アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re: コドモの時からの恐怖 12330へのコメント
No.12338  Tue, 7 May 2002 13:22:26 +0900  星子 [この発言にコメントする]

銀の星ピアスを連休中付けていた星子です。

武田好史さん wrote:
星子Wrote
>バイトしてた時、ふらふらと意識が薄くなりながら歩いていたら車が真横を横切
>>り、気がつくと何となく前の視界に赤信号のライトが目に映ったことがあっっ
>>た。。。

> これは典型的なADDの症状でしょう。
もう疲れて疲れて、かなり綿密な細かい作業をしていて、そのくせ周囲は余裕で
普段話なんかわたしにも振ってくるんで反応返しもスレスレダウン。
帰りは意識がほとんど無かったです。

>自分も最近SSRI(胃が弱い人は、飲むとひどい目に遭います)を飲むように
>なってからは変わってきましたが、わりとバタバタした所が苦手です。

わたしの中には2タイプのわたしが居るようで、静かで落ち着いた処(部屋など)
でぼさ〜っとしている超のろま時間軸の自分と、混雑していても広いところでの色んな人間観察や色んな行った事の無い所なんか「こういう処もある」程度の観察のみは好きかもしれないです。(行く時はもちろん馴れている親がまだいいのかも)しかし、疲れます。
仕事場は落ち着いた小人数で静かでゆっくりも好きかと思いきや、
常に目が届く範囲に居るのも居心地悪く、
広くて人が沢山沢山ワジャワジャいて、嬉しそうに紛れ込んで姿を誤魔化せられる処なんか好きかも。ミスしててもワカラナイとか。
にしても、常にワカラナイことをすぐに気兼ねなく声かけられる人が届く範囲に
居ることがいいんでしょうね。
にしても、ツイテイケン。

>やはり不特定多数の人間が情報をやり取りするような感じのオフィースや学校の
>教室のような場所にはなじめず、図書館や畑みたいな感じの1人になれるところ
>がとても落ち着きます。

なるほど。
昨日は植物園と温泉なんか行ってしまいましたが、
わたしは出かけるのなら、一人というより、「連れていってくれて見えない紐で
ちゃーんと繋がっている人の存在」が自分にとっても安心しますね。。。。。
言葉を必要としない動きで一緒に戯れる大人だってそうそう居るもんです。
サボテンがとっても可愛かったぁ〜。


> 疲労すると直ぐに、ろれつが回らなくなったり・視野が狭くなったり・耳が聞こえづらくなったり・判断力が低下してしまいます。そんなときに限って、家族に「ちゃんと話せ!」「ちょっとそこ見ててよ!」「お前この先どうするんだ!」などと言われるので、ypdcで診断をもらって家族が障害のことを納得してくれるまでは、よく口論になったり、更に切れたときには、父と母ともみ合いけがをさせたこともあります。

うわあ。わたしの場合は自分がオーバーヒートになり親と取っ組みあいなんかやっ
てました。今は「自分は人と全然違うのに無茶苦茶だぁ!」ということも薄い
一人時間をゆっくり生活している方なんで周囲との関係は上手い方・・・かなあ。

にしても、人間との「関係」は初めから避けた方が安全妥当かも。
ホホホ。
私、今月のカウンセリングはもう行かない。
もうあと5年後にしても良いって思ってんだけどなあ。
生活はこのまんまでいいし。
もうカラダ壊す自殺行為は自分から行かないのだ。

 > このような感じの症状には、割とクエン酸とビタミンB群・たんぱく質が効を奏すようです。そう、いちばん手っ取り早い補給のしかたは、おやつは梅昆布茶をのみ、黒砂糖・それにチーズかナッツ類(アーモンド・カシュナッツ・クルミ・ピーナッツ)を食すと良いでしょう。梅昆布茶でクエン酸が取れ・黒砂糖でビタミンB群がとれ・チーズやナッツのたんぱく質には脳に必要なチロシン・トリプトファンが含まれています(ただしMAO阻害剤を飲んでいる人にはチーズは危険です)。これらの食品を勤めてと取るようにしたところ、強い疲労感にさいなまれることが
>少し減って、なんとなく体が楽になってきたように思います。

良い情報ありがとうです(^^)
カマト婆さんは緑茶に黒砂糖を入れて飲んでて長生きしてるそうですよね。
緑茶は偏頭痛にも効くし、風邪・発ガン防止作用も。
胃腸収縮作用が原因の下痢には番茶が回復力を与えるらしいです。


Re: Mr.Moto様 12321へのコメント
No.12337  Tue, 7 May 2002 13:20:55 +0900  nono [この発言にコメントする]

28号さん wrote:
>障害の影響というより単純にスキルが足りないということ。
>では何故その仕事を受けるのか?生活費となるギャラのためです。
>あと彼自身のプライドです。これぐらい自分はできて当然と。
>
>結果、クライアントを現実的に窮地に追い込むほど彼の仕事は遅れ、
>クライアント自身が被害拡大を恐れてフォローに入る&怒ることになります。
>仕事を受けないのもやり方のうちだと思うのですが、
>●相手がうけた被害を自宅作業のフリーランスゆえ実感しないのであまり悪いと思っておらずまた次の仕事を入れる→同じことを繰り返す→死屍累々
>●相手がうけた被害を見たら見たで恐怖のあまり失踪→仕事が残る→死屍累々
>分かるんですけどね・・・


>仕事のやり方を見つけるというのは重要だと思います。
>ただ第三者の私から見て、あきらかな彼自身の力量不足があるのに
>それがポーンと抜けていてその点は考えることなく、
>トラブルの結果だけを並べてそれはすべてADHDに起因しているというところに考えを至らせているように見えるのです。
>障害への適切な対応(仕事のやり方を見つけること)を阻んでいるのは、
>他ならない彼自身のプライドではないかと私は考えることがあります。
>自分で自分の天才伝説を信じているとのではないかと。



【スケジューリングのこと】

時間管理の問題は、AD/HDの本質の、大問題なので、そうそう簡単に解決はできないです。
障害に合った、なにがしかのスケジューリング方法が身に付くまでには、とても長い時間がかかると思います。


AD/HDの人が、「自分に出来ない量の仕事を引き受ける」のは、プライドや自負などによるものではなく、単に「自分にどれほどのことが出来るか、計算できないから」というケースが殆どだとは思います。

AD/HDの人にとって、このハードルは、本当にとてもとても高いものです。
自分には何が出来て、何が出来ないか、時間がどのくらいかかるのか、把握することは、至難の業です。

非AD/HDの人が見れば、そんなに無理な仕事を引き受ける、その裏に、何か心理的な作用や意図を読みとってしまいたくなるほど、理解の範囲を超えて、計算ができません。

その計算のできなさ具合は、本人の理解の範囲をも超えています。
「自分はどれくらいの事が出来るか」という事を把握するのも大変なら、「自分が計算したスケジュールはどれくらい無理なものか」というのを把握するのも、すごく難しいことです。

失敗から学んで次に生かすのも、同様に相当な難事業なので、何度でも何度でも同じ様な失敗を繰り返したりします。
まったく学習できないわけではないですが、学習スピードが非常にゆっくりで、非AD/HDの人からは「学ぶ気がない」ように見えたりします。

本人でさえ、己の「やる気」や「誠意」を疑ってしまうくらいです。
でも、ここにも、心の作用はないです。
やる気や誠意に満ちあふれていても、まあ、だいたい同じ結果になります。もちろん、精神状態や性格に、結果は大きく左右されますけど、絶対的な能力の限界というものがやっぱりあります。


デフォルトが、非AD/HDの人達の「やる気のない状態」「甘えてる状態」にそっくりなので、誤解されやすく、AD/HDの症状は、本人の性格の悪さゆえだと見られてしまいがちです。

28号さんも、そのことは多分すでにもうご存じだとは思うのですが、この掲示板上でのやり取りでは、まだどなたも触れてない内容のように思ったので、いちおう書いてみました。

私もこのタイプなので、もし彼がそうであるのに、そこに「性格」や「意図」を読みとられてしまっていたら、なんというか見当違いでよくないな、と思いまして。



私自身も、今まで、他人にたくさん迷惑をかけてきました。
「人に迷惑をかけて平気なんだろう」とか「本当に悪いと思っていないだろう」と何度も何度も言われてきました。

でも、私は、いつも、本当に、「他人に迷惑をかけてばかりいる自分」が嫌で嫌でしかたなかったです。周り中の人から、自分の誠意が疑われているのが、すごくつらかったし、なんでいつもこうなるのか、訳がわかりませんでした。

なんとか普通の人のように、責任感を持って行動できるようになりたいと、自分なりに努力を重ねてきたつもりです。スケジュール通りに自分を動かしたくて、できなくて、無理な計画は立てたくなくて、できなくて、欲求不満で頭がおかしくなりそうでした。

けれど、その努力や苦悩は、他人からは見えないようなんですね。
性格が悪かったり、やる気が足りなかったり、やっぱりそういうふうにしか、見えないらしいです。

で、そのうち自分でも自分のことを「性格が悪いから」「怠け者だから」と思い込むようになったりするんですが、それは、AD/HDの人にとって、あまり利がないことです。

プライドが高いせいだとか、他人の評価を気にしすぎなのだろうとか、さまざまな心理的な問題を、そこに見いだしたくなるものだとは思いますが。AD/HDの人の場合は、それは根本の問題ではないことが多いように思います。



そうはいっても、時間管理のスキルを上げることは必須の課題ですよね。
私自身も、未だにここで躓いているんで、あまり有効な助言はできそうにないんですけど。(もー真剣に、生存に関わる命題です)

とりあえず、彼がスケジューリングのスキルを上げるため、自分の障害への理解を深めるため、同じAD/HDの人達と情報交換することは、役に立つと思います。彼にはそういう場があるでしょうか?

同じ問題を共有している人が相手なら、アドバイスに耳を傾けることも出来るだろうと思いますし。

非AD/HDの人のアドバイスは、どうしても見当違いになってしまいやすいので、(本人でないのだから、当たり前ですね)聞くのも煩わしい気分になることは、実際あります。

今までの人生で、その「的はずれのアドバイス的な理論」に従って、自分を非難したり、自分に無理を散々強いてきて、それでも出来ない、わけわからない、という状況に追い込まれてきた人であれば、もうその手のアドバイスはうんざりだ、たくさんだ、と感じてしまう…という事も、あって不思議はないと思います。

AD/HDの人は、子供の頃から、そういうアドバイスを聞き飽きるほど、浴びて育っている事が多いです。見当違いのアドバイスで、散々振り回されてきた身であれば、このうえ勘弁してくれ、もう自分はAD/HDだという事がわかったんだから、というふうに思うことも多いかもしれないです。(とくに、精神的に余裕がない時だと)



あとですね、自閉傾向がある場合は、仕事の進め方も大きな影響を受けますので、もし彼がそうであるなら、自覚があると無理な計画をたてる度合いもさがるかと思います。

私もそうなんですが、2つ持ってると、両方の症状が足の引っ張り合いをして、仕事の進み具合も、かなりスゴイことになる場合があります。

仕事の進行のみでなく、生活の全般に渡ってですけど、症状の相互作用で、問題がすこし複雑になってきたりするのです。

彼が自閉傾向があるのかないのか、あるとすればどの程度生活に影響を及ぼしているのか、その事についても、AD/HD同様、知っておかないと今後たいへんだろうなあ、と思います。
もし彼が両方あるのなら、AD/HDだけの知識ではどれだけ詳しくても片手落ちです。


Re: 割り込みすいません。 12335へのコメント
No.12336  Tue, 7 May 2002 12:53:51 +0900  nono [この発言にコメントする]

再びnonoです。書き忘れましたが、自閉傾向は自己診断です。


【話し合いの仕方について】

AD/HDの人は、思考が混乱しやすいので、込み入った話の場合は、口頭での議論は避けた方がいいかもしれないです。

難しい、いろいろな感情や要素が錯綜する内容の話は、メールなどでしたほうがいいかもしれないです。28号さんの文章は、とてもわかりやすいですし。同居なさってるので、口で言った方が早い、と思われるかもしれませんけど、彼の本当の意見を聞きたかったら、メールでのやり取りの方が、正確な内容だろうと思います。

彼が28号さんの送ったメールに対して、口頭で返答しようとしても、「その件については、口頭では話したくない。メールにしてくれ」……と言うのは……難しいかもしれないですけど(- -;)

チャットとかでもいいかもしれません。比較的。口頭よりはマシかもしれないです。時間があいてるぶん、メールの方がいいとは思うんですが。


口頭での話し合いだと、筋の通らない屁理屈ばかりが口から出てしまうとか、本人の考えとは全然無関係の内容を、ただその場のノリで口にしてしまうとか、そんなことがとても多くなってしまって、まともな話し合いにするのが難しい…傾向が、確かにAD/HDの人にはあります。売り言葉に買い言葉とか、そういう感じ。

とにかく思考が混乱しやすくて、理論立てて物事を捉えるのが苦手だし、リアルタイムで適切な説明をするのも難しい。加えて衝動性が高いので、とにかく何でもいいから、思い浮かんだ言葉を口にしてしまいがちです。

その場合、彼の発言を、言葉どおり真摯に受け止めしまうと、余計に話がこじれるかもしれないです。なんとなく口にした、内容的には彼の意見ではない発言かも知れないので。

口頭での話し合いで、彼の真意を聞き出すのは、けっこう難しいかもしれません。感情的になっていたり、プライドを崩したくない相手の前だったら、尚更です。


そして、AD/HDの人は、「人の話を聞く」のにも難がある場合が多く、その意味でも口頭の議論は向かないような気がします。相手の話の最初から最後まで、集中を途切れさせないで、じっと聞くのが難しい時が多々あります。
相手の言葉を意図に添って受け取らないで、言葉尻だけ捉えて、反論してきたりもしますし。

この対策としても、メールでの対話というのは有効だと思います。
メールでも、口頭の会話と同じ傾向はありますが、おたがいに若干冷静度は上がりますし、発言の記録が残るので、後から「この発言の意味はどういうこと?」とか訊きやすいですし。

発言の記録が残るのは、AD/HDの人にとっては、大きいです。人によっては、会話した端から、会話内容を忘れていくので。(筋道を忘れて、印象的な部分しか記憶が残らない)


ただ、彼が、文章を書くのが苦手なタイプだったら、この手はどうかわからないんですけど。


あと、「この点を改善して欲しい」ということを、彼に伝えるとき、「AD/HDの症状で、困難なのはわかる、今まで苦労してきたのも分かる、でも28号さんも本当に困っていて、現状のままではつらい」…というのも、いちいち一緒に伝えるのがいいかもです。しばらくの間は。

今までの人生が人生なので、要求だけ伝えた場合、自分への非難・攻撃だと受け取って、過剰反応してしまいやすいケースもあります。


Re: 割り込みすいません。 12281へのコメント
No.12335  Tue, 7 May 2002 12:43:04 +0900  nono [この発言にコメントする]

28号さんへ。
こんにちは、AD/HD(+自閉傾向)のnonoです。

ちょっと前から、28号さんに何か言いたくて、でも意見がカタチにならなくて、パソコンの前でひとりソワソワしていました。まだうまく言いたいことが言葉に出来ないんですけど、早くしないと28号さんがこの掲示板から去ってしまうかもしれない、と思って、取り急ぎ、思ったことをそのまま書いてみます。

AD/HDの人と、友人関係以外に利害関係を持つとややこしいですよね。
(非AD/HDの人同士でも同じでしょうが、AD/HDが絡むと尚更やっかいでしょう)
同居なさっているとのことで、ストレス溜まったり、つらい事も多いと思います。

私も今まで、親しい人ほど迷惑をかけてしまう人生だったので、なんとなく他人事に思えないです。

すでに皆さんがいろいろアドバイスしてくださってるので、私は本人の立場から、いくつか情報提供いたします。今までのやり取りの中で、気になった点を、パラパラとまとまりなく書かせて頂きますね。


28号さん wrote:
>「診断を受けたことをたてにするようになった」というカンジです。
>一つ具体的に言えば、昨日まで普通に会話していたのが、
>診断を受けてから「自分はADHDなので非はない。遅刻も連絡ミスも
>ADHD故のことだ。直ることもないし、直す必要もない。こういう
>障害を持つ人間がいることを周囲は理解すべきだ」という事を
>自分がADHDだという事も含め明言しないまでも、
>会話の流れや行動で示すようになりました。
>これは私の思い込みではなく、状況を知らない人たちから
>「彼、何か変じゃない?」と聞かれる事が非常に多いのです。


【診断を受けてから、悪い意味で変わった】
【へんに開き直っていて、困る】とのことですが。

ある意味では開き直りもとても必要なことなので、難しい問題だと思います。
とりあえず私としては、以下のようなことが気になりました。



診断直後は、自分でも謎の解明に夢中なので、なにかというと「これはAD/HDの症状だ!」と言ったりするのですけど、それが必ずしも、言い訳だとか「障害を盾に取ってる」態度だとかいうわけでもないこと。

ただ、本当に、事実を言ってるだけかも知れないこと。


新鮮な発見なので、おもしろくて、つい口にしてしまいやすいのです。

現在の、自分の興味の中心の出来事なので、何かと言えばAD/HDの話題、そればっかり話していても、何も不思議はないです。

で、更に、他人がそれをどう受け取るか気が付きにくいので、周りの人の不快感に気が付かず、しつこく同じ様なことを言っているかも知れないです。

それを口にするタイミング的に、まるで言い訳をしてるかのように聞こえるかも知れないですが、何故そう受け取られるのか、彼にとっては不思議なことなのかもしれません。

それを周りの人に「また言い訳してー」と受け取られてしまって、困惑してしまうことも、あり得ることだろうな、と思います。

たとえば、自分が実害を与えた相手の目の前で、「これってAD/HDだからなんだ」と言うのが、いったいどういう意味にとられるか、口にする前に想像が及ばないことも、多々あると思います。

失言もまたAD/HDの症状のひとつですし。

まあ周りの人は、腹が立ったり、疲れたりするだろうなあ、と思います。



更に言うなら、もしかしたら失言以前かもしれないです。

「そうである」ことを、「そうである」と言うのが、何故そんなにいけない事なのか??、という部分が、どうしても分からないのかも。

(この部分、実は私自身もイマイチわかってないのですが)

もしかしたら彼は、そのへんの心理作用を詳しく教えてあげないと、その仕組み(言い訳だと受け取られる仕組み)に気が付かない人だ…という可能性も、ないではないです。(自閉混じりの人であれば)


「彼」は、それなりに社会適応できている方のようですので、上記のことは、当てはまらない可能性も高いかもです。その場合、これは全く見当違いの情報かも。

AD/HDの人と言っても、いろいろいるので。可能性の話です。


Re: どんな障害者になりたいですか? 12296へのコメント
No.12334  Tue, 7 May 2002 03:22:08 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

不肖こうもり wrote:

> しかし、障害者(未診断の人もわたしも含む)のみなさんに
>質問をします。みなさんはどんな障害者になりたいですか?あ
>るいは最終的にどんな障害者になることをイメージしています
>か?

 質問に答えてくださった方に感謝します。この質問にはどん
な答えが正しいという決まりがないが、障害者本人がある程度
考えておかなければんらない性質の問いではあると思います。

 それはそうと、ついに今日から連休明け。論理的に無意味か
もしれないですが、皆様のご健闘をお祈りします。では


ポカミスを防ぐ技術 12327へのコメント
No.12333  Mon, 6 May 2002 23:08:42 +0900  Mr.Moto [この発言にコメントする]

I wrote:
> 問題は「ミスにミスを重ねる」悪循環にハマらないためのノウハウがあるかどうかなのだ。

 ソフトウェア開発は、ミスとの戦いである。

 たとえばの話、一億回に一回だけミスをするプログラムがあったとしよう。で、百万台のコンピュ−タがそのプログラムを一秒に百回実行したとする。そうすると、地球上のどこかで平均一秒に一回トラブルが起きるということだ。
 ところが一台のコンピュータでこれを実行したとしよう。そうすると五十万秒実行してもそのミスが発生する確率は五分五分である。売れ筋のマシン用のソフトウェア(特にその核になるロジック)を開発するというのはそういうことなのだ。ゲームマシン用の描画ルーチンとかいったらこうしたケースはべつに珍しいことではない。

 ソフトウェア開発技法やコミュニケーション能力の育成がなんでポカミス防止になるかというと、「大勢の人間の目の前にはっきり示されており、しかもみんながしっかりと理解していることの範囲内だけで判断できることは、めったなことでは間違ったりしないし、間違ったところでその結果を全員が知ることできれば、すぐに発見され修正される」というごく当たり前の事実に拠っているのである。

 そんなわけで、仕事に必要なことは、それが「常識」に近いことでも徹底的に(見てはっきり分かる形に)文書化し、全員がそれを理解し、さらに「それを全員が理解していること」を確認し、その上でそれが仕事の成果に正しく反映されているかを確認する、という手続きをちゃんと踏むことなのである。

 もちろん全部が全部そういうやりかたで通るわけではない。極度に専門的な仕事もあるだろう。だが、それにしたって「自分」という人間はいるのである。「自分が分かっていること」が、じつは「自分が分かっていると思い込んでいること」だったりすることがあるが、それは「自分が分かっていると思っていること」を「自分がはっきりと分かる形(理想を言えば、他人が見てもはっきり分かる形)」に書き表わしてみることで浮かび上がってくる。うろ覚えのデータで仕事をしたりするからミスが起きるのであって、必要なデータはきちんと整理してすぐ参照できるところに用意しておけばいい。そして必要な手続きをちゃんと踏んだかどうかはチェックリストを作っておけばよい。
 こうした「ミス防止の手続き」というのは、鉄道だの航空だのといった分野においてかなり高度にシステム化されており、参考になる部分も多い。「(私が)ミスをしないようにしよう」と考えてミスが減るとは限らん以上、「人間はつねにミスをするのだから、そのミスをどう管理するかを考えなければならない」というのが正しいアプローチである。

 「バグ」というのを「プログラムの間違い」だと思っている人が多いが、「バグ」の語源をたどると「ボギー」とか「ブギー」とかいった言葉にたどりつく。日本語に訳すと「あやかし」といったところだろう。(「虫」の意味になったのは、「『バグ(あやかし)』の正体は『バグ(害虫)』だったわ」というシャレからである)
 で、「あやかし」が出る場所というのはおおむね決まっていて、トンネルだとか橋のたもとだとか踏切だとか交差点だとかによく出るし、出るのは真夜中の十二時とかいった時刻だったりするのだ。
 これはなかなかに教訓的である。「得体のしれない悪いものは、よくわからんあいまいな境界に出る」のだ。はっきり理解された部分にはおかしなことは起きないし、いままで大丈夫だったものは条件が変わらなければこの先もたぶん大丈夫で、どっちつかずのもの、あるいは何かが変化するポイントはヤバそうだから警戒しなければならないということなのだ。
 「システムが不安定なポイント」、すなわちミスが起こりやすく、同時に些細なミスが重大事件に発展しやすいポイントというのは限られているのである。それをあらかじめ予測し、事前にチェックし対策を講じておくことで「安心してミスをする」ことができる。「ミスったらいかん」と思うと人間は(特にADHDの人間は)たいていミスをする。逆に「いくらでもミスしていい」となると、ADHDの人間でもそうそうミスは犯さんのである。

 おれの経験からいうと、用心すべきは「用意周到なADHD」ではない。「“まあいいや”が口癖の健常者」である。世の中には「ミスを呼ぶ」厄病神のような奴がいるが、そういう奴は必ずしもADHDではない。

 (Mr.Moto)


「自閉症納言のホームページ」
No.12332  Mon, 6 May 2002 23:02:41 +0900  鷲羽丸 [この発言にコメントする]

 連休は横浜・小田原・東京の池袋と激しく移動して、今日戻った鷲羽丸です。
 ひさびさにインターネットをしていたら、興味深いHPを発見しました。
 もっとも、これはわが岡山から発信されている、自閉症関連のHPの掲示板で知ったことなのですが。

 こちらです↓

 http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Cassiopeia/8331/index.html

 このHPの製作者は、あの森口奈緒美さんです。リンクフリーで許可不要と書いてあったので、ここにURLを貼り付けました。

 背景の色を自分の好みに合わせられるようになっています。また、ポインターにも小さな数個の星がくっついてきます。

 関係ないが、特急サンライズのソロ寝台は狭かった   鷲羽丸


はじめまして!!
No.12331  Mon, 6 May 2002 22:32:23 +0900  RIEKO [この発言にコメントする]

はじめまして!!
このHPを見て、ひとこと。
自分の子供の頃と似てますね。


Re: コドモの時からの恐怖 12328へのコメント
No.12330  Mon, 6 May 2002 22:16:44 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

星子 wrote:
>たあ wrote:
>>私も同じような恐怖感を持ちます。
>>私の家族は外出するのが好きで、休日(特に連休中)に、旅行やバーベキューや遊園地などに出かけることが多かったので子供の頃は大変でした。親からは「どうして楽しそうにしないんだ。」と責められました。遊園地でもキャンプ場でも、いつも息苦しくなって、泣き出していました。紅葉を見にドライブに行った時、こらえきれなくなって「枯れた葉っぱなんて見て何が楽しいんだ」と車の中で言ったことがあります。親からは無視されましたが。
>>親の善意は私にとっては負担になっていたような気がします。
>わたしの園児・小学・中学時代の遊びに行った時の写真はかなり病人みたいなの
>が多いです。
>今回のG・Wの出かけるのも、「まわりの調子」に沿って食べ物を食べていたら
>やっぱり腹を壊してすさまじく下してしまった。
>食べても食べても太らないのは胃腸の消化器官の働きがもう全然働いていないよう
>で、栄養を吸収していないみたい。
>実は、大人になった今は、「ともだち」的な人との交流が一番怖いのかもしれな
>い。親は最近もうわたしが発達障害の診断をもらって身体やアタマの働きが直観
>でなんとなくでも理解できるようになったらしく、「あんたは食べるのは今はストップ」「疲れたなら車で休んどき」とコントロールしてくれるマネージャーみた
>いで安心するかも。
知らない町に行くと、何も考えられなくなってしまうのが不思議です。赤信号なのに横断歩道を渡ってしまい、タクシーにひかれそうになった記憶があります。
>バイトしてた時、ふらふらと意識が薄くなりながら歩いていたら車が真横を横切
>り、気がつくと何となく前の視界に赤信号のライトが目に映ったことがあっっ
>た。。。
>
 これは典型的なADDの症状でしょう。自分も最近SSRI(胃が弱い人は、飲むとひどい目に遭います)を飲むようになってからは変わってきましたが、わりとバタバタした所が苦手です。やはり不特定多数の人間が情報をやり取りするような感じのオフィースや学校の教室のような場所にはなじめず、図書館や畑みたいな感じの1人になれるところがとても落ち着きます。
 疲労すると直ぐに、ろれつが回らなくなったり・視野が狭くなったり・耳が聞こえづらくなったり・判断力が低下してしまいます。そんなときに限って、家族に「ちゃんと話せ!」「ちょっとそこ見ててよ!」「お前この先どうするんだ!」などと言われるので、ypdcで診断をもらって家族が障害のことを納得してくれるまでは、よく口論になったり、更に切れたときには、父と母ともみ合いけがをさせたこともあります。
 
 このような感じの症状には、割とクエン酸とビタミンB群・たんぱく質が効を奏すようです。そう、いちばん手っ取り早い補給のしかたは、おやつは梅昆布茶をのみ、黒砂糖・それにチーズかナッツ類(アーモンド・カシュナッツ・クルミ・ピーナッツ)を食すと良いでしょう。梅昆布茶でクエン酸が取れ・黒砂糖でビタミンB群がとれ・チーズやナッツのたんぱく質には脳に必要なチロシン・トリプトファンが含まれています(ただしMAO阻害剤を飲んでいる人にはチーズは危険です)。これらの食品を勤めてと取るようにしたところ、強い疲労感にさいなまれることが
少し減って、なんとなく体が楽になってきたように思います。


Re: あさかぜより、28号様 12307へのコメント
No.12329  Mon, 6 May 2002 21:23:05 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

 有効とは思えない助言に、レスをありがとうございました。
 その後の書き込みを拝見して、もうわたしには何も言えないと思いましたので、今回で失礼させていただきます。Motoさん他の方々とのやりとりから察するに、「障害」に起因する部分よりは、彼自身の責任感といいますか、社会生活上の最低限のモラルに対する考え方に、問題がありそうだと感じられたもので……。あるいは、一時的な二次障害(ヘンな言い方ですね)かもしれませんが。

28号さん wrote:
>「なんとかならんのか〜!」・・・思います(;^_^)
>親御さんの心境に比べたらおこがましいですが。

 いえいえ、親だから特別ということは、ありません。第三者とあまり変わらないと、自分では思っています。社会での責任は果たすべきだと思うから、なんとかやっているわけで……「親をやめていいよ」と言って、誰かが代わってくれるなら「即、お願い!」しちゃいます(苦笑)
 わたしも哺乳動物の雌の個体のはしくれですから、成体が幼体の世話をする本能は持っているらしいと感じてはいます。しかし、人間社会での「親」になるのは、むずかしいです。分からないことが多すぎて。

>家族/恋人でない第三者の人間の対応の適切さ、
>気持ちの整理の付け方って、これはこれで難しいなと感じています。

>第三者の側の人間も障害を知っているのなら、
>知っている上でのできるだけ双方にストレスのない付き合い方を
>模索できたらと思うんです。お互いが意識過剰にならないような。

 お互いがどこまで認め合えて譲り合えるか、冷静に話し合うことができるといいんですが。
 28号さんが、ひとつのことにしか集中できないという特技(?)をお持ちでなければ、「同居を続ける線で、できること」と「同居を解消する線で、できること」の二本立てで、考えをすすめていかれたらどうかな、と思いました。選択肢は多いほうが、追い込まれなくて済む可能性が高いように思います。


Re: コドモの時からの恐怖 12320へのコメント
No.12328  Mon, 6 May 2002 20:12:00 +0900  星子 [この発言にコメントする]

たあ wrote:
>私も同じような恐怖感を持ちます。
>私の家族は外出するのが好きで、休日(特に連休中)に、旅行やバーベキューや遊園地などに出かけることが多かったので子供の頃は大変でした。親からは「どうして楽しそうにしないんだ。」と責められました。遊園地でもキャンプ場でも、いつも息苦しくなって、泣き出していました。紅葉を見にドライブに行った時、こらえきれなくなって「枯れた葉っぱなんて見て何が楽しいんだ」と車の中で言ったことがあります。親からは無視されましたが。
>親の善意は私にとっては負担になっていたような気がします。

わたしの園児・小学・中学時代の遊びに行った時の写真はかなり病人みたいなの
が多いです。
今回のG・Wの出かけるのも、「まわりの調子」に沿って食べ物を食べていたら
やっぱり腹を壊してすさまじく下してしまった。
食べても食べても太らないのは胃腸の消化器官の働きがもう全然働いていないよう
で、栄養を吸収していないみたい。
実は、大人になった今は、「ともだち」的な人との交流が一番怖いのかもしれな
い。親は最近もうわたしが発達障害の診断をもらって身体やアタマの働きが直観
でなんとなくでも理解できるようになったらしく、「あんたは食べるのは今はストップ」「疲れたなら車で休んどき」とコントロールしてくれるマネージャーみた
いで安心するかも。


>知らない町に行くと、何も考えられなくなってしまうのが不思議です。赤信号なのに横断歩道を渡ってしまい、タクシーにひかれそうになった記憶があります。

バイトしてた時、ふらふらと意識が薄くなりながら歩いていたら車が真横を横切
り、気がつくと何となく前の視界に赤信号のライトが目に映ったことがあっっ
た。。。

そういえば、バイクのキーを付けっぱなしで盗られたこともあった。
わたしはもうよほどの呼ばれが無い限り、外出しないことにしようと思っている。
生活をしっかり送れたらそれで良い。働く気もなーい。


Re: Mr.Moto様 12321へのコメント
No.12327  Mon, 6 May 2002 19:46:25 +0900  Mr.Moto [この発言にコメントする]

28号さん wrote:
> 彼はフリーランスなので上司というものは存在しません。

 「フリーランス」ちゅーてもいろいろある。通称「力仕事」「ドカチン仕事」「土方(どかた)」と呼ばれる、単純に人工(にんく)×期間で測れるような仕事もあるのだ。腕がないならそういう“工数の読める”仕事を選ぶという、「質の選択」も重要。

> 障害ゆえ計画立てることがきないのでクライアントにスケジューリングを
> 委ねるわけですが、障害であることをギリギリ隠すレベルで伝えており、
> 理解あるクライアントは考慮して非常にゆる〜いかなり余裕をもったスケジュールを提示してきます。が、これでも彼にはウルトラハードスケジュールなのです。障害の影響というより単純にスキルが足りないということ。

 プロができない仕事を受けてはいかんな(-_-!)。

 「あからさまに無茶だが、ダメモトでやってみてくれ」といったケースもあるにはあるが、この場合は顧客が期待するものが違うのだからいたしかたない。たとえばの話、会社の上層部に「やれ」と言われてしかたなくやってみたらとんでもないことになった、みたいな場合もある。その場合、「なぜできないか」をちゃんと説明し、そのプロジェクトから撤退する理由を作るというだけでも仕事になるのだ。
 とはいえ、「なぜできないか」という理由を考えているうちに「できる」ことに気付いてしまい、その線に沿って基本設計から見直し、地獄のような修羅場の果てに納品にこぎつけたこともある。そのときは「正直、できるとは思ってませんでした」と後になって担当者に告白されたが、「実は私もそうでした」と思わず答えた。
 つまりは顧客のニーズをいかに満たすか、なのだ。

>> おれも基本的にポカミスが多いのでソフトウェア開発においてはけっこうなハンディになっているのだが、おれの場合は他人の五倍の頻度でミスをする代わりに二十倍の速度でミスをフォローするのでトータルで勝つ。問題は「ミスにミスを重ねる」悪循環にハマらないためのノウハウがあるかどうかなのだ。

> ああ、これ是非お聞きしたいです。
> 二十倍の速度のフォローというのは、Mr.Moto様が昔からできることですか?
> それともなんらかの障害を自覚したあとに得た後天的な努力ゆえのことですか?もし後天的ならばどのくらいの期間で得られましたか?

 ソフトウェア業界には品質管理技法だの設計技法だの(『マイケルジャクソン法』なんちゅーものもある)が山ほどある。これ以外にもKJ法だのMN法だのPERT/CMPだのといった問題解決技法があり、ソフトウェア・ツールなんぞというものもふんだんに揃っているのだ。

 もう一つ、一緒に仕事をしている連中、あるいは顧客とのコミュニケーション技法というのもある。プレゼンテーション(提示・説明)とドキュメンテーション(文書化・記録)とコンサルテーション(聞き取り・要求および問題点の具体化)というのがあって、客はそれが必要なことだと納得すれば我慢してくれるのだ。阿呆な営業はメリットを誇大宣伝してデメリットを隠そうとする。それではいかんのだ。メリットとデメリットを共に説明し、結果の選択を顧客に委ねれば、予定通り仕事が進行している限りあんまり文句は出ない。もちろん「言われてはおったけど、実際目にしてみると、うんざりしますなぁ」といった愚痴は出るのだが。

 そんなわけで、こうした技術・素養をコツコツ身につけることで対処はしてきたのだが、ある水準をクリアすればもう一段上の水準を要求されるのが仕事というものである。三年くらいプログラマとして頑張ってようやくプログラマとして一人前になったと思ったが、こんどはシステムエンジニアとしての仕事を要求されるようになって八年くらいでなんとか自分でも満足できるレベルに到達した。そしたらアルゴリズム開発者だの研究者だのマーケティングだの営業・渉外だのといった能力まで要求されておった。

 「ダメ人間」とみなされることにはいささかのメリットもある。いい子ぶってると疲れてかなわんし、下手をすると過労死する。自分の「売り」をはっきりさせて、そこんところを集中的に鍛えるなら、まあ五年くらいだろうか。客観的な数字ではないが。

> 障害への適切な対応(仕事のやり方を見つけること)を阻んでいるのは、
> 他ならない彼自身のプライドではないかと私は考えることがあります。
> 自分で自分の天才伝説を信じているとのではないかと。

 逆だ。おれはおれ自身の天才伝説を信じているし、プロとしての矜持というものもいささか持ち合わせている。したがって、おれが請けた仕事はおれの仕事であり、仕事の邪魔をする要因は徹底的に排除する。「××だからできまっしぇ〜ん」とかいってできない理由を並べておるようでは天才とは言えない。

> 仕事を完遂する、これは彼も念頭にあるようですが、会社や消費者はどーでもよいらしく、完遂することでギャラをもらう資格を得られる、という点にのみ意義があるそうです。じゃあ仕事を遊びと考えて気楽にやれるかというと、
> 「遊びなのになんで他人にとやかく言われるんじゃ。そんなの遊びじゃねえ」
> 「金と名誉だけくれ。実務は他のできる人がやればいい」と明言しています。これは正直なところ自分もそう思います(;^_^) 。これが現実に可能な人も存在します。貴族や大富豪ですね。彼は結構本気で思っていますから相手に損害がでても表面的には対人関係を考えて「最低限」謝りますが、根っこではあまり悪いとは思っていないそうです。

 それは“彼”の考え方であって、おれ自身のスタイルとはなんら関係のない話である。

 おれ自身の傾向をAS全般に敷衍するのはかなり乱暴な話ではあるが、ASにとって重要なのは「うつくしさ」である。ダムやら運河やら用水路やらの建設や、鉄道システムのような、「あるべきものがありうべき形で粛々と動いていることのうつくしさ」、「システム的な美」というものをこよなく愛しているのである。AS的な感性からいうと、みずほ銀行のオンラインシステムなんぞというのは非常にウツクシクないのである。

 しかし、である。「うつくしい」システムには神が宿り天使が舞い降りるのである。ユーザ様がその「うつくしさ」に感動し、心からお金を払いたくなるようなシステムを実現することにこそ、システム開発の要諦はあったりするのである。
 「そうだよ。そうなんだよ。おれはこういうツールが欲しかったんだよ。こうなってなきゃいけないんだよ。これだよ。これなんだよ。」みたいな内容の熱烈なファンレターを貰ったこともあるのだが、じつは、そのユーザが感動したとこはハードウェア的な制約を回避するために泣く泣くごまかした部分だったりするのだな(^_^;)。

 おれにとっては、「こういうものが世の中には存在するべきだ」というビジョンが最初にある。はじめにシステムありき、だ。そこに実現すべき価値があり、ニーズがあるならば、あとはそれを明確なシステムとしてイメージし、フィージブル(実現可能)なプロジェクトを構想し、プロポーザルとしてスポンサーにぶつけてGOが出れば仕事になる。

 これがおれのスタイルだ。

> フリーランスなのですから不当な采配を受けている従業員も迫るべき上司も彼自身というまた新たな恒久ループができるわけです。
> ひとつ私が考えるに、一時的に会社員に戻ればいいのでは?と。

 会社に戻ったところで「くだらない仕事しかアサインされん」というのでふて腐れるだけだと思うがな(^_^;)。
 それよりできる範囲で仕事を納めるようにするのが最優先だと思うのだが。

 (Mr.Moto)


Re: 割り込みすいません。←こうもり様 12323へのコメント
No.12326  Mon, 6 May 2002 16:22:17 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

28号さん wrote:

>少しつっこんでお聞きしたのですが、「障害ゆえにどうしようもない部分」
>というのは、車は左という国のルールがあっても右を走って何が悪いという
>思考が、ですか?それとも人を引っ掛ける原因となった注意力散漫さ、とい
>う点ですか?煽りではありません、単純に気になるもので。

後者の本来的な障害の方です。AD(H)Dの人に限定するならば、注意
欠陥,衝動性はAD(H)Dの本来的な障害、前者の開き直った思考は二次
的に発生した情緒のこじれです。

 で、本来的な障害については本人が自覚して改善のために試行錯誤する必
要はありますけど、完全になくなってしまう訳ではありません。生物学的な
要因がある訳ですから。これについては

(1)他者危害にならない
(2)本人の日常生活に支障をきたすほどではない

というレベルまで克服してればよく、それ以上の完璧さは期待しない方が
いいでしょう、という話です。もっとも(1)(2)の目標が達成できて
いても、本人が辛いと感じている場合はままあるのですが。

>他の方へのレスにも書かせて頂きましたが、
>現在でも彼のあとには死屍累々といったカンジです。
>本人は「痛感」していませんが。
>気が急いているつもりはないんですが、
>どこまで待てば、どのレベルで本人が思い知るのか想像もつきません。
>障害に出会ってから日の浅い、私の未熟さゆえ。。。

 この見通しを得るのが、28号さんが専門家に相談に行く最大の目的
になります。あるいは、28号さん自身が本人に葛藤を与えるような働
きかけをするという手もあるのですが、これについては専門家と相談し
てから考えた方がいいでしょう。


Re: 割り込みすいません。←ARA様 12324へのコメント
No.12325  Mon, 6 May 2002 14:50:31 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

武田好史 wrote:
>28号 wrote:
>>●体調が悪いと精神的に不安定→●やる気なし→●メシも面倒臭い→
>>●でも生活のために仕事はしなきゃ→●元来要領が悪い→
>>●ミスって怒られる→●萎縮する→●過去の自分を思い出す→
>>●俺は能力は高いのに障害さえなかったら・・・→
>>●障害なんだから自分は悪くない→●これ以上を悪く言われるのは嫌だからリタリン等の薬を飲む→●仕事→●眠くない→●仕事しっぱなし→
>>●メシ面倒臭いからいい→●まだ眠くない→●仕事→●まだまだ眠くない
>>→●仕事続行佳境に入る→●メシ食う時間無い→●仕事→
>>●やっと眠くなって寝る→●起きたら大寝坊→●なんか体調悪い→
>>●メシ面倒臭い→●仕事が遅れているので休日とれない→
>>●ストレスたまる→●体調崩す→●機嫌が悪い→始めに戻る・・・
>>という恒久ループに陥っているように見える訳です。
>>途中の障害云々のくだりは彼自身が以前話してくれたものです。
>
 うーん、このような生活をしている人から見れば、精神科のディケアで売れるかどうかわからないピエロ人形を目を輝かせて作っている僕たちは、世界一の極楽トンボに見えてしまうでしょうね(〜_〜)。

 本当にそろそろ「企業戦士でなければ人にあらず」とか「早期教育が天才を生み出す」などという妄想めいた考えは、止めてもらいたいものです。

 人間が生きるために一番必要なことは楽しさです。楽しさの裏には、苦しさがあります。仕事という言葉の本質的な意味は、「苦しさを分かち合って、物事を良いほうへ動かすこと」ではなかろうかと、僕は思います。地位とかお金というものは、それに対するねぎらいやご褒美といった物にすぎないのではと思います。


Re: 割り込みすいません。←こうもり様 12312へのコメント
No.12323  Mon, 6 May 2002 11:10:58 +0900  28号 [この発言にコメントする]

>28号さん wrote:
>>で、これも理解はできるんですね。
>>が、度を超しているというか、「日本では車は左側です。今日、私は
>>車で右側を走り人を引っ掛けました。でもこれは仕方がないことです。
>>ADHDなので注意力散漫だからです」みたいな(もちろんこれは例えで
>>す)、最低限のモラルを根底から覆すようなちょっとギョッとするよ
>>うな言動になってきているのです。
>
> 障害ゆえにどうしようもない部分もあるんですけど、他者危害にな
>るような部分だけは改善しておいた方がいいんですよね。発達障害者
>のエチケットみたいなもので。

少しつっこんでお聞きしたのですが、「障害ゆえにどうしようもない部分」
というのは、車は左という国のルールがあっても右を走って何が悪いという思考が、ですか?それとも人を引っ掛ける原因となった注意力散漫さ、という点ですか?煽りではありません、単純に気になるもので。

> でも、これはじっさいに深刻な対人トラブルとかが発生しないと、
>本人が痛感しない場合もあります。あさかぜさんが指摘されるように
>多少は待ちも必要です。本人が思い知るまでの。

他の方へのレスにも書かせて頂きましたが、
現在でも彼のあとには死屍累々といったカンジです。
本人は「痛感」していませんが。
気が急いているつもりはないんですが、
どこまで待てば、どのレベルで本人が思い知るのか想像もつきません。
障害に出会ってから日の浅い、私の未熟さゆえ。。。


Re: SOAAはアドレスが変わったらしい 12316へのコメント
No.12322  Mon, 6 May 2002 10:25:15 +0900  28号 [この発言にコメントする]

Lingko N.様、はじめまして。

>SOAAは最近アドレスが変わったばっかりで、あまりあちこちに連絡が行き届いてないのかもしれないです。とりあえず、あたらしいあどれすをかいておきます。
>
>http://www.adhd.jp/

ありがとうございます。ですがまた・・・(T-T)
当方のサーバ/ブラウザの調子が悪いか、先方のリンクが正しく組まれていないかもです。
googleでも検索かけていくつか、飛んでみましたが、同様でした。
時間をおいてまたいってみます。


Mr.Moto様 12318へのコメント
No.12321  Mon, 6 May 2002 10:06:54 +0900  28号 [この発言にコメントする]

Mr.Moto様、レスありがとうございます。

Mr.Moto wrote:
>つまりは適正負荷を越えた悪循環にハマッているわけで〜

彼はフリーランスなので上司というものは存在しません。
障害ゆえ計画立てることがきないのでクライアントにスケジューリングを
委ねるわけですが、障害であることをギリギリ隠すレベルで伝えており、
理解あるクライアントは考慮して非常にゆる〜いかなり余裕をもったスケジュールを提示してきます。が、これでも彼にはウルトラハードスケジュールなのです。障害の影響というより単純にスキルが足りないということ。
では何故その仕事を受けるのか?生活費となるギャラのためです。
あと彼自身のプライドです。これぐらい自分はできて当然と。

結果、クライアントを現実的に窮地に追い込むほど彼の仕事は遅れ、
クライアント自身が被害拡大を恐れてフォローに入る&怒ることになります。
仕事を受けないのもやり方のうちだと思うのですが、
●相手がうけた被害を自宅作業のフリーランスゆえ実感しないのであまり悪いと思っておらずまた次の仕事を入れる→同じことを繰り返す→死屍累々
●相手がうけた被害を見たら見たで恐怖のあまり失踪→仕事が残る→死屍累々
分かるんですけどね・・・

>おれも基本的にポカミスが多いのでソフトウェア開発においてはけっこうなハンディになっているのだが、おれの場合は他人の五倍の頻度でミスをする代わりに二十倍の速度でミスをフォローするのでトータルで勝つ。問題は「ミスにミスを重ねる」悪循環にハマらないためのノウハウがあるかどうかなのだ。

ああ、これ是非お聞きしたいです。
二十倍の速度のフォローというのは、Mr.Moto様が昔からできることですか?
それともなんらかの障害を自覚したあとに得た後天的な努力ゆえのことですか?もし後天的ならばどのくらいの期間で得られましたか?

> で、彼はそれを「障害さえなかったら」という方へ持ってっちゃうから解決できんのである。ここは「ちゃんとした仕事のやりかたができれば」の方に持ってゆかねばならんのだ。

そうですね。仕事のやり方を見つけるというのは重要だと思います。
ただ第三者の私から見て、あきらかな彼自身の力量不足があるのに
それがポーンと抜けていてその点は考えることなく、
トラブルの結果だけを並べてそれはすべてADHDに起因しているというところに考えを至らせているように見えるのです。
障害への適切な対応(仕事のやり方を見つけること)を阻んでいるのは、
他ならない彼自身のプライドではないかと私は考えることがあります。
自分で自分の天才伝説を信じているとのではないかと。

もしそうだとして、これも理解はできます。
で、障害の診断を受けたときを始点として時間が解決することなのかもしれません。
ですが今現在彼自身も立場を悪くするという実害があり、
私を含む周囲の人間も診断を受けてからの彼の言動に実害があり、
少しでもいいから、相関するストレスを軽減できるよう
同時進行でできる対応が何かないか、
と思うことはおこがましいのでしょうか・・・

>そもそも仕事のやりかたがムチャクチャやんけ、みたいな「腐った」プロジェクトというのがあったりするのである〜

「仕事」自体は彼に対してかなり譲歩したものだと思います。
これ以上「仕事」側が譲歩するとしたら、
他の人に時給700円でふっている仕事を彼の場合時給20000円にするぐらい・・・それをやるメリットは見出せないとしても。
仕事を完遂する、これは彼も念頭にあるようですが、会社や消費者はどーでもよいらしく、完遂することでギャラをもらう資格を得られる、という点にのみ意義があるそうです。じゃあ仕事を遊びと考えて気楽にやれるかというと、
「遊びなのになんで他人にとやかく言われるんじゃ。そんなの遊びじゃねえ」
「金と名誉だけくれ。実務は他のできる人がやればいい」と明言しています。これは正直なところ自分もそう思います(;^_^) 。これが現実に可能な人も存在します。貴族や大富豪ですね。彼は結構本気で思っていますから相手に損害がでても表面的には対人関係を考えて「最低限」謝りますが、根っこではあまり悪いとは思っていないそうです。

> 従業員の資質を見抜いてその能力を会社のために有効活用するのが管理職の勤めなんである。「障害さえなかったら」だとかいったヘタレなことを言う以前に、「障害は障害として、配置なり工数配分なりを考えて、能力を活かすことを考えんかいっ!」と上司に迫るくらいのことをしてもらいたいと思う。

フリーランスなのですから不当な采配を受けている従業員も迫るべき上司も彼自身というまた新たな恒久ループができるわけです。
ひとつ私が考えるに、一時的に会社員に戻ればいいのでは?と。
対人関係や拘束されるのが嫌で(対人恐怖ではなく遅刻やミスを指摘されるのが嫌ということで)フリーランスになったわけですが、
会社という仮想敵を作れば今抱えているストレスのいくらかは上司/同僚に転嫁できるし、
他人のペースに多かれ少なかれ巻き込まれれば、
睡眠/食生活もある程度正せるし、給料も出ます。
まあもちろん自分には納得できないこと山盛りになるのは同じですが。
で、(可能性も含め)自分にできること/できないことを、
「本当に」知る機会にもなると思うのですが・・・
残業もあるでしょう。ですが、自宅で薬の作用にまかせて、
眠くない→寝ない→眠くない→寝ない→体調崩す、に比べたら・・・。
金はいらん、というのなら、大学院等もアリだと思うんです。
フリーランスという身分は不向きかと。精神的には楽だと思うのですが
その楽さが体調不良を引き起こし、引き起こした後の対策は障害ゆえできない(本人談)となると・・・。長々とすいません。


Re: コドモの時からの恐怖 12315へのコメント
No.12320  Mon, 6 May 2002 08:20:59 +0900  たあ [この発言にコメントする]

私も同じような恐怖感を持ちます。
私の家族は外出するのが好きで、休日(特に連休中)に、旅行やバーベキューや遊園地などに出かけることが多かったので子供の頃は大変でした。親からは「どうして楽しそうにしないんだ。」と責められました。遊園地でもキャンプ場でも、いつも息苦しくなって、泣き出していました。紅葉を見にドライブに行った時、こらえきれなくなって「枯れた葉っぱなんて見て何が楽しいんだ」と車の中で言ったことがあります。親からは無視されましたが。
親の善意は私にとっては負担になっていたような気がします。

修学旅行でも、班行動できなくて、わざと1人ではぐれて行動して同じ班の人に迷子になったと心配されたこともありました。話しかけられたとわかっても、言葉が出てこなく無反応状態が続きました。

知らない町に行くと、何も考えられなくなってしまうのが不思議です。赤信号なのに横断歩道を渡ってしまい、タクシーにひかれそうになった記憶があります。


Re: 質問(幸福について) 12301へのコメント
No.12319  Mon, 6 May 2002 00:07:29 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

武田好史さん wrote:

>1.あなたが、自らが発達障害者であることを悟ったがゆえに、あきらめざ
>るをえなかった幸福は、何ですか?

 これは特に見当たりませんでした。気持ち以外は特に何も変わらなかっ
たんですよね。気持ちの方はむしろ診断が確定してからの方が上向いてい
るし。

>2.今一番、幸福に感ずることは、何ですか?

 ボーとしている時間です。特に去年の10月に仕事が忙しくなってから
、痛感しています。

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