アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
健常キラー wrote:
>健常者を殺せ!!健常者を壊せ!!健常者を燃やせ!!あんな奴等人間のクズだ!!健常者を社会から抹殺せよ!!健常者の存在を抹殺せよ!!さあ健常者を殺そう、われわれの自由のために
少し冷静に考えてみてください!
あなたを含めて我々は、『健常者』の協力なしには、ぜんぜん生活できないことが、よく分かると思います。
健常キラー wrote:
>健常者を殺せ!!健常者を壊せ!!健常者を燃やせ!!あんな奴等人間のクズだ!!健常者を社会から抹殺せよ!!健常者の存在を抹殺せよ!!さあ健常者を殺そう、われわれの自由のために
地球は動いている!!
ゆっくりと動いている!!
動きたくなくても動かされている!!
そのことに気付いたら次は
自分が地球になればいい!!
ゆっくりと動かしていけばいい!!
地球はいくつあってもいい!!
やんちゃん wrote:
>つまんない質問だと思いますが、「フラッシュバック」と「タイムスリップ」って別物?それとも同じもの?
のんたです。
私の場合でいえば、ふとしたきっかけで昔のつらい記憶が蘇りまるでそのときのその場所にいる様に思えてしまい、感情もそのときそのものになり悔しかった時は悔し泣きをします。悲しい時はやはり泣きます。
不思議に辛いこと悲しいことばかり思い出すんです。フラッシュバックと言っている人がどう感じているのか私には解りませんが。
jonny wrote:
>シペラスさんへ
>>精神科のデイケアのお世話になっているのですから。
>えっ、どういうことなのでしょうか?若い人でも精神科のデイケアのお世話になることは可能なのでしょうか?
できます。手帳の有無にかかわらず、メンタル系の問題を持って通院・入院の経験を持っている大人(18歳以上)なら、誰でも入れるはずです。地元を管轄する保健所に問い合わせてみてください。
>>しばらくは何も考えず、休養なさったほうがいいかもしれません。これ以上悩みつづけると、確実に毎日「どうやって死のうか???」ということばかり考えるようになってしまいます。
>もう既に「死にたい」と考えています。しかしかといって休養を取るつもりはありません。もう29歳ですから。ほとんどの29歳の男性は、自立し、独立し、家庭を持ち、中には役職を持っている人もいます。毎日危機感を持ちながら、自分と闘いながら、ハローワークに通いつめていますが、「不採用」の葉書や電話をもらい続けています。
実はそうじゃないんだな…そんなヤツは氷山の一角。僕もそうだけど、かなりの率で親のすねをかじって生きているヤツがいますよ。引きこもりを続けている人の中には、もう30歳をゆうに突破してしまって、親も青色吐息という人も多いですよ。あせることはない。次のチャンスを待ちましょう。いさとなれば、生活保護を受けるということもできますし…
>毎日危機感を持ちながら、自分と闘いながら、ハローワークに通いつめていますが、「不採用」の葉書や電話をもらい続けています
私にとって就職活動は、死ぬか生きるかの問題なのですから。
イイコすぎは、体にも心にも、致死的な毒物です。もうちょっとズルをしても、いいと思いますよ(^_^)。何事も程々が良いのです。
ちょっと日常を忘れて、旅行でもしてきたらどうですか?富士山麓青木が原や日光の華厳の滝・熱海の錦ヶ浦・京都の保津峡は、ちょっと困りますけど…そう、富山とか…
あんくさん wrote:
> たしかこの人が、この本で、ちょうど同じテーマを論じてたかな。
>
>小沢 逸郎著:『「弱者」とは誰か』PHP新書
>
>内容紹介できるほど、熟読していないので、いまのところコメントは控えておきます(-_-!)。
私はこれをけっこう前に読みました。
何か自分で違和感を感じていたのです。自分が「障害者」としての「地位」を確立すると、「健常者」にも「軽度発達障害者」にもなれない「周辺」に位置している人を私はどう見ているのだろうか、と考えていました。
小浜逸郎著「弱者」とはだれか PHP新書 083 1999 pp.193より
---------------------
そういう時代の変化に対する不安が大きければこそ、古い、「弱者」の枠組みにすがりつき、そこに社会や政治の課題があるかのように幻想する人もいなくならないのである。そして、だからそこ、その幻想された「弱者」が、実態との間でずれを生み、一部の人々が古い「弱者」観念の「特権」に立てこもる現象も起きてくるのである。カテゴライズされた既成の「弱者」は、社会集団としては逆説的な「強者」である。すでに古くなった暖簾を盾にしながら、個別のエゴを通すために、「弱者」である自分を演じざるをえないようになっているのだ。
断っておくが、私は、そこに属するとされる彼ら 一人一人に、反感などまったく抱いていない。問題は、社会把握のための既成の概念が、現在の社会の実態やそのなかで生きる人々の感覚とずれているにもかかわらず、そのことが認識されていないということなのだ。
--------------------
詳しく知りたいひとは、自分の目で読んだ方がいいです。(ここで一部だけ引用すると、この論が、小浜氏の論だ。と思ってしまいません?)
私はこの論にすべて賛成は出来ません。
結局、私たちは、分類作業というか線引き作業をせざるを得ない生活の中で生きているのではないかと思っています。
そういう点では、小浜氏とは別の観点から私は見ているので、ご了承くださいませ。
そして、例えば「自分は軽度発達障害者だ」と言うことで自分を軽度発達障害者の中に位置させることで、自分の身を守っているのではないかという感じに考えています。
シペラスさんへ
>精神科のデイケアのお世話になっているのですから。
えっ、どういうことなのでしょうか?若い人でも精神科のデイケアのお世話になることは可能なのでしょうか?
>しばらくは何も考えず、休養なさったほうがいいかもしれません。これ以上悩みつづけると、確実に毎日「どうやって死のうか???」ということばかり考えるようになってしまいます。
もう既に「死にたい」と考えています。しかしかといって休養を取るつもりはありません。もう29歳ですから。ほとんどの29歳の男性は、自立し、独立し、家庭を持ち、中には役職を持っている人もいます。毎日危機感を持ちながら、自分と闘いながら、ハローワークに通いつめていますが、「不採用」の葉書や電話をもらい続けています。
私にとって就職活動は、死ぬか生きるかの問題なのですから。
シンタロウ( ~w~) さんへ
>まあまあそんなに自分を卑屈に思わないで。jonnyさんに今必要なのは自尊心ですよ。
自尊心って何でしょうか?おバカな私はよく分かりません。
ついでに...
理想の自己像は「一流で立派で誰からも愛されるバカになる」ことです。
私以外の他人の思惑に惑わされず、自由奔放に自己主張がしっかり出来て、みんなから好かれるようになれば、私にとってすばらしい人生が歩めそうな気がしています。
何かご意見あれば、お願いします。
2年も前のことですが、No.661の記事で、似たような話題について書きました。
「あなたなんかに私の気持ちが分かるもんですか」
分からないのが当たり前と思ってきた私です。
あんくさん wrote:
> えーと、ずいぶんお悩みのようなので、退出前に一言。
> たしかこの人が、この本で、ちょうど同じテーマを論じてたかな。
>
>小沢 逸郎著:『「弱者」とは誰か』PHP新書
ありがとうございます。確か地元の古本屋で売り出していたので、
ゲットしておきます。では
1度だけはまじめにコメントしておくとしよう。ただし、2度目からは
悪魔型くんに遠慮なくコメントしてもらうことになるので、そのつもりで
いてほしい。言っておくが、悪魔型くんは相手と議論しようなんて気がそ
もそもないので、そのつもりで。
まず、題名についてだが、健常者がいなくなることと明るい社会が到来
することには何のつながりもない。それにどんな人であれ抹殺されてしま
うような社会が「明るい」とは思えないのだがどうだね?
健常キラー wrote:
>健常者を殺せ!!健常者を壊せ!!健常者を燃やせ!!
自分を虐げた人間を恨むのは自由だと思うが、あまりにも多数の架空
の敵を作りすぎていると思うぞ。また仮に敵の範囲を正確に捉えていた
としても「殺す」「壊す」「燃やす」というのは過剰防衛だ。現に君は
生きていてこの掲示板にコメントをしているのだから、どんなひどい人
間でも君を殺すまではしなかったはずだ。ここで君が殺してしまえば、
復讐の対照性(相手がやった仕打ち以上の復讐は行なわないという原則
)が損なわれることになるだろう。
>さあ健常者を殺そう、われわれの自由のために
「われわれ」というのは一体誰のことを指しているんだ?1人は君だ
というのは分かったが他に誰がいるというのだ?この掲示板に遊びに来
ている人たちを架空の支持者に仕立て上げられてしまうのは正直言って
困るのだ。僕自身も相手が単に健常者だというだけで、憎悪しなければ
ならない理由はないからね。
それに題名と同様、「健常者を殺す」ことが「障害者の自由につなが
る」とは到底思えない。どこにそんな根拠があるのだ?
ひとまず、どんな理由があって健常者を憎んでいるのかだけでも説明
してもらえるとありがたいのだが。
こうもり wrote:
>(問題を感じている点)
>
>(1)「同じ経験をしなければ…」という思考は自閉人に特有のものな
> のか?
>
>(2)同じ経験をしたからと言って、同じ気持ちになるとは限らないの
> ではないか?この前提はそもそも正しいのか
>
>
>(3)自閉に限らず、人間は異なる経験しか持たない他人と気持ちや考
> えを分かり合うことが可能か?
>
>
> まあ、これだけテーマが分散していれば訳が分からなくもなりますな。
えーと、ずいぶんお悩みのようなので、退出前に一言。
たしかこの人が、この本で、ちょうど同じテーマを論じてたかな。
小沢 逸郎著:『「弱者」とは誰か』PHP新書
内容紹介できるほど、熟読していないので、いまのところコメントは控えておきます(-_-!)。
自己レスです。わたし自身が問題を絞り込めていないため、混乱する
ようなコメントばかりになってしまっており、申し訳ありませぬ。
(気になったこと)
「同じ気持ちを持つためには同じ経験をしなければならない」とか「
同じ経験をした人しかわたしの気持ちは分からない」に見られるような
「同じ経験をしなければ…」という前提の思考
(問題を感じている点)
(1)「同じ経験をしなければ…」という思考は自閉人に特有のものな
のか?
(2)同じ経験をしたからと言って、同じ気持ちになるとは限らないの
ではないか?この前提はそもそも正しいのか
(3)自閉に限らず、人間は異なる経験しか持たない他人と気持ちや考
えを分かり合うことが可能か?
まあ、これだけテーマが分散していれば訳が分からなくもなりますな。
『トットの欠落帖』
(黒柳徹子・著 新潮社 \1,300 文庫版 \552)
『小さいときから考えてきたこと』
(同 \1,400)
『窓ぎわのトットちゃん』を読んだのは、中学生ぐらいの頃だったかな。そのとき同じく読んだ弟が、「このトモエ学園っていうの、障害児とか特別な子供の入るところだったんじゃないの?トットちゃんも、なんだか変な子だしさあ」などと、いくぶん侮蔑の入り混じった声音と、へらへらとした顔で、家族に感想を言って聞かせていたことを思い出す。弟もまた、「笑ってはいけない状況で笑ってしまう」症状を持ったひとりなのだ。まあこの私も、これを初めて読んだ時点で、「こういう子供が、死ななかったのが不思議なくらいだ」と、思ってしまったのだけれど。
理数好きで、「世界一速い宇宙ロケットを造るんだ」と語っていたその弟も、大学に2度入学し、2度とも中退して、いまではしがないガードマンだ。
“あなたは低能!!”
私の他にも、おなじことを言われていた人間がいた。
“私は退学させて下さった先生に心から感謝している。もし退学させられなくて理解もしてもらえず、そのままでいたら、きっと私はコンプレックスの強い、自分でも、どうしていいかわからない、混乱したままの大人になったに違いないから”
すんまへんな、「コンプレックスの強い、自分でも、どうしていいかわからない、混乱したままの大人」の私で。
黒柳氏の、「わき目もふらず行動する」衝動性、「本人の説明なしには、周囲がまるで理解できない、奇異な言動( ex. いにしえの NHK の連想ゲームで“空気”と言われて、間髪入れずに“パン!”と答えてしまうなど)」の他、『欠落帖』の随所に見られる、「ことばに対する自分独自の解釈」、「だまされたことに対して、一向に気づかない」側面などなど、ADHD、LD以外にも、「AS(積極奇異型?)なのでは?」と思わせる部分も、多分にあるし、グランディン、ウィリアムズ各氏よりも早い、「AS本人によるASの自伝」に位置付けても、過言ではないと、私個人は思っているのですが。
AS互助機関に、「トットちゃん基金」を、すこし回してくれんもんかな〜と、考えるのは、虫がよすぎるんだよな、やっぱ。
あ、それで、まったく違う話になるのですが。
メルアド変更しております。以前のアドレスには送らないでくださいね。
メール下さった皆様には、大変ご迷惑をおかけしたものと思います。では。
あんく wrote:
>健常キラー wrote:
>>健常者を殺せ!!健常者を壊せ!!健常者を燃やせ!!あんな奴等人間のクズだ!!健常者を社会から抹殺せよ!!健常者の存在を抹殺せよ!!さあ健常者を殺そう、われわれの自由のために
>
>
>また、来たよ・・・この手のやつが。どうしたもんだろ。
ホントにねー、こんな事をして何が楽しいのだろう?きっと誰にも相手にされない奴だなコイツ(w
健常キラー wrote:
>健常者を殺せ!!健常者を壊せ!!健常者を燃やせ!!あんな奴等人間のクズだ!!健常者を社会から抹殺せよ!!健常者の存在を抹殺せよ!!さあ健常者を殺そう、われわれの自由のために
また、来たよ・・・この手のやつが。どうしたもんだろ。
健常者を殺せ!!健常者を壊せ!!健常者を燃やせ!!あんな奴等人間のクズだ!!健常者を社会から抹殺せよ!!健常者の存在を抹殺せよ!!さあ健常者を殺そう、われわれの自由のために
こうもり wrote:
>Lingko N.さん wrote:
>(PS)
>
> ただ、私見を述べるならば、「自閉・非自閉を問わず、類似した経験を持
>たない人を理解したり、同じ感情を持つことは難しい」と考えます。じっさ
>いのところ、国際交流とか障害者・健常者間の異文化交流の難しさは、お互
>いが共通の前提とか経験,生活様式を持たないことにある訳ですから。
実は僕はまさにこのジレンマに直面しています。と言うのも、僕が今お世話になっている精神科のディケアに通ってくる人は、ほとんどが統合失調症で長期入院を経験された方なのです。
彼らの側から見ると、僕のように通院だけという人間がディケアに参加することは、「ずるいこと」なのだそうです。知的障害の人が手厚い福祉を受けているのも、とてもうらやましく感ずるようです。
まあこれは、「差別的かつ屈辱的な体験を強いられてきた自分たちに比べれば、あなたはずっとハッピイ」ということでしょう。それだし、精神病院という場所は外部から一切隔離された空間なので、自分以外の「障害者」の実態も、十分に補足的に知ることができなかったということもあるでしょう。
> 自閉・非自閉の異文化交流に限定しても、非自閉側の人間の方が自閉人の
>ことを一方的によく理解できていたという話はあまり聞いたことはありませ
>ん。まあ、自閉サイドの人間も非自閉人をきちんと理解できているとは言い
>がたいのでお互い様なのですが。
異文化(この場合はハンディ)を知ろうとするのに1番いい方法は、やはりそれをもつ人と一緒に生活してみることだと思います。机上の空論では、なかなか実態というものはつかめません。
Lingko N.さん wrote:
>それ、「理解できない」の「理解」の指す内容が、ドラマの文脈と、自閉研
>究の文脈とでは別々なんじゃない?
>
>つまり、「理解」っていう単語の使われ方の問題じゃないかと。
既に発言を削除した後なので、かなり間の抜けたレスになってしまいます
が、ご容赦を…。
もちろん、ドラマの文脈と自閉研究の文脈は違っていると思っています。
むしろ、ここで問題にしようかと思っていたのは「相手と同じ経験をしなけ
れば…」という思考でした。F・ハッペ女史はテンプル・グランディンの手
記の検討の中で、グランディン氏が「同じことを感じるには同じ経験をする
必要があると思っている」と述べております。
で、昨日の推理ドラマで、孫をひき逃げ事故で失った遺族である犯人役の
初老の男性が
「わたしたち被害者の気持ちがあなたに分かってたまるものですか!!」
というセリフを耳にした時、わたしは「これって『同じことを感じるために
は、同じ経験をする必要がある』という思考とどこが違うのか?」と違和感
を感じ、考察をはじめていたところだったのでした。
ここで、Lingkoさんに質問です。自閉研究で「同じことを感じるた
めには、同じ経験をする必要がある」という場合と、ドラマでの中で「わた
しと同じ経験をしたことのないあなたにわたしの気持ちが分かってたまるも
のか!」と述べた場合、どのような意味の違いがあると思われますか?
わたし自身は「同じ経験をしなければ…」という前提自体には共通点を感
じるのですが、「気持ち」や「感じる」の意味が両者では微妙に違っている
ような印象は受けています。ただし、それをうまく言語化することができず
、コメントを削除して考案している最中です。
(PS)
ただ、私見を述べるならば、「自閉・非自閉を問わず、類似した経験を持
たない人を理解したり、同じ感情を持つことは難しい」と考えます。じっさ
いのところ、国際交流とか障害者・健常者間の異文化交流の難しさは、お互
いが共通の前提とか経験,生活様式を持たないことにある訳ですから。
自閉・非自閉の異文化交流に限定しても、非自閉側の人間の方が自閉人の
ことを一方的によく理解できていたという話はあまり聞いたことはありませ
ん。まあ、自閉サイドの人間も非自閉人をきちんと理解できているとは言い
がたいのでお互い様なのですが。
まあまあそんなに自分を卑屈に思わないで。jonnyさんに今必要なのは自尊心ですよ。
12918の発言削除します。まだ考案中で文案の練れていない
コメントを誤まって送信してしまった模様です。
(考えるためにボーとする時間がほしい こうもり)
それ、「理解できない」の「理解」の指す内容が、ドラマの文脈と、自閉研究の文脈とでは別々なんじゃない?
つまり、「理解」っていう単語の使われ方の問題じゃないかと。
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© 1998 y.mikome, T.Ikeda, 1999 s.murakami