アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
1.銭湯屋に家族で行くのが怖くて仕方なかった。
2.休日のお出かけが怖くて仕方なかった。
デパートが怖くて仕方なかった。
3.いきなり車で遠いところへ連れて行かれるのが怖くてしょうがなかった。
4.何処かへ自分一人で行かなくてはいけない度、何を言われても怖くてしょうが
なかった。
5.で、いつもお腹をこわしていた。
大人である今も、
どんなにこころ開かれて楽しいお出かけに誘われても、
怖くて仕方が無い。
人が怖いのでは無い。
「人」というのは何となく目の前に映り言葉を吐いている自分とは別のような
存在。
変化して止まない状況、めまぐるしい知らない話しをされる度、
バラバラさに毎回どう処理していいのか戸惑うばかり。
ごめん。
人の区別あんまりワカラナイ。
ごめん。
わたし楽しいというより怖いことの方が多い。
ごめん。
実は何言ってるのかワカラナイのに言葉喋って返事してるの。
ごめん。
あなた様は一体誰と喋っているつもりなのかな。
周りの流れる映像から目につくものを見つけて触りたがり、
気がつくと植物の葉を触りながら、
ときどき揺れながら、
好きなクリスタルキーホルダー触りながら、
帽子の感触に安心しながら、
会話「聞く」しかできないです。
近づいてくるほど火傷しそうなくらい締め付けられるのはナゼ。
逃げ出して誰もいない処へすっ飛びたい。
分かった振りしたりするからいけないのか・・・・・。
よし(陽疾)様、レスありがとうございます。
>二人の間に、彼はなんとなく『あなたを頼りにし』28号さんはなんとなく『彼にちょっと頼られていた』という部分がないでしょうか。
『頼られていた』事実、『少しうれしかった』感情、
確かに全く無いとは言えません。
>息子には心理的機能不全による若干の対人困難があり、その劣等感を、勉学の優秀さでフォローしておりそれを自我のつっかい棒にしていた。そこに母親の有名大学志向がありそれに乗っかることにより、彼の劣等感のフォローは完璧になるのでそれにつき進む。彼の内部には、年相応の、親に対する反抗心があるのだが、反抗心よりも自我のつっかい棒を強固にすることが優先されるので、それは抑圧される。
偶然ですがここまでは彼自身の生い立ちに当てはまりますね。
母親でなく彼の場合は父親がそうであったと思います。
以下暴力に至るまでは違います。私の友人の方が華々しいですが(笑)
例え話なのは承知しています。
> たとえば28号さんが彼をフォローすることが多かったでしょうか?彼はフォローしてもらう、あるいは28号さんを頼りにできることをうれしく思いながらも、彼自身自覚できていない深い心の部分で、ある種の劣等感、ある種の無力感を育んでいくというメカニズムが進行していたように思います。だけれども、あなたからはなれることが彼にとっては困難な何かがある・・・。離れたいのに、あなたに頼るしかない、そこに彼の無力感が無いでしょうか。病気を28号さんにフォローしてもらうことが、ますます彼の劣等感を刺激することはかなり自然な流れではないか・・・とも、推理できるのですが。
実はこの流れ、最初に考えました。
実際はそんなにフォローしているつもりもないし
(あまり私自身が人の世話を焼くのが好きではないので)、
彼もフォローしてもらっているつもりはないようです
(フォローしてもらってるなんて彼のプライドが許しません)。
が、結果的にはかなりのフォローを私がしていたということを、
私も彼も後になって気付くわけです。
この積み重ねが劣等感を刺激する・・・というのはありえます。
> 彼は、28号さん、を頼りにしてきたのですが、深いところで、それが彼のプライドを傷つけていた・・でも彼には28号さんなしでは生きていけない・・・、そのジレンマが「逆切れ」かもしれません。
私なしで、というのはありえません。
むしろ利用しているんだと思います。そういうことはできる奴がやれ、と。
何故なら彼は私の事をワンランク下の人間だと
思っていることを知っているからです。
もちろん明言はしてませんが、それなりに付き合いも長いので、
そういうのは感じ取れます。
だからこそかなり前の方で話させて頂いた、「知識武装」を
してくるのではないかと思うのです。自分の方が知っているぞ、と。
上でも書いた「華々しい」というのは「高学歴」ということです。
知り合ったのは大学なので、高校までは全く別の学校です。
> そして、「病気をフォローしてもらいたい」だけど、そうしてもらうと、彼の自尊心ははっきりと判る形で傷ついてしまう・・・
「病気をフォローしてもらいたい」のではなく「病気の話は知識として
楽しいので付いてきて欲しいが、干渉はしないでほしい」
というところでしょうか。
で、私が何か進言したりすることが「またか」ということも相まって
プライドを傷つけている→逆ギレ、という構図は存在するでしょう。
ここまでくると奴と自分の性格の悪さがバレバレですな(;^_^)
ARA様。はじめまして。
> もともと、人に気をくばることができない人なら
>お友達と部屋をシェアしたりする関係がそもそも無いでしょうし
そうですね。ぐうたらな奴だなとは思っていましたが、
実害はなかったので。
>ADHDそのものの問題ではなくて、(その人の根本的人格の問題でもなくて)
>メンタル面でのコンデイションの問題ではないんでしょか?
うーん、その辺が・・・
●体調が悪いと精神的に不安定→●やる気なし→●メシも面倒臭い→
●でも生活のために仕事はしなきゃ→●元来要領が悪い→
●ミスって怒られる→●萎縮する→●過去の自分を思い出す→
●俺は能力は高いのに障害さえなかったら・・・→
●障害なんだから自分は悪くない→●これ以上を悪く言われるのは嫌だからリタリン等の薬を飲む→●仕事→●眠くない→●仕事しっぱなし→
●メシ面倒臭いからいい→●まだ眠くない→●仕事→●まだまだ眠くない
→●仕事続行佳境に入る→●メシ食う時間無い→●仕事→
●やっと眠くなって寝る→●起きたら大寝坊→●なんか体調悪い→
●メシ面倒臭い→●仕事が遅れているので休日とれない→
●ストレスたまる→●体調崩す→●機嫌が悪い→始めに戻る・・・
という恒久ループに陥っているように見える訳です。
途中の障害云々のくだりは彼自身が以前話してくれたものです。
>ご本人が、健やかであれば、もともとある程度はスキルがあるでしょうから
>ADHDからくる苦手なことは苦手なこととして
>対人面では、それほど酷いことにはならないのでは?
上記のような恒久ループ内にいるわけですから、
どこからどこまでがADHDによる影響なのか分かりません。
もちろんはっきりした区切りができるものだとは思っていませんが。
ただ、はたから見ていて単純に体調的にも精神的にも
無理があると思うから、どこか一ケ所でも手の付けやすいところから
崩していけば?と声をかけるのですが「それができないのがADHDなんだ」
といわれると、もう何も言えなくなってしまいます。
>私はダメLDなので、「人より努力して一生懸命頑張ろう!」なんて
>思いませんが、(すみません・・・)
>できないことを前提として、引算の生活設計をすることによって
>安定した日常をおくれると思います。
発達障害でない人間の生き方としてもあり得る考え方だと思いますし、
実際私もそれに近い考えです。
>診断を受けることは、悪いことではないと思うし
>自分の出来ない事と障害の因果関係を考えることも、悪いことだとは
>思えないのです。
もちろんです。障害であるかないかはともかく、
自分を知る方法の一つだと思います。
>「正しい人の道」としては間違っているのかもしれませんが、あきらめ上手としてゆったり生きる・・・というのもアリなんじゃないかと思うのです。
私もアリだと思います。
>28号さんのお友達は、私のようなダメLDじゃないからこそ、むしろ葛藤が
>多いんじゃないんでしょうか
確かに無理矢理二分するとなると、彼は「できる」方に入るでしょう。
ゆえの葛藤というのは確かにあると思います。
ただ確実にできない事も自分の力量を過信し、実際にできなかった時に、
ADHDが原因であるとするようになった彼の思考に、周囲は戸惑っています。
彼がADHDであることを責めているつもりはありません。
丁寧なレスありがとうございました。
28号さん wrote:
>精神的に不安定な状態の時に関心を持ったのが、
>発達障害で、それらを知っていくほど彼は明るくなり、
>診断を受けた時は最高潮にうれしそうでした。
障害の受容については、特に問題はなさそうですね。
>で、これも理解はできるんですね。
>が、度を超しているというか、「日本では車は左側です。今日、私は
>車で右側を走り人を引っ掛けました。でもこれは仕方がないことです。
>ADHDなので注意力散漫だからです」みたいな(もちろんこれは例えで
>す)、最低限のモラルを根底から覆すようなちょっとギョッとするよ
>うな言動になってきているのです。
障害ゆえにどうしようもない部分もあるんですけど、他者危害にな
るような部分だけは改善しておいた方がいいんですよね。発達障害者
のエチケットみたいなもので。
でも、これはじっさいに深刻な対人トラブルとかが発生しないと、
本人が痛感しない場合もあります。あさかぜさんが指摘されるように
多少は待ちも必要です。本人が思い知るまでの。
>検査/診断を受けた医療機関は知っています。
>が、身内でもない私が同じ医療機関へ出入りしており
>「彼」自身のことで相談に来ているということは、
>彼もいずれ分かると思うんです。
>その際、彼のプライドを傷つけることは必至で、
>それが原因でさらに状況を悪くしてしまうのでは
>ないかという懸念はあります。
>別の医療機関でカウンセラーの方にお話を聞いた方が良いかも・・・
>と現時点では思っています。
それもいいかもしれませんね。なお、相談に行く前にその「彼」
から診断された時に専門家からどんなことを言われたのかをそれと
なく聞き出しておくといいと思います。
こうもり wrote:
> あ、お友達のことを悪く言ってしまってすみません。ちょっと軽率で
>したね。
全然大丈夫です。私もそう思うんで(笑)
自分の感想と同じだから「大丈夫」=正当化しているつもりは無く、
「俺の性格が悪いからこんな事を考えてしまうのか?」
と自問自答していてわからなくなり、
客観的な視点を知りたくてこちらに書き込ませて頂いてます。
Rosamonde様。はじめまして。目を留めて頂きありがとうございます。
>今、パートナーである28号さまがする事は自らADHD/ADD,ASなどの自閉症スペクトルの勉強をし、彼の最大の『味方』であり『理解者』であり『コーチャー(コーチをする人)』をしてあげて下さい。が、共依存になってはいけません。多少を距離を置く必要があるのです。これはとても難しいことだと思います。
「共依存」に関しては少し自覚があります。
他の方からも指摘を受けまして、「ああ」と思うところがあります。
>勉強とは本を読むこと、HPで情報を取り寄せ書き込みをする事、オフ・セミナーに参加する事が代表的な勉強ですが、その他にもあるのでここでは割愛させていただきます。
>私自身もHPを持っています。私のHPにもADHD/ADD,自閉症スペクトル関連のリンク集を作っていますし、トップページの一番下にもADHD/ADD,自閉症スペクトル関連のHPを集めたリング集を張っています。(子供から本人まで幅広くあります)
少しづつですが目を通させて頂いてます。
リンク内にあるSOAAに関心があるのですが飛べません・・・(T-T)
>失礼だなんてとんでもありません。今まで自分の問題として自分一人で誰にも相談できずに苦しんできたと思えばネチケットをしている一部の“ふととき野郎”に比べたら『失礼』ではありません。
>私からは何も役に立てなくてごめんなさい。
少しでも情報を頂けたらと思い書き込ませて頂きましたが、
こちらでも直接ご意見を頂いてしまい、とてもうれしいです。
> この時、「彼」は精神的に安定しておりましたか?落ち込みが激
>しい時に診断を受けたりすると
>>「診断を受けたことをたてにするようになった」
>ということは起こる可能性があります。「わたしは〜障害だからで
>きないんだ」みたいな感じで。
精神的に不安定な状態の時に関心を持ったのが、
発達障害で、それらを知っていくほど彼は明るくなり、
診断を受けた時は最高潮にうれしそうでした。
今まで責められ続けてきたことが、自分の性格に起因するのではなく
障害が原因だったということに、かなり救われたようです。
これは私も理解できます。
>ちょうど、何か自分にとって都合の悪い事態がおこると障害に逃げる
>という状態に陥っているのですね。
で、これも理解はできるんですね。
が、度を超しているというか、「日本では車は左側です。今日、私は
車で右側を走り人を引っ掛けました。でもこれは仕方がないことです。
ADHDなので注意力散漫だからです」みたいな(もちろんこれは例えです)、最低限のモラルを根底から覆すようなちょっとギョッとするような言動になってきているのです。
これが、奴が単に性格が悪いからなのか、
あまりの解放感に瞬間的に舞い上がっているだけなのか、
あまりの解放感ゆえ何か根っこの部分まで変わってしまったのか、
判断しがたく、困惑している状況です。
性格の悪さからきてるいるのなら、容赦なく(笑)言えるのですが。
> もちろん、その「彼」を見て、「ADHDの人はみんなこうなんだ
>」と決めつけられれば、反感を持たれると思いますが。むしろ、わた
>しなどはその彼がADHDをたてにすることによって、ADHD本人
>の名誉を汚していることの方が問題だと思っています。
ADHDの方が皆こうなんだとは、全く思っていません。
> これはいいアイデアです。それこそ「彼」が診断を受けた病院が
>分かるのであれば、まず連絡をしてもらうといいでしょう。
検査/診断を受けた医療機関は知っています。
が、身内でもない私が同じ医療機関へ出入りしており
「彼」自身のことで相談に来ているということは、
彼もいずれ分かると思うんです。
その際、彼のプライドを傷つけることは必至で、
それが原因でさらに状況を悪くしてしまうのでは
ないかという懸念はあります。
別の医療機関でカウンセラーの方にお話を聞いた方が良いかも・・・
と現時点では思っています。
ぶち様。はじめまして。目を留めて頂きありがとうございます。
ぶち wrote:
> 片付けを得意とする人や、約束事に厳格な人のレベルを要求され
>ると、やっぱりきついのは事実です。
それは分かります。自分も決して几帳面ではないので。
というかズバリものぐさです。昔から周囲の人に言われていますし、
遅刻魔でもあり、そのおかげでクビなどの窮地に陥ることも・・・(;^_^)
ので、ある程度は彼の言動も許容できていたと思います。
彼に対しては「下には下がいるもんだな」ぐらいにしか
思っていませんでしたし、他の友人たちもそんなカンジでした。
ADHDの言動に不快感を感じるというより、
ほとんどの物事を発達障害につなげて話そうとし、
障害ゆえなのだから自分は悪くない、
という態度に変わったことに不快を感じてしまうのです。
> そのお友達に肩入れして考えると、それなりに口にはしなかった
>んだけど、今まで大変だったのかもしれませんね。ど忘れして迷惑
>かけて責められて、「またやっちまったー!!」って。それが診断が
>ついて、「そーか、そうだったんだ。仕方なかったんだ」って、今
>まで辛かった分、変に強く納得しちゃったのかもしれません。今ま
>での揺り戻しっていうのかな? 今にまた変わるかもしれませんよ。
>「仕方がないんだ(必死に自分をなぐさめる)」と、「でもやっぱ
>りこれじゃいけない(自分で自分が情けなくなっている)」の間を、
>私も行ったり来たりします。
まさにその通りのようです。大変だったことは前から聞いています。
その心の揺らぎは理解できます。
が、単純に友人として不快に感じたことに怒っていいものか、
障害を考慮して黙っていた方がいいのか、
自分の考えと気持ちのバランスがつかなくなってしまった訳です。
> もちろん断言は出来ませんが、少し距離をおいてしばらく見守っ
>てあげたらいいんじゃないでしょうか?
> もしそれで長い時間がたっても、彼が「変わらないし、変えるつ
>もりも無い。お前のADDに対する理解が足りない」って言うなら、
>(私だったら)その時には・・・見放すかなぁ・・・まわりに迷惑
>かけても反省もしないようだったら、やっぱ一緒にやってけないで
>しょう(ADDとか関係なく、人と上手くやって行きたいという希望
>と努力がなければ、やっぱりやって行かれないです)。
そうですね。他の方からもアドバイスを頂きましたが、
発達障害に接してから時間があまりたっていないのは
事実なので、いろいろ混同しているのかもしれないです。お互いに。
> ・・・役にたたないかもしれないコメントですいません・・・
そんなことないです。どこか第三者でも話が聞ける場をお知りでしたら
教えて頂きたいと場違いながら書き込ませてもらったのに、
ここで直接レス頂けるなんて思ってなかったので、ありがたいです。
あさかぜ wrote:
> お友達の状態が、一時的なものかもしれないと考えることは、できませんでしょうか?
変な言い方ですが一時的な障害というものへの
「興奮状態」であることは感じています。悲しいショックというよりは
今まで自分の「だらしなさ」で責められ続けてきたものは
性格に起因するのではなく、障害が原因だったという
ある種の解放感であることは彼自身も明言しています。
またこの感情は私にも理解できます。
「待つ」ことができるかどうかは正直わからないんですが、
必要なことであるのは感じています。
彼自身、障害であったという自分に、また、
ADHDという障害/彼がADHDであるということを知った私も
時間があまりたっていないのは事実ですね。
> 28号さんご自身がしんどいようでしたら、彼に「君は今は混乱しているようだから、冷静になるまで待つよ」という意味のことを、伝えてみてはいかがでしょうか? 遠まわしに言うのでなく、具体的にはっきりと、ご自身の気持ちを伝えることが、大切だと思います。具体的な言い方は、大事です。変に気を使った言い方では、通じないかもしれません。
「仕事の状況/対人関係/自分の趣味嗜好/自分の力量/プライド/障害などの全部をごっちゃに考えていて、はたから見ていて個人の価値観の相違を考慮しても、正直、問題に対して種類の違う解答をくっつけているように見える。1+1の答えは2なんだけど3と答える、何故なら2という数字は嫌いだから、みたいな・・・嫌いなのは理解できるけどそれをやったら最低限の道理が通らなくなる。一番影響しているのはプライドだと思う。自分の力量を知ること(自分が思うほど自分はできる人間ではないという事)は切ないけど、一度冷静に整理してみてはどうか?」
ということは伝えたことはあります。ケンカ腰ではないです。
気を使った発言ではない、といえば嘘になります。
一人の大人として具体的にはっきりと「どこまで」言っていいのか
すごく言葉を選んでしまいます。上のことも、言ってはいけないことが
含まれているかもしれないし、少しでも伝わっているのかも分かりません。
> “待つこと”は、はっきりいって、しんどいです(苦笑) 根性がいります。けれど、「長い目で見たら、あの時点では、彼にはああすることが必要だったのに違いない」と思える日が、いつかは来るかもしれません。
> 発達障害児の親をやっていると、待つことの重要性を肌で感じるのですよ。いらいらすることもあります。もうちっとなんとかならんか〜!と、爆発したりもします。そういう自分と付き合うことも、日常生活のうちになってしまうんですよね。
「なんとかならんのか〜!」・・・思います(;^_^)
親御さんの心境に比べたらおこがましいですが。
ただ、障害そのもの/身内の方の理解についてはかなり語られる状況に
なってきてはいると思うんです。
家族/恋人でない第三者の人間の対応の適切さ、
気持ちの整理の付け方って、これはこれで難しいなと感じています。
大人のADHDとなるとそれなりの人生やプライドを有して
社会生活している訳で、接するのは家族だけでなく友人や会社の人間や商店街の人など第三者となると、第三者の側の人間も障害を知っているのなら、
知っている上でのできるだけ双方にストレスのない付き合い方を
模索できたらと思うんです。お互いが意識過剰にならないような。
よし(陽疾) wrote:
>あなたに聞きたいのですが、彼が病気でなく、ただ単に成長に伴って今のような性格に変わってしまった、と仮定するならばあなたは彼に、どういう対応をしますか?
>ごく自然に、距離をおくことになったでしょうか?
距離をおくというか・・・「普通に」話し合い/ケンカします。
今はある意味そういう「健全な」状況になりません。
>もしそうなら、万難を廃して、ルームシェアを解消するべきかも・・と思います。
はい。私個人の話で言えば、それが悩むまでもなく一番の解決策です。
が、彼に違和感/不快感を感じているのは私だけではないので・・・。
>話し合って、彼に改善点が見られないなら、彼とは離れるのが自然です。
>離れても、友達。あるいは、それっきり、とか、まあ色々でしょけれど。
>「見捨てる」という罪悪感がありますか?
> 彼を一人前として扱うなら、罪悪感は不要です。
「見捨てる」という考え方には至らないですが、
診断を受ける以前のようにADHDであることを
完全に考慮から外した付き合い方に戻すことは考えています。
同居であってもなくても。
>距離をおくことに、不安や、罪悪感が、あまりにもあるようでしたら
>あなたの方に『共依存』の問題があるように思います。
>別居は無理と言い切ってしまうところに、何か、触れたくない何かがあるような気がします。(失礼なこと言ってすみません)
いえ大丈夫ですよ。よくある経済事情で大きな金額を使えない
というのが同居解消できない第一の理由です。
これが実は結構深刻でして・・・(;^_^)
万難を廃すということはこれらも含めてという事なのはよく分かります。
距離をおくことに、悩むほどのためらいはありませんが、
『共依存』に関してはなんとなく自覚があります。
ので現在いろいろ書物等に目を通しています。
彼のことばかりを言うつもりはありません。
私の方にも認識不足/人格未熟ゆえの彼にとって不快な対応を
しているのも自覚があります。
ただ、ADHDの方への対応として間違った対応をしてしまっているのか、
現在彼がADHDである事を知っている周囲の人間(私を含む)の性格の悪さが障壁なのか、彼自身の問題なのか、
ものの本などを読むだけでは改善するポイントがつかめなくなってしまい、
話を聞ける場があればと思い、こちらに書き込ませて頂いた次第です。
結局、こちらでいろいろと御意見を頂くことになってしまって
ありがたいとともに申し訳ないです。。。
はじめまして。
AS児の母親で、本人も自己診断ASの者です。あまり役に立たないかもしれませんが、少しだけ書いてみようと思いました。
28号さん wrote:
>この類いの本から導き出されるであろう周囲の対応を
>先読みしており、まるで無視または逆手にとるという逆ギレ状態です。
>付け加えると、彼は発達障害関係の本はかなりの量を読んでいます。
28号さんは、“待つ”ことはできませんでしょうか?
お友達が、いつ診断を受けたのか把握できませんので、待つといっても分かりにくいでしょうが……。
同居なさっていて、彼を心配していて、こうして相談をしてくる28号さんですから、“彼を見捨てておけない”というお気持ちが強いかと思われます。“迷惑だ”と思うだけなら、彼から離れれば済むことですから。
ADHD、ASなどの発達障害者の周りにいる者は、どうしていいか分からずに振りまわされてしまうことも、めずらしくはありません。自分なりのやり方を強引に押し付けてしまえる人なら、自己満足だけで苦にもならないでしょうけれど、真剣に相手を気づかって葛藤する者は、解決の道を探し続けるでしょうから。
お友達の状態が、一時的なものかもしれないと考えることは、できませんでしょうか?
28号さんご自身がしんどいようでしたら、彼に「君は今は混乱しているようだから、冷静になるまで待つよ」という意味のことを、伝えてみてはいかがでしょうか? 遠まわしに言うのでなく、具体的にはっきりと、ご自身の気持ちを伝えることが、大切だと思います。具体的な言い方は、大事です。変に気を使った言い方では、通じないかもしれません。
“待つこと”は、はっきりいって、しんどいです(苦笑) 根性がいります。けれど、「長い目で見たら、あの時点では、彼にはああすることが必要だったのに違いない」と思える日が、いつかは来るかもしれません。
発達障害児の親をやっていると、待つことの重要性を肌で感じるのですよ。いらいらすることもあります。もうちっとなんとかならんか〜!と、爆発したりもします。そういう自分と付き合うことも、日常生活のうちになってしまうんですよね。
ご自身がしんどくて、“もう、付き合っていられない”と思うことも、ありうるはずです。そういうときは、自分を優先していいと、わたしは考えます。
どんなにしんどくても、本気で彼の支えになる道を選ぶというのであれば、“待つこと”も、ひとつの方法ではないでしょうか。
はじめまして。28号さん、ぶちと申します。
うちは兄が10歳くらいの時に多動(今で言うADD?)と診断され、
私もよく考えると「それっぽい」ようです。ド忘れ、なくし物、
片付けられない(実家全体にこの傾向があります)という特徴が
あります。
28号 wrote:
>診断を受けてから「自分はADHDなので非はない。遅刻も連絡ミスも
>ADHD故のことだ。直ることもないし、直す必要もない。こういう
>障害を持つ人間がいることを周囲は理解すべきだ」という事を
>自分がADHDだという事も含め明言しないまでも、
>会話の流れや行動で示すようになりました。
片付けを得意とする人や、約束事に厳格な人のレベルを要求され
ると、やっぱりきついのは事実です。頭の中を「そういう事だけ」
にしないと出来ないですから。義妹は片付け上手なんですが、その
まめな事・・・いつも雑巾やふきん片手に、あちこち掃除したり、
整理したり・・・それよりそれが苦になってない所が、私から見れ
ば驚異的でした(彼女の「時間厳守」もすごい)。「散らかるから
そんな事しない」って、片付け優先で興味を抑えられるのもすごい
です(「えー、楽しいのにぃ」って私は思ってしまう)。
でもそういう人と同じには出来ないまでも、「自分にはそういう
欠点がある」と自覚して、出来る限りでもいいから努力すれば、長
い目で見れば、多少は変わりますよ。年単位だけどね。「直ること
もないし、直す必要もない」というのは、私は間違っていると思い
ます。やっぱり迷惑かけますからね・・・少しはマシにしないとと
思うし、努力もしています。
>むしろ一番障害に対して知識が豊富な彼自信が過剰反応しているように
>感じるゆえ、周囲は困惑しています。
そのお友達に肩入れして考えると、それなりに口にはしなかった
んだけど、今まで大変だったのかもしれませんね。ど忘れして迷惑
かけて責められて、「またやっちまったー!!」って。それが診断が
ついて、「そーか、そうだったんだ。仕方なかったんだ」って、今
まで辛かった分、変に強く納得しちゃったのかもしれません。今ま
での揺り戻しっていうのかな? 今にまた変わるかもしれませんよ。
「仕方がないんだ(必死に自分をなぐさめる)」と、「でもやっぱ
りこれじゃいけない(自分で自分が情けなくなっている)」の間を、
私も行ったり来たりします。
もちろん断言は出来ませんが、少し距離をおいてしばらく見守っ
てあげたらいいんじゃないでしょうか?
もしそれで長い時間がたっても、彼が「変わらないし、変えるつ
もりも無い。お前のADDに対する理解が足りない」って言うなら、
(私だったら)その時には・・・見放すかなぁ・・・まわりに迷惑
かけても反省もしないようだったら、やっぱ一緒にやってけないで
しょう(ADDとか関係なく、人と上手くやって行きたいという希望
と努力がなければ、やっぱりやって行かれないです)。
・・・役にたたないかもしれないコメントですいません・・・
(ぶち)
武田好史 wrote:
>私は、のんびりと悠々自適に暮らせれば、もうそれで満足です。
> ただできれば、一緒に活動でき・苦楽について語り合える仲間が欲しいです。
上記の言葉、が私の言いたいことの95%を語ってもらっているように感じます。
こうもりさん wrote:
> しかし、障害者(未診断の人もわたしも含む)のみなさんに
>質問をします。みなさんはどんな障害者になりたいですか?あ
>るいは最終的にどんな障害者になることをイメージしています
>か?
自分の足で、きちんと立って生きていけること(書き方が抽象的ですが)、また、非・自閉者(というより健常者)と対等にやっていけること……でしょうか?
といっても、張り合うとかそういうわけではありませんよ。念のために。
みなさんこんばんは。
『幸福』という言葉は、人それぞれにニュアンスが違っている、真に解りにくい概念です。ある国の子供は学校に行くことを心から喜びますが、ある国の子供にとっては、そこは胃が痛くなるような・髪の毛が薄くなるような過酷なストレスにさらされる身の毛のよだつ場所です。
ある人は『幸福=食べ物が豊富!』と考え、ある人は『幸福=昼寝!』と考えるかもしれません。またいろいろと見聞を広げていくと、『それは得ることができない!』というものもでてきます。
そこで今日は、次の2つのことをお尋ねします。
1.あなたが、自らが発達障害者であることを悟ったがゆえに、あきらめざろうえなかった幸福は、何ですか?
2.今一番、幸福に感ずることは、何ですか?
こうもり wrote:
> この質問は漠然としているし、普通になりたいと考えている
>障害者の方々を議論から排除していると思われるかもしれませ
>ん。
>
> しかし、障害者(未診断の人もわたしも含む)のみなさんに
>質問をします。みなさんはどんな障害者になりたいですか?あ
>るいは最終的にどんな障害者になることをイメージしています
>か?
>
> ちなみにわたしの場合は「独立した障害者」,あるいは「一
>生発達しつづける障害者」をイメージしながら生きています。
>
>
私は、のんびりと悠々自適に暮らせれば、もうそれで満足です。
無理に背伸びをして富を得たいとは、さらさら思いません。デイケアも住めば都ですし…
ただできれば、一緒に活動でき・苦楽について語り合える仲間が欲しいです。
こんにちは。
こうもりさんwrote:
>質問をします。みなさんはどんな障害者になりたいですか?あ
>るいは最終的にどんな障害者になることをイメージしています
>か?
『ここちよく生きる軽度発達障害者』かな。
何度もすみません。
努力をしない・・・というのは語弊があるかもしれないので・・・
努力をしないというより、努力のターゲットをかえるというかんじでしょうか
普通の人に見せかけるための、ひたすら虚しい努力から
より良い発達障害者として生きるための合理的な手段へかえる
そのためには診断はあったほうがいいし
障害と「できないこと」の因果関係をちゃんと自分で把握しておいた方がいい
自分の今いる場所を知らないで、目的地にはいけないですもん。
ゆっくり進もうとか、車を使おうとか、その人なりの方法もいろいろだと思うし
「別にそこに行かなくてもいいや」という決断があってもいい
発達障害者として、より良く生きるためには
周りの人との関係も当然大切だし、その人が持って生まれたスキルなりに
より良い状態を作り出した方が、自分自身にとっても得なのは違いないし
「できないことは、しょうがいない」と思うからといって
迷惑をかけているのに、申し訳無いって思わないとはかぎらないと思います。
自分自身が落ちついて考えられる状態にいてこそ
周囲のことを考えられると思います。
28号さん、こんにちは、
先日は、ずいぶんと失礼を省みないことをズケズケ書いてしまいました。
自分なりに、さらに考えて見たので、再びのご無礼、お許しください。
彼が「逆ギレ」的反応のなかにあなたと彼の力関係というものが投影されているのでは・・・と、思い至ったのです。
大学時代に知り合って、現在20台の後半(28歳?)ということなのですから5年ほどの歳月が28号さんと彼の間にあったわけです。
二人の間に、彼はなんとなく『あなたを頼りにし』28号さんはなんとなく『彼にちょっと頼られていた』という部分がないでしょうか。頼ることにより、彼は安心感を得て、頼られることに、あなたはちょっぴりうれしさを感じていたというようなところは?
仮に、そうであったとして、話をすすめます。
すると家庭内暴力と同じようなメカニズムが働いていないでしょうか。
これは男の子と母親との間に一番生じやすいものです。
母親は有名大学への進学の期待を息子にし、息子はその夢をかなえようとする。
だが、合格失敗(たとえば3浪など)の時に、三流大学にいった友人はガールフレンドとの楽しい毎日を送っている。だが自分には、有名大学にいく力も無く、ガールフレンドもいない。ただ無駄な3年間があったのだ・・・。母親に対して『オレの人生を返せ!』、となるわけです。親離れ、子離れの失敗(親子の未分離)とみられています。だが、実際には、そんなキレイ事で済まぬものがあるようです。
息子には心理的機能不全による若干の対人困難があり、その劣等感を、勉学の優秀さでフォローしておりそれを自我のつっかい棒にしていた。そこに母親の有名大学志向がありそれに乗っかることにより、彼の劣等感のフォローは完璧になるのでそれにつき進む。彼の内部には、年相応の、親に対する反抗心があるのだが、反抗心よりも自我のつっかい棒を強固にすることが優先されるので、それは抑圧される。
そして、進学を果たせなかったことにより、自我のつっかい棒ははずされ、自分には対人困難と、抑圧してきた親への反抗心が残る。だけど社会にでることもできず、生きていくためには、憎むべき親に頼るしかないという無力感・・・。そして、この無力感こそが、家庭内暴力になるようです。
たとえば28号さんが彼をフォローすることが多かったでしょうか?彼はフォローしてもらう、あるいは28号さんを頼りにできることをうれしく思いながらも、彼自身自覚できていない深い心の部分で、ある種の劣等感、ある種の無力感を育んでいくというメカニズムが進行していたように思います。だけれども、あなたからはなれることが彼にとっては困難な何かがある・・・。離れたいのに、あなたに頼るしかない、そこに彼の無力感が無いでしょうか。病気を28号さんにフォローしてもらうことが、ますます彼の劣等感を刺激することはかなり自然な流れではないか・・・とも、推理できるのですが。
子供と親の間に反抗期というものがあります。親に対して、異議申し立てしたいけど自分ひとりでは生きていけない。このジレンマが、親に逆らうという、表現形をとります。
彼は、28号さん、を頼りにしてきたのですが、深いところで、それが彼のプライドを傷つけていた・・でも彼には28号さんなしでは生きていけない・・・、そのジレンマが「逆切れ」かもしれません。
そして、「病気をフォローしてもらいたい」だけど、そうしてもらうと、彼の自尊心ははっきりと判る形で傷ついてしまう・・・
などと、勝手に考察してみたのですが・・・
この質問は漠然としているし、普通になりたいと考えている
障害者の方々を議論から排除していると思われるかもしれませ
ん。
しかし、障害者(未診断の人もわたしも含む)のみなさんに
質問をします。みなさんはどんな障害者になりたいですか?あ
るいは最終的にどんな障害者になることをイメージしています
か?
ちなみにわたしの場合は「独立した障害者」,あるいは「一
生発達しつづける障害者」をイメージしながら生きています。
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