アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
I wrote:
> そんなわけで、こうした活動に向いた名前を考えること。(→ちょっと考えておいてください>こうもりさん他メンバー各位)
とりあえずの叩き台としては、「学習障害児就学支援ネットワーク」なんていうのはどうでしょう。
本当は「『学習障害児童』に代表される、自閉症方面の障害やADHD等が原因で就学・就労に困難を抱えた、本来的に学習や労働の能力を持ちながら適切な就学・就労の機会を与えられていない人々に、就学・就労の機会を与えるためのサポートを行ないたい/受けたい人々の相互扶助ネットワーク」なのですけれどね。
「自閉スペクトラム社会参加支援互助連絡会」とかいうのが本当は実情に合っているのだろうけれど、「自閉症方面の子どもとそのお母さん(←なぜかお父さんって陰が薄い)を支援する」みたいな部分をないがしろにしてはいけない、というのと、そっちのほうを全面に出したほうがウケがいい、というのがあるので(←書いちゃっていいのかコラ(-_-;))、「学習障害児を、就学を足掛かりとして社会に送り出す」というのを柱とするのはいいんじゃないかと思います。
(Maria)
今日ブルーレットのふたを入れる時に向きを裏側に入れたり、うっかり
機械の中に落としてしまったため、ふたなし液体入り容器がそのまま進んでしまい、
一番後ろまで行ってしまったんです。後ろでの箱入れの際にも、液体がこぼれてしまい、
濡れたダンボール箱をそのままつんでいってしまいました。私は箱が濡れいているのには
気づいたのにも関わらず「まあ、いいか」と思って作業を続行、他の人が箱濡れに気づいて
最初から全部検品しなおしになってしまいました。
私はもちろん、他の人も検品しなおし、箱入れなおし、御昼には他のラインに入ってた
社員さんまでも巻き添えになる自体でした。
社員さんからは「濡れていたらすぐうちらに言わなきゃだめだよ!」と言われてしまいました。
午後からは他の人がローテーションでやる中で1つの役割に固定されてました。
私はみんなで一緒でなきゃ気が済まない性格だから、ラインの仕事は多分続かないなぁとは思ってます.
しかし、障害者職業センターの人からは「4月いっぱいは頑張りなさい」とは言われてます。
職業センターでは自閉症者にどんな仕事が向いてるのかなんて全然アドバイスもしてくれないし、
仕事も紹介してくれません。富山のセンターは本当に役に立たないところです。
大阪や横浜の施設に入所して、きちんとした就労支援を、自立支援を受けたい。
あと、横浜の「やまびこの里」では高機能の人も支援を受けているらしい。
メールでコンタクトを取ったけど、本格的にコンタクトをとって見ようかなぁ....
Lingkoさん wrote:
> 私、かなりあより、かなりやの方が好き。
>
> って、また意味のないことを……(笑)。
宗教学者の田川建三さんは、「ギリシア」は「ぎ・り・し・あ」と発音せんのだから「ギリシャ」と書け、と『書物としての新約聖書』(勁草書房、P.699-700)と言っております。とはいえ日本語の「ギリシャ」の語源はラテン語のグラエキア(Graciea)だし、「ギリシア」という表記を流行らせた責任者の一人ともいえる呉茂一先生は「ぎ・り・し・あ」と発音していたのだから筋が通っている、とも言っておられますが。
あたし自身は「か・な・り・あ」と発音しているのですが、結果的に「かなりや」と聴こえるので、他の人が「カナリヤ」と表記しても、それほど気にはなりません。「可也屋」みたいで面白いし。
「カナリア」というのは、意味からいうと「犬の土地」ということなので、「オーストリア」「オーストラリア」「メラネシア」「ミクロネシア」「ポリネシア」と横並びで「カナリア」としています。
ただ、あたしが所属していた日比谷高校図書委員会の会誌の名前が『リブラリア』だったので、ちょっと思い入れはあったりしますが。
なお、“ja”は「ジャ」以外に「ヤ」「ハ」と発音することがあります。ですから、“Japan”は「ジャパン」以外にもハポンとかヤパンとか呼ばれるのね。うちのJoshyaさんは「ジョシュア」さんではなく「ヨシュア」さんですが、Joshyaさんが開発した汎用の日本語処理システム「JAI-Parser」は「やいぱーざー」ではなく「はいぱーざ」です。
まるで自閉症の人間のようなこだわり屋(←そうなんだってば(-_-;))であるあたしとしては、個人的なこだわりに結びつきそうなネーミングというのはちょっと重っ苦しくてイヤかも、というのはあるので、「かえる書房」(「かえる屋」っていうのもいいかもしれない)にしちゃおうかな。「かわず屋」でもいいけど。
(Maria)
川合 哲也 wrote:
>察するに、川合さんはどちらかというとせっかちで、気ぜわしい性格の持ち主なんでしょうね。スローテンポの私には羨ましいくらいです。。
早合点して失敗したり、先走りして勘違いしてしまったりするのであれば、ご両親のご指摘にも一理あるのかもしれませんね。その時は、意識的に、今よりも1秒長く考えたり、1秒長く人の話に耳を傾けてから行動してみたらどうでしょう?そうすることによって気持ちが落ち着いて、ミスが未然に防げるのであればラッキーですよね?
「急がば回れ」ということわざがあるようにネ!
でも、日常生活に特に支障がないのであれば、あまり気にしなくて良いと思いますよ!
お友達のことも、あまり心配せず、今まで通り自然体でお付き合いしてください。きっとお友達は川合さんの長所も短所も分かってくれていると思うので・・・。
最後にもう一度言いますね。「先走りする」というのは決して悪い事ではないので、あまり気にしなくて大丈夫です。そして、友人との交流を大切にして楽しい学生生活を送ってください。
Maria wrote:
> 『生活科は、特に、自分自身への気付きを大切にする。それは、例えば「ウサギのピーちゃんはニンジンを食べるからえらいです」(私もがんばって食べられるようになろう)というように、生活科のどの内容においても、児童が自分とのかかわりを深め、対象に気付くことで、そこに映し出される自分自身への気付きが生じる。』
>
> ……アホかおのれは(-_-X)。ウサギがニンジン喰って何が偉いねん!
>
全くその通りです。そんな馬鹿をやるくらいなら、おいしいニンジンを種から育てて、料理して食べたほうが、よっぽどニンジンという食べ物に対するありがたみが解ると思います。
今日の午後、所長(Joshya氏)が「ちくしょう、無駄足を踏んだぜ」とぼやきながら帰ってきた。東京は真夏日で七月上旬の陽気。暑がりの所長には堪(こた)えたらしい。「ビールぅ〜!」とか吼えていた。なんでも八重洲ブックセンターに行って新しい学習指導要領を手にいれようと思ったら、指導要領自体は平成10年に改訂されていて、今年(平成十四年度)から施行されるということだったのですね。
だいたいマスコミが施行まぎわの最近になって騒ぐからいけないんだ。そんなの騒ぐんだったら改訂作業中に騒げっつーの。そんなわけで大森総合研究所の備品学習指導要領は最新版でした。ちゃんちゃん。
で、平成10年改訂、平成十四年度から施行、というのは小学校学習指導要領には書いてありません。『小学校学習指導要領解説 生活編』のまえがきにありました。
ところがこの『小学校学習指導要領解説 生活編』には、変なことが書いてあります。
『生活科は、特に、自分自身への気付きを大切にする。それは、例えば「ウサギのピーちゃんはニンジンを食べるからえらいです」(私もがんばって食べられるようになろう)というように、生活科のどの内容においても、児童が自分とのかかわりを深め、対象に気付くことで、そこに映し出される自分自身への気付きが生じる。』
……アホかおのれは(-_-X)。ウサギがニンジン喰って何が偉いねん!
あたしはうちの猫のミーくんを見習って海老フライの尻尾とか食べるけどさ(あのカリカリした歯ごたえがいいんだ。カルシウムだって豊富だし。かりかり)、そういう問題ではまったくないぞ。蚕は桑しか食べないからいけないのか! アロワナには野菜もちゃんと食べるように仕付けなきゃいけないのか!
「『なぜ人を殺してはいけないのか』とかいった質問に、大人はちゃんと答えられない」とか訳わかんないことを言っている人がけっこういるけれど、それは自分が自信を持って答えられるほどつきつめて考えてないっていうだけなのね。それはちゃんと自分と向きあっていないっていうことなわけ。子どもは「わかりやすい答え」なんか求めていません。どっかから引っ張ってきたような答えで納得したりもしません。あたし自身は人を殺すことを絶対的な悪とは考えないけれど、少なくとも殺さずに済むなら殺したくないと考えているし、それは自分や自分の家族、自分の住んでいる世の中、そしてそういった「何が大切で、何が大切でないか」という価値観を守るためには、ときに人を殺さなければならないことがあって、そのために警察官や軍人は銃を持っているのだ、と考えています。
ところが、こういうことをたとえば学習指導要領に書くことはできないのね。いろんなところから批判を受けるのは火を見るよりも明らかだから。で、現場の教師が「学習指導要領からの逸脱」をしたら即座に処分してやろうと虎視眈々と待ちかまえている人々というのがまたいたりします。で、「盲目的な平和教育」かなんかがなされていたりするのだな。
青島幸男元都知事については批判がいろいろあったけれど、あたしは『23分間の奇跡』(ジェームズ・クラベルだったかな?)の訳者としての青島さんをけっこう評価しています。
『小学校学習指導要領解説 生活編』は50円です。みんな、読んどいたほうがいいぞ。
(Maria)
Lingko wrote:
>Mariaさん wrote:
>>
>私、かなりあより、かなりやの方が好き。
>
>って、また意味のないことを……(笑)。
>
自分も
『ケア』よりも『ケヤ』がという言い方自然な感じ
Mariaさん wrote:
> 「かなりあ」というのは、「もの書きは“炭坑のカナリア”である」というカート・ヴォネガット・Jrの言葉から。カナリアが炭坑での有毒ガス検知に使われます。なぜかといえば「決して鳴き止まない」から。カナリアが沈黙するときは死んだとき。死ぬまで鳴きつづけるぞー、という決意表明を込めたネーミングでございます。ただ、「『カナリア出版』という会社はもうあったはずだ」という指摘があって、ちょっと困っています。
>
>
私、かなりあより、かなりやの方が好き。
って、また意味のないことを……(笑)。
外野の関西人だから、見ただけで茶々だとわかるから、気にしないでがまんせずに言えるってこともありまして。
I wrote:
> 母体が「PoP! セミナー」(“Publish or Perish!”)なので、「かなりあ出版(Canary bird Publishers)」といたしたいと思います。
……えー、この「かなりあ」が意味不明、というご指摘が一部からございましたので、補足。
「PoP! セミナー」というのは、今を去ること二十年以上前にコンピュータ・サイエンス専門誌『bit』(共立出版。すでに休刊)だったか『数学セミナー』(日本評論社)だったかの連載タイトルのパクりであります。「発表セザルモノ滅ビヨ」という気合の入ったスローガンにいたく感動したものでございます。
「かなりあ」というのは、「もの書きは“炭坑のカナリア”である」というカート・ヴォネガット・Jrの言葉から。カナリアが炭坑での有毒ガス検知に使われます。なぜかといえば「決して鳴き止まない」から。カナリアが沈黙するときは死んだとき。死ぬまで鳴きつづけるぞー、という決意表明を込めたネーミングでございます。ただ、「『カナリア出版』という会社はもうあったはずだ」という指摘があって、ちょっと困っています。
じつは、「蛙鳴(あめい)社」という名前も考えていました。「蛙鳴蝉噪(あめいせんそう。「あめいぜんそう」とも)」というと「かえるやせみが鳴き騒ぐさま。無意味な論争をたとえていう」といった意味だそうです。ケロケロ。こっちのほうが肩から力抜けてていいかも。「かえる書房」とかいうのでもいいかな? ケロ。両棲類、好きだったりするし。
(Maria)
みなさんこんにちは。
新小学一年生は、今頃初めての給食にありついて、わいわいやっていることだろうと思いますが、私はようやくコーヒーが効いて目がさめてきたところです。
今日はこんな質問をします。
あなたの経験から言って、軽度発達障害児(7〜15歳・義務教育年齢層)の教育は次の選択肢のうちのどの形式にすると良いと思いますか?
1.普通学級に通わせる!
2.現行の特殊学級が良い!
3.こういった子が通うための専門の学校を創るべきだ!
4.平日(月〜金曜日)は普通学級に通わせ、土曜日にこういった子が苦手としている分野を丁寧に指導してくれるようなサブ・スクールに通えるようにする。
5.その他。
川合 哲也 wrote:
>皆さん、こんにちは。先日、僕は掲示板に投稿したんですが、今回はこの前の続きを書きたいと思います。診断された原因だとは思うんだけど、僕の親は僕の行為に対していつも先走っているって言われてしまいます。何か分からないんだけど、親や姉に「発達障害」と言われてるように受け取ってしまうんです。最近はスペルガーもしくは自閉症と診断されたり、親に「先走っている」とか言われたり、どうせ発達障害が原因で指摘されてばっかりで、もうやって行けないような感じです。もし学校でクラスの人達に知られて、「障害者」と言われたらどうしようとも考える時もあります。もうどうしよう!
あまり特別なことと捉えずに、自分の持ち前の長所をどんどん発展させていったほうがいいと思います。『何もできない人間だ』と思って萎縮してしまうと、もうとにかく人生を無駄にしてしまいます。私はその典型です(*.*)
だからといって無理は禁物です。悠悠自適・気長が最善です。
その枯れた瞳
何を見る
求めるものを
与えられるのか
その尖った耳
何を聞く
安らぐ声を
発せられるのか
我が目に映る
心地よき色彩
何故目をふせる
我が耳に届く
柔らかき調べ
何故耳をふさぐ
『秘密結社A』の秘密会合が、新宿御苑周辺においてひっそりとおこなわれました。ひっそり。(←だけどうちのJoshyaさんは御苑の芝生に断熱フォームラバーのシートを敷いておむすびとか食べていたという)
ときどき御苑の鳩が哨戒偵察飛行かなんかをしていたので会話が中断したけれど、話しあいの内容はおおむね以下の通り。
○対外的な顔というのが必要なので、実名なり身分なりを明らかにする「代表者」を立てる必要がある。そこで、こうもりさんとうちの所長(Joshya)を代表として立てる。で、顧問のような形で専門家の協力も仰ぐことにする。
○自閉症やADHDのような精神神経系の障害の場合、そもそも体力があんまりないとか、体調や精神状態の波が激しいとか、服薬や通院による時間的な制約といったものがあるので、フルタイムあるいは定期的な就学・就労が難しい部分がある。そこのところの支援というのは、わりと早急に必要。とりあえず働いて喰ってゆけるというのは重要。
○多くの「普通の人」と密接に連係して働かなければいけない一般の労働は我々にとって苦痛であることが多いので、文書なりコンピュータのプログラムなりといった「物件渡し」でできる仕事(遠隔就労が可能な仕事)があるといい。で、そうした仕事を取るためには、サンプルとして提示できる成果物があるのが望ましい。そこで、雑誌や小冊子など、出版物として発表する形を取る。
○そんなわけで、一つにはプロダクション制のような形で、一括でうけた仕事を適宜配分し、労務管理などを行ないつつ、適正に配分するようなシステムがあると望ましい。
ただし、そうした組織を作るためには、ある程度の体力(人員の確保だとか、マネージメントの能力だとか、継続的に仕事を回してくれる顧客だとか、法人化のような法的な手続きだとか、設備投資などに使える資金だとか)が必要なので、その母体になるような組織を育てることを、将来的な課題として視野に入れておくことにする。ただし、当面はそこまでがんばらない。
○普通の企業に就職したりアルバイトで働いた場合、まったく支援というものを受けられない場合が多い。それを職場の外から支援するようなケアが欲しい(たとえば組合のようなもの)。
○派遣業務というのは、ひとつの可能性でありそうに思う。派遣業務の場合は、派遣する側に労務管理の責任がある。就労しながらケアを受けることを考えると、チームリーダーを企業に派遣し、その下で複数のメンバーが就労する形もありうるのではないか。
○メンバーにどこまで負担を強いることができるかとか、プライバシーの侵害といったことも考えると、その他のメンバーについてはとりあえず扱いを保留。将来の形としては、「随時お手伝いなんかもお願いするボランティア会員」「サポートされる側の一般会員」「“企業または個人として活動に協力したい”という賛助会員」「雑誌・メルマガ等を購読する購読会員」といった、いろんな参加形態を考える。
○「自閉症方面の人間の労働は単純労働に特化すべきだ」という立場は取らない。そもそもそういった労働では海外の低賃金労働者や労働のオートメーションに対抗できない。したがって、人間にしかできない創造的な労働に特化すべきであると考える。そのためには文章によるコミュニケーション能力を磨いたりコンピュータのプログラミングに習熟したりとかいったことが必要であり、同時にそうした能力を持ったひとが現在のメンバーの中にもけっこういるので、そうした講習のようなものは活動の中に含めてよい。
○「学校に行きたくはないけれど、勉強はしたい」という子どもも、同じような環境に置かれていると考えることができる。学校に行けなくても、コンピュータを使った遠隔学習で、学校教育と同等の学力がつけられることが望ましい。それは日常生活のノウハウや、職業訓練のようなものまで(仕事上のコミュニケーションの技法とか、経理などの知識とか。昔の寺子屋で教えられていたものは、そうした商業文の知識や実用計算だったわけだし)含めて考えれば、メンバーにとっても利得が大きい。
○そんなわけで、社会的なニーズも大きいと思われる「自閉症・ADHD児童の子育てをしている人、あるいはそうした障害を持った人に対する情報提供、相談の受けつけ、精神的なサポート」を当面の活動の中心に置き、活動の環を広げる。とりあえず数を恃むと活動がしやすい。そんなわけで、こうした活動に向いた名前を考えること。(→ちょっと考えておいてください>こうもりさん他メンバー各位)
○『自閉症/アスペルガー症候群に対する理解を』みたいな小さなブックレットを作って図書館等に置いてもらうとかいった活動は、足掛かりとして適当かも。
○日常生活訓練やグループホームのようなものは、ノウハウも不足しているし資金その他の手当がむつかしいので、当分は困難。将来的にはともかく、当面は互助活動の中で徐々に解決してゆきましょう。
こんなところです。
こうもりさんは冊子を発行するのに印刷(プリントアウトやコピー)をするのが大変だと言っていました。そういった作業を一元的に管理するのに、本来の活動とごっちゃにしてしまうと、作業も混乱するしお金の面でもきっちり区分ができません。
そんなわけで、秘密結社Aを母体とする地下出版社を設立することにしました。出版綜合プロデュース・編集・発行・ライター育成・営業等を一元的に行ないたいと思います。べつに独占事業とかそういうわけでなくて、「ボランティア活動はともかく同人誌出したい」「文章力をつけて掲示板デビューを果たしたい」「仕事場での口頭のやりとりだけだとミスも多いしうまく伝えられないので、テクニカルライティングや商業文作成の技術を学びたい」というひとに対する綜合窓口、といった形にしたいと思います。
母体が「PoP! セミナー」(“Publish or Perish!”)なので、「かなりあ出版(Canary bird Publishers)」といたしたいと思います。今後ともよろしく。m(_ _)m
(Maria)
川合 哲也 wrote:
>もうどうしよう!
高校生は、学校に行きましょう。
授業中は、先生のお話しをよく聞きましょう。
休憩中は、お友達と遊びましょう。
お友達がいなかったら、一人で遊びましょう。
放課後は、部活動をしましょう。
部活動が、嫌ならアルバイトをしましょう。
アルバイトをしたお金で、好きな事をしましょう。
両親達が、反対するのなら「死ぬ!」と叫びましょう。
それが、あなたのする事です。
将来の事は、考えなくていいのです。
聞かれたら、りっぱな人と答えるのです。
そうすれば、りっぱな人になるのです。
どうも皆さんお久です。シンタロウです。今回は寮から投稿します。マッキントッシュは使いずらいです、とほほ、、、、、(使い方が全然わかんない、おかげでAAができにゃい、、、、)
皆さん、こんにちは。先日、僕は掲示板に投稿したんですが、今回はこの前の続きを書きたいと思います。診断された原因だとは思うんだけど、僕の親は僕の行為に対していつも先走っているって言われてしまいます。何か分からないんだけど、親や姉に「発達障害」と言われてるように受け取ってしまうんです。最近はスペルガーもしくは自閉症と診断されたり、親に「先走っている」とか言われたり、どうせ発達障害が原因で指摘されてばっかりで、もうやって行けないような感じです。もし学校でクラスの人達に知られて、「障害者」と言われたらどうしようとも考える時もあります。もうどうしよう!
百日紅(さるすべり) wrote:
>武田好史 さんwrote:
>>僕のように無職であれば、毎日散歩にでるというような努力をする必要があるが、君の場合は、例えば学校帰りに家に近い駅の一つ手前の駅で降りて歩いて帰る…ぐらいで足りるのではと思うが…
>
>スミマセン、話が少しずれると思いますが散歩のことについてです。
>私が今住んでいるところは住宅街のため、平坦な道ばかり。とてもじゃないけど、おさんぽのときのあのくだったり、のぼったりがないところだ。
>それはそれで都合がいい時もある。
>道が平坦なので、自転車をこぐのがとても楽であること、坂道であったならちょっとこの体力じゃあ大変です。(逆に鍛えられますが)
>
答えは簡単、長い時間歩くか早足で歩く。
住宅地に限らず、街路地図を持っていくとコースを建てやすい。
コースのつくり方のコツは、例えば「家→国道→公園→県道→家」のように一巡するように、ある所に行くときと帰るときで道を変える。
あんく wrote:
> 来月はイギリスに飛んでいるはず。
じゃなくて、正解は「来週」。やっぱバカだった(-_-;)。
久し振りに来てみました。
来月はイギリスに飛んでいるはず。
偶然知り合ったイギリス人に、「ロンドンではサッカーのスタジャン着て、スキンヘッドで、タトゥーを持ってるような連中には、くれぐれも気をつけろ」と忠告された。
しっつも〜ん!俺っち、スミ入りでもってモヒカン女(ちゅーかカリアゲ)なんですけど、そういうひとはどうすればいいんですかぁー(笑)!てか、ふだんは髪下ろしてて、でもあまりに長くなりすぎたんで、それがまたヴィジュアル的に、なんともヒッピーぽくなって宜しくないものだから、いっそボーズにでもしようかと考えていた矢先だけれど、フーリガンの危険性を身近に感じてヤメにした。一人歩きだしネ。
ついでにロンドンのTatoo shop探索も画策していたんだけどな。もうワンポイント欲しいところなのよね。なんか書いててバカっぽい文章…
戻ってきたら(つーか生還できたら(笑))、オフでお会いすることもあるかも知れない。そのときを楽しみにしている。
僕は慌てやすい。というか人と喋るとき伝えたいことを時間を短縮して
しゃべろうとするようである。多量の内容の事がら(日常的に普通の
内容でも)を伝えるのにはいっぱい言葉と、短くないしゃべる時間が
要る。10点目のことを5分かけて伝えれば楽につうじることを3点
だけ話し、しかも20秒で無理やり伝えようとする、アクロバットで
ある。そういう自分が慌てているということだ。あたりまえだが人は
はちゃめちゃな話を解らないだろう。ゆっくり時間をケチらず言葉量
をケチらず話したほうが僕はいい。世間にはせっかちな人もいるが、
長い、多い内容の話を聞き、話す人が多数派だろう。
一方でまれにこのアクロバットな話を瞬時に理解する人もいる。自分の
中でそういう人との会話、そういう人とのあるべき姿勢を求めている
気持ちがあるのかも知れない。複数のそういう人たちと「アクロバット」
なコミュニケーションがもし成り立っている時、周囲とのズレは意識
せざるを得なく現れるだろうけど。
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