アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re: 全国小中学校教師に発達障害児セミナーを!(Re: 架空の敵) 12452へのコメント
No.12453  Thu, 16 May 2002 21:26:02 +0900  アスペン [この発言にコメントする]

夢 wrote:
>私は中学の教師です。クラスにアスペルガーと診断された生徒(中1男子)がいます。
>この子のためにクラスの子や教師がどう関わっていったら一番いいのかご意見をください。

 ASの子にとって、思春期というのは最も過酷な時期です。「子供のままでいたい!」という無垢な自己と、「そんなの、イイカゲン分かってくれよ…もう大人なんだから!」という周囲のクールな反応が、いっそうその子の「風変わりさ」に拍車をかけてしまいます。
 この時期にしっかり考えさせたほうが良いのは、だいたい次の三つです。

1.人との接し方のルール。
2.自分の個性をどう生かすか?
3.自分の心身ををいかにして守るか?

 あと接し方で一番注意すべきは、「…ばかりだ…」「しっかしろ!」「こんなことも分からんのか!」というあら捜しをするよりも、彼のいいところを発掘する努力をして、「よくやった!」「ありがとう!」「今日はがんばれたね…」と1日1個でいいから誉めてやってください。
 これをやるだけで、将来私のような「引きこもり者・世捨て人」といった人物になるリスクは、大きく減らせるでしょう。


Re: 全国小中学校教師に発達障害児セミナーを!(Re: 架空の敵) 12451へのコメント
No.12452  Thu, 16 May 2002 16:29:02 +0900  夢 [この発言にコメントする]

私は中学の教師です。クラスにアスペルガーと診断された生徒(中1男子)がいます。
この子のためにクラスの子や教師がどう関わっていったら一番いいのかご意見をください。


Re: 全国小中学校教師に発達障害児セミナーを!(Re: 架空の敵) 12438へのコメント
No.12451  Thu, 16 May 2002 16:25:41 +0900  夢 [この発言にコメントする]

りげる wrote:
>アスペンさん wrote:
>>> 僕が中学三年の時、そうゆう女の先生がいて、いつも僕を目の敵にしていました。僕がちょっとした失敗をすると(例えばノートを忘れただけで)そのセンコーは俺にたくさん宿題を出してきて・・・・・・・・・・・・・・
>>>
>>> 今思えば殺してやりたいほど憎いです。土下座して謝れ!!!!!!!!!!俺の青春を返せ!!!!!!!!!!俺の自尊心を返せ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
>>
>>全くだ!こんなバツは子供にやらせてはいけないという法律でも作らなきゃダメなのかな。
>
>私もそう思います。忘れ物が多いのを理由に、一人の子にだけ
>宿題を増やすのは、明らかに差別です。
>
>発達障害を知らない教師が多すぎる、これが根底的な問題だと思います。
>もしシンタロウ君が憎んでいる女教師が、発達障害に理解のある人
>であったら、こんな罰は与えなかったでしょう。
>全国小中学校の教師全員に、発達障害児の存在を知らせるセミナーを
>開催し、必ず受けさせる制度を確立するか、また大学の教育学部での小中学校の
>教員免許取得に「発達障害学」なるものを必須とする必要性を感じます。
>文部科学省よ、高校に情報担当の教師を一人置くより、連邦市民の子供
>たち(発達障害児)にとっては、教師に発達障害セミナーを受講させる
>方が、早急な問題だよ。発達障害児に理解を深める対策を、はよ行って
>下さいな!


自閉症
No.12450  Thu, 16 May 2002 07:28:29 +0900  アスペン [この発言にコメントする]

 ある人は訳もないのに、金切り声を上げているかもしれない。
もしかするとそれは、あなたの服の怖い絵柄にびっくりしたり、あなたに聞こえないかすかな音が耳障りで困っているのかもしれない。
 ある人はあなたに「席を譲れ!」と抗議するかもしれない。
そこが彼にとっての、ベストポジションだから…
 ある人は急に笑い出すかもしれない。
昨晩のテレビがおもしろかったから。
 ある人はサングラスをかけているかもしれない。
蛍光灯という有害な照明から、目を守るために。
 ある人はとても物知りかもしれない。
本を読むのが最大の娯楽だから。
 ある人はオウム返しをするかもしれない。
あなたのいった言葉が目新しいから。
 ある人はいきなり意味の分からない言葉をいうかもしれない。
頭の中に浮かんだ嫌な考えをリセットしたいのか、その言葉しか自分の世界を正確にあらわせる言葉がなかったからかもしれない。
 ある人は深刻なうつ状態かもしれない。
自分を理解してくれ・鏡になってくれる友達がいないから。
 ある人は会社に入るのをかたくなに拒むかもしれない。
そこはスピードとイジメとタバコで心身ともぼろぼろにされる、恐ろしいところだと信じ込んでいるから。
 ある人は一生車というものを運転しないかもしれない。
注意力のない自分が10年間車を運転すれば、1000人の人を交通事故死させてしまうことをよくわきまえているから。


仕事について
No.12449  Wed, 15 May 2002 09:33:18 +0900  Maria [この発言にコメントする]

 「システムエンジニアという仕事がなぜ自分に向いているか」と考えたときに、「特定の“誰か”のことを考えないで済む」という理由に思い当たりました。

 システム設計においてあたしたちが考える「人間」像というのは、すなわちユーザーでありオペレーターであり、ときにプログラマーであるあたしたちです。で、それは“そうあってほしい”人間ではなく、“不本意ながらそうある”人間だったりするのですね。

 そんなわけで、システムエンジニアは「人間が犯しそうな(つまりは、ありがちな)ありとあらゆるミスのパターン」を想定し、それに対する防御策を講じるというのが、入力設計の要諦だったりするわけです。

 ……あんまり嬉しくないけどこれは強いぞ(^_^;)。

 で、日常業務においてもプログラミングという「ほんの些細なミスが命取りになりかねない」仕事をしてるものだから、あたしたちには人間というものに対する鞏固(きょうこ)な不信感(普通の意味での「不信感」ではなく、人間は勘違いをし、ミスをするものだという意味での)を持ち合わせています。で、そのミスを避けるためにあらゆる防護策を講じ、チェックにチェックを重ねる仕事のスタイルというのが身についていたりします。

 こういう仕事のやりかたに、イライラする人がいます。「理想を掲げ、それに向かって進む」ということの意味をはき違えて、「理想的な人間像」を想定し、他人がそうでないこと、そうあろうとしないことにイライラする人。で、そういう人は、他人を叱りつけ、追い立て、失敗を招き、破滅をもたらします。

 システムエンジニアには、こういう人はあんまりいません。特に、有能なシステムエンジニアには。なぜかといえば、システムエンジニアリングとは「不完全である人間が、完全なものを作り出すための技術」だからです。

 人為的なものにせよ、偶発的なものにせよ、ちょっとやそっとのトラブルではびくともしないような、「強靱さ(ロバストネス)」を持ったシステムの中で仕事をするぶんには、あたしたちもそれほどハンディキャップを感じることはありません。航空宇宙産業や軍事の世界には、こうしたシステムを構築するノウハウがけっこう豊富に存在したりします。

 あたしたちにとって働きやすい職場というのも、やりようによっては可能なんじゃないか。で、そうした職場というのは、障害者や外国人にとっても働きやすく、その意味ではいろいろと発展性があるんじゃないか。

 あたしはそう考えています。

 (Maria)


Re: てらばさんへ 12445へのコメント
No.12448  Wed, 15 May 2002 09:01:47 +0900  てらば [この発言にコメントする]


>町田市のその作業所の関係の「ひあたり野津田」という所が、私の家の近くにあります。周りは、山の中で、自然がいっぱいの、静かな所です。人気の無い静かな所です。近くには、大きな公園もあって、環境はとっても良いです。私は、町田市のひあたり野津田の近くに住んでいるので、良かったら、何でも聞いて下さい。
先ほどメールもしましたが、心強いメールありがとうございます。

これからいろいろとよろしくお願いします。
>
>truthより


Re: 漂流(ソネット40) 12431へのコメント
No.12447  Wed, 15 May 2002 08:21:51 +0900  星子 [この発言にコメントする]

吟遊詩人 さんwrote:
>身体が見つからない
>足が着かない

ズレますが・・・・,思い付いた事を・・・。
デミアン・ハースト(だったけナ)というドイツ(だったっけナ)
現代アーティストがいます。
彼の作品に宙に浮いた銀球体の作品があるのですが、
「宙に浮くことはすごいことだ」
と言っています。
改めてすごく実感として感動しているようでして、
それをソノマンマ、ストレートに創りだしたのは彼一人。
球体が浮いている。

牛のホルマリン漬けよりそっちの方に惹かれる私。


Re: 架空の敵 12419へのコメント
No.12446  Wed, 15 May 2002 19:32:07 +0900  星子 [この発言にコメントする]

シンタロウ氏( ~w~) wrote:
>こうもり 氏wrote:
>> そういう意味で、大人でも自分自身が発達障害者であるのに、それを
>>認めることができなくて、他の発達障害児を徹底的にいたぶるようなタ
>>イプの人というのはけっこういるのではないか、と思っています。
>
> ドラマ「君が教えてくれたこと」にもそうゆう嫌ゃ〜な大人が出てたし。雨宮繭子に陰湿かつ悪質な嫌がらせをしてた。
>
> 僕が中学三年の時、そうゆう女の先生がいて、いつも僕を目の敵にしていました。僕がちょっとした失敗をすると(例えばノートを忘れただけで)そのセンコーは俺にたくさん宿題を出してきて・・・・・・・・・・・・・・
>
> 今思えば殺してやりたいほど憎いです。俺の青春を返せ!!!!!!!!!!

こんばんわ。星子です。
私は大学の同じ制作室で、
いつもいつも高い声で喋っている一見ADHDっぽい年上(26か。)の女生徒から
「私はこどもの時に喋らなかったから自閉症と思われたのよ!」
と他の話しをしていても、
何故かそこへたどり着くというパターン被害に逢っていました。

皮肉なことに、
その頃自分が紛れも無い自閉症者であることを知り、
さらに皮肉なことに、
そのいつもピーピー(ヒステリー気味)とうるさい気味の女生徒は、
ちゃんとした自閉症スペクトラムの知識をまったく知っていなかったのでした。

私はその頃、「ああ・・・これが自閉か・・・」とちょうど
ドラマ「君が教えてくれたこと」もやっていて、
自分が何か人と違っていることにすごく驚いてて悩んでいる状態の上に
毎回その「私は自閉症と思われたのよ!自閉症だよ!」なんて
声を浴びせられてたのですごく苦しかったです。

結局大学中退したんですが、
後に「私がいじめたから?」なんて携帯で言われたのですが、
「馬鹿じゃねえの?この女・・・いい年して・・」
と呆れた。

自分で「ああ、此処にいても無駄だな」と測って自主退学し、
引き続きバイト見つけた時の方が安定期を迎えらてたし
好きな時に絵は続けているので
今の方が安定してると思っている。
その人に合う環境(能力を出し易い環境)って人それぞれですよね。

「青春返せ!」・・・とは思わなかったけど、
他人が描いた作品を
「こんな所に置きっぱなしにしている片づけない奴がいけないんだ」と
足で踏んづけたりしている23にもなった男がいたり、
「あほか!人が折角描いたものをそんなことしちゃダメ。」
と片づける私に向かって、
「わあぁ〜。ちゃんとした大人が居るぅー。」というピーピー26女。

環境荒んでいる学校辞めて良かったって思ってます。
スピードについて行けないし、カラダ壊すしオロオロだし
居るだけなんだか損なようだった。

返して欲しいのは、むしろ汚いものを見てしまったようなこのイヤ〜な汚染
されたようなこころをもとに返却して欲しいです・・・。

変なこどもみたいな大人、今は本当に多いと言われていますが、
私もその一部なんだろって思う時、
「どうして先天性の発達障害なんか持ってるんだろう・・」とすごく悔しい。


てらばさんへ 12427へのコメント
No.12445  Wed, 15 May 2002 18:46:10 +0900  truth [この発言にコメントする]

てらば wrote:
>何気なくインターネットをのぞいて見たら、私にぴったりな精神障害者の作業所を見つけた。
>
>http://www.fujifukushikai.or.jp/
>
>そこは8時30分から17時までみっちり仕事があって、
>パンを作ってる。グループホームもあるし、
>時給も250円〜だから、お金、内容、時間等、
>私の求めている条件が揃ってるし、町田に親戚が住んでいるから、
>是非コンタクトを取りたい。

町田市のその作業所の関係の「ひあたり野津田」という所が、私の家の近くにあります。周りは、山の中で、自然がいっぱいの、静かな所です。人気の無い静かな所です。近くには、大きな公園もあって、環境はとっても良いです。私は、町田市のひあたり野津田の近くに住んでいるので、良かったら、何でも聞いて下さい。

truthより


あの子のように・・・(自作の詩です)
No.12444  Wed, 15 May 2002 18:27:58 +0900  RIEKO [この発言にコメントする]

頼りなくて ちっぽけで弱い私

自信が無くて 迷ってばかり・・・

「あの子のように なれたら・・・。」と

叶わないこと 願ってた

でも もうそれは 望まない

こんな 私でも ワルくはないと

初めて 気がついたから


「わかる」について。
No.12443  Wed, 15 May 2002 15:12:21 +0900  オレンジケーキ [この発言にコメントする]

 遅くなりましたが、数日前の武田さんの「わかる」についてのコメントです。
 まず、「判る」と「解る」は常用漢字表では認められていない訓なので、使用頻度が少ないといえそうです。
 常用漢字表というのは、昭和56年に内閣告示されたもので、一般の社会生活における漢字使用の目安とされており、1945字が掲げられています。この表は、あくまでも日本語表記の一応の基準(目安)ですので、表以外の漢字の使用を禁止したり、制限しているわけではありません。
 以上のことを踏まえた上で使い分けるとしたら、
 ・「分かる」→事情について。例文)結果が分かる。どうなるか分からない。
 ・「判る」 →分別がつく。 例文)善悪が判る。男か女か判る。
 ・「解る」 →意味がわかる。例文)よく解らない文章。英語が解る。

のような感じでしょうか。それから、武田さんが書いていたように、「判る」は「判断できる」に、「「解る」は「理解できる」に置き換えられると思います。
 でも、いまいち境界線がはっきりしてないので、使い分けが難しいですよねぇ。。。
 で、結論としては、「分かる」は全てに対応できる漢字ですので、迷ったときには「分かる」を使用すれば良いと思います。


Re: 自傷の対処法をアドバイスして! 12430へのコメント
No.12442  Wed, 15 May 2002 09:23:00 +0900  まるる [この発言にコメントする]

ゆみ wrote:
>私の子供は、7歳の男の子です。トゥレット症候群のせいか、アスペルガーのためだけか 自傷してしまします。本人は、最近とっても気にしています。「自傷したくないのに、しちゃう。やめたいのに。」と私に訴えます。私もどうにかして助けてあげたい。自傷したくなったら他に対処法は、ないのでしょうか?こんなことをやったら、自傷したい気持ちを抑えられた、というような経験談を教えてください。そして本人に障害のことをどのように話をしてあげたらいいのかアドバイスをしてください。そろそろ、周りと違うことを気にしています。

チックは強く意識させると一時的には止められるのですが、叱責は長期的な悪化を
もたらすことがほとんどです。治療教育的配慮や心理的サポートにより、チック症状を起こさざる得ないようなストレスが軽減されなければ、改善は望みがたいと
考えるべきです。*高機能自閉症アスペルガー症候群入門*より抜粋
してはいけないというストレスがさらなる悪化を招くことも考えられるので
当面はアスペンさんのいうように”やっていいレベル・場所などを決めて同意を得るようにします。(禁止はしない)”ということにし、本来の原因を探り、それを取り除くことが肝要かと思います。


CHEERS!!!
No.12441  Tue, 14 May 2002 18:19:36 +0900  あんく [この発言にコメントする]

 ただいま!あんくです。
 1か月のイギリス留学より戻って参りました。
 もー当分、海外は懲り懲りって感じかな。といって日本にも居たくないしな…ぼそり。

 私の居た学校は、韓国人が最も多く、次いでスイス人、日本人というところでした。マイノリティとしては、台湾人、香港人(中国と香港は未だに外国同士といった雰囲気が根強いみたい?)、ブラジル人、スロヴァキア人、リビア人など。
 おそらく日本人、出発前はきっと、教師なり留学マニュアルなり何なりに、「日本人同士で群れたりするな!色々な国の人となかよくなりなさい」とケッパられて来てるはずだし、実際、日本人がいちばん努力していると思うんですよ。でも結局は、ほとんどあきらめて同国人同士でグルーピングするということになる。
 すべての“民族”と交流をはかろうとすると、浮き上がってしまうのは、何国人にも共通することみたい。別にイジメとかキラワレ者になるということでもないのだけれど、「お前、どっち側なんだよ」の「コウモリ(こうもりさん失礼します)」状態になってしまう、暗黙の雰囲気があるってこと?なんか微妙な…

 スイス人は、もしかして今の日本人以上にシャイなのかしら。なにか言いたげに、こちらをチラチラチラチラ見てはいても、けして自分からは話し掛けようとはしないのね。特に相手が東洋人である場合には。
 でも目と目が会うとニッコリとするのは、我々にはない、ヨーロッパの人々のよい風習だと私は思う。あいさつ以上の好意ではないであろうにしても。要はこちらの方から、話し掛けやすい態度を取ってあげることが、むこうに「あなたを歓迎します」というこちらの意思を汲み取らせてあげることになるみたい。
 韓国人は、さかんに話し掛けてはくるんだけれど、なにか誤解があると、「相手の発音がマズイから、こちらが聞き違えてしまうんだ」と、他罰傾向がある気がするのね。学校の校則で、‘校内では英語を使いましょう’とあるのもお構いなく、休み時間は韓国人同士で堂々と韓国語を話す。ストレス溜まるのは分かるんだけれど。
 こんな風に書くと、ひどくマイペースで粗野な国民性があるように思えてしまうだろうけれど、日本と韓国はやっぱり隣人同士で、彼らの英語を聞いていると、日本人が使う英語にとてもよく似ている気がした。価値観もよく似てるし(‘Where are you from?’と尋ねられて日本人だと答えたら、それきりプイッと横を向いたきりの女の子がいた。何人かと尋ねたら、タイワニーズだという。なんか30年前ぐらいまでの日本人みたいな精神状態にあるのか?そういう台湾人ばかりとは限らなかったが)。クラスで仲良くなった子に、
 「ヨーロッパ人て何かというと必ず、‘Why?Why?’って、動機の明示を要求してくるから、ちょっと疲れるんだよね。きっと理屈っぽい国民性なんだと思う」と言ったら、「そうなのよ!私もそう思う!」と共感してくれた。なんだか彼女が、ほんとは日本人なのに、韓国人のふりをしているだけなんじゃないかって思えてきた。なのにお互い(英語でないと)言葉はまったく通じない不思議を実感できた。バベルの塔の伝説は真実なのだという気がして仕方がない。

 こんなふうに書けば、あんくという人間は、コミュニケーション能力において、何ら不自由のない人間に思われてしまうかもしれないけれど、実際はバカ丸出しの連続で、ボロ出してばかりの留学体験でした(^_T)。
 留学生活が2週間ほど経ったある日のこと、同じクラスのリビア人のMerida(仮名)(彼女、24才なのだけれど、結婚していて、精神年齢は私よりひとまわり以上も上って気がした。しかし戒律によって自由に外出したりできず、学生たちと思うように交流できないのは、健常者である彼女にとって、なにより辛いことだったろう。でもそういう彼女の“やむを得ない、認められている理由があって他人と交流できない”っていう事情は、この私の目には、とてつもなく羨ましく映った!)から、「あんく、あなたこの学校来て外国人か日本人の友達、できた?」と尋ねられた。
 またもや「ともだち」の話!その時の私の耳には、彼女の言葉が、おきまりの「あんた、友達いないんじゃない?(=お前は性格が悪いから友達ができないのだろう、だから私はこれからお前を嫌うことにする)」という人格攻撃にしか聞こえてなかった。だもんだからそういう質問には、表面的には慣れっこだったから、なかばヤケ気味に、‘I found that European people is good chatter, 'cause They're always talking, but I have no skill for talking(はいそのとーりでございます)’と答えた。Meridaは私の顔を見ていたけど、でもなにも答えなかった。

 話はズレるけどいやまあイギリス人ってとにかくよくしゃべるしゃべる、それこそシェークスピアの劇みたく、四六時中しゃべっているのよ。路上だろうがパブだろうが景勝地だろうがどこでもみんなおんなじ、イギリスの食事は最低だって、みんなよくボヤくけれど、彼らにとって味だの環境だの、どうでもいいことらしい。とにかくみんな集まっての、おしゃべりによるコミュニケーションこそが絶対!最高に楽しくって居心地いい!と、信じて疑ってない国民性なんだろうな。夢中でしゃべりまくっていて、まわりの景色なんて覚えているんだろうか?
 そもそも彼ら、いったい何しゃべってるんだろう?なにをそこまでしゃべる必要があって、よほど話題豊富な人々なんだろうなと、彼らの話に耳傾けてみるんだけれど、けっきょく大したことしゃべってないのね(笑)。もちろん深い話もするときはあるんだろうけれど、庭の話なら庭の話、天気の話なら天気だけで、ひとつの話題を10分は引っ張る。話が尽きたらまた以前の話を持ち出す。「しかしあれはああだったよなあ〜」なんて、でも幼いときからそうした大人たちを見て自然に身についてくる、ひとつの技術なんだろうけれど。
 たとえ使い古された話題であっても、「もう聞き飽きました」「そんな誰でも言いそうなこと言わないでください」なんて態度取ったら終わっちゃう。すくなくとも誰かといる間は、話し声を途切れさせてしまうほうが、彼にとってはるかに非礼極まりないことだと感じる。沈黙こそがなにより怖い。だからあたかもそれがフレッシュな話題であるかのようにみんなで協議してやまない、それこそが最上の社会的態度なのだってところかな。
 だからイギリス人となかよくなるには、とにかくしゃべりまくることみたいだ。もちろん彼らの多くは健常者、“奇異”で“一方的”なのは敬遠されるんだろうけれど(それでも緘黙よりはましなんだろうな)、たとえ英語できなくとも“話好き”でさえあれば、大丈夫怖いものはない、あなたぜひイギリスへ行ってらっしゃいと、私だったらお勧めする。
 たとえばライヴハウス行って、はじめのうちは「何だコイツ」っていう目で見られても、メゲずに「自分はほんとうに音楽が好きなんだ」ということをわかってもらえるまで食い下がれば、「ああコイツとなら長く友達でいられそうだな」と思ってもらえる。このプロセスは、対日本人よりずっと保証できると思う。ってこれは聞いた話なんですけどね(^_^;)。

 話を戻して、でもともかくリビア人の彼女は、私に敵意を向けたわけではもちろんなかった。滞在中、私は32才の誕生日を迎えたが、クラスのみんなが寄せ書きしてくれたバースデーカードには、‘Your friend, Merida’という文字があった。私のあの言葉を気にしていてくれたのだろうか。もちろんこれは同情なんかじゃなくて、私と友達になりたいと思っていてくれていたんだろうと、私は思う。保証できる、彼女はそういう人だ。あそこじゃみんな不安なのはいっしょだし、助け合わなくちゃってことでもあるんだろうけれど。彼女に対してあんな無作法な答え方しかできない人間が、あのときあんなところに居て、なんともにがにがしく、すまなく思ってる。でもありがとうMerida。他ののみんなも。他のたいていのことがそうであるように、ことばでも文字でも語り尽くせないことだけれど。

 イギリスではしゃべれない人は、一体どこにいて、どこに行くのだろうか。 

 ‘No talking…No friends…No place…’留学中は、そんな言葉が何度も頭を横切っていた。


自傷の対処法 12430へのコメント
No.12440  Tue, 14 May 2002 11:09:55 +0900  [この発言にコメントする]

 広義には,病気や事故などの否定的現象は無意識の望みであって,意識との分裂が問題だといえます。本来あるはずの救いを受けることができずに,苦しみの中に閉じこもることで感覚を麻痺させるという奇妙な対処法が随分と一般化しています。みんなそうだから慣れてしまえばというわけにはいきませんね。押し込められた無理は,脆弱な個体,繊細な感性が担わされるのです。
 我が子を護りたいという意志は,仏の本願の一つのあらわれだと云えます。自然に生じる愛情は,搾り出して作れるものではありません。至らぬことはあっても,愛の本源の大きさを信じて,それを育ててください。当面,薬が有効かもしれませんがその場合も,薬の必要な悪い存在という不運感は持たないようにしましょう。この世の苦しみを,身をもって癒していく尊い存在です。


数の指導
No.12439  Tue, 14 May 2002 10:51:05 +0900  Maria [この発言にコメントする]

 就学前から「1から100までの数え上げ」を習得させようと、お風呂で数を数えさせるとかやっている親御さんがいたりするのだけれど、「あれは、いかがなものか」と思う。

 「一・二・三・四・五」は、「イチ・ニ・サン・シ・ゴ」。

 だけど、「一人・二人・三人・四人・五人」は、「ひとり・ふたり・サンニン・よニン・ゴニン」。
 「一個・二個・三個・四個・五個」は、「イッコ・ニコ・サンコ・よんコ・ゴコ」。「四個」「七個」を「シコ」「シチコ」ということはあんまりなくて、普通は「よんコ」「ななコ」。

 「ひとつ・ふたつ・みっつ・よっつ……」ときて、十個は「とお」。これを昔から「つ離れ」「つ抜け」といい、「十」と書いて「つなし(つ無し)」と読む姓もあります。

 これ以外にも、「一本」「八本」は「イッポン」「ハッポン(ハチホン)」「三本」は「サンボン」など、規則的な音韻変化というものがあり、けっこうこういう部分で子どもは混乱したりもします。

 いろんなものを一から十まで数えて、その中から規則性・不規則性を気付かせるほうが、教育上はいいように思います。

 (Maria)


全国小中学校教師に発達障害児セミナーを!(Re: 架空の敵) 12422へのコメント
No.12438  Tue, 14 May 2002 07:59:38 +0900  りげる [この発言にコメントする]

アスペンさん wrote:
>> 僕が中学三年の時、そうゆう女の先生がいて、いつも僕を目の敵にしていました。僕がちょっとした失敗をすると(例えばノートを忘れただけで)そのセンコーは俺にたくさん宿題を出してきて・・・・・・・・・・・・・・
>>
>> 今思えば殺してやりたいほど憎いです。土下座して謝れ!!!!!!!!!!俺の青春を返せ!!!!!!!!!!俺の自尊心を返せ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
>
>全くだ!こんなバツは子供にやらせてはいけないという法律でも作らなきゃダメなのかな。

私もそう思います。忘れ物が多いのを理由に、一人の子にだけ
宿題を増やすのは、明らかに差別です。

発達障害を知らない教師が多すぎる、これが根底的な問題だと思います。
もしシンタロウ君が憎んでいる女教師が、発達障害に理解のある人
であったら、こんな罰は与えなかったでしょう。
全国小中学校の教師全員に、発達障害児の存在を知らせるセミナーを
開催し、必ず受けさせる制度を確立するか、また大学の教育学部での小中学校の
教員免許取得に「発達障害学」なるものを必須とする必要性を感じます。
文部科学省よ、高校に情報担当の教師を一人置くより、連邦市民の子供
たち(発達障害児)にとっては、教師に発達障害セミナーを受講させる
方が、早急な問題だよ。発達障害児に理解を深める対策を、はよ行って
下さいな!


Re: 自傷の対処法をアドバイスして! 12430へのコメント
No.12436  Mon, 13 May 2002 21:47:09 +0900  アスペン [この発言にコメントする]

ゆみ wrote:
>私の子供は、7歳の男の子です。トゥレット症候群のせいか、アスペルガーのためだけか 自傷してしまします。本人は、最近とっても気にしています。「自傷したくないのに、しちゃう。やめたいのに。」と私に訴えます。私もどうにかして助けてあげたい。自傷したくなったら他に対処法は、ないのでしょうか?こんなことをやったら、自傷したい気持ちを抑えられた、というような経験談を教えてください。そして本人に障害のことをどのように話をしてあげたらいいのかアドバイスをしてください。そろそろ、周りと違うことを気にしています。

 「したくないのに、やっちゃうの。やめたいのに…」という言葉から考えて、「自己確認がしたい」という動機が考えられます。
 鼻くそや耳垢を取って丸めて遊ぶとか性器いじりも、この類です。こういった行動を過度に繰り返すときは、「何をしたら良いか分からない」「なんかとっても寂しい」「見たくない怖いものを見てしまった」「いじめられた」というときなので、「何か最近困ったことない?例えば、仲間はずれにされたりとか…」と聞いてあげると良いです。「やめなさい!」と言うと、かえって火に油を注ぐので、良くありません。自傷の場合は「手をを優しくかむのはいいよ!」、不潔な行為の場合は「トイレでね」という具合に、やっていいレベル・場所などを決めて同意を得るようにします。


コリン・ウィルソン・・・・ 12428へのコメント
No.12435  Mon, 13 May 2002 21:43:41 +0900  よし(陽疾) [この発言にコメントする]

Maria wrote:
 “鬼才”コリン・ウィルソン先生(『アウトサイダー』『オカルト』等の著作で有名)の『至高体験』あたりをお読みくださるとよろしいかと思います。たぶん図書館にあります。m(_ _)m
>
う〜ん、コリン・ウイルソンの「至高体験」はまずまず。(これで、彼のファンになった)
「アウトサイダー」でだしは、最高、だけど、どこにもつれて行ってくれなかった。
「アウトサイダーを超えて」う〜ん、盛り上がらず・・・
最初は鬼才と思ったけど
イギリスのオタク、イギリスの荒俣宏という気がする。
クリシュナムルティーを読み出してからは、特にそんな気がする。
(失礼なこと言ってすみません)

ヤモリさんに出すメールなぜか先送り・・・書かねばと思っているのに。


Re: 自傷の対処法をアドバイスして! 12430へのコメント
No.12434  Mon, 13 May 2002 19:54:52 +0900  Maria [この発言にコメントする]

ゆみさん wrote:
> 私の子供は、7歳の男の子です。トゥレット症候群のせいか、アスペルガーのためだけか自傷してしまします。本人は、最近とっても気にしています。「自傷したくないのに、しちゃう。やめたいのに。」と私に訴えます。私もどうにかして助けてあげたい。自傷したくなったら他に対処法は、ないのでしょうか?

 自傷行為には、あたしの見るところ、二つのタイプがあります。一つはストレス性の自傷で、もう一つは変性意識状態における無意識の自傷です。
 前者はインコやオーム、サルなどでもしばしば見られるのですが、フラストレーションを溜めないこと、というのが重要になってきます。抱きしめてあげたり、マッサージ(得に僧帽筋など)をしてあげるのも効果的です。抗不安剤の投与というのもありますが、子どもにはおすすめしかねます。

 後者は、たとえば以下のような例です。

《事例1》
 机の上でピンポン玉を手で押さえて、指先から逆回転を与えて弾き出させて、遊んでいました。右へ左に動くピンポン玉を目で追っておりましたが、そのうちに、ピンポン玉は円柱などと違ってどの向きから見ても「円」なんだなー、と考えはじめたあたりから、なんだか記憶が薄い。(中略)その時ふとピンポン玉を口の中に入れてしまっていたのである−飲み込もうと思っていたのか?
 その瞬間ふと我に帰った。一瞬青ざめた。何故そんなきたないものを口にしたのか、今考えても分からない。

《事例2》
 保母をしている母から聞いた話です。ある3歳児の女の子がガラス窓に右手を突きこみました。しかし、彼女の手から一滴も血が流れず、指の骨がきれいに見えていたそうです。彼女は相当の傷みだったでしょうに泣き声ひとつあげず、じっと自分の手を見た後、突然、隣の窓ガラスに再び突っこみ、直後に大泣きして病院に運ばれていったそうです。

《事例3》
 小学生の頃、授業中にカッターナイフの刃を出したりしまったり、カチカチ動かしていました。そのうちに何故か「切ってみよう」と思ってしまいました。で、切ってしまったのです。不思議と傷みはなかったです。切り口からじわーっと血がわいてきて、肉片をカッターナイフでつついていました。ここで、となりの女の子がギャーギャー泣いているのに気付きました。そうすると、我に帰ったのか、強烈に痛くなりました。その時の血の赤い色が強烈に映えていたのを今でも覚えています。

 以上は須原一秀(すはら・かずひで)『高学歴男性におくる 弱腰矯正読本 男の解放と変性意識』(新評論)に出てくる例です。

 こうした「変性意識」が自傷に結びつく例は、「危険」というものに対する意識が育ってゆく過程にあらわれ、常習化することはあまりないと考えられます。本人が「やめたい」と思っているのなら、自然に治まってゆくのではないでしょうか。

 (Maria)

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