アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
Maria wrote:
“鬼才”コリン・ウィルソン先生(『アウトサイダー』『オカルト』等の著作で有名)の『至高体験』あたりをお読みくださるとよろしいかと思います。たぶん図書館にあります。m(_ _)m
>
う〜ん、コリン・ウイルソンの「至高体験」はまずまず。(これで、彼のファンになった)
「アウトサイダー」でだしは、最高、だけど、どこにもつれて行ってくれなかった。
「アウトサイダーを超えて」う〜ん、盛り上がらず・・・
最初は鬼才と思ったけど
イギリスのオタク、イギリスの荒俣宏という気がする。
クリシュナムルティーを読み出してからは、特にそんな気がする。
(失礼なこと言ってすみません)
ヤモリさんに出すメールなぜか先送り・・・書かねばと思っているのに。
ゆみさん wrote:
> 私の子供は、7歳の男の子です。トゥレット症候群のせいか、アスペルガーのためだけか自傷してしまします。本人は、最近とっても気にしています。「自傷したくないのに、しちゃう。やめたいのに。」と私に訴えます。私もどうにかして助けてあげたい。自傷したくなったら他に対処法は、ないのでしょうか?
自傷行為には、あたしの見るところ、二つのタイプがあります。一つはストレス性の自傷で、もう一つは変性意識状態における無意識の自傷です。
前者はインコやオーム、サルなどでもしばしば見られるのですが、フラストレーションを溜めないこと、というのが重要になってきます。抱きしめてあげたり、マッサージ(得に僧帽筋など)をしてあげるのも効果的です。抗不安剤の投与というのもありますが、子どもにはおすすめしかねます。
後者は、たとえば以下のような例です。
《事例1》
机の上でピンポン玉を手で押さえて、指先から逆回転を与えて弾き出させて、遊んでいました。右へ左に動くピンポン玉を目で追っておりましたが、そのうちに、ピンポン玉は円柱などと違ってどの向きから見ても「円」なんだなー、と考えはじめたあたりから、なんだか記憶が薄い。(中略)その時ふとピンポン玉を口の中に入れてしまっていたのである−飲み込もうと思っていたのか?
その瞬間ふと我に帰った。一瞬青ざめた。何故そんなきたないものを口にしたのか、今考えても分からない。
《事例2》
保母をしている母から聞いた話です。ある3歳児の女の子がガラス窓に右手を突きこみました。しかし、彼女の手から一滴も血が流れず、指の骨がきれいに見えていたそうです。彼女は相当の傷みだったでしょうに泣き声ひとつあげず、じっと自分の手を見た後、突然、隣の窓ガラスに再び突っこみ、直後に大泣きして病院に運ばれていったそうです。
《事例3》
小学生の頃、授業中にカッターナイフの刃を出したりしまったり、カチカチ動かしていました。そのうちに何故か「切ってみよう」と思ってしまいました。で、切ってしまったのです。不思議と傷みはなかったです。切り口からじわーっと血がわいてきて、肉片をカッターナイフでつついていました。ここで、となりの女の子がギャーギャー泣いているのに気付きました。そうすると、我に帰ったのか、強烈に痛くなりました。その時の血の赤い色が強烈に映えていたのを今でも覚えています。
以上は須原一秀(すはら・かずひで)『高学歴男性におくる 弱腰矯正読本 男の解放と変性意識』(新評論)に出てくる例です。
こうした「変性意識」が自傷に結びつく例は、「危険」というものに対する意識が育ってゆく過程にあらわれ、常習化することはあまりないと考えられます。本人が「やめたい」と思っているのなら、自然に治まってゆくのではないでしょうか。
(Maria)
ゆみ wrote:
>7歳の男の子。歩きながら信号機が気になって仕方ない様子。黄色をみてはいけないとか 青になるのを確認するまでその場を離れたくみたい。そのときは、ニコニコしてたり真剣な顔をしているのですが どういうきもちなのかなあ?
自閉症の子は、けっこう道路の信号・交差点というものは、迷ったり・いらだったりするもので、あんがいとっぴな行動・危険な行動を起こし易いです。
私もかなり疲れた状態のとき未だに、信号が青なのに何か横断歩道の渡り口に立ちつくしてしまったり、信号が青になるまで時間がかかるところで、「わたっちゃえ」という人に追随して渡ろうとして、いきなり入ってきた車に轢かれそうになったことがあります。
私が思うところ、子供に信号について教えなくてはならない大切なことは、次の3つです。
1.見なければならない信号は、自分の正面のものである!
2.交差点の場合、信号が青(進め)でも、車が完全に止まっているわけではなく、右折や左折をする車が通るので、それに注意する!
3.自分の今いる交差点の一つの角と対角線の関係にある角に早くたどり着くには、先に信号が青になった横断歩道を渡る。
>あと、できるだけみんなと同じになりたいという気持ちがめばえていて、がんばっているのですが きっと何かが違うような気がしているでしょう。いつか何か言ってあげたいんだけど、イツごろ、どのように言ったらいいのかわからない。
障害の告知は、遅くとも思春期に入る前ぐらいには、行ったほうが良いと思います。そのほうが案外予後が良いでしょう。それを逃すと聞いただけで絶望的になって、引きこもりになったり・暴れてしまったり・慢性的で漠然とした不安にさいなまれたりということがあります。
とはいえ、やはりショックを和らげるために、「それでも、〇〇〇ちゃんは、…とか・…とか…いろいろできるから、私はあなたが好き(^_^)」という感じで、自己肯定感を持たせるような言葉を必ず添えることを忘れてはいけません!
>どうしたら、助っ人になってあげられるかなあ?なんでも相談してくれたらうれしいし、そうしたら何かに事態に、いい対処策が一緒に考えて行けるかも知れないし。たよられるような母親、父親を目指し主人も子供との時間をとってもとっています。どんな母であってあげればいいのでしょうか?たくさんの人の気持ちを教えてほしいですアドバイスも お願いします。
自閉症は「母原病」ではなく、その子の脳の感情制御や注意力・感覚の統合(世の中を認知)・言語の入出力を司る部分が、うまく機能しないためにおこる障害です。
症状の表れ方はマチマチで、10人いればその1人1人が全く異なった症候を見せます。つまり機能が弱い部分が子供によって違うわけです。ある子は黙って車の車輪を回していると思えば、別の子はバスの中で自分のお気に入りの席に座ったおばあさんに激しく抗議したりします。そうまずは、その子の特性を理解することです。
また自閉症児のお母さん方は、とかく回りか孤立しがちです。いろいろな情報を得るためにも、同じような障害を抱えた親御さんとのしっかりとした絆を持ったほうが良いです。
子供の指導・経過については、以下の文献に詳しくまとめられていますので、参考になさってください。
E・ショプラー他著 佐々木正美監訳 「自閉症の治療教育プログラム」 ぶどう社
横浜市自閉症児・者親の会編 「自閉症のらいふステージ」 ぶどう社
パトリシア・ハウイン著 久保紘章・谷口政隆・鈴木正子監訳 「自閉症成人期に向けての準備 能力の高い人自閉症の人を中心に」 ぶどう社
尾崎洋一郎・草野和子・中村敦・池田英俊著 「学習障害(LD)及びその周辺の子供たち 特性に対する対応を考える」 同成社
尾崎洋一郎・草野和子・中村敦・池田英俊著 「ADHD及びその周辺の子供たち 特性に対する対応を考える」 同成社
大きな声では言えませんが,私も車の運転中に事故で死にたくなったりもします。リストカットを卒業できたのは今でいう拒食症で,親に心配してもらってからですね。自傷は否定的な扱いを受けるとひどくなって,受容的な扱いと自然の中の肯定感覚で収まりました。無理にがんばらなければいけないと,自傷しか思いつかなくなったりします。
身体が見つからない
足が着かない
物体に触われない
影が作れない
触れられるなら
塵芥でもいい
感じられるなら
放射線でもいい
草につなぎ止めて
光に結んで
水に浸して
漂うことには疲れたから
実在の波動の中で
眠りたい
私の子供は、7歳の男の子です。トゥレット症候群のせいか、アスペルガーのためだけか 自傷してしまします。本人は、最近とっても気にしています。「自傷したくないのに、しちゃう。やめたいのに。」と私に訴えます。私もどうにかして助けてあげたい。自傷したくなったら他に対処法は、ないのでしょうか?こんなことをやったら、自傷したい気持ちを抑えられた、というような経験談を教えてください。そして本人に障害のことをどのように話をしてあげたらいいのかアドバイスをしてください。そろそろ、周りと違うことを気にしています。
てらば さんへ
いいところが見つかって良かったね。
そこで働けるといいね。
ほんとはそーゆー作業所(特に自閉者向けの)が日本にたくさんあればいいのにね。
ゆみさん wrote:
> 7歳の男の子。歩きながら信号機が気になって仕方ない様子。黄色をみてはいけないとか 青になるのを確認するまでその場を離れたくみたい。そのときは、ニコニコしてたり真剣な顔をしているのですが どういうきもちなのかなあ?
“鬼才”コリン・ウィルソン先生(『アウトサイダー』『オカルト』等の著作で有名)の『至高体験』あたりをお読みくださるとよろしいかと思います。たぶん図書館にあります。m(_ _)m
(Maria)
何気なくインターネットをのぞいて見たら、私にぴったりな精神障害者の作業所を見つけた。
http://www.fujifukushikai.or.jp/
そこは8時30分から17時までみっちり仕事があって、
パンを作ってる。グループホームもあるし、
時給も250円〜だから、お金、内容、時間等、
私の求めている条件が揃ってるし、町田に親戚が住んでいるから、
是非コンタクトを取りたい。
7歳の男の子。歩きながら信号機が気になって仕方ない様子。黄色をみてはいけないとか 青になるのを確認するまでその場を離れたくみたい。そのときは、ニコニコしてたり真剣な顔をしているのですが どういうきもちなのかなあ?あと、できるだけみんなと同じになりたいという気持ちがめばえていて、がんばっているのですが きっと何かが違うような気がしているでしょう。いつか何か言ってあげたいんだけど、イツごろ、どのように言ったらいいのかわからない。どうしたら、助っ人になってあげられるかなあ?なんでも相談してくれたらうれしいし、そうしたら何かに事態に、いい対処策が一緒に考えて行けるかも知れないし。たよられるような母親、父親を目指し主人も子供との時間をとってもとっています。どんな母であってあげればいいのでしょうか?たくさんの人の気持ちを教えてほしいですアドバイスも お願いします。
先日、わしの母親が、わしの勤め先の院長と電話で話をしたと、話してくれました。
以下は母親からの伝聞によるものです。
院長は約二ヶ月前、歯科医師会の業務のため、東京へ行きました。
行きの新幹線の中で、院長は知り合いのドクターと同席し、いろいろと話をしたそうです。
そのなかで、そのドクターは
「私の孫が自閉症なのです。」
と、院長に話したとのこと。
院長はそのドクターのお孫さんの話を聞いて、「自閉症」とは何たるかを認識したそうです。
自閉症に関しては、わし自らがその範疇に含まれる障害を抱えていることを、院長に説明し、かつ診断書もわたしたのですが、その話を聞くまで院長は、
「幼少のころに、いじめを受けたことが原因で、自閉症になった」
と思っていたと言うのです。
少しショックでした……そう思われていたとは。実際わしはいじめを受けてはいましたが、それが直接の原因ではないんですよー。
院長はそのドクターからの話で、自分の思い違いに気づいたわけです。
その後院長は、医院の他のスタッフに対して、自閉症に関する資料を配り、鷲羽丸クンもこういった障害を抱えている、という話をしたとのことです。
「いつの間にそんなことを!?」と一瞬思いましたが、これに関しては、わし自身もいつかは話す必要がある、と常々思っていましたので、腹立たしさは感じませんでした。
しかし、その「話すタイミング」がなかなかつかめずにいました。そんな折、院長のほうからその件について話してくださったので、むしろわしは、院長をありがたく思っています。
まあ、これだけで職場全体に理解されたかどうかは疑問ですが。
少なくとも事情は知ってもらえただけマシと思うべきか 鷲羽丸
こんにちわ。
風呂糸です。
確かにストレスによって肩こりがひどくなることってありますよね。
あと腰痛の原因もストレス・精神的なものによる、と考えて様々な治療法を、
行なっているお医者さんもいるようですね。 (^^)
風呂
シンタロウ( ~w~) wrote:
>こうもり wrote:
>
>> そういう意味で、大人でも自分自身が発達障害者であるのに、それを
>>認めることができなくて、他の発達障害児を徹底的にいたぶるようなタ
>>イプの人というのはけっこういるのではないか、と思っています。
>
> ドラマ「君が教えてくれたこと」にもそうゆう嫌ゃ〜な大人が出てたし。雨宮繭子に陰湿かつ悪質な嫌がらせをしてた。
>
> 僕が中学三年の時、そうゆう女の先生がいて、いつも僕を目の敵にしていました。僕がちょっとした失敗をすると(例えばノートを忘れただけで)そのセンコーは俺にたくさん宿題を出してきて・・・・・・・・・・・・・・
>
> 今思えば殺してやりたいほど憎いです。土下座して謝れ!!!!!!!!!!俺の青春を返せ!!!!!!!!!!俺の自尊心を返せ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
全くだ!こんなバツは子供にやらせてはいけないという法律でも作らなきゃダメなのかな。
ユリノキの みどり花見て 思いけり
こんなカップで 友と茶飲みと
こうもり wrote:
> そういう意味で、大人でも自分自身が発達障害者であるのに、それを
>認めることができなくて、他の発達障害児を徹底的にいたぶるようなタ
>イプの人というのはけっこういるのではないか、と思っています。
ドラマ「君が教えてくれたこと」にもそうゆう嫌ゃ〜な大人が出てたし。雨宮繭子に陰湿かつ悪質な嫌がらせをしてた。
僕が中学三年の時、そうゆう女の先生がいて、いつも僕を目の敵にしていました。僕がちょっとした失敗をすると(例えばノートを忘れただけで)そのセンコーは俺にたくさん宿題を出してきて・・・・・・・・・・・・・・
今思えば殺してやりたいほど憎いです。土下座して謝れ!!!!!!!!!!俺の青春を返せ!!!!!!!!!!俺の自尊心を返せ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
こうもり wrote:
> そういう意味で、大人でも自分自身が発達障害者であるのに、それを
>認めることができなくて、他の発達障害児を徹底的にいたぶるようなタ
>イプの人というのはけっこういるのではないか、と思っています。
ドラマ「君が教えてくれたこと」にもそうゆう嫌ゃ〜な大人が出てたし。雨宮繭子に陰湿かつ悪質な嫌がらせをしてた。
僕が中学三年の時、そうゆう女の先生がいて、いつも僕を目の敵にしていました。僕がちょっとした失敗をすると(例えばノートを忘れただけで)そのセンコーは俺にたくさん宿題を出してきて・・・・・・・・・・・・・・
今思えば殺してやりたいほど憎いです。俺の青春を返せ!!!!!!!!!!
Mr.Motoさん wrote:
>ひま人さん wrote:
> 塾は税金で運営されているわけではない。コスト/パフォーマンスを考えれば、学校はもうちょい努力をするべきなんじゃないんだろうか。
そう思います。
> 現在、学問として体系化されたものは、「役に立つ以前に面白かったのだ」とおれは考えている。人間は功利によるよりも興味によって動くものだとおれは考えている。
私も、そうであろうと考えていますが。どうも、「功利そのもの」を興味の対象として、追及していく人たちがいて、じゃあ、その場合の「功利」というのが何であるのか(?)というなら、それは周りからの具体的な有形無形の評価だったりする。
(つまり、『名声(注目度)』『昇進(支配欲)』『お金(数字として読み取れる)』を、よりたくさん、得られる事かな?)
本当は、社会システムのひとつである「教育の効率性」を、追求して欲しいんですけどね。
あさかぜさん、すごいですね、エネルギッシュ。ちゃんと、そういう動きをしておられる人たちがいる事は、とても、心強いです。Dルームと言う入れ物を、機能させるのは、結局は「人間」。エネルギーぎれにならないように、上手に、長く続けて、繋げていってくださいね。
(何もできない、タレイヌ)
こんにちは。突然ですが、
私は、脳みそに興味があるのです。
そして、日々、肩凝り解消し、自由で楽しい生活を送ることを夢みている
しょうもない人間かもしれません。
先日、スパスパ人間学で、催眠術の特集をしていました。
あいにく、見逃してしまったので、HPからの情報しか得ることは
できませんでしたが、、、
ふと、思い出しました。
私は、催眠術のCDを持っているのです。
数ヶ月前に、1度聞いたきりのもので、少しのうさんくささを感じたので、
そのままになっていたのですが、また聞いてみることにしました。
今回は、真面目に、、、
それが、おもしろいのです。
起きているけれども、眠っている体といえば、的確なのでしょうか。
術師の言葉通りに、背中が引っ張られる、、顔が笑ったり、、
うそ発見器にかけられるよりも、正直になる。
ナニ、笑ってんの? って感じ。
絶対、誰にも見られたくない。
うちの猫ちゃんなら、見てもいいケド。。。
ハイ。結論。
・・・・・・・・・驚くべき、リラクゼーション。
私の推測。
・・・・・・・・・もんでも、さしても、また固なる。
ありがちな対処法。
・・・・・・・・・運動したら?、、1日6時間以上、1年以上、運動経験アリ、
ハイ。ムリだった。
なんと、肩凝りの隠された原因は、脳みそにあったのだ!!(あくまで推測)
それは、催眠CDを聞いた後の私の肩が証明している。
スパスパによると、体内血流が良くなると書いてあったが、
それだけでは、ないように思ってしまう。
体内血流が良くなる、所謂新陳代謝が良くなることで、肩凝り直るのならば、
サウナに入れば、直ることになる。
どうも、肩凝り脳みそというのが存在していて、脳のどっかに血が通ってなくて、
肩が凝るとしか思えない。
左利きなのに、右ばかり使っていたら使えなくなった。
これは、退化というのか?
聞いた直後、頭痛に苦しめられた。
これは、退化した脳みそが動いているのか?ならば、もっと動くのだ。
私は、訓練と感じた。
その訓練が、肩を柔らかくするのだ。
ダイコンかじらされる訳でもなければ、サルにされる訳でもない。
自己流だから、いいのだ。。。安心。
追伸
興味を持たれた方、紀伊国屋書店に置いてあります。
分からなければ、川上たけしさんの、癒し催眠でお問い合わせをどうぞ。
(注)実験データは、対象者1人となっています。
・・・あくまでも参考です。 ちゃんちゃん
「くるう」というと、この国の人は「罪人」「ばか者」「変質者」ということをどうしてもかんがえてしまうようだが、これは実にしんがいな話だ。東京の山間部にあるとある精神病院に通ずる道路には、「変質者に注意!」などという看板があったりする。病院を脱走した患者さんが、危害を加えないだろうかという地元民の懸念の現われと思える。
「くるうこと」の本質は、自分が信じている世界が揺らいで、恐ろしい・助けて欲しい・苦境を理解して欲しいということではないだろうか?
しかしながら多くの人は、彼らのたどたどしいうめきや果てしなく続く孤独、そして楽しさを共有できないもどかしさに無頓着であり、「ろくでなし!」「でくのぼう!」「ごくつぶし!」といって、世の中の片隅へほっぽって助けようとしない。
僕は何を隠そう今、精神科のディケアに通っている。通ってくる人は分裂病者が多い。みんな親切な人たちだ。今日は公園でのバザーがあったが、ハイパーレキシアで、自動車部品の組み立ての仕事中も本を読んでいて指導員さんに注意されたrさんが、子供たちにおもちゃを売る名店員さんぶりを発揮した。jさんは、ディケアの場となっている民家の周りの掃除の合間に、通りすがりおばあさんとそれはそれは楽しそうにおしゃべりしていた。E氏は調理師になる夢を病気のためにあきらめたようであるが、私たちにとってもおいしいうどんを食べさせてくれた。
この前指導員のLさんから、「『幻視』って見たことある?」と聞かれた。Lさんは幼い時、高い熱を出した際に、自分の上にある神棚が崩れてくるという幻視を見たのだと教えてくれた。Lさんの話では、幻視というのは意識が低下すれば誰にでも起こりうる現象であり、なんであるかを容易に語れるものではないということだ。何かわからないけど、とにかく何か恐ろしいものが見える、それでおびえるというものらしい。ディケアへ通ってくる人の中にも、何かにおのいのいて、色をなくしたり・がたがたと震えたり、空笑いということが見られたが、もしかしたらそんなときに幻視というものを見ているのかもしれない。
思うに「くるう」というのは、一瞬の現象であって、その人の全てを表すものではないのではなかろうか?「くるう」ということにこだわりすぎると、その人のすばらしい長所を見落としてしまうのではないだろうか?
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