アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
ゆみさん wrote:
> 7歳の男の子。歩きながら信号機が気になって仕方ない様子。黄色をみてはいけないとか 青になるのを確認するまでその場を離れたくみたい。そのときは、ニコニコしてたり真剣な顔をしているのですが どういうきもちなのかなあ?
“鬼才”コリン・ウィルソン先生(『アウトサイダー』『オカルト』等の著作で有名)の『至高体験』あたりをお読みくださるとよろしいかと思います。たぶん図書館にあります。m(_ _)m
(Maria)
何気なくインターネットをのぞいて見たら、私にぴったりな精神障害者の作業所を見つけた。
http://www.fujifukushikai.or.jp/
そこは8時30分から17時までみっちり仕事があって、
パンを作ってる。グループホームもあるし、
時給も250円〜だから、お金、内容、時間等、
私の求めている条件が揃ってるし、町田に親戚が住んでいるから、
是非コンタクトを取りたい。
7歳の男の子。歩きながら信号機が気になって仕方ない様子。黄色をみてはいけないとか 青になるのを確認するまでその場を離れたくみたい。そのときは、ニコニコしてたり真剣な顔をしているのですが どういうきもちなのかなあ?あと、できるだけみんなと同じになりたいという気持ちがめばえていて、がんばっているのですが きっと何かが違うような気がしているでしょう。いつか何か言ってあげたいんだけど、イツごろ、どのように言ったらいいのかわからない。どうしたら、助っ人になってあげられるかなあ?なんでも相談してくれたらうれしいし、そうしたら何かに事態に、いい対処策が一緒に考えて行けるかも知れないし。たよられるような母親、父親を目指し主人も子供との時間をとってもとっています。どんな母であってあげればいいのでしょうか?たくさんの人の気持ちを教えてほしいですアドバイスも お願いします。
先日、わしの母親が、わしの勤め先の院長と電話で話をしたと、話してくれました。
以下は母親からの伝聞によるものです。
院長は約二ヶ月前、歯科医師会の業務のため、東京へ行きました。
行きの新幹線の中で、院長は知り合いのドクターと同席し、いろいろと話をしたそうです。
そのなかで、そのドクターは
「私の孫が自閉症なのです。」
と、院長に話したとのこと。
院長はそのドクターのお孫さんの話を聞いて、「自閉症」とは何たるかを認識したそうです。
自閉症に関しては、わし自らがその範疇に含まれる障害を抱えていることを、院長に説明し、かつ診断書もわたしたのですが、その話を聞くまで院長は、
「幼少のころに、いじめを受けたことが原因で、自閉症になった」
と思っていたと言うのです。
少しショックでした……そう思われていたとは。実際わしはいじめを受けてはいましたが、それが直接の原因ではないんですよー。
院長はそのドクターからの話で、自分の思い違いに気づいたわけです。
その後院長は、医院の他のスタッフに対して、自閉症に関する資料を配り、鷲羽丸クンもこういった障害を抱えている、という話をしたとのことです。
「いつの間にそんなことを!?」と一瞬思いましたが、これに関しては、わし自身もいつかは話す必要がある、と常々思っていましたので、腹立たしさは感じませんでした。
しかし、その「話すタイミング」がなかなかつかめずにいました。そんな折、院長のほうからその件について話してくださったので、むしろわしは、院長をありがたく思っています。
まあ、これだけで職場全体に理解されたかどうかは疑問ですが。
少なくとも事情は知ってもらえただけマシと思うべきか 鷲羽丸
こんにちわ。
風呂糸です。
確かにストレスによって肩こりがひどくなることってありますよね。
あと腰痛の原因もストレス・精神的なものによる、と考えて様々な治療法を、
行なっているお医者さんもいるようですね。 (^^)
風呂
シンタロウ( ~w~) wrote:
>こうもり wrote:
>
>> そういう意味で、大人でも自分自身が発達障害者であるのに、それを
>>認めることができなくて、他の発達障害児を徹底的にいたぶるようなタ
>>イプの人というのはけっこういるのではないか、と思っています。
>
> ドラマ「君が教えてくれたこと」にもそうゆう嫌ゃ〜な大人が出てたし。雨宮繭子に陰湿かつ悪質な嫌がらせをしてた。
>
> 僕が中学三年の時、そうゆう女の先生がいて、いつも僕を目の敵にしていました。僕がちょっとした失敗をすると(例えばノートを忘れただけで)そのセンコーは俺にたくさん宿題を出してきて・・・・・・・・・・・・・・
>
> 今思えば殺してやりたいほど憎いです。土下座して謝れ!!!!!!!!!!俺の青春を返せ!!!!!!!!!!俺の自尊心を返せ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
全くだ!こんなバツは子供にやらせてはいけないという法律でも作らなきゃダメなのかな。
ユリノキの みどり花見て 思いけり
こんなカップで 友と茶飲みと
こうもり wrote:
> そういう意味で、大人でも自分自身が発達障害者であるのに、それを
>認めることができなくて、他の発達障害児を徹底的にいたぶるようなタ
>イプの人というのはけっこういるのではないか、と思っています。
ドラマ「君が教えてくれたこと」にもそうゆう嫌ゃ〜な大人が出てたし。雨宮繭子に陰湿かつ悪質な嫌がらせをしてた。
僕が中学三年の時、そうゆう女の先生がいて、いつも僕を目の敵にしていました。僕がちょっとした失敗をすると(例えばノートを忘れただけで)そのセンコーは俺にたくさん宿題を出してきて・・・・・・・・・・・・・・
今思えば殺してやりたいほど憎いです。土下座して謝れ!!!!!!!!!!俺の青春を返せ!!!!!!!!!!俺の自尊心を返せ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
こうもり wrote:
> そういう意味で、大人でも自分自身が発達障害者であるのに、それを
>認めることができなくて、他の発達障害児を徹底的にいたぶるようなタ
>イプの人というのはけっこういるのではないか、と思っています。
ドラマ「君が教えてくれたこと」にもそうゆう嫌ゃ〜な大人が出てたし。雨宮繭子に陰湿かつ悪質な嫌がらせをしてた。
僕が中学三年の時、そうゆう女の先生がいて、いつも僕を目の敵にしていました。僕がちょっとした失敗をすると(例えばノートを忘れただけで)そのセンコーは俺にたくさん宿題を出してきて・・・・・・・・・・・・・・
今思えば殺してやりたいほど憎いです。俺の青春を返せ!!!!!!!!!!
Mr.Motoさん wrote:
>ひま人さん wrote:
> 塾は税金で運営されているわけではない。コスト/パフォーマンスを考えれば、学校はもうちょい努力をするべきなんじゃないんだろうか。
そう思います。
> 現在、学問として体系化されたものは、「役に立つ以前に面白かったのだ」とおれは考えている。人間は功利によるよりも興味によって動くものだとおれは考えている。
私も、そうであろうと考えていますが。どうも、「功利そのもの」を興味の対象として、追及していく人たちがいて、じゃあ、その場合の「功利」というのが何であるのか(?)というなら、それは周りからの具体的な有形無形の評価だったりする。
(つまり、『名声(注目度)』『昇進(支配欲)』『お金(数字として読み取れる)』を、よりたくさん、得られる事かな?)
本当は、社会システムのひとつである「教育の効率性」を、追求して欲しいんですけどね。
あさかぜさん、すごいですね、エネルギッシュ。ちゃんと、そういう動きをしておられる人たちがいる事は、とても、心強いです。Dルームと言う入れ物を、機能させるのは、結局は「人間」。エネルギーぎれにならないように、上手に、長く続けて、繋げていってくださいね。
(何もできない、タレイヌ)
こんにちは。突然ですが、
私は、脳みそに興味があるのです。
そして、日々、肩凝り解消し、自由で楽しい生活を送ることを夢みている
しょうもない人間かもしれません。
先日、スパスパ人間学で、催眠術の特集をしていました。
あいにく、見逃してしまったので、HPからの情報しか得ることは
できませんでしたが、、、
ふと、思い出しました。
私は、催眠術のCDを持っているのです。
数ヶ月前に、1度聞いたきりのもので、少しのうさんくささを感じたので、
そのままになっていたのですが、また聞いてみることにしました。
今回は、真面目に、、、
それが、おもしろいのです。
起きているけれども、眠っている体といえば、的確なのでしょうか。
術師の言葉通りに、背中が引っ張られる、、顔が笑ったり、、
うそ発見器にかけられるよりも、正直になる。
ナニ、笑ってんの? って感じ。
絶対、誰にも見られたくない。
うちの猫ちゃんなら、見てもいいケド。。。
ハイ。結論。
・・・・・・・・・驚くべき、リラクゼーション。
私の推測。
・・・・・・・・・もんでも、さしても、また固なる。
ありがちな対処法。
・・・・・・・・・運動したら?、、1日6時間以上、1年以上、運動経験アリ、
ハイ。ムリだった。
なんと、肩凝りの隠された原因は、脳みそにあったのだ!!(あくまで推測)
それは、催眠CDを聞いた後の私の肩が証明している。
スパスパによると、体内血流が良くなると書いてあったが、
それだけでは、ないように思ってしまう。
体内血流が良くなる、所謂新陳代謝が良くなることで、肩凝り直るのならば、
サウナに入れば、直ることになる。
どうも、肩凝り脳みそというのが存在していて、脳のどっかに血が通ってなくて、
肩が凝るとしか思えない。
左利きなのに、右ばかり使っていたら使えなくなった。
これは、退化というのか?
聞いた直後、頭痛に苦しめられた。
これは、退化した脳みそが動いているのか?ならば、もっと動くのだ。
私は、訓練と感じた。
その訓練が、肩を柔らかくするのだ。
ダイコンかじらされる訳でもなければ、サルにされる訳でもない。
自己流だから、いいのだ。。。安心。
追伸
興味を持たれた方、紀伊国屋書店に置いてあります。
分からなければ、川上たけしさんの、癒し催眠でお問い合わせをどうぞ。
(注)実験データは、対象者1人となっています。
・・・あくまでも参考です。 ちゃんちゃん
「くるう」というと、この国の人は「罪人」「ばか者」「変質者」ということをどうしてもかんがえてしまうようだが、これは実にしんがいな話だ。東京の山間部にあるとある精神病院に通ずる道路には、「変質者に注意!」などという看板があったりする。病院を脱走した患者さんが、危害を加えないだろうかという地元民の懸念の現われと思える。
「くるうこと」の本質は、自分が信じている世界が揺らいで、恐ろしい・助けて欲しい・苦境を理解して欲しいということではないだろうか?
しかしながら多くの人は、彼らのたどたどしいうめきや果てしなく続く孤独、そして楽しさを共有できないもどかしさに無頓着であり、「ろくでなし!」「でくのぼう!」「ごくつぶし!」といって、世の中の片隅へほっぽって助けようとしない。
僕は何を隠そう今、精神科のディケアに通っている。通ってくる人は分裂病者が多い。みんな親切な人たちだ。今日は公園でのバザーがあったが、ハイパーレキシアで、自動車部品の組み立ての仕事中も本を読んでいて指導員さんに注意されたrさんが、子供たちにおもちゃを売る名店員さんぶりを発揮した。jさんは、ディケアの場となっている民家の周りの掃除の合間に、通りすがりおばあさんとそれはそれは楽しそうにおしゃべりしていた。E氏は調理師になる夢を病気のためにあきらめたようであるが、私たちにとってもおいしいうどんを食べさせてくれた。
この前指導員のLさんから、「『幻視』って見たことある?」と聞かれた。Lさんは幼い時、高い熱を出した際に、自分の上にある神棚が崩れてくるという幻視を見たのだと教えてくれた。Lさんの話では、幻視というのは意識が低下すれば誰にでも起こりうる現象であり、なんであるかを容易に語れるものではないということだ。何かわからないけど、とにかく何か恐ろしいものが見える、それでおびえるというものらしい。ディケアへ通ってくる人の中にも、何かにおのいのいて、色をなくしたり・がたがたと震えたり、空笑いということが見られたが、もしかしたらそんなときに幻視というものを見ているのかもしれない。
思うに「くるう」というのは、一瞬の現象であって、その人の全てを表すものではないのではなかろうか?「くるう」ということにこだわりすぎると、その人のすばらしい長所を見落としてしまうのではないだろうか?
こんばんわです、シンタロウくん。
シンタロウ( ~w~)くん wrote:
> 僕が考えるには、自分の特異性を認めたくない(自分は普通だと
>思い込んでる)ADHDはジャイアン症候群ではないかと思うかも
>しれません(これはあくまでも僕の独断と偏見ですけど、もし間違
>ってたらすみませんm(__)m)そうゆう人が自分より自閉性が強
>く、社会性が劣ってるAタイプの人を虐めたりしているのでしょう。
>それが、こうもりさんが言っている嗜虐性があって病的な自称「健
>常者」の正体ではないかと思います。(これも僕の独断と偏見です
>けど、もし間違ってたらすみませんm(__)m)
話をADHDに限定してしまうことはできないのですが、自分の障害
を認められない障害者がいじめに走ってしまうケースは多いように思わ
れます。わたしが小学生だった頃、いじめられた事もあったし、いじめ
に加担してしまったことがあったことは以前にも話した通りです。とこ
ろが、今から考えると、わたしをいじめたいじめっ子というのは、わた
したちとは全く異質な人間だったのではなく、むしろわたしに近い存在
だったように思えるのです。彼らは診断されていないのではっきりした
ことは分からないのですが、極端な学習不振に陥っている者,他の同級
生の保護者たちが自分の子に「あの子とは関わってはいけません」と言
っているような鼻つまみ者の生徒が多かったと記憶しています。そして
、いじめっ子としてのわたしも極度な学習不振に陥り、他の生徒の保護
者から「なんであいつ(=こうもり)をうちの子供と一緒のクラスにす
るんだ」とか「あいつは障害児学級に入れるべきだ」と言われるような
生徒でした。
そういう意味で、大人でも自分自身が発達障害者であるのに、それを
認めることができなくて、他の発達障害児を徹底的にいたぶるようなタ
イプの人というのはけっこういるのではないか、と思っています。
ひま人さん wrote:
>> 「学校に行きたがらない子どもをむりやりにでも学校に通わせる」ための法律はなく、「学校に行きたがる子どもをむりやりにでも学校に通わせないことを禁じる」法律がある。子どもがどっちを欲しているかは明らかである。
> それは個人個人の子どもによってさまざまでしょう。
ひま人さんは「制度としての学校」と、「“学校”に代表される子どもの知的欲求を満たす場」をごっちゃにしておられる。確かに「学校よりも塾がいい」とか「学校よりもフリースクールがいい」とかいった子どももいるし、「おれは将来熊撃ち猟師になるのだから、山にいるのがいちばんいい」という子どもだっているかもしれん。だが、こういう子どもは「知的欲求がない」から「学校に行きたがらない」わけではあるまい。
子どもの「知りたい」あるいは「(自分が理想とする人間に)なりたい」という知的好奇心や達成欲求は恐るべきものであり、それが欠落した子どもというのはすでにしておれの「子ども」のイメージの外にある。
そんなわけで、「“わかる”ことが嫌いな子どもはいない」というのは教育の大前提であるとおれは思う。
>> これは因果関係が逆だとおれは思っている。教育側が子どものニーズをはき違えているから、子どもは勉強が嫌いになるのだ。
>
> なるほど、としたら、どのような教材を使ってどう指導すれば子どもが勉強に興味をもつようになるのか提案されてはいかがでしょうか。先生たちから感謝されるでしょう。
今から四十年ほど前に遠山啓さんという人が「水道方式」という算数指導のメソッド(べつに国語だろうが理科だろうが応用可能なのだが)を引っさげて登場し、その水道方式に基づいて作られた教科書(『わかるさんすう』)は現場教師に諸手を挙げて歓迎されたのだが、教科書会社と文教族議員によって検定で潰され採択で潰されてとうとう姿を消し、現在では検定を受けない教科書(『みんなのさんすう』)として細々と出版されている。
当時、地域ごとの採択数が一定数を超えなければ採択そのものが行なえない、という制度ができて、「採択数が少数の教科書の排除」が狙い撃ち的に行なわれた。それでも水道方式に基づいた授業をやる教師は少なからずいたのだが、教科書会社からの圧力を受けた学校側に潰された。
ついでながら、義務教育の質は一定でなければならない、といった「信仰」というか「慣例」というかそういうものがあり、コンピュータを導入するにしても全国一斉横ならびでないといけないことになっている。だから、生徒一人一人にコンピュータを使わせてプログラム学習とかさせようと思っても、そういうことは私立の小学校の、それも正規の授業の外でないとできない。
そんなわけで、おれはコンピュータを使ったプログラム学習で算数の教育効率を五倍に上げることを考えている。そうすると、授業の三分の一をサボって家で勉強すれば、算数の授業の時間にずっと内職をしていても(あるいは寝ていても)まっとうな成績で卒業できる。
> そうです。そして授業を「いかにわかりやすく」するかで、教育関係者はみな悩んでいるのではないでしょうか。
おれも「せめてそうあってほしい」と思っているのだが、現実はそうではないらしい。「階級闘争の場」だと思っておるらしい新左翼系教師とかも多いそうだ。
> 学校の成績が良くてもどうしようもない子どももいる。が同時に、学校の成績が悪くてどうしようもない子どももいますが。
「学校の成績が悪いから、どうしようもないのだ」という目で見られるからぐれる子どももいる。同時に、学校の成績が良かったからぐれずに済んだおれのような子どももいる。
> 特有かどうかはともかく、通常学級が完全に適するとは思えませんが(これはいろんなケースがあるのでしょうが)
遠山先生は、「健常児では問題として浮かびあがってきにくいような問題が、障害児には如実に現れてくる。その意味で、障害児はリトマス試験紙のような役割を果たしている」と言っていた。「リトマス試験紙」というたとえはあまり適切とは思えないが、発達障害児が「炭坑のカナリア」の役目を果たしうることは確かなように思う。
>> そもそも学校は子どもに対して「わかる」という楽しみをきちんと提供しているのか? 「学校に行くより塾に行ったほうが楽しい」という子どもが少なからずいることをどう説明するのか?
>
> いろいろあるでしょうが、塾のほうがたいてい少人数制で、学力別の指導がやりやすいということもあるのではないでしょうか。
塾は税金で運営されているわけではない。コスト/パフォーマンスを考えれば、学校はもうちょい努力をするべきなんじゃないんだろうか。
>> 「楽しいこと/気持いいこと」=「悪」ではない。
> それは誤解ですよ。「楽しいこと=悪」などということを書いたつもりはありません。
> この場合は、ASのスペシャルインターレストやこだわり世界を、たんにそれが教育的視点からのみ評定され、これを能力や社会性を伸ばすための材料として利用しようなどと誰かが考えて、本来の楽しみやくつろぎ、カタルシスといったものが壊されることがないようにという意味です。
> ただですねえ、楽しいことばかりしているわけにはいかないでしょう。例えば体力や筋力を強化しようと思えば、腹筋・腕立て伏せ・スクワット・マラソンといったトレーニングをしなければならないように、
> だから楽しんだり遊んだりすること自体はいっこうにかまいませんが、それだけだとつけが回ってくるでしょう。
ソフトウェアの世界では、整列(ソート)・検索(サーチ)・併合(マージ)は腹筋・腕立て伏せ・スクワットに相当すると云われており、確かに嫌われておるのだが、おれには面白くてしょうがなかった。ついでに言うと、腹筋はともかく腕立て伏せとスクワットに関しては中学・高校時代には熱中したもんだ。
>> ジュースがうまくて青汁がマズいという決めつけだって相当に貧困な発想である。渋茶が好きな子どもやジュースより(砂糖の入っていない)麦茶が好きな子どもは珍しくないし、胡瓜やトマトを丸齧りするのが好きな子どもも大勢いる。畑から抜いた大根を水で洗ってバリバリ食うのもなかなかのもので、小学生が喜んでやっておった。
> それはもののたとえですよ。
> そういう人もいるでしょう。たとえばケーキよりも納豆のほうが好きとかいうひとが、、ただそれは変わり者に近いのではないでしょうか(変人が悪いとか劣るという意味ではありません)
確かに麻薬のように身体に悪いモノが心地よいケースは多々あるが、基本的に身体にいいモノは心地よいという経験則がある。納豆なんていうものも、それが食品として定着したということは、なにがしか人間の感性に訴えるものがあったということで、最初っから「これは身体にいいのだ」と思って喰っていたわけではあるまい。
現在、学問として体系化されたものは、「役に立つ以前に面白かったのだ」とおれは考えている。人間は功利によるよりも興味によって動くものだとおれは考えている。
> 最初は熱心に取り組んでいても、なかなか効果が現われないと次第に面倒になってきてしまいには嫌になってくるのが普通ではないでしょうか(これは健常児障害児大人子ども関係なく)
> ここから先は、嫌気がさしてやめてしまうか、辛抱強く訓練を続けるかに分かれてしまいますが、かりにがまんして続けていくにしても、それは生理的に欲しないことを、意識的に(強制的に、鞭打って)自分にやらせるということでしょう(おおげさに言うなら、自分で自分の体に注射をしなければならなくなった糖尿病患者のようなものではないか)。これはつまり、親とか教師といった外部の人間ではなく、自分自身が自分に対する執行官になったということで、いやなことを強制することでは変わりないでしょう。
> さっきの体力強化の例で言えば、たとえば頭を適度に使うのはリラックスしていいことだといったような言い方ができるでしょうが、さらに高度なレベルを目指すのなら、よほど頭脳が優秀な人はともかく、かなりの猛勉強をしないといけないでしょう。そうすると、最初は興味があっておもしろかったものがだんだんと・・・・
> 運動も適度にやるのは、心地よいでしょうが、体力強化のトレーニングになるとどうでしょうか?(僕は腹筋やスクワット・マラソンなどは楽しいと思いませんが)
> それは教材や指導方法がまずいからというなら、楽しく適応能力が向上する教育法というものを提案してほしいものです。
宇宙飛行士のように、人類にとってまったく未知の分野に挑戦するならともかく、学問を含めて文化・文明というのは「そこに人間を駆りたてるモチベーション」があったからこそ文化・文明として(少なくともある程度以上は)存続しているのである。たかだか義務教育レベルの話に、「人間の生理では捉えられないような高度な目的意識がなければ達成不可能なほど高度の純粋精神的努力を要するもの」が含まれているようにはおれには思えん。
はっきり言っていまの学校の教師どもは自分が「勉強」が嫌いなくせに生徒に「勉強」を教えて(あるいは押しつけて)いるのだ。おれは学問が面白いし、その面白さを伝えるのに学校という制度は制約が多すぎる。
おれはキャンプリーダー講習だのなんだのを通じてガキどもとつきあってきたが、その延長で現在の学習指導要領の内容をこなすことに困難を感じない。しかしながら、そのやりかたについて言えば、学習指導要領では規定していない、指導法のレベルで対立がある。とはいえ現場の教師の自由裁量に任せてしまうと、連中は何を教えるか分かったものではないのは広島市だとか国立市だとかの事例を見ればよくわかる。
子どもは大人のオモチャではない。子どもの「わかる」に素直に応える教育をちゃんとやれ、と言いたい。
(Mr.Moto)
武田好史 wrote:
> それともう一つ注意しなければならないのは、「『自閉症』と言う障害を彼自身または親御さんがどのように捉えるのか」ということです。もし彼・あるいは親御さんがが現在深刻なうつ状態であるなら、「そうじゃないかしら」といってしまうことは、ひょっとすると著しいストレスを与えて自殺や無理心中などの深刻な結果を招く可能性もありますので、控えるべきです。
・・・(言葉を失うまるる)
私の母にも「余計なことはするな」と止められているんですよね。
でも何とか様子をみながらコンタクトとれるよう努めてみたいと思います。
武田さん、本当にどうもありがとうございました。
シンタロウ( ~w~) wrote:
>こうもり wrote:
> 僕はずっと前、2ちゃんねるを見てて、「ADHDは健常者だ」というカキコを見つけた事があります。カキコした当人はADHDなのか健常者なのかわからないけど、もし書いた当人が本物のADHDだとしたら、きっと自分の特異性を認めたくないのだろうと思いました。
> 僕が考えるには、自分の特異性を認めたくない(自分は普通だと思い込んでる)ADHDはジャイアン症候群ではないかと思うかもしれません(これはあくまでも僕の独断と偏見ですけど、もし間違ってたらすみませんm(__)m)そうゆう人が自分より自閉性が強く、社会性が劣ってるAタイプの人を虐めたりしているのでしょう。それが、こうもりさんが言っている嗜虐性があって病的な自称「健常者」の正体ではないかと思います。(これも僕の独断と偏見ですけど、もし間違ってたらすみませんm(__)m)
まあこういうケースは、案外多いのではないでしょうか。
私自身前のハンドルネームでは、ときにはかなりの酷評をしましたから、それがきっかけで病状を悪化させてしまった人がいないか、とても気がかりなのですが…
アスペン wrote:
>改名披露後、初めての質問です。
>
>あなたが思うところ、軽度発達障害(AS・LD・AD{H}D)者が、生活しやすい環境とは、どんなものですか?
>またそれを実現させるためには、どのように我々は世の中に働きかけていけば良いと思いますか??
こうもり wrote:
>(2)健常者はわたしたちを人間として扱っていない
>
> 健常者が自閉人と敵対するためにはASなどの自閉スペクトルの存在を
>名前だけでも知っているという前提が不可欠です。しかし、多くの健常者
>は自閉スペクトルの存在を知らないのですから、自閉人と敵対することは
>できないのです。(ただし無関心層が多いというのはそれはそれで問題の
>原因になりやすい)ついでに言えば、自閉スペクトルの存在を知っていて、
>なおかつ自閉人を人間として扱っていない人がいたとすれば、その人が本
>当に「健常者」であるのかどうかはすごく疑問です。むしろ嗜虐性があっ
>て病的な自称「健常者」と考えた方がよくはないでしょうか?
>
僕はずっと前、2ちゃんねるを見てて、「ADHDは健常者だ」というカキコを見つけた事があります。カキコした当人はADHDなのか健常者なのかわからないけど、もし書いた当人が本物のADHDだとしたら、きっと自分の特異性を認めたくないのだろうと思いました。
僕が考えるには、自分の特異性を認めたくない(自分は普通だと思い込んでる)ADHDはジャイアン症候群ではないかと思うかもしれません(これはあくまでも僕の独断と偏見ですけど、もし間違ってたらすみませんm(__)m)そうゆう人が自分より自閉性が強く、社会性が劣ってるAタイプの人を虐めたりしているのでしょう。それが、こうもりさんが言っている嗜虐性があって病的な自称「健常者」の正体ではないかと思います。(これも僕の独断と偏見ですけど、もし間違ってたらすみませんm(__)m)
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