるはずです。そういうひとりひとりの個性を活かして、自信を持って生きて欲しいと思っています。


Re: 映画の中の自閉症 0134へのコメント
No.0136  Wed, 26 May 1999 09:39:18 +0900  おサルのジョージ [この発言にコメントする]

じゅんまるさん こんにちわ



はじめまして、おサルのジョージです。
映画、すきなんです。フィクションをたべて、生きているような人間です。
私が見た映画の中では、ジョディー・フォスターが、監督、主演した
リトゥルマン テイトというお話しが印象的でした。
テイトも、学校では、友達が出来ない、風変わりな子どもで、
数学に天才的な能力があるという設定です。
ジョディ・フォスター自身が、天才子役として、孤独な子供時代を
送ったのがベースになっているということで、その、高度な能力
だけに、焦点を絞っていなくて、人間的な関わりなどにも
目が向いている、ちょっと、コミカルで、私は好きな作品です。

フィクションで、生きているといいましたが、息子のことで、アスペ
について、調べたりするうちに、私の今までのいろんな出会いにも
不思議にアスペがかかわっていて、真実は、小説よりも奇なりという
言葉を実感しています。」
私自身、友達が少ない(特に、義務教育期間中は)子どもだったのですが
そのころから、男女とも独りずつずーっと、付き合いが続いている友達がいるんです。
そして、べつに、アスペのことなどはなしたわけではないのですが、
女の友達の、息子は、小学校で、アメリカンスクールに行ったほうが
いいのでは、と皮肉をいわれるくらいユニークで、おまけに、友人は
皮肉を思いっきり真に受けて、アメリカンスクールを探しています。
男の友人の子どもは、(やっぱり男の子)歩く電卓といわれているそうで
幼稚園で、3桁書ける3けたとかの、暗算ができていたそうです。
でも、とっても、ぼーっとしているんだ、と、かれは、こどもについて
結構心配しています。うちのジョージは、言葉マニア(こんな言葉ないですが)
です。
なぜ、私がその二人の友人とながーくお付き合いができたか、
子供の世代になって、やっとなぞ解きができたようなきがするこのごろです。
とくに男の友人は、計算能力のみたかい息子を高く評価してないので、
ちょっと、何かアドバイスしたいなあと思うこの頃です。


>ダウン症のジョルジュが、人が大好きで、施設ではなく、社会の中で生きていきたいと強く願ったのと何と対照的でしょう。

この辺も、強く共感してしまいます。私は、一度、息子が遠足で、池に落ちて
着替えを持って迎えに行ったのですが(ちかくだったので)
息子の同級のダウン症の、お子さんのほうが、あきらかに社会性が
ある様子を見て、そのころ、まだ、ただの、やんちゃだと思っていた息子に
???を抱いたのを覚えています。


>私の経験では、アスペルガーの人は、興味のある事で、自分自身だけに関わる事で一つの事だけを望みさえすれば、必ずかなうような気がしてなりません。

私は、自分の弱点を、補強しようと無駄なことをいっぱいしてしまって、
興味に集中出来ていませんでした。これから、どうなるかわかりませんが
なんとか、的を絞って、いきたいです。それから、まわりが見えなくなって
みんなに、迷惑をかけないようには、したいです。集中しすぎるんです。
病気だもん、、、と、昔は、冗談でいっていたのです。いまおもうと、
なんだか、ふくざつです。

>私は、おサルのジョージさんのように自分の才能に適した仕事は、残念ながらまだ得られていませんが、楽天的にがんばっていこうと思っています。

今は、失業中なんです。でも、したいことは、あるので、頑張りたいです。
ホントニ、私の唯一の、長所は、楽天的なことかもしれません。
最近は、さすがに、いろいろ、怒涛のように、いろんな事をかんがえて、
ちょっと、つかれぎみだったのですが、映画でも見て気分転換しますね。


Re: はじめまして! 0128へのコメント
No.0135  Tue, 25 May 1999 19:34:47 +0900  じゅんまる [この発言にコメントする]

あごちゃん wrote:
>森ぽん wrote:
>> 心の理論の欠如というのがどういうことかよくわからないのですが、他人の気持ちをあとで考察することは私にだってできます。ただし、とっさに対応したり新しい状況が生じたときにまちがえるわけです。このギャップがいつもいつも落ち込む羽目になる原因です。あとで、失敗したと感じるから。
>> 私は言葉を選びながら人と話していて、いつも安心できないので、それでは心を交わしているとか親密とは言えないような気がします。

>はじめまして、あごちゃんというものです。
>森ぼんさんの書き込みを見ると、自分とそっくりの部分が多くてびっくりします。
>そして、そのような森ぼんさんが立派に社会人としてやっていけてるのをみると私自身希望が持てます。
>私も、とっさに人の言葉に的確に反応ができません。そして、人(特に職場関係)と話しているときはいつも安心できません。後、私も相手との親密さの距離をはかれないので、相手に対して呼び捨てや、あだ名で呼ぶことができません。
>冗談もとっさに理解出来ません。自分に冗談がふられたとき、いつも混乱します
>当然、冗談は話せません。
>よろしくおねがいします。

私も森ぽんさんやあごちゃんさんと同じで、たいへん不器用です。
掲示板を見ると、森ぽんさんは、私と違って、能力の高い方じゃないかといつも
思います。
私は、運動神経がとても鈍く、通信簿で1以上取った事がありません。
リズム感というものが、全然ないのか、頭と体がちぐはぐなので、発表会の時の
ダンスでは、重度の自閉症の子と二人でぼんぼんを振っていました。
手先も不器用で、鉛筆を持って字を書くのが困難で、読む事は出来ても、まともに字が書けるようになったのは、一年生の終わりぐらいでした。
その頃、私は肖像画を描く事に固執していて、学校から帰ってくると、毎日同じ顔の輪郭の線を寝る頃になるまで描いていました。
最初は、ぐにゃぐにゃだった線が、面白いぐらいに自由自在に描けるようになりました。字がまともに書けるようになったのは、そんな理由です。
でも、私は、それで絵が上手くなった訳では、ありません。人物画にしか興味がないから、他の絵を描かせたらてんで話にならないのです。
私は、実際のところ、人からすれば、知的障害者を伴っている人のようにしか見えないと思います。
高校の時、友達だった人に言われました。
「何で、あんたのような知恵遅れの人が、私と同じ高校に入ってくるの」とか
「あんたって、どう見ても知恵遅れにしか見えないのに、どうしてテストの時には、私よりいい点を取るのよ」など。
私は、彼女との友情を保つために(つまり、嫉妬というものが、面倒なので)
彼女の得意とする教科では、わざとテストの時、間違った答えを書いていました。
彼女としては、知恵遅れのような私に負けて、どんなにかプライドを傷つけられた事でしょう。
私は、高校を卒業した後、彼女とは絶交しました。
彼女が嫌いだったわけではありません。ただ、私の考えを束縛するから、我慢できなくなったのです。同様な理由で、私は友達と称する者と全て、自分から縁を切りました。
職場に、社会に身を置く人は、とても辛い毎日をおくってることかと思います。
あごちゃんさんのように、私も冗談をふられると困ってしまいます。
今日、人間関係で落ち込む事かありました。私はまるで「内向的なサッチー」
(最悪な人)のようにバッシングを受けています。でも、なるようにしかならないかなと考えるようには、しています。


映画の中の自閉症
No.0134  Tue, 25 May 1999 12:55:05 +0900  じゅんまる [この発言にコメントする]

おサルのジョージさんworte:
映画好きなおサルのジョージさんは、いろんな映画をみていらっしゃると思いますが、私も映画好きです。とは、言っても、子供がいるので、なかなか映画館には足を運べず、ホームシアターで我慢をしています。
最近、ビデオで「キューブ」と「マーキュリーライジング」をみました。
両方とも、自閉症が出ていたので、とても興味深かったです。
「キューブ」では、天文学的な素数を瞬時に計算してしまうサヴァン能力を持った自閉症が、謎を解く鍵を握っていました。
(自閉症児エリーも、11歳の時、一から千の数の素数を全部選び出せたそうです)
「マーキュリーライジング」でも、国家秘密の暗号を瞬時で解いてしまうサヴァン能力をもった9歳の自閉症の子が命をねらわれているというストーリーでした。
その子は、TEACCHプログラム用の絵カードを首にぶら下げていました。
古くでは「レインマン」のレイモンドが、サヴァン能力を発揮して、電話帳を覚えたり、落ちた爪楊枝の数を瞬時に当てたり、NASAに入れるぐらいの計算能力を持っていましたが、それらの映画で、誤解されがちなのは、サヴァン能力を持つ自閉症者は全体の10パーセント位なのに自閉症というのは、そういうものだと映画をみた人が思うかもしれないという事です。
三人とも、典型的なカナータイプの自閉症でした。
彼らは、それだけの能力を持っていても、独力では生きてはいけません。
「八日目」のダウン症のジョルジュが、人が大好きで、施設ではなく、社会の中で生きていきたいと強く願ったのと何と対照的でしょう。
うちの子は、サヴァン能力はなく、知能は正常とでましたが、それはロヴァースプログラム(行動療法)を徹底的に家で行った成果で、彼の実際の能力は中機能で
今現在、情緒障害学級に通っています。「キューブ」の自閉症が始終、常同行動をしていたところが、とても似ていました。
うちの子にとって、言葉の概念は宇宙ぐらい広く感じられるかもしれません。
そして、能力に天井がある事が、6歳にもなれば嫌でも思い知らされます。
典型的なカナータイプではないので、将来、何らかの形で、働く事は可能かもしれません。
でも、アスペルガーのお子さんには、天井がありません。
彼らの好きな分野では、概念の宇宙を旅して、未知なる星を見つける事だって可能だと思います。
必要なのは、ただ一つの事を望む事だけだと思います。
私の経験では、アスペルガーの人は、興味のある事で、自分自身だけに関わる事で一つの事だけを望みさえすれば、必ずかなうような気がしてなりません。
お子さんが、楽天的なのはいい事だと思います。そして、おサルのジョージさんも
楽天的なようなので、とてもいい傾向だとも思います。
私は、おサルのジョージさんのように自分の才能に適した仕事は、残念ながらまだ得られていませんが、楽天的にがんばっていこうと思っています。
映画とは、違う話にとびましたが、今度面白い映画があったら、是非教えてください。


Re: 雑感についての所感 0129へのコメント
No.0133  Mon, 24 May 1999 10:38:45 +0900  じゅんまる [この発言にコメントする]

キマイラ wrote:
>掲示板だから、複数の話題が同時進行するのは仕方のないことです。

>それに、私みたいに、何か書いてあると言葉が洪水になって溢れてくる人もいれば、ゆっくり考えて時間をかけて言葉にまとめる人もいるんじゃないでしょうか?
>でもね、心が痛むときは、本当に胸のあたりが痛いんです。
>せっかくここに来たんだから、「みんな一緒だ!」って思いたいんです。
>言い争ってしまう自分がイヤだし、人が言い争っているのを見るのもイヤです。

アスペルガーの人は、正直な人ばかりです。(普通の人から見たら、悪い意味での方が多いのですが)
でも、いつだって、人を傷つけるつもりは、これっぽっちもありません。
大人の社会では、時々故意に相手を傷つけるために、皮肉というものを言う人がいます。そういう人ばかりではないことは、知っていますが・・・・。
私は、能力が低いせいか、幸いに皮肉を言われても、平気な顔をしていました。
今では、人付き合いを嫌でもする上で、皮肉というものが少しずつわかってきました。(二、三日たって気付くのが笑えますが。)
そして、皮肉を言う人が、その分だけ相手の言葉に敏感で、ひどいときには、
ねじまげて受け取るということもわかってきました。
そうなると、自分の発言に対して、慎重になったり、誰かと話す前に頭の中で
シュミレーションをしたりなど、つい人間関係において神経質になりがちです。
アスペルガーの人は、シュミレーション通りにいかないと、パニックになって、
後から自分の正直な発言を責めたりなどしてしまいます。私達の共通点は、その辺にあるとも思います。
社会では、気を使わなければなりませんが、ここでは、アスペルガーの人達が、
お互いに、自分達の言葉の裏には、全く悪気がない事、傷つけるものは誰もいない事を理解して、安心して自分の個性を全面的に出して、自由に思った事を発言していいのではないかと思います。
アスペルガーの人でも、自閉症の人でも、抱えている問題や考え方など様々なので
自分とは異なる発想があったとしても当然だし、普通の人が持っているような
固定観念を持たないところが、私達のいいところではないでしょうか。

>本当のところ、私は「人と心を交わし」たり、「親密になろうと」したいと思っているのだろうか、と考えてしまいます。共感できる人・連帯感の持てる人を求めているのは確かだけれど、だから、ここに来ているのだけれど…。
>でも、普通と呼ばれている人達の、醜い世界に係わらないでいられるなんて、「なんて幸せなんだろう」、と思っています。

>普通の意識状態で、「自閉」ってのも、結構キツイですよ〜!
>なんてったって、何処へいったって、何をしたって、「自分」しか見えないんだから。「ほっといてくれ!」っていう気持ちと、「ここから出して!」っていう気持ちの両方が、頭の中でごちゃごちゃしているなんて…。解るかな〜?

人間関係で、普通の人が「思いやり、常識」を求めるのに対して答えようとすると
例え、仮のキャラクターを演じてみても、たいへんプレッシャーがかかります。
そして、どんなにがんばったとしても、結局、普通の人から見たら「思いやり、常識」の欠けた人間としか映らないのです。
私が、初めて高校の時、人から教わった「思いやり」というものは、ドアを開けた時、後ろの人が間近にいる場合には、ドアを閉めないで、開けておいてあげると
いう簡単なことでした。
私の頭には、ドアは開けた後には、閉めなければならないという融通のきかない
考えしかなかったので、後ろに人がいても、後ろの人がびっくりするくらい、勢いよくドアを閉めていたのです。
「思いやり、常識」というのは、私には難しすぎます。
人から「あなたって、自分の事しか考えていない」と、非難されるくらいだっら、人付き合いをしない方が、楽で幸せです。


Re: 雑感についての所感 0123へのコメント
No.0129  Sun, 23 May 1999 17:15:27 +0900  キマイラ [この発言にコメントする]

塩入 正芳 wrote:
>書込みが多すぎてどれにコメントしようか?
>と、皆迷っているのじゃないかな〜?

掲示板だから、複数の話題が同時進行するのは仕方のないことです。
それに、私みたいに、何か書いてあると言葉が洪水になって溢れてくる人もいれば、ゆっくり考えて時間をかけて言葉にまとめる人もいるんじゃないでしょうか?


>ここではあえて用語の定義をする必要はないでしょうが、
>一般的には誤解の基になるのが定義の解釈の違い、
>定義そのものの微妙な違いなんですよね〜

でもね、心が痛むときは、本当に胸のあたりが痛いんです。
せっかくここに来たんだから、「みんな一緒だ!」って思いたいんです。
言い争ってしまう自分がイヤだし、人が言い争っているのを見るのもイヤです。


>森ぽん さん wrote:
>> みなさんにとって「人と心を交わす」「親密になる」というのはどんなことですか?

本当のところ、私は「人と心を交わし」たり、「親密になろうと」したいと思っているのだろうか、と考えてしまいます。共感できる人・連帯感の持てる人を求めているのは確かだけれど、だから、ここに来ているのだけれど…。
でも、普通と呼ばれている人達の、醜い世界に係わらないでいられるなんて、「なんて幸せなんだろう」、と思っています。


>森ぽん さん wrote:
>> 「あなたの発言を読んで気分が悪かった」という人がいてもかまわないと思います。

共感しちゃうと、ダメなんです。自分だけかもしれないのに、他人事にできないんです。


>私の娘は自閉症なのでアスペも自閉症の仲間なら良いなあ、
>なんて勝手に思ったりしています。

普通の意識状態で、「自閉」ってのも、結構キツイですよ〜!
なんてったって、何処へいったって、何をしたって、「自分」しか見えないんだから。「ほっといてくれ!」っていう気持ちと、「ここから出して!」っていう気持ちの両方が、頭の中でごちゃごちゃしているなんて…。解るかな〜?


はじめまして!
No.0128  Sun, 23 May 1999 13:59:20 +0900  あごちゃん [この発言にコメントする]

森ぽん wrote:
> 心の理論の欠如というのがどういうことかよくわからないのですが、他人の気持ちをあとで考察することは私にだってできます。ただし、とっさに対応したり新しい状況が生じたときにまちがえるわけです。このギャップがいつもいつも落ち込む羽目になる原因です。あとで、失敗したと感じるから。
>
> 私は言葉を選びながら人と話していて、いつも安心できないので、それでは心を交わしているとか親密とは言えないような気がします。

はじめまして、あごちゃんというものです。
森ぼんさんの書き込みを見ると、自分とそっくりの部分が多くてびっくりします。
そして、そのような森ぼんさんが立派に社会人としてやっていけてるのをみると私
自身希望が持てます。

私も、とっさに人の言葉に的確に反応ができません。そして、人(特に職場関係)
と話しているときはいつも安心できません。後、私も相手との親密さの距離をはか
れないので、相手に対して呼び捨てや、あだ名で呼ぶことができません。
冗談もとっさに理解出来ません。自分に冗談がふられたとき、いつも混乱します。
当然、冗談は話せません。

よろしくおねがいします。

後、「自閉」という言葉の定義は厳密でなく、もちいてもいいんじゃないですか・・・
同じ言葉でも、人によってそうだと思っている意味が微妙に違います。それでも、
人間という生き物は会話が通じてしまうことが、逆に、多い不思議な動物だと私は
思っています。いちいち、言葉を辞書に照らしあわさなくても、「共通感覚」とし
かいえない部分で会話を私はしています。(その、「共通感覚」が他の人とずれて
いるから苦労するのだが・・・)


Re: リハビリしたくない症状? 0125へのコメント
No.0127  Sun, 23 May 1999 00:10:41 +0900  ルグリン [この発言にコメントする]

森ぽん wrote:
> 夢想に耽ることも、
これ,子供の時の私です。
呼ばれても気がつかなかった。

感情の伝染(他人の感情によって心が乱される)

これも、そうです。なんかおかしいと感じてしまって,その人自身だけの悩みでも、
自分が関係しているのだろうかと思ってしまったり,
気にしてしまいます。思考の波。


Re: 心を交わす・親密 0116へのコメント
No.0126  Sun, 23 May 1999 00:04:21 +0900  ルグリン [この発言にコメントする]

森ぽん wrote:
> 私も人間相手の仕事をしています。もっとも、いままでいろいろうまくいかない点がありました。ASだと自覚したことは仕事の上で強力な支えになっています。何に気をつけなければならないか、何について努力すればよいのか、はっきりしたからです。いままでは霧中を歩いているようなものでした。同時に、仕事で接する人々にもいろいろな発達障害がありうることが理解できるようになりました。

以前、こんな書き方(勝手に推測)は失礼だと思いかけませんでしたが、
私が,学生だったら森ぽんさんのような先生がいて、とても,助かる、わかってもらえると、思いました。それだけ,幅が広い先生だということですよね。
私は、あまり記憶がないけれど、幅の狭い先生には,わかってもらえなかった。
いまも、幅の狭い人には、受け入れてもらえないと感じます。
勝手な書き方。失礼しました。以前このことコメントできなかったので。
> 心の理論の欠如というのがどういうことかよくわからないのですが、他人の気持ちをあとで考察することは私にだってできます。ただし、とっさに対応したり新しい状況が生じたときにまちがえるわけです。

わたしも、とっさに対応できず、例えば、人の為に親切にしようと言う動きがない無愛想な人が居るところなどでは、いつも,対応に備えてしまっていて、疲れます。
ちょっと話題はそれました。こっちがちゃんとしていないと,相手から何も引き出せず、事務的用事でも、、そういうことあります。

それに,皆さんの話を聞いていて思ったのは、私は、人の本当の意味でこころが判らないのかもしれない。ということ。
でも,逆のいみで、わかっているのかもしれない。

> またこういう場だから正直に言いますが、「人と心を交わす」「親密になる」というのがどういうことか私にはわかりません。私は言葉を選びながら人と話していて、いつも安心できないので、それでは心を交わしているとか親密とは言えないような気がします。みなさんにとって「人と心を交わす」「親密になる」というのはどんなことですか?
私は、心の純粋な人(優しくってきれいだと感じる人)や、動物とは、心臓のあたりや、細胞が喜ぶ感じがするときがあります。これが心を交わすということかもしれません。お互いに無心でいるとき。
でも、親密というのは、わかりません。
親密になったと思うと、全てなんでも,信じてしまっていたからです。でも、数年後に、思う事は、なんだかそう言う気持ちになってしまうこと自体アンバランスで、
裏切られたと思って、バランスをくずすこともあって、なんだかわかりません。


リハビリしたくない症状?
No.0125  Sat, 22 May 1999 23:55:00 +0900  森ぽん [この発言にコメントする]

 私の症状としては、常同行動も、限局的な興味も、夢想に耽ることも、本などで読んだことをそのまましゃべってしまう傾向も、表情と声の調子が変になってしまうことも、感情の伝染(他人の感情によって心が乱される)も、タイムスリップ(いやなことを鮮明に思い出してチックを生じる)もあります。

 最後の3つは非常に不快な症状なのでなんとかしたいものですが、最初の2つは実に楽しいものです。つぎの2つも楽しいのだが、あとで地獄を見ることもあります。いずれにしても一人でいるときの私は他人には見せられないですね。


「人間関係が振り出しにもどる」について 0118へのコメント
No.0124  Sat, 22 May 1999 23:30:19 +0900  森ぽん [この発言にコメントする]

 No.0118(おサルのジョージさん)へのコメント:
 状況が変わると、うまくいっているように見えた人間関係が振り出しにもどってしまうというのは私にもあります。
 私の場合、転勤したり新しい仕事を始めるとき、思いっきり張り切るんですね。ところがまわりの人とトラブル頻発。はっきり説明しにくいのですが、仕事のやり方に自分なりのこだわりをもっていたり、仕事の構想が思弁的で、現実や過去の経験や人々の理解とのすりあわせがされていないところに問題があるらしい。
 それでもしばらくすると、トラブルは激減していきます。自分が努力したから、自分が慣れたから、と思っていたんですが、どうもいちばん大きい要因は「まわりの人が私に“慣れて”くる」かららしい。これじゃあ次の配置換えや転勤でまたひと騒動起こるなあ。自分がASだとわかったので、“思弁”から出てきた“芸術的夢想”を生のまま使うのはやめて、一度冷静に見直したり他の人にチェックしてもらったりしたいと思います。


自閉症とアスペ(雑感) 0121へのコメント
No.0123  Sat, 22 May 1999 11:20:20 +0900  塩入 正芳 [この発言にコメントする]

キマイラさん wrote:
> ただの物知りの顔をして「自閉」の子供達のすること・言うことの謎解きをしていたのです。
> 私がHPを作ろうと思ったのも、始めはその延長でした。
> そのためにいろんなHPを見ているうちに行きついたのが、「アスペルガーの舘」で、
> 「自閉症(?)だった私」に気づかせてくれたのは、舘の管理人さんでした。

そうでしたか。「アスペルガーの舘」って素晴らしいと思います。

館の管理人 さん wrote:
> ぼくの書いたことで気をわるくして、
> みんなの書き込みが止まっちゃったのかと心が痛みます。

書込みが多すぎてどれにコメントしようか?
と、皆迷っているのじゃないかな〜?

キマイラさん wrote:
> 私みたいに分裂病っぽい人もいる。いろいろいていいんだから、
> 何もここで用語の定義をすることも無いんじゃない?
> 何か、悲しくなってしまう。

ここではあえて用語の定義をする必要はないでしょうが、
一般的には誤解の基になるのが定義の解釈の違い、
定義そのものの微妙な違いなんですよね〜

おサルのジョージ さん wrote:
> ジョージも勉強は、学校にいかなくても本をよめばできる、
> 時間の無駄だから、学校には、行かない。といいだすしまつ。

教育システムの矛盾なんでしょうねえ〜

森ぽん さん wrote:
> みなさんにとって「人と心を交わす」「親密になる」というのはどんなことですか?

誰とでも、って訳には行かないよね〜きっと。
そういう人にまだ巡り合っていないだけかも?

森ぽん さん wrote:
> 「あなたの発言を読んで気分が悪かった」という人がいてもかまわないと思います。
> 気分が悪いと思う人がいる、ということがわかることも大切だから。

そうですよね〜

館の管理人 さん wrote:
> 「高機能自閉症とアスペの違い」というのは、
> 研究者の間でもいろいろもめていることのようです。
> どういう生き方ができるかということは、
> 医者がどういう診断名をつけたかとは別のことだと思います。

私の娘は自閉症なのでアスペも自閉症の仲間なら良いなあ、
なんて勝手に思ったりしています。

http://www.eve.ne.jp/user/shioiri/index.htm


大家さん、ゴメンナサイ。 0121へのコメント
No.0122  Sat, 22 May 1999 08:26:08 +0900  キマイラ [この発言にコメントする]

館の管理人 wrote:
>ぼくの言いたかったこと。
>自分のイメージに合った言葉を使いたい。「自閉症」という言葉が自分を的確に表しているようには思えない。
>自分を自閉症だと考えると、ぼくはほんとうに自閉症的になってまわりが見えなくなってしまう。それではとても働いて人間関係を維持して生活していくことができない。
>自分を自閉的であるともあまり意識しないで暮らせている今の生活に、ぼくは満足している(パートナーに恵まれマイペースで働けて……そのうちしっぺ返しがくるかな)。

多分、私がこんな分裂病みたいになってしまったのも、同じ理由だと思います。そう、「自閉」的な部分は「悪いこと」だって、親からずっと吹き込まれていたし、自分にとっても「良くないこと」が起こる大元だった。だから、私はずっと、「みんなと同じにならなければいけない」、というか「同じだと思いこんで」、そういう本当の自分を封印して来ました。仕事をしたり、最低限の人付き合いができているのは、そのおかげです。
そして、自分の子供達が、やっぱり私みたいな子供で、その同級生に「自閉傾向」の子供がいて、その親達にも「自閉的」なところがちょっとあって、という今の状況になっても、まだ私は「社会的使命感」で治療教育をしていました。「自閉傾向」のある子供達だって、「やれることがたくさんあるのに、親も先生も手をこまねいて見ているだけで、何もできずにいる」のが、とても悲しかった。というより、憤慨していました。
それでもまだ、私自身の封印は解けませんでした。それはずっと、括弧にいれたまま、ただの物知りの顔をして「自閉」の子供達のすること・言うことの謎解きをしていたのです。私がHPを作ろうと思ったのも、始めはその延長でした。そのためにいろんなHPを見ているうちに行きついたのが、「アスペルガーの舘」で、「自閉症(?)だった私」に気づかせてくれたのは、舘の管理人さんでした。
ちょうど、日頃接する「自閉」の傾向の無い人達との違和感がピークになっていた時だったこともあって、まず、とにかくうれしかった。生まれて始めて(かなり経ってます)、「私と同じ人が、世の中のどこかにいる!」と思えたのです。とっても楽になったと同時に、固く閉ざしていた封印が一気に解き放たれて、自分でも収拾がつかない状態になってしまいました。
今は、こんなに平静を装っていますが、半年もまだ経っていないその間には、心臓神経症で寝込んでいた時期もありました。やっぱり、ショックはあったのです。確かに、子供に診断を宣告された時以上でした。だって、自分のことだから。

せっかくの恩人の"舘の管理人さん"なのに、今度は私の方が苦しめてしまったようで、ゴメンナサイ。自分のことを知った上で、社会とも何とか折り合いをつけていく「アスペの生き方」を作っていくのは、「これから」の私達の仕事にしましょう! まだ、いろんなことが始まったばかりだから、いろんなことがありますね。


>ぼくの書いたことで気をわるくして、みんなの書き込みが止まっちゃったのかと心が痛みます。(昔パソコン通信していたときも、何度か失敗したものだ。またやっちゃった。)

なんか、これ、私のことを言ってるみたい! 

本当に、うるさくてゴメンナサイ。


Re: 心が痛いよ〜! 0117へのコメント
No.0121  Sat, 22 May 1999 01:10:13 +0900  館の管理人 [この発言にコメントする]

キマイラ wrote:
>一口にアスペと言っても、自閉に近い人もいれば、普通(?)に近い人もいるだろうし、私みたいに分裂病っぽい人もいる。いろいろいていいんだから、何もここで用語の定義をすることも無いんじゃない?
>何か、悲しくなってしまう。

悲しくさせて、ごめんなさい。

用語などから自由でありたいです。

「心の理論」がどうのこうのと自分でもよくわからないことを書いたことも後悔します。

ぼくの言いたかったこと。
自分のイメージに合った言葉を使いたい。「自閉症」という言葉が自分を的確に表しているようには思えない。
アスペのことを「能力の高い自閉症」などと説明される。でも、「能力の低いただのひと」といったほうが少なくとも自分には合っているように思う。

「自分は自閉症か(診断規準とは別の、本質的な意味で)」なんて命題を考えるのはやめていたのに、また考えてしまった。仕事の打ち合わせに行く途中、ぼーとして歩いててうっかり赤信号を渡ろうとしてクラクションで我にかえった。
自分を自閉症だと考えると、ぼくはほんとうに自閉症的になってまわりが見えなくなってしまう。それではとても働いて人間関係を維持して生活していくことができない。
自分を自閉的であるともあまり意識しないで暮らせている今の生活に、ぼくは満足している(パートナーに恵まれマイペースで働けて……そのうちしっぺ返しがくるかな)。

ぼくの書いたことで気をわるくして、みんなの書き込みが止まっちゃったのかと心が痛みます。(昔パソコン通信していたときも、何度か失敗したものだ。またやっちゃった。)

広報誌にぼくの文章を載せてくれて、さらに質問を寄せてきている某市自閉症児親の会には、ここでのやりとりをふまえたうえで返事を送るつもりです(相手はパソコンが使えないというので封書で来ているのだ。)


これからのアスペの生き方? 0118へのコメント
No.0120  Thu, 20 May 1999 13:30:37 +0900  キマイラ [この発言にコメントする]

おサルのジョージ wrote:
>じゅんまる wrote:
>
>>私の今までの生き方で、間違っていたのは、いわゆる一般の普通の人になる事を目指してきた事です。その為に話し方教室やセミナーや福祉の専門学校に通ったりなど、無駄な時間を費やしてきました。
>>アスペルガーは、自分の個性に逆らわず、何かに固執する才能を徹底的に生かす生き方をすべきです。私は、アスペルガーの範囲内の生き方をこれからしていきたいと思っています。

>したがって、専業主婦になったとたん、それまで、つみかさねた
>職業上の、対人マニュアル(みたいなので、乗り切ってたんですね今思うと)
>が、つかえなくなって、まるで、中学生に戻ったみたいに、人付き合いの
>下手な人間にもどってしまいました。

私も、追い立てられるように「普通にならなければならない」とずっと思ってきて、「話し方教室」に行ったり、わざと人中に乗り出して行ったり、いろんなことをしました。世間から逃げたり、まねしたり、演技したり、いろんな切り口で入って行こうとしたけれど、何一つ身につかなかった。
でも、自分が人間で無いモノに向かっていた方が安定できるのが判ったから、人間に合う時は、無理につきあうのはやめようと思った。そうしたら、とっても楽になった。これからは、こういう生き方をしていきたいと思っています。

それから、私が療育をやっているからと言って、なにもASや自閉を治そうとしているのではありません。確かに、学習に現われるところでは、やれることがあります、小さい頃は特に。でも、他の点では「そのまんま・それなりに・こういう自分を楽しんで」生きていく自信をつけさせてあげたいと思っています。

>
>好きなものがある、夢中になれるという面は
>ぜひ、リハビリなんかしないほうがいいのではないか、とおもった思いを
>じゅんまるさんも持ってらっしゃるようなので、かかせていただきました。


標題は内容の要点を書きましょう! 0104へのコメント
No.0119  Thu, 20 May 1999 09:11:30 +0900  塩入 正芳 [この発言にコメントする]

今の話題から外れますが聞いてください。

ゆみっちさん wrote:
> 話の展開が早いので中には何が起こっているのか理解しづらい方も
> いらっしゃると思います。何日かに1回でいいですから,
> 「現在掲示板ではこういう話題が中心になっている」という
> 簡単なあらすじなり要約なりつけていただけるとありがたいです。

キマイラさん wrote:

> 誰か、やっていただけませんか! キマイラさんには、ちょっと荷が重いです。

# そこで提案

標題が「Re: お久しぶりです」などのようになっていると
話しの内容が不明になってしまいます。
人の発言にコメントするとき、標題は「Re: 〜〜」を書き換えて
内容の要点を書くようにすれば良いと思います。
そうすれば、掲示板の下のフレームを見れば
話しの流れが分かりやすくなると思います。
書くのが面倒という人は文章の中のポイントの部分をコピーして
貼り付けすれば良いですよ。
皆さん協力をお願いしま〜す!

http://village.infoweb.ne.jp/~fwhd7909/

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