アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re: はじめまして! 0128へのコメント
No.0148  Tue, 1 Jun 1999 23:42:44 +0900  森ぽん [この発言にコメントする]

 私がいくらかましな社会適応をしているとしたら、それはたくさんの幸運に感謝しなければならないでしょう。もっとも大きいのは同僚に恵まれていることだと思います。雑談や冗談が苦手でも仲良くしてくれるのはうれしいことです。むしろ、そういう人だとわかってつきあってくれています(ASだと告白しているわけではない)。データ処理や資料作成のような仕事で便利に使ってくれているという点もあると思います。子どもの頃熱中していたことを職業にしているということも有利な要素です。

 私の側からの努力といえば、なるべく人なつっこくするとか、決まり文句(「ありがとう」「失礼します」など…最近「恐れ入ります」ってとても便利だなと思う)をふんだんに使うとか(これでとりあえず失礼な奴とは思われない)、いつもまわりに神経を使うとか、仕事をたのまれたら極力引き受けるとか…疲れはしますが、満足な仕事のための投資だとおもってがんばります。
 子どもの頃機会を逸しているので、対人スキルに関しては今も勉強の毎日といったところです。


不器用 0135へのコメント
No.0147  Tue, 1 Jun 1999 22:46:06 +0900  森ぽん [この発言にコメントする]

 不器用といえば、中学生までの体育ではいい思い出がありません。小学校5年生まで泳げなかったので、プールのときは中で歩いていました。逆上がりは結局できないままで学校を終えました。球技のときはとにかく自分にボールが回ってきたら他の人に渡すことしかできない。

 それで、どうして泳げるようになったかというと、これが小学校のときに補習を受けた先生のおかげなんですね。水の中で、手を持ってやるから自分のほうに飛んでみろ、と。そうしたら、持ってくれなくて、そのまま浮いちゃったわけです。これがなかったらずっと泳げなかったでしょう。
 私のような不器用族は、自然にはものができるようにならないみたいです。適当にやらせて怒るんじゃなくて、ちゃんと教えてくれる人はありがたいです。


ピエロのキャラクター 0144へのコメント
No.0146  Tue, 1 Jun 1999 22:13:24 +0900  森ぽん [この発言にコメントする]

 シャボン玉の先生、いい感性をお持ちですね。あやかりたいものです。
 ところで、ピエロのキャラクターということで、思ったことがあります。じゅんまるさんの場合は高校時代にそれを発見して、演じておられた…だけど先生はすべてわかっていた、ということなんですね。
 じゅんまるさんの気持ちとは合わないかもしれないけど、私は「あー、自分もそうすればよかった」のように思ってしまいました。

 私の場合そうすればいいと理解したのは最近のことなのです。ひょうきんな人、天然ボケな人と言われてかわいがられるようにすれば、人間関係をわりと楽にこなせるということにもっと早く気がつけばよかった。そうすれば、「あなたのしていることは、まちがっている」といった言いにくいことも言ってもらいやすかったでしょう。私の場合は一方的に自己主張することが多かったので、独りよがりな人と思われて、しかも気むずかしそうだからと指摘もされず、知らず知らずのうちに深刻な対立を生んでいたようです。
 私ってよく人に笑われるんです。動作やしゃべり方がおかしいんでしょうね。以前は、くそっ、からかわれたと、いちいちいらだっていました。これからは、これも自分の性質だと受けとめて、逆に社会生活に生かしていこうかなと思います。もういい歳だから、かわいがられるというわけにはいきませんが、へんなオッサンとしてそれなりに認めてもらえればいいかなと思います。

 もしかすると、ASの人にいろいろな性格の人がいるというのは、社会適応にその人なりの工夫を重ねた結果なのかも知れません。


Re: アスぺの子(私)にとって、嬉しかったこと。 0144へのコメント
No.0145  Sat, 29 May 1999 09:50:27 +0900  キマイラ [この発言にコメントする]

じゅんまる wrote:
>彼は「お前は、面白い奴だな」と言って、笑ってくれました。

>とても、独創的で、ユニークで、そして何よりも元気一杯です。
>先生は、彼が問題を起こしても、気にもとめません。
>彼の興味の対象の分野では、能力が高いことなど、いい面しか見ていません。
>(もちろん、情緒の先生という事もありますが。)
>先生も、昔に比べるとアスペルガーのお子さんを勉強され、理解してくれている方が多くなってきたんだなぁと思います。

>その頃、私は、人と付合う為には、ピエロのキャラクターを演じれば、傷つくことは比較的に避けられるという事を覚えたので、私の中のそういう一面を全面的に出して、演じていました。

こういうキャラクターが持てる人は、幸せなのかな〜? 私はいじめられはしなかったけれど、いつも、一人でした。今思えば、人の中に入っていこうとしなかったから、いじめられなかった代わりに一人だったのかな? ちょっと、と言うか、かなり人を小ばかにしていたし、いつも、「ここから逃げること」ばかり考えていた。きっと、アスペのことを知らなかったら、今ごろはうつ病のHPを作っていたかも…。
ウチの息子は、「面白いヤツ」って言うことで、けっこう人気者なんです。この違いは、受け入れる家族や学校や時代の差なのかな? それとも、本人の才能なんでしょうかね?


アスぺの子(私)にとって、嬉しかったこと。
No.0144  Fri, 28 May 1999 20:03:32 +0900  じゅんまる [この発言にコメントする]

私は、いろんないじめを受けたり、嫌な思いもしてきましたが、別に誰も恨んでいません。私も、まかり間違えば、いじめる側にまわっていたんだと思いますし、
心を病んでいるのは、種類こそ違えど、同じだからです。
それより、人に優しくされた思い出は、私にとって宝物のように心の中に大事にしまってあります。
数は、少ないのですが、一つは、中学生の時で、普段私の事をみんなと同じように馬鹿にしていた男の子の思い出です。
私が、テストの時、消しゴムを忘れて、誰にも借りられないので、問題用紙を手で消していたところ
「お前、消えない消しゴム使ってるな。貸してやるよ」と言って、貸してくれたのです。
それから、私が頭が、かゆかったので、先生に
「忘れた教科書を家に取りに帰ります」と言ってシャンプーをしに帰った時も、
私の犬が死んだ時、悲しかったので
「おばあちゃんが、危篤だから帰ります。」と言って帰ろうとして、先生に引き止められ、パニックを起こした時も、彼は「お前は、面白い奴だな」と言って、笑ってくれました。
固定観念を持つ人は、苦手です。
外見、ちょっとした言葉、態度から「お前はこんな奴」と決めつけられるのは、
とても嫌なのです。だから、私も固執はあっても、固定観念は持たないようにしています。
中学の時の担任の先生は、固定観念の固まりの人で、必ず通信簿の欄に
「この子は、いつも仮面のような顔をしています。無表情で何を考えているのかわかりません。友達と遊んで、笑った顔をしているのを見たことはありません」
と書いてきました。
高校の時の担任の先生との思い出は、私の心の中の二つ目の宝物になっています。
それまでの先生と違って、私の事を「ユニークで面白い子」だと言ってくれたのです。
その頃、私は、人と付合う為には、ピエロのキャラクターを演じれば、傷つくことは比較的に避けられるという事を覚えたので、私の中のそういう一面を全面的に出して、演じていました。
でも、先生は、みんなわかってくれていました。卒業後に先生に手紙を出した時、返事には、「あの時、君は、壊れやすいシャボン玉の中から、外の世界を見ていたね」と書いてありました。
アスペルガーの子供にとって、固定観念を持たないで見てくれる人がいるということだけで、彼らが生きていく上で、どんなに救いになるかわかりません。
子供が通っている学級にも、アスペルガーのお子さんがいます。
とても、独創的で、ユニークで、そして何よりも元気一杯です。
先生は、彼が問題を起こしても、気にもとめません。
彼の興味の対象の分野では、能力が高いことなど、いい面しか見ていません。
(もちろん、情緒の先生という事もありますが。)
先生も、昔に比べるとアスペルガーのお子さんを勉強され、理解してくれている方が多くなってきたんだなぁと思います。


Re: みんな、いいな〜! 0137へのコメント
No.0143  Thu, 27 May 1999 21:23:10 +0900  じゅんまる [この発言にコメントする]

キマイラ wrote:
>私は、見たものにすぐ同化してしまうので、映画やドラマを鑑賞できません。人の感情に振りまわされて、とってもしんどいのです。映画談義に花を咲かせられるなんて、いいですね。

私は、見たものにすぐ同化してしまうという傾向はありませんが、あまりに情緒を表に出したものや御都合主義のストーリーは、好きではありません。
みなさん、こ存知、今でも再放送をしている「大草原の小さな家」は(映画ではありませんが)好きではありませんでした。
どこが、嫌いかというと、あの家族は、何回も「愛してる」という言葉を連発するからです。私は、その度に、耳をふさぎたくなりました。
それに、この話の父親は、すぐに涙を流します。うちの母は、この番組を見ながらよく泣いていました。それも私には、耐えられませんでした。
私は、3歳の時に、腹違いの兄から、「泣いたら、もっと、ひどい目にあわせてやる」と、言われてから、人前で泣かない事に決めました。
学校で、どんなにいじめられても、彫刻刀で、首の後ろの肉をえぐられた時も
ドアの所に手を置いた時に、思いっきり閉められたので、指の骨が砕けた時も
泣きませんでした。痛いというより、人に受け入れられないショックの方が大きくて、感情も何もかも、麻痺してしまうのです。(さすがに、親は、いじめた相手の家に押しこんでいきましたが・・・。)
「こいつ、泣かねーんだぞ」「息してるだけじゃ、生きてるっていわねーんだよ」
「植物人間」「情緒障害」いろんな声が、頭に入ってきました。
でも、私は、固まったまま、小学校の6年間、トイレか目的がなければ、机から動くことがどうしても出来なかった。
「愛してる」って言葉も嫌いです。「愛」っていう概念っていちいち言わなくたって、わかると思います。
私の理想の家族は、「赤毛のアン」のマリラとマシュウです。
「マリラ」のアンに対する接し方って、本当に理想的です。
彼女は、現実的で、虚栄心がなくて、正直で、(あんな人になりたいなぁ)と、子供の頃、憧れていました。
「マシュウ」も暖かくて、静かで、空気みたいに匂いがしなくて、好きでした。
分裂病の夫も、そんな感じのところが似ています。
主人公の「アン」のような気持ちには、共感できませんでした。
きれいなものに感動する心が、私にはないのです。どんなに美しい花や宝石や服や景色を見たとしても。

>でも、ゲームなら良い、と最近発見しました。このゲーム時代に、私より重症でいろんな事ができない息子は、ゲームができません。代わりにやって見せていたら、二つの大きな発見をしました。

私も、ゲーム好きです。うちの子供は、キマイラさんのお子さんのように、視覚的な能力が優れてるわけでもないし、手先も不器用ですが、それなりに私のゲームをしている姿を見て、まねして楽しんでくれるようになったので、良かったなぁと思っています。

>傲慢な考え、そして、もうひとつは、アスペの私と私の家への嫌悪と否定でした。それで、得たものもたくさんありました。仕事もできるようになりました。でも、失ったものの方が大きかったような気がします。
>私の息子たちには、二度とこんな思いをさせたくありません。たとえ、障害があって、どこかに欠陥があっても、必ず何かのとりえがあるはずです。そういうひとりひとりの個性を活かして、自信を持って生きて欲しいと思っています。

子供は、私と違って、幸いに情緒過多な方です。きれいなものに感動する心を持っています。優しい子に育ってほしいと心から願っています。


Re: アスペと自閉症2 0140へのコメント
No.0142  Thu, 27 May 1999 08:06:38 +0900  キマイラ [この発言にコメントする]

館の管理人 wrote:
> わたしが言いたかったのは、大人になって自分を説明する能力もある本人が、いつまでも子供のときの診断名を使いつづけなければならない理由はないだろう、ということです。

>わたしは人とつきあいたくない人なのだと思われたくないし、ひきこもり症なのだとも思われたくない。対人能力がまったくないのだとも思われたくない。
>そのように誤解されたイメージをもたれてしまうというのは仕事して生活していくうえでもとても不利益なことです。

病態が加齢とともに変化したり、成長の仕方も様々なのは、当たり前の話です。その前に、診断そのものが曖昧です。見る人によって違うだけではなく、いくつかの症状のうちの目だったところを拾い上げれば、何かしらの診断名はつくでしょうが、残された問題が解決するわけではありません。
「自閉症」という診断だって、その言葉によって苦しんで来た人もいれば、それによって救われる人もいるでしょう。私の場合、ショックを受けたというのは、自分自身の自閉的な要素について「知った」からではなく、「知らなかった」事へのショックでした。今まで、無駄ではなかったけれど不当な努力を、あまりにもたくさんしてきたこと、私の人生は一体なんだったのだろう、ということでした。どんなに努力したって、やっぱり「自閉」の人の方に近かったのに、「普通と思いこんでいた」時間を取り戻すことは、もう、できません。でも、これは私自身の問題であって、私が勝手にしたことで、「アスペルガーの舘」の責任ではありません。

人間は機械じゃないから、正常と異常の違いなんかもともとないのです。普通と思っている人だって、何千も何万もある人間の能力の項目をチェックして行けば、100や200の欠陥があって当たり前です。だからこそ、ひとりひとり違っているんだし、能力に差があるのです。
その中で、「自閉」性の事柄には、それなりの対処の仕方があり、適切な対応をすれば伸びる可能性は十分にあります。「注意の欠陥」だって、「学習上の障害」だって同じことです。今まで、頭が悪い・不器用・性格が悪い、と言われてきたことの中には、本当はそうじゃなかったことがたくさんあります。私の息子がそういう困難を抱えていることが判らなかったら、今ごろはひどい情緒障害に発展していたことでしょう。
ただ、私の周囲は、「自閉」について知らない人ばかりで、この言葉を使ったほうが通りがいいので、使っています。それもまた、「私」のとるスタンスであって、使いたくなければ、いや、使う必要がなければ、使わなければいいだけのことです。


Re: みんな、いいな〜! 0137へのコメント
No.0141  Thu, 27 May 1999 04:24:18 +0900  おサルのジョージ [この発言にコメントする]

キマイラ wrote:
>私は、見たものにすぐ同化してしまうので、映画やドラマを鑑賞できません。人の感情に振りまわされて、とってもしんどいのです。映画談義に花を咲かせられるなんて、いいですね。

私は、フィクションずきですが、大人の作品、(喜怒哀楽、恨み、悪意エトセトラ
が、おもいきり、ひょうげんされているもの)には、だいぶ大きくなるまで
抵抗がありました。だから、結構大きくなっても、いわゆる児童文学の
愛好者で、今も子どもと一緒に、楽しんで読んでます。
専門が、英文学だったので、上のような作品も読まなくては、いけなかったのですが、だんだんなれました。というより、ここで、こんな話をしていいのか、わからないのですが、文学(フィクション)を、感情から、切り離して、分析的にも読める
ということを、徹底して、英国人の教授が、教えようとしていたのです。
おもうに、日本人の文化と言うのは、かなり、情緒的のようなきがします。
この先生にかかされたレポートが、私にとって、かなり、隠れたリハビリになりました。いつも、要点は、なんだ、お前の意見は、どこだ、なぜそうなんだ。
と、追求されました。
その人が、いわゆるお涙ちょうだい的な詩と論理的に構成されたドライな詩を
よませて、どっちがすばらしい詩か、と、学生に聞くと、見事にみんな
感情的な方をえらんだのですが、それは、どこかの雑誌に載っていた詩で
ドライなほうが、有名な叙事詩だったんです。
この先生自体の趣味だったのか、英国文化全体の傾向かは、留学も
していない私は、よくわかりませんが。感情にながれないので、
私には、わかりやすい世界のようなきがしました。
会話も、英会話をせざる負えない状況になって、意識的に話す。
要点をまとめて話す(そうしないと、英語力がついていきません)練習を
したので、日本語で話すのも、なんだか、すこし、楽になったんです。

いまでも、だから、日本情緒たっぷりの、世界は、にがてです。
それから、恐い、、系統の物は、全くうけつけません。

いまでは、また、結構感情移入もしますが、昔より、フィクションを、突き放して
見ている所もあります。好きなのには、かわりはないですが。
むかし、大江健三郎の小説を読んで、地下鉄の階段で、動けなくなっちゃったこともありました。そうか、キマイラさんの文を読んで、私が日本文学が、苦手
なのは、感情移入をしやすいから、かもしれないとも、おもいます。
いままでは、私は、そういう、わりと、ウェットな、世界は、嫌いだとおもって
いたのですが。苦手なのかもしれません。

子どもは、主人公がかわいそうな、場面から先に進めないときが
あります。アルプスの少女でも、山から、連れ戻されハイジがかわいそうで
だめなんです。大丈夫、辛いことは、あっても、良い事もあるんだよ
と、まるで、現実の人生を、励ますみたいに、なぐさめています。
一緒に、この辛い場面を乗り越えようね、という気持ちで、いつか
一緒に読み進みたいと思うこのごろです。(それは、息子との実生活にも
ちょっと似ています)


Re: アスペと自閉症2 0139へのコメント
No.0140  Thu, 27 May 1999 02:19:52 +0900  館の管理人 [この発言にコメントする]

子供のときにどういう診断名がついたか、そして特殊教育を受けたか普通教育を受けたかということで、そのあとの長い人生が決まってしまうわけではないでしょう。特殊学級や養護学校で教育を受けて、のちに知的な分野の仕事で活躍する人がいるというのは自然なことだと思います。成長のしかたというのは人それぞれなんだし。
 わたしが言いたかったのは、大人になって自分を説明する能力もある本人が、いつまでも子供のときの診断名を使いつづけなければならない理由はないだろう、ということです。

>  アスペが高機能自閉と同種か、似ている違うものか、どっちでもいいです。ただ、医学的に論議中ですが、「実はほとんど同じものです」と結論が出ることもあり得るのです。

ならば高機能自閉などいう言葉を使わないで、みんなアスペと言うというのでもよいと思います(「高機能広汎性発達障害」なんてのはわかりにくいし)。でも「自閉症」の語に愛着を持つアスペ本人たちも多いですし、好みの問題、あるいはそれぞれの微妙な感覚の問題ですね。
自分をどういう言葉で表すかというのは人それぞれの自由だと思います。

わたしのHP「アスペルガーの館」をみてくれてた人のなかには、「なんだおれのことじゃないか」と思いながら「いまさら自分のことをアスペルガーだとか自閉だとかいわなきゃないなんてアホらしい」と通りすぎていっている人もたくさんいるだろうし、それでいいと思います。自閉症やアスペなどというレッテルに頼らないで自分の力で生きていこうとしている人たちのじゃまをしたくはありません。そうやって満足のいく人生を送れている人たちもたくさんいるはずです。(そんな人に対して、あなたはアスペだからどうのこうのと言うのは余計なことですね)

わたしは「アスペルガーの館」をうちわのものとしてではなく、とくべつ知識をもたない一般の人にも理解してほしいと思って開いている。「自閉症」という言葉を前面にだしたのでは誤った先入観をもたれてしまうだろうと、奥にひっこめている。
わたしは人とつきあいたくない人なのだと思われたくないし、ひきこもり症なのだとも思われたくない。対人能力がまったくないのだとも思われたくない。
そのように誤解されたイメージをもたれてしまうというのは仕事して生活していくうえでもとても不利益なことです。


アスペと自閉症2
No.0139  Wed, 26 May 1999 19:01:44 +0900  さんどる [この発言にコメントする]

 管理人さんや皆さんがいろいろ悩むことを書いてしまって心苦しく思います。
 私が言いたかったのは、自閉症、特に高機能の人たちをアスペとあんまり区別しないで欲しいなあ、っていうことだったんです。このページは自閉症で能力の高い方達も訪れると思いますし、そういう場であって欲しいと、勝手ながら思います。 アスペの人が自閉に属するか属さないか、個々に考えがあって良いと思いますが、世間にもほとんど理解されていない「自閉症」をここで、「重い障害」と受け取られることにはとても抵抗があります。
 アスペである方達を傷つけるようなことはいいたくないけれど、自閉症と診断されている方にも傷ついて欲しくなかったので。 心の理論の著書をきちんと読んだわけではありませんが、私の周りの高機能自閉の中には、アスペ同様情緒的な(人の気持ちをくみ取るなど)障害の軽い人もたくさんいます。
 
 普通学級で息子も私も精神的に低迷し、もう情緒障害か特殊へ変わろうか、とまだ迷っているときにアスペの会にも参加している主治医に「選択肢の一つに養護学校もある」と言われた時はとてもショックでした。正直言って「アスペなのに小学校から養護学校?」という気持ちでした。
 今は、「学校の選択は、子供の状況に応じてで、知能や潜在能力によるものではない」と考えられる(つもりです)し、現在は特殊学級の担任にも「順調すぎるほど順調」と言われる位ですが、担任と同様、今後の状況によって普通学級も養護学校も範疇に入れておきます。
 自閉症というと知的なことも含めて、アスペより範囲が広く、重い人の割合が多いですし、本の内容も映画も重い症状が中心になっている(軽い人が中心では参考になる人が少ないということなのか)ので、アスペの人が「ちょっと違う」と思う気持ちはわからなくもありません。私も全体に重い自閉症の人と全てが共通するとは思っていません。
 
 アスペが高機能自閉と同種か、似ている違うものか、どっちでもいいです。ただ、医学的に論議中ですが、「実はほとんど同じものです」と結論が出ることもあり得るのです。(ある専門医がいっておられたので。)仮にそうなったときに、私が「養護学校」の言葉を聞いた時と同じようなショックを受けられる方もいるのかな、と思います。

息子のエピソードなど書きたいと思いますが、文才がないため、ここまで書くのに3時間もかかってしまって息子もほったらかしなので、またの機会に。


Re: 映画の中の自閉症 0134へのコメント
No.0138  Wed, 26 May 1999 14:18:08 +0900  館の管理人 [この発言にコメントする]

じゅんまる wrote:
> 最近、ビデオで「キューブ」と「マーキュリーライジング」をみました。
> 両方とも、自閉症が出ていたので、とても興味深かったです。

あと自閉症を描いたものは「学校3」ですね。原作の『トミーの夕陽』(鶴島緋沙子 著、 http://www.netlaputa.ne.jp/~tugeshin/ )は、自閉症のトミーの母親である著者がトミーの視点でつづった小説です。
このような映画によって、自閉症への一般の理解が広がってくれるのは良いことだと思う。
(というぼくも「レインマン」をみるまで自閉症がどんなものか知らなかった)
でも「自閉症」を描いた映画によってASのことがわかるかといえば、それは別。

いろんな映画の登場人物の中に、AS的なものというのは見られるように思う。
たとえばつぎのようなもの。

「エンジャル・アット・マイ・テーブル」(ニュージーランドの作家ジャネット・フレイムの自伝をもとにした映画。ジェーン・カンピオン監督。カンピオンの映画では「ピアノ・レッスン」ほど知られていないようだけど、すごくいい映画です)――若いころ「分裂病」と診断されて8年ものあいだ精神病院に閉じ込められていて、入院中に書いて出版社に送った作品が賞をとったことですんでのところでロボトミーの手術をまぬがれて、そのあと誤診だったと言われて愕然(分裂病でないならあたしは何だったの)。そしてあいかわらず人と交わることがとても不器用なのだけど、作家として成功をつかんでいきます。
この映画を観たのはASなんて知るより何年か前だったけど、とても生きていく勇気を与えてくれるものでした。

「イル・ポスティーノ」――いい年して仕事もなく恋にも無縁のぼくとつな青年が郵便配達の職をみつけ、亡命してきたチリの詩人パブロ・ネルーダのためだけの郵便配達人になって、女性からのファンレターばかりだと羨望しつつもネルーダから詩を習って、言葉の力を獲得していきます。
世界的に大ヒットした映画なので、みてるひとは多いでしょう。ぼくもとても好きな映画です。
自分の表現を手にするということ。ぼくにとってはこうしてネット上に登場できたということかな。

「恋愛小説家」――売れっ子の恋愛小説家の実態は、偏屈な嫌われ者の中年男で、実際の恋愛の経験はゼロ。それがウエイトレスに恋をして…
変なことにこだわりがあったり、だいじなひとの気分をそこなうことをつい言ってしまったり。ちょっと自分をみるようでした。
ハッピーな気持ちになれる映画です。

あまりみているほうではないけれど、感情移入してみれる映画はすきです。
そうか、それがしんどいということもあるのか。ひとそれぞれなんですね。


みんな、いいな〜!
No.0137  Wed, 26 May 1999 13:46:20 +0900  キマイラ [この発言にコメントする]

私は、見たものにすぐ同化してしまうので、映画やドラマを鑑賞できません。人の感情に振りまわされて、とってもしんどいのです。映画談義に花を咲かせられるなんて、いいですね。
でも、ゲームなら良い、と最近発見しました。このゲーム時代に、私より重症でいろんな事ができない息子は、ゲームができません。代わりにやって見せていたら、二つの大きな発見をしました。
ひとつは、息子の独特の視覚的な認知力でした。息子は、数にも文字にも遅れていたし、身体の操作性も悪く、目で捉えたものを手で書いて表わすという協応運動もできなかった。でも、見たものを正確に記憶する能力の持ち主だったのです。写真眼というほどのものではありませんが、ゲームのマップやキャラクターなど、一度見ただけで覚えてしまうのです。それに、前に出たものと違う部分が少しでもあると、すぐに見ぬいて教えてくれます。私はこの辺の能力がまるでダメなので、ゲームを進めるのに重宝しています。さらに驚いたことに、なかなか忘れないのです。息子の友達が、気まぐれにちょっと古いゲームをやりはじめても、何が何処にあって、次は誰が出てくるか教えています。そして、視覚的な能力とあまりにもアンバランスだった書く力でしたが、最近になって追いついてきたのでとても上手にモンスターの絵を書きます。(これは、書きたいのにうまく書けなくてパニックになっていた息子に、いつでも・何でも書けるように、紙と書くものを大量に与え、しかも、書いたものの批判は一切せず、うまく書けたものを誉めまくった成果です。)
そして、もうひとつの発見は、私はゲームが好きだったということです。昔から神話が好きで、出てくるモンスターが懐かしかったこと(キマイラもそのひとつです)、そして、かつて黙ってひとりで人形を動かしてはストーリーを展開して遊んでいた昔の自分に戻れたからです。お気に入は、やっぱり、人間の姿をしているのに、実は人間じゃないキャラクターばかりですが…。

それから、小学生の頃の私は、とっても明るく脳天気でした。ちょうど、今の息子のように。でも、中学生になって、周りとのギャッブに気づいて以来、二つの過ちを犯してしまいました。ひとつは、私は正しくて・世の中が間違っている、という
傲慢な考え、そして、もうひとつは、アスペの私と私の家への嫌悪と否定でした。それで、得たものもたくさんありました。仕事もできるようになりました。でも、失ったものの方が大きかったような気がします。
私の息子たちには、二度とこんな思いをさせたくありません。たとえ、障害があって、どこかに欠陥があっても、必ず何かのとりえがあるはずです。そういうひとりひとりの個性を活かして、自信を持って生きて欲しいと思っています。


Re: 映画の中の自閉症 0134へのコメント
No.0136  Wed, 26 May 1999 09:39:18 +0900  おサルのジョージ [この発言にコメントする]

じゅんまるさん こんにちわ



はじめまして、おサルのジョージです。
映画、すきなんです。フィクションをたべて、生きているような人間です。
私が見た映画の中では、ジョディー・フォスターが、監督、主演した
リトゥルマン テイトというお話しが印象的でした。
テイトも、学校では、友達が出来ない、風変わりな子どもで、
数学に天才的な能力があるという設定です。
ジョディ・フォスター自身が、天才子役として、孤独な子供時代を
送ったのがベースになっているということで、その、高度な能力
だけに、焦点を絞っていなくて、人間的な関わりなどにも
目が向いている、ちょっと、コミカルで、私は好きな作品です。

フィクションで、生きているといいましたが、息子のことで、アスペ
について、調べたりするうちに、私の今までのいろんな出会いにも
不思議にアスペがかかわっていて、真実は、小説よりも奇なりという
言葉を実感しています。」
私自身、友達が少ない(特に、義務教育期間中は)子どもだったのですが
そのころから、男女とも独りずつずーっと、付き合いが続いている友達がいるんです。
そして、べつに、アスペのことなどはなしたわけではないのですが、
女の友達の、息子は、小学校で、アメリカンスクールに行ったほうが
いいのでは、と皮肉をいわれるくらいユニークで、おまけに、友人は
皮肉を思いっきり真に受けて、アメリカンスクールを探しています。
男の友人の子どもは、(やっぱり男の子)歩く電卓といわれているそうで
幼稚園で、3桁書ける3けたとかの、暗算ができていたそうです。
でも、とっても、ぼーっとしているんだ、と、かれは、こどもについて
結構心配しています。うちのジョージは、言葉マニア(こんな言葉ないですが)
です。
なぜ、私がその二人の友人とながーくお付き合いができたか、
子供の世代になって、やっとなぞ解きができたようなきがするこのごろです。
とくに男の友人は、計算能力のみたかい息子を高く評価してないので、
ちょっと、何かアドバイスしたいなあと思うこの頃です。


>ダウン症のジョルジュが、人が大好きで、施設ではなく、社会の中で生きていきたいと強く願ったのと何と対照的でしょう。

この辺も、強く共感してしまいます。私は、一度、息子が遠足で、池に落ちて
着替えを持って迎えに行ったのですが(ちかくだったので)
息子の同級のダウン症の、お子さんのほうが、あきらかに社会性が
ある様子を見て、そのころ、まだ、ただの、やんちゃだと思っていた息子に
???を抱いたのを覚えています。


>私の経験では、アスペルガーの人は、興味のある事で、自分自身だけに関わる事で一つの事だけを望みさえすれば、必ずかなうような気がしてなりません。

私は、自分の弱点を、補強しようと無駄なことをいっぱいしてしまって、
興味に集中出来ていませんでした。これから、どうなるかわかりませんが
なんとか、的を絞って、いきたいです。それから、まわりが見えなくなって
みんなに、迷惑をかけないようには、したいです。集中しすぎるんです。
病気だもん、、、と、昔は、冗談でいっていたのです。いまおもうと、
なんだか、ふくざつです。

>私は、おサルのジョージさんのように自分の才能に適した仕事は、残念ながらまだ得られていませんが、楽天的にがんばっていこうと思っています。

今は、失業中なんです。でも、したいことは、あるので、頑張りたいです。
ホントニ、私の唯一の、長所は、楽天的なことかもしれません。
最近は、さすがに、いろいろ、怒涛のように、いろんな事をかんがえて、
ちょっと、つかれぎみだったのですが、映画でも見て気分転換しますね。


Re: はじめまして! 0128へのコメント
No.0135  Tue, 25 May 1999 19:34:47 +0900  じゅんまる [この発言にコメントする]

あごちゃん wrote:
>森ぽん wrote:
>> 心の理論の欠如というのがどういうことかよくわからないのですが、他人の気持ちをあとで考察することは私にだってできます。ただし、とっさに対応したり新しい状況が生じたときにまちがえるわけです。このギャップがいつもいつも落ち込む羽目になる原因です。あとで、失敗したと感じるから。
>> 私は言葉を選びながら人と話していて、いつも安心できないので、それでは心を交わしているとか親密とは言えないような気がします。

>はじめまして、あごちゃんというものです。
>森ぼんさんの書き込みを見ると、自分とそっくりの部分が多くてびっくりします。
>そして、そのような森ぼんさんが立派に社会人としてやっていけてるのをみると私自身希望が持てます。
>私も、とっさに人の言葉に的確に反応ができません。そして、人(特に職場関係)と話しているときはいつも安心できません。後、私も相手との親密さの距離をはかれないので、相手に対して呼び捨てや、あだ名で呼ぶことができません。
>冗談もとっさに理解出来ません。自分に冗談がふられたとき、いつも混乱します
>当然、冗談は話せません。
>よろしくおねがいします。

私も森ぽんさんやあごちゃんさんと同じで、たいへん不器用です。
掲示板を見ると、森ぽんさんは、私と違って、能力の高い方じゃないかといつも
思います。
私は、運動神経がとても鈍く、通信簿で1以上取った事がありません。
リズム感というものが、全然ないのか、頭と体がちぐはぐなので、発表会の時の
ダンスでは、重度の自閉症の子と二人でぼんぼんを振っていました。
手先も不器用で、鉛筆を持って字を書くのが困難で、読む事は出来ても、まともに字が書けるようになったのは、一年生の終わりぐらいでした。
その頃、私は肖像画を描く事に固執していて、学校から帰ってくると、毎日同じ顔の輪郭の線を寝る頃になるまで描いていました。
最初は、ぐにゃぐにゃだった線が、面白いぐらいに自由自在に描けるようになりました。字がまともに書けるようになったのは、そんな理由です。
でも、私は、それで絵が上手くなった訳では、ありません。人物画にしか興味がないから、他の絵を描かせたらてんで話にならないのです。
私は、実際のところ、人からすれば、知的障害者を伴っている人のようにしか見えないと思います。
高校の時、友達だった人に言われました。
「何で、あんたのような知恵遅れの人が、私と同じ高校に入ってくるの」とか
「あんたって、どう見ても知恵遅れにしか見えないのに、どうしてテストの時には、私よりいい点を取るのよ」など。
私は、彼女との友情を保つために(つまり、嫉妬というものが、面倒なので)
彼女の得意とする教科では、わざとテストの時、間違った答えを書いていました。
彼女としては、知恵遅れのような私に負けて、どんなにかプライドを傷つけられた事でしょう。
私は、高校を卒業した後、彼女とは絶交しました。
彼女が嫌いだったわけではありません。ただ、私の考えを束縛するから、我慢できなくなったのです。同様な理由で、私は友達と称する者と全て、自分から縁を切りました。
職場に、社会に身を置く人は、とても辛い毎日をおくってることかと思います。
あごちゃんさんのように、私も冗談をふられると困ってしまいます。
今日、人間関係で落ち込む事かありました。私はまるで「内向的なサッチー」
(最悪な人)のようにバッシングを受けています。でも、なるようにしかならないかなと考えるようには、しています。


映画の中の自閉症
No.0134  Tue, 25 May 1999 12:55:05 +0900  じゅんまる [この発言にコメントする]

おサルのジョージさんworte:
映画好きなおサルのジョージさんは、いろんな映画をみていらっしゃると思いますが、私も映画好きです。とは、言っても、子供がいるので、なかなか映画館には足を運べず、ホームシアターで我慢をしています。
最近、ビデオで「キューブ」と「マーキュリーライジング」をみました。
両方とも、自閉症が出ていたので、とても興味深かったです。
「キューブ」では、天文学的な素数を瞬時に計算してしまうサヴァン能力を持った自閉症が、謎を解く鍵を握っていました。
(自閉症児エリーも、11歳の時、一から千の数の素数を全部選び出せたそうです)
「マーキュリーライジング」でも、国家秘密の暗号を瞬時で解いてしまうサヴァン能力をもった9歳の自閉症の子が命をねらわれているというストーリーでした。
その子は、TEACCHプログラム用の絵カードを首にぶら下げていました。
古くでは「レインマン」のレイモンドが、サヴァン能力を発揮して、電話帳を覚えたり、落ちた爪楊枝の数を瞬時に当てたり、NASAに入れるぐらいの計算能力を持っていましたが、それらの映画で、誤解されがちなのは、サヴァン能力を持つ自閉症者は全体の10パーセント位なのに自閉症というのは、そういうものだと映画をみた人が思うかもしれないという事です。
三人とも、典型的なカナータイプの自閉症でした。
彼らは、それだけの能力を持っていても、独力では生きてはいけません。
「八日目」のダウン症のジョルジュが、人が大好きで、施設ではなく、社会の中で生きていきたいと強く願ったのと何と対照的でしょう。
うちの子は、サヴァン能力はなく、知能は正常とでましたが、それはロヴァースプログラム(行動療法)を徹底的に家で行った成果で、彼の実際の能力は中機能で
今現在、情緒障害学級に通っています。「キューブ」の自閉症が始終、常同行動をしていたところが、とても似ていました。
うちの子にとって、言葉の概念は宇宙ぐらい広く感じられるかもしれません。
そして、能力に天井がある事が、6歳にもなれば嫌でも思い知らされます。
典型的なカナータイプではないので、将来、何らかの形で、働く事は可能かもしれません。
でも、アスペルガーのお子さんには、天井がありません。
彼らの好きな分野では、概念の宇宙を旅して、未知なる星を見つける事だって可能だと思います。
必要なのは、ただ一つの事を望む事だけだと思います。
私の経験では、アスペルガーの人は、興味のある事で、自分自身だけに関わる事で一つの事だけを望みさえすれば、必ずかなうような気がしてなりません。
お子さんが、楽天的なのはいい事だと思います。そして、おサルのジョージさんも
楽天的なようなので、とてもいい傾向だとも思います。
私は、おサルのジョージさんのように自分の才能に適した仕事は、残念ながらまだ得られていませんが、楽天的にがんばっていこうと思っています。
映画とは、違う話にとびましたが、今度面白い映画があったら、是非教えてください。


Re: 雑感についての所感 0129へのコメント
No.0133  Mon, 24 May 1999 10:38:45 +0900  じゅんまる [この発言にコメントする]

キマイラ wrote:
>掲示板だから、複数の話題が同時進行するのは仕方のないことです。

>それに、私みたいに、何か書いてあると言葉が洪水になって溢れてくる人もいれば、ゆっくり考えて時間をかけて言葉にまとめる人もいるんじゃないでしょうか?
>でもね、心が痛むときは、本当に胸のあたりが痛いんです。
>せっかくここに来たんだから、「みんな一緒だ!」って思いたいんです。
>言い争ってしまう自分がイヤだし、人が言い争っているのを見るのもイヤです。

アスペルガーの人は、正直な人ばかりです。(普通の人から見たら、悪い意味での方が多いのですが)
でも、いつだって、人を傷つけるつもりは、これっぽっちもありません。
大人の社会では、時々故意に相手を傷つけるために、皮肉というものを言う人がいます。そういう人ばかりではないことは、知っていますが・・・・。
私は、能力が低いせいか、幸いに皮肉を言われても、平気な顔をしていました。
今では、人付き合いを嫌でもする上で、皮肉というものが少しずつわかってきました。(二、三日たって気付くのが笑えますが。)
そして、皮肉を言う人が、その分だけ相手の言葉に敏感で、ひどいときには、
ねじまげて受け取るということもわかってきました。
そうなると、自分の発言に対して、慎重になったり、誰かと話す前に頭の中で
シュミレーションをしたりなど、つい人間関係において神経質になりがちです。
アスペルガーの人は、シュミレーション通りにいかないと、パニックになって、
後から自分の正直な発言を責めたりなどしてしまいます。私達の共通点は、その辺にあるとも思います。
社会では、気を使わなければなりませんが、ここでは、アスペルガーの人達が、
お互いに、自分達の言葉の裏には、全く悪気がない事、傷つけるものは誰もいない事を理解して、安心して自分の個性を全面的に出して、自由に思った事を発言していいのではないかと思います。
アスペルガーの人でも、自閉症の人でも、抱えている問題や考え方など様々なので
自分とは異なる発想があったとしても当然だし、普通の人が持っているような
固定観念を持たないところが、私達のいいところではないでしょうか。

>本当のところ、私は「人と心を交わし」たり、「親密になろうと」したいと思っているのだろうか、と考えてしまいます。共感できる人・連帯感の持てる人を求めているのは確かだけれど、だから、ここに来ているのだけれど…。
>でも、普通と呼ばれている人達の、醜い世界に係わらないでいられるなんて、「なんて幸せなんだろう」、と思っています。

>普通の意識状態で、「自閉」ってのも、結構キツイですよ〜!
>なんてったって、何処へいったって、何をしたって、「自分」しか見えないんだから。「ほっといてくれ!」っていう気持ちと、「ここから出して!」っていう気持ちの両方が、頭の中でごちゃごちゃしているなんて…。解るかな〜?

人間関係で、普通の人が「思いやり、常識」を求めるのに対して答えようとすると
例え、仮のキャラクターを演じてみても、たいへんプレッシャーがかかります。
そして、どんなにがんばったとしても、結局、普通の人から見たら「思いやり、常識」の欠けた人間としか映らないのです。
私が、初めて高校の時、人から教わった「思いやり」というものは、ドアを開けた時、後ろの人が間近にいる場合には、ドアを閉めないで、開けておいてあげると
いう簡単なことでした。
私の頭には、ドアは開けた後には、閉めなければならないという融通のきかない
考えしかなかったので、後ろに人がいても、後ろの人がびっくりするくらい、勢いよくドアを閉めていたのです。
「思いやり、常識」というのは、私には難しすぎます。
人から「あなたって、自分の事しか考えていない」と、非難されるくらいだっら、人付き合いをしない方が、楽で幸せです。


Re: 雑感についての所感 0123へのコメント
No.0129  Sun, 23 May 1999 17:15:27 +0900  キマイラ [この発言にコメントする]

塩入 正芳 wrote:
>書込みが多すぎてどれにコメントしようか?
>と、皆迷っているのじゃないかな〜?

掲示板だから、複数の話題が同時進行するのは仕方のないことです。
それに、私みたいに、何か書いてあると言葉が洪水になって溢れてくる人もいれば、ゆっくり考えて時間をかけて言葉にまとめる人もいるんじゃないでしょうか?


>ここではあえて用語の定義をする必要はないでしょうが、
>一般的には誤解の基になるのが定義の解釈の違い、
>定義そのものの微妙な違いなんですよね〜

でもね、心が痛むときは、本当に胸のあたりが痛いんです。
せっかくここに来たんだから、「みんな一緒だ!」って思いたいんです。
言い争ってしまう自分がイヤだし、人が言い争っているのを見るのもイヤです。


>森ぽん さん wrote:
>> みなさんにとって「人と心を交わす」「親密になる」というのはどんなことですか?

本当のところ、私は「人と心を交わし」たり、「親密になろうと」したいと思っているのだろうか、と考えてしまいます。共感できる人・連帯感の持てる人を求めているのは確かだけれど、だから、ここに来ているのだけれど…。
でも、普通と呼ばれている人達の、醜い世界に係わらないでいられるなんて、「なんて幸せなんだろう」、と思っています。


>森ぽん さん wrote:
>> 「あなたの発言を読んで気分が悪かった」という人がいてもかまわないと思います。

共感しちゃうと、ダメなんです。自分だけかもしれないのに、他人事にできないんです。


>私の娘は自閉症なのでアスペも自閉症の仲間なら良いなあ、
>なんて勝手に思ったりしています。

普通の意識状態で、「自閉」ってのも、結構キツイですよ〜!
なんてったって、何処へいったって、何をしたって、「自分」しか見えないんだから。「ほっといてくれ!」っていう気持ちと、「ここから出して!」っていう気持ちの両方が、頭の中でごちゃごちゃしているなんて…。解るかな〜?

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